――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
児童相談所や学校等の関係機関が児童虐待を把握していながら、死なせてしまう例が跡を絶たない。ブログにも書いたが、09年9月に歯科医が患者の子どもの左ほおと両脚にあざがあるのに気づき尋ねると、「パパにぶたれた。ママは見ていて何も言わなかった」(東京新聞)と訴えたので、区子ども家庭支援センターに通報。そこから学校に通報。学校は規則どおりにだろう、区教委に連絡。学校は歯科医から通報を受けた“数日後”(と「時事ドットコム」は書いている。)、校長と副校長と担任が雁首揃えて家庭訪問、父親が暴行を認めて、二度とやらないと約束したため、警察へは連絡しなかった。
約束が政治家の公約みたいな軽いものではないのかと疑わなかったらしい。虐待を把握してからの9月は7日欠席。10月は11日学校を欠席。12月は6日欠席。10年1月は8日欠席。
1月23日、両親から暴行を受け意識不明となり病院に搬送。翌24日死亡。
7歳の寿命を以ってしてこの世から去るために生まれてきたわけではないはずだ。7歳で死なすためにこの世に生命(いのち)を設けたわけでもあるまい。
だが、結果として7歳でこの世から去るために生まれてきた。7歳で死なすためにこの世に生を授けた。残酷過ぎるではないか。
この残酷さを児童保護機関は考えもしないらしい。児童保護機関が児童保護の危機管理が機能しないという逆説に立っているからだろう。
学校は担任が12月に3回家庭訪問したと言うが、父親にも会ったわけではない、子どもに会ったわけではない、母親に会ったが、子どもとの関係を聞きもしない、単に学校行事の連絡を果たす家庭訪問に過ぎなかった。
それを以て3回家庭訪問したと言う。
学校も区教委も区子ども家庭支援センターも児童虐待に対して何ら機能しなかった。児童保護機関でありながら、親の虐待から子どもの生命(いのち)を守る保護の役目を何ら機能させることができなかった。
次に明るみとなった児童保護機関が機能しなかった児童虐待例を《「家庭復帰に問題はなかった」 児童虐待で児童相談所が会見》(msn産経/2010.2.11 21:48 )等から見てみる。
2009年6月下旬、26歳の母親が夫の連れ子である当時4歳の長女を虐待、兵庫県川西こども家庭センターが6月25日から一時保護したが7月23日に保護措置を解除。(以上「msn産経」)から。
これ以降の経緯は09年11月24日夕方自宅のベランダで嘔吐したあと意識不明となり、神戸市内の病院に搬送、5日後の11月29日に5歳で死亡。
兵庫県警が2月11日に離婚して(離婚させられて?)秋田県の実家に戻っていた元母親を傷害の疑いで逮捕。警察は傷害致死の容疑でも調べる方針だという。(「YOMIURI ONLINE」と「FNN」記事から)
上記「msn産経」記事が一時保護した兵庫県川西こども家庭センターの中井一仁所長の2月11日夜の記者会見の模様を伝えている。
保護措置解除して家庭に戻した判断について――
中井所長「周囲のサポート体制を整えたうえでの復帰であり、問題はなかった。・・・・復帰後に、親子をセンターへ通所させる回数が適切だったかについては反省が残る」
だが、虐待は継続して繰返されていたことは祖母や近所の住人が把握している。さらに《死亡1か月前も、女児がほお腫らす…三田・女児虐待》(YOMIURI ONLINE/2010年2月13日)によると、09年7月23日からの一時保護措置解除後の、死亡約1か月前の昨年10月下旬頃、自宅近くで子どもがほおを赤く腫らして歩いているのを近所の住民が目撃しているし、同じ10月22日には通園している保育園の関係者が頬の腫れた跡に気づいて子どもと母親に尋ねたところ、二人とも「ドライヤーが当たった」と説明したため児童相談所に通報はしなかったが、その「説明に不審な印象はあった」としている。
