Unknown 2013-04-21 18:34:59 やい 安倍晋三の「主権回復の日」は戦...
4月21日(2013年)、「やい」氏なる人物から当ブログ記事――《安倍晋三の「主権回復の日」は戦前日本の肯定と占領時代及び東京裁判抹消願望からの発想 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に以下のコメントが寄せられた。誤解があるようだから、少々自分なりの意見を述べたいと思う。
〉戦前の日本には存在していなかった現在の民主主義・基本的人権、自由は占領時代に与えられた継続として存在しているということの証明でもある
ギャグでおっしゃっているのか。
戦時中において日本は、米国と比して思想犯処刑数で全く下回り、米国では白人のみに認めらた基本的人権に対して日本は朝鮮人国会議員が存在した。
アメリカの公民権運動は何年に実現したと思っておるのか。その程度のアメリカが民主主義というのなら、日本も十分民主主義であったろう。
安倍信三を批判するのは大いになされば良いが、アメリカを崇めたて祀るのはいい加減にしたらどうなのか。
そもそも、言論の自由は米軍占領下が最も弾圧された時代である。冗談もほどほどにしていただきたい。
安倍晋三がA級戦犯を国内法的には犯罪者では無いと言ってるのも、歴史認識、願望、どうこうの問題ではない。端的な独立国家日本の法秩序として、単に事実であるだけだ。
あなた様が天皇制廃止まで含めた極左思想であろうが構わないが、奴隷のような欧米崇拝と独立国家の人間としての基本的常識は、最低限弁えていただきたい。言っておくが、私は20代初めの小僧である。
そんな小僧にこんな基本的なことを大人に説教させないでいただきたい。情けなくて泣けてきます。
〈戦前の日本には存在していなかった現在の民主主義・基本的人権、自由は占領時代に与えられた継続として存在しているということの証明でもある。〉という文言はアメリカ国内の人権状況との比較で述べたものではない。幣原内閣の日本国憲法松本草案との比較で述べたもので、松本草案の天皇絶対主義と天皇絶対主義実現との対比で国民を天皇の臣民と位置づけ、国民の基本的人権に制限を設けたのに対して、マッカーサー原案を基にした日本国憲法天皇絶対主義を排除し、制限を設けない基本的人権を謳っていることを指摘したに過ぎない。
このことを以って、〈戦前の日本には存在していなかった現在の民主主義・基本的人権、自由は占領時代に与えられた継続として存在しているということの証明でもある。〉と書いた。
確かにアメリカで黒人差別撤廃を目指す公民権法の成立は1964年の遅い時期になってからで、法律上は白人と黒人は基本的人権を同等とする立場に立ったが、白人によるその内面的な黒人に対する差別は依然として残っている。
但し、「Wikipedia」を参考にすると、1865年終結の南北戦争以降に連邦議会が奴隷制度廃止や公民権の付与、黒人男性への参政権の付与を中心とした3つの憲法修正条項(アメリカ合衆国憲法修正第13条・14条・15条)を追加したことで、黒人奴隷の「解放」が表向きは実現したことになっていたものの、1883年の公民権裁判での最高裁の判断は、「アメリカ合衆国で生まれた(または帰化した)すべての者に公民権を与える」とした「修正第14条は私人による差別には当てはまらない」として、個人や民間企業によって公民権侵害を許すこととなり、1896年5月18日の合衆国最高裁判所は、「分離すれど平等」の主義のもと、「公共施設での黒人分離は人種差別に当たらない」とする、事実上人種差別を容認する判決を下している。
要するに反動・後退が生じた。この傾向はアメリカの全州に亘っていたものの、その中心勢力は南北戦争を南軍として戦った、黒人奴隷制度擁護のジョージア州やアラバマ州、ミシシッピ州などの南部諸州であったと書いてある。
このようなアメリカ国内の白人による黒人に対する人種差別=基本的人権の否定に対して戦後のマッカーサーを最高司令官とする占領軍に於いては基本的人権・民主主義・自由の思想を確立する勢力が存在していたということであり、そのような思想を日本国憲法として具体化させたということであるはずだ。
そしてまた占領軍が日本国憲法に表現することになった基本的人権・民主主義・自由の思想は戦前日本の軍国主義の反動として現れた要請でもあったはずだ。
黒人に対する反動・後退は安倍首相等の国家主義的保守政治家の戦前の日本国家体制を郷愁とする戦後に於ける後退・反動に擬えることもできる。
「やい」氏また、「言論の自由は米軍占領下が最も弾圧された時代である。冗談もほどほどにしていただきたい」と批判しているが、私自身は「弾圧」とは解釈せず、占領政策をスムーズに履行するための一時的・便宜的な「制限」と解釈している。
同じく「Wikipedia」を参考に1945(昭和20年)占領軍発布の「新聞出版法」の検閲対象を見てみる。
1. SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
2. 極東国際軍事裁判批判
3. GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4. 検閲制度への言及
5. アメリカ合衆国への批判
6. ロシア(ソ連邦)への批判
7. 英国への批判
8. 朝鮮人への批判
9. 中国への批判
10.その他の連合国への批判
11.連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.冷戦に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の煽動
28.虚偽の報道
29.GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表
要するに占領軍が最も警戒し、最も嫌悪した対象は軍国主義の復活であり、それが検閲対象に多く現れている。
このことは占領軍が少なくとも日本人の政治権力者たちの血の中に軍国主義が色濃く根づいていると見ていたことの現れでもあるはずである。
次に占領政策のスムーズな運営に対する妨害に用心している。
これらを以てして、私自身は言論の弾圧を目的とした検閲ではなく、占領政策を障害なく推進するための一時的・便宜的な言論の制限と見ている。
少なくとも占領政策下の検閲を日本国憲法にまで広げて正当化することはしなかった。日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第21条 集会・結社・表現の自由と通信の秘密」第2項は、「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」と規定している。
「やい」氏はさらに「米国では白人のみに認めらた基本的人権に対して(戦前の)日本は朝鮮人国会議員が存在した」と言って、基本的人権の点で日本の方が優れているとしているが、アメリカの公民権を持ち出している関係で、この指摘は朝鮮人差別は存在しないとの間接的な主張となる。
あるいは百歩譲ったとしても、大したことのない朝鮮人差別ということになるはずだ。
1925(大正14)年の普通選挙権は朝鮮籍、台湾籍であっても内地に居住していれば参政権(選挙権・被選挙権)が付与された。
だからと言って、朝鮮人差別が存在しない、もしくは軽微であったというわけではない。
1923年の関東大震災に発した朝鮮人虐殺では軍隊、自警団、警察などによって数千人の朝鮮人が虐殺された程の仮借ない朝鮮人差別が演じられた。
この朝鮮人差別は戦後も長く続き、現在も厳密に払拭されたとは言えないが、在日朝鮮人の引受先は主にヤクザかトラック運転手と言われていた。
トラック運転手が、現在はドライバーとして市民権を得ているが、市民権を得るまでの時代は雲助(江戸時代の悪質な駕篭かき)と呼ばれていて、まともな市民の就職先とは考えられていない時代があった。
尤も現在でも過酷な勤務条件から、自身を自嘲的に「雲助」と称するトラック運転やタクシードライバーもいるようだが、要するに在日朝鮮人は社会的一般的な雇用の対象として排除の差別を受けていたということである。
確か広域暴力団の山口組の組長だったと思うが、「俺達が在日朝鮮人や刑期を終えて刑務所を出所した前科者を受け入れてやっている」と、暴力団の社会的存在の正当性を訴えていた。
組長の発言は在日朝鮮人や前科者に対する差別がひどく、一般社会が受け入れていないことの裏返しでもある。
ご存知かもしれないが、1970年(昭和45年)、在日朝鮮人青年が日立製作所戸塚工場の従業員募集に履歴書に通名と偽装した本籍を書いて応募した。
採用試験に合格し、戸籍謄本等の必要書類の提出を求められたが、在日朝鮮人であるために日本に本籍地にがなく、戸籍謄本が存在しないこと、そして本名を伝えたところ内定を取り消されたために日本国籍を所有していないゆえの差別だと提訴した。
4年後の1974年、横浜地裁は社会的な朝鮮人差別を受けた通名の使用であり、本籍地の偽装だとして、双方を正当化、原告を敗訴とし、原告は控訴せずに判決が確定している。
このような日本社会に於ける歴史的な長年の朝鮮人差別を考えると、戦前の日本に於いて朝鮮人国会議員が存在したことを以って朝鮮人差別がなかった、あるいは軽微だったとすることはさして意味を持たない。
但し日本人は権威主義を行動様式としていて、社会的強者に対して諂(へつら)う傾向にある。特に戦前はその傾向が強かった。それが例え普段差別している朝鮮人であっても、ヤクザとか会社経営で成功して地域の顔役となっている朝鮮人に対しては従順な態度を示した。
すべてか、あるいは何人かの朝鮮人国会議員が地域の顔役だったとは証明することはできないが、当選させるについては地域の顔役となった朝鮮人が尽力したということはあったはずである。兎に角戦前から戦後の最近そう遠くない時期までカネが物を言った選挙であり、地域の有力者が選挙資金のスポンサーを一手にに引き受けていたのである。当選者を心理的に自分の支配下に置いて自身に対する利益誘導の便利な存在とする投資だったに違いない。
旧軍隊内でも朝鮮人差別は発揮された。2009年9月6日に当ブログ記事――《日本の戦争が人種平等の世界の実現を目的としたとする田母神が航空自衛隊トップであったことの怖ろしさ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたことだが、在日朝鮮人作家呉林俊(オ・リムジュン)氏はその著『朝鮮人のなかの日本』の中で『朝鮮出身兵ノ教育参考資料』(旧教育総監部)を部分的に取り上げて日本人が半島人(=朝鮮人)に対して如何に独善的な偏見に満ちていたかを紹介している。
いわばその独善的偏見を軍隊内に反映させていたのである。
『朝鮮出身兵ノ教育参考資料』には「半島人の性格、能力」として7項目に分けて解説してあるという。
1.「利己的性格」
2.「策謀的性格」
3.「阿強侮弱的性格」
4.「模倣的性格」
5.「儒教的性格」
6.「耐乏的性格」
7.「譚、諧謔、議論好ミ」に分類。
3.「阿強侮弱的性格」は次のように書いてあるという。
〈半島国家ガ対外的ニ事大(定見ナク勢力ノ強イ者に従フ)対内的ニハ誅求ヲ事トセシ如ク半島ノ個人ハ阿強(強者ニオモネル)侮弱的性格を有ス。強者ニ対シテ阿諛、迎合、詭弁、哀願等ノ手段ヲ尽クシ、弱者ニ対シテハ傲岸不遜、同情心薄ク冷酷ナリ。従ッテ人ノ情ヲ感ズルコト薄ク義侠ニ乏シ。報恩感謝ノ念亦薄シ」
「多数ノ半島人ニ対シ施サレタル知能検査結果ニ依レバ、内地人ニ比シ稍(やや)劣レルガ如シ」
「半島人ノ意志ハ概シテ強カラズ、一般ニ斃レテ後已ムノ気魄ニ乏シ。勿論意欲ノ対象ニモヨルコトニシテ目ニ見エタル利己的刺戟アラバ大イニ奮起ス」〉――
「誅求」――税などを厳しく取り立てること。
「侮弱」――弱者を侮る。
「譚」――(タン)話すこと。
「斃レテ後已ムノ気魄ニ乏シ」――斃れて終わりにしようという気魄が乏しい。玉砕精神の欠如を言っている。
ブログにこう書いた。〈人間は劣る性格のみで人間を成り立たせているわけではなく、また逆に優れた性格のみで成り立たせているわけではない。時に応じ、状況に応じて優劣それぞれの性格を覗かせ、その性格に従って行動する。悪人か善人かはどちらの性格をより多く発揮するかにかかっている。このことは人種や国籍に関係しない。
上記「阿強侮弱的性格」に言う内容は日本人についても言えないこともない。但しすべての日本人が同じだと言うことではない。人それぞれで、また性格の現れ方にも強弱がある。
朝鮮人の性格に合理的な判断を持てないのは日本人を優越民族の位置に置く非合理性にそもそもから侵されていたから、その非合理性の支配を受けた対朝鮮人に向けた性格判断となっていたからだろう。〉――
要するに半島人(=朝鮮人)を劣る人種と見て、劣る人種として扱っていたのである。
「安倍晋三がA級戦犯を国内法的には犯罪者では無いと言ってるのも、歴史認識、願望、どうこうの問題ではない。端的な独立国家日本の法秩序として、単に事実であるだけだ。」云々について。
1953年(昭和28年)に衆参両院が圧倒的多数で「戦犯赦免に関する決議」を可決している。だが、この「戦犯赦免に関する決議」の可決は日本人自身の手によって戦争総括をせず、誰の責任も問わない、誰も責任を負わない一国主義的な戦犯名誉回復であり、尚且つ、「国内法的には犯罪者」ではなくなっていると言っても、人道の罪等の戦争犯罪の事実は残る。消えるわけではない。
殺人者が刑に服した後、社会復帰したとしても、殺人の事実は残るのと同じである。勿論社会復帰した者に対する如何なる差別もあってはならないが、その罪は一生背負って行かなければならないし、一生懸命働く、二度と罪を犯さない等、何らかの形で社会に対して償わなけれがならないはずだ。
だが、安倍晋三及びそれ以下の靖国参拝者を見ると、「戦犯赦免に関する決議」を根拠に「国内法的には犯罪者では無い」としつつ、戦争犯罪の事実まで消した行動を取っている。
ポツダム宣言を国体護持の条件が受け入れられないと黙殺し、その結果、広島と長崎に原爆を投下されて多くの住民が犠牲となり、その後遺症に苦しみ、今もなお苦しんでいる戦争事実を抹消し、「お国のために尊い命を捧げた」と戦没者の側からのみ戦争を語り、戦争を正当化する歴史認識の虚偽を働いている。
日本人の、特に政治権力者たちの戦争を総括しない体質が最も象徴的・集約的に現れている発言がある。2012年8月15日NHK総合テレビ放送のNHKスペシャル「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」で取り上げた、戦後に残された録音テープの音声である。
外務省政務局長安東義良「言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね(えへへと笑う)、あれは僕が考えた(再度笑う)。
終戦、終戦で押し通した。降伏と言えば、軍部を偉く刺激してしまうし、日本国民も相当反響があるから、事実誤魔化そうと思ったんだもん。
言葉の伝える印象をね、和らげようというところから、まあ、そういうふうに考えた」――
戦前の政府権力の一端を担った人物のこの発言からは戦争の総括などといった責任履行の意志・体質は窺うことはできない。そしてどのような政府も総括を行わなかったし、国民の側からも求めて、それを政府を動かす大きな声とすることもなかった。
日本人全体を覆っていた戦争総括に関わる意志・体質だと言うことができる。