第2次安倍内閣の発足は2013年12月26日。
その2日後の2012年12月28日、拉致被害者家族会メンバーが首相官邸を訪れて、安倍首相や古屋拉致担当相、菅官房長官等と面会、拉致の早期解決を要請した。
この時の安倍首相の発言は、《救う会全国協議会ニュース》(2012.12.28)に載っている。
安倍晋三「5年前に突然辞したとき、被害者家族の皆さんに大変残念な思いをさせた。私にとってもつらいことだった。私がもう一度総理になれたのは、何とか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ。
5人帰還の時、帰ってこられなかった被害者の家族の皆さんは涙を流していた。それを見て全員取り戻すことが私の使命と決意した。しかし、10年経ってもそれは達成されておらず申し訳ない。再び総理を拝命し、必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい。
この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」――
もう一度首相となった執念は「何とか拉致問題を解決したいという使命感」から発したもので、「私の使命と決意した」被害者全員帰国を「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」と、強い決意を披露している。
首相就任3日目のこの強い約束に拉致被害者家族会メンバーは鬼に金棒の心強さを感じたに違いない。
そして第2次安倍政権が発足から100日を迎える4月4日の前日の4月3日(2013年)、首相官邸で拉致問題対策本部の下に設置した有識者懇談会の初会合を開催している。そこでの首相の挨拶。《首相 拉致問題解決へあらゆる対策を》(NHK NEWS WEB/2013年4月3日 20時36分)
安倍晋三「拉致問題は、国の責任に於いて解決すべき喫緊の最重要課題であり、私の使命として必ず解決していく決意だ。
専門的な見地から問題解決に向け積極的に提言してもらい、政府もあらゆる対策を検討していきたい」――
発言の前段では「私の使命として必ず解決していく決意だ」と、首相就任3日目の強い決意・強い約束と同様の言葉遣いをしているが、後段の発言を見ると、第1次安倍内閣時代は勿論、以後の自民党政権でも、3年間の民主党政権でも様々なアプローチで取り組んできたはずだし、いわば、様々な対策を検討してきているはずだが、「検討していきたい」と、これから取り掛かるニュアンスの発言となっている。
先ず行うべきはこれまでのアプローチの検証――日本側の間違いや不足点の洗い出し、北朝鮮側の対応の問題点等の洗い出しだと思うが、果たして行ったのかどうか、記事からでは分からないが、意見交換での懇談会メンバーの発言を見ると、検証を行なったようには見えない。
懇談会メンバー1「先ずはキム・ジョンウン政権に拉致問題を認めさせなければならない」
懇談会メンバー2「核、ミサイル、拉致問題に、包括的に取り組むべきだ」
金正恩体制は金正日死去に伴い2011年12月17日から発足している。その8カ月後の2012年8月29日から、2008年8月の中国瀋陽での拉致問題再調査等を巡る交渉以来、4年振りの、金正恩体制下では初めての日朝政府間協議が課長級で行われている。場所は北京。
だが、拉致問題の議題化に失敗。但しその2カ月半後の2012年11月15日、課長級から局長級にレベルを上げてモンゴルの首都ウランバートルで日朝政府間協議を再開。
外務省幹部「今回の協議の内容から、北朝鮮側が『拉致問題は解決済み』という従来の立場を変えたかどうかは判断できない」(解説文を会話体に直す)(NHK NEWS WEB)
但し北朝鮮代表は「進展あった」と発言している。《日朝協議 北朝鮮代表“進展あった》(NHK NEWS WEB/2012年11月18日 21時34分)
2012年11月18日――
ソン・イルホ日朝国交正常化担当大使・北朝鮮側代表「互いに問題を解決しようという方向のもと、真摯(しんし)で建設的な雰囲気の中で行われ、日朝ピョンヤン宣言に基づいて関係を改善すべきだという点で一致した。私は進展があったと思う」
この11月18日の北代表の発言は野田・安倍党首討論で、当時の野田首相が「この(定数削減や議員歳費削減等の政治改革の)ご決断をいただくならば、私は、今週末の16日に解散をしてもいいと思っております。是非、国民の前に約束してください」と勇ましくも解散を言い切った2012年11月14日の4日後である。既に政権交代が予測されていた。
