安倍晋三の建国の日メッセージが言う「より美しい、誇りある国」とは天皇を中心とした戦前日本国家

2014-02-12 09:28:31 | Weblog



 安倍晋三が2月11日(2014年)の「建国記念日」に当たってメッセージを送っている。このメッセージの全文は首相官邸HPに載っているが、全文を紹介しているマスコミもある。

 冒頭、次のように言っている。

 安倍晋三「『建国記念の日』は、『建国をしのび、国を愛する心を養う』という趣旨により、法律によって設けられた国民の祝日です。

 この祝日は、国民一人一人が、我が国の今日の繁栄の礎を営々と築き上げた古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を誓う、誠に意義深い日であると考え、私から国民の皆様に向けてメッセージをお届けすることといたしました」

 もし客観的・合理的な歴史認識の目を備えていたなら、単純・素直には建国を歴史的な記念事業として誇らかに思うこともできないだろうし、建国から戦前の昭和までの時代に想いを馳せるとき、一般的な意味での国を愛する心―― 愛国心を振り向けることは難しい意思作用を強いることになるだろう。

 なぜなら、建国から江戸時代末まで一貫して国家権力が特に国民の約8割を占める農民に対する搾取によって国の姿を成り立たせていた封建時代だったからだ。

 そして明治以降の日本は天皇を前面に立て、天皇を頂点とした天皇絶対主義の国家主義が国の形を作っていた。特に戦前昭和時代は天皇絶対主義の虎の威を借りた軍国主義・国家主義が横行し、国民は国家権力に言いなりに支配され、国家権力が命じるままに無謀な戦争を遂行していった。

 米の配給は昭和16年(1941年)の4月から始まっている。太平洋戦争を開始する1941年(昭和16年)12月 8日を遡る約4カ月前からである。1937年(昭和12年)7月からの日中戦争から3年9カ月で既に日本国家は国民の食料を十分に賄うことができない程に国力を衰退させていた。にも関わらず、自らの国力を省みずに国民総生産は約1千億ドルと10倍以上、総合的国力は約20倍の格差があったと言われていた米国に戦争を挑み、軍人・軍属230万人、民間人80万人の戦死者を出し、その6割は餓死者だったということは、海外に展開した日本軍の食糧がいくら現地調達を原則としていたとしても、国内に於ける米の配給を考えると、何か象徴的である。

 国内に食糧が十分に備蓄されていたなら、万難を排してでも食糧を輸送して、餓死を防ぐ手立てをしただろうからである。

 外国人戦死者・戦没者を合わせると2000、3000万人以上と言われている。単純・素直には「建国をしのび、国を愛する心を養う」気持になれない理由がここにある。

 単純・素直には「建国をしのび、国を愛する心を養う」気持になったなら、客観的・合理的な歴史認識の目を曇らせることになって、安倍晋三と同様の単細胞な人間と化す。

 日本敗戦の日8月15日を新生民主国家日本の建国の日にせよとの主張があることも理由がないことではない。
 
 建国から封建時代を通じて、明治以降も搾取の状況は続いたが、国家権力によって一貫して農民が搾取されて時代であったことを歴史的事実として踏まえるなら、「古来、『瑞穂の国』と呼ばれてきたように、私達日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣を祈り、美しい田園と麗しい社会を築いてきた豊かな伝統があります」は国民の歴史的在り様に視点を置いた認識ではなく、単に自分が思い描く田園風景を表面的になぞった認識でしかないことが分かる。

 国民の歴史的在り様の中には歴史の現時点に於ける疲弊した農村の在り様――高齢化、後継者不足、耕作地放棄、人口過疎化等々をも当然のこと含んでいる。

 安倍晋三の認識の中では含んでいなからこそ、表面的になぞっただけの田園風景を描くことができる。

 安倍晋三「長い歴史の中で、幾たびか災害や戦争などの試練も経験しましたが、国民一 人一人のたゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、普遍的自由と、民主主義 と、人権を重んじる国柄を育ててきました」

 もし安倍晋三がこのように言うなら、「普遍的自由と、 民主主義と、人権を重んじる」 ことのなかった敗戦以前の各時代の日本の「国柄」を否定すべき歴史として常に認識していなければならないはずだが、建国以来の日本の「国柄」を肯定的 に把えているところを見ると、 安倍晋三が言っている「普遍的自由と、民主主義と、人権」は時代が言わせているに過ぎないツケ焼刃の疑いが濃い。

 最後の言葉。

 安 倍晋三「『建国記念の日』を迎えるに当たり、私は、改め て、私達の愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています。

 国民の皆様におかれても、『建国記念の日』が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、自信と誇りを持てる未来に向けて日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします」

 最初に断っておくが、「普遍的自由と、民主主義と、人権」は「先人の努力」 によって獲得した価値観ではなく、戦勝国米国その他によって与えられた価値観であることを否応もなしに認めざるを得な い。

 「日本を、より美しい、誇りある国 にしていく」とは、どのような国の姿を頭に置いているのだろうか。安倍晋三が自著『美しい国へ』で、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と書き、2012年9月2日日テレ放送の「た かじんのそこまで言って委員 会」で、「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、 真ん中の糸は皇室だと思うんですね」と言っていることからすると、安倍晋三の普段言っている「国柄」が「日本古来からの伝統・ 文化が今に続いて発展の礎となっている国の形」を言っているはずだから、天皇を国家の中心に置き、その存在が影響を及ぼして国民が織り成すことになる「日本の伝統と文化」によって構成された日本国家が安倍晋三の目指す「より美しい、誇りある国」と言うことになる。

 当然、そのような国家は戦前の天皇制日本国家をモデルとしていることになる。戦前復古主義である。あるいは戦前回帰主義ということもできる。

 さすがに天皇主義者である。昨年4月28日(2013年)の天皇・皇后出席のもと開催された政府主催の「主権回復の日」式典で天皇・皇后の退席時、誰かが壇上の天皇に向かって「天皇陛下バンザイ」と唱えると、壇上の安倍晋三その他も加わって、「バンザイ、バンザイ」と両手を上げて続けた事実は、「より美しい、誇りある国」に詰め込んでいる歴史認識・思想が安倍晋三が血とし肉としている天皇崇拝の皇国史観に基いている証明ともなる。

 天皇を国家の中心に置き、国民をその周辺に配して天皇の影響下に置こうとする国家観は国家権力を上に置き、国民を国家権力に従属させようとする権力力学を血としている国家主義に重なる。

 安倍晋三が危険な方向に進んでいると、国内ばかりか、国外からも危惧する指摘がなされている理由がここにある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする