明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



モチーフこそ水墨画や禅画だったりするが、あくまで写真、あくまで顔が命の人形が主役、というところが肝心である。それに基づいて進めば迷うことはないだろう。昨日ブログを書いていて、改めてそう思った。ブログを書く、というのは行き当たりばったりの私にたまには考えろ、と客観性を取り戻す効果がある。たまたまだったのに、初めから知っていて、計画的にそこに至った、という顔をしてしまうことはあるけれど。 ダラダラと思ったことをそのまま書いてるので、何でこんなことになったのか?ということに関しては、後で読み返し、検証してみたい。なんて言いながら喉元過ぎてしまえば、結局どうでも良くなってしまい、次の目の前にぶら下がったパンで頭が一杯、ということになるだろう。出来るだけ長い目標など立てず、目の前のパンに次々と齧り付いてたら死んでた。というのが良い。いつ何があるか判らないから、そのためにも、先の事は考えず、目の前のパンにだけ集中めのまえしていこう。 



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制作する場合、アイデアスケッチはしない。今回は作品も多く、久しぶりにスケッチブックを買ったのだが、最初の悪戯描きで決まってしまい、以後それを越えられない場合が多い。ファーストテイクが一番なんてけっこうなようだが、チャーリー・パーカーじゃあるまいし、もっと良いものが浮かぶ可能性が失われているのではないか?と思ってしまうのである。しかしそう思ってあがいても大抵はダメである。本日もゴミ袋を掻き回し、捨てたクシャクシャの悪戯描きを助け出す始末であった。 本来墨絵の画題である『慧可断臂図』を写真的広角調に撮ってみよう、と思ったのは、考えてみると、ひとえに〝顔は人形の命です”だからである。そう思うと絵師でもなく、人形作って写真を撮ろうという私の一番の特徴はそこであろう。これから作る山水風景、その造形も撮り方も、すべて表情を生かすためにある。絵師の中にもそんな人物がいたかもしれないが、人形制作者である私ほど極端ではなかったろう。そうした40年の旅路の果てが寒山拾得とその仲間たち?ということであろう。



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毎年大晦日には今年は昨年まで思い付かなかったり、やれなかったことが出来たか、と必ず振り返ることにしているが、今年はあろうことか、中国のおそらく海底から隆起したであろう奇岩の山並みまで作るハメに、ということになろう。いくら人間頭に浮かんだ物を作るように出来ている、というものの、実際思った通りなるかどうかは、やってみないと判らない。といっても、作ったことがない物を作るのは面白い。背景用の材料を本日注文した。 どちらかと言うとほとんど近景で、要素が少ない『慧可断臂図』から作ろうかと思っている。構図は2パターンで決めかねている。昔の中国、日本画は、どちらかというと望遠レンズ的である。広角レンズ的表現はほとんどないが、曾我蕭白ぐらいになると、どういう訳だが、広角レンズで谷底を覗いたような表現が出てくる。あの時代、どういう心持ちで描いたのだろうか。 私がやっているのは一応カメラを使った写真のつもりであるし、広角レンズの効果を知っている。達磨大師と最初の弟子である慧可を広角で撮る。これもまたオツではないだろうか?



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風景  


図工の時間に風景の写生となると嫌でしょうがなかった私は、人間が出て来ない風景画というと洋画では村山槐多の一連の木炭デッサン、松本俊介の橋の風景、岡鹿之助の発電所くらいしか頭に浮かばない、日本画では川瀬巴水の版画は好きだが、その程度であり、写真作品となるとさらに浮かばない。大っ嫌いといえばアンセル・アダムスで、窓を開けてあんな風景だったらウンザリである。 そんな私が中国の山水風景を作ることになるとは思わなかったが、18の頃、カメラマン志望の友人と喧嘩しては「あの山はお前が雄大にした訳じゃないだろ!」と罵ったバチが今頃当たった。何年経とうとバチは確実に当たる物のようで、先日もカエルの肛門に2B弾突っ込んで爆死させたりしたバチが当たって作ることになったばかりである。しかも作り直して2匹も。都会の子供はストレスが溜まっていたのか、田舎の子より非道を働いたとい気がする。 しかし頭の中に浮かんでいる風景はすでに都合よく形作られているからあんな風景はもはや作るしかない。しかし私の場合、不思議と苦手だ嫌いだ、と言っていた写真、パソコンなど、そんな物ばかりが大事な手段と変じてきたし、雪舟が中国に渡り、おそらく「ホントにこうなってたんだ?!」と思ったであろう風景を作ってみたい。



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一番難航しそうな『虎渓三笑図』と『慧可断臂図』の背景はほぼイメージが浮かんだ。人間は頭に浮かんだ物を作るように出来ているそうである。たしか脳科学の養老孟司がいっていたのだが、これを聞いた時、様々なことを思った。私が妙な物を作りたくなるのも、自然物である私の頭に浮かんだからであり、私は全く悪くないし、責任もない。私にとって悪いことというのは悪気があった場合のみのことをいう。 頭にさえ浮かべば、生身の私は苦労するにしても、気が付けば必ず目の前に出現する。一つには、要らない知識、技術を遠ざけて来たのも功を奏した。眼と手のバランスが取れ、眼高手低で苦しむこともない。励んだり勉強したりも、すれば良いという物ではない。昨年、慧可断臂図用の雪を撮りに行く前日、何も描かないことにより雪としよう、と思い付き撮りに行くのを辞めた。後で狩野派の絵師も同じことをやっているのを日曜美術館だったかで知った。思ったようになるのか、早くやってみたい。



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写生が幼い頃から嫌いであったので、初個展より架空の人物で始まった。今思うと独学我流者の浅はかな思い込みだったが、人間は実際こうなってはいないかもしれないが、私がそう思い込むには理由があるはずだ、と頑なに、自分の中に在るイメージだけにこだわり、本当のことを知ってしまうと私らしさ、個性がなくなってしまう、とデッサンどころか、本当のことを知ろうとしなかった。それが実在した作家シリーズに転向した際は、写真を参考に制作することになるので、もう戻れない、と覚悟が要った。 ところで日本人が何故陰影を描かなかったのか、決定的な説は未だに知らないが、荒俣宏さんが書かれていた話で、大航海時代、ある島に帆船が漂着する。しかし島の原住民は、そんな大きな船や白人を見たことがないので、歩いていても白人を認識できない。この話が大好きである。日本人が陰影を認識していなかった、などとは思わない。むしろ日本人には陰影など描くに値せず、もっと肝心な描くべき事や物があったのではないか。それが炸裂しているのが浮世絵のような気がしている。



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人間には性分というものがある。常に行き当たりばったり、よくいえば柔軟性があるはずの私も、案外融通が効かないところがある。陰影を出さない、と決めたなら、以後それで通すべきだ、というところがあり、おかげで、半裸の女性に行燈の光の『ゲンセンカンの女』の時は同時に逆遠近方も取り入れようと無理をして身を捩るように苦しみ、粘りに粘ってグループ展の会期中に2回作品を差し替える、という醜態を演じた。 浮世絵や、明治ごろまでの日本画を図書館に行っては眺め、この自由さを私の写真作品に取り込めないものか、と考えていた頃、気になったのが、新版画の川瀬巴水であった。これらはむしろ浮世絵が踏み込まずにいた陰影や水の表現を特に強調している。 三遊亭圓朝を作ろうと思った時、明治時代、東京にそこら中にあった寄席を再現してみようと思った。そこで新版画調にしてみた。思考錯誤しながらも思ったような背景になった。しかし川瀬巴水も、陰影があったり、なかったり、案外自分の都合で塩梅している。乱歩チルドレンたる私も、整合性云々いってないで創作上の快楽を優先すべきであろう。という訳で、次のターゲットは中国の山水図である。

牡丹灯籠

 



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人物14体、彩色が終われば撮影に入れるが、他にもやることがあるので、撮影を決めた物は、その前日にでも彩色することに。撮影自体は構図も決まっているし、物撮りに肝心なライティングは、べったりと陰影を出さないよう撮影するだけで、絞って撮るので、ボケ味も気にすることもない。念のため、と10カットも撮れば終わってしまう。背景無しの作品もあるが、問題は背景のある作品で、夏前からモニターに齧り付きになるだろう。 ジャズ、ブルースシリーズの時、コンパネに石膏で壁や石畳や草の生えた地面を作り、組み合わせで背景に使った。裏表を使ったが、何しろ重くて引っ越しの際に処分した。今回も、遠景、中景、近景と、今後のことも考え、組み合わせて使い回し出来るよう考えたい。 鯉に乗る琴高仙人の鯉は、腹中で成仏させることもあり、養殖物にする。血抜きして送ってもらうことも可能だが、本来生きたまま送ってもらい、死ぬと臭みを出し始めるので、鱗をそのままに処理するほど急ぐ必要があるらしい。そういえば、最初にタコを撮影に使った時、後で刺身で食おうと思っていたが、タコの恨みがましい目を見ながら撮影が終わる頃には食欲を失っていた。



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近いうちに虎の撮影を。レンズは中古で買った昔のタムロンズーム二本に、虎でなく、檻に入っていないある動物を撮るため、二束三文で買ったペンタックス、スクリューマウントの望遠レンズを。虎はガラス越しに近くで撮れそうなので偏光フィルターを用意。エドガー・アラン・ボーの『モルグ街の殺人』の犯人のオランウータンは、多摩動物園まで出掛けたが。出来れば近場の上野動物園で。『ジャングルブック』を読んで猛獣が人の目を恐れるというのを真に受け、虎やライオンを睨んで回った幼い私であったが、相手にされず。生き物は、本物を使うことにしていたのに、ガマガエルは作ることになった。ちょっと残念な気もするが、昭和三十年代、連中に様々な非道を働いたせいで今では触りたくもない。まさにバチが当たった。    数年前に飼い猫を虎化して、かつての虎を観たことがなかった絵師の虎図調にしてみた。まあ意図通りにはなったものの、うろちょろする猫を撮るのはマタタビもってしても大変だった。今回いよいよ豊干禅師に絡ませるので、今度は逆に、グウタラな動物園の虎に猫の要素を足そうと考えている。



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昨日はカエルの日だったそうだが、鉄拐仙人に動きをつけたことにより、対するガマと蝦蟇仙人とのバランスが悪くなった。仙人、カエル共に両生類的無表情で、カエルが頭に乗っていたことで仙人の頭の形が隠れていたのも気になっていたので、今度のカエルは肩に乗り、仙人の首に片腕を回し、後ろから父親に飛び付く幼子の如し。雪村周継の蝦蟇鉄拐図は、鉄拐が口から分身を吐き、対するカエルも口から何やら吐いている。それをやりたくて大口を開けた。没になったカエルは、仙人の前で踊る三足のカエルなど、いずれ使い道もあるだろう。 三足のカエルは、その足で財をかき集めるといわれるラッキーアイテムでもある。しかし作った本人に御利益がある気はしない。作ってラッキーになるなら皆んな作るだろう。それにしても、三足のカエル以外にも、鉄拐のひょうたん、蝦蟇仙人の桃など中国由来の画題、モチーフは隙あらばラッキーアイテムを入れて来る。以前飼っていたフラワーホーンという東南アジア産熱帯魚は、色形模様全て風水に基づき評価され、模様が目出度い数字に見えようものなら高額で取引されていた。



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一日  


知人の紹介で、何かの発表会のおりに横尾忠則さんに、私が中一の時に配本が始まった講談社の江戸川乱歩全集の挿絵にサインをいただいたことがある。初めての大人向け乱歩であったが、こんなイメージにピッタリな挿絵があるのか、と思った。お会いした時、私が持っていった金のマーカーが、ポタリと横尾さんのつま先に垂れてしまった。私の記憶通りなら、この作品はあまり記憶にないようなことをおっしゃっていた。こんな傑作描いて忘れることなんてあるのだろうか? 先日横尾さんのツイートを読んだ。『昔、禅寺に1年間参禅した経験からか、考えないことが苦痛にならない。考えないことほど、至福な時間はない。自分にとって考えるのは地獄だけれど考えないのは極楽だ。』考えるな感じろ。さすが現代美術館で寒山拾得を発表されていた方である。そのとき、あの乱歩作品もちゃんと展示されていたそうだが。 私は禅寺というと昔南禅寺で、女の子と湯豆腐を食べたのと、岐阜の製陶工場の旅行で永平寺に行ったくらいである。ツィートを拝読して思った。私はこのまま坐禅一つせず、作品制作だけで何を、どこまで得られるかやってみよう。


