安倍晋三の中韓靖国参拝抗議を「脅かし」と表現する頭の悪さ だからこそできる歴史の歪曲

2013-04-25 05:27:52 | 政治

 安倍内閣の総務相が4月20日、国家公安委員長が春の例大祭初日の4月21日、麻生副総理兼財務相が21日夜、高市自民党政務調査会長が例大祭終日にそれぞれ靖国神社を肩書きをつけたりつけなかったりして参拝、安倍晋三が総理大臣の肩書きで真榊を奉納した。

 対して中国外務省が「どんな方式、どんな身分であれ、靖国神社を参拝したことは、本質的に軍国主義や侵略の歴史を否定しようとするものだ」(MSN産経)と抗議。

 韓国が「安倍内閣の歴史認識は疑わしく、深く遺憾に思う。日本の政治指導者の時代錯誤的な認識は残念でならない」(MSN産経)と抗議。
 
 韓国が今月末頃に検討していたユン・ビョンセ外相の日本訪問を取りやめたことを明らかにしたことに関連して菅官房長官の発言。

 菅官房長官「それぞれの国にはそれぞれの立場があり、そうしたことの影響を外交に及ぼすべきではない」(NHK NEWS WEB

 だとしたら、北朝鮮の核実験も、北朝鮮側からしたら、「それぞれの国にはそれぞれの立場があり、そうしたことの影響を外交に及ぼすべきではない」と発言することも許されることになる。

 ご都合主義はやめるべきだろう。

 では、靖国参拝の親玉、安倍晋三は中韓の抗議に対してどう発言しているか、次の記事――《首相 「どんな脅かしにも屈しない」》NHK NEWS WEB/2013年4月24日 18時19分) から見てみる。
  
 昨日4月24日(2013年)の参議院予算委員会。

 安倍晋三「韓国が抗議を始めたのはいつかといえば、ノ・ムヒョン大統領の時代に顕著になっている。中国も、A級戦犯が合祀されたときには、総理大臣の参拝には抗議しておらず、ある日、突然、抗議を始めた。そのことをよく認識しておく必要がある。

 国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表することは当たり前のことだ。わが閣僚に於いては、どんな脅かしにも屈しない自由を確保していくのは当然のことだ。

 靖国神社で、ご英霊にご冥福をお祈りすることを批判されることに対して、何にも痛痒を感じないのは、おかしいと思う。国益を守り、歴史や伝統の上に立った誇りを守っていくことも私の仕事で、それをどんどん削れば、関係がうまくいくという考え方の方が間違っている」――

 何でこうも頭が悪いんだろう。中国や韓国のいつの時代の指導者が日本の閣僚の靖国参拝の抗議を始めたかということを以って靖国参拝の正当性の一つに置くこと自体、頭の悪い人間でなければできないことである。

 A級戦犯の合祀は1978年。小平が権力を握り、改革開放経済を採用したのがA級戦犯の合祀と同じ1978年。日本の対中国ODAの開始は翌年の1979年。

 日本の中国に対するODAは外務省HPよると、2009年度までに有償資金協力(円借款)を約3兆3165億円、無償資金協力を1544億円、技術協力を1704億円、総額約3兆円以上のODAを実施、中国に道路や空港、発電所といった大型経済インフラや医療・環境分野のインフラ整備のための大きなプロジェクトを推進、現在の中国の経済成長が実現する上で大きな役割を果たしたと書いている。

 要するにA級戦犯合祀及び改革開放経済開始の1978年頃の中国は経済発展前の姿を取っていて、対日関係に関しては日本のODA資金に依存する関係にもあり、中国は日本に対して相対的に低い力関係にあったと言える。

 だが、安価な人件費を武器に外資を呼び込み、1980年代の間、農業及び工業生産高が毎年約10%の成長を見るに至った。

 中国が靖国参拝に懸念を示したのは中国が高い経済成長を示していた1985年の中曽根康弘元首相公式参拝後である。いわば中国の日本に対する力関係が相対的に高くなっていた時期と重なる。このことは中国が日本に対して物申す力を獲得したことを意味するはずだ。

 経済発展が国家としての自信をつけ、発言力を高める。

 このような関係は日米地位協定に関しても言うことができる。日本の経済発展と共にアメリカに物申す力をつけてきたが、それでも今以て不平等条約だと言われている。

 韓国の場合は1965年に日本との間で日韓基本条約を締結、1ドル360円時代に無償資金3億ドル・有償資金2億ドル・民間借款3億ドルを提供。このことにより当時の軍人出身の朴大統領が漢江の奇跡と呼ばれる高度経済成長を遂げ、1965年以後30年程で先進国入りしている。

