――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
夫婦別姓は女は男に従うべきだとする権威主義からの離脱に向けたささやかな一歩
鳩山首相が「私自身は夫婦別姓に前から基本的に賛成している」としているのに対して、亀井静香金融・郵政改革担当相は「家族がばらばらになる」と反対しているそうだ。「時事ドットコム」記事――《夫婦別姓「前から賛成」=民法改正案提出を後押し-鳩山首相》(2010/02/16-19:37)が伝えている。
16日夕方、首相官邸で記者団に対して答えたという。
一方で成立の難しさを発言している。
「家族の在り方とか権利とかにつながるから、1人ひとりが政党を超えて、いろんな考えを持っているテーマだ。なかなか簡単にまとめにくい話ではないか。・・・・政府としてまとめられるかどうかを今、千葉景子法相を中心に努力してもらっている」
記事は「家族がばらばらになる」と反対している亀井静香に対して千葉景子法相が説得に努める考えを示しているとも伝えている。
説得についての千葉法相の動静に関しては、「msn産経」記事――《夫婦別姓で千葉法相「亀井氏を説得していく」》(2010.2.16 12:15 )が16日の記者会見の発言として次のように書いている。
「亀井大臣の(反対の)ご発言は大変重い。ただ、内容について細かい理解をいただいているか必ずしも定かではない」
そう、亀井大臣の発言は常に物凄く重い。その重さには頑固という性質も背後霊さながらに取り憑いているに違いない。重くて頑固で説得で簡単に動きそうにない。説得も頑固さが必要となる。当然時間をかけた説得とならざるを得ない。時間がかかるというわけであるが、限界ということもある。
千葉法相「内閣としての方向付けは、そんなに時間がないので最終的に詰めをしていきたい」
説得できなくても民法改正の法案提出を進めるのか、あるいは説得できなかった場合、亀井が「国民新党が反対したら、できない」を受けて先送りするのか、どちらかに詰めると言うわけなのだろう。
反対派にとっては頼もしい亀井静香なのである。日本の大相撲にとって白鳳が出てくるまでは大相撲人気を独り支えた朝青龍の頼もしさに通じるものがあるに違いない。違う点は亀井静香が日本主義者であるのに対して朝青龍が反日本主義者である点のみではないのか。
千葉法相は亀井静香を説得する必要はないはずである。亀井大臣の夫婦別姓によって「家族がばらばらになる」は正論中の正論だからだ。決して間違ったことは言わない。それ程に亀井静香の主義主張は重くて頑固である。
夫婦同姓こそが家庭内離婚、熟年離婚といった「家族がばらばらになる」ことを防ぐ日本のよき砦だった。あるいは子どもが親に対して荒れる「家庭崩壊」という名の「家族がばらばらになる」現象を前以て抑える楯となっていた。
夫婦の一体感、親子の一体感、家族の一体感、協調感はすべて夫婦同姓が恩恵となってもたらしてきた。
夫婦別姓となったなら、堰を切ったように夫婦の一体感、親子の一体感、家族の一体感、協調感が崩れ去って離婚が生じ、例え結婚20年、30年守ってきた熟年夫婦にも波及して、日本の家庭は「ばらばらに」なり、家庭ばかりか地域社会も日本そのものも何もかもが崩壊に向かう。
夫婦同姓こそが日本の家庭を守る。日本の夫婦を守り、日本の親子を守る。日本の社会を守る。日本国家を守る。
亀井静香の2月11日の「msn産経」記事――《「別姓名乗る必要ない」亀井氏、選択的別姓導入の民法改正に反対》(2010.2.11 17:36)での夫婦別姓反対の弁は次のようになっている。
「家庭の一体感が失われている今、何もばらばらの姓を名乗る必要はない」
夫婦同姓が「家庭の一体感」を守ってきたわけではない、「家庭の一体感」を守るに力がなかったということなら、夫婦別姓であろうと異ならないはずで、夫婦同姓を家庭を守る、あるいは家族を守る制度として位置づける理由を失う。
あくまでもこれまで夫婦同姓によって一体感を守ってきた夫婦の関係、親子の関係が夫婦別姓によってその一体感を失い、「家族がばらばらになる」、崩壊に向かうとしなければ、「家族がばらばらになる」という言葉で夫婦別姓反対を掲げる意味がなくなる。
大体が「家族がばらばらになる」は現在一体となっている状況に対して夫婦別姓を契機としてそれが崩れ去ることを言う言葉であって、既に「ばらばらにな」っている状況に対して使う言葉ではないはずだ。
年間離婚件数25万組以上、4秒に1組の離婚割合といった現在の夫婦状況は夫婦同姓下のもと、既に多くの「家族がばらばらにな」っている日本の風景を示すもので、現在、「家庭の一体感が失われている」という状況にあるなら、「ばらばらの姓を名乗る」ことは逆に実情を正直に現すことにもなる。
人間は正直でなければならない。夫婦、親子が「ばらばら」でありながら、世間体から外に対して隠して、仲睦まじい夫婦、仲の良い親子であることを世間に知らしめる粉飾として「何もばらばらの姓を名乗る必要はない」からと同姓を名乗ろうと、内側の隔絶はお互いに隠しようもゴマカシようもなく、相互に自分で自分を抑圧した不正直な姿で生きることになる。“仮面”の関係を強いることになる。
同姓であろうと別姓であろうと、“姓”が人間相互の一体感を保証する道具立てではないということである。単に夫婦という、あるいは親子という表向きの関係を示す道具立てに過ぎない。一体感はそれぞれの心の持ちようによって決まる。
だからこそ、年間離婚件数25万組以上、4秒に1組の離婚割合といった状況が存在することになる。法律的に離婚という形式を取らなくても、家庭内離婚、別居といった実質的離婚状況の数も無視できないはずだ。
亀井静香は以前、「(夫婦別姓の導入で)家の表札が、アパートみたいに名前が違う。こういうことが、あるべき姿なんでしょうかねぇ」(FNN)を夫婦別姓反対の理由としていたが、これとて外から見た、あるいは第三者から見た関係性に過ぎない。「表札」からは同姓であろうと、別姓であろうと、実質的な中身の関係性は見えない。
実質的な中身の関係性を大事にすればする程、夫婦の隔絶は触発を受ける。親子関係に於いても似たような力学を受けるはずだ。離婚、家庭内別居、別居、親子離反へとつながっていく。
それとも亀井静香は実質的な中身の関係などどうでもいい、夫婦は一度ひっついたら、ずっとひっついていろとでも言いたいのだろうか。子どもがその親の元に生まれたなら、一生親に従えとでも思っているのだろうか。
ましてや、「離婚後300日規定」の見直しなど、“同姓”の解体を促進する、表札の数を「アパートみたいに」増やすとして絶対反対の猛反対に違いない。
例え同姓を選択しようとも、別姓が制度として存在するだけで、男性、女性に対して相互に自律意識を植え付けるはずだ。自律した夫婦関係、自律した親子関係の育成に役立つに違いない。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
15日に当ブログで、《サンデープロジェクト、いかがわしさばかりが目立った自民与謝野馨の民主党大塚耕平とのバトル》をエントリーしたが、改めてサンデープロジェクトで演じた与謝野のいかがわしさを別角度から取り上げてみる。
《TweetBuzz - YouTube 》動画で見る、予算委員会での与謝野馨の鳩山首相に対する追及シーンをサンデープロジェクトは最初の場面で次のように紹介している。
〈与謝野(12日の衆議院予算委員会)「平成に入ってから、こんなに多額の税金を脱税した人間はいないんですよ、まさに平成の脱税王なんです。そんな人がですよ、総理大臣の座に座っているってことは、おかしいんです。
去年、1年半ぐらい前ですかねぇ。鳩山邦夫さんとお目にかかったんですよ。彼がぼやくんですよ。『うちの兄貴は、まあ、しょっちゅう、お母っさんのところへ行って、子分に配るカネ、子分に、子分にヨウ、子分を養成するカネが必要だ』、おカネ貰ってたんですよ」〉――
次にサンデープロジェクトのスタジオに移ってからの田原と与謝野の最初の会話シーンは次のように取り交わされている。
〈田原総一郎「与謝野さん、金曜日のあの会話、国民はみんな唸りましたよ」
与謝野「あー、そうですか」
田原「自民党がね、鳩山さんと小沢さん、批判しているんだけど、みんな同じでね、変化がなかった。与謝野さん、思い切っておやりになった。それに対してね、今ビデオにありましたけども、(フリップを持ち、そこに書いてある文字を指差して読み上げる)鳩山さんが全くの作り話であると。どっちが作り話なんだね」
与謝野「これはね、この証言のあと、あのー、鳩山邦夫さんが、私の事務所に来ましてね――」
田原「あ、ここだ」
与謝野「うん、それでお目にかかって、あれは、俺と母の会話なんだと。どういう会話したかなんて、兄貴の証明も否定もできないだろうって。聞いたんだ、と」
田原「聞いたんだと」
与謝野「うん。だけど、私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」
田原「そうですねー。(フリップを持ち上げ)おカネを貰ったんですと。いたんですと」
与謝野「そう、そう」
田原「うん、うん」
与謝野「貰ったんですよ」(自分で頷く)
田原「あっ、わざわざー、あの、鳩山邦夫さんが与謝野さんのところに来られて――」
与謝野「それはあの、今日の質問はよかったと」
田原「よかったと」
与謝野(力強く)「うん。私があの話を裏付けますと、そう言ってました」
田原「あ、よかったと言ったんですか」
与謝野「うん」〉――――
ここで初めて民主党の大塚耕平の姿が写る。この動画を見る限り、最初からテーブルに座っていたのか、少し遅れてきて、田原と与謝野の会話が始まってから席に着いたのか分からない。
どちらであっても、サンデープロジェクトは「元財務大臣として政府予算に物申す」与謝野馨に対して「迎え撃つは民主党切っての政策通、大塚金融副大臣」の「真っ向対決だっ」と煽り立てておきながら、最初の論点が「無心」して実際にカネを貰っていたかどうかにあったにも関わらず、与謝野馨が、「うん。だけど、私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」と言ったとき、まるでそのときその場面に存在していなかったかのように割って入って論駁することを一切していない。
大塚耕平が最初に画面に写って行った発言は、「これは先ず、与謝野先生に申し上げたいのは、あのー、先生にはこういう質問はしていただきたくなかった」であった。田原が、「それはいい、それは」と遮ったのに対して、初めて与謝野が国会で追及した「無心」したかどうかに関わる論点に触れている。
〈大塚「いやいや。僕は尊敬しているんで。あのー、自民党のみなさんも与謝野さんにこの役回りをやらしちゃあ、ダメです。そして、これが事実ならいいけど、きのう鳩山邦夫さんは、あー、記者会見、ぶら下がりだったか、どちらかですが」
田原「昨日?」
大塚「そうですね。そのー、総理が、そういうお母さんにお願いをしたということを言ったつもりはないというふうに――」
与謝野「えっ、そんなこと言ってる?」
大塚「いや、鳩山邦夫さんの記者会見録をどうぞ」
田原「ちょっと見せて。読んで、そこんところ。何て言っている?」〉――
大塚「どうぞ、これを差し上げます」
田原「だから、読んで。何て書いてあるの?」
大塚「あの、これは私もいただいたものなんで、記者さんの書きお越しですけどね」
田原「ハイ」
大塚「『兄がお袋におカネを無心したなどと言うことはありません。私が聞いた中には一切ありません。兄が母におカネを無心したということは母から聞いておりません。首相が母に無心、邦夫氏が証言――何て書かれると、そこは私の、私はそのようなことは言っておりません』
もうね、このアンダーラインのところ、どうぞ与謝野先生、お読みください。で、私はあのー――」〉――――
与謝野馨はここで、「えっ、そんなこと言ってる?」と驚いている。鳩山邦夫が記者会見して、「無心」を否定していたことを初めて知ったわけであって、そのことを証明する発言となっている。
だが、与謝野馨は12日の衆議院予算委員会で首相が母親から「おカネ貰ってたんですよ」と追及する場面からサンデープロジェクトのスタジオに移ってからの大塚耕平が加わっていない田原と与謝野の二人だけの遣り取りの最初の方で既に「無心」という言葉を使っているが、念のために最初の会話シーンから改めて記述する。
〈田原総一郎「与謝野さん、金曜日のあの会話、国民はみんな唸りましたよ」
与謝野「あー、そうですか」
田原「自民党がね、鳩山さんと小沢さん、批判しているんだけど、みんな同じでね、変化がなかった。与謝野さん、思い切っておやりになった。それに対してね、今ビデオにありましたけども、(フリップを持ち、そこに書いてある文字を指差して読み上げる)鳩山さんが全くの作り話であると。どっちが作り話なんだね」
与謝野「これはね、この証言のあと、あのー、鳩山邦夫さんが、私の事務所に来ましてね――」
田原「あ、ここだ」
与謝野「うん、それでお目にかかって、あれは、俺と母の会話なんだと。どういう会話したかなんて、兄貴の証明も否定もできないだろうって。聞いたんだ、と」
田原「聞いたんだと」
与謝野「うん。だけど、私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」〉――――
田原か誰か第三者に指摘されたか、本人が直接新聞かテレビの情報に触れて鳩山邦夫の発言を知り得ていなければ出てこない「うん。だけど、私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」〉であろう。
いわば鳩山邦夫の「『兄がお袋におカネを無心したなどと言うことはありません。私が聞いた中には一切ありません。兄が母におカネを無心したということは母から聞いておりません。首相が母に無心、邦夫氏が証言――何て書かれると、そこは私の、私はそのようなことは言っておりません』の発言が最初にあって、それを受けて与謝野の「うん。だけど、私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」の発言が出てきたとしなければ、矛盾した不自然な展開となる。
そうであるなら、鳩山邦夫が与謝野の事務所に来て、「うん、それでお目にかかって、あれは、俺と母の会話なんだと。どういう会話したかなんて、兄貴の証明も否定もできないだろうって。聞いたんだ、と」は、「うん。だけど、私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」の自己正当化のための補強説明ということになる。
だが、この補強説明は与謝野の予算委員会での追及の言葉の展開からすると、無心してカネを貰ったとする意味で言っていたのだから、鳩山邦夫の「無心」否定発言との矛盾を突かれた場合の予防線とする牽強付会に相当し、いかがわしばかりの自己弁護、いかがわしいばかりの自己正当化に当たる。
鳩山邦夫の言う「俺と母の会話」とは、「多分、1年半前か2年前かと。この事務所で、全然別な用事で母と電話で話しているときに、お兄さんは、子分を養うために、おカネが大変要るということだと。で、あなたは、どうなのと。あなたは子分いないから、要らないわけ?
こう言われました。いや、あまり(フッと短い笑いを漏らして)、そういう子分というのはないんだなあって、何か寂しかったと。これが電話の遣り取りの事実です」のことである。
但し、「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が(「子分を養うために、おカネが大変要る」ということを)言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」とも言っているから、「俺と母の会話」のみをを電話で遣り取りした言葉通りに単に忠実に再現しただけのことで、「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言って」いない以上、母親がどういった斟酌、あるいは懸念の類のもとに電話してきたかは、それぞれの解釈が成り立つ。
与謝野が後で自分は間違っていない、正しいとする根拠として挙げた発言の、「いや、私もぼやいた話を聞きましたと。そのぼやいた話を、委員会の質問でしていいかと、鳩山邦夫さんに聞いたら、正確に表現してくれるなら、結構ですよと、言うんで、正確に再現したんです」は「俺と母」の電話の遣り取りを「正確に再現」しただけのことで、あとの「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」はその「正確な再現」からこぼれていたということであろう。
こぼれていなければ、「おカネ貰ってたんですよ」という与謝野の国会で使った言葉は出てこない。
となると、鳩山邦夫が言ったと与謝野が説明してる、「うん、それでお目にかかって、あれは、俺と母の会話なんだと。どういう会話したかなんて、兄貴の証明も否定もできないだろうって。聞いたんだ、と」は「俺と母」の電話の遣り取り限って、実際にそのとおりに会話したのだから、「兄貴の証明も否定もできないだろう」と言っただけのことで、「無心」云々に関して「兄貴の証明も否定もできないだろう」と言ったわけではないことになる。
いずれにしても鳩山邦夫が記者会見し、その発言を記者が文字に書き起こして大塚耕平が公表した、「「兄がお袋におカネを無心したなどと言うことはありません。私が聞いた中には一切ありません。兄が母におカネを無心したということは母から聞いておりません。首相が母に無心、邦夫氏が証言――何て書かれると、そこは私の、私はそのようなことは言っておりません」を鳩山邦夫も与謝野も抜け落ちさせた「兄貴の証明も否定もできないだろう」となっている。
そして与謝野はいかがわしいまでに最後までこのことを無視している。
だが、何よりも与謝野がいかがわしい点は、田原か誰か第三者に指摘されたか、本人が直接新聞かテレビの情報に触れたかして鳩山邦夫の「無心」否定発言を知った上で、「うん。だけど、私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」と強弁を働かせて自己正当化を図っておきながら、大塚耕平から、鳩山邦夫の記者会見で言った「兄がお袋におカネを無心したなどと言うことはありません」云々の発言を伝えられると、「えっ、そんなこと言ってる?」と初めて聞いたかのように驚いてみせたところに明確如実に現れている。
この狡猾この上ないいかがわしさは長年政権に携わって煮ても焼いても食えなくなった、海千山千の与党所属のベテラン政治家だけのことはある称賛ものと言える。
与謝野馨が国会の場やテレビの討論番組でどんなに立派な言葉を巧妙に駆使して対立者を追及しようとも、与謝野が自己正当化のためには手段を選ばずに見せるいかがわしさは、その人間性から払拭できるものではないだろう。
最後に与謝野はこう言っている。
「鳩山さんはね、もう最初の選挙のときから、ベラボーなおカネを使って、選挙やっている人なんですから。そんなことを知らないなんて言うのはね。で、私はクリーンな政治家ですなんですということはね、全く私は、もう、おこがましいと――」
この言葉をそっくり返すとするなら、「与謝野さんはね、自己正当化のためには手段を選ばないいかがわしいばかりの詭弁を用いる人なんですから、そんなことを知らないなんて言うのはね。で、私はいかがわしさと無縁な政治家ですなんですということはね、全く私は、もう、おこがましいと――」言うこともできるはずである。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
“不在の存在”という言葉は、確か現実にはそこに不在だが、自身は常に存在を感じていることを言ったと思う。例えば、好きな女性がここには存在せず、離れた場所にいるが、常に自分の身近に存在しているように感じているといったケースに使ったはずだ。
哲学なる学問をクスリにしたくても無縁の人間だから、間違っているかもしれないが、上記趣旨で把握している。
2月12日(日本時間13日)、カナダはバンクーバー市でバンクーバー冬季オリンピック開会式が行われた。夏冬通じて五輪史上初の屋内開会式だそうで、カナダとしては1976年モントリオール夏季大会、1988年カルガリー冬季大会に続いて3度目だそうだ。参加構成は史上最多の82カ国・地域から約2600選手の参加だという。
NHK総合テレビで開会式の模様を眺めたが、カナダは四つの先住民の参加を重要課題として「先住民族との共存」をテーマに据えたということだが、アトラクションで彼ら独自の文化を荒々しい雪と氷の大地、その厳しい自然と一つの世界の創造にふさわしい厳かで静かな音楽と映像を通して壮大な物語に演出、そこから現在のカナダのへの成り立ちを紹介していた。
そして原住民が偉大な力を持った神の化身と考えていた光を放つ強大な仁王立ちとなった白い熊、大量のシャチや川に見立てた空に伸びた幾本もの柱を上っていく、決まった季節になると川をさかのぼっていくことから神秘的な魚とされていたという無数の赤い鮭がCGと音楽で表現され、自然の恵みと神秘性の表現が繰り広げられる。
さらに女性歌手のピアノの弾き語りで「Ordinary Miracle(普通の奇跡)」を歌う厳かで静かな歌声に合わせて、様々な服装のモダンバレーダンサーたちの乱舞。
カナダ国旗の絵柄となっている赤いメープルリーフ(楓の葉)が空から雪のように振り注ぎ、大地を赤い色で染めていく様子、そしてバグパイプで演奏するスコットランド音楽風の音楽を踊りながらバイオリン演奏する大量の男女とその音楽に合わせた大量のタップダンサーたちの大地を蹴るような力強いステップを伴った乱舞が会場全体を覆ったメープルリーフの赤い照明の中で騒々しくも陽気に力強く激しいエネルギーを持って延々と続く。
さらに16歳女性歌手の初々しい力強い国歌独唱。オリンピック開会式には挿入することを義務づけられているという平和への祈りをテーマとした男性歌手によるの「平和の歌」。
全体を通して原住民の音楽と現代音楽、そしてその混交を伴った厳かな音と光の演出に満ちていた。
バンクーバーオリンピック担当委員会のジョン・ファーロングCEOの「ようこそバンクーバーへ」の歓迎の挨拶で次のように言っていた。
「今夜テレビという名の魔法ので、世界中のリビングルームに私たちがつくる物語をお届けします。そして例え一瞬でも、すべての人々がこの経験を共有することを世界の人たちに呼びかけたいと思います。・・・・」――
「世界中のリビングルーム」、「世界の人たち」――、
だが、この「世界中」や「世界の人たち」からこぼれた人間が存在する。アフリカやアジアや南米大陸等のその日の食事もままならない、飢餓や餓死を経験する世界に生きる貧しい住民たち。
その多くがテレビという情報機器が世界に存在することさえ知らない人間の存在で成り立っているのではないだろうか。いやラジオさえ、この世に存在しない機器かもしれない。
彼らにとってオリンピック開会式や各オリンピック競技の華やかな世界とその華やかな世界を直接かテレビを通して眺める世界の人々は“存在の不在”として存在する光景となっているに違いない。そういった世界が存在するということすら知らない、不在のものとしている人々。
オリンピックの開催期間を通して「つくる物語」が一切届かないゆえに不在としている世界の存在。
いわばオリンピックも存在しないし、テレビもラジオも存在しない。これは二重の“存在の不在”を意味しないだろうか。
「バンクーバー大会の開会を宣言します」 と宣言したミカエル・ジャンなるカナダ総督は(52)ハイチから移民した黒人女性だと今回初めて知ったが、カナダがそういった移民を多数受入れ、国家元首に当たる総督の地位にいることを許す、日本では考えられない寛容ある国家であることは素晴らしいことだが、今回巨大地震に見舞われたハイチでも中南米一貧しい国であることからすると、地震の被害によって家や生活を失わなくて、オリンピックを“存在の不在”とする人々が多く存在したに違いない。
ましてや地震の被害を受けて、そういった人々が増えたことは容易に想像できる。
ロゲIOC会長が挨拶で、「今日では五輪は単なる競技ではなく、82もの国や地域から人種、性別、言語、宗教、政治を超えて、友情や尊敬の念を追い求める素晴らしさを共有できる人々が集うもの。世界はいま、平和と寛容、友愛を必要としている」(時事ドットコム)と述べたが、「平和と寛容、友愛」を“存在の不在”としている人々が存在する。
勿論、先進各国は世界から飢餓や餓死を撲滅するために多くの予算を割いて援助しているが、それが満足な形で“届かない”状況に終わっている。多くの国の国民が日常的な存在としている事物や事柄に対して不在を強いられている。
開会式をテレビで見ながら、人間生命の素晴らしさ、力強いエネルギーを謳った一大絵巻に感動を誘われながら、一方でこのことが確実な現実として存在しながら不在としている世界に住む人間が存在することを恐ろしいことだと思った。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
当ブログ2月13日エントリー記事――《鳩山邦夫の人間の風上にも置けない身内話の暴露とそれに乗った与謝野のヤキが回った首相追及》で問題とした、鳩山邦夫の不確かな情報を与謝野馨が確かな情報として国会で鳩山追及の材料としたことをヤキが回った行為だと書いたが、次の日の2月14日日曜日の朝日テレビ「サンデープロジェクト」がこの問題について与謝野馨と民主党の内閣府副大臣だとかいう大塚耕平を対決させていた。
与謝野の自己を正当化させる発言にマヤカシがあると見たが、録画していなかったため、インターネットを探すと、《TweetBuzz - YouTube 》なるHPで邦夫発言に関わる二人の遣り取りだけ録画した動画を見つけることができた。
「48時間以内に削除します」と書いてあるから、この記事をアップロードする時間には消去されているかもしれない。
解説(男)(センセーションを煽る殊更声を低くしたおどろおどろしい口調で)「いつもは冷静沈着な男がこの日は違った」
与謝野(12日の衆議院予算委員会)「平成に入ってから、こんなに多額の税金を脱税した人間はいないんですよ、まさに平成の脱税王なんです。(ヤジが凄い)そんな人がですよ、総理大臣の座に座っているってことは、おかしいんです」
解説「自民党与謝野元財務大臣は鳩山総理が、母親からの資金提供を知っていたはずだと追及。そう攻め立てた」
(昔の紙芝居だったら、ここで板を叩いて効果音とするところだが、現在の電気紙芝居は声を殊更低音にしておどろおどろしさを演出する。)
与謝野(同衆議院予算委員会)「去年、1年半ぐらい前ですかねぇ。鳩山邦夫さんとお目にかかったんですよ。彼がぼやくんですよ。『うちの兄貴は、まあ、しょっちゅう、お母っさんのところへ行って、子分に配るカネ、子分に、子分にヨウ、子分を養成するカネが必要だ』、おカネ貰ってたんですよ」
鳩山首相「全くの作り話であります。そういう話をされると、私は、もう兄弟と言っても、信じられない話になりますが――」
不明「総理冷静に」
鳩山「少なくとも、事実として、これは母に尋ねていただいても、結構でありますし、あるいは――」
ヤジ「参考人承知するぞ」
不明「挑発に乗ってはいけません」
鳩山首相「分かりました、すみません(左手の方向に顔を向けて、頭を下げる)。私は母に対して、そのようなおカネの無心、特に子分に配るおカネをくれなんて言うわけありません」
解説「総理の動揺を誘って与謝野氏――。舞台をサンプロに移し、元財務大臣として政府予算に物申す。迎え撃つは民主党切っての政策通、大塚金融副大臣。(落雷時の垂直の太い稲光を画面中央に挿入、いやが上にも番組を守り立てようとする。)――(聞き取れない。)景気対策か、財政規律か。(最後に低くした声をさらに高くして)真っ向対決だっ」
田原総一郎「与謝野さん、金曜日のあの会話、国民はみんな唸りましたよ」
(国民の代表代弁者となったようなことを言う。)
(テロップ――日本経済は大丈夫か?
予算、景気対策で直接対決!)
与謝野「あー、そうですか」
田原「自民党がね、鳩山さんと小沢さん、批判しているんだけど、みんな同じでね、変化がなかった。与謝野さん、思い切っておやりになった。それに対してね、今ビデオにありましたけども、(フリップを持ち、そこに書いてある文字を指差して読み上げる)鳩山さんが全くの作り話であると。どっちが作り話なんだね」
与謝野「これはね、この証言のあと、あのー、鳩山邦夫さんが、私の事務所に来ましてね――」
田原「あ、ここだ」(必要もないのに、尤もらしく合いの手を打つ。)
与謝野「うん、それでお目にかかって、あれは、俺と母の(左手を持ち上げて振り、強調する。)会話なんだと。どういう会話したかなんて、兄貴の証明も否定もできないだろうって。聞いたんだ、と」
田原「聞いたんだと」
与謝野「うん。だけど、私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」
テロップ――与謝野だけが追及
総理の偽装献金
その真相は?
田原「そうですねー。(フリップを持ち上げ)おカネを貰ったんですと。いたんですと」
与謝野「そう、そう」
田原「うん、うん」
与謝野「貰ったんですよ」(自分で頷く)
田原「あっ、わざわざー、あの、鳩山邦夫さんが予算さんのところに来られて――」
与謝野「それはあの、今日の質問はよかったと」
田原「よかったと」
与謝野(力強く)「うん。私があの話を裏付けますと、そう言ってました」
田原「あ、よかったと言ったんですか」
与謝野「うん」
大塚「これは先ず、与謝野先生に申し上げたいのは、あのー、先生にはこういう質問はしていただきたくなかった」
田原「それはいい、それは」
大塚「いやいや。僕は尊敬しているんで。あのー、自民党のみなさんも与謝野さんにこの役回りをやらしちゃあ、ダメです。そして、これが事実ならいいけど、きのう鳩山邦夫さんは、あー、記者会見、ぶら下がりだったか、どちらかですが」
田原「昨日?」
大塚「そうですね。そのー、総理が、そういうお母さんにお願いをしたということを言ったつもりはないというふうに――」
与謝野「えっ、そんなこと言ってる?」
大塚「いや、鳩山邦夫さんの記者会見録をどうぞ」
田原「ちょっと見せて。読んで、そこんところ。何て言っている?」
大塚「どうぞ、これを差し上げます」
田原「だから、読んで。何て書いてあるの?」
大塚「あの、これは私もいただいたものなんで、記者さんの書きお越しですけどね」
田原「ハイ」
大塚「『兄がお袋におカネを無心したなどと言うことはありません。私が聞いた中には一切ありません。兄が母におカネを無心したということは母から聞いておりません。首相が母に無心、邦夫氏が証言――何て書かれると、そこは私の、私はそのようなことは言っておりません』
もうね、このアンダーラインのところ、どうぞ与謝野先生、お読みください。で、私はあのー――」
与謝野「それはね、これ、よーく読んでください」
大塚「ハイ」
与謝野「要するに鳩山邦夫さんは母親から電話を貰ったと。お兄さんは、子分を養成するためにおカネが必要だとしょっちゅう言ってくると。邦夫さんは大丈夫なのかと。あなたには子分がいないの、と。こう言ったんですよ」
大塚「いや、ところがですね――」
与謝野「だから、だから、それは鳩山さんが母親から聞いた話ですよ。そん中で無心したっていうことは使っていない」(目を最大限に真ん丸くして同だとばかりの表情を見せる。)
大塚「無心したという言葉をお使いになったかどうかは別として、しかし、完全に、そういう文脈でご質問をされてですね。いや、私は与謝野先生にお願いしたいのですがね、私は野党時代、総理とは十数回、質疑をさせていただきました。常に、しかし他党の方であっても、総理に対しては敬意を持って私は、アー、議論させていただきました」
与謝野「それは――」
大塚「是非にですね」
与謝野「大塚さん」
大塚「いや、いや、与謝野さん」
与謝野「ちょっと」
大塚「謝罪していただいた方がいいですよ」
与謝野「ちょっと待ってくださいよ」
大塚「ハイ」
与謝野(左手で指差し)「あなたが今言っていることはね、総理大臣だから、無条件に尊敬しろって言ってるんですよ。飛んでもない」
大塚「いや、いや――」
与謝野「税金を払っていない総理大臣なんていうのは、国民誰も、あの、尊敬なんかしないんですから」
大塚「敬意を払うべきだと思います」
与謝野「国会というのはね、何を聞いたっていい場所なんです。それをね、与謝野さんだから聞くなんて、そんなこと言っちゃいけないですよ」
大塚「いや、いや」
与謝野「我々は野党なんです」
大塚「聞いていいんです。聞いていいんですが、事実と異なることを聞いていただくのは困る」
与謝野「事実だから聞いているんです」
田原「もう一回聞きたい。どこが事実と異なるんだ?」
大塚「邦夫さんはご自身の発言として、首相が、兄が、お母さまに、お袋におカネを無心したなどということはありません。私が聞いた中には一切ありません、て、昨日発言しておられるんですよ」
与謝野「違います」
大塚「だから、そこは一回はっきりさせてください」
与謝野「一寸待ってください」
大塚「ハイ」
与謝野「ね、そのあと私、勝場(元秘書)さんの言ったでしょ。裁判官関係者に言った。『おカネは来ていました。――(聞き取れない)金庫に入れました。私が民主党の議員に配った場合もあるし、鳩山自身から議員に渡したこともあります』母親から来たカネを配ったんです。党内で」
大塚「裁判で、あるいは捜査の記録がちゃんと、明らかになる中でですね、あのー、事実に基づいて、そういう議論をしていただくのはいいんですが、いや、私が申し上げたかったのは、与謝野先生ともあろう方が――」
与謝野「いや、違う」
大塚「少し不確かな事実で――」
与謝野「確かな事実です」
大塚「この質疑をやっていただくと、逆の――(聞き取れない)事件になっちゃいますよ」
与謝野「いや、違う。確かな事実、全部」
大塚「イヤー、私は――」
与謝野「確かな事実」
大塚「少なくとも、邦夫先生の、この、昨日の会見の記録を読む限りは、そうは思えません」
与謝野「違う、違う。それはね、この事件が起きたとき、鳩山さんが、小さなウソをついたんです。ね、だから、次々とウソをつかざるを得なかったと、いうのが今回の事件ですよ」
大塚「いやあ、そこは、私の――」
与謝野「いや、あなたは――」
大塚「すべてを知る立場ではないので、これ以上は申し上げませんけども――」
与謝野「いや、だって」
大塚「与謝野先生にはしかし私は、国会の中でああいう質問をしちゃあいけない」
与謝野(何を反論しているのか聞き取れない。)
田原「分かった。星さん、これ、どういうふうに思いますか」
星浩――朝日新聞政治担当編集委員。東京大学大学院特任教授。テレビ番組『サンデープロジェクト』のコメンテーター
星(終始にこやかにな笑みを顔に浮かべて)「あのー、与謝野さんの質問をですね、実は私、我々も全文起こして読みましたけども、実は物凄く周到に入れまして(声に出して短く笑う)――」
田原「あー、周到――」
星「その、邦夫さんと与謝野さんの会話、邦夫、あの、邦夫さんとお母さんの会話、ちゃんと、きちっと分けられているんですよね。で、恐らく、邦夫さんはお母さんとの会話で、いや、お兄さんは子分がいて、大変だって言ってんのよ、という部分はクォートされて、引用されてて、それに対して与謝野さんは自分の言葉で、あんたどうなんだと、貰ったんじゃないかって質問してんですよね。
そこがね、周到にできていますから、ちょっとね、大塚さん、邦夫さんの昨日の記者会見で無心はしていないと、おー、アー、お兄さんはお母さんに無心はしていないということは、言ってんですけど、そこの、オー、ときどきぼやいてるんだ、っていう遣り取りは残っているです、実はね。
そこは与謝野さんは聞いていて、裏づけも取っているもんだから、どうも、そこはは与謝野さんは相当、そこは練りに練ってやっているもんですから、そう簡単に、その、突き崩せない部分があるかなと、私は思っています」
田原「邦夫さんがね」
星「ハイ」
田原「昨日の記者会見で、えー、この、えー、実はこの、愚痴をこぼしたのは、1年半か、1年の間かなあと、えー、全く与謝野さんと話したときは雑談の中で言ったわけで、で、それを証言だろうと表現されると、非常に私も困りますなんて言ってるんですよ」
与謝野「いや、私もぼやいた話を聞きましたと。そのぼやいた話を、委員会の質問でしていいかと、鳩山邦夫さんに聞いたら、正確に表現してくれるなら、結構ですよと、言うんで、正確に再現したんです」
大塚「だから、ここに正確な、昨日の書き起こしがあるので、一度、あの、是非――」
与謝野「いや、いや」
大塚「邦夫先生と遣り取りしていただいて――」
与謝野「鳩山さんはね、もう最初の選挙のときから、ベラボーなおカネを使って、選挙やっている人なんですから。そんなことを知らないなんて言うのはね。で、私はクリーンな政治家ですなんですということはね、全く私は、もう、おこがましいと――」
田原分かった。エー、この話はまたやってください」(コマーシャルに入る)
サンデープロジェクト、いかがわしさばかりが目立った自民与謝野馨の民主党大塚耕平とのバトル(2)に続く
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
改めて鳩山邦夫の最初の記者会見での発言を取り上げてみる。
鳩山邦夫「多分、1年半前か2年前かと。この事務所で、全然別な用事で母と電話で話しているときに、お兄さんは、子分を養うために、おカネが大変要るということだと。で、あなたは、どうなのと。あなたは子分いないから、要らないわけ?
こう言われました。いや、あまり、そういう子分というのはないんだなあって、何か寂しかったと。これが電話の遣り取りの事実です」
「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」(NHK)
鳩山邦夫は母親の言葉として、「お兄さんは、子分を養うために、おカネが大変要るということだから、おカネを出した」とは言っていない。
この点を踏まえて、先ず「母に対して兄が言った」こととして見てみる。
母親が首相にカネを出したとも言っていない、「母は、兄が『お金を無心してきた』」とも言っていないということなら、母親は単に政治にカネがかかるといった聞いた話を弟もそうなのかと憶測して弟の鳩山邦夫に聞いた可能性もある。
大体がグループ内に従えている仲間の議員を「子分」と把えるのは主として昔の感覚の人間に限られる。今の時代に生き、友愛精神を掲げ、その上金持のお坊ちゃんタイプの鳩山首相が仲間の議員を「子分」に見立てて一段下に置いているとは思えない。
母親は鳩山威一郎とそれ以前、以降のカネを実弾と呼んで飛び交わせた時代に夫と供に生きた人間であるし、それ以前の遥か前の時代から当時を飛び越えて、それ以降の暫くの時代、グループの長とグループ内の議員を親分子分の人間関係で把えていた歴史と文化、伝統を日本の政治は抱えていた。そういった時代的感覚との関連から、兄の仲間たちを独断で「子分」と看做していたということもあり得る。
次に母親に対して「秘書が言った」こととして見てみる。
秘書は母親からのカネを原資として献金の見栄えをよくするために個人献金を装って収支報告書に記載している。鳩山首相本人は母親から出ていたカネであるとは知らなかったと言っている。実母側は、〈この資金は「鳩山氏本人への貸付金だった」と説明しているが、東京地検は「返済計画などを定めた借用書など貸し付けの実体はない」としている。『産経新聞』によれば、東京地検は、「贈与と認定する」方向で捜査を進めており、認定された場合、鳩山首相に贈与税4億円余りの納税義務が生じる。検察側が「悪質な贈与税逃れ」と判断した場合は相続税法違反となる可能性もある。〉(Wikipedia)としているが、〈平成14年から去年までに母親からあわせて12億6000万円の資金提供を受けていたとして、このうち7年分について贈与として申告を行い、およそ5億7500万円を贈与税で納め〉(NHK)ている。
このことの事の正否に関しては以下の「毎日jp」記事が詳しく解説している。正確を期すために全文を参考引用しておく。
《質問なるほドリ:鳩山首相は脱税したことにならないの?=回答・石丸整》(2010年1月30日)
<NEWS NAVIGATOR>
◆鳩山首相は脱税したことにならないの?
◇本当に「知らなかった」なら 無申告加算税の可能性高い
なるほドリ 鳩山由紀夫首相が実母から提供された資金の問題は今どうなっているの?
