安倍晋三の北方四島「私の総理の時代に何とか解決」と言うなら、返還方式の線引きを明らかにせよ

2014-02-14 08:23:52 | Weblog

 


      《生活の党PR》

      《2月10日小沢一郎生活の党代表定例記者会見質疑要旨》
   
      ○『脱原発は政界のグルーピングの大きなテーマとなり得る』

        【 質疑要旨 】
        ・東京都知事選挙について
        ・小泉氏との連携について
        ・日中関係について
        ・脱原発をテーマにしたグルーピングについて

 国家主義者安倍晋三が2月13日午前の衆院予算委員会で北方四島返還問題に関して北朝鮮の拉致問題で聞いたようなことを発言している。

 安倍晋三「(日ロ首脳会談は)大変和気あいあいとした、和やかな雰囲気のなかで会談を行うことができた。戦争が終わって から68年間に亘って平和条約がない異常な状態を終わらせなければいけないという認識は、共有できたと思う。

 首脳同士が最終的に判断していく必要があるという認識を共有していくことが大切で、そのためにも信頼関係を構築しなければならない。テンポよく交渉を行っていくことが大切で、私の総理の時代に何とかこの問題を解決していかなければならないと決意している」(NHK NEWS WEB)――

 「私の総理の時代に何とかこの問題を解決していかなければならないと決意している」

 第2次安倍内閣の発足2013年12月26日の2日後の2012年12月28日、拉致被害者家族会メンバーが首相官邸を訪れて、安倍首相や古屋拉致担当相、菅官房長官等と面会、拉致の早期解決を要請した。その時の安倍晋三の発言。

 安倍晋三「5年前に突然辞したとき、被害者家族の皆さんに大変残念な思いをさせた。私にとってもつらいことだった。私がもう一度総理になれたのは、何とか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ。

 5人帰還の時、帰ってこられなかった被害者の家族の皆さんは涙を流していた。それを見て全員取り戻すことが私の使命と決意した。しかし、10年経ってもそれは達成されておらず申し訳ない。再び総理を拝命し、必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい。

 この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」(救う会全国協議会ニュース)――

 「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む」

 2002年10月の拉致被害者5人の帰国から10年以上の準備期間があったはずだ。しかも第1次安倍内閣で2006年9月26日発足から辞任の2007年9月26日までの1年間、本格的に取り組むことができた。

 だが、第2次安倍内閣発足から1年経過しているのに何ら進展はない。

 以前は、「拉致事件を起こしたのは父親の金正日であって、金正恩は関わっていない。自身の政権と北朝鮮国家の崩壊を防ぐためには5人以外の拉致生存者を認めて、日本の要求に答を出す決断をしなければならない。そう仕向けるには圧力しかない」といった趣旨のことを何度か言っていたが、最近は言わなくなった。

 2月12日の日拉致問題対策本部(コア会合)(2014年)では次のように発言している。

 安倍晋三「すべての拉致被害者のご家族がご自身の手で肉親を抱きしめる日が来るまで私の使命は終わらない。北朝鮮に少しでも変化があり、拉致問題の解決につながるのであれば、そのチャンスを決して逃してはならない」(NHK NEWS WEB)――

 「すべての拉致被害者のご家族がご自身の手で肉親を抱きしめる日が来るまで私の使命は終わらない」は拉致解決に向けた進展が何もない以上、常套句の繰返しに過ぎないことになって、単にミエを切っただけの言葉と堕す。

 問題はその次の発言である。

 「北朝鮮に少しでも変化があり、拉致問題の解決につながるのであれば、そのチャンスを決して逃してはならない」とは、拉致問題の解決につながるような変化を待っている状況にあることを意味する。

 と言うことは、北朝鮮側の変化次第にかかっていて、日本側は解決に向けたどのようなカードも手にしていないことを示す。10年以上の準備期間と第1次と第2次合わせて本格的に取り組む2年間を持ち合わせていながらである。

 「ご自身の手で肉親を抱きしめる日が来るまで」云々は尤もらしく聞こえはするが、自らはどのような解決策も構築できていないことの反動としての常套句化したミエの提示に過ぎないということは体裁のいいスローガンとなっているということでもあるはずだ。

