三遊亭圓朝作品の最終仕上げ。日本画調といっても輪郭線など入れるつもりはないので、そのかわり黒紋付の黒などは、べったりフラットにはせず、かすかに調子を残してある。写真、あるいは元々は立体作品であるというメリット、特徴は残したいところ。 オイルプリントの習得に四苦八苦していた頃、大正時代の写真作家で、ことさら芸術写真、芸術写真といいつのる人の中に、この人は絵が上手ければ写真などやらなかったろう、という絵画に対するコンプレックスが見え隠れする人がいた。当時の芸術写真家はその多くが金持ちのアマチュアだったから、それで良かったろうけれど。 写真のために写真、人形のために人形を勉強すべきでない、とずっと考えてきた。私の勘が危険だと警告を発してきたからである。その点、ジャンルの違う浮世絵、日本画は、まったくアイデア、イメージの宝庫である。日本人は特別だと改めて感心している。 そういえば、いつか私なりの『寒山拾得図』を制作してみたい、と漠然としたことを書いた覚えがあるが、書いておきながらそんなものどうやってやるんだ、とその時は自分に突っ込んだものだが、ここへきて可能な気が物凄くしてきた。
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