――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
久々の橋下府知事批判記事――
各マスコミ調査の橋下大阪府知事支持率が凄い。毎日新聞は70%だが、その他は80%前後の高支持率を伝えている。産経新聞社の《支持率83・2% 橋下知事就任2年、大阪府民意識調査》(msn産経/2010.2.2 08:08)が1月23、24の両日に実施した20代以上の府民500人対象のインターネット調査では支持率は83・2%、09年1月前回調査比1・6ポイントアップし、知事就任後これまで5回の調査で最も高い支持率を記録したという。不支持率は前回の14・4%より1・8ポイント低い12・6%。
複数回答の支持する理由。「リーダーシップがある」(78・8%)、「政策に期待できる」(63・7%)
指導者として必要な資質である指導力及び決断力と政策的創造性を二つとも満たしていると受け止められているのだから凄い。
どのような政策に期待しているかというと、WTCビルへの府庁舎移転が65・8%、府と大阪市の再編を含む地域主権に向けた取り組みが68・0%、伊丹空港廃止が44・8%とそれぞれ支持している。だが、すべて今後の課題である。
3年目に期待する施策(複数回答)では「財政再建」が64・4%、「景気対策・産業振興」が63・6%は未だ発展途上ということか。
1月16、17両日実施の70%というより低い支持率で現れた「毎日jp」記事――《橋下・大阪府知事:支持率70% 政策への期待は低迷--就任2年、毎日新聞調査》(2010年1月19日)は題名どおりに「msn産経」記事とは逆の結果を示している。
〈「支持しない」は8%(前回調査比3ポイント増)、「どちらとも言えない」が22%(同3ポイント減)だった。男女の支持率はそれぞれ72%と68%。支持する理由は「実行力があるから」(41%)「政治のあり方が変わりそう」(33%)など。「政策に期待できる」は16%にとどまった。
2年の取り組みで評価する点は「財政再建」が突出しており45%に上った。次いで「地方分権」「学力向上」がそれぞれ12%。逆に評価しない点は「イルミネーションなど都市景観づくり」(26%)▽「府庁舎の移転構想」(19%)▽「関西国際空港の活性化」(15%)など。〉としているが、〈「実行力があるから」(41%)〉と〈「政策に期待できる」(16%)〉は重なって一致すべき期待値であるはずが、一致しないと言うことは、実行力に期待できても、期待していい政策を創造できていない、提示し得ていないということなのだろうか。
年度末に近づいたからなのか、一連の高支持率調査に勢いづいたからなのか、知事は2月10日の定例記者会見で、「内部評価」に基づいた知事公約の進捗状況を纏め、公表したと「大阪日日新聞」WEB記事――《公約○は10項目 橋下知事、話題先行批判に反論》(2010年2月11日)が伝えている。
「○△×」方式で区分けされ、17重点事業のうち達成を表す「○」は10項目。
知事が選挙公約として掲げた42項目施策構成、17重点事業の「『おおさか』を笑顔にするプラン」に関しては、「出産・子育てアドバイザー制度」「駅前・駅中の保育施設整備」「子どものいる若い世代の家賃補助」など子育て支援に関する5項目は「×」としている。
この「○△×」方式の公約達成度評価は、〈任期折り返しの“通信簿”の見方もできるが内部評価に過ぎず、橋下知事は「(府民の)批判を受けたい」〉と府民による“外部評価”を待つ姿勢を示したという。
その一方で、「思ったよりも○が多かった」と振り返ったというが、これは府民の“外部評価”を受ける前の内部評価を基準とした自己評価に過ぎないのだから、現時点では自画自賛の類に堕す。
記事はまた次のように伝えている。〈一方で、刺激的な発言で波紋を広げる手法に対する“批判の声”に関しては「メッセージを発して事態を動かすのも政治家の役割」と反論した。〉と。
「事態を動かす」のは結構だが、それは第一歩の「役割」に過ぎない。日本の政治家としては才能稀な橋下知事のことだから、“政治は結果責任”を常に頭に置いているだろうが、一定の成算の上に立って「事態を動か」し、動かした「事態」の結末・成果を以って初めて「政治家の役割」とすることができるはずだが、どうも「事態を動かす」ことに意義を置いているような発言に見える。
「出産・子育てアドバイザー制度」、「駅前・駅中の保育施設整備」、「子どものいる若い世代の家賃補助」等の子育て支援に関して「×」とした5項目に関してのコメント――
「一括交付金で市町村に任せた。身近な子育て支援に不満があれば市町村長に文句を言って」
記事は〈公約違反には当たらないとの立場を強調〉した発言だとしているが、不満があっても、俺に文句を言うに当たらないとしているのだから、俺には関係ないと言ったのと同じことになる。
だが、「出産・子育てアドバイザー制度」、「駅前・駅中の保育施設整備」、「子どものいる若い世代の家賃補助」等の子育て支援政策は自らが掲げた公約である以上、例え「一括交付金で市町村に任せた」としても、それらの公約実現の責任は公約を掲げた本人として負っているはずだ。自ら公約して、カネを出して市町村に任せたに過ぎない。
