NHK経営委員百田尚樹の余りにも粗雑な歴史認識と同じNHK経営委員長谷川三千子の独善的考察

2014-02-06 10:20:42 | Weblog




      《生活の党PR》

      《『平成25年度補正予算3案、畑浩治総合政策会議議長が反対討論』》

      一昨日2月4日、平成25年度補正予算3案が衆議院本会議に緊急上程され、 生活の党を代表して畑浩治総合政策会議議長が反対の立場から討論しました。 反対討論全文は党ホームページからご
      覧いただけます。是非ご一読ください。

 NHK経営委員の一人である百田尚樹が、あの戦前日本の太平洋戦争を大東亜戦争と呼び、「聖戦であった」とする歴史認識に立つ田母神俊雄立候補者を応援する2月3日の街頭演説で、田母神と似たり寄ったりの歴史認識を披露したという。その発言要旨を「時事ドットコム」が伝えている。

 《百田氏発言要旨》/2014/02 /04-14:57)

 百田尚樹(第2次世界大戦で)日本は戦争に負け、連合国軍総司令部 (GHQ)が当時の日本人に何をしたか。徹底した自虐思想を植え付けた。「日本人、おまえたちが悪いことをしたんだよ」 と植え付けた。なぜか。極東国際軍事裁判(東京裁判)のせいだ。東京の惨状、広島、長崎の 悲惨な状況を見て、恐らくやり過ぎたと思ったんだろう。これほど悲惨な戦争犯罪はない。一 般の無辜(むこ)の民を何十万人虐殺した。

 東京も4度の大空襲に 遭った。これほど悲惨な戦争犯罪はあるかという残虐な行為だった。広島と長崎の原爆もそうだ。完全に人体実験だ。広島、長崎に一般爆弾を落とさなかった。(米軍は)原爆の威力を見たかった。これは大虐殺だ。

 東京裁判は大虐殺をごまかすための裁判だった。1938年に蒋介石が「日本軍が南京大虐殺をした」とやたら宣伝したが、世界の国は無視した。なぜか。そんなことはなかったから だ。戦後、東京裁判で突然、亡霊のごとく南京大虐殺が出てきた。米軍が自分たちの罪を相殺するためだ。東京大空襲、原爆投下は、米軍が悪いのではな い。おまえたちが悪いことをしたから、こうなったんだという ことで、米軍が持ってきたのが南京大虐殺だった。(被害者は)最初は20万人だったが少ないと言うことで、30万人に した。とんでもない話だ。

 確かに戦争だから残虐行為はあった。日本軍も残虐なことをした。でも、これは米軍もしたし、ソ連人もしたし、中国人もした。どこの国もした。これは歴史の裏面、黒い面だ。 

 先ず論理構成を見てみる。

 発言の前半と中間で、連合軍は日本に対する戦争で「悲惨な戦争犯罪」、「大虐殺」を行った。だが、遣り過ぎたと思って、それをゴマカスために「お前たちが悪かったんだよ」という自虐史観を植え付けて、「自分たちの罪を相殺」し、すり替えた。その口実に、いわば日本軍の悪の象徴として「南京大虐殺」という虚偽の事実を持ってきたとの論理展開となっている。

 そして最後になって、いわば散々に連合軍の悪を並べたあとになって、「日本軍も残虐なことをした」が、連合軍、その他もしたことでと相対化し、日本軍の罪を希釈する、公平とは言えない自己都合な論理展開の主張となっている。

 「日本軍も残虐なことをした」なら、最初から日本軍の残虐行為と連合軍の残虐行為を並べて、どちらがより残虐であったか比較し、論ずるすべきだが、そうはせずに最後になって付け加えたのは、連合軍だけの残虐行為を並べ立てたのでは歴史認識として都合が悪いと思ったからだろう。

  だが、実際の思いは連合軍を悪と位置づけ、日本を善と位置づけたいがために「日本軍も残虐なことをした」と言いながら、言っていることに反して事実は事実として日本軍の残虐行為については具体的な事実を伝えることはしない抽象的な物言いで片付けて、「これは歴史の裏面、黒い面だ」と相対化する必要が生じた。

 発言の全体的な趣旨から見ても、連合軍の「悲惨な戦争犯罪」、「大虐殺」だけを浮き立たせる論理展開となっていて、そのために「日本軍も残虐なことをした」という言葉自体を弱める作用が働くことになり、そのような作用を持たせていることが自体が「日本軍も残虐なことをした」という言葉が取ってつけた言葉でしかないことを証明することになっている。

 百田尚樹が「連合国軍総司令部 (GHQ)が当時の日本人に何をしたか。徹底した自虐思想を植え付けた」と言っていことに特に象徴することができるこの論理展開は、2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に送った安倍晋三のビデオメッセージ「本来であれば、この日を以って、日本は独立を回復した国でありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本がどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証し、それをきっちりと区切りをつけて、日本は新しスタートを切るべきでした」の主張と相互対応の関係にある。

 いわば戦前の日本の戦争に関する歴史認識に於いて、安倍晋三と百田尚樹は田母神俊雄も加えて同じ穴のムジナだということである。安倍晋三は自身と同じ穴のムジナの一人をNHK経営委員に送る人事を行った。

 このことも問題だが、百田尚樹の発言自体が、「放送法」「第1章総則」「第1条2項」の「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」に反するはずだし、「第2章放送番組の編集等に関する通則」「第4条2項」の「政治的に公平であること」と「3項」の「報道は事実をまげないですること」に反することになるはずだ。

 上記記事は次の発言には触れていないが、街頭演説で述べられたという。 

 百田尚樹「プライベートで誰を応援しようが自由。もしこれで『経営委員にふさわしくない』と言われたら、いつクビになっても いい」(毎日jp)――

 確かに「プライベートで誰を応援しようが自由」かもしれない。だが、思想(=歴史認識)は言葉によって表現される。NHKの番組に対して自らの思想(=歴史認識)を反映させた言葉が飛び出さない保証はどこにもない。

 同「毎日jp」は次の発言も伝えている。

 NHK経営委事務局「殆どの経営委員は兼職が認められており、個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられない」

 経営委員会の外での発言については問題ではないとしているが、そのことが「個人の思想・信条に基づいた」中での発言が生じない保証とはならないし、生じた場合の問題点についても触れてもいない。

 しかし、NHK経営委員でもあり、高名な作家でもある百田尚樹が粗雑な歴史認識の持ち主であることを正体としていることは大勢の人間に理解できたはずだ。

  哲学者であり、大学名誉教授でもあるという長谷川三千子のマスコミが取り上げている発言前文を次の記事から無断拝借した。

 《長谷川三千子氏の追悼文全文》asahi.com/2014年2月5日21時03分)

 神にささげるお供へもののほとんどすべては、人間がもらつても嬉(うれ)しいものばかりである。上等の御神酒(おみき)は言ふに及ばず、海山の幸やお菓子の類……。或(あ)るとき神社の奉納のお祭りをごく真近(まぢか)で拝見する機会があつたとき、ちやうどお昼を食べそこねて空腹で、目の前を運ばれ ゆくお供物に思はず腹が鳴つて恥ずかしかつた記憶がある。あゝ、さぞや神さまも美味(おい)しく召上るだらうなあ、と思つたものである。

  しかし神にささげることはできても、人間に供することは決してできないものがある。自らの命である。よく陳腐な口説き文句に「君のためには命をささげる」などといふセリフがあるが、言ふ者も聞く者も、そんなセリフを文字通りに信じはしない。もしも本当にさう言つて、女の前で割腹自殺する男がゐたら、(よほどの毒婦でないかぎり)喜ぶ女はゐないであらう。下手をしたら、精神的打撃をかうむつたと言つて遺族に賠償を請求するかも知れない。人間は、人の死をささげられても、受け取ることができないのである。

 人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである。

  野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に 欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。

 「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。

 野村秋介氏の死を追悼することの意味はそこにある。と私は思ふ。そして、それ以外のところにはない、と思つてゐる。

(仮名遣いは原文のまま)

 「『すめらみこと いやさか』と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである」とは、その天皇主義には凄いものがあるが、民主主義を信ずる人間から見たなら、何という非科学的な独善性に満ちた言葉だと見るはずである。

 「野村秋介 Wikipedia」に次の解説が載っている。

〈1992年、第16回参議院議員通常選挙に際して、日本青年社等が組織した「たたかう国民連合・風の会」から横山やすしらと共に比例区で立候補した。その際、『週刊朝日』誌に「ブラック・アングル」という風刺イラストを連載していたイラストレーターの山藤章二が、これを「虱の党」と揶揄した作品を発表した。マスコミの中で特に朝日新聞にこだわっていた野村は抗議の姿勢をより強めた。

選挙後、藤本敏夫らとともに、少数派・諸派の立候補者を排除するマスコミの選挙報道を公職選挙法違反として刑事告訴した。民事裁判も起こしたがいずれも認められなかった。

翌年の1993年10月20日、東京・築地の朝日新聞東京本社に中江利忠社長の謝罪を受けるために訪れ、社長ら首脳と話し合いの後「天皇弥栄(すめらみこと いやさか)」と三度言い残し、拳銃で自決した。58歳没。

一周忌である1994年10月20日から、野村の命日は『群青忌』(ぐんじょうき)と呼ばれており、命日には毎年、有志らによる追悼集会や講演会などが行われている。〉――

 長谷川三千子が言っている「『すめらみこと いやさか』と彼が三回唱えた」とはこのことを言う。

 断っておくが、「日本国民 弥栄」と唱えたわけではない。ここに野村秋介も長谷川三千子も狂信的な天皇主義者であると同時に国家主義者であることの姿を現していることになるが、その点、安倍晋三と同じムジナと言うことができる。

 長谷川三千子は「神にささげることはできても、人間に供することは決して出来ないものがある。自らの命である」と言い、「人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである」と言い、朝日新聞社の人間を指して、「人間が自らの命をもって神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をさ さげたのである」と言っているが、野村秋介は生前、いつの日か神に自らの命を捧げる日に備えて、神との対話を試みる修行を日常普段的に行っていたのだろうか。

 あるいは神との対話を可能とするための思想三昧の生活を送っていたのだろうか。自決すること自体が神への命の捧げとなるわけではあるまい。そうであるとしたら、三島由紀夫の自決も神との対話、自身の命の神への捧げとなる。

 だが、三島は市ヶ谷の防衛庁を訪問、面会した益田総監を人質に取り立て篭ったとき、益田総監に「恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです。こうするより仕方なかったのです」と話しかけたこと、日本国憲法を改正するために自衛隊に決起を促したことが「Wikipedia」に出ている。

 要するに三島由紀夫は天皇の地位を戦前の大日本帝国憲法が規定する「天皇は陸海軍を統帥す」に戻そうとしたのである。非常に現実的な自決であって、哲学的な神との対話、神に命を捧げる自決ではなかった。

 果して野村秋介は参議院議員選挙に立候補することが神との対話の一環だったのだろうか。単なる狂信的な天皇主義者だったというだけのことではなかったのではないのか。朝日新聞は戦前の天皇主義に反対の立場を取っている。そのことへの反発が参院選挙立候補時の朝日新聞の風刺によって火がつき、自決を以って抗議としたといったところが実態に過ぎないことを、ただそれだけでは一時的な衝撃で終わるために長谷川三千子がそこに有意な意味を持たせるため抗議を通した神への命の捧げ、神と対話するための自決だと美化したのではないのか。

 長谷川三千子の野村秋介に対する美化した賛美から伺うことのできる事実は、有名な芸能人が若くして命を亡くしたときのファンによる永遠の存在化と永遠の存在化に対するファンたちの自己存在証明の態度である。長谷川三千子やその一派である保守の仲間が「神への命の捧げだ」、「神との対話を行った」などと美化し、野村秋介に永遠の命を与えて、その存在に有意義を与えることで、翻ってそのことを理解できる自分たち存在の高邁な有意義性を自己存在証明しようとする態度の有無である。

 ファンは若くして命を亡くした芸能人を永遠の存在とし、その存在を取り沙汰することで自分たち存在を有意義なものと自己存在証明するようにである。

 百田尚樹と言い、長谷川三千子と言い、その思想がNHKの番組に影響を与えない保証はないことを考えると、安倍晋三の密かなる思想統制の危険性がますます実感を伴って現れてくる。

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