明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



2年後に予定されているふげん社での個展は、私にすると、初個展から40周年の記念的個展となる。小学校の図工の先生が「恥をかくなら早いうちにかいておけ、今なら許される。」今思うとなんだか良く判らない理由で、やることとなった初個展。当時、陶芸家を目指し陶芸窯を作るために、一つ140円でベランダにぶら下がっている物干しを溶接しながら、架空のブルースマンを制作していた。それは元々、まだ窯もないし、作る物もない時に、件の図工の恩師の所に遊びに行き、今こんな粘土が出ているぞ、と教えらレたのが石塑粘土ことフォルモであった。これなら焼かなくて良い。そこで暇だし、当時、黒人のブルース、ジャズばかり聴いていたので、架空のミュージシャンを手捻り始めた。架空というのは、デッサン含めて、何かを参考にしながら、何かを描いたり作ったりが、幼い頃から嫌いであったという理由からである。82年『ブルースする人形展』とした。実にダサイタイトルではあるが、当時は新聞の告知欄に、小さくタイトルが載っただけで案外人が来てくれた。90年には『第一回人形達展』の招待作家となり、今はないプランタン銀座で展示をした、おそらくその時だったろう、主催のフォルモを製造する、パジコのまだ30代であった現社長が、搬入をしてくれる車中で「石塚さんが使ってる粘土、小学生用ですよ。」以後慌てて上のランクの粘土に換えたことは言うまでもない。 それにしても成り行き任せで行き当たりばったり。40年で1回転。架空の人物に戻る事となった。私に自慢することがあるとすれば、独学で、モチーフ手法、変化を続けて来たことである。”転がる石に苔むさず“は、良い意味、悪い意味で用いられるが。いずれにしてもマグロと一緒で、停まってしまったらそれでお終いである。



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最初に寒山拾得をモチーフにしようと思ったきっかけが何だったのかが思い出せない。これだけ寒山拾得寒山拾得いっているのだから、それなりのきっかけがあったはずだが、本当に判らない。昔、曾我蕭白の寒山拾得図は見たが、それはきっかけ程にはなっていない。“イカレタ野郎だ”くらいにしか思っていなかつたろう。今は少々に蕭白に騙されていた気がして見直しているが。 知らないウチにチップが埋め込まれ、洗脳され、その気にされてしまつたかのようである。ホントにボケが始まっているのか?こんな物をテーマに、と考えたなら、それなりのことがあったはずだと思うのだが。どう考えても、石塚式ピクトリアリズム以降のことてあることは間違いない。つまり三遊亭円朝以降のことであろう。やってるウチに、だつたら寒山拾得もやれるはずだ、と思ったのは間違いない。となるとそう昔の話ではない。タイムトラベラーの、アルバムに一緒に写っているこの同級生は誰?という感じである。正月にでもブログを読み返してみることにする。そう思うと良いけれど、だいたいいつからダラダラとブログを毎日書くようになってしまったのか。ブログ以前は、サボつていることがバレないように日付は書かず某日としていたのだが。如何にもヒマだといっているようである。 



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芭蕉記念館の芭蕉庵は、納入直前に、すでに完成していた板葺き屋根を藁葺きに、急遽変更したために、やり残した部分があった。我が家からの搬出を考え、屋根と本体を別々に作ったが、本日ようやく接着。多少の隙間はいずれ埋めよう。汚し塗装も加えた。閉館後の作業中、掃除のおばさんが、昔こんな家に住んでたので懐かしい、と褒めてくれた。 次号の『タウン誌深川』のエッセイのため撮影。芭蕉庵制作について書いても、あまり面白くないので、今回毎日のようにホームセンターに通い、つい日曜大工好きであった父を思い出していたので、父について書いた。ズボラな私と違い、元設計技師であった父は、鉛筆をやたらと尖らせていたが、私の鉛筆で製図して高層ビルを作ったとしたら、最上階は相当傾くだろう。



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蝦蟇仙人が連れている三本脚のヒキガエルだが、本物のヒキガエルを使う可能性はまだ捨てきれないでいるが、その場合は人形の展示が出来ない。撮影にどちらを採用するか、は後で考えるとして、まずは粘土で作ることにした。今回のモチーフには、決まり事のような物があり、それに準ずるか、準じないかは自由だろうが、せっかく先達の末席に位置しようと思うなら、私に取って都合の良い所、すなわち作って面白そうな所はそうしたい。中国の顔輝作由来か、一本しかない後ろ脚を鷲摑みし、胴体は頭か肩口に乗せている。私の蝦蟇仙人はハゲ頭で、カエルの前脚がぺったり張り付いている所を作りたい。もう一カット、地面で踊る蛙を見下ろす蝦蟇仙人というところか。 15の時に好きな物は一生好きだと聞いたことがあるが、このモチーフは、もつと前の私も好きだろう。違うことといえば当時、カエルの尻に花火を突っ込んで平気で破裂させていたが、今は触るのも嫌である。犠牲になった連中には申し訳ないが、悪いことは早めに済ませておくべきである。



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