翁長知事が跡を絶たない米軍関係者沖縄女性暴行事件を日米地位協定の特権的な状況からの占領意識と見る理由

2016-05-25 09:58:32 | 政治


 5月23日午前、翁長沖縄県知事が米軍属沖縄女性暴行・殺人事件を受けて抗議と要請のために安倍首相・官房長官の菅義偉と首相官邸で面会したが、そのときの発言を「琉球新報」から見ることにする。  

 記事は私自身が考えたこともない、気づいたこともない翁長知事の発言を紹介している。

 先ずは面会時の様子を記事から取り上げてみる。

 〈「日米地位協定の下では日本国の独立は神話であると思いませんか」。首相や官房長官との会談で翁長知事はこう強い言葉で語り掛けた。この日、知事は記者団にも終始冷静な受け答えだったが、日米地位協定の改定やオバマ米大統領との会談への働き掛けなど、再発防止に向けた具体的な「結果」を出すよう政府に要求。感情は抑えつつも、表情には再び起こってしまった米軍関係者による事件に対し、それを防ぐ手だてを示さない日本政府への憤りがにじんでいた。〉

 日米安全保障条約に基づいて在日米軍の権限などを定めている「日米地位協定」は不平等条約であって、日本は真の独立国家とは言えない、独立国家と言うのは神話に過ぎないのではないのかと抗議し、地位協定の日米対等となる改定を求めたということなのだろう。

 「日米地位協定」の特に問題となっている米軍人・軍属の対日本人犯罪行為発生時の警察権についてどう定めているか、「コトバンク」から見てみる。

 〈日米地位協定 日米安全保障条約に基づいて、在日米軍の権限などを定める。 米軍基地内での管理権(第3条)や基地の外での警察権(第17条)を認め、米兵らの犯罪について日米両国の裁判権が競合する場合の第1次裁判権は公務執行中の場合は米軍が、その他は日本側が持つこと(同)――などを規定。〉

 今回の事件は公務外の事件のために日本側の警察権が認められて逮捕に至った。

 記事は翁長知事の抗議と要請に対して政府側がどう対応したのかは取り上げていないが、他の記事によると、安倍晋三も官房長官の菅義偉も、米側も改定ではなく、運用面の改善で既に足並みを揃えている。

 いわばアメリカは「日米地位協定」の基本的な優位性を維持することになる。日本側から言うと、「日米地位協定」の基本的な優位性をアメリカに維持させることになる。

 例えば在ドイツ米軍基地では公共秩序や安全が危険にさらされた時にはドイツの警察が基地内で警察権を行使できる(しんぶん赤旗/2016年3月19日(土))、(59rg7aのブログ/2014-09-25 19:34:32)としているが、日本の米軍施設・区域内では米軍が警察権を行使し、施設・区域外では米軍は日本との取り決めに従い警察権を行使するとの規定(59rg7aのブログ/2014-09-25 19:34:32)を日本側がドイツ並みに米軍施設・区域内で警察権を行使でき、施設・区域外では日本側の警察権に全面的に委ねると改定して、その優位性を崩さない限り、いくら運用面の改善が行われたとしても、優位性自体を残すことになって、基本のところで変わらないことになる。      



 翁長沖縄県知事は安倍晋三・菅義偉への抗議と要請後に開催された沖縄振興審議会に出席、委員から「性犯罪に於いては女性が絶対的な弱者。官民一体の取り組みが必要ではないか」との提言が行われたそうだが、ただでさえありきたりの提言に過ぎないが、審議会の終了後に口にした翁長知事の発言と比べると、そのありきたりが陳腐なな色合いさえ帯びることになる。

 翁長知事「日米地位協定の特権的な状況があり、そこで働いている軍人・軍属が大変、ある意味で占領意識を持ちながら県民を見ているところも大きい」

 「日米地位協定」が不平等条約であり、米側に特権的な協定となっているのは、少なくともアメリカの地位を上に置いて日本の地位を下に置いた(あるいは低く見た)日米差別的な協定となっているということであって、その根拠は日本の安全保障(=日本の防衛)に関してその軍事力からして米側の役割(=負担)が特に大きいと見ていることや、「日米安全保障条約」第5条によって、アメリカは日本を防衛する義務を負っているが、日本側はアメリカに対してその義務を負っていないとする片務性等の反映であろう。

