明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



国宝、雪舟の『慧可断臂図』にはやはり元の作品があった。明の画僧、戴進(たいしん)の「達磨至慧能六代祖師図」のなかの一点である。洞穴の達磨大師、背後の慧可。いずれも右を向いて、構図も似ている。中国に渡った雪舟が参考にしたのは明らかである。戴進の作は、洞窟内はさらに具体的でリアルである。気にいった点は、現代人の私が、ここで私なりの達磨大師を創作する意味はない、と判断し、通り一遍の達磨大師にしたのだが、明の時代の達磨大師が、どう解釈されていたのか判らないが、太鼓腹でもなく、色は黒いものの、普通の体格の男がフードを被ったように描かれている所である。断臂、つまり腕を切り落とし、覚悟を示す場面のはずだが、慧可は腕を切断していない。切断図としたのが、雪舟の工夫で、以後〝慧可断臂”が覚悟を示す、という意味になったのか?私は、雪舟の慧可が、覚悟、という割に、哀し気なのが納得出来ず表情を変えた。 戴進作は、緊張感において、雪舟作に遠く及ばず、私が興味を抱くこともなかったろう。撮影に入る前に、調べるべきことがあるかもしれない。



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