仙谷官房長官の昨21日の記者会見。《議員歳費の大幅カット法案 仙谷官房長官は否定的》(asahi.com/2010年7月21日21時26分)
仙谷官房長官がみんなの党が用意している議員歳費3割減、ボーナス5割減などを柱とする法案に否定的な見解を示したという。
仙谷「『引き下げデモクラシー』みたいなことが(歳費削減の)論争の中にあるとすれば、気をつけて議論をお願いしたい。みんなが低い方に合わせるように足を引っ張り合うことがいいのかどうか」――
「引き下げデモクラシー」とはインターネットで調べてみると、恵まれている待遇・境遇を恵まれていない待遇・境遇の水準にまで引き下げさせて平等を謳うデモクラシーらしいが、時代によって引き下げる対象が富裕層の待遇・境遇であったり、国会議員、高級官僚といったエリートの待遇・境遇だったりするということである。
記事は仙谷の言わんとしていることを、〈民主党は議員歳費や定数の削減をはじめとする政治改革を参院選マニフェストの柱に据えたが、歳費については大幅な削減にまでは踏み込まない考え 〉を示したものだと解説している。
この発言の整合性についての記事の解説は、〈ただ、民主党はマニフェストに「政治家自らが身を削ることで国民の信頼を取り戻す」と明記。歳費の日割り化や国会の委員長手当などの見直しで、「国会議員の経費を2割削減する」とうたっている。菅直人首相も選挙戦で「議員自らが血を流す姿勢をきちんと示す」などと強調しており、仙谷氏の発言はこうした党や首相の方針との整合性を問われそうだ。〉となっている。
仙谷官房長官の発言には別の整合性の問題が生じる。例え注意の促しであったとしても、「引き下げデモクラシー」と言っていることの整合性、あるいは、「みんなが低い方に合わせるように足を引っ張り合うことがいいのかどうか」と言っていることの整合性である。
その前に発言箇所に関わる民主党のマニフェストを見てみる。
〈参議院の定数を40程度削減します。衆議院は比例定数を80削減します。国会議員の歳費を日割りにするとともに、国会の委員長手当などを見直すことで、国会議員の経費を2割削減します。〉と謳っている。
次にみんなの党の「アジェンダ」(選挙公約)
〈国会議員が自ら身を切る
1.国会議員の数を大幅削減し、給与をカットする
a.. 衆議院議員は300人(180減)、参議院議員は100人(142減)に。参議院には都道府県知事など地方を
代表する議席枠を創設。将来的には憲法改正時に衆参統合による一院制を実現。
b.. 国会議員給与を3割、ボーナスを5割カットを即時実施。
2.議員特権を廃止する
a.. 無料パス(JR、民営鉄道、バス)、無料航空券を廃止。
b.. 衆参議員宿舎を売却。
c.. 議員年金を完全廃止(現行は在職10年超の議員には選択制で年金を存続)。〉――
それぞれの党の削減値は、まあ、大体この程度は削減できるだろうといった大まかな予想、あるいは、他の党よりも削減幅を大きくしなければ国民の支持を得られないといった自己利益の思惑で決定した数値ではあるまい。これだけ削減しても十分に活動していけると確かな根拠に基づいて妥当な線として弾き出した削減値であるはずであり、そうでなければならない。
いわばすべての削減値はそれぞれに確かな根拠を具有している。あるいは具有していなければならない。大体が確かな根拠に基づかないまま妥当な内容だとする政策、法案など自己矛盾そのもので、存在しようがないし、存在してはならないはずだ。
それとも日本の国会議員というのは根拠を持たないまま「引き下げデモクラシー」を競って、「みんなが低い方に合わせるように足を引っ張り合う」程度の低い人種だということなのだろうか。仙谷は自分だけはそういった程度の低い人種ではないと思っているのかもしれない。
すべての政策、法案がそれぞれの党なりの根拠に基づいて打ち出したものであり、そうでなければならない以上、それを以て「引き下げデモクラシー」と言うのは、正当な理由を持たない根拠の否定に当たる。当然、注意喚起は不必要なお節介となる。
