安倍晋三は尖閣諸島を巡る日中関係の険悪化を集団的自衛権の憲法解釈によりる行使容認正当化の環境づくりに利用しているようにみえる。
先ず野田政権が尖閣国有化を行ったことに抗議して中国が公船を尖閣諸島近辺の接続水域に出没させたり、ときには領海を侵害して航行するようになったあと、安倍政権に変わると、安倍晋三は「力による現状変更の試み」だと批判、中国のそのような行動をさも軍事的な脅威が差し迫っているかのような、一種の中国脅威論の印象づけに成功した。
このことは安倍晋三自身による中国に対する直接的な外交の不在が証明している。中国の軍事的脅威――中国脅威論が差し迫った現実であるなら、あらゆる手段を尽くして中国首脳との直接的対話を試みるべきだが、「対話のドアは常にオープンにしている」と言うだけで、自身は中国に直接働きかけることはせずに優先させるべき中国外交を他処にして諸外国を訪問、首脳会談を繰返して、中国の脅威を訴えては、中国とは共有していない民主主義や基本的人権、法等の価値観外交の共有を求めて心理的な一種の中国包囲網を構築する外交に重点を置いている。
このような安倍外交術は自己を正義と位置づけて、その正義と対立させた中国の無法――中国の軍事的な脅威――中国脅威論を浮き立たせる構図づくりに役立ったはずだ。
結果、常々強調していた「力による現状変更の試み」――中国脅威論に真実味を与える効果をもたらしたことだろう。
中国を除いた各国訪問外交を「国際協調主義に基づく積極的平和主義」と名づけていたことも、中国外交をこの概念に対立する平和主義に悖(もと)概念だとするレッテル貼りを行ったに等しい。
中国が2013年11月23日に防空識別圏を設定して、一方的に様々なルールを定めて、違反した場合、「防御的な緊急措置」を取るとしたことも、安倍晋三の中国脅威論に力を与えたはずだ。
この安倍式中国脅威論の構築は2014年1月22日のスイス・ダボス会議基調演説後の質疑に於ける、何度か当ブログに取り上げた発言に象徴的に現れている。
安倍晋三「今の日中の緊張関係を第1次世界大戦に至る数年間の英独のライバル関係と比較すると、同じような状況だ。
今の中国と日本と同じように当時のイギリスとドイツの間にも、強力な貿易関係があった。だからこそ、この比較が成り立つのだ。最大の貿易相手国であっても戦略的な緊張が紛争勃発に至るのを、1914年の場合は防げなかった」(フィナンシャル・タイムズ /2014年1月22日)(一部解説体を会話体に直す)
第1次世界大戦、第2次世界大戦共にドイツは悪者の位置に置かれた。安倍晋三は現在の日中関係を第1次世界大戦前の英独関係に擬えることで、中国を悪者に位置づけたのである。
私自身、中国を善人だとは夢々思わないが、対中外交不在のまま、中国だけを悪者に位置づけ、国内でばかりではなく、各国を回って中国脅威論を振りかざして一方的に言い触らした場合の中国の安倍政権に対する反発は対中外交を心がけた場合に比較して危険な方向に振れない保証はない。
中国脅威論の現実化である。
内閣府の2012年11月21日発表の「外交に関する世論調査」による「中国に対する親近感」は、「親しみを感じない」とする者の割合が80.6%(「どちらかというと親しみを感じない」31.2%+「親しみを感じない」49.5%)となっていて、前回の2011年10月調査と比較して「親しみを感じる」(26.3%→18.0%)とする者の割合が低下し、「親しみを感じない」(71.4%→80.6%)とする者の割合が上昇している。
このことは中国公船の尖閣海域出没や防空識別圏設定だけに対する印象ではなく、安倍晋三の中国脅威論の印象づけも役立っている感触でもあるはずだ。
そして安倍晋三は北朝鮮の脅威を加えてのことだが、自身もせっせとつくり上げてきた中国の軍事的脅威――中国脅威論の印象づけのもと、印象づけによって植え付けることに成功した日本を取り巻く安全保障環境の険悪化を正当化理由に集団的自衛権の憲法解釈による行使容認に積極姿勢を示すことになった。
決して否定できない、安倍晋三の集団的自衛権の憲法解釈による行使容認の環境づくりのための中国の悪者印象づけであるはずだ。