記者 首相は問題発覚後、贈与を受けていたとして期限後申告をしました。現在、首相の地元を管轄する札幌国税局が申告内容が正しいかどうか調査しているようです。今後、納付すべき延滞税の額が首相に通知されますが、加えて制裁の意味合いのある加算税が課せられるとみられます。
Q 開会中の国会で、野党側は「脱税」と批判しているけど。
A 主な加算税は3種類あります。「過少申告加算税」と「無申告加算税」は、単純な計算ミスや失念など意図的でない場合にかけられます。もう一つが、意図的に税をごまかすなど悪質だと判断された場合に、これらに代わって課せられる「重加算税」です。重加算税を課せられるケースが一般に「脱税」と言われます。
Q 悪質さはどこで判断するの?
A 所得隠しなどの仮装、隠ぺい行為があったかどうかで判断されます。重加算税の課税割合は35%(無申告だった場合は40%)で、贈与を受けた額が1000万円超であれば、50%の贈与税を支払ったうえに贈与税額の35~40%を課せられます。なお脱税額が1億円を超えたケースなどでは刑事告発されることもあります。
Q 首相の場合はどうかな。
A 首相は母親からの資金提供について「知らなかった」としており、仮装、隠ぺい行為が見当たらなければ重加算税が課せられる可能性は低いでしょう。ただし、申告漏れがあったことは事実です。全く申告していなかった首相のケースだと少なくとも無申告加算税(5~20%)が課せられそうです。課税割合は、自主的に申告した場合は5%ですが、国税局の税務調査が行われた後の申告だと20%にはね上がります。今回は検察の捜査で判明しており、自主申告として認められないかもしれません。
Q なぜこれまで発覚しなかったの。
A 提供された資金は計12億6000万円に上りますが、一括ではなく、7年間にわたって毎月1500万円ずつ分割して行われていました。こうした家族間の資金の流れは外からは把握しにくいと言われています。(社会部)
要するに〈首相の地元を管轄する札幌国税局が申告内容が正しいかどうか調査〉中と言うことなら、与謝野馨の首相に対する「平成の脱税王」はまだ未確定のことで、推定無罪を犯したことになる。国税局の精査を待つべきだろう。
要するに与謝野馨は鳩山邦夫の「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」の発言をただ単に「私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」とその言葉を使っていないことを以ってして、鳩山邦夫のこの発言自体を一切無視し、「多分、1年半前か2年前かと。この事務所で、全然別な用事で母と電話で話しているときに、お兄さんは、子分を養うために、おカネが大変要るということだと。で、あなたは、どうなのと。あなたは子分いないから、要らないわけ?
こう言われました。いや、あまり、そういう子分というのはないんだなあって、何か寂しかったと。これが電話の遣り取りの事実です」の発言だけを把えて、言っていることは事実だと頭から看做して、その看做し事実を基に質問し、「おカネ貰ってたんですよ」と断定しているに過ぎない。
確かに「無心」という言葉は使っていなくても、大塚が「無心したという言葉をお使いになったかどうかは別として、しかし、完全に、そういう文脈でご質問をされてですね」と指摘しているように、「『兄貴は、まあ、しょっちゅう、お母っさんのところへ行って、子分に配るカネ、子分に、子分にヨウ、子分を養成するカネが必要だ』、おカネ貰ってたんですよ」と、「しょっちゅう、お母っさんのところへ行って」、「カネが必要だ」、「貰っていた」という経緯を踏ませている以上、鳩山首相は無心(=ねだって貰う)に相当する行為をしていたと見ていたことになる。
だが、与謝野は「私の質問のときに無心なんて使っていないですよ」と言って、同じ意味で言っていることを否定している。いかがわしいばかりではないか。
大塚は、これこれこう言っていることは無心したと言っていることと同じではないかと本人が言っている言葉を使って具体的に追及すべきをそうはせずに、抽象的な「文脈」という言葉を使って、「そういう文脈でご質問をされてですね」と言ったきりで、続きを「いや、私は与謝野先生にお願いしたいのですがね、私は野党時代、総理とは十数回、質疑をさせていただきました。常に、しかし他党の方であっても、総理に対しては敬意を持って私は、アー、議論させていただきました」などと馬鹿げた発言へとつなげている。
そうしたことで与謝野の質疑の発言が正否を得ているかどうかから離れて、堂々巡りすることになる。問題点があるところのみを絞るべきを、言う必要のないところまで広げて、逆に与謝野に、「あなたが今言っていることはね、総理大臣だから、無条件に尊敬しろって言ってるんですよ。飛んでもない」とか、「税金を払っていない総理大臣なんていうのは、国民誰も、あの、尊敬なんかしないんですから」とか反論されて、大塚からしたら失点となる、鳩山首相がさもそういった総理大臣であるかのようなイメージを描かせてしまうことになった。
失点を重ねただけで何ら成果を上げることができないままに堂々巡りした挙句に、田原に「もう一回聞きたい。どこが事実と異なるんだ?」と最初に戻ることになった。
与謝野は「ね、そのあと私、勝場(元秘書)さんの言ったでしょ。裁判官関係者に言った。おカネは来ていました。――(聞き取れない)金庫に入れました。私が民主党の議員に配った場合もあるし、鳩山自身から議員に渡したこともあります。母親から来たカネを配ったんです。党内で」と言っているが、既に偽装献金の原資は母親から出たカネだと分かっている。それを鳩山首相自身が母親から出させて秘書に回したカネだとするためには、首相本人が否定している以上、勝場の「裁判官に言った」とする証言が決定的な直接証拠でなければならない。だが、首相自身の否定が通用しているのだから、首相の関与を裏付けるどのような証拠の類ともなっていないことを証明している。
だが、与謝野はさも決定的な直接証拠であるかのように位置づけて、母親から来たカネを配ったんです。党内で」と断定するいかがわしいばかりのゴマカシを働いている。
大塚は与謝野が「この事件が起きたとき、鳩山さんが、小さなウソをついたんです。ね、だから、次々とウソをつかざるを得なかったと、いうのが今回の事件ですよ」と発言したとき、「すべてを知る立場ではないので、これ以上は申し上げませんけども――」と答えているが、そう答えたなら、間接的に認めることになる。「事実誤認があったから、訂正しただけのことではないのですか?」と可能性としてそういった訂正だったということもあり得ると答えたなら、ウソをついているというイメージを払拭できたはずだ。
大塚は与謝野の鳩山「ウソつき」発言を否定できなかったから、既に反論されているにも関わらず、「与謝野先生にはしかし私は、国会の中でああいう質問をしちゃあいけない」などと役にも立たないことを再度持ち出さなければならなくなった。
また与謝野は「鳩山さんはね、もう最初の選挙のときから、ベラボーなおカネを使って、選挙やっている人なんですから。そんなことを知らないなんて言うのはね。で、私はクリーンな政治家ですなんですということはね、全く私は、もう、おこがましいと――」と批判しているが、母親からカネを無心してもらった云々とは関係ない話である。選挙に使ったカネが母親から貰っていた小遣いを長年貯めていたということもあり得る。何しろ、一度の小遣いにしても相当な金額になったに違いない。また、そういったカネを選挙に使ったとしても買収・供応に使わなければ、選挙違反にならなかったはずだ。
朝日新聞政治担当編集委員、東京大学大学院特任教授とかいう星浩というお偉いさんは鳩山邦夫は首相はお母さんに無心はしていないということは言っているけれども、ときどきぼやいてるんだっていう遣り取りは残っている。与謝野はそれを裏づけとして取ってあって、練りに練って用意周到に質疑を行っているから、大塚の不確かな事実に基づいて間違ったことを言っているという批判に対して突き崩せない部分があるかなと、お偉いさんらしくわけの分からないことと言っているが、人間の発言が遣り取りとして残って、それが事実の裏づけとなるとする認識は人間は決してウソの発言をしないという認識、あるいは発言に対する解釈がすべて正しい、間違った解釈は存在しないという認識を同時併行させなければ成り立たない。
当然、鳩山邦夫の発言が真正な事実だとしても、解釈の仕方によってその事実が意味するところは違ってくるはずで、与謝野が鳩山邦夫の話をいくら「正確に再現したんです」と言っても、結果として正確な表現とはならない。単に言ったことは事実だからと看做して、言ったとおりの表面的な、あるいは額面どおりの解釈に立って事実を事実としているに過ぎなくなる。
鳩山邦夫が「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」と言っている以上、「多分、1年半前か2年前かと。この事務所で、全然別な用事で母と電話で話しているときに、お兄さんは、子分を養うために、おカネが大変要るということだと。で、あなたは、どうなのと。あなたは子分いないから、要らないわけ?
こう言われました。いや、あまり、そういう子分というのはないんだなあって、何か寂しかったと。これが電話の遣り取りの事実です」がどういった事実を示しているのか、あるいは母親がどういった事実を示唆していたのか解釈し直してみるべきだろう。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
児童相談所や学校等の関係機関が児童虐待を把握していながら、死なせてしまう例が跡を絶たない。ブログにも書いたが、09年9月に歯科医が患者の子どもの左ほおと両脚にあざがあるのに気づき尋ねると、「パパにぶたれた。ママは見ていて何も言わなかった」(東京新聞)と訴えたので、区子ども家庭支援センターに通報。そこから学校に通報。学校は規則どおりにだろう、区教委に連絡。学校は歯科医から通報を受けた“数日後”(と「時事ドットコム」は書いている。)、校長と副校長と担任が雁首揃えて家庭訪問、父親が暴行を認めて、二度とやらないと約束したため、警察へは連絡しなかった。
約束が政治家の公約みたいな軽いものではないのかと疑わなかったらしい。虐待を把握してからの9月は7日欠席。10月は11日学校を欠席。12月は6日欠席。10年1月は8日欠席。
1月23日、両親から暴行を受け意識不明となり病院に搬送。翌24日死亡。
7歳の寿命を以ってしてこの世から去るために生まれてきたわけではないはずだ。7歳で死なすためにこの世に生命(いのち)を設けたわけでもあるまい。
だが、結果として7歳でこの世から去るために生まれてきた。7歳で死なすためにこの世に生を授けた。残酷過ぎるではないか。
この残酷さを児童保護機関は考えもしないらしい。児童保護機関が児童保護の危機管理が機能しないという逆説に立っているからだろう。
学校は担任が12月に3回家庭訪問したと言うが、父親にも会ったわけではない、子どもに会ったわけではない、母親に会ったが、子どもとの関係を聞きもしない、単に学校行事の連絡を果たす家庭訪問に過ぎなかった。
それを以て3回家庭訪問したと言う。
学校も区教委も区子ども家庭支援センターも児童虐待に対して何ら機能しなかった。児童保護機関でありながら、親の虐待から子どもの生命(いのち)を守る保護の役目を何ら機能させることができなかった。
次に明るみとなった児童保護機関が機能しなかった児童虐待例を《「家庭復帰に問題はなかった」 児童虐待で児童相談所が会見》(msn産経/2010.2.11 21:48 )等から見てみる。
2009年6月下旬、26歳の母親が夫の連れ子である当時4歳の長女を虐待、兵庫県川西こども家庭センターが6月25日から一時保護したが7月23日に保護措置を解除。(以上「msn産経」)から。
これ以降の経緯は09年11月24日夕方自宅のベランダで嘔吐したあと意識不明となり、神戸市内の病院に搬送、5日後の11月29日に5歳で死亡。
兵庫県警が2月11日に離婚して(離婚させられて?)秋田県の実家に戻っていた元母親を傷害の疑いで逮捕。警察は傷害致死の容疑でも調べる方針だという。(「YOMIURI ONLINE」と「FNN」記事から)
上記「msn産経」記事が一時保護した兵庫県川西こども家庭センターの中井一仁所長の2月11日夜の記者会見の模様を伝えている。
保護措置解除して家庭に戻した判断について――
中井所長「周囲のサポート体制を整えたうえでの復帰であり、問題はなかった。・・・・復帰後に、親子をセンターへ通所させる回数が適切だったかについては反省が残る」
だが、虐待は継続して繰返されていたことは祖母や近所の住人が把握している。さらに《死亡1か月前も、女児がほお腫らす…三田・女児虐待》(YOMIURI ONLINE/2010年2月13日)によると、09年7月23日からの一時保護措置解除後の、死亡約1か月前の昨年10月下旬頃、自宅近くで子どもがほおを赤く腫らして歩いているのを近所の住民が目撃しているし、同じ10月22日には通園している保育園の関係者が頬の腫れた跡に気づいて子どもと母親に尋ねたところ、二人とも「ドライヤーが当たった」と説明したため児童相談所に通報はしなかったが、その「説明に不審な印象はあった」としている。
「説明に不信な印象」を持ちながら、児童相談所に通報しないこの鈍感さからは“保育”という教育に不可欠な思い遣りの資質を窺うことはできない。
罪逃れのためにドライヤーで叩いたことを「ドライヤーが当たった」と虚偽の証言をした可能性をも疑わなければならなかったはずだ。少なくとも「説明に不信な印象」を抱くまでに至っていたなら、その「不信」を誰かに聞かれたら、「ドライヤーが当たった」と言うんだよと言い含めていたかも知れないところまで広げる配慮が必要だったはずだ。勿論この配慮は4歳の女の子に向けるべき思い遣りが生じせしめる配慮であることは断るまでもない。
だが、その配慮さえも欠いていた。ここにも児童保護の危機管理が機能しない児童保護機関という逆説を見ることができる。
家庭復帰後も虐待を把握していなかったのは児童保護機関である兵庫県川西こども家庭センターのみであった。にも関わらず、「周囲のサポート体制を整えたうえでの復帰であり、問題はなかった」と言っている。
さらに「msn産経」記事は中井所長の次の言葉も伝えている
「亡くなられたのは残念だが、(11月の時点では)虐待行為などはなかったと認識している」
これは言い張りに過ぎない。自分たちが虐待を把握していなかったに過ぎないからだ。
上記7歳男児の虐待とそれとの因果関係がはっきりしないとしている死亡事件を扱った前のブログで、〈例えこの7歳児童の死亡が親の虐待を死因としていなかったとしても、虐待を学校もセンターも児童相談所も区教委も把握できなかった。把握できなかったということは虐待は存在しないとしていたことを示す。〉と書いたが、まさに把握していなかったことによる「虐待行為などはなかったと認識している」に過ぎない。
児童保護機関が保護機関として機能していないことのこの空回りも何ともし難い。
そして記事は子どもを川西こども家庭センターが家庭復帰させた理由を次のように書いている。
〈昨年6月25日に夏美ちゃんを保護した後、継母の寺本容疑者が育児ストレスなどのために虐待行為を繰り返していたことを認め、親子関係の改善もみられたため、家庭復帰が可能と判断。7月23日に保護措置を解除した。
その後、寺本容疑者は夏美ちゃんらと計3回、センターで面談を受けるなどしたが、この時点で問題は見受けらなかったという。〉――
母親の「虐待行為を繰り返していたことを認め」たは、このブログ記事の最初に挙げた虐待事件の父親が暴行を認めて、二度とやらないと約束したことに通じる。簡単に信じる安易さはどこから来ているかというと、自身が担っている職務に対する責任意識の希薄性から来ていることは断るまでもあるまい。
さらに川西こども家庭センターは、〈寺本容疑者は夏美ちゃんらと計3回、センターで面談を受けるなどしたが、この時点で問題は見受けらなかった〉としているが、上記男児虐待でも、学校が親が保護者会に積極的に参加し、協力的だからと様子を見ることにしたことに通じる。
両者とも児童保護が機能しない相通じる判断能力の持主となっている。センターへ通所にしても、そこでの面談にしても、そのとき限りの装った姿を取ることが可能だということを疑いもしない。
児童保護の何を学んでいるのか知らないが、家の中で子どもに虐待を行う悪者となっている親は外ではそれを隠すために世間向けのいい親を演ずる傾向にあることを知識としていない。会社で従順な社員を演じながら、家では暴君と化す男と似ている。
少なくとも兵庫県川西こども家庭センターの中井一仁所長は自分たちの対応を「問題なかった」としているのだから、5歳の女児の“死の事実”に対してホンネのところでは責任も痛みも何も感じていないに違いない。
「復帰後に、親子をセンターへ通所させる回数が適切だったかについては反省が残る」は、“通所回数”のみに責任を限定しようとする意思の働きからの発言であろう。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
自民党の鳩山邦夫元総務大臣が12日の午前中、多分与謝野馨元財務・金融担当相が衆議院予算委員会で鳩山邦夫から聞いた話として鳩山首相を追及したことから、確認する意味でマスコミ記者に求められて急遽用意した記者会見だと思われるが、「NHK」記事――《“母親が「兄は金が要る」”》(10年2月12日 17時6分 )の動画では10人程集まっていた記者の前に現れて、ビルの周囲が一段高くなっているのか、慣れた態度で一段上がる感じでその真ん中に進み、振返って悠然と記者たちに囲まれる形を取ってから、おもむろに口を開いた。
鳩山邦夫「多分、1年半前か2年前かと。この事務所で、(一語一語確かめるようなゆっくりとした口調で)全然別な用事で母と電話で話しているときに、お兄さんは、子分を養うために、おカネが大変要るということだと。で、あなたは、どうなのと。あなたは子分いないから、要らないわけ?
こう言われました。いや、あまり(フッと短い笑いを漏らして)、そういう子分というのはないんだなあって、何か寂しかったと。これが電話の遣り取りの事実です」
鳩山邦夫(鳩山首相の資金管理団体の収支報告書にうその記載があったことについて)「私も、あの、私の知り合いに、ええー、貰ったことにしてくれっていう電話が入ったというのは何件か聞いていますよ」(以上NHK動画から)
動画にはその場面は出ていなかったが、鳩山邦夫は一方で次のように述べたと記事は書いている。
「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」
「これが電話の遣り取りの事実」だとしても、いくら政敵だからといって戦国時代の敵味方に別れて殺すか殺されるかの戦いを強いられているわけではなく、兄弟であることに変わりはないはずだ。普通は黙って庇うはずの身内の話を記者会見の形で世間にバラすといったことをした。
兄弟の情も信頼関係も既に失われ、蹴落としてやりたい憎悪、もしくは敵意に支配されているようだ。鳩山首相辞任――ということにもなれば、内心ザマー見ろという感情を抱くに違いない。蹴落とす爆薬に化けない保証のない暴露だからだ。
例え兄の由紀夫が弟の邦夫を裏切る行為を仕出かした報復として抱いた蹴落としてやりたい感情で、正当性は我にありと思っていたとしても、「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」、実際のところは把握していない話を記者会見を開いて公の情報とする態度は人間の風上にも置けない
(【風上に置けない】「(風上に悪臭を発するものがあると、風下では非常に臭いことから)卑劣な人間を罵っていう語」(『大辞林』三省堂)
内閣支持率は下がっているのに自民党の支持率は上がらない。景気回復の足音が聞こえ始めて、それが民主党と鳩山内閣に有利に働きかねない状況にある。自民党の支持率が上がらないまま参院選は近づいている。自民党自体が焦って、何としても政治とカネの問題で民主党に一泡吹かせて、自民党に風を吹かしたい。
そのような魂胆に鳩山邦夫も一役買って出たのか。自民党の誰も彼もヤキが回っているとしか思えないが、鳩山邦夫が母親の電話の話を本人自らが「私と母の会話は事実。与謝野氏という親しい政治家にしゃべったのも事実。人の会話を首相といえども否定することはできない」(東奥日報)と認めているように与謝野馨に喋って、与謝野にもヤキが乗り移ったのか、12日の衆院予算委員会でその話を鳩山首相への追及材料とした。
衆院予算委員会での鳩山首相と与謝野の遣り取りを「時事ドットコム」記事――《衆院予算委の詳報》(2010/02/12-21:23)が伝えている。(参考引用)
【首相の偽装献金事件】
与謝野馨氏(自民=比例東京) この事件は実はあなたの犯罪だ。親分は助かるが子分は警察に出頭するというのは、やくざ映画のシーンにいっぱい出てくる。勝場啓二元秘書の罪はそんなに軽いものではない。
鳩山由紀夫首相 勝場元秘書の行った罪の重さは私も理解している。
与謝野氏 首相自身の(自らの資金管理団体への)寄付が政治資金規正法の量的制限をオーバーしたと認めるべきだ。
首相 私は寄付をするつもりなどまるでなかったし、貸し付けという形に当然なっていると考えていた。
与謝野氏 首相や元秘書らは口裏合わせを行った。証拠隠滅だ。
首相 私は少なくとも新聞報道以来、勝場元秘書と一切会っていない。口裏合わせのようなことは一切行っていない。
与謝野氏 西松建設をめぐる小沢一郎民主党幹事長に関する検察の捜査を、なぜ国策捜査と言ったのか。
首相 多少感情的な高ぶりの中であのような発言をしたが、その後反省をして、一切そのような文言は使っていない。従って、国策捜査だと現実に思ったわけではない。申し訳なかったと思っている。
与謝野氏 (首相の実弟の)鳩山邦夫自民党衆院議員がぼやいていた。「うちの兄貴はしょっちゅう、お母さんのところに行って、子分に配る金が必要だとお金をもらっていた」と。実際は母と政治資金の話をしているのではないか。
首相 全くの作り話だ。兄弟といっても信じられない話だ。母に対して金を無心し「子分に配るお金をくれ」なんて言うわけない。
与謝野氏 あなたの代わりに、民主党の現職議員が首相の仲間にお金を配ったという話を知っているか。
首相 (現職議員が)誰だか分からないし、配った事実はないので、全く知りません。
与謝野氏 日本の税制は自己申告制だ。平成に入ってからこんなに多額の脱税をした人はいない。首相は平成の脱税王だ。
首相 資金提供は検察によって事実が判明するまで全く知らなかった。贈与と理解して納税した。
大口善徳氏(公明=比例東海) 首相は国民に対し申し訳ないと思っているのか。
首相 知らなかったとはいえ、責任はないとしらじらしく言うつもりはない。「新しい政治をつくれ」と言ってくれる方々の期待に応えるとの思いの下で身を粉にして働いて使命を果たしたい。
与謝野発言の「親分は助かるが子分は警察に出頭する」云々の箇所は「TBS」記事――《与謝野氏、「首相は平成の脱税王」》では次のようになっている。
「あなたをかばうためにやったんですよ、勝場さん(元秘書)は。実は、あなたの犯罪なんですよ、ね?私、最近はヤクザ映画を見ますけどね、ヤクザ映画のシーンにいっぱい出てくるんですよ。親分は助かる、子分は警察に出頭する」
鳩山首相「与謝野議員から“ヤクザ”と同じように扱われるのはいささかとは思っておりますが・・・」――
与謝野なる政治家は政治的知性を自らの成り立ちの資質としているのではなく、そんなものはクスリにもせず、生き馬の目を抜く油断のならない政治世界にまでやくざ世界限定の大仰な義理だ人情だを持ち込み、人間関係の道具としているようだ。
政治的知性を自らが依って立つ存在証明とはせせず、義理人情を人間関係維持の道具とするということなら、カネが必要なのは鳩山首相よりも与謝野という政治家の方ということにならないだろうか。
「msn産経」記事――《【鳩山vs与謝野】(2)衆院予算委・菅氏「冷静な与謝野氏の言葉とは思えない」(12日午前)》(2010.2.12 13:31) に与謝野発言の次のような件(くだり)が出ている。
〈与謝野氏「去年は(西松献金事件に関し)国策捜査といい、今度は検察は正しくて自分は立件されなかったと。そういうご都合主義はダメだ。なぜ国策捜査と言ったのか」
首相「多少感情的な高ぶりで発言したが、反省してその後はそのような文言は一切使っていない。国策捜査と現実に思ったわけではない」
与謝野氏「言葉は一度口から出ると魂を得て世の中をさまようから言霊という。だから政治家は言っちゃあいけない。政治家失格だ。これからの発言もいつでも取り消せる。感情の高ぶりといういい加減なことを言ってはダメだ。一度言ったらダメだ。あなたは政治的な信念に断固たる信念持って発言しているのか」
首相「そのようにありたいし、特にこのような立場でそのように行動したい。(西松)事件が起きたときに青天の霹靂(へきれき)の状況で申し上げたことは申し訳なかった」〉――
与謝野馨の“やくざ子分イケニエ論”は弟の鳩山邦夫が母親から聞いたという「お兄さんは、子分を養うために」云々の連想から用いたのだとは思うが、鳩山邦夫の「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」不確実な事実を「うちの兄貴はしょっちゅう、お母さんのところに行って、子分に配る金が必要だとお金をもらっていた」と確実な事実に脚色する言葉の業師が、「言霊」を持ち出して、「言葉は一度口から出ると魂を得て世の中をさまよう」などと言い出すとは恐れ入る。
与謝野馨が12日の衆議院予算委員会で質問に立った時間は9時44分で52分間質問している。鳩山首相を追及する時点に至るまで鳩山邦夫の「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」を直接聞いていなかったということなら、不確実な事実であることを伏せて、さも確実な事実であるが如くに与謝野に話した鳩山邦夫の「言霊」を今度は問題としなければならない。
その「言霊」の程度を知る格好の出来事がある。
鳩山邦夫は福田政権下の法務大臣を務めていた2007年10月29日に日本外国特派員協会で講演したとき、入国外国人に指紋採取を義務づける改正出入国管理・難民認定法に関する質疑の中で例の有名になった「私の友人の友人がアルカイダ」発言をやらかしている。
鳩山法務大臣「私の女房は結婚する前は外国人登録証明書を持ち歩いていました。あのー・・・・、アメリカ、9・11以来ですね、えー、私共国会議員でも、アメリカへ行くと、パンツの中までは調べられませんけれども、靴の中は調べられますよね。それは本当に悲しいことだと思います」――
必要性の是非を以ってして論ずるべきを、政治家にあるまじく「悲しい」と感情で対応している。
鳩山邦夫「あのー、私の友人の(ゆっくりと一言一言噛みしめるように)・・・・友人が、アルカイダなんですねえ。私は会ったことはないんですけども、オー、2、3年前は、何度も、日本に来ていたようです。でー、毎日色んなパスポートで、色んな、あのー、(口のところに左手を持っていき)ヒゲで、あの、分からないらしいんですねえ。毎日、大勢の外国の方が見えるんで。
彼はバリ島の、あのー、中心部の爆破事件に絡んでおりましたけども、私は彼の友人の友人ですけども、オー、バリ島の中心部は爆破するから、近づかないようにというアドバイスは受けておりました。私は(自分の胸のところに右手を持っていって指差し、自分がと念を押すように言う)。
ですから、あの、そういう方が、え、しょっちゅう日本に平気で入ってこれるっていうのは、やはり、あの、アン、安全上、好ましくないので、これで一度指紋を取っていただくと(指紋照合の機械に両手の指をかざす具合のジェスチャーを見せて)、顔写真の方は変形した、変装があるでしょうけども、1回取っていただくと、これはあの、ピン(?)できますから、また、アメリカから他の、どこだっけか?(と会場右手の方に手を上げて指差して尋ねるが、芳しい返事が貰えなかったようで)、まあ、色んなお互いの、その情報でですね、エー、そういうテロリスト、あるいはその関連、の方々の入国をチェックする必要性は、残念ながら、今の日本では、まだあると思います」(YUO YUBE動画から)
要するに日本は危険人物の入国管理が未だ発展途上で、入国審査をより厳格にする必要性があると言いたかったのだろうが、回りくどいばかりの発言となっている。
よく見受けることだが、テロリストの類の危険人物を指して丁寧語に当たる「――方」をつける愚か者は日本の政治家ぐらいのものではないのか。凶悪犯罪を犯した犯人に対しても、「犯人の方」と言ったりする。
外国特派員協会の講演ということで得意然と話をしたのだろうが、ところが講演したその日にバリ島の爆破情報を事前に把握していながら、法務大臣という立場上適切な予防措置を取るべきを取らなかった怠慢が問題視されると、たちまち前言を訂正、謝罪している。
「予告を聞いたのは友人で、私がその友人から話を聞いたのは事件の3、4カ月後だった。・・・・舌足らずだったと反省している」(サンスポ/2007年10月30日)
「バリ島の中心部は爆破するから、近づかないようにというアドバイスは受けておりました」と事前に予告されていたことが、「私がその友人から話を聞いたのは事件の3、4カ月後だった」の事後のすり替えとなっている。事後であるなら、「近づかないようにというアドバイス」は必要ではなくなり、何のためのアドバイスだったのかということになるが、鳩山邦夫の「言葉は一度口から出ると魂を得て世の中をさまよう」という「言霊」はその程度に軽く、信用が置けないということなのだろう。
だが、鳩山邦夫なる政治家がこのような軽くて信用の置けない「言霊」の持主であることを与謝野馨も自民党幹部政治家として身近にいて知り得ていたはずである。
当然、鳩山邦夫から「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」を直接聞いていなかったとしても、鳩山首相に「言葉は一度口から出ると魂を得て世の中をさまようから言霊という。だから政治家は言っちゃあいけない」などと批判して説教を垂れる身分に自分を置いている以上、鳩山邦夫の「言霊」の程度を身近にいて知っているはずでもあるのだから、その「言霊」にしても疑って確かめてみる判断力を持っていなければ、他人の「言霊」を批判して説教を垂れる身分に自分を置いている資格を失うはずだ。
だが、見抜けずに鳩山邦夫の「母は、兄が『お金を無心してきた』とは言っておらず、母に対して兄が言ったのか、秘書が言ったのかは、知らない」不確実な事実を「うちの兄貴はしょっちゅう、お母さんのところに行って、子分に配る金が必要だとお金をもらっていた」と確実な事実とする「言霊」を以ってして鳩山首相を追及した。
自らが言う「言霊」に矛盾した「言霊」の発揮であろう。
ヤキばかりか、支持率が一向に上がらない自民党の焦りが与謝野馨にも取りついて、「言霊」を正確に把握する神通力まで失ってしまったようだ。やくざの義理人情に頼るだけのことはある。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
久々の橋下府知事批判記事――
各マスコミ調査の橋下大阪府知事支持率が凄い。毎日新聞は70%だが、その他は80%前後の高支持率を伝えている。産経新聞社の《支持率83・2% 橋下知事就任2年、大阪府民意識調査》(msn産経/2010.2.2 08:08)が1月23、24の両日に実施した20代以上の府民500人対象のインターネット調査では支持率は83・2%、09年1月前回調査比1・6ポイントアップし、知事就任後これまで5回の調査で最も高い支持率を記録したという。不支持率は前回の14・4%より1・8ポイント低い12・6%。
複数回答の支持する理由。「リーダーシップがある」(78・8%)、「政策に期待できる」(63・7%)
指導者として必要な資質である指導力及び決断力と政策的創造性を二つとも満たしていると受け止められているのだから凄い。
どのような政策に期待しているかというと、WTCビルへの府庁舎移転が65・8%、府と大阪市の再編を含む地域主権に向けた取り組みが68・0%、伊丹空港廃止が44・8%とそれぞれ支持している。だが、すべて今後の課題である。
3年目に期待する施策(複数回答)では「財政再建」が64・4%、「景気対策・産業振興」が63・6%は未だ発展途上ということか。
1月16、17両日実施の70%というより低い支持率で現れた「毎日jp」記事――《橋下・大阪府知事:支持率70% 政策への期待は低迷--就任2年、毎日新聞調査》(2010年1月19日)は題名どおりに「msn産経」記事とは逆の結果を示している。
〈「支持しない」は8%(前回調査比3ポイント増)、「どちらとも言えない」が22%(同3ポイント減)だった。男女の支持率はそれぞれ72%と68%。支持する理由は「実行力があるから」(41%)「政治のあり方が変わりそう」(33%)など。「政策に期待できる」は16%にとどまった。
2年の取り組みで評価する点は「財政再建」が突出しており45%に上った。次いで「地方分権」「学力向上」がそれぞれ12%。逆に評価しない点は「イルミネーションなど都市景観づくり」(26%)▽「府庁舎の移転構想」(19%)▽「関西国際空港の活性化」(15%)など。〉としているが、〈「実行力があるから」(41%)〉と〈「政策に期待できる」(16%)〉は重なって一致すべき期待値であるはずが、一致しないと言うことは、実行力に期待できても、期待していい政策を創造できていない、提示し得ていないということなのだろうか。
年度末に近づいたからなのか、一連の高支持率調査に勢いづいたからなのか、知事は2月10日の定例記者会見で、「内部評価」に基づいた知事公約の進捗状況を纏め、公表したと「大阪日日新聞」WEB記事――《公約○は10項目 橋下知事、話題先行批判に反論》(2010年2月11日)が伝えている。
「○△×」方式で区分けされ、17重点事業のうち達成を表す「○」は10項目。
知事が選挙公約として掲げた42項目施策構成、17重点事業の「『おおさか』を笑顔にするプラン」に関しては、「出産・子育てアドバイザー制度」「駅前・駅中の保育施設整備」「子どものいる若い世代の家賃補助」など子育て支援に関する5項目は「×」としている。
この「○△×」方式の公約達成度評価は、〈任期折り返しの“通信簿”の見方もできるが内部評価に過ぎず、橋下知事は「(府民の)批判を受けたい」〉と府民による“外部評価”を待つ姿勢を示したという。
その一方で、「思ったよりも○が多かった」と振り返ったというが、これは府民の“外部評価”を受ける前の内部評価を基準とした自己評価に過ぎないのだから、現時点では自画自賛の類に堕す。
記事はまた次のように伝えている。〈一方で、刺激的な発言で波紋を広げる手法に対する“批判の声”に関しては「メッセージを発して事態を動かすのも政治家の役割」と反論した。〉と。
「事態を動かす」のは結構だが、それは第一歩の「役割」に過ぎない。日本の政治家としては才能稀な橋下知事のことだから、“政治は結果責任”を常に頭に置いているだろうが、一定の成算の上に立って「事態を動か」し、動かした「事態」の結末・成果を以って初めて「政治家の役割」とすることができるはずだが、どうも「事態を動かす」ことに意義を置いているような発言に見える。
「出産・子育てアドバイザー制度」、「駅前・駅中の保育施設整備」、「子どものいる若い世代の家賃補助」等の子育て支援に関して「×」とした5項目に関してのコメント――
「一括交付金で市町村に任せた。身近な子育て支援に不満があれば市町村長に文句を言って」
記事は〈公約違反には当たらないとの立場を強調〉した発言だとしているが、不満があっても、俺に文句を言うに当たらないとしているのだから、俺には関係ないと言ったのと同じことになる。
だが、「出産・子育てアドバイザー制度」、「駅前・駅中の保育施設整備」、「子どものいる若い世代の家賃補助」等の子育て支援政策は自らが掲げた公約である以上、例え「一括交付金で市町村に任せた」としても、それらの公約実現の責任は公約を掲げた本人として負っているはずだ。自ら公約して、カネを出して市町村に任せたに過ぎない。
任せたことの責任とその完成に対しての責任は残るはずだが、その責任まで取り外してすべての責任は相手にあるとするのは無責任に過ぎる。
出したカネが自らが掲げた公約の実現に向かわなければ、カネを出した意味自体を失う。「一括交付金」をドブに捨てたといったことにもなりかねない。発注した公共施設が外観の壁は出来上がったが、仕切り壁や階段、エレベーター等々の内部が全然出来上がっていない建物を引き渡されようなもので、だからと言って、工事業者を工事指名し任せた責任と完成品を受け取る責任は発注者に帰せられるはずだ。
カネを出した意味を失わないように、「一括交付金」をドブに捨てたといったことにならないように管理監督する責任もあるはずで、にも関わらず、「一括交付金で市町村に任せた」は政策の丸投げであり、「不満があれば市町村長に文句を言って」は責任の丸投げとしか言いようがない。
「一括交付金で市町村に任せた。身近な子育て支援に不満があれば市町村長に文句を言って」が正当性ある言い分であるなら、子育て支援に関わる公約達成度評価の「○」、「×」にしても自らが行うべきではなく、市町村に丸投げすべきであろう。事業も丸投げ、責任も丸投げに応じて評価も丸投げとしなければ公平性を失う。市町村が好き勝手にできるというものである。
橋下知事は自己を絶対とする割にはその絶対性を職務管轄内の市町村にまで波及させる影響力を持たないらしい。その一例が大阪府と大阪市の「府市再編構想」をぶち上げたものの、大阪市長の反撥を食らって立ち往生していることに現れているが、自分が思っている程にその絶対性が通用していないことを物語っている。
いわば「府市再編構想」をぶち上げるまでの「事態を動かす」ことはできたが、それ以上進まないということなら、政治は結果責任を反故とすることとなって、「事態を動かすのも政治家の役割」にしても意味を失う。
大阪平松市長は橋下知事の「府市再編構想」について言っている。
「具体性がない話をさも具体性があるかのように話す能力の素晴らしさには感心した」(スポニチ)
橋下知事の絶対性が形無しの味噌クソもない皮肉となっている。
また橋下知事が昨年7~9月の府の完全失業率(推計値)が7.7%と全国最悪だった原因について1月27日の記者会見ふで次のような発言したことを「asahi.com」記事――《橋下知事「働く側がえり好みしすぎ」 失業率最悪で》(2010年1月28日)が伝えている。
「本当に大阪に就労先がないのかと言えば、それは違う。働く側が、えり好みをしすぎなんじゃないか」
その根拠として、〈大阪の15~24歳の男性の正規職員希望率が、全国の50.5%より10ポイント低い40.8%にとどまっていること〉を挙げたという。
「大阪は都市部なので、つらい仕事かもしれないが、働き先はゼロではないと思う。ただ全部吸収できるわけじゃないので、(求人と求職の)マッチングは一生懸命やっていく」
果して記事が解説しているように、「えり好み」といった〈職を探す人たちの意識の問題も一因〉ということに尽きる大阪府の全国最悪の失業率で済ましていいのだろうか。
派遣切りや正社員カット、あるいは会社倒産等を原因としたホームレス化の進行、ネットカフェ難民の増加、そして仕事を探す者にとって尤も肝心な指標である有効求人倍率が前年より0.41ポイント低下の09年平均で0.47倍といった状況は仕事を求めても仕事がない状況を示していて(誰が好き好んでホームレスになったり、ネットカフェ難民になるものか)、そのような窮状がそのまま「えり好み」といった個人的意識、あるいは個人的我が侭を許してくれる状況として存在可能となるのだろうか。
大阪の15~24歳の男性の正規職員希望率が全国平均の50.5%より10ポイント低い40.8%だということは全国最悪7.7%の完全失業率とも対応した正規職員就職への諦めとも解釈できる。いわば今の最悪な雇用状況では非正規職員にしたって見つかるかどうか分からないというのに正規職員など高嶺の花だ、ないものねだりだ、探すのは時間の無駄だと諦めて、非正規の道を選択するが、選択したとしても、見つかる保証は限りなく小さい――そういったことからの正規職員希望率の低さといったこともあるはずだ。
勿論、求人倍率はゼロではないから、「働き先はゼロではない」。但し0.47倍の低さだから、「全部吸収できるわけじゃない」は当たり前のことだが、問題は「吸収」の恩恵を受けることができずに落ちこぼれる0.53%に入る失業者等の消すことができない存在である。
それを「えり好み」の一言で片付ける。これは若者への責任転嫁であろう。
尤も「えり好み」だと失業者に責任転嫁することによって、自己の責任は守ることができる。自分の責任を守るということは自己を絶対的としている権威主義的な過剰な自信を揺るぎないものとして守ることでもある。
橋下知事は成果を上げない政策・公約の類すべてを他に責任転嫁して済ますといったことをするのではないだろうか。自身に自信があり過ぎて自分は正しい、自分は絶対だとする人間程、その反動として間違いを認めたくない意識から陥りやすい落とし穴として待ち構えているように思える。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
2月9日付「msn産経」の「福島保」なる記者の署名記事――《【すぽーつサロン】誰が横綱の品格を問えるのか》(2010.2.9 21:07)は、「土俵では鬼になるという気持」(朝青龍)で闘争心をかき立て、強くなりたい一心で「品格」など眼中にないまま、最高位に上り詰めた奔放な朝青龍は最後まで「横綱の品格」を理解できなかったのではないのか、そんな朝青龍に「品格」なるものを教え込むのは師匠の高砂親方の役目だったという声があるが、大関止まりの高砂親方では無理というなら、協会全体で教育すべきだったという批判もある、しかし、〈国ごと「品格」を失ったのだ、誰が教えられたろう、この国で「品格」を問われ、たじろがない人がどれくらいいるだろう。〉、といった言葉の展開で品格のない点で朝青龍も日本も同罪だと断じている。
要するに「品格がない」という批判は朝青龍だけではなく、日本、もしくは日本人自体に向けるべきだというわけである。
ではなぜ日本は〈国ごと「品格」を失った〉のか、その理由を次のように書いている。
〈今、この国では「品格」は死語に近い。お茶の水女子大の藤原正彦名誉教授が指摘するように、戦後日本は経済成長と引き換えに、国を挙げて「品格」を捨ててきた。忍耐、誠実、慈愛、勇気、惻隠…日本人の美徳の多くを失ってきた。〉と――
いわばかつて存在したが、戦後の経済成長と供に失ってしまった、そのとおりだと藤原正彦の言葉を借りて言っている。
そう言えばかなり前になるが、藤原正彦なる学者だか何だかが「国家の品格」だとかいう著書があって、それがベストセラーになっていて、よくテレビに出て、「品格」だ、何だと喋っていたなと思い出したが、言っていること自体の胡散臭さから喋っている本人にニセモノの人間性を感じ取っていたから、司会者が感心頻(しき)りといった納得顔で頷くのを馬鹿げた話だと無視してきた。
藤原正彦著「国家の品格」は読んでもいないし、腹が立つだけだろうから読むつもりもないが、インターネットでどれくらいのベストセラーとなったのか調べていると、「藤原正彦の品格、国家の品格」(《読んで ムカつく 噛みつき評論》)に出くわした。
私などは足許にも及ばないなかなかの文章だが、横着で無責任であることを承知で、「国家の品格」への批判はそちらに任せることにした。
大体が自己利害の生きものであることを本性としている人間に「品格」を求めること自体が土台無理な話なのは利害と「品格」とは相容れない価値観だからだ。相撲取りにとって勝負こそが自己利害のすべてであって、「品格」が最大の自己利害である勝負の決定権を握っているわけではない。
プリウスのリコール問題で記者会見したトヨタの豊田社長のユーザーの視点を言いつつ、企業防衛を自己利害の優先事項とさせた態度は決して「品格」ある態度とは言えなかったはずだ。
要するに「品格」とは自己利害と関わって、その変数として存在するに過ぎない。決して「msn産経」記者が言ってるように、〈国ごと「品格」を失っ〉ているのだから、無理のない話しだとすることはできないはずだ。
当然のこととして、「戦後日本は経済成長と引き換えに、国を挙げて「品格」を捨ててきた」〉わけでも何でもないことになる。身も蓋もない話だが、「日本の美徳」だとする「忍耐、誠実、慈愛、勇気、惻隠」〉にしても、何らかの自己利害の一致を見た場合の発揮物でしかないと言える。
但し、「品格」を表向きの態度として演ずることはできる。自己利害が命じた場合の必要性から自身への装わせとして身につけることは可能である。
上記記事に次の一文が挿入されている。
〈国技といわれる大相撲の横綱は、単なる相撲の王者ではすまされない。若くして、心技体の充実を求められ、土俵上でも私人としても「品格」を期待される。
栃若時代を築いた栃錦、若乃花(初代)、柏鵬時代の柏戸、大鵬にはそれぞれ横綱としての威厳があった。同時に地位への使命感、緊張感が漂っていたように思う。「横綱の品格」とは、一種、抑制の美しさではないだろうか。〉――
「『横綱の品格』とは、一種、抑制の美しさではないだろうか」とはうまいことを言っているが、大相撲が国技だ、日本の伝統だ、文化だ、「神事」が原点だ、内館牧子の場合は「土俵は俵で結界された聖域である」だ、要するに聖なる領域と俗なる領域が俵で仕切られている神聖な場所だと言うなら、「品格」を横綱にのみ求めるのではなく、幕内力士や十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口等々のすべての力士にも求めるべきで、そのためには相撲部屋に新規に入門した新弟子当時から即座に「品格」教育を施すことを土俵に上がる準備とすべきだが、それを「横綱の品格」のみを云々するのはそもそもからして無理があり、矛盾している。
なぜすべての力士に「品格」を求めないのか、その理由は多分、相撲部屋に入門してから即座に「品格」教育を施した場合、「品格」に囚われるあまり、いわば記事が言っているところの「抑制の美しさ」に囚われて、それが自分が持っている相撲の力の抑制に働いて、一人ひとりが持つ持ち味を殺してしまい、「品格」を競う競技と化し、スポーツとしての面白みも意外性もない、単なる儀式と化してしまうからだろう。
だが、一番強くなった横綱にこそ、「品格」を求めやすい。横綱という最高位に就いている意識がそれ相応の貫禄を与えることと大関以下の力士との力の差が「品格」を演ずる余裕を与えてくれるからだ。
このことを裏返して言うと、横綱以外の例えば大関の場合は一般的には横綱に対して力の差があり、他の大関や幕下上位に対しては力の差が生じない勝負もあることから、なり振り構わず精一杯にぶっつかっていくしかないために「品格」を演じている余裕はないということである。
このことは前頭以下のすべての力士にも言えることで、「抑制の美しさ」を決め込んで「品格」を演じたりしていたら、その分、自分から力を殺ぐことになるだろう。
だとしても、すべての力士に「品格」を求めないのは土俵は聖域だ、神事だといった大相撲の位置づけを大相撲自身が裏切る矛盾であることに変わりはない。それを横綱にのみ求める矛盾の無視自体が大相撲の自己利害に立った「品格」要求であることを物語っている。
大関にしてもそうだが、横綱が年齢や体力的な疲れから力が衰えてくると、貫禄だけで横綱の体面を保とうとする。だが如何せん、負けが込んできた横綱は土俵入りではそれ相応の「品格」を演じて見せることができても、横綱の体面上も最大の自己利害に相当する勝負でそれを満足させることができなくなってきた場合、負けて土俵上で相手力士に頭をうなだれるようにして“礼”の挨拶する態度には自らを情けないとする心情は汲み取れても、「品格」を感じ取ることはできない。
また弱くなった横綱に、「引っ込め」、「引退しろ」と罵声を浴びせる観客がいるが、このことは観客にとっても最大の自己利害が横綱の「品格」なのではなく、勝負であることを証明している。多分、横綱が何か問題を起こしたときだけ求める「品格」ではないだろうか。
だが、厳密に言うと横綱にしても土俵上で常に「品格」を演じているわけではない。「品格」を求められるから堂々とした態度を取るが、土俵上の勝負自体に関しては相手のタイミングを外す手のつき方をしたり、待ったをしたり、時には格下力士に対して右に飛んだり、左に飛んだり、「品格」とは無縁の勝負優先の自己利害に走ることもある。既に言ったように、「品格」が最大の自己利害である勝負の力となるわけではないからだ。
また、横綱が「品格」を備えているとしたら、親方になってもその品格は失わないはずで、失って横綱時代のみの「品格」であったなら、見せ掛けの「品格」と化す。
相撲協会の理事の多くが元横綱で占められているにも関わらず、理事選挙で一門間で立候補者の数を絞ったり、票の割り振りをしたり、投票ではなく話し合いで決めたり、一門の話し合いに反して立候補した者に対して破門を言い渡す、あるいは破門の形で排除する内向きの閉鎖的な組織運営や親方株をときには億という単位で売買する、あるいは親方や力士が問題を起こすと率先した自浄作用よりも組織防衛に走る自己利害からは横綱時代に身につけたはずの「品格」を窺うことができないばかりか、その「品格」が横綱にならないまま引退した他の理事に何ら影響を与えていない結果としても生じている「品格」のない組織運営であることからすると、横綱時代に身につけたとする「品格」が見せ掛けのであったことの証明としかならない。
2007年6月に15代時津風親方が部屋付きの新弟子に対して部屋の力士に稽古と称して暴力を揮わせ、自身もビール瓶で頭を殴ったりして死亡させたリンチ死事件の相撲協会自体の真相解明に当時の北の湖理事長が当たったが、あるとしたら、「品格」とはこういったときにこそ毅然として発揮されるべきだが、組織防衛を最大利害としたその迅速とは程遠い事勿れな対応に元横綱の「品格」を見た者が果たしていただろうか。
そもそもからして、「お茶の水女子大の藤原正彦名誉教授が指摘するように、戦後日本は経済成長と引き換えに、国を挙げて「品格」を捨ててきた。忍耐、誠実、慈愛、勇気、惻隠…日本人の美徳の多くを失ってきた」とする論理展開は藤原正彦が発した情報を自らの頭による、あるいは自らの考えに従った検証を経たのかどうか分からないが、そのまま従属した情報として提供しているものであろう。
その言っていることを問うと、既に言及したように戦前の日本は 「国を挙げて」「国家の品格」を持ち、「忍耐、誠実、慈愛、勇気、惻隠」等々の価値観を「日本人の美徳」としてきたと、戦前の日本国家、そして戦前の日本人を優越的に価値づける内容を裏返しとしている。
だが、ブログやホームページに幾度か引用していることだが、戦前の戦争を例に取れば簡単に分かることで、大日本帝国が果して日本国民に対してもアジアの外国や外国人に対しても「忍耐、誠実、慈愛、勇気、惻隠」等々の「美徳」を自らの価値観として国民に向けた恩恵とし得たと言うのだろうか。また、多くの日本人が国家と一体となって、侵略行為に加担し、アジアの国民を弾圧しなかっただろうか。
アジアに対しても日本国民に対しても国家主義という名の権威主義をのさばらせるのみで、どこにも「国家の品格」は存在しなかったはずだ。武力を通した侵略や支配と「国家の品格」は相容れない道徳観だからなのは言うまでもない。
また、『日本疑獄史』(森川哲郎著・三一書房)には明治・大正・昭和50年代までの藩閥大物政治家に始まってその他政治家、軍人、官僚、豪商、財閥等が相互に絡んだ汚職、贈収賄、スキャンダル等々がゴマンと列記されている。
決して「戦後日本は経済成長と引き換えに、国を挙げて「品格」を捨ててきた」わけではない。言っていることの裏返しとして存在させている、民族的優越性に位置づけているような戦前の日本が「国家の品格」、あるいは日本人としての個人的な「品格」はマヤカシに過ぎない。
江戸時代に於いても、年貢取立て代官たちの百姓に対するワイロ請求は彼らの職務の一部として存在し、手に入れたワイロはより上級の武士へのワイロとして流れていったと言うし、小中大名たちの形式的飾りでしかない天皇付与の官位を求めるため、将軍の認定を左右する取り次ぎ方の老中に対するワイロの差出しのために老中宅前はいつも小中大名たちとその供の者たちで賑わっていたと言うことも、「戦後日本は経済成長と引き換えに、国を挙げて「品格」を捨ててきた」わけではないことを証明している。
大体が百姓という人間集団を搾取の対象とし、生活の点でも人間的取扱いの点でも苦しめ、その苦しみの上に武士の生活を成り立たせていたこと自体が人間として「品格」ある行為とは決して言えず、「国家の品格」がないということなら、封建時代から今に受け継ぐ「国家の品格」のなさでなければならない。
藤原正彦の『国家の品格』は270万部かそれ以上のベストセラーだと言うことだが、少なくともその殆んどはテレビに出て展開した発言、あるいは新聞や雑誌等に寄稿した主張を情報源として、それらに従属する賛成の立場から著書を求めるに至る経緯を踏んだはずである。
改めて著書と向き合って自分の頭で、あるいは自分の考えで論理的な判断能力を働かせてその情報の正当性を取捨選択する次の経緯を踏んだはずだが、「お茶の水女子大の藤原正彦名誉教授が指摘するように、戦後日本は経済成長と引き換えに、国を挙げて「品格」を捨ててきた。忍耐、誠実、慈愛、勇気、惻隠…日本人の美徳の多くを失ってきた」云々と藤原正彦の情報を上の価値に置いてその情報に自分の情報を無条件に従わせる権威主義に囚われて、そこから抜け出せないでいる。
「戦後日本は経済成長と引き換えに、国を挙げて「品格」を捨ててきた」を「品格」欠如の論理的な根拠としているからこそ、その反動として藤原は著書で戦前の日本及び日本人を「品格」を備えた存在とするために明治・大正時代の日本を訪れた外国人の日本に対する賛美を利用することになったのだろうが、上記紹介のHP「読んで ムカつく 噛みつき評論」の「藤原正彦の品格、国家の品格」には、〈明治期の東京帝国大学の教師であったチェンバレンは日本人の特徴として「付和雷同を常とする集団行動癖」をあげており、褒められた話ばかりではない。〉と先進外国人の日本評価、あるいは日本人評価が賛美一色ではないことを言っているが、この「付和雷同」は上の位置、立場にいる強い者、あるいは上の位置、立場にいる有力な者の命令・指示、情報を上位の価値としてそれに無条件に従属して自分の情報とすることにも当てはまる権威主義的な集団性であって、「品格」とは決して相容れない価値観であるはずである。