また、「みんなが低い方に合わせるように足を引っ張り合うこと」は起こりようがない。もし起こったとしたら、自他の根拠の妥当性を論じないまま、自己の根拠を正当とし、他の根拠を否定することになるからだ。
各党それぞれの政策、法案には各党それぞれの根拠を具備している。問題はそれぞれの根拠の妥当性であろう。どの党のどの政策、法案が最も妥当な根拠に基づいているか、根拠に誤り・欠陥はないか、その適不適切の検証・議論が必要になる。
それぞれの根拠の妥当性を問う検証・議論を経ること自体が「引き下げデモクラシー」を無縁とし、当然、「みんなが低い方に合わせるように足を引っ張り合うこと」は起こりようがなくなる。
検証・議論の場で「引き下げデモクラシー」を許した場合、日本の国会議員は根拠の妥当性を問う検証・議論の技術を持つまでに成長していないことになる。成長しているのは仙谷のみとなる。
いずれにしても国会の場、あるいはテレビ討論等の場で政策、法案の根拠を問う検証・議論から始め、そのような検証・議論の中で根拠の妥当性を明らかにしていくプロセスを待てばいいことで、それを待たずに、「気をつけて議論をお願いしたい」は子どもでもない大の大人である国会議員に言うべき発言ではないはずだ。
《仙谷官房長官:議員歳費など「厚遇」批判に反論》(毎日jp/2010年7月21日 21時56分)では仙谷官房長官の発言は次のようになっている。
仙谷「みんなが低い方に合わせるように足を引っ張り合うようなことが果たしていいことなのか」
仙谷「『引き下げデモクラシー』みたいなことには気を付けて議論しようとお願いしたい」
仙谷「人間、カネだけでは動かないが、それなりの処遇、金銭的に評価されることは相対的には正しい。『この水準は高すぎるから、みんなが今の所得の中央値まで引き下がればいいんだ』みたいな議論は大問題ではないか」――
最後の発言だけが上記「asahi.com」記事には登場していない。記事は「引き下げデモクラシー」なる言葉は政治学者の故・丸山真男氏の言葉の引用だと解説している。
いくら「相対的には正し」くても、それを「正しい」とすることができる、国民が納得する根拠の提示が必要となる。「この水準は高すぎるから、みんなが今の所得の中央値まで引き下がればいいんだ」が妥当な根拠に基づいた合理的な判断であるなら、決して「大問題」ではない。
必要なのは根拠の洗い出しであるにも関わらず、仙谷は“根拠”の視点がないまま自身の議論を正しいとしている。頭でっかちに出来上がっているからではないだろうか。
各党とも、それぞれの根拠を持って戦っているのである。根拠と根拠の戦いである以上、根拠の妥当性を問う検証・議論を待つしかない。
菅首相の「議員自らが血を流す姿勢をきちんと示す」にしても、民主党マニフェストの「政治家自らが身を削る」にしても、消費税増税に対する代償行為と位置づけているからだろう。国民のみに犠牲を強いたのでは不公平感を拭えず、政治不信を高めるばかりである、政治家も何らかの犠牲を払って、国民の犠牲に応えなければならないと。
みんなの党のアジェンダ(選挙公約)も最初に、「増税の前にやるべきことがある!-まず国会議員や官僚が身を切るべきだ-」と謳って、消費税増税に対する代償行為と位置づけている。
どの党のどの政策、法案が代償案として明確な根拠に基づいて構築されているか、その妥当性を問う検証・議論を経た最もふさわしい政策、法案を国会が採用できなければ、いわば議員歳費の適切なカット、適切な定数削減が実行できなければ、消費税増税もやめるべきだろう。
実行できないまま消費税税増税を行った場合、国民にのみ一方的に犠牲を強いる政策となり、国会議員にも犠牲を求める代償策を実行しないままの不公平を残すからだ。
今朝のMY Twitter 〈大韓航空爆破犯人金賢姫が日本側の拉致解決に向けた証言獲得の目的に添って来日、拉致被害者家族らと面会の予定。滞在場所は鳩山前首相ならでは貢献できない、菅首相にはマネのできない前首相の別荘提供。尤も菅首相も在任中に蓄財に励み、いくらでも別荘を持てるようになれば貢献できる構図。〉
独裁者金正日命令のもと北朝鮮に拉致された日本人の一人田口八重子さんに日本人に成りすますための日本語教育を受けた大韓航空機爆破事件の実行犯北朝鮮スパイだった金賢姫が韓国から20日初来日。田口八重子さんの家族、その他の拉致被害者家族との面会と、拉致に関わる何らかの証言を得て、拉致解決につなげる狙いの今回の来日だそうだ。
結論を早々に言えば、例え今まで知られていない新しい証言を得ようとも、単にこういうことがあった、こういうことを見た等々の新しい事実の発見で終わり、拉致解決につながることもないし、つなげることもできないに違いない。
北朝鮮側からしたら、もはや北朝鮮に存在しない第三者となった者の証言はいつでも自由自在に否定できるからだ。実際、大韓航空機爆破事件の関与を否定しているし、金賢姫が北朝鮮のスパイであることも当然の措置として否定している。韓国哨戒艦攻撃と同じように既知の事実であったとしても、否定可能としているのである。極端なことを言うなら、日本側からしたら、自己満足で終わる訪日となりかねない。
VIP待遇である。政府チャーター機で来日。降り立った金賢姫は多くの警備員に物々しく守られ、黒塗りの高級車の一台に納まって、何台も連ねた車列で軽井沢の鳩山前首相の別荘に向かった。まさかここで鳩山前首相の出番が、別荘提供という形だが、あるとは思わなかった。首相としての才能評価に影響しない場面で大金持ちであることを改めて印象づけることに役立ったことだけは確かである。
今回の金賢姫来日要請主は拉致問題を担当する中井国家公安委員長。例の30歳代の銀座ホステスに議員宿舎のカードキーを渡していたとか、写真誌に彼女との“路上チュー”を撮られて、一時期有名人となった人物だが、女性スキャンダルをネタとしたマスコミの一大攻勢に沈むと思いきや、逞しくも撃退、今なお大臣の座に命永らえているシーラカンス的人物である。
《“拉致問題解明 前進できる”》(NHK/10年7月20日 15時36分)
20日の閣議後の記者会見。記事から中井国家公安委員長の発言を拾ってみる。
中井国家公安委員長「キム元死刑囚の希望や韓国政府の意向もあり、静かな環境で何日か過ごしていただき、お会いしていただく人にはお会いいただいてという感じでいる。来日まで約10か月かかったが、実現できたことは拉致問題の解明について前進できるものと考えている。どういう話をされるのか予測もつかないが、横田さんご夫妻にとっては、元気なめぐみさんのことを直接、見聞きした人に初めて会われるので一つの励ましにもなるだろうと考えている」
中井国家公安委員長「十数年前、あるいは二十数年前の出来事ながら、キム元死刑囚がいろいろなことを思い出すなかで、新しい証言が得られれば、これはまた大きな前進となると考えている」
滞在場所として鳩山前総理大臣の別荘を用意したことについて――
中井国家公安委員長「個人の家をお借りするかどうかも迷ったが、キム元死刑囚は飯塚耕一郎さんに食事を作ってあげたいと約束をされていた。この実行について考えなければならなかった」――
辞任後、世に埋もれがちだった鳩山前首相の存在を別荘という存在を通して世に再度知らしめた貢献だけは認めてやらなければならない。
確かにめぐみさんが北朝鮮でどういった生活を送っていたか、その一端でも知ることができることは両親にとって「一つの励ましにもなるだろう」。だが、両親にとって懐かしく思い出すよすがとなっても、シーラカンスが言うように、「拉致問題の解明について前進できるもの」と果してなるだろうか。
拉致解決前進の契機とならなければ、既に触れたように彼女と会った、こういった話を聞いた等々の自己満足で終わる。家族にしても拉致の解決が最重要の第一目的である以上、解決に少しでも役立つ面会となってこそ、自己満足を乗り越えることができる。
中井は金正日の元側近で、韓国に亡命した黄長(ファン・ジャンヨプ)元北朝鮮書記に対しても訪日要請を行い、訪米からの帰途、日本に立ち寄る形で4月6日に訪日させている。「拉致問題で何らかの進展になる」としていたが、その結末は、「(拉致新情報は)あったということではない」で終わっている。
黄長(ファン・ジャンヨプ)元北朝鮮書記にしても、何らかの拉致情報を持っていたなら、反金正日の立場を取っていた関係から、韓国政府を通して日本政府に伝えていただろうから、最初から分かっていた一部始終であり、元書記訪日当時、政府内からも、「中井氏のスタンドプレー」と見られていたのも当然の反響であったと言える。
そこで役者を金賢姫に代えたといったところなのだろう。
拉致解決は誰もが承知しているように、北朝鮮の「拉致は解決済み」のハードルを如何にクリアするか、その一点にかかっている。承知していないのは中井シーラカンスぐらいのものだろう。
「拉致は解決済み」である以上、日本側から拉致解決を迫っても、北朝鮮に存在しない第三者となった者の証言はいつでも自由自在に否定できることと相まって、これまでに既に同様の経過を見ていることからも分かるように平行線を辿るだけとなる。このことは新たに新証言を得ようが得まいが関係ない状況として立ち塞がっている。
いわば相手は「拉致は解決済み」をカードとしている。それに対して中井は日本側が乗り超えることができないまま立ち塞がっている状況を無視して、無視できる神経の持主だからだろう、訪日が「実現できたことは拉致問題の解明について前進できる」、あるいは「新しい証言が得られれば、これはまた大きな前進となる」を対抗可能カードとして持ち出した。
自らが手にしたカードが対抗可能と考える合理的判断に立った一連の黄長(ファン・ジャンヨプ)元北朝鮮書記と金賢姫に対する訪日招請だったわけである。
だが、朝のNHKテレビで田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんと八重子さんの長男の飯塚耕一郎さんが「新しい証言はなかった」と話していたことからすると、既に自らが手にしたカードから対抗可能性の多くを既に失ったようだ。
尤も新証言を得たとしても、状況は変わらないことは既に説明した。
北朝鮮の「拉致は解決済み」のカードを打ち破る唯一可能性ある日本側のカードは日本及び他の先進国の経済制裁によって北朝鮮が経済的にもはや国家を維持できない程の最悪の困窮に陥り、日本の経済援助に頼ってくるというシナリオの実現であろう。
そのとき、交換条件として拉致解決のカードを持ち出す。北朝鮮の「拉致は解決済み」のカードは国家崩壊を前にしてもやは効力を失っている。「拉致は解決済み」のカードをカードとして維持する理由はなくなるからだ。
だが、各国が対北朝鮮経済制裁を加えていても、北朝鮮崩壊による朝鮮半島の不安定化と中国領土への北朝鮮難民流入による混乱を嫌って、中国は北朝鮮を崩壊しない範囲で内々に経済援助を施している疑いが事実であって、経済制裁の効力を失わせて北朝鮮を生かしているとするなら、さらに韓国にしても北朝鮮の国家崩壊は対韓国攻撃を代償としない保証はなく、そこまでいかなくても難民流入は中国と条件をほぼ同じとし、その防衛策として最低限の人道援助を行って北朝鮮を崩壊しない程度に生かさざるを得ないだろうから、日本のシナリオは簡単にはカードとなり得ない性格を最初から宿命としていることになる。
国連安保理が昨年北朝鮮の2度目の核実験実施に対する制裁として武器禁輸の拡大などを盛り込んだ決議を採択したにも関わらず、その制裁を逃れて武器を密輸、外貨獲得の手段としていると国連の専門家パネルが7月17日に公表しているが、高額・効率な外貨獲得の道が閉ざされていないことも北朝鮮の国家崩壊の道のりはまだ先のことであることを証明している。
大体が金正日は国民を飢餓に追いやり、餓死させたとしても、ミサイルや核兵器の開発に国家の資金を投入する独裁者である。国民を犠牲にすることを厭わないという冷酷性はなおさらに他国民の犠牲も厭わない冷酷性をも証明する実態としてあり、その実態が容易に想像させる長距離ミサイルや核兵器を持った国が経済的に追いつめられて誘発する攻撃の危険性が逆に人道と称する援助を得る暗黙の威しとなっている面がある。
威しを有効なものとするためには、実験を繰返したり、攻撃の可能性を臭わせる危険な賭けを常に最新の状態に保たなければならない。韓国の哨戒艦攻撃も韓国攻撃の可能性を威しとした経済援助獲得の手段ではなかったろうか。威しが行過ぎて、威しを超える計算狂いが生じた?
権力が父親の金正日からジョンウンに父子継承されたなら、ジョンウンは権力継承の正統性を父親の金正日に置くことになって、父親を正義の存在として扱わざるを得ず、日本の経済援助が喉から手が出る程欲したとしても、拉致首謀者が金正日だと認めるわけにいかず、認めた場合、自身の権力の正当性をも失うことになるから、父親同様に拉致解決を経済援助と交換のカードとし得ず、拉致解決に向けた行動は父親と同じ制限を受けることになるに違いない。
権力の継承を順調に果たすことができ、その権力が安定した場合、拉致解決はさらに遠のくことになる。
結果として、日本政府は中井が懸命に演じていることと同様に拉致解決に何ら策を見い出せない無策を誤魔化すために、金賢姫訪日のような新証言を引き出すと称した儀式を繰返すことになるだろう。
岐阜県可児市の鉄道高架下市道が6月15日、集中豪雨による可児川氾濫で冠水、通行中の車が流されて3人が行方不明、18日26歳の男性の遺体が発見され、残る2人は依然行方不明のままの状態になっている。
「毎日jp」記事――《豪雨:岐阜・可児3人不明 通報装置作動せず 不具合か》(2010年7月18日 2時35分)が事態の推移と市の対応の状況を時系列で伝えている。
先ずは当時可児市が高架下道路の出入口に設置した水位上昇時の通行注意を促す警報赤色ランプは作動せず、尚且つ高架下道路の警戒水位到達の場合と侵入雨水排出のポンプ故障の場合の市への自動通報が不通状態になっていたという。
〈可児市維持管理課によると、名鉄広見線の高架下を走る現場の市道は、流れ込んだ雨水をためるタンクが地下にあり、タンクから近くの可児川へ水を流す排水ポンプも備えている。タンク内には水位計があり、タンクの水位が市道の最深部の下5センチまで迫ったり、ポンプが故障すると自動通報装置が作動。市にファクスと音声で通報され、高架から東西約20メートル地点など3カ所に設置された赤色ランプが点灯する仕組み。〉だと解説している。
但し、赤色ランプ作動と自動通報〈装置は停電した場合、発電機の電力に切り替わるが、発電機も水に浸かった場合は作動しないという。〉ことだが、そこまでは想定していなかった危機管理となっていたことになる。
この非想定危機管理判断の当否が問題となる。だが、記事が、〈市は06年に作製した洪水ハザードマップで、現場を市内唯一の「危険な地下道」に指定〉していたと伝えている「洪水」のケースを想定して構築しているはずの危機管理体制に合致した、発電機に関わる妥当な非想定危機管理判断であったと果して言えるだろうか。
「洪水」のケースを想定する危機管理意識を持ちながら、発電機が冠水する場合を想定した危機管理態勢を取っていなかった。
これは責められるべき矛盾・手落ちと言えないだろうか。
時系列で見た事態の推移と市の対応――
6月21日 赤色ランプと自動通報装置の1カ月点検――異常なし
7月15日午後7時 1時間雨量73.5ミリの激しい雨
同午後7時 市職員が警戒で現場巡回。ポンプ正常に作動、通行に支障なし
同午後7時20分頃 現場の停電通報 ポンプ管理会社が社員を派遣
同午後7時40分頃 可児市会社員男性(34) 車で現場の高架下道路を進入 水位20センチ程
だったが、車が流され、辛うじて逃げる。
男性の弁「赤色ランプがついていれば通行は避けていた」
同午後8時頃 ポンプ管理会社社員到着 道路は完全に冠水状態 この間、市に水位上昇の
通報記録なし――
他の記事によると、高架下出入口手前の擁壁上端に取り付けた、そこに下る手前の一般道路面とほぼ同じ高さの、多分高架下路面から2メートルかそれ以上の高い位置の赤色ランプも冠水していたいう。
時系列で事態の推移を見ると、短時間で急激に水位が上昇したのが分かる。可児川が氾濫したのは他の記事を見ると、午後8時頃だったようだが、雨水だけではなく、可児川の氾濫による河水まで流れ込んだとすれば、当然の急激な上昇と言えるが、氾濫時間に合致する推移となっている。
このような経緯についての可児市維持管理課のコメントを記事は伝えている。
可児市維持管理課「通報はなく冠水の把握が遅れたのは事実。ただ停電の通報を受けて現場に向かっており、対応が遅れたとは考えていない」
市幹部「停電時にも発電機は(完全に冠水した)午後8時ごろまでは正常に動いていたと確認されており、原因は調査中」
両者とも責任なしの弁となっている。だが、自動通報がないからと、自動通報のない道路状況を正常な状態だと想定していたことが第一の問題ではなかっただろうか。「停電の通報を受けて現場に向かっ」たとか、「発電機は(完全に冠水した)午後8時ごろまでは正常に動いていた」とかの問題ではないという認識を持たなければならなかったはずだが、そのことに気づいていない。
短時間に集中的に激しい雨が降っていたこと、可児川の水位が急激に上昇しているということの情報は刻々と把握していたはずだ。把握していなければならない立場にいた。当然、警報ランプを含めた各種災害防止・警告装置設置箇所周辺の状況の把握、及び自動通報装置が設置してある場合はその装置からの通報の把握に務めなければならない危機管理責任を負っていたはずだ。務めないとしたら、設置した意味を失うだけではなく、危機管理責任の放棄となる。
上記「毎日jp」記事は、既に触れたようにタンクは〈地下にあり〉、〈タンクの水位が市道の最深部の下5センチまで〉達した場合、あるいは〈ポンプが故障〉した場合に〈自動通報装置が作動。市にファクスと音声で通報され、高架から東西約20メートル地点など3カ所に設置された赤色ランプが点灯する仕組み〉と書いている。
いわばポンプが故障することまで想定した危機管理となっている。だが、発電機が冠水し、作動しなくなることまでは想定しない危機管理体制となっていた。
だとしても、周辺の集中豪雨と可児川の急激な水位上昇の情報を併せ考えた場合、自動通報装置による通報を当然とした前提で通報を待ち構える危機管理態勢に入っていなければならなっかたのではないだろうか。何よりも、〈市は06年に作製した洪水ハザードマップで、現場を市内唯一の「危険な地下道」に指定〉していたのである。
もし待ち構えていたにも関わらず、その時点で自動通報がなかった場合、現場の高架下道路は正常か、あるいはそれに近い状態にある、あるいは発電機が冠水した場合は作動しなくなることまでは想定しない危機管理となっていたとしても、何らかの障害によって自動通報が不作動となっていると考える危機管理判断を持たなければならなかったのではないだろうか。
現場の高架下道路は正常か、あるいはそれに近い状態にあるとする判断は激しい雨と可児川の急激な水位上昇から無理があるから、何らかの障害による自動通報の不作動を想定する危機管理判断に立つのが常識的対応となる。
あくまでも不可抗力であって、そこまで要求するのは酷ということなら、市は点検時に故障がなければ、機械は常に正常に作動して、機械の判断に任せ従った市の判断を正しいとすることを絶対前提とした危機管理意識に支配されていたことにならないだろうか。
《災害時、通報装置作動せず 可児高架下道路》(岐阜新聞WEB/2010年07月19日08:16)が、〈道路下のタンクに設置された排水ポンプの排水口は可児川方向に向いており、当時は可児川から押し寄せた水で逆流した可能性もあるという。〉と伝えていて、排水パイプが可児川の氾濫を待つまでもなく、可児川の水位上昇した河水まで吸い込んで逆流させる給水パイプの役目まで果たした可能性を指摘している。
可児川が氾濫したのが午後8時頃。可児川の河水が排水パイプを逆流したとしたら、排水口は河堤(かてい・川の堤防)頂上部から下の位置に取り付けるのが当然の処置だから、氾濫する前から逆流が始まっていたことになる。
「岐阜新聞WEB」がポンプ故障についての市のコメントを載せている。
可児市「市道の排水ポンプは雨水を想定したもの。可児川のはんらんまで想定していない」
高架下の危機管理範囲は雨水の想定までで、可児川の氾濫まで想定した危機管理ではないから、不可抗力だと訴えている。
しかし、〈市は06年に作製した洪水ハザードマップで、現場を市内唯一の「危険な地下道」に指定〉していた。現場の高架下市道を洪水のケースを想定した危機管理体制下に組み入れておきながら、「可児川のはんらんまで想定していない」、雨水までを想定した排水ポンプの設置のみで済ませる危機管理態勢を取っていた。
このことも責められるべき矛盾・手落ちのうちに入らないだろうか。
《「国家戦略局」菅首相が断念 実権ない知恵袋組織に縮小》(asahi.com/2010年7月15日21時53分)
昨年総選挙の民主党マニフェストで財務省や外務省が握ってきた予算編成や外交方針決定の権限を移行させ、政治主導の構造とする目的で設置した首相直属の「国家戦略室」を、菅首相が政策決定の実権を持たない、首相の「知恵袋」的な組織に役割変更させ、縮小する方針を14日夜の国家戦略室メンバーとの会合で説明したと記事が伝えている。
玄葉政調会長が6月17日のマニフェスト発表記者会見で、「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れが必要なものだというふうに認識をしております。従って、環境や状況の変化に柔軟に対応することが重要だということで、改めるべきは改めると言う観点から書かれているということです」と、マニフェストの基本構造を環境・状況次第で変わる伸びたり縮んだりのナメクジとしたのだから、どう変えようと自由ではある。マニフェスト違反だなどと批判するのは野暮な人間のすることだろう。
但しどう変更しようと、最終的には国民の問題として降りかかってくるということに関しては何ら変更はない。降りかかり次第で支持を得たり失ったりする。あるいは降りかかる予想に先手を打って、支持を与えたり与えなかったりする。
一夜明けた15日の国家戦略室長平岡秀夫・内閣府副大臣の記者会見。
平岡「戦略室は首相の知恵袋の役割を果たす。各省調整の役割もなくなる」
記事は「国家戦略室」はムダ削減を担う行政刷新会議と共に政治主導の車の両輪と位置づけられていたと書いている。だが、政策決定の実権を持たない、「各省調整の役割もなくなる」ということなら、政治主導につながらないはずで、〈菅政権は2011年度の予算編成については、首相、仙谷由人官房長官、野田佳彦財務相、民主党の玄葉光一郎政調会長の4人で相談しながら基本的な方針を決めていく考えだ。 〉と記事が伝えていることは、あくまでも予算編成に関わる「基本的な方針」までで、具体的決定は各省庁と財務省の交渉に任せる政治主導の放棄ということなのだろうか。
記事は、〈政治主導で大胆な予算の組み替えが実現できるかが問われることになる。〉と、その可能性を問いかけているが、政策決定の実権を持たないという前提からすると相矛盾する可能性の問いかけとなる。
「国家戦略室」設置の狙いと経緯を記事は次のように書いている。
〈官僚のおぜん立てに乗らずに政権の基本方針を打ち出す狙いで、鳩山政権はまず法改正の必要がない「国家戦略室」を新設。初代の国家戦略相に菅氏、後任に仙谷氏と重量級〉を起用、〈菅内閣では荒井聰氏が国家戦略相に就任。だが、民主党の参院選敗北による「ねじれ国会」で、法的な権限を持たない「戦略室」を権限のある「局」に格上げする政治主導確立法案の成立にめどが立たなくなった。このことも首相の判断を後押しした模様だ。〉と。
「政治主導確立法案」の成立を断念したこと自体が既に政治主導断念のシグナルとなっている。「国家戦略室」をどのような形式にしようと、法的権限を持たないまま推移させることに変更はないのだから、〈当時、国家戦略相だった菅氏は「総予算の全面的な組み替えを十分進めることが出来なかった」と、その限界を口にしていた。〉ということなら、限界を限界のまま持ち続けるということだろう。
では「国家戦略室」をどういう形式に移行させるかというと、〈首相は、英国で首相に政策を提言したり情報提供したりする「ポリシーユニット」と呼ばれる組織が日本にも必要だとの思いが強く、そうした役割を国家戦略室に任せる考えだと見られる。(鯨岡仁、岩尾真宏)〉と解説している。
ここで問われるのは偏に菅首相個人の指導力であろう。提言を受けた政策、提供を受けた情報を法的権限もなく、政策決定の実権もない中で如何に官僚たちを動かして望みどおりの形にするのかの指導力である。
官僚側から言わせたなら、法的権限がない以上、従わなくて許される菅首相の指導力ということになる。
その指導力だが、衆参ねじれを受けて、政治主導確立法案の成立の目途が立たなくなったからと早々に断念するところを見ると、指導力は期待不可能に見えてしまう。
尤も菅内閣発足後得た虎の子の高支持率を準備不足の不用意な消費税発言でフイにしてしまう合理的判断能力の欠如していることから、指導力のない首相だなとは最初から見ていた。指導力は合理的判断能力なくして成り立たない能力だからだ。
「ポリシーユニット」について、「西日本新聞」WEB版の「Word Box」が次のように解説している。
ポリシーユニット
英国の首相府の一部局で、首相直属のスタッフとして政策的な企画立案、助言を行う。1974年に創設。シンクタンク出身の民間人や党職員、官僚などで構成し国会議員はいない。サッチャー政権初期は3人程度だったが、ブレア政権以降は10~20人規模に増員した。首相が政策的に各省に対抗できるようにするのが目的とされる。首相のカラーを出しやすい半面、首相が密室で物事を決める場となり閣議が形骸(けいがい)化したとも指摘される。菅直人首相は政権交代前に英国へ視察に訪問。国家戦略局のモデルとする考えを表明していた。
インターネットで他にも調べてみたが、英国の「ポリシーユニット」が法的権限があるかどうかの記載に触れることはできなかったが、菅首相が思い描く日本版「ポリシーユニット」――国家戦略室を機能縮小する組織は法的権限は持たないままの発足である。法的権限を持たない限界を受けることに変化はない。
この国家戦略室の機能縮小への批判が民主党内からも出ているという。《経済・財政運営 新組織案浮上》(NHK/10年7月19日 5時8分)
松井孝治前官房副長官「財務省主導ではなく官邸主導で予算編成を行うことが国家戦略局構想の肝であり、総理大臣と官房長官が財務大臣と相談して予算編成をするなら、自民党政権と同じだ」
こういった批判を受けて、〈政府・与党内では、新たに経済・財政運営を政治主導で行うための組織を、政府内に設置できないかという案が浮上しており、調整が行われる見通しです。〉と記事は書いている。
要するに物事の決定が最初のステップとして党内議論と閣内議論を経た上で次のステップとして両議論から最善の物事を取捨選択して最終的結論に導く構造を取るのではなく、直接的関係者のみの議論で決定して公表、批判を受けると、それを繕い直す新たな方法を模索する、あれがダメならこうするという段階を経ないことには物事を決めることができない全体を見通した合理的判断能力の欠如だけが浮かぶ。
これは菅首相が党内議論を経ない不用意な消費税発言をして、支持率を下げるとあれこれと繕い直して却って傷口を広げた合理的判断能力の欠如に重なる無計画性と言える。
こういったことは菅首相が党内議論や閣内議論の段階を経て最終的に物事を一発で決定することとは異なる、手直し手直しの指導力しか発揮できていないことの証明ともなっている。
指導力も期待できない、政策決定の実権もない、法的権限もないのないない尽くしなら、せめて法的権限を持たせて政策決定の実権を手に入れ、ない指導力に色をつけてプラスマイナスの差を縮める道を選択することが最善だと思うが、野党多数・与党少数の参議院を通過する見通しが立たないからと最善の選択を諦めてしまっている。
民主党が掲げた「官僚主導から政治主導へ」なるスローガンは多くの国民を魅了し、この変革に期待して政権交代を託すべく1票を投じた国民が多数いたはずである。いわば政権交代とは、イコール「官僚主導から政治主導へ」の大きな一面を抱えていたはずである。
となれば、民主党政権としては「政治主導」は一歩たりとも後退させてはならない国民との契約と見なければならない。
例え参議院がねじれていても、「政治主導か、官僚主導か」を前面に押し出して、それを一大争点とし、そうすることで政権交代を託したときの国民の記憶を思い起こさせて、その世論、国民の支持の回復を計画し、成功したなら、世論調査に具体的な数値として現れるだろうから、それを力として頭数の劣勢を補いつつ参議院通過を図った場合、野党も迂闊には反対できないはずである。
この見方は甘いだろうか。法案化を諦めて、法的権限を手に入れないまま、それを指導力で補う展開が期待できない状況下、ねじれ国会の影響を諸に受けて、従来以上にその場限りの解決策で凌いでいくことの方が正解だということだろうか。
例え正解だとしても、ジリ貧状態で支持率を下げていくことになるように思えて仕方がない。
鳩山前首相が首相時代に普天間米軍基地移設問題を09年末決着を翌10年3月決着に先送りし、10年3月末決着を5月末決着に先送りして、沖縄・連立与党・日米3者合意を日米合意のみの完全決着で完成させたように、10年6月2日の民主党両院議員総会で首相退陣を表明、その日の記者会見で宣言した、「次の総選挙には出馬いたしません」と結論づけた結論を翌11年の春に先送りするということだが、多分普天間問題と同様の姿形を変えた完全決着で完成させる予感が100%する。
《鳩山前首相、「バッジ外すか来春に結論」》(asahi.com/2010年7月17日21時29分)
昨17日の地元・北海道苫小牧市の鳩山由紀夫後援会会合――
鳩山前首相「相談せずに結論を出そうとして『唐突だ』と(言われている)。来年春の統一地方選を一つの目安に結論を見いだしたい。・・・・首相を経験した人間が、この地域のためにバッジを外した方がやりやすいのか。あるいはやりにくくなるのか。自分なりに決めて参りたい」
記事は、〈突然の引退表明への反発が根強い地元に対し、時間をかけて話し合う姿勢を強調したものと見られるが、引退表明の「撤回」と受け取られかねない発言だ。〉と解説。
地元の反撥が強かろうと弱かろうと、自身の意志で結論づけたことだと思うが、周囲の意向に揺れるところが鳩山前首相らしいとも言えるが、