 いわば日本は自らの地位を自分の方からアメリカの下に置いている。

 だが、アメリカの日本防衛はアメリカ本土防衛の前段階に位置づけているはずだ。特に1950年6月25日の朝鮮戦争勃発以降、冷戦時代を受けた旧ソ連や中国の軍事的脅威(共産主義の脅威)に対抗する必要性からマッカーサーが憲法9条に反して朝鮮戦争勃発の翌月の1950年7月に日本政府に対して7万5000人の警察予備隊の結成を指令したのも、日本をアメリカ本土防衛の防波堤の第一歩とする目的からであろう。

 警察予備隊は保安隊等を経て、1954年(昭和29年)7月1日の自衛隊発足へと向かった。

 有事に際して安保条約第5条に反してアメリカが日本の防衛に困難になった場合、アメリカは日本の防衛に主力を注ぐことを放棄、防衛戦を太平洋上に下げてアメリカ本土防衛を最優先させた軍事行動に専念するはずた。

 もしロシア軍が、あるいは中国軍が、あるいは北朝鮮軍が日本に上陸、アメリカ本土攻撃の拠点とした場合、アメリカは上陸軍を壊滅させるまで日本本土に軍民区別なしにミサイルを数限りなく撃ち込むだろうし、爆撃機を日本本土上空に数限りなく飛ばして、軍民区別なしにそれぞれの頭上に数限りない爆弾を落とすだろう。

 そうしなければアメリカ本土防衛が覚束なくなるからだし、アメリカ本土防衛に集約した軍事行動とするためには勢い、そのような遠慮のない攻撃とせざるを得ないからだ。

 このように日米安全保障条約がアメリカにとっては究極的にはアメリカ本土防衛に最終利益を置いた差し当たっての利益に過ぎない日本防衛なのだから、ある意味日米対等であっていいはずだが、米軍の負担・義務を特別視してそこに片務性を見てアメリカの地位を上に置く恩義的な意味づけを罷り通らせている。

 このことが「日米地位協定」をアメリカに対して特権的にさせている理由であり、元となっている日米安全保障条約の信じられている片務性が在日米軍の軍人・軍属に日本を守ってやっているのは俺達だという特権意識を植え付けて日本に対して支配者意識(翁長知事が言うある意味での占領意識)を芽生えさせていたとしても、無理はない極く自然な感情とも言える。

 このような支配者意識(あるいは占領意識)は往々にして被支配者としての沖縄県民を軽んずることになる。この軽視が女性を暴力的な性的対象とすることを許す素地となっているとする翁長知事の主張は決して間違っても、見当外れでもないはずだ。

 当然、日米安全保障条約に対して日本側が恩義的な意味を付与することで自分たちから信じている片務性を打ち破ると同時に「日米地位協定」を日米の地位を対等とする内容に改定、その対等性を在日米軍の軍人・軍属に徹底的に知らしめることが性犯罪防止の一つの方法とすることも可能となる。

 だが、安倍晋三も菅義偉も米側も改定には消極的で、米側の地位の基本的な優位性を守ろうとしている。「日米地位協定の下では日本国の独立は神話であると思いませんか」と言った翁長知事の指摘をそのまま放置する。

 在日米軍の軍人・軍属がこの優位性を体現し、自らを日本人に対して心理的にも態度の上からも優位的な位置に置いた場合、日本人の人間としての存在性を下に見ることを意味することになって、特に女性に対して人格を有した一個の存在と見ずにあしらう対象とすることも起こり得る。

 このような心理・態度が女性に対する暴力的・突発的な性衝動として表現されない保証はどこにもない。

 「日米地位協定」改定に消極的であることからしても、所詮、安倍晋三の米軍属の性犯罪を受けた「非常に強い憤りを覚える」は口先だけの憤りに過ぎないことが分かる。

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