以前、NHKのクローズアップ現代「“言語力”が危ない~衰える 話す書く力~」(放送日 :2009年11月25日(水))をブログで取り上げて、番組が大学生以下の若者の「言語力」の低下を最近見られる現象だとしていることに対して、大人の言語力の欠如を受け継いだ、その反映としてある「言語力」の欠如に過ぎないと書いたが、番組が言うとおりに「言語力とは外からの情報を整理し、それを基に自分の考えを組み立て、そしてきちんと根拠を示しながら論理的にモノを考え、表現する力」だとするなら、「国家の品格」にしても日本人の個人的な「品格」にしても、戦後失ったとする類の情報はまさしく「言語力」を欠いた情報処理となる。
しかもその欠如は日本人の大人のものとしてある。決して若者のみの問題ではない。
最後に作家村上龍の「JMM」が発行しているメーリングリストの<《NEW YORK, 喧噪と静寂 / 肥和野 佳子 「朝青龍の引退 日本の外から見えること ~リスク管理:「品格」より規則の欠如が問題」》が朝青龍の引退を違った角度から把えていて参考になると思うが、「毎週火曜日にバックナンバーを追加掲載」ということで、まだ掲載されていないが、まだ読んでいなくて興味がある方がアクセスできるように一応アドレスをつけておきます。
――民主党に衆・参両院過半数のチャンスを与えよう――
勤勉は真面目という性格を兼ね備えた美徳として存在する。真面目でなければ勤勉足り得ないし、勤勉は真面目であることによって成り立ち可能となる。
また正直という道徳心にしても、真面目さの裏打ちがあって初めて発揮し得る。
そして勤勉も正直も真面目も、その成り立ちはすべて誠意、もしくは誠実を欠かすことのできない基本とする。
さらに言うと、勤勉とは有能さを示す。有能でなければ、勤勉の意味を失うからだ。そして勤勉で正直の先に信用がついて回る。いわば勤勉で正直は信用の母である。
勤勉はまた自己を厳しく律することによって成り立つ。厳しく律することで勤勉を成り立たせることが可能となる。自己規制こそが勤勉の条件となる。
こういった数々の条件をクリアしているからこそ、一人一人が自ずと日本人ならではの“品格”を備えていることになる。
ゆえに勤勉で正直であるという日本人に対する評価は二重三重四重の褒め言葉であり、日本人に二重三重四重の名誉・勲章として常に撥ね返っている。日本人すべての額に「正直で真面目」という文字が書かれているようなものである。
こういったことから、日本人性善説が成り立つに至っている。日本人は先天的に善なる性格を本性としている。その表れとしてある勤勉で正直という日本人の姿だと。
欧米が人間の本性は利己的欲望を基本としているとする性悪説に立って人間を見ているのと正反対である。日本人は自分たち日本人をすべて勤勉で正直な人間ばかりで、悪人は存在しないと見ている。
ここから石原都知事の日本人を除いた外国人に限った犯罪に於ける「民族的DNA」論が導き出されることとなったのだろう。犯罪は「民族的DNA」に起因しているが、日本人に限って犯罪に関わる「民族的DNA」は存在しないというわけである。だからこそ日本人は勤勉で正直でいられる。
真面目、誠意・誠実、自己規制等々を核とした日本人の勤勉で正直に違わない品格ある姿を日々の新聞やテレビの情報の中からいくらでも見ることができる。
《千葉県不正経理:県警不正、6年間で5億7000万円に》(毎日jp/2010年2月4日)
千葉県庁の不正経理問題で、独自調査を進めていた県警は4日、08年度までの6年間で不正額が約5億7000万円にのぼると公表した。県議会の不正経理調査特別委員会で報告した。県警会計課によると、
▽購入物品の「翌年度納入」約3億9040万円
▽代金をまとめて払う「一括払い」約9680万円
▽別の物品を購入したように装う「差し替え」約2780万円
▽業者に現金をプールしておく「預け」約850万円
--など。県は6年間に約37億円の不正経理があったと09年12月に発表していた。【倉田陶子】
《農水省で1億円の不正経理 「翌年度納入」など駆使》(msn産経/2010.2.2 18:46 )
農林水産省は2日、本省や地方農政局、林野庁などで、平成16年から20年までの5年間に、コピー用紙やファイルなどの購入物品を、業者が納入する前に代金を支払っておき業者に代金を管理させる預け金などの手口で、約1億円の不正経理が行われていたと発表した。私的流用はないとしている。
不正経理の主な内訳は「預け金」が6件57万円▽実際の契約とは異なる物品を納入させていた「差し替え」が5件186万円▽年度内に納入されたこととして代金を支払い実際の物品の納入は翌年度とする「翌年度納入」が393件約9700万円など。
農水省全体での不正経理は計427件で、このうち地方農政局が382件と大多数を占めていた。農水省の監査担当者は「地方農政局では常態化していた。職員に予算の年度内消化という意識があったようだ。厳正に処分し、再発防止に努める」としている。
全国各地の自治体でも昨年、同様の不正経理が相次いで明らかになったほか林野庁でも不正経理が発覚したため農水省が内部を調査したところ判明した。
《ずさんな空洞調査で指名停止》(NHK/10年2月6日 5時58分)
陥没事故などにつながりかねない道路の地下の空洞を調査している国土交通省所管の公益法人が、空洞130か所余りを見逃すという、ずさんな調査を繰り返していたことがわかり、国土交通省は、この公益法人を5か月間の指名停止処分にしました。
指名停止処分を受けたのは全国の国道で陥没事故などにつながりかねない地下の空洞を調査している国土交通省所管の公益法人「道路保全技術センター」です。国土交通省によりますと、センターは、東京・品川区の国道15号線などの調査で空洞、136か所を見逃し、国土交通省に報告していなかったということです。
逆に空洞があると報告したものの実際には空洞はなかったケースもあり、国土交通省は、公益法人がずさんな調査を繰り返していたとして5か月間の指名停止処分にしました。この公益法人をめぐっては、前原国土交通大臣が、民間でもできる業務だとして3年以内に解散させることをすでに明らかにしています。
《小糸工業、航空座席の強度偽装 世界32社の千機に影響》(asahi.com/2010年2月8日20時0分)
航空機の座席メーカー「小糸工業」(横浜市)が、耐火性や強度の検査記録を改ざんしたり捏造(ねつぞう)したりする不正を繰り返していたとして、国土交通省は8日、業務改善を勧告した。当分の間、同省が基準に合うと認めた商品を除いて出荷停止とした。
国交省への内部通報で発覚した。同社は、日本航空や全日空を含む世界32社の約千機に対し、約15万席(134種)の座席を提供。同省は少なくとも1990年代半ばから、134種のほぼすべてで不正があったとみて、全容解明を指示した。
現時点で安全性に問題が見つかったのは、昨年1月に発覚した、日航向けの国内線ファーストクラスの部品での耐火性能不足の1件のみ。しかし、同省は出荷済みの全座席の再試験を同社に指示。基準に適合しない座席が見つかれば、改修・交換させる。その場合は運航に支障が出る恐れもある。
不正の方法は、たとえば衝撃試験では、衝撃の値を実際よりも大きく表示されるようにコンピューターを改ざんして基準を満たしたように偽っていた。検査書類の書き換えや検査の省略、同省に無届けの設計変更なども発覚した。
同日会見した掛川隆社長は、「納期が迫っていたことなどから、暗黙のうちに不正を繰り返していた」などと説明。「コンプライアンス(法令順守)の意識が欠如していた。組織ぐるみと言わざるを得ない」と述べた。
同社の座席を巡っては最近、全日空発注の高級座席が納期に間に合わず、全日空が新サービスの開始を遅らせる事態も起きている。(佐々木学)
《手術で大量出血、でも「飲みに行く」 山本病院前理事長》(asahi.com/2010年2月9日15時0分)
奈良県大和郡山市の医療法人雄山会「山本病院」(破産手続き中)で肝臓手術を受けた男性患者(当時51)が失血死した事件で、前理事長で執刀医の山本文夫容疑者(52)=業務上過失致死容疑で逮捕=が、患者の肝静脈を傷つけて大量出血させたにもかかわらず、「飲みに行ってくる」と助手で主治医の塚本泰彦容疑者(54)=同容疑で逮捕=らに言い残し、手術室から立ち去っていたことが、捜査関係者への取材でわかった。山本容疑者の技術を心配した看護師が手術を押しとどめようとしていたことも判明した。
一方、山本容疑者は奈良県警の調べに対し、「しっかり止血して、手術を終わらせた。その後、患者は心筋梗塞(こうそく)で亡くなった。手術途中でいなくなったわけではない」などと供述しているという。
県警によると、山本容疑者らは2006年6月16日午前10時過ぎ、肝臓の腫瘍(しゅよう)の摘出手術を開始。腫瘍は肝臓の背部に位置して肝静脈に近接しており、大量出血の危険性を伴うため高度な専門性が必要な手術だったという。山本容疑者らが肝臓手術をするのは初めてで、輸血用血液も全く準備していなかったという。
捜査関係者が手術に立ち会った看護師らに経緯を聴いたところ、看護師は「本当に大丈夫ですか」と問いかけ、手術を止めようとしたという。しかし、山本容疑者は「大丈夫や。できるわ」と返答。看護師は「輸血用血液の準備をしなくていいのですか」とも指摘したが、取り合ってもらえなかったという。
捜査関係者によると、山本容疑者は電気メスなどを用い、患者の胸部を切開して、肝右葉前部から後背面にかけて切除した。その際、患者の肝静脈などを傷つけて大量出血させた。山本容疑者は簡単な止血処置をしただけで「飲みに行ってくる」と言って、手術室から姿を消したという。出血が止まらないため、看護師が電話をかけたが反応はなかった。
患者は午後3時39分に死亡。塚本容疑者は患者の遺体を手術室から病室に運ぶよう看護師に指示した。塚本容疑者は「手術室で亡くなったことを隠したかった」と供述しているという。山本容疑者は夕方、病院に戻り、患者の死因を「急性心筋梗塞」としてカルテに記載した。
元勤務医や看護師が県警に対し、「山本容疑者が以前、手術中に酒に酔っていたことがあった」と証言しているという。
次のイギリスの例は人間の本性は利己的欲望を基本としているとする性悪説からして、特別意外でも不思議でもない当然の姿としてある、日本では決して見ることのできない邪な人間の見本例であろう。
《英 議員経費問題で4人を起訴》(NHK/10年2月6日 9時6分)
イギリス政治を揺るがした議員経費の問題で、イギリスの司法当局は5日、与党・労働党の下院議員3人を含む議員4人を不正会計の罪で起訴しました。
イギリスでは去年、国会議員の多くが議会がある首都ロンドンでの政治活動に必要な住宅経費を補助する制度を乱用して不適切な経費の請求を行っていたことが発覚し、与野党とも複数の議員が辞意表明に追い込まれるなど、政治への信頼を大きく揺るがす問題となりました。
この問題でイギリスの検察当局は特に悪質な例について違法行為にあたるかどうかを検討した結果、5日、与党・労働党の下院議員3人と野党・保守党の上院議員1人が自分の家に家賃を支払っていたように見せかけたり、住宅ローンの金額を水増ししたりするなど、偽りの請求をしていたとして不正会計の罪で起訴しました。
これについてブラウン首相は「強い憤りを感じている」と表明し、経費支給の基準の見直しを含めた議会の制度改革を提案するなど対策を進めていることを強調しました。議員経費の問題は、イギリスの与野党にわたるスキャンダルになっていますが、起訴された4人のうち3人までが労働党の議員だったことは春の総選挙を前に政治への信頼回復に力を入れるブラウン首相にとって重い負担となっています。
真面目、誠意・誠実、自己規制等々を核とした日本人の勤勉で正直に違わない品格ある姿をこの新聞・テレビの異常なまでに過剰化した情報の中からすべて取り上げるとしたら、終わりが見えてこなくなる。過剰な情報量に応じて過剰なまでにその例が存在するからだ。
日本人の勤勉で正直は日本の伝統として、文化として歴史的に担ってきた民族性として存在するゆえに、そこら辺にいくらでも転がっているからでもある。石原都知事の犯罪「民族的DNA」論の言葉を借りると、勤勉・正直日本人「民族的DNA」論と言い替え可能となる。
勤勉で正直な日本人を懐に抱(いだ)いた日本の未来は常に明るい。