石破茂自民党幹事長の山口県防府市での街頭演説。《「日本の平和は、独裁者信じては守れない」自民・石破氏》(asahi.com/2013年4月27日0時9分)
石破茂「憲法の一番最初に何と書いてあるか。『日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの(安全と)生存を保持しようと決意した』と。本当か? 世界の人はみんな平和を愛する人たちなのか?『日本にミサイルを撃ち込もう』『核実験をやろう』『米国に核ミサイルを撃ち込むぞ』と脅かしている独裁者が平和を愛する人とは思っていない。
人を信じることは良いことかもしれないが、日本国の独立と平和、国民の生命と財産は、そういうものを信じて守ることはできない」――
石破茂は頭のいいことに、「平和を愛する諸国民」を民主国家の国民も、独裁者を狂信して、独裁者の対外的敵対姿勢に殉ずるべく構えている戦前の日本国家のような国民、あるいは現在の北朝鮮の国民も味噌もクソもなく一緒くたに扱う見事な認識能力を示している。
前文が言っている「諸国民」とは「平和を愛する」という性質を有していると限定付けた、あるいは条件付けた「諸国民」を指しているのであって、無限定・無条件に世界のすべての国のすべての国民を指して「諸国民」と言っているわけではない。
あくまでも「平和を愛する」「諸国民」のことを言っていて、平和を愛さない「諸国民」は除外している。
頭のいい石破が言っているように「世界の人はみんな平和を愛する人たち」などとはどこにも書いてないし、そう言っていると思わせる文意もどこにも存在しない。
当然、前文は〈日本国民は民主的な平和国家の諸国民と協力・協調し合って、それら諸国民の公正と信義に信頼して、われらの(安全と)生存を保持しようと決意した」と解釈しなければならないことになる。
石破は例え意図していないことであっても、あるいは頭が悪いから、間違った解釈しかできなかったとしても、前文が伝えようとしている民主的な平和国家の諸国民と協力・協調し合うという文意を考察対象から外し、世界は平和を愛する諸国民ばかりではないことを主たる考察対象とする情報操作を結果的に行なって、「人を信じることは良いことかもしれないが、日本国の独立と平和、国民の生命と財産は、そういうものを信じて守ることはできない」との趣旨で軍事力の増強の必要性、あるいは憲法9嬢改正の必要性を国民に信じこませようとしたのである。
ここには日本国憲法前文の曲解と曲解に基づいた軍事力及び憲法改正の必要性の情報操作だけではなく、外交の力を国民に知らしめない二重の情報操作が存在する。
いわば前文を曲解する頭の悪さから出発して二重の情報操作に至る狡猾な頭の使い方を示している。
4月26日のブログ記事――《高市早苗は日本の戦争を侵略戦争だと認め、靖国神社の戦没者を侵略戦争加担者と位置づけている - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、高市早苗自民政調会長が4月23日の靖国参拝翌日の4月24日の都内講演の発言を取り上げて、記事題名通りに「日本の戦争を侵略戦争だと認め、靖国神社の戦没者を侵略戦争加担者と位置づけている」と書いたが、その発言を記事を進める必要上、再度ここに掲載してみる。
高市早苗「外交問題になること自体がおかしい。例えば植民地政策や開戦時の国家意志が良かったのか、悪かったのかとなると、フランス、アメリカ、イギリス、オランダはどうだったのか。
(米国の)アーリントン墓地に日本の閣僚が行ったら花を捧げる。では、ベトナム戦争が正しかったのか。東京大空襲は明らかな陸戦法規違反だが、あれが良かったのか悪かったのか。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」(MSN産経)――
要するにフランス、アメリカ、イギリス、オランダの植民地政策を悪とする価値づけとの比較で日本の植民地政策と開戦時の国家意志を悪と位置づけ、さらにアメリカのベトナム戦争や東京大空襲を悪と価値づけて、「そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」という言い方で、例え日本の植民地政策と開戦時の国家意志が悪であっても、慰霊の正当性に変りはないことを主張する逆説用法を用いている。
決して日本の植民地政策や開戦時の国家意志は正しかった、だから、慰霊は正しいと直截に主張しているわけではない。
だが、高市早苗が参拝後に靖国神社で記者団に語った発言は「日本の国策」という言葉を使って、日本の植民地政策と開戦時の国家意志を正しかったと価値づけている。
時間的には参拝後の発言の方が先になるが、先に正しいと発言しながら、翌日に間違っていたと矛盾した発言を行う頭の中はどうなっているのだろう。
高市早苗「参拝した国会議員の数はいつもに比べて多かった。新人議員も多く参拝したので、うれしく思う。日本の国策に殉じて尊い命を捧げて国を守ってくれた方々をいかに祀り、どのように慰霊するかは日本人が決める国内の問題だ。これが外交問題になることは、絶対におかしい」(NHK NEWS WEB)と述べました
「日本の国策に殉じて尊い命を捧げて国を守ってくれた」と戦没者を価値づける以上、守る対象とした「日本の国策」も戦前日本の国も正しかったと価値づけていることになり、そうでなければ脈絡上の整合性を失う。
また、このように価値づけることによって、高市早苗の靖国観は国家主義者安倍晋三の靖国観と整合性を一致させることができる。
だが、靖国参拝翌日の4月24日の都内講演では、日本の植民地政策と開戦時の国家意志をフランス、アメリカ、イギリス、オランダの植民地政策やアメリカのベトナム戦争や東京大空襲と比較同レベルに置いて、逆説的な言い方で、悪、間違っていたとした。
石破、高市のクエスチョンマークを付けたくなる頭の中は安倍晋三の合理的認識性を備えていない頭の中に準じているのだろうか。
とても、とても国家を任せる気にはならない石破であり、高市であり、特に安倍晋三だとクエスチョンマークを付けたくなる彼らの頭の中である。