亀井静香の夫婦別姓反対の正論

2010-02-18 07:00:50 | Weblog

   ――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――


 夫婦別姓は女は男に従うべきだとする権威主義からの離脱に向けたささやかな一歩

 鳩山首相が「私自身は夫婦別姓に前から基本的に賛成している」としているのに対して、亀井静香金融・郵政改革担当相は「家族がばらばらになる」と反対しているそうだ。「時事ドットコム」記事――《夫婦別姓「前から賛成」=民法改正案提出を後押し-鳩山首相》(2010/02/16-19:37)が伝えている。

 16日夕方、首相官邸で記者団に対して答えたという。

 一方で成立の難しさを発言している。

 「家族の在り方とか権利とかにつながるから、1人ひとりが政党を超えて、いろんな考えを持っているテーマだ。なかなか簡単にまとめにくい話ではないか。・・・・政府としてまとめられるかどうかを今、千葉景子法相を中心に努力してもらっている」

 記事は「家族がばらばらになる」と反対している亀井静香に対して千葉景子法相が説得に努める考えを示しているとも伝えている。

 説得についての千葉法相の動静に関しては、「msn産経」記事――《夫婦別姓で千葉法相「亀井氏を説得していく」》(2010.2.16 12:15 )が16日の記者会見の発言として次のように書いている。

 「亀井大臣の(反対の)ご発言は大変重い。ただ、内容について細かい理解をいただいているか必ずしも定かではない」

 そう、亀井大臣の発言は常に物凄く重い。その重さには頑固という性質も背後霊さながらに取り憑いているに違いない。重くて頑固で説得で簡単に動きそうにない。説得も頑固さが必要となる。当然時間をかけた説得とならざるを得ない。時間がかかるというわけであるが、限界ということもある。

 千葉法相「内閣としての方向付けは、そんなに時間がないので最終的に詰めをしていきたい」

 説得できなくても民法改正の法案提出を進めるのか、あるいは説得できなかった場合、亀井が「国民新党が反対したら、できない」を受けて先送りするのか、どちらかに詰めると言うわけなのだろう。

 反対派にとっては頼もしい亀井静香なのである。日本の大相撲にとって白鳳が出てくるまでは大相撲人気を独り支えた朝青龍の頼もしさに通じるものがあるに違いない。違う点は亀井静香が日本主義者であるのに対して朝青龍が反日本主義者である点のみではないのか。

 千葉法相は亀井静香を説得する必要はないはずである。亀井大臣の夫婦別姓によって「家族がばらばらになる」は正論中の正論だからだ。決して間違ったことは言わない。それ程に亀井静香の主義主張は重くて頑固である。

 夫婦同姓こそが家庭内離婚、熟年離婚といった「家族がばらばらになる」ことを防ぐ日本のよき砦だった。あるいは子どもが親に対して荒れる「家庭崩壊」という名の「家族がばらばらになる」現象を前以て抑える楯となっていた。

 夫婦の一体感、親子の一体感、家族の一体感、協調感はすべて夫婦同姓が恩恵となってもたらしてきた。

 夫婦別姓となったなら、堰を切ったように夫婦の一体感、親子の一体感、家族の一体感、協調感が崩れ去って離婚が生じ、例え結婚20年、30年守ってきた熟年夫婦にも波及して、日本の家庭は「ばらばらに」なり、家庭ばかりか地域社会も日本そのものも何もかもが崩壊に向かう。

 夫婦同姓こそが日本の家庭を守る。日本の夫婦を守り、日本の親子を守る。日本の社会を守る。日本国家を守る。

 亀井静香の2月11日の「msn産経」記事――《「別姓名乗る必要ない」亀井氏、選択的別姓導入の民法改正に反対》(2010.2.11 17:36)での夫婦別姓反対の弁は次のようになっている。

 「家庭の一体感が失われている今、何もばらばらの姓を名乗る必要はない」
 
 夫婦同姓が「家庭の一体感」を守ってきたわけではない、「家庭の一体感」を守るに力がなかったということなら、夫婦別姓であろうと異ならないはずで、夫婦同姓を家庭を守る、あるいは家族を守る制度として位置づける理由を失う。

 あくまでもこれまで夫婦同姓によって一体感を守ってきた夫婦の関係、親子の関係が夫婦別姓によってその一体感を失い、「家族がばらばらになる」、崩壊に向かうとしなければ、「家族がばらばらになる」という言葉で夫婦別姓反対を掲げる意味がなくなる。

 大体が「家族がばらばらになる」は現在一体となっている状況に対して夫婦別姓を契機としてそれが崩れ去ることを言う言葉であって、既に「ばらばらにな」っている状況に対して使う言葉ではないはずだ。

 年間離婚件数25万組以上、4秒に1組の離婚割合といった現在の夫婦状況は夫婦同姓下のもと、既に多くの「家族がばらばらにな」っている日本の風景を示すもので、現在、「家庭の一体感が失われている」という状況にあるなら、「ばらばらの姓を名乗る」ことは逆に実情を正直に現すことにもなる。

 人間は正直でなければならない。夫婦、親子が「ばらばら」でありながら、世間体から外に対して隠して、仲睦まじい夫婦、仲の良い親子であることを世間に知らしめる粉飾として「何もばらばらの姓を名乗る必要はない」からと同姓を名乗ろうと、内側の隔絶はお互いに隠しようもゴマカシようもなく、相互に自分で自分を抑圧した不正直な姿で生きることになる。“仮面”の関係を強いることになる。

 同姓であろうと別姓であろうと、“姓”が人間相互の一体感を保証する道具立てではないということである。単に夫婦という、あるいは親子という表向きの関係を示す道具立てに過ぎない。一体感はそれぞれの心の持ちようによって決まる。

 だからこそ、年間離婚件数25万組以上、4秒に1組の離婚割合といった状況が存在することになる。法律的に離婚という形式を取らなくても、家庭内離婚、別居といった実質的離婚状況の数も無視できないはずだ。

 亀井静香は以前、「(夫婦別姓の導入で)家の表札が、アパートみたいに名前が違う。こういうことが、あるべき姿なんでしょうかねぇ」(FNN)を夫婦別姓反対の理由としていたが、これとて外から見た、あるいは第三者から見た関係性に過ぎない。「表札」からは同姓であろうと、別姓であろうと、実質的な中身の関係性は見えない。

 実質的な中身の関係性を大事にすればする程、夫婦の隔絶は触発を受ける。親子関係に於いても似たような力学を受けるはずだ。離婚、家庭内別居、別居、親子離反へとつながっていく。

 それとも亀井静香は実質的な中身の関係などどうでもいい、夫婦は一度ひっついたら、ずっとひっついていろとでも言いたいのだろうか。子どもがその親の元に生まれたなら、一生親に従えとでも思っているのだろうか。

 ましてや、「離婚後300日規定」の見直しなど、“同姓”の解体を促進する、表札の数を「アパートみたいに」増やすとして絶対反対の猛反対に違いない。

 例え同姓を選択しようとも、別姓が制度として存在するだけで、男性、女性に対して相互に自律意識を植え付けるはずだ。自律した夫婦関係、自律した親子関係の育成に役立つに違いない。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする