明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

風狂  


昔、ジャズ、ブルースシリーズの頃、ある会社の製品に作品がパクられた。弁護士を立ててやめさせたが、その弁護士は「石塚さんの作品が素晴らしいからですよ。」と言った.慰めるつもりだったかもしれないが、それにムカムカしながら絶対違う、と思った。パクってやろう、という気にさせ、作られてしまう物を作った私も悪い。どうせ無くても良い物を作るからにはアンタッチャブルでなければならない。難しいから、大変だから、などではなく、もうパクる気すら起きない。それはバカバカしいから、くだらないからでもかまわない。むしろ望むところである。 風狂という言葉がある。一休宗純が、何故わざわざ戒律を破り、奇行を繰り返したのか?何故、寒山拾得など、禅画の登場人物が、しばしば汚らしい乞食のような姿で描かれて来たのか?喉元から、ちょこっと顔を出しそうな気がしている今日この頃である。単なる寝不足かもしれないけれど。今回寒山拾得と、シャレコウベを竹竿に捧げ持つ一休、そのシャレコウベを枕に酔い潰れる一休、この風狂ラインは大事にしなければならない。



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昨日書いた、オイルプリントについては、頭で止めようと思っているのに好奇心が勝ってしまった。しかし画が出た時点で本当に止めた。その内自分の作品を被写体とし、写真展をするようになり、それならアレがあったではないか、と引っ張りだしたのが、一日だけの99年、翌年2000年のビクトリアリズム展1であった。しかし早すぎた。この絵みたいな物はなんですか?とその出自を理解しないと、目に明かりが灯らない。毎日技法の説明ばかりしていた。そこで技法公開のためにH Pを作った(閉鎖中) それがデジタルの時代と共に反作用で、まさかの古典技法花盛りとなった。そこで実は以前こんなことしてました、と埃をはたいてやったのが、ハスノハナのグループ展であった。周りは女性ばかり、ブロムオイルや雑巾掛けまでいる有様。時代は変わるものである。 オイルプリントが私にもたらせたものは、頭で理解できなくても、やりたければやれ。つまり〝考えるな感じろ”である。それと私の大リーグボール三号たる、現在の陰影を排除した石塚式ビクトリアリズムの遠因となっている。役割は終えた。改良はしたが、私が考えた技法ではないし。 石塚式ピクトリアリズムの何が痛快か、というと、陰影を出さないで撮影し、切り抜いて配するだけなので首のかしげようがなく、やり方を聞かれることもない。オイルプリント初披露時のトラウマを自ら解消させた。



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