僕は家にいなかったんですがね、 昨日は息子夫婦が遊びに来て、 母の日のプレゼントも置いていったそうな。 ニコニコ
同時に娘からもプレゼントがあったそうな・・・・
日常の中にある、少しだけ非日常 というか。
親の存在価値は 子供時代は当たり前の存在で、 しかもどれだけ大量の愛情をもらっているかなどとは分かりもしない。
ある香りのする部屋に入ると、 その香りは知らない間に忘れ去っているのと同じで、 生まれたときからそうなら、なおさら。
やがて甘ったれた学生時代を通り越して、大人になるに従って、違う香りを知るようになり。
その過程で、自分はこれこれこうした香りがよかった等と始まるのが反抗期。
それを抜けると、 さらに様々な香りに触れて、 いつの間にやら懐かしい香りというのを覚えるようになる、同時に何ともいえない感情を持つことに気がつく時がやって来る。
成人式はそうした一通りの成長をしてきた一つの区切りである。
来年の正月明けると晴れ着の我が娘の姿を見ることが出来るが、 まだまだヒヨッコにしか見えない僕には、いつになったら、一人の独立した人間として見ることが出来るようになるのだろうか?等と思ってしまう。
息子の時もそうだったけど、 結局はDNAの伝承を目にする、すなわち孫の顔を見る事が一つの完成として、”自分の中の区切り”となる物なのかな~?
なんて、 昨日の透き通るような青空にそんな思いを重ねたりする一時です。
木綿のハンカチーフ 秦基博