安倍晋三が口にした、沖縄米軍関係者20歳女性殺害「さぞ無念だったと思う」の底の浅い感性

2016-05-21 11:39:53 | Weblog


 殺害犯として逮捕された沖縄米軍属32歳黒人男性の供述で5月19日、沖縄県うるま市の20歳の会社員女性の殺害遺体が発見された。

 女性は先月4月28日午後8時頃、同居男性のスマートフォンに「ウォーキングしてくる」というメッセージを送信後、男性が夜勤だったのか、翌29日午前2時頃、男性側からの「今から帰る」というメッセージに一度は「既読」のマークがついたものの、その後何の返信もなく、朝になっても帰ってこなかったために男性は心配になって、警察に捜索願いを出したという。

 警察は5月12日に公開捜査に切り替えた。

 警察が公開捜査に踏み切った際の情報提供要請のポスターには髪型や背格好、行方不明時の服装が公開されるが、ネットで調べてみると、服装は、黒の短パン。薄手の黒の無地のパーカー、ピンクのジョギングシューズ(IGNIO製)となっている。

 午後8時頃からのウオーキングだから、そんなに寂しいところや暗がりは歩かないはずだが、沖縄では米軍関係者の性犯罪事件が度々起きている。だからと言って、全ての性犯罪が米軍関係者であるとは限らないが、服装が一人歩きの短パンであることから、警察は勿論、警察ではなくても、米軍関係者に限らない性犯罪の線を否応もなしに選択肢に入れざるを得ないはずだ。

 遺体発見の翌日の5月20日、殺害犯は「ワイセツ目的で女性を狙い、暴行し、刃物で刺した」と供述したとマスコミは伝えている。

 乗用車を運転していたというから、力尽くで車に乗せ、車の中でか外でか、力尽くで暴行し、刃物で刺して殺して、車で死体を恩納村の雑木林まで運んで遺棄した。

 結果的に米軍関係者による残忍な性犯罪が繰返されたことになる。

 5月15日は沖縄本土復帰から44年目に当たる。本土復帰を果たしていながら、米軍の影が常に色濃く覆いかぶさった現実を強いられている。

 5月20日、殺害犯が軍属として務めていた嘉手納基地前で約2000人が集まって抗議集会が開かれ、東京都内でも首相官邸前、その他で開かれたという。

 5月20日午前、安倍晋三が米軍関係者の日本人女性に対する殺害にまで至った性犯罪であったことを受けて首相官邸で記者団に発言している。

 安倍晋三「非常に強い憤りを覚える。徹底的な再発防止など厳正な対応を米国側に求めたい。さぞ無念だったと思う。ご家族のことを思うと言葉もない」(産経ニュース/2016.5.20 09:09)  

 「さぞ無念だったと思う」とは女性の気持を代弁した発言であろう。「無念」は「悔しくてたまらない」との意味を持つから、「さぞ悔しくてたまらなかったに違いない」と女性の気持を思い遣ったことになる。

 果たして女性はあり得べからざる不条理な突然の事態に襲われて、「無念」(=悔しくてたまらない)などと思ったのだろうか。

 そのような生易しい感情ではなかったはずだ。

 突然男が掴みかかってきた。最初は驚きと恐怖の感情に襲われたものの、力づくで自由を奪われて無力な状態とされて事態が推移していく内に理由もなく自分をこのような目に合わせようとしている相手の男に対する激しい怒りの感情が込み上げてこなかっただろうか。

 いや、怒りの感情は為すがままにこのような目に遭わされなければならない自身の非力にも向けられたかもしれない。

 人間は誰しもある種の生命(いのち)の予定調和を抱えて日々生きている。今在る生命(いのち)を明日も生き、明後日も生き、1年後も生き、5年後も10年後も、さらに老いていくという生命(いのち)の流れを予定された一つの調和として無意識に誰もが信じ、植えつけている。

 そのような誰もが抱えている生命(いのち)の予定調和を見知らぬ男が突然目の前に現れて、今や暴力的に破壊し、明日という日、明後日という日、1年、2年、3年先の日々を奪い去っていこうとしている。

 例え恐怖に襲われていたとしても、生命(いのち)の予定調和の破壊者に対する感情はこんなことはあってはならないと激しく拒絶する怒りこそが最もふさわしい感情であるはずだ。決して「無念」(=悔しくてたまらない)などといった中途半端な感情ではなかったはずだ。

 「さぞ無念だったと思う」は理不尽にも20歳の若さで殺され、生命(いのち)の予定調和としてあったはずの前途を奪われた女性に対する理解としては余りにも他人事過ぎる底の浅い感性としか言いようが無い。

 安倍晋三がその程度の感性しかないと言ってしまえば、それまでだが。

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