安倍首相のいわゆる「価値観外交」がフル活動している。安倍首相自身にしても万能な外交術であるかのように振舞っているが、マスコミも盛んに取り上げ、同じく万能であるかのように持て囃しさえしている。
安倍首相 平成25年 年頭所感(2013年1月1日)
安倍晋三「広く世界を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値に立脚した戦略的な外交を大胆に展開します。国民の生命・財産と領土・領海・領空を断固として守り抜くため、国境離島の適切な振興・管理、警戒警備の強化なども進めてまいります」――
第183回国会に於ける安倍首相所信表明演説(2013年1月28日)
安倍晋三「外交は、単に周辺諸国との二国間関係だけを見つめるのではなく、地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった、基本的価値に立脚し、戦略的な外交を展開していくのが基本であります」――
「広く世界を俯瞰して」、「地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰して」と、気宇壮大な視野を持たせた、あるいは世界の動きを全体的に一手に見据えた価値観外交を向かうところ敵なしの感じで推し進める。
世界を背負って立っている気概をひしひしと感じ取ることができる。願わくば“気概”が“危害”とならないことを願う。
安倍晋三は今回も3月30日、31日と2日間の日程でモンゴルを訪問、強力に価値観外交を推し進めてきたようだ。
但しである、安倍首相のモンゴル出発を伝える「NHK NEWS WEB」記事が、〈安倍総理大臣は、モンゴルが北朝鮮と国交があることを踏まえ、拉致問題の早期解決などに向けて協力を求めることにしています。〉と書いてあり、それが事実その通りの要請を予定しているとしたら、価値観外交の効能性吹聴に反して外交的認識能力を欠いているのではないかと疑った。
尤も何に関しても認識能力を欠いている政治家だから、外交面に於いても同じく欠いていたとしても不思議はない。
拉致は金正日が張本人の国家的犯罪であって、国家機密としなければならな微妙な性格を抱えていることと、金正恩が権力の父子継承の正統性を父親の金正日に置いている関係から、金正日の権威を失墜させることができない立場に立たされていて、当事国の日本の拉致解決要求に対しても拒絶反応を示している。
ましてや当事国ではない第三国のモンゴルがいくら北朝鮮と国交を持っていたとしても、そのことの理由だけで北朝鮮が拉致解決に関するどのような助言も受入れるとは思えないし、モンゴルにしても基本的には日本と北朝鮮が直接的な交渉で解決しなければならない問題を国交を持っているという理由のみで北朝鮮に対して解決を促すということはしないはずだ。
例え促したとしても、北朝鮮に「日本との拉致問題は解決した、もはや拉致問題は存在しない」と一蹴させられるのがオチだろう。
また、モンゴル訪問の価値観外交自体をマスコミは、中国との関係改善が進まない中での周辺国との連携強化による中国牽制だと取り沙汰しているが、果たしてモンゴルに有効な対中牽制の価値観外交足り得るのだろうか疑問である。
安倍晋三はモンゴル訪問の経済分野での成果を技術協力を含めた石炭等の資源開発の協力強化の合意と経済連携協定(EPA)交渉加速の確認を挙げているが、モンゴルとの間にそのような協力強化を進めているのは日本だけではなく、既に中国やロシアも加わっているはずだ。
以上、拉致と価値観外交と資源協力3点の有効性をマスコミ報道等から見てみる。
先ず拉致問題を、《日モンゴル首脳会見要旨》(時事ドットコム/2013/03/30-23:57) から見てみる。
両首脳共同記者会見である。
記者「北朝鮮によるミサイル発射や核実験、拉致問題については」
アルタンホヤグ首相「モンゴルは北朝鮮と友好関係を保っている国として、(北朝鮮との)話し合いをウランバートルで開催する用意があることを伝えた。モンゴルは2月の北朝鮮の核実験に対する国連安保理決議を守っていくと伝えた」――
要するにモンゴルは日本と北朝鮮の話し合いの場を首都ウランバートルにセットすると言っているだけのことで、モンゴル自身が北朝鮮に対して拉致解決を進めるよう直接申し入れるとは言っていない。
記者「中国の習近平国家主席がロシアを訪問した」
安倍晋三「コメントすることは適当ではない。私の政権では自由、民主主義、法の支配、基本的人権といった普遍的価値観を共有する諸国との関係を重視し、地球儀をふかんするように戦略的外交を展開していく」
持論を繰返したに過ぎない。但し価値観外交が水戸御老公の葵の御紋入りの印籠さながらに万能であるが如きニュアンスを漂わせた物言いとなっているのは相変わらずである。
果たして万能なのだろうか。
記者「北朝鮮や中国に関し、会談でどのような話があったか」
安倍晋三「北朝鮮に対する日本の立場を首相と大統領に説明した。北朝鮮が国際社会に対して取っている挑発的な行為は断じて許すことはできない。安保理決議を実行していくことが重要だ。拉致問題は極めて重視しており、安倍政権で解決していく決意だ。モンゴル政府からはわが国に対する理解と支持の表明があった。
日中関係は厳しい局面にあるが、日本からエスカレートさせるつもりは全くない。中国は関係全体に影響を及ぼさないようにコントロールしていくべきだ。対話のドアは常にオープンだ」――
この発言からも、モンゴル自身の拉致解決に向けた北朝鮮に対する直接的な働きかけを窺わせる文言を見い出すことはできない。単に日本に対する「理解と支持の表明があった」のみである。
この「理解と支持の表明」は儀礼で済ますこともできる。
だが、こういったことは最初から理解していなければならなかったはずだ。
中国に関する発言は日本からは何もしないと言っているに等しい。中国も日本に対して日中の関係改善は「実際の行動」で示せと、日本側からの働きかけを求め、中国側からの働きかけを否定している。
当然、日中会計改善は宙に浮いた形で推移することになる。それが対中安倍外交ということなのだろう。
モンゴルの北朝鮮に対する日本と北朝鮮との会談セットがうまくいったとしても、また会談場所がどこであろうと、解決に向けた交渉自体はモンゴルに関係しない日本の外交能力にかかっている。
このことも最初から理解していなければならないことで、理解しないままモンゴルに解決に向けた何らかの協力を要請したものの儀礼的な反応しか得ることができなかったために、「安倍政権で解決していく決意だ」と言ったとしたら、その決意自体が怪しくなる。
次に価値観外交及び資源協力について見てみる。
《最近のモンゴル情勢と日・モンゴル関係》(外務省アジア大洋州局中国・モンゴル第一課/2012年10月)に次のような記述がある。
(イ)中国との関係
〈2011年6月,バトボルド首相は中国を公式訪問,温家宝首相との間で行われた首脳会談では,両国関係を「戦略的パートナーシップ」に格上げすることで一致し,右成果を含む共同声明を発出したほか,6つの協力文書に署名がなされた。
2012年1月,ザンダンシャタル外交・貿易大臣が中国を公式訪問,楊潔チ外交部長との外相会談では,モンゴル,中国間の「戦略的パートナーシップ」の更なる発展のための協力拡大について意見交換したほか,石油燃料を長期間安定的に供給するための契約を締結すること等で一致した。8月には周永康中国共産党中央政治局常務委員がモンゴルを訪問し,経済技術協力協定他,経済協力に関する複数の文書に署名がなされた。〉――
先ず資源協力を見てみる。「石油燃料を長期間安定的に供給」が中国からモンゴルに対してなのか、モンゴルから中国に対してなのか、この記事からでは窺うことができないが、次の記事――《モンゴル国内で中国による原油採掘が始まった》(日本戦略研究フォーラム/2011年10月3日)には次のように書いている。
〈モンゴル国内における外国の原油の採掘(試掘及び採油)の状況は、現在、中国のみが原油を採油し輸入するに至っている。現在推定されているモンゴルの原油埋蔵量は約1.5億トンであり、石油精製施設はウランバートル南方約100kmに建設されていると聞いている。元政府高官等によれば、中国は、両国間の取決めより約1.5倍の試掘を行い、また中国が採油する原油の半分はモンゴルの取り分となると聞いている。これまでに中国以外の国も試掘を行ったが、硫黄分が多いなどの理由から採算がとれないとして断念している。〉――
要するにモンゴルでは石油の試掘と採油が始まった段階にあるようだから、「石油燃料を長期間安定的に供給」は中国からモンゴルに対しての、石油の採掘が軌道に乗り、石油生産が活発化するまでのモンゴル国民の生活に深く直結する重要な取り決めということになり、モンゴルから見た場合、中国は重要な資源供給国ということになる。
このこととモンゴルと中国が「戦略的パートナーシップ」の関係にあることからすると、何も日本だけがモンゴルと資源協力を結んでいるわけではないし、安倍晋三の言う価値観外交のみがモンゴルとの結びつきを強くすわけではないことになる。
いわば二国関係に於ける資源協力にしても価値観外交にしても、例え「戦略的パートナーシップ」と名付けた二国関係であろうと、二国関係以外の第三国との関係に於いてそれぞれが常に相対化されるということであって、万能であるかのような絶対的価値を持つわけではないということである。
このことは日本とインドとの関係についても言うことができる。
安倍首相は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値」を共有するインドとも「戦略的パートナーシップ」関係を強化し、中国の力を相対化する外交として重視しているが、インドは中国とは国境を接しているという地政学的な理由から日本が求めるそのような外交のみを受け入れているわけではない。
《「独立外交」堅持=新幹線導入、コスト抑制が重要-インド外相》(時事ドットコム/2013/03/27-18:37)
3月27日(2013年)、日中のインドのクルシド外相が都内で記者会見。
クルシド外相(日米両国との戦略的関係強化の可能性について、今後も積極的に対話を続けるとしつつも)「我々はあくまでも独立した形で、自立的な意思決定を行う」
この発言を記事は次のように解説している。〈日米が企図する「中国包囲網」とは一定の距離を置く考えを示した。〉云々。――
要するに日米両国関係は重視するが、インドと中国との関係は独自に決定していくという趣旨となっている。
中国牽制の意味を込めた、あるいは中国包囲網の意思を込めた日本の対インド価値観外交にしても、戦略的パートナーシップ関係にしても、両関係共インドの対中国関係に於いて相対化されることを示している。
この両関係はインドと中国が軍事的に極度に対立したときや軍事的な衝突が起きたときにしか生きてこないだろう。
このようなインド政府の意向を反映しているのだろう、〈インドの有力英字紙「ザ・ヒンドゥー」のシダールタ・バラダラージャン編集長は30日までに都内で時事通信の取材に応じ、日本とインドの2国間関係について、「中国包囲網」形成を狙ったものであれば「非生産的」だと指摘した。〉と次の記事が伝えている。
《中国包囲網は「非生産的」=対日関係で-印有力紙編集長》
常に相対化の宿命に曝される価値観外交であり、戦略的パートナーシップ関係でありながら、安倍晋三は認識能力を欠いているからだろう、さも万能な外交術であるかのように振舞い、マスコミにしても万能であるかのように持て囃している。
バラダラージャン氏「中国は東シナ海や南シナ海で領有権主張を強めているが、挑発的言動は何も生み出さないことに気づくべきだ。
日印中3カ国はどれか1カ国に対抗することを狙いとした2国間関係を結ぶべきではない。対中問題を日印関係の中心に据えるのは、両国にとって非生産的な結果をもたらす」(一部解説文を会話体に変更)
二国間関係に於ける価値観外交及び戦略的パートナーシップ関係の多国間関係に於ける相対化そのものの言及である。
だが、こういったことに対する視点を安倍晋三が価値観外交を語るとき、安倍晋三自身にしても日本のマスコミにしても持ち合わせていない。
安倍晋三は自らの価値観外交を話すとき、さも万能な外交術であるかのように言及し、日本のマスコミも中国包囲網として、あるいは中国牽制として有効であるかのように持て囃している。
価値観を共有していない対中関係の困難は理解できるが、価値観を共有していても常に相対化の宿命を受ける。国際関係が水戸御老公の葵の印籠の如くに簡単に処理できるものではないことを常に認識していない外交に信を置くことはできない。
そのような外交発信の代表格が安倍晋三であろう。