オバマ広島訪問 日本政府に謝罪求ずを言う資格なし 謝罪すべきは日本政府であり、戒めとすべきは別にある

2016-05-12 09:23:52 | 政治


 オバマ米国大統領の5月下旬の伊勢志摩サミット出席後、5月27日に現職のアメリカ大統領として初めて被爆地・広島を訪問することを決め、日本政府に伝達したという。

 広島市が以前からオバマ大統領の広島訪問を求め、やっと念願が叶ったことになる。

 オバマ広島訪問に当たってアメリカの原爆投下を謝罪すべきかどうか議論が起きた。日本では原爆投下を戦争犯罪と把えていて、「謝罪すべきだ」という声がより多いからであり、アメリはでは断るまでもなく、原爆投下が戦争終結を早め、日米両国の犠牲者を無駄に増やすことを防いだと考える国民が多いために、結果として「謝罪すべきではない」、「謝罪してはならない」という声がより多いからだろう。

 オバマの広島訪問が決まったことについての安倍晋三の対記者団発言を5月10日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。 

 安倍晋三「伊勢志摩サミット終了後、オバマ大統領と共に被爆地、広島を訪問することを決定した。オバマ大統領の広島訪問を心から歓迎する。70年前の原爆投下によって、たくさんの人々が無残にも犠牲となった。今回の訪問を、すべての犠牲者を日米で共に追悼する機会としたいと思う。

 日本は唯一の戦争被爆国として、2度とあの悲惨な体験を世界のどんな場所であっても、再び繰り返させてはならない、この思いで核兵器の廃絶を一貫して訴えてきた。今回、オバマ大統領が広島を訪問し、被爆の実相に触れ、その思いを世界に発信することは、核兵器のない世界に向けて大きな力になると信じている。そして、その世界を実現するために、オバマ大統領と共に全力を尽くしていきたい」

 記者「原爆の投下について、アメリカ側の謝罪は必要か」

 安倍晋三「オバマ大統領が、実際に被爆地に足を運ぶ。それは、アメリカ大統領にとっては大きな決意だったと思う。そして、唯一の戦争被爆国の首相である私と共に、世界で唯一、核兵器を使用した国の指導者が、共に犠牲者に対して哀悼の誠を捧げる。このことが、まさに被爆の犠牲となった方々、そして、今も苦しむ人々の思いに応えるものだと、私は信じている」
 
 安倍晋三は日本を「70年前の原爆投下によって、たくさんの人々が無残にも犠牲となった」「唯一の戦争被爆国」だと、純粋被害者の立場に置き、アメリカを「世界で唯一、核兵器を使用した国」だと、純粋加害者の立場に立たせている。

 当然、純粋被害者の立場からの純粋加害者の立場に対する謝罪という意思作用を要求する資格を持つことになる。だが、安倍晋三はオバマ大統領の立場を考えて、謝罪に代えて「共に犠牲者に対して哀悼の誠を捧げる」ことを以てアメリカの差し障りを取り除くことにしたということなのだろう。

 この謝罪に関してだが、今年4月11日にケリー米国務長官は現職の米閣僚として初めて平和記念公園を訪問したが、外相の岸田文雄が4月23日の北海道講演で、平和記念公園の訪問に関して日本は米国に原爆投下の謝罪を求めない考えであると米国側に伝えていたことを明らかにしたとマスコミが伝えている。

 つまり岸田文雄にしても日本を純粋被害者の立場に置き、アメリカを純粋加害者の立場と見做す観点から謝罪を要求する資格があるとしながらも、その資格を放棄、謝罪の不必要性に言及したことになる。

 果たして米国の広島・長崎への原爆投下に関して日本は純粋被害者であって、アメリカを純粋加害者であるとする二元論で片付けることができるのだろうか。

 私は常々、できないと見ている。いわば日本にも投下を招いた責任があるはずだ。

 連合国は昭和20年7月26日、ポツダム宣言を発表、日本に無条件降伏を求めた。

 以下「Wikipedia」から。

 7月28日、当時の首相鈴木貫太郎が記者会見で「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず『黙殺』し、断固戦争完遂に邁進する」と述べた。

 いわば戦争遂行を宣言した。当時日本政府と日本軍は本土決戦の方針を掲げていた。沖縄戦は本土決戦の準備のために米軍本土上陸を引き延ばす目的を持たせた時間稼ぎの戦闘とされていた。

 沖縄戦(1945年4月1日~6月23日)の前の約2カ月前に日本兵が全員玉砕した硫黄島の戦い(1945年2月16日~3月17日)がある。

 ポツダム宣言黙殺の7月28日から9日後の8月6日、広島に原爆投下 死者14万人。

 その2日後の昭和20年8月9日午前零時、ソ連が参戦し、満州に侵入。死者30万人以上、シベリア抑留者 57万人以上。

 同昭和20年8月9日、長崎に原爆投下。死者7万人。

 勿論、この間には様々な経緯が存在した。米政府側に天皇制を保障する勢力と認めない勢力の駆引き等があったが、結局のところ、〈1945年6月のギャラップ調査によると33%が昭和天皇の処刑を求め、17%が裁判を、11%が生涯における拘禁、9%が国外追放するべきであると回答するなど、天皇に対するアメリカ世論は極めて厳しかった。〉(Wikipedia)ために天皇制に言及しない決定が下されたといった経緯、その他があった。

 要するに当時の米国民は日本との戦争での米兵戦死に関して日本を純粋加害者の立場に置き、アメリカを純粋被害者の立場に立たせる考えに囚われていた。

 一方の日本政府と日本軍は無条件降伏が国体の護持(=天皇制の護持)の放棄に繋がることだけを恐れた。主としてアメリカという民主国家を相手に戦って、ポツダム宣言第10条によって、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ 言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」と天皇独裁体制から民主国家体制への変換を要求されていながら、民主主義に留意することなく、国体の護持(=天皇制の護持)以外の国家体制の思想を持ち合わせなかった。

 だから、戦後幣原内閣の憲法改正法案(松本試案)第3条は天皇の地位を「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」と帝国憲法と何ら変わらない絶対性を与えることになったのだろう。

 またアメリカは戦争を終結させる手立てとしたポツダム宣言が受け入れられずに戦争終結の手立てとならず、本土決戦となった場合のアメリカ側の人的被害の大きさを硫黄島の戦いや沖縄戦から学習していたはずだ。サイパンの戦い(1944年6月15日~7月9日)やその他南洋諸島での戦いは日本の委任統治領であったとは言え、地理的にも地の利の遠い、いわばアウエイの戦いであるが、硫黄島と沖縄は日本側に地の利のあった日本の領土内のホームウェイの戦いであって、本土決戦となれば、地の利を最も有利に活かすことのできるホームウエイ中のホームウエイの戦いとなってアメリカ軍は最大限の不利を強いられ、硫黄島の戦いや沖縄戦以上に攻略に難儀することを学習していなかったはずはない。

 このことを日本側から言うと、原爆が投下されるまでポツダム宣言を戦争を終結させる手立てとしなかった。

 もはや戦争を継続するだけの軍事的能力も経済的資源も失いながら、国体護持(=天皇制護持)に拘り、軍のメンツを掛けて本土を戦場と想定した徹底抗戦の降ろすに降ろせない拳を振り上げた。

 投下の良し悪しは別にして、振り上げた拳の無力さを知らしめたのは広島と長崎への原爆投下の事実であったはずであるし、当初からポツダム宣言を戦争を終結させる手立てとしていたなら、招くことはなかった原爆投下でもあったはずだ。

 いわば当時の日本政府と軍部の愚かしさが招いた原爆投下でもあった。

 米国の広島・長崎への原爆投下が日本を純粋被害者の立場に置くもので、アメリカを純粋加害者の立場にのみ置く二元論では決して片付けることはできないはずだ。

 であるなら、日本にアメリカにのみ謝罪を求める資格も、謝罪を求めないと言う資格もないことになる。日本政府こそが原爆投下を招く一因となった当時の日本政府と軍部の愚かしさになり代わって被爆者に謝罪すべきだし、招くことになったその愚かしさを戒めとすべきだろう。

 戦争の開始や戦争遂行の手段としての大量破壊兵器の使用は軍人を含めた為政者の愚かしさが発端となることが多いことを肝に銘じるべきである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする