憲法はその条文に基本的人権を含めた国民の権利・義務を明確に規定することで、それを国家権力が恣意的に曲げたり、拡大解釈や制限を加えたりしないよう制約し、防御する基本的な役目を負っている。
いわば憲法は国民の権利・義務を規定しながら、その規定を忠実に守るよう、国家権力を規定する。
自民党案は、日本国憲法改正草案(2013年4月28日)に依る。
現憲法・前文
〈日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。〉――
「福利」とは、幸福と利益を意味する。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と言っていることは、国家権力は国民の信託を受けて、その権威のもと、国政を担い、国政の利益は国民が享受するという、国民を主とし、国家権力を従とした関係に両者を位置づけるということであって、そのよう両者の関係を規定した上で、恒久平和の念願や日本国家と日本国民の国際社会に於ける名誉ある地位の希求、日本国民だけではなく、全世界の国民が等しく生存の権利を有することの確認、いわば世界の国々及びそれらの国民との共存を図る崇高な理想と目的の達成に励むべきとする国と国民の権利と義務に触れている。
自民党案・前文
〈日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。〉――
対して自民党案前文は、国民個人よりも国家主体となっている。いわば国家を主とし、国民を従に置く両者の関係付けを行なっている。
このことは「国民主権の下」と言いながら、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家」だと、そのような国家を基本的な国の形としているところに如実に現れている。
「戴く」とは自身に対して上に位置させた関係性を言う。天皇は国民統合の象徴として敬う関係にあるが、国民主権である以上、国民を下に置いて上下で位置づけていい関係性にあるわけではないはずだ。
「天皇を戴く」という言葉は現行憲法にはない。
国家主体は他の箇所にも現れている。
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」、「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」、「美しい国土と自然環境を守りつつ」、「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」等々、一見国民に対する義務付けのように見えるが、そのような義務付けの直接的な目的が国民一人一人の福利ではなく、国の形づくりであり、国の形づくりを福利となす国家主体の条文となっている。
基本的人権の尊重に関しても、自民党案・前文に限って言うと、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び」となっていて、国民の義務とはしているが、憲法が規定し、国家が守る国民の権利という位置づけとはなっていない。
国民の権利・義務を規定しながら、その規定を忠実に守るよう、国家権力を規定するという憲法の原則に反する文言となっていることも国民を従に置き、国家を主とする関係性と言える。
自民党はそのような関係性を国民と国家の間に築こうとする意思を持っているということであろう。
次に第1章「天皇」を見てみる。
現憲法・天皇
〈第1章 天皇
第1条 天皇の地位
天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第2条 皇位の継承
皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第3条 天皇の国事行為に対する責任
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第4条 天皇の機能
(1)天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
(2)天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
自民党案・天皇
〈第一章 天皇
(天皇)
第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
(国旗及び国歌)
第三条 国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする。
2 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
第五条 天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない
第六条
4 天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。〉――
要するに自民党は天皇を元首に位置づけるために、前文で日本を「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」としたのだろう。元首とする点に於いては大日本帝国憲法の復活である。
〈大日本帝国憲法
第一章 天皇
第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二條 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス
第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ〉――
旧憲法4条で、天皇は元首であって、憲法の規定に従い、統治権を掌握して統治するとしている。元首であるから、統治権を掌握して統治することと整合性を得る。
【元首】「国際法上、外部に向かって国家を代表する資格を持つ国家機関。君主国では君主。共和国では大統領。日本では旧憲法下の天皇。現行憲法には規定がない。」(『大辞林』三省堂)
現憲法も自民党案も天皇は「国政に関する権能を有しない」としているが、「国政に関する権能を有しない」天皇が外国を訪問して君主や大統領のように国家を代表するこは政治利用に当たって、整合性を得ることができないのではないだろうか。
そもそもからして「国政に関する権能を有しない」上に国民統合の象徴という国内的存在に過ぎない天皇に一国家を代表させることに整合性を与えることができるのだろうか。
従来からも天皇の政治利用は行われてきた。対外的発言としての「天皇のお言葉」は天皇自身の言葉ではなく、内閣や宮内庁の作成による言葉を天皇が単にアナウンスするだけの演出はいくら内閣の助言を騙ろうと、政治利用そのものである。
それが元首とすることで政治利用をますます可能とするカラクリは危険そのものであり、そのような危険性を自民党日本国憲法改正草案は内在させている。
最後に昨日、4月9日の午前中の衆院予算委で民主党の後藤祐一議員が自民党憲法草案のうち、第3章「国民の権利及び義務」のうち、第13条「個人の尊重」と、第21条「集会・結社・表現の自由と通信の秘密」を取り上げて、現憲法の第13条が「公共の福祉に反しない限り」としている権利制限を、自民党案が「公益及び公の秩序に反しない限り」としていることと、現憲法の第21条が無制限の自由を保障していることに対して自民党案第21条は「公益及び公の秩序を害する」場合は権利制限を設けていることを拡大解釈可能だとし、戦前の治安維持法のような法律をつくって取り締まることもできると、その危険性を指摘していた。
では、現憲法と自民党案を比較してみる。
現憲法・第3章 国民の権利及び義務
〈第13条 個人の尊重
すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第21条 集会・結社・表現の自由と通信の秘密
(1)集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
(2)検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。〉――
自民党案・第三章 国民の権利及び義務
〈(人としての尊重等)
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。〉――
(表現の自由)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。〉――
【福祉】「社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福」(『大辞林』三省堂)
現憲法の「公共の福祉に反しない限り」と言っている「公共の福祉」とは対象が特定的ではなく、曖昧な点、他人に迷惑をかけない限りといった意味となるはずで、国家権力の干渉の余地は限りなく小さい。
だが、自民党案の「公益及び公の秩序に反しない限り」となると、対象がより限定的となり、国家権力の価値判断次第で「公益」も「公の秩序」も解釈変更が可能となって、いわば勢力の違いや立場の違いで「公益」も「公の秩序」も姿を変えることになって(このことは戦前の日本で見てきたはずだ)、国民の権利・義務に対する国家権力の恣意的運用の制約を原則とする憲法の精神に反して、逆に国家権力の干渉の余地を拡大し、国民の権利を制約する危険性を孕んだ規定だと言うことができる。
国民が現憲法が規定する「公共の福祉」を拡大解釈して、あるいは自分たちの価値判断を強引に当てはめて権利を踏み外した場合、民法や刑事訴訟法で罰することはできるが、国家権力が「公益及び公の秩序」を拡大解釈して、あるいは自分たちの価値判断を当てはめて国民の権利に制限を加えた場合、それを正当化する法律を前以て用意しているだろうから(このことも戦前の日本で見てきたはずだし、民主党の後藤祐一議員が言っていた治安維持法もその一つであった。)、憲法は国家権力に対する制約手段ではなく、国民の基本的人権に対する制約手段と化し、当然、国民のための憲法ではなく、国家権力のための憲法となる危険性を常に裏合わせすることになる。
だからこそ、自民党の日本国憲法改正草案は国家を主とし、国民を従に置く国の形を優先させた国家主体の意思を露わにすることになっているのであって、そのような国の形の頂点に「天皇を戴く」ということになるのだが、憲法の原則に反するこのような思想構造の危険性は計り知れない。
だが、数の力によって、罷り通ることになる。その危険性にも備えなければならない。