昨日4月17日午後3時から党首討論が行われた。海江田民主党代表は、内閣支持率から言っても政党支持率から言っても勝ち目が殆どない分の悪い戦いに挑むことになると前以て認識していたのだろうか。
認識していたなら、まともな戦いを仕掛けるべきではなく、何らかの奇襲作戦を敢行すべきだったが、まともな戦いを仕掛けてレフリーに相手のグローブをリング上で高々と掲げさせ、観客(=国民)から見たら、自らは自分のコーナーの椅子から立ち上げる元気もなく座り込む体の沈没を演じてしまった。
党首討論の発言は《【党首討論詳報(4月17日)】(1)アベノミクスで「日本の空気変わった」と首相》(MSN産経/2013.4.17 21:50)以下を参考にした。
先ず海江田民主党代表はアベノミクスの副作用、特に金融緩和の副作用について尋ねた。
副作用のない薬は存在しないと言われている。いわば副作用がゼロということはないわけで、副作用を覚悟しなければならない。問題はプラスの効果とマイナスの副作用の大小であり、あるいは効果が特定の階層に集中的に波及し、副作用が別の特定の階層を直撃する可能性の有無である。
対して安倍晋三は14年間デフレから脱却できなかった経済低迷の閉塞感に覆われていた中にあって円高から円安への是正、約5割株価上昇、3カ月間で約5兆円上昇の年金の運用、大震災復興費充当予定のJTの株式売却益は民主党政権時代は5000億の計算が株価上昇によってプラス4700億円の9700億円の計算となっていると、事実とした成果を誇った。
そして海江田代表が「副作用」に入れているだろうと予測した項目のうち、「財政健全化はしっかりと見ていく」で片づけ、賃金の上昇が物価上昇に見合うのかの点は、賃金上昇の正当要因とすべき実体経済の回復地点に現在のところ至っていない不確実な状況にあるからだろう、デフレから脱却できなかった14年間に50兆円の国民の富gざ失われた閉塞的状況に対して、そのように日本を覆っていたどんよりとした閉塞感を変えることができた成果に代えている。
勿論、海江田代表としたら「副作用」の具体的な説明抜きでは満足できない。そこで小麦粉、パン、食料油、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、プラスチック製品と具体的に値上がり品目を上げて、さらに10月からの物価スライドから年金が下がることを指摘、生活者に対する気配りがないと批判したが、しかしアベノミクスは大胆な金融緩和→円安と株高→一方の輸入産品の物価高ともう一方の輸出拡大と企業業績改善→雇用改善と賃金上昇→消費者の消費拡大→インフレ(=物価高)→企業業績拡大→一段の雇用改善と賃金上昇・・・・といった具合に好循環をシナリオとしていて、その中に物価上昇を組み込んでいたことは承知していたはずだから、円安を受けた物価高を批判しても始まらないことを認識していなければならなかったはずだ。
安倍晋三は心得たとばかりに次のように答弁している。
安倍晋三「年金ですが、デフレが続いていけば年金は物価にスライドするから、年金を減らさなければいけません。だから今度2.5%。何回かに、何年かに分けて減らしていくことになります。他方、物価が上がっていけば、物価スライドしていくから、年金は上がっていくわけです」
物価上昇に関する追及の点では既にここで勝負がついていた。年金に関してさらに追い打ちをかけた。
既に安倍政権の「3カ月間で約5兆円上昇の年金の運用」と指摘していて、このことに反して年金の運用は民主党政権時代の昨年の12年の前半は1.5兆円マイナスの運用だったと成果を誇示した上で、「今、海江田さんは『感じ』で話すが、私はファクトで申し上げたい」と軽くいなされてしまった。
円安、株高を受けた大企業の収益改善、物価上昇もすべて安倍晋三の言う「ファクト」(=事実)として現れている。生活者にマイナス要素の物の値段が高くなる物価上昇は物を売る企業側にとってはゆくゆくは業績改善につなっていき、企業が利益を上げれば雇用改善と賃金上昇に向かっていくというのも「ファクト」であろう。
政治の側に尻を叩かれていたなら、戦後最長景気時のように企業は戦後最高益を上げながら、国際競争力維持の観点から人件費抑制を必要事項として賃金上昇の抑制で対応させたようにはいくまい。
だとしたら、現在は「ファクト」であっても、将来的にも「ファクト」の形を取るのか、その継続性の点で争うべきだったのではないだろうか。
アベノミクス3本の矢のうち、1本目の矢である異次元の金融緩和で円安と株高を演出し、「ファクト」とした。だが、2本目の「機動的な財政政策」、3本目の「民間投資喚起・規制緩和の成長戦略」がどのような「ファクト」を演出できるかは分からない。
何しろ大胆な金融政策は安倍晋三のブレーンで、内閣官房参与も務める浜田宏一米エール大名誉教授の指導のもと打ち出した政策であって、確かに有能な人物の主張を取り入れるのも政治家の資質のうちだが、安倍晋三の創造性が生み出した金融政策ではないし、政策の実際の運用者は浜田宏一享受ではなく、安倍晋三以下である。
本来的には安倍晋三も麻生も甘利も、国交省の太田昭宏も古い体質の政治家であるそういった面々が政策の実際の運用者である。頭で考えたことと絵に描いた通りに実行できるかどうかは別物である。
アベノミクス第2の矢として掲げた「機動的な財政政策」が柱としている公共事業を見てみる。
4月5日の閣議後会見。
太田国交相「公共事業が第2本目の矢としての役割を果たす。第2の矢が続き、日本の景気回復に努めたい」(MSN産経)
だが、前の自公政権時代、経済回復の有効打として打ち出した公共事業は持続的な経済効果を生み出すことができなかったばかりか、国の借金を増やすばかりで却って財政悪化に手を貸した。
その時代の政治家が現在政権を担っている。いくら「防災・減災」だと、その必要性を声高に言おうと、従来どおりに持続的な経済効果を伴わない必要性の消化で終わる危険性は否定出来ない。
もし国の借金を今以上に増やすと、経済に詳しくないが、インターネット情報によると、財政への信認低下による金利上昇(国債価格の下落)を招いて、政府の資金調達の圧迫と圧迫に伴う行政サービスの削減等の国民生活への直接的な悪影響が生じることになるという。
また財政悪化は財源不足から政策の自由度を奪うという。
要は海江田民主党代表はアベノミクスの現在現れている「ファクト」で戦うのではなく、可能性として考え得る将来的な否定的要素で戦うべきだった。
最初の発言者は海江田代表である。アベノミクスが現在成果としている円安や株高を認めつつ、アベノミクスに於ける第2、第3の矢の否定的可能性を持ち時間の殆どを使って、具体的かつ詳細に予言する形で延々と並べ立て、その否定的要素を国民の目に焼き付けることを自らの成果とし、安倍晋三に対しては答える時間を可能な限り与えない、成果拒否の戦法に出ていたらどうだったろうか。
安倍晋三にしてもまだ取り掛かっていない第2、第3の矢に関して「ファクト」を述べることはできなかったはずだ。
最後に、「アベノミクスが失敗した場合のリスクを想定しておく危機管理は欠かすことはできないから、否定し難い失敗の可能性を說明させて頂いた」と言ってやればいい。
実際にも現在の成果と比較した失敗した場合の反動は決して小さくないはずだ。
どうも安倍晋三の人間性とその認識能力の低劣さから判断すると、アベノミクスが成功するようには思えない。