現在、4月刊行の『若い読者のための宗教史』を鋭意ゲラ校正中。
特に大文字になっているわけでも、イタリックになっているわけでも、クォテーションで囲まれているわけではないが、聖書やコーランなど、各宗教の聖典を意識した表現が頻繁に出てくるので、息が抜けない。
たとえば、以下のパッセージには、『旧約聖書』「エゼキエル書」37章にあるdry boneという表現がさりげなく出てくる。
Ezekiel not only heard voices, he saw visions. And one of his visions contained a message of hope for captive Israel. In his vision he stood on a hill looking into a wide valley filled with dry bones. The voice told him to prophesy to the bones and tell them that breath would enter them, flesh would clothe them and they would live again. So he did as he had been instructed. Immediately there was a sound of rattling as the bones all joined together and the valley was filled with human skeletons. Next, sinews, flesh and skin grew over the bare skeletons, and the valley was filled with dead bodies. At last, breath came into the bodies and they stood up. And it was as if a great army of vibrant warriors filled the valley.
エゼキエルは声を聞くだけでなく、幻も見る。そのうちのひとつに囚われのイスラエル人にとって希望となるお告げがあった。幻のなかでエゼキエルは丘の上に立ち、枯れた骨でいっぱいの広い谷を見下ろしていた。神の声が骨に預言するようにと彼に命じる。骨に霊が吹き込まれ、肉が覆い、生き返るだろうと。そこでエゼキエルが命じられたとおりにすると、すぐにカタカタという音がして、骨がすべてつなぎあわされ、谷は骸骨でいっぱいになった。次に筋、肉、皮膚が骸骨を覆い、谷は死体でいっぱいになった。最後に、霊がそれぞれの体に吹き込まれ、皆立ち上がった。まるで活力に満ちた戦士たちの立派な軍隊が谷を埋め尽くしたかのようだった。
『若い読者のための宗教史』では、このdry bonesには「新共同訳」にある「枯れた骨」を充てた。
小説やノンフィクションを訳している時もこうしたことにぶつかり、己の無知を思い知り、絶望的になることが頻繁にある。
やはり聖書を知ることが大切だ。
本書を訳しながらこの問題を改めて見つめなおすことができた。
聖書の意味と成り立ちを考えてみることが大事だし、本書『若い読者のための宗教史』はそれを求めている人たちに応えられる1冊になると思う。
索引もかなり充実したものになる予定。