安倍晋三乗用公用車の先頭警護車への今回追突事故はどのようなケチのつき始めを予兆するのかしないのか

2013-04-28 08:49:49 | Weblog

 安倍晋三乗用の公用車が首都高料金所入口で追突事故を起こした。
 
 東京・日比谷で開催の拉致被害者支援組織「救う会」等主催の集会に向かうために午後1時36分、東京・富ケ谷の私邸を出発。東京・渋谷区の首都高速道路4号線に入るべく代々木料金所を通過する際、車列先導の警護車両がETCのバーが上がらなかったために急停止。そこへ後続2台目の安倍乗用公用車が追突。さらに後続の警護車両等、合わせて5台追突の事故となったという。

 SP2人が軽傷を負ったのみで、安倍晋三は予定通り集会に出席した。 

 後続の車を運転していた運転手なり、警察官なりが運転の危機管理がなっていなかった。前の車がスムーズにETCを通り抜けるとばかり頭に思い描いていて、そのイメージ通りにハンドルを握っていた。スムーズに通り抜けることが日常の光景となっていて、その光景が運転の心得と化していた。

 安倍晋三が首相として乗っていた車の追突事故は今回が初めてではなく、第1次安倍内閣時代にも起きている。2007年7月14日、遊説中の大阪府内で安倍晋三を乗せた車が赤信号で停止、そこへ警護の府警四輪駆動車が追突、さらに後続のジャンボタクシーが追突。怪我人はなかった。

 この追突事故の2007年7月14日は2007年7月29日投開票参院選挙2週間前である。第1次安倍内閣の閣僚の不適切発言や同じく閣僚の事務所費問題、年金記録漏れ問題等で参院選前内閣支持率は30%を下回っていて、マスコミその他が参院選で自民党が多くの議席を失うだろうと予想していた。

 そういった状況下での追突事故である。安倍晋三自身、一瞬のことであっても結果に対する前知らせのような感じがしてイヤーな思いをしたはずだ。

 大事の前の障害が例えそれが些細な障害であっても、悪い結果を受けて、そのことを前以て知らせる予兆だったと思わせることが往々にして生じることがあり、逆に大事の前の障害が結果に対する悪い予兆だと前以て受け止める心理を生むことになっているはずだ。

 出かける前に結ぼうとした靴の紐が切れるのは縁起が悪いと言われているのはそのためだろう。

 人間の心理は決して強くはできていない。弱ったり、躊躇ったりする心理を意志の力でどうにか抑えて行動する。

 安倍晋三の乗った車が追突事故を起こして、何も感じなかったとしたら、余程鈍感にできているに違いない。

 勿論、当時の追突事故が単なる偶然の出来事で、何も予兆するものではなかったということもある。だが、安倍自民党は参院選で大敗、参院第一党を民主党に譲り、翌月の8月27日に政権を放り出すようにして辞任、第1次安倍政権の作・演出によるこの衆参ねじれが2009年の政権交代につながっていった。

 今回の追突事故が何かを予兆する出来事なのか、あるいは何も予兆しない偶然に過ぎないのか、いずれかは分からないが、間近に迫った今夏の参院選は現在の安倍内閣や自民党の支持状況からすると、負ける勢いになく、逆に大勝を予想させる状況にある。

 悪い予兆として考えられることはアベノミクスの持続性に対する不確実性を挙げることができる。円安・株高で外需主体の大企業や資産を持っている層の資産価格を格段に増大させて恩恵の独り占めを生じさせているが、果たして広く恩恵を一般国民の間に行き渡らせるために実体経済を伴わせることができるのか、財政規律や財政再建を履行することができるのか、公共事業や規制緩和を駆使した成長戦略を言葉通りに実行させることができるのか、すべてが円安・株高のみを武器として解決が保証できる問題ではないはずだ。

 アベノミクスを否定的に把える指摘も多い。

 当然、今回の追突事故にしても何らかの悪い結果を知らせる予兆の可能性は否定しきれないことになり、前回の追突事故をネタに事故の翌日の2007年7月15日に悪い予兆の可能性の観点から書き上げたブログ記事を参考のために、望む読者は少ないかもしれないが、再度全文を掲載してみることにした。

 《安倍首相が受けた間の抜けた追突事故は何を物語るのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》  

 今日の『朝日』朝刊。≪安倍首相の車に警護車が追突≫(07.7.15)

 < 大阪遊説中、けが人なし

 14日午前11時40分ごろ、堺市境区宿院町西3丁目の国道26号交差点で、大阪府内を遊説中の安倍首相を乗せた車が信号待ちのため止まったところ、すぐ後ろで警護に当たっていた府警の四輪駆動車が追突。さらに後続のジャンボタクシーが四輪駆動車に追突した。けが人はなかった。

 四輪駆動車を運転していた警察官の前方不注意と見られる。>

 短期決戦の場合、何事もスムーズにいってこそ、いい結果を得ることができる。途中過程でのちょっとしたつまずきも、ちょっとした滞りも、短期決戦であるからこそ、スムーズな進行とそれに見合う良い結果とのバランスの取れたあるべき関係を壊す象徴的な前知らせの役目を持つ場合が往々にしてある。

 いわばちょっとしたつまずきやちょっとした滞りが後になって、望んだものではない悪い結果を前以て知らせる縁起でもない前兆であったことを理解するといったことがある。そういった経験からの学習が、逆につまずきや滞りが起きた時点で、悪い結果を予兆する縁起の悪い出来事ではないかと警戒することになる。

 だからこそ多くの人間がそういったことを招かないように今日一日無事に事が運ぶようにと縁起を担ぐことになる。家を出るとき、あるいは選挙事務所を発つとき、神棚に手を合わせたり、必勝のお守りを懐に忍ばせたり、昼飯は〝トン勝つ〟を食べることに決めたりして、有権者の反応の獲得をも含めた予定した十全の活動がスムーズに運ぶことを祈り、願う。

 安倍首相は自分の乗った車があろうことか首相である自分を警護すべき役目の人間が運転する車に追突されたとき、オールマイティに進むべきスムーズな移動と活動そのものを予期しないアクシデントで中断させられて、イヤーな感じがしたのではないだろうか。

 特に様々な経験と起伏ある人生を送った者には、そういったアクシデントが不吉な前兆を示すことがあることを知ってもいるだろうから、ケチのつき始めにならないか、内心苦々しい思いで受け止めるということもある。

 もしも選挙が与野党逆転という安倍首相にとっては悪夢にも等しい最悪の結果で終わったなら、追突事故はそのことを知らせる縁起の悪い前兆としての意味を持つに違いない。その可能性大だが、与野党逆転を防げたなら、結果にケチをつける出来事でも何でもなかったということになるが、反自民の人間としては結果を予告する不吉な追突事故であって欲しいと願うばかりである。

 とにかく警護の警察官の運転する車に追突され、さらにその車にご丁寧にも後続のジャンボタクシーが追突するという身内同士で演じた間の抜けた事故である。その間抜け加減が何も象徴しないということがあるだろうか。(以上)

 小泉内閣・第1次安倍内閣時代の中低所得層の生活の底上げを省略した「戦後最長景気」といった形ではない日本の経済回復は実現されなければならない。非正規雇用という名称に含まれる貧しいイメージを過去の産物とする景気回復は必要だろう。

 だが、安倍晋三の国家主義に立った愛国心教育・道徳教育、歴史認識、改憲意志に危険を感じる者として、アベノミクスによる経済回復が安倍晋三の愛国心教育・道徳教育、歴史認識、改憲意志を加速させる大きな力となることは確実であって、このことは円安・株高、さらに内閣支持率に自信をつけた最近の発言に既に現れているが、その危険性と経済回復を差引き計算すると、私自身は、あくまでも個人的な考えだが、経済回復という要素は捨て、追突事故がアベノミクスの持続性に対する悪い予兆――ケチのつき始めであることを願う。

 この願いに一般的な妥当性がないわけではない。

 アベノミクスが失敗した場合のキズは大きいと言われている。成功を願うとしても、願いだけで成功が実現するわけではなく、あくまでも安倍晋三と安倍内閣の政策実行力にかかっている。

 政策実行力が決定する日本経済回復である以上、今回の追突事故がアベノミクスの持続性に対する悪い予兆なら、実行力に対する悪い予兆――ケチのつき始めということでもあり、何を願おうが、願わなかろうが、一般国民の手が及ばない力としなければならない。

 このことに関しては民主党政権が既に証明している。国民の大いなる願い・期待が力となって及ばない場所で民主党政権は自滅していった。

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