昔、ジャズ、ブルースシリーズの頃、ある会社の製品に作品がパクられた。弁護士を立ててやめさせたが、その弁護士は「石塚さんの作品が素晴らしいからですよ。」と言った.慰めるつもりだったかもしれないが、それにムカムカしながら絶対違う、と思った。パクってやろう、という気にさせ、作られてしまう物を作った私も悪い。どうせ無くても良い物を作るからにはアンタッチャブルでなければならない。難しいから、大変だから、などではなく、もうパクる気すら起きない。それはバカバカしいから、くだらないからでもかまわない。むしろ望むところである。 風狂という言葉がある。一休宗純が、何故わざわざ戒律を破り、奇行を繰り返したのか?何故、寒山拾得など、禅画の登場人物が、しばしば汚らしい乞食のような姿で描かれて来たのか?喉元から、ちょこっと顔を出しそうな気がしている今日この頃である。単なる寝不足かもしれないけれど。今回寒山拾得と、シャレコウベを竹竿に捧げ持つ一休、そのシャレコウベを枕に酔い潰れる一休、この風狂ラインは大事にしなければならない。