国家主義者安倍晋三は日本の国のことを「瑞穂の国」と呼ぶことを好んでいるようだ。昨年2013年1月20日出版の安倍晋三著『新しい国へ』(文春新書)には次の行(くだり)があるという。
安倍晋三「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。
(日本の美しい棚田を例に引いて)労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかもしれません。しかし、その田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います」
大体が瑞穂の国日本が「道義を重んじ、真の豊かさを知る」国だとしている前提そのものが洞察力を欠いたお粗末な理解――頭の悪さの証明でしかないことに気づいていない。
世界に誇る日本の大企業の安価な人件費で経費を抑えて、不景気に見舞われて需要が落ちた場合の経営の安全装置としている非正規社員の大量雇用は「道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国」の道義性・心の豊かさを反映させた経営方法だとでも言うのだろうか。
リーマン・ショック後の不景気時代、企業は非正規社員の大量解雇で自らの会社を守った。これを安倍晋三が言う西欧式の「強欲を原動力とするような資本主義」ではないとでも言うつもりなのだろうか。
例え非正規の雇用を守っていたとしても、その安価な人件費ゆえに結婚できない若者を大量に生み出している。
15~34歳の男女のう ち、求職中かパートやアルバイトで暮らす人たちは2003年の217 万人をピークに減少したが、2008年のリーマン・ショック後から再び増加に転じて、現在、仕事に就いていないか、アルバイト等の不安定な立場で働く若者は全国で180万人に上るとする厚労相の調査 を「YOMIURI ONLINE」が2014年1月31日付で伝えていた。
また、総務省2014年1月31日発表の「2013年平均の労働力調査(基本集計)」は雇用者全体に占める パートやアルバイトなどの非正規労働者の割合は前年比1・ 4ポイント増の36・6%とな り、過去最高だったとしている。
「社会実情データ図録」から2010年30歳代の 非正規と正規の未婚の割合を見てみる。
30歳代男性
非正規――75.6%
正規――30.7%
非正規は正規の2.5 倍となっている。
30歳代女性
非正規――22.5%
正規――46.5%
男女逆転している理由を、「女性が正規就業者として働き 続けるためには独身を通している必要があるという状況を 示しているように見える」 と解説している。
非正規男性の未婚率の高さにしても、非正規女性の逆転状況にしても、日本の社会的な道義性や心の豊かさから出ている現象だということなのだろうか。
「瑞穂の国」とは日本国の美称で、神話時代の呼称を現代に受け継ぐ言葉だとは知っていたが、改めて辞書で調べてみた。
【豊葦原瑞穂国】(とよあしはらのみずほのくに)
豊葦原千秋長千五百秋五百秋(ちあきのながいほあき)瑞穂国・豊葦原千五百秋 (ちいほあき)瑞穂国とも。
地上世界の神話的呼称の一つ。豊は美称。葦原は葦の広がり。千秋長千五百秋五百秋・千五百秋は長久の意の 称辞。瑞穂は稲穂の豊かに実る意。
天上世界から地上世界の豊饒を祝福したもの。古事記ではアマテラスがアメノオシホミミの統治すべき国と宣 言し、またニニギが降臨して統治を委任される際に用いられ、「日本書紀」神武即位前紀でも、ニニギがタカミ ムスヒ・オオヒルメから授かった地とする。記紀のほか、大祓詞(おおはらえのことば)や出雲国造神賀詞(い ずものくにのみやつこのかんよごと)などでも用いられる。(『日本史広辞典』 山川出版)
要するに天皇を神とするために大和の国(=にほん)を神から授かった稲穂豊かな国で、天皇はその子孫だと正統づけた国民統治装置の権威づけの架空物語(=神話)に過ぎない。
架空物語(=神話)であることは、実際に「瑞穂の国」を直接的に統治していたのは神に奉られていた天皇ではなく、天皇の権威を背景にした世俗権力者たちであった。物部、蘇我、藤原、平家、源氏、北条、足利、織田、豊臣、徳川、明治に入って薩長閥、昭和に入って軍部が天皇の権威を利用して国家権力を行使した。
安倍晋三は現実の歴代天皇が日本の国を実際に統治した歴史上の世俗権力者たちの統治正統化のロボットとされていたに過ぎないにも関わらず、天皇を神の子孫、現人神とする架空物語(=神話)を現代の日本に蘇らせて、現在の日本を「瑞穂の国」だと称している。「瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義がある」などと言っている。
このような認識にも安倍晋三の国家主義が現れている。歴史を問題とするとき、天皇の権威を利用して実際に日本の国を統治してきた歴史上の世俗権力者たちの存在には目も向けず、何よりも日本国の頂点に位置していた存在として天皇のみ問題とし、統治される側の国民の存在、その8割方を占めてきた農民の存在の多くが年貢で搾取され、困窮を宿命として余儀なくされた歴史的事実を無視している点が、まさに北朝鮮同様に国家の在り様を優先させ、国民の在り様を問題外とする国家主義そのものを示している。
そして安倍晋三にこの国家主義を許している精神性は合理的・客観的判断能力の欠如が可能としている合理的・客観的判断能力の欠如にあるはずだ。
欠如していなければ、国家を権力層の在り様から国民の在り様まで、上から下まで満遍なく平等に見る目を備えているだろう。
合理的・客観的判断能力の欠如を精神としているゆえに今の時代に国家主義を自らの思想とすることが可能となり、単なる美称に過ぎない「瑞穂の国」を現代日本の国に引きずり出して、美称で持って日本の現在を語ることができる。
まさに時代錯誤の復古趣味、あるいは時代錯誤の懐古趣味とないまぜになった、合理的・客観的判断能力の欠如を土壌とした国家主義がその正体であるはずだ。
頭が悪くなければ、このような国家主義に冒されることはない。