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「タウン誌深川』に入稿直前、急遽気が変わって作り直した蝦蟇仙人の三足のカエル。日々座りっぱなしで仕事する人には、宿命的にマゾヒズムを抱えているものではないか? 無表情な仙人とカエルだったが、対する鉄拐仙人が、ずっと杖にすがった姿を想定していたが、杞憂に動きを付けたので、そのツケが対となる蝦蟇仙人のカエルに回って来たということだろう。一転三足のカエルは仙人の首に手を回し、大口を開けている。これでようやく『蝦蟇鉄拐』納得。 上野動物園は予約なしに入れるようである。虎はガラス越しの分、近くから撮れるようである。反射を消すための偏光フィルターを購入。もしかすると鯉に乗って水中より現れる琴高仙人の水の表現の際にも、使うことになるかもしれない。陰影をなくすと、光の反射、艶も失うことになることまで考えていなかった。おかげで普通の写真家がしないで済んでる苦労をする。しかし、独学我流もそうだが、その余計な苦労が結果的に独自の味を育む。以前はそうとでも思わないと、やってられない、と思っていたが、撮影を待つ最近作を眺めると、それが証明されている気がする。大体、これが味が出ている状態でないとしたら一休何なんだ?という話である。



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昔、あるデザイナーに言われたものである。「石塚君、プロはさっさと終わらせ遊びに行くんだよ。」私の諦めの悪さに、そういわれたのであったが、私はそう思わない。土俵際の一粘りで、しばしば逆転うっちゃって来たからである。蝦蟇仙人の頭に乗っていた三足の蛙、昨晩気が変り、一から作り直す。『タウン誌深川』にはすでに文章は入稿を済ませ、後は撮影だけの『蝦蟇仙人と三足の蛙』であったが、おかげで原稿の一部も書き換えた。コンビである鉄拐仙人は、私には珍しく、動きのあるポーズにしたのだが、対となる蝦蟇仙人とカエルは両者とも両生類的無表情だった。二体目のカエルは大口を開けている。仙人の身体に隠れている部分は必要ないので作らない。やり直しする場合、悔しいので、やり直して良かった、となるまで絶対に許さない。 それにしても私のこの粘り強さ、志しの高さ、これが日常、私生活において、爪の先程も顔を出さない。人生上の謎といえよう。



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昨日のブログで写真について〝私のマコトだけ写っていれば良く、後は全て嘘っぱちで良いのである。いやそれが良いのだ。”と書いた。先日は、私が何を作るのか、にしか興味がない、とも。最近ガマの油のせいか筆が滑り気味である。私が小学生なら、人様の前で、そういうことを言うんじゃない!と母にこっぴどく叱られたことであろう。 窓から手を伸ばせばお隣の家を触ってしまうような下町で、チック症になる程うるさく言われ続けたのも、私の行く末を憂いてのことだったのは、今は理解出来る、おかげで空気も読めるし、人間関係での失敗も、数える程しかない。それを思うと、先日書いた、患者が作ったんじゃないか?という恐ろしく奇妙、ビザールなギターを作った精神科の医師で高校の親友は、会話の中に入って来ると空気が読めず白けてしまうので、シラケの◯◯と呼ばれていた。しかしそんな所が功を奏したのか、今では患者の自殺率の低さを誇っている、というから、人間適材適所、使い様である。彼の一台目のギターのボディには、カタシロ、つまり人形が封じ込められている、といっていた。詳細を聞く気にはならず。かくいう私は本日、頭に巨大な三本足のカエルを乗せた人物に色を塗っているという有様である。



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制作に入る前は、ある程度先達の歴史、伝統にある程度殉じるつもりでいたのが、登場人物、構図、すっかり別物になってしまった。一番大きな理由は私が被写体を自ら作る人形制作者であり、写真制作の時、その頭部の造形、表情を第一に優先、生かすことだけを考えており、構図も全てそれに基づいて決まる。 雪舟の『慧可断臂』はそれが覚悟を示す、という言葉となっている割に、慧可の表情は悲しげである。私は慧可を最前に持って来て正面を向け、雪舟作では主役の達磨大師を、4メートル程後方で、達磨さんが転んだ、のようにこちらを振り返っている。洞穴の岩肌も、その構図を生かすようにする。つまり二刀流のメリットなどということではなく、被写体制作者が被写体を生かそうとするとこうなる。それだけのことであろう。絵師の描いた物と違うのも当然である。これが写真なのかどうなのか、まあどうでも良いことである。各作品が具体的に頭に浮かびつつあるが、そのためには、どんな卑怯な手でも用いる所存である。私の写真は私のマコトだけ写っていれば良く、後は全て嘘っぱちで良いのである。いやそれが良いのだ。



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