5月18日の岡田克也民進党代表と安倍晋三の党首討論で岡田克也が自民党憲法改正草案に現憲法の国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三大原則のうちの平和主義は具体的にどのように貫かれているのか質問した。
幾つかのブログでも取り上げてきて、重なる部分があるが、安倍晋三の答弁から再度自民党憲法改正草案の正体と言うべきものと安倍晋三の憲法観について書いてみることにした。
憲法問題に関する発言は「産経ニュース」記事を引用、そこだけを抜き出した。読みやすくするために適宜改行を施すことにした。
岡田克也「議題を変える。首相は自民党の憲法改正草案について、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義など現行憲法の基本原理は自民党の憲法改正草案でも貫かれている、と答弁した。そこで貫かれている平和主義とは具体的に何か」
安倍晋三「我々は71年前、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。この不戦の誓いの下、平和主義を貫いてきた。その中で憲法の9条第1項と第2項があるが、その中で我々は、例えば武力の行使についても3要件がかかっている。
そして二度と他国を侵略しない。戦禍に世界の人々を巻き込むことはしない。これこそまさに平和主義だろうと思う。同時に、私が今進めている積極的平和主義は、世界の平和を維持していくためにも貢献していこうということだ。紛争など起こりそうなところでも、しっかりとその地域の生活の向上を図っていく、安定化を図っていく。貢献をしながら、より平和を拡大していく、より平和の強度を上げていく。そのために日本が役割を果たしていく。これが私たちが今進めている積極的平和主義だ」
岡田克也「自民党の憲法改正案の9条2項には『自衛権の発動を妨げない』と書いてある。その自衛権の意味は、国連憲章に書いてある集団的自衛権の行使、つまり限定したものということではなく、全面的なフルスペックの集団的自衛権の行使、と言われている。
そうすると、憲法改正草案で禁止されているものは一体何か。今、侵略戦争と言われた。侵略戦争は国連憲章上、もちろん禁止されている。そんなことは言わずもがなだ。わざわざ侵略戦争しません、と言わないことが、平和主義とは言わない。平和主義という名の下で、どういう国家としての行為が封じられているのか」
安倍晋三「我が党の憲法改正草案だが、これはわれわれが野党時代に作ったものだが、約70年間、指一本触れてはならない、憲法議論はしてはならないという空気を変える大きな一石を投じるものとなったと思っている。
そして、憲法改正の草案だ。憲法改正というのは、衆参でそれぞれ3分の2を得なければならない。その上で、国民投票で過半数の賛成を得て成立する。つまり、3分の2を得る中において、もちろん自民党で衆参それぞれで、3分の2を得ることは不可能だ。おそらく与党においても不可能だろう。多くの方々に賛同を得る、その道というのは憲法審査会で議論を深めることだ。前文からすべての条文について私たちの案はお示しをしている。
御党からは、そうした具体的なものは出ていないが、議論をし、最終的にどの条文から示すかということで、憲法改正の手続きというのは進んでいくのだろうと思っている。私たちが出したものは、あくまでも一つの草案として国民の皆様にご議論いただく、叩き台として一石を投じる、そういう役割を果たしていると思う。大切なことは憲法審査会で議論することだ。議論しなければ議論は深まらない。
そこで例えば9条ということなら、そこは改憲はできないという勢力が、例えば3分の1以上いればできない。しかし、同時に3分の2の形成を図っていく中において、当然、多くは修正されていくということになるだろう。政治の現実は、そういう現実だ。その中で、より良いものを作っていきたいと考えている。
いずれにしても、私たちは指一本触れてはならないという考え方ではないし、議論するための草案は示している。だから、民主党においても、民主党においても、すみません、民進党ですか。民進党においても、最低限、草案は出していただかなければ議論のしようがない。岡田さんに一つお聞かせをいただきたいが、草案を出すお気持ちがあるか」
岡田克也「草案を出すつもりはない。本当に必要な憲法改正の項目があれば、そのことはしっかりと議論したい。しかし、私は、あなたたちとは違う。GHQ(連合国軍総司令部)が8日間で作り上げた代物だと言って、日本国憲法そのもの全部が取っ替えなければいけないんだと、そういう考え方ではない。
むしろ同じ与党でも、公明党の考え方に近い。必要があれば直していけばよい。必要があるかどうかをちゃんと議論した方がよい。『憲法審査会で議論しろ』と。この国会で実質、衆院で1回もやっていない。開いていないのは与党の責任じゃないか。なぜ審査会に逃げるんですか。議論するなら、しっかり議論しようじゃないか。
一番大事な平和主義について答えがない。そして、いつの間にか、憲法改正、これ、たたき台って、尻込みしないでくださいよ。自信を持って出されたんでしょ。草案の言う平和主義の具体的な法規範とは何か」
安倍晋三「戦前の反省の中から他国を侵略しない。そういう状況を作らないように、貢献していくことが大切だ。『当たり前』と言えば、それがなくなるわけではない。当たり前にするには、その努力をしなければならない。その中で、国民の命と、そして幸せな暮らしを守るために、私たちの責任を果たさなければならない。われわれの憲法草案においても、言わば国連憲章に書いてある考え方、平和主義が貫かれている。つまり、必要な自衛の措置しかとらない。侵略とか、戦闘的な、攻撃的な侵略、あるいは他国を踏みにじる、そういうことはこれから二度としない。そして、二度と戦争の惨禍を繰り返さないというのが、私たちの考え方であり、平和主義だ。
やはり草案を出さずに、必要だったら何かやるというのは考え方として、おかしいんじゃないか。お互いに考え方を示しあって、すみません、ちょっとヤジが多いとしゃべりにくい。よろしいですか。ちょっと静かになるまで待たせていただく。大切なことはお互いに案を示しあうことだ。そうしなければ憲法審査会においても、議論が深まらない。
