安倍晋三の自己都合の歴史認識を振り回しつつ、歴史認識は専門家・歴史家に任せるべきだとする敵前逃亡

2013-04-27 05:56:44 | 政治

 安倍晋三が4月26日(2013年)午前の衆院内閣委員会で赤嶺政賢共産党議員の歴史認識に関わる質問に対して「歴史認識は専門家・歴史家に任せるべきだ」と答弁したことをマスコミ記事で知った。

 この種の答弁は初めてではなく、常套句となっている。問題は歴史認識を専門家・歴史家に真に任せて、自身が一切口にしなければ発言に整合性を与えることができるが、自ら自己都合な歴史認識を振り回しながら、国会で追及を受けると、「歴史認識は専門家・歴史家に任せるべきだ」と追及を免れる敵前逃亡同然の姿勢は卑怯そのもので、一国の首相として許されることではないことである。

 衆議院インターネット審議中継から赤嶺議員と安倍晋三の遣り取りを見てみた。

 先ず赤嶺議員が取り上げた安倍晋三の4月23日参院予算委での答弁。

 安倍晋三「村山談話は曖昧な点がある、特に侵略という定義についてはこれは学会でも定まっていない。それは国と国との関係に於いて、どちら側から見るかということに於いて違う」

 赤嶺議員はこの発言を韓国が問題視し、韓国外務次官が別所浩郎駐韓大使を呼んで抗議したことを取り上げてから、次の質問をした。

 赤嶺議員「日本の過去の戦争はどちら側から見るかで評価が違うのか。中国や韓国から見ると侵略だが、日本から見ると、違うということなのか」

 安倍晋三「いわゆる村山談話は戦後50年を機に出されたものであり、戦後60年に亘っては、当時の小泉内閣が談話を出している。我が国はかつて多くの人々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた。その認識に於いては安倍内閣としては歴代内閣共通の立場、同じ立場だ。その上に於いて、然るべきときに21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したいと考えており、そのタイミングと中身については考えて行きたいと先般、そのように答弁した。

 いずれにせよ、韓国や中国を始めとする近隣諸国の国々は日本にとっても重要なパートナでもあり、これらの国々との関係強化を引き続き努力していくと共に地域の平和と反映に積極的に貢献をしていく所存だ。

 歴史認識の問題については、基本的に私が先般述べたことは政治家がとやかく言うべきではなく、歴史家や専門家に委ねることが適当だろうと考えている。

 私は歴史認識に関する問題が外交問題、政治問題化されることは勿論、望んでいない。歴史認識については政治の場に於いて議論することは結果として外交問題、政治問題に発展をしていくわけで、だからこそ歴史家・専門家に任せるべきだろうと判断している」

 赤嶺議員「再度確認するが、村山談話で植民地支配と侵略がアジア諸国の多くの人々に対して多大の損害と苦痛を与えたという認識は継承するということか」
 
 安倍晋三「継承するとかしないとかということではなく、村山談話は50年を機に出されたものであり、60年を機に小泉談話を出した。今回政権が代わり、安倍内閣が誕生した中で、もうじき70年を迎えるから、内閣として未来志向の談話を発出していくことが適当ではないかということも含めてよく考えて行きたい」

 赤嶺議員は、その答弁は曖昧だとして、米英中3カ国が日本の戦後処理の基本方針と日本が無条件降伏するまでの対日戦遂行の確認を決定した1943年11月のカイロ宣言が日本の侵略戦争の制止と処罰を規定していること、カイロ宣言の履行を明記した1945年7月のポツダム宣言受諾が現在につながる戦後の国際秩序と国連体制が形成されたことを前提に、安倍晋三が国によって侵略であるかどうか見方が違うすることは歴史の事実の否定ではないかとさらに追及した。

 安倍晋三「今も答弁したとおりだが、歴史というのは一般論として言うと、確定するのは難しく、長い年月をかけて専門家の手によって新たなファクトが掘り起こされていくこともあるのだから、専門家・歴史家に委ねるべきであって、私が政治家として神の如くに判断することはできない」――

 安倍晋三がまともに答弁していないために堂々巡りとなっている。

 「歴史というのは一般論として言うと、確定するのは難しく、長い年月をかけて専門家の手によって新たなファクトが掘り起こされていくこともある」なら、安倍晋三がかつて言っていたように「慰安婦狩りのようなことがあったことを証明する証言はない。裏付けのある証言はない」からと言って、官憲が家に押し入って強制連行して従軍慰安婦に仕立てるといった事実はなかったと断言することはできなくなり、自身の発言との矛盾が生じる。

 「長い年月をかけて専門家の手によって新たなファクトが掘り起こされていくこともある」可能性は否定できないことになるからだ。

 一方で証言がないからと、従軍慰安婦構強制連行否定の歴史認識を、「政治家として神の如くに判断することはできない」と言っていることに反して事実決定したが如くに自ら語りながら、「歴史認識は専門家・歴史家に委ねるべきだ」と逃げる。

 赤嶺議員が指摘した安倍晋三の4月23日参院予算委での答弁の「村山談話は曖昧な点がある」にしても、「曖昧」とする解釈するについては自らの歴史認識を介在させなければ解釈できないことで、いわば自らの歴史認識を以てして「曖昧」と解釈したのであって、自らの歴史認識を旺盛に展開しながら、国会で追及を受けると「歴史認識は専門家・歴史家に委ねるべきだ」と逃げる。

 まさしく自身の歴史認識を以って堂々と戦うのではなく、「外交問題、政治問題に発展をしていく」という口実のもと戦わずして逃げる敵前逃亡そのものである。

 また安倍晋三の「侵略という定義についてはこれは学会でも定まっていない。それは国と国との関係に於いて、どちら側から見るかということに於いて違う」として、間接的に日本の侵略を否定していることにつても、侵略否定という歴史認識を自ら施しているからこそ言うことができる、「学会でも定まっていない」云々であり、「どちら側から見るかということに於いて違う」ということであって、そこに侵略否定の歴史認識を介在させていなければ、「学会でも定まっていない」云々の答弁は出てこない。

 例え「侵略という定義についてはこれは学会でも定まっていない」、定義が争われているとしても、日本の戦争は侵略戦争だとする歴史認識に立っていたなら、「侵略という定義についてはこれは学会でも定まっていないが、私は侵略戦争だったとする立場に立っている」と答弁して、侵略戦争肯定の歴史認識を示していたはずだ。

 だが、侵略戦争否定の歴史認識を取っている。

 いわば侵略戦争肯定・否定のいずれの立場に立とうと、歴史認識を介在させて初めて決定し、示すことができる立場であり、問題はどちらに正当性があるかにかかっているはずである。

 安倍晋三に正当性の勝ち目があるなら、自ら歴史認識を施しながら、国会等で追及されると、「政治家として神の如くに判断することはできない」との口実を設けて、あるいは「外交問題、政治問題化する」からとの口実を設けて、「歴史認識は歴史家や専門家に委ねるべきだ」といった敵前逃亡を謀ることはないはずだ。

 卑怯である。正々堂々と自らの歴史認識に立つことができない。「外交問題、政治問題化する」からと回避するなら、歴史認識については一切口を閉ざして、自分のものとしている歴史認識を振り回すべきではない。

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