任せたことの責任とその完成に対しての責任は残るはずだが、その責任まで取り外してすべての責任は相手にあるとするのは無責任に過ぎる。
出したカネが自らが掲げた公約の実現に向かわなければ、カネを出した意味自体を失う。「一括交付金」をドブに捨てたといったことにもなりかねない。発注した公共施設が外観の壁は出来上がったが、仕切り壁や階段、エレベーター等々の内部が全然出来上がっていない建物を引き渡されようなもので、だからと言って、工事業者を工事指名し任せた責任と完成品を受け取る責任は発注者に帰せられるはずだ。
カネを出した意味を失わないように、「一括交付金」をドブに捨てたといったことにならないように管理監督する責任もあるはずで、にも関わらず、「一括交付金で市町村に任せた」は政策の丸投げであり、「不満があれば市町村長に文句を言って」は責任の丸投げとしか言いようがない。
「一括交付金で市町村に任せた。身近な子育て支援に不満があれば市町村長に文句を言って」が正当性ある言い分であるなら、子育て支援に関わる公約達成度評価の「○」、「×」にしても自らが行うべきではなく、市町村に丸投げすべきであろう。事業も丸投げ、責任も丸投げに応じて評価も丸投げとしなければ公平性を失う。市町村が好き勝手にできるというものである。
橋下知事は自己を絶対とする割にはその絶対性を職務管轄内の市町村にまで波及させる影響力を持たないらしい。その一例が大阪府と大阪市の「府市再編構想」をぶち上げたものの、大阪市長の反撥を食らって立ち往生していることに現れているが、自分が思っている程にその絶対性が通用していないことを物語っている。
いわば「府市再編構想」をぶち上げるまでの「事態を動かす」ことはできたが、それ以上進まないということなら、政治は結果責任を反故とすることとなって、「事態を動かすのも政治家の役割」にしても意味を失う。
大阪平松市長は橋下知事の「府市再編構想」について言っている。
「具体性がない話をさも具体性があるかのように話す能力の素晴らしさには感心した」(スポニチ)
橋下知事の絶対性が形無しの味噌クソもない皮肉となっている。
また橋下知事が昨年7~9月の府の完全失業率(推計値)が7.7%と全国最悪だった原因について1月27日の記者会見ふで次のような発言したことを「asahi.com」記事――《橋下知事「働く側がえり好みしすぎ」 失業率最悪で》(2010年1月28日)が伝えている。
「本当に大阪に就労先がないのかと言えば、それは違う。働く側が、えり好みをしすぎなんじゃないか」
その根拠として、〈大阪の15~24歳の男性の正規職員希望率が、全国の50.5%より10ポイント低い40.8%にとどまっていること〉を挙げたという。
「大阪は都市部なので、つらい仕事かもしれないが、働き先はゼロではないと思う。ただ全部吸収できるわけじゃないので、(求人と求職の)マッチングは一生懸命やっていく」
果して記事が解説しているように、「えり好み」といった〈職を探す人たちの意識の問題も一因〉ということに尽きる大阪府の全国最悪の失業率で済ましていいのだろうか。
派遣切りや正社員カット、あるいは会社倒産等を原因としたホームレス化の進行、ネットカフェ難民の増加、そして仕事を探す者にとって尤も肝心な指標である有効求人倍率が前年より0.41ポイント低下の09年平均で0.47倍といった状況は仕事を求めても仕事がない状況を示していて(誰が好き好んでホームレスになったり、ネットカフェ難民になるものか)、そのような窮状がそのまま「えり好み」といった個人的意識、あるいは個人的我が侭を許してくれる状況として存在可能となるのだろうか。
大阪の15~24歳の男性の正規職員希望率が全国平均の50.5%より10ポイント低い40.8%だということは全国最悪7.7%の完全失業率とも対応した正規職員就職への諦めとも解釈できる。いわば今の最悪な雇用状況では非正規職員にしたって見つかるかどうか分からないというのに正規職員など高嶺の花だ、ないものねだりだ、探すのは時間の無駄だと諦めて、非正規の道を選択するが、選択したとしても、見つかる保証は限りなく小さい――そういったことからの正規職員希望率の低さといったこともあるはずだ。
勿論、求人倍率はゼロではないから、「働き先はゼロではない」。但し0.47倍の低さだから、「全部吸収できるわけじゃない」は当たり前のことだが、問題は「吸収」の恩恵を受けることができずに落ちこぼれる0.53%に入る失業者等の消すことができない存在である。
それを「えり好み」の一言で片付ける。これは若者への責任転嫁であろう。
尤も「えり好み」だと失業者に責任転嫁することによって、自己の責任は守ることができる。自分の責任を守るということは自己を絶対的としている権威主義的な過剰な自信を揺るぎないものとして守ることでもある。
橋下知事は成果を上げない政策・公約の類すべてを他に責任転嫁して済ますといったことをするのではないだろうか。自身に自信があり過ぎて自分は正しい、自分は絶対だとする人間程、その反動として間違いを認めたくない意識から陥りやすい落とし穴として待ち構えているように思える。