記者「次の政権になっても日本側との対話を続けるのか」
ソン・イルホ日朝国交正常化担当大使・北朝鮮側代表「総選挙をやっていないのに、次の政権のことまでお話しできない」
要するにレームダック状態の野田政権と交渉しても取り決めたことの継続性が期待できないということである。次の交渉相手を待つ姿勢に転じたために日朝政府間協議は中断状態化した。
そして2012年12月の長距離弾道ミサイル発射、年を明けた2013年2月の核実験に対する日本側の新たな制裁で政府間協議は完全に途切れることとなった。
だとしても、懇談会メンバーの一人が「先ずはキム・ジョンウン政権に拉致問題を認めさせなければならない」と言うなら、2012年8月29日の北京での日朝政府間協議、2012年11月15日のウランバートルでの日朝政府間協議で、なぜキム・ジョンウン政権に拉致問題を認めさせることができなかったのか、その検証から始めなければならないはずだ。
もしそのような検証から始めていたなら、単純に「先ずはキム・ジョンウン政権に拉致問題を認めさせなければならない」という言葉は出てこないだろう。
検証していたなら、検証を前提として、「どういった方法が有効か」と、従来のアプローチとは異なる効果的な具体策の模索から始めたはずだ。
だが、効果的な具体策を模索する発言とはなっていない。当たり前のことを当たり前のこととして言っているに過ぎない。
もう一人の懇談会メンバーが言っている「核、ミサイル、拉致問題に、包括的に取り組むべきだ」にしても、当たり前のことを当たり前のこととして言っているに過ぎない。
金正日時代と変わらない先軍政治を掲げ、2012年4月13日のミサイル発射は失敗したものの、各国の経済制裁・金融制裁にも関わらず2012年12月の長距離弾道ミサイル発射と2013年2月の核実験の強行、そして韓国やアメリカのみならず、米軍基地の存在を理由に日本をも攻撃対象に入れて軍事攻撃の予告を繰返している軍事的に緊迫した状況下で日本が核やミサイル問題を抜きに拉致問題のみの解決に乗り出したなら、国際社会から一国主義と笑われるだろう。
いわば、「核、ミサイル、拉致問題に、包括的に取り組むべきだ」ではなく、「どうしたら、包括的に取り組むことができるか」、あるいは「どうしたら、議題を包括的に取り上げたテーブルに就けることができるか」という場所からスタートしなければならないはずだが、そのようなあるべき場所からのスタートとなっていない。
このような懇談会メンバーの当たり前のことを当たり前のこととして言っているに過ぎない場所に佇んでいる実態は安倍晋三の「私がもう一度総理になれたのは、何とか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ」とか、「必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい」、あるいは「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」という強い決意・強い約束を忠実に反映させた実態とは非対称の実態であって、安倍首相の強い決意・強い約束が単に言葉で終わっている実態をも示しているはずだ。
あるいは反映させるだけの言葉の力を持たない実態となっているということが言える。
このことは古屋拉致問題担当相が3月30日(2013年)に松本京子さん=失踪当時(29)=が北朝鮮に拉致されたと現場とみられる米子市立和田小学校周辺を視察したことにも言うことができる。
古屋拉致問題担当相「必ず祖国に戻すという気持ちを鼓舞するため現場に来た」
気持の鼓舞は必要だろうが、問われているのは解決のための具体策である。何千回、何万回と拉致現場を訪れたしても、解決策が見い出されるわけではなく、必要とされている事柄は北朝鮮を相手とした外交上の交渉術であって、拉致現場視察が外交上の交渉術に反映されるわけではない非対称の実態で終わっていることは古屋拉致問題担当相が拉致問題担当相でありながら、安倍晋三の拉致解決に向けた強い決意・強い約束を反映させていない実態にあることの証明でしかなく、当然、安倍首相の強い決意・強い約束が単に言葉で終わっている実態をも示していることになるはずだ。
安倍首相の拉致解決に向けた「この内閣で必ず解決する決意」等々の発言が解決の実態に反映させる力を持たないということは単に踊る言葉で終わらせていることを意味する。
単に発言を聞いているだけでは勇ましいことを言っているように聞こえるが、よくよく検証すると言葉を踊らせているに過ぎないことに気づく。