「説明に不信な印象」を持ちながら、児童相談所に通報しないこの鈍感さからは“保育”という教育に不可欠な思い遣りの資質を窺うことはできない。
罪逃れのためにドライヤーで叩いたことを「ドライヤーが当たった」と虚偽の証言をした可能性をも疑わなければならなかったはずだ。少なくとも「説明に不信な印象」を抱くまでに至っていたなら、その「不信」を誰かに聞かれたら、「ドライヤーが当たった」と言うんだよと言い含めていたかも知れないところまで広げる配慮が必要だったはずだ。勿論この配慮は4歳の女の子に向けるべき思い遣りが生じせしめる配慮であることは断るまでもない。
だが、その配慮さえも欠いていた。ここにも児童保護の危機管理が機能しない児童保護機関という逆説を見ることができる。
家庭復帰後も虐待を把握していなかったのは児童保護機関である兵庫県川西こども家庭センターのみであった。にも関わらず、「周囲のサポート体制を整えたうえでの復帰であり、問題はなかった」と言っている。
さらに「msn産経」記事は中井所長の次の言葉も伝えている
「亡くなられたのは残念だが、(11月の時点では)虐待行為などはなかったと認識している」
これは言い張りに過ぎない。自分たちが虐待を把握していなかったに過ぎないからだ。
上記7歳男児の虐待とそれとの因果関係がはっきりしないとしている死亡事件を扱った前のブログで、〈例えこの7歳児童の死亡が親の虐待を死因としていなかったとしても、虐待を学校もセンターも児童相談所も区教委も把握できなかった。把握できなかったということは虐待は存在しないとしていたことを示す。〉と書いたが、まさに把握していなかったことによる「虐待行為などはなかったと認識している」に過ぎない。
児童保護機関が保護機関として機能していないことのこの空回りも何ともし難い。
そして記事は子どもを川西こども家庭センターが家庭復帰させた理由を次のように書いている。
〈昨年6月25日に夏美ちゃんを保護した後、継母の寺本容疑者が育児ストレスなどのために虐待行為を繰り返していたことを認め、親子関係の改善もみられたため、家庭復帰が可能と判断。7月23日に保護措置を解除した。
その後、寺本容疑者は夏美ちゃんらと計3回、センターで面談を受けるなどしたが、この時点で問題は見受けらなかったという。〉――
母親の「虐待行為を繰り返していたことを認め」たは、このブログ記事の最初に挙げた虐待事件の父親が暴行を認めて、二度とやらないと約束したことに通じる。簡単に信じる安易さはどこから来ているかというと、自身が担っている職務に対する責任意識の希薄性から来ていることは断るまでもあるまい。
さらに川西こども家庭センターは、〈寺本容疑者は夏美ちゃんらと計3回、センターで面談を受けるなどしたが、この時点で問題は見受けらなかった〉としているが、上記男児虐待でも、学校が親が保護者会に積極的に参加し、協力的だからと様子を見ることにしたことに通じる。
両者とも児童保護が機能しない相通じる判断能力の持主となっている。センターへ通所にしても、そこでの面談にしても、そのとき限りの装った姿を取ることが可能だということを疑いもしない。
児童保護の何を学んでいるのか知らないが、家の中で子どもに虐待を行う悪者となっている親は外ではそれを隠すために世間向けのいい親を演ずる傾向にあることを知識としていない。会社で従順な社員を演じながら、家では暴君と化す男と似ている。
少なくとも兵庫県川西こども家庭センターの中井一仁所長は自分たちの対応を「問題なかった」としているのだから、5歳の女児の“死の事実”に対してホンネのところでは責任も痛みも何も感じていないに違いない。
「復帰後に、親子をセンターへ通所させる回数が適切だったかについては反省が残る」は、“通所回数”のみに責任を限定しようとする意思の働きからの発言であろう。