 体裁のいいスローガンは実質的には言葉の軽さを正体としている。安倍晋三が唱えている「地球儀を俯瞰する戦略的外交」も、外交上の障害が何もない外国に限って有効であることからすると、中身は言葉の軽いスローガンとすることができる。
 
 北方四島返還は「私の総理の時代に何とかこの問題を解決していかなければならないと決意している」とミエを切っているが、安倍晋三は「日本政府としては、ロシアとの関係をあらゆる分野で進め、日露関係全体の発展を図りながら、四島の帰属問題を解決し、平和条約を締結する、 この基本方針のもとで、粘り強く交渉に取り組んでいく考えです」と言っているのみで、安倍晋三自身は返還の線引をどこに置いているか明らかにしているわけではない。

 四島返還なのか、二島返還なのか、四島面積を等分した面積二等分返還なのか、線引きによって解決の困難さも責任履行の程度も違ってくる。

 相手があることだからと交渉次第で線引を変えることはあっても、自身の最初の線引が明らかでなければ、「私の総理の時代」の解決の、責任の程度を含めた質自体がはっきりとしないことになる。

 第1次安倍内閣時代の2006年12月13日の外務委員会で外務大臣の麻生太郎が安倍内閣発足直後の記者会見で、「二島ではこっちがだめ、四島では向こうがだめ、間をとって三島返還というのは一つのアイデアとして考えられる」と発言したことを取り上げて、民主党の前原誠司が、島の面積を考えて二島だ、三島だと言っているのか問い質した。

 麻生太郎「択捉島の25%を残り三島にくっつけますと、ちょうど50、50ぐらいの比率になります。大体、アバウトそれぐらいの比率だと存じます」

 これは面積二等分返還の場合の線引きを解説した発言であって、この場では麻生自身の返還の線引きは明らかにしていない。

 麻生太郎「色々な意味でこれは交渉事ですから、今色々交渉していくに当たって、現実問題を踏まえた上で双方どうするかというところは、十分に腹に含んだ上で交渉に当たらねばならぬと思っております」――

 だが、記者会見で「間をとって三島返還というのは一つのアイデアとして考えられる」と発言したということは第1次安倍内閣の外務大臣なのだから、安倍晋三の意思と共通していると見なければ、内閣不一致となる。

 三島返還とは歯舞群島、色丹島、国後島の3島のことで、2分の1近い面積となるが、国後島の2倍以上の面積のある択捉島は含んでいない。

 森喜朗元首相が昨年の2月20日に安倍晋三の特使として訪露してプーチンと会談する前の1月9日テレビ出演で、個人的意見と断りながら、国後島と択捉島の間に国境線を引き、歯舞群島、色丹島、国後島の三島を日本領とし、択捉島をロシア領とする三島返還を唱えている。

 これはプーチンの「引き分け」発言に倣った「引き分け」案だそうだ。

 但し政府はこの森三島返還論に対して、「北方四島帰属の問題を解決して平和条約を締結するという政府の立場は不変である」とする従来からの公式見解を発表している。

 だが、マスコミはこのテレビ発言を伝える時点で、森喜朗が来月の2月に安倍晋三特使として訪露する予定を伝えていたのだから、個人的発言というのはあり得ない。第1次安倍内閣の外相に任命された麻生太郎が内閣発足直後の記者会見で、「三島返還論」に言及していることと併せて考えると、安倍晋三の胸中にあるのは「三島返還論」なのかもしれない。

 政府が森発言を否定したのは、サイコロを振ったとしても、その目がどう出るか皆目検討がつかないからだろう。ロシア側は日ソ共同宣言に基づiいた歯舞・色丹2島返還の立場に立っている。

 いわば安倍政権の線引き自体がロシア側に受け入れられるかどうかも分からない状況にある。

 となると、線引きを明らかにしないことが線引き以下の領土返還で解決を迎えた場合の責任回避策となる。

 だとしても、「私の総理の時代に何とか解決していかなければならないと決意している」とミエを切る以上、領土返還の線引きを明らかにすることで、安倍晋三は自身の責任の線引きも行っておくべきだろう。

 ミエを切るだけで、責任の範囲を明らかにしないのは卑怯である。

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