国連憲章も、多くの国々も平和主義を貫いている。岡田さんの言いようでは、ここが平和主義でないとなってしまう。平和主義は間違いなく貫かれている。同時に、国民の命や平和な暮らしを守るために何をすべきかということについては真剣に考える必要がある。岡田さんは平和安全法制を廃止すると言っている。これはすでに日米のガイドラインにおいて、この法制の基に実効性を持ってきていると思う。お互いが助け合うことができる同盟というのは絆を強くする。
先般の北朝鮮のミサイル発射の際、その効力は現れたと思っている。いくら日米同盟が悪くなっても廃止をするつもりなのか。かつて鳩山由紀夫内閣の外相として苦労されたじゃないか。できもしないことをいって日米の抑止力の意味が分からなかったといっても遅い」
岡田克也「いやー、驚きました。私は首相が米国で演説したとき、本当にこれはまずいな、と思った。すべて米国のいうとおりにやりますから、と。裸になったに近い。お互いに国益を踏まえて同盟関係、努力しながら深めていかなければいけない。全部やりますというのならそれは同盟の意味がない。集団的自衛権の行使、侵略戦争との違いと境目は必ずしも明らかでない。侵略の定義ははっきりしない、と言っていた。そういう世界に日本は足を踏み込むべきでないということを最後に申し上げておきたい」
自民党憲法改正草案の9条は第1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」、第2項で「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」となっていて、第2項の「自衛権の発動」を岡田克也は限定的を意味するのではなく、「全面的なフルスペックの集団的自衛権の行使」と言われているとして、日本国憲法の三大原則の一つ「平和主義」が自民党憲法改正草案に具体的にどのような法規範として規定されているかを、「平和主義という名の下で、どういう国家としての行為が封じられているのか」、「草案の言う平和主義の具体的な法規範とは何か」との表現で問い質している。
2015年6月26日の「第189回国会衆議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会」で両者の間で次のような質疑があった。
岡田克也「自民党の憲法改正草案、ここには自衛権を持つということが書いてありますね。何の限定もつけておりません。ということは、自民党が目指している日本というのは、今のような限定した集団的自衛権の行使ではなくてフルスペックの、制限のない集団的自衛権の行使ができる国を目指している、そういうふうに理解していいですね」
対して安倍晋三は「憲法改正には3分の2の賛成が衆参それぞれ必要だ」とか、「国民の過半の支持がなければ成立しない」とか手続き論で逃げ、時間切れが来て、うまく逃げおおすことができた。
岡田克也は、安倍晋三は口では限定的な集団的自衛権の行使と言っているが、自民党憲法改正案に従うと、限定的ではなく、無制限の(フルスペック=Full specifications「フル仕様」)の集団的自衛権を目指しているのではないのかと追及した。
安倍晋三は岡田克也の追及に直接には答えず、都合の悪いことは直接答えないのが安倍晋三のお得意の答弁術だが、「戦前の反省の中から他国を侵略しない」とか、「国民の命と、そして幸せな暮らしを守るために、私たちの責任を果たさなければならない」と一見立派なことを言っているが、どうとでも言うことができる、単なる能書きを述べたに過ぎない。
「自民党日本国憲法改正草案」前文
「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」
文飾は当方。
日本国憲法の三大原則である国民主権・基本的人権の尊重・平和主義は国民の生存権の保障を謳ったものであろう。国家権力はこのような権利や考えのもと、国民の生存権を保障しなさいと憲法に規定した。
ところが、自民党の憲法改正草案は、例え三大原則を謳っていたとしても、前文を一見・一読すれば分かるように国家主体の条文となっている。
このことは、「天皇を戴(いただ)く国家」という文言に象徴的に集約されている。
「戴く」とは自身に対して上に位置させた関係性を言う。天皇は国民統合の象徴として敬う関係にあるが、国民主権とする以上、例え天皇が相手であっても、憲法に国民を下に置いて上下で位置づけた関係性を規定していいはずはない。国民主権とはあくまでも国民を国家権力よりも上に位置づけた関係性としなければならない。
「戴く」という言葉によって、秘かに天皇の上位性を打ち出している。
「前文」で既に「自民党日本国憲法改正草案」は国家主体の憲法であり、国民主体の憲法とはなっていなことを露呈している。
この日本国は「天皇を戴(いただ)く国家」だと規定している思想は安倍晋三の天皇主義と無関係ではあるまい。
安倍晋三「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」(自著『美しい国へ』)
安倍晋三「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね」(2012年5月20日放送「たかじんのそこまで言って委員会」)
日本という国は天皇を縦糸にして、その歴史がタペストリーのように織られ、成り立っている。
天皇を日本という国の中心に据えている。
戦前では通用する思想を戦後の民主義国家日本に於いても今以て引きずって日本国の中心に天皇を据えて、自民党憲法で国民に天皇を戴かせようとしている。
このように国民主体の思想に基づいているのではなく、国家主体の思想に基づいている自民党日本国憲法改正草案である以上、いくら三大原則を言い募っても、形骸としての意味しか持たないはずだ。
今回の党首討論では岡田克也は日本国憲法の三大理念のうちの「平和主義」のみを取り上げたが、安倍晋三が平和主義一つですら能書きを述べる以外満足に答えることができなかったのは、国家主体の自民党憲法となっているから、当然のことと見なければならない。
その国家主体は自衛隊の海外派遣と集団的自衛権行使によって日本が戦前の日本国家のように経済大国としてだけではなく、軍事大国としても世界に於ける日本の地位・影響力を高めようと狙っている安倍晋三の国家主義の当然の反映でもある。