この春入社新入社員約400人対象の上司に対する期待の種類を尋ねた調査を伝えている記事がある。《新入社員 上司に丁寧な指導を期待》(NHK NEWS WEB/2013年4月13日 4時55分)
社員研修などを手がける「ジェイック」の調査だそうだ。複数回答となっている。
「何を期待するか」
「人間的に尊敬できる」25%
「本気で指導してくれる」20%
「相談にのってくれる」18%
(業務上のスキルの高さに対する期待度の設問)
「統率力がある」8%
「決断力がある」7%
「成果を残す」3%
調査担当者「上司の姿から見て学ぶことより、部下と積極的に関わって、きちんと指導をしてもらいたいという受け身の姿勢が強い」――
石田浩司ジェイック・マネージャー「昔はできる上司の背中を見て仕事を覚えるというのがあったが、今は違う。普通に接し、向き合って指導をして欲しいという傾向がアンケートに出ている」――
以上から、何を読み取ることができるのか。記事は、〈人間的に尊敬できる上司から、丁寧な指導を望む傾向がうかがえました。〉と解説している。
調査担当者は「部下と積極的に関わって、きちんと指導をしてもらいたいという受け身の姿勢が強い」と言っているが、要するに上司に優しさを求めているのではないだろうか。
この「受け身の姿勢」に「上司の姿から見て学ぶ」姿勢を対置させているが、一般的に幼保・小・中・高・大学と教師が教える知識・情報を自ら考え、判断して自分なりに独自の知識・情報へと発展・拡大させていくのではなく、丸のまま暗記して自分の知識・情報としていく暗記教育は児童・生徒・学生の教師に対する姿勢そのものが受け身で成り立っているからこそ可能なのであって、そのような両者の関係性を日本の教育は伝統としてきたことを考えると、「上司の姿から見て学ぶ」姿勢とは、石田浩司ジェイック・マネージャーが「昔はできる上司の背中を見て仕事を覚える」と言っていることも同じだが、一見自分から学ぶ姿勢を持っているかように見えるが、実際は上司の仕事を見て、自ら考え、判断して自分なりに独自の仕事方法を獲得していく発展性を持たせた学びの姿勢ではなく、上司の仕事の遣り方を丸のまま取り入れていく従属の範囲内の受け継ぎであったはずだ。
そのような従属性の上に時代の要請や会社外の他者との接触等によって仕事方法は改良させていくが、基本は上司から部下への従属が貫いていて(横並びと言ってもいい)、それが伝統となっているといったところであろう。
もし「上司の姿から見て学ぶ」姿勢が上司の仕事を見て、自ら考え、判断して自分なりに独自の仕事方法を獲得していく発展性を持たせた姿勢であるなら、その姿勢は下位社会である学校社会で学び取った姿勢でなければならないはずで、学校社会に於いても教師が教える知識・情報を児童・生徒・学生が自ら考え、判断して自分なりに独自の知識・情報へと発展・拡大させていく、考える教育となっていたことになり、暗記教育の現実と矛盾を来す。
元々から権威主義社会である。上司対部下の関係は上下関係で縛られていたし、現在も縛られている。要は「昔」という時代に於いても現在と変わらず、上司に対する部下の受身の姿勢は存在していた。
現在の新入社員にしても「昔」の社員と同じく暗記教育の血を受けているのだから、それなりに上司の仕事をなぞり、それを自分の仕事の遣り方としてそれなりに受け継いでいくはずだ。
但し現在の新入社員が上司に優しさを求めている点、受け身の意識が「昔」という時代よりも強くなっていることを示すのかもしれない。
受身の姿勢で周囲に優しさを求めるということはまた、自身に対する保護を意味し、保護の意識が働いた受け身ということなのだろう。
雇用が簡単に崩れるこの雇用環境の厳しい時代を考えると、雇用の維持=生活の維持=人生の維持なのだから、自身を保護したい意識から周囲に優しさを求めたとしても、何ら不思議ではない時代性と見なければならないのかもしれない。