ソチオリンピックが終わった。テレビが日本人選手のメダル獲得のシーンを繰返し流しているのを見せつけられると、日本チームがさも特別に活躍したような錯覚に陥るのではないだろうか。
洗脳の基本的な構造がここにある。
日本チームは今回のソチオリンピックのメダル獲得数の目標を1998年長野五輪の金5個、合計で長野合計メダル10個以上に置いていたという。結果は長野の金5個・銀1個・銅4個の合計10個に対して金1個・銀4個・銅3個の合計8個で終わった。
日本選手団の橋本聖子団長(日本スケート連盟会長)は閉会式を前にした2月23日に記者会見して、結果を総括している。
橋下聖子「目標だった金メダル5個には到達出来なかったが、選手一人一人が金に向かっ た結果、全体として8個(金1銀4銅3)に伸ばせた。
ここ2大会メダルを取れていなかった雪の競技が素晴らしい成績を収めてくれたことは、4年後の平昌五輪に挑むうえで最大の力になり得る」(asahi.com)――
記事解説。〈自国開催だった1998年長野五輪(金5銀1銅4)に次ぐ成績を残せたことを評価した。入賞(8位以内)28も、国外開催の冬季五輪史上最多だった。〉
どうもよく理解できない。獲得目標は1998年長野五輪の金5個、合計でメダル10個以上だったはずだある。にも関わらず、「全体として8個(金1銀4銅3)に伸ばせた」と言っている。
記事解説も、獲得目標に到達しないにも関わらず、〈入賞(8位以内)28も、国外開催の冬季五輪史上最多だった。〉と高く評価している。
長野の場合は金5個である。だが、ソチは金が1個しか取れていない。長野の銀1個に対してソチ銀4個で3個増えているが、長野の金5個のうちソチで金1個だけ残り、4個が順位を下げてソチで銀4個となったいう見方もできる。
ちょっと無理があるかもしれないが、長野の銀1個と銅4個の合計5個のうちソチでは2個が順位を下げて入賞を逃し、長野銀1個が銅へと順位を下げる形でソチ銅3個となったという見方もできる。
この見方が間違っていないとすると、記事解説の〈入賞(8位以内)28も、国外開催の冬季五輪史上最多だった。〉という評価も本質から外れた過大評価となる。
いずれにしても、金メダルに関しては長野の金5個に目標設定しながら、ソチ金1個では明らかに技術の点だけをとっても、強化不足を露呈することになって、目標違反となるはずだ。政治で言うと、公約違反になる。
ゴマカシの総括は今後の選手強化に役立たない。選手強化に取り組むとき、メダル獲得数に拘り、獲得数のみに突出することになるからだ。
一般的に目標は常に高く置くべきだと言い慣わされている。この言い慣わしから言うと、目標を高く置いたことは間違っていないことになる。だが、高く置くについては、各競技に於ける各選手の外国選手と比較した実力を見抜く目を持ち合わせていなければならない。
但し、単に記録を比較しただけでは実力は計算できない。オリンピックという独特な雰囲気の中での一発勝負に自身の力を可能な限り出し切る精神のコントロール――精神の強さとか精神力ではない、私自身は全く以って偉そうなことは言えないが、あくまでも精神のコントロールに対しての忍耐強い対処能力(この能力の訓練はオリンピックが始まるずっと前から必要であろう。)を記録に加えて、その総合力を実力としなければならない。
当然、監督やコーチしても、各選手の記録向上に力を貸すだけではなく、冬季オリンピックに関しては日本人選手が金メダルを取り慣れていない精神面を加味した各選手の精神のコントロールに気を配ることのできる人材でなければならないことになる。
金メダルを取り慣れているかいないかは今後、金メダルを取るについて大きく影響するはずである。
選手の精神のコントロールの点から言うと、単純に以前に最も多く取ったメダルを目標とした場合、計算したとおりに最初から順調にメダルを獲得していくならいいが、逆の場合、途中で目標に届かないのではないかと計算する恐れが出てきて、却って選手の精神のコントロールに悪影響を及ぼすことになる。
精神面をも含めた実力を冷徹に計算して、計算したメダル数よりも低く目標を設定した方が、大方の予想や期待を裏切ることになって、却って選手の発奮を促すことになり、選手の精神のコントロールに好影響を及ぼす可能性も期待できる。
いわばメダル獲得の目標数も選手自身の自らに対する精神のコントロールを左右することになるということである。この点からも、ゴマカシの総括は排除しなければならない。
驚いたことに昨夜(2月23日)の夜7時のNHKニュースが、ソチで獲得した計8個のメダルは海外で行われた冬季オリンピックでは過去最多だと言っていたことである。朝になって、NHKのサイトにアクセス、記事を採取してみると、〈海外で行われた大会では、1992年のアルベールビル大会の7個を上回り、これまでで最も多くなりました。〉と解説してあった。
「時事ドットコム」記事も、〈目標としていた1998年長野五輪の10個 (金5、銀1、銅4)には及ばなかったが、国外大会では過去最高成績を収めた。〉と解説している。
確かにホームである長野となると、高揚感が違う。海外とは違って、ホームであることの安心感が緊張感を過度に高めることもなく、和らげる働きをしてくれるということもあるだろう。ホームであることの高揚感と緊張を和らげる安心感が戦うモチベーションをより高めてくれるに違いない。その結果の長野金5個、銀1個、銅4個の計10個のメダルということなのだろうか。
だとしても、ホームであろうとアウエイであろうと、技術的な実力は左程変わらないだろうから、アウエイに於ける精神のコントロールを不得意としていたということになる。昔の言葉で言うと、日本人選手の多くが内弁慶の傾向にあるということであろう。
精神のコントロールを巧みに操ることができなくて、折角の技術的な実力を殺してしまったのか、あるいは 精神のコントロールを巧みに操ることができないことに加えて、技術的な実力自体にしても、過大評価していた結果のソチのメダル獲得数ということなのか、いずれかということになる。
これらのことを前提とするなら、国内大会の長野を除いて、「国外大会では過去最高成績」だとメダル獲得数を正当化するなら、最初から長野を上回る目標を立てたこと自体が間違いであり、ゴマカシだったことになる。
常に常に国外大会のメダル獲得数を基準とすることがゴマカシのない正直な目標設定ということになる。
要するに目標設定も総括もゴマカシに満ちていた。
日本人が戦争を総括できなかった本質的理由を見る思いがした。
以上当ブログで書いてきたことと、明治天皇の玄孫だとか言う竹田恒彦がツイッターで、ソチでの日本人選手はメダルを取っても「メダルは噛むな」、「負けてヘラヘラするな」と言っていることと、どちらがまともなことを言っているか、評価してほしい。