 外務省HPによると、韓国は2000年に被援助国から卒業、ODA対象国ではなくなっている。盧武鉉大統領の任期は2003年2月25日~2008年2月24日。被援助国及びODA対象国から脱した以後の大統領である。また、最も日本の援助の恩恵を受け、漢江の奇跡を成し遂げることができた朴大統領に連なる軍人出身の大統領でなかったことも影響していたかもしれないが、経済的に自立した国家としての対外的発言力はより自由な立場を確保できていたことを考えると、日本に物申す姿勢を取り始めたとしても不思議はない。

 要は中国にしても韓国にしても、日本の指導者が先の日本の戦争を侵略戦争と見ているか否かに抗議の基準を置いているはずである。靖国参拝は日本の政治家が自らの戦争を侵略戦争と歴史認識していないことの根拠としているということである。

 だから、中国外務省は閣僚の参拝と安倍晋三の真榊奉納を「本質的に軍国主義や侵略の歴史を否定しようとするものだ」と批判し、韓国は「安倍内閣の歴史認識は疑わしく、深く遺憾に思う」と抗議した。

 対して頭の悪い安倍晋三は中韓の批判・抗議を「どんな脅かしにも屈しない自由を確保していくのは当然のことだ」と「脅かし」と表現した。

 だとすると、北朝鮮の核実験やミサイル発射に対する日本や他の国の批判・非難・抗議を北朝鮮は「脅かし」とすることが許される。
 
 「脅かし」などと言わずに、「国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表することは当たり前のことだ」と、自らが正当としている根拠を述べさえすればいいものを、言わなくてもいい余計なことまで付け足した。

 安倍晋三は4月23日の参院予算委で次のように答弁している。

 安倍晋三「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということにおいて(評価が)違う」(MSN産経) 

 「侵略という定義」が国際的に定まっていないことを理由に日本の戦争が侵略戦争であることを間接的に否定している。

 安倍晋三は「歴史に対する評価等については専門家や歴史家にまさに任せるべき問題ではないかというのが私の考えであります」と常々言っていながら、自らのその発言を自ら破って、歴史に対する評価を専門家・歴史家に任せずに自らが正しいとする評価を自ら下すゴマ化しを働いている。

 いわば自分が正しいと言っているから、正しいことなんだと言っているのと同じである。

 この「国と国との関係で、どちらから見るかということにおいて(評価が)違う」という言葉は歴史認識に限らず、すべてについて当てはめることができる。

 例えば北朝鮮の核保有は外国から見ると間違った行為であっても、北朝鮮から見ると、北朝鮮の正義であって、「国と国との関係で、どちらから見るかということにおいて(評価が)違う」として自己正当化はいくらでも可能となる。

 だが、前々からブログ等に書いてきたことだが、「侵略という定義は国際的にも定まっていない」という言葉を待つまでもなく、「国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表することは当たり前のことだ」と言っている言葉自体に戦略戦争否定意志が既に含まれている。

 戦没者が「尊い命を落とした」対象としての国家の姿・内容を一切問題視していなからだ。国民の基本的人権を制限した軍部独裁の軍国主義国家、天皇絶対主義国家であったこと、国力のケタ違いの相違にも関わらず、精神論に頼って勝てない戦争をアメリカに仕掛け、多くの兵士の命を無駄死にさせて無残な敗戦を迎えた、そういう国家だった。

 そういった国家であったことを一切問題とせずに逆に「尊い命を落とした」と戦没者を美化することで、落とす対象とした戦前日本をも美化し、持ち上げることができる。なぜなら「尊い命を落」とすについては、落とす対象とした国家が「尊い命」と同等の尊さを保持していなければ、落とした命の尊さ、その価値は意味を失うからだ。

 例えば所属する暴力団のために組員が尊い命を落としたとすることはできない。

 当然、戦前日本の国家の姿・内容を問題とせずに、「靖国神社で、ご英霊にご冥福をお祈りすることを批判されることに対して、何にも痛痒を感じないのは、おかしいと思う」という発言は倒錯そのものとなる。

 「お国のために尊い命を落とした」と戦没者の行為のみで戦前日本とその戦争を正当化するのではなく、先ずどのような国家であったかのか、その姿・内容を問題とし、「尊い命を落」とすにふさわしい国家だと検証し得て初めて、命を落とした行為が尊いと言えるはずだし、正しい歴史認識はそこから始めなければならないはずだ。

 だが、安倍晋三は戦前日本の国家の姿・内容を一切問わずに、戦没者の「尊い命を落とした」行為のみを以って戦前日本の国と戦争を正当化し、美化する歴史のゴマ化し・歴史の歪曲を演じている。

 頭が悪くできているからこそできる歴史のゴマ化し・歴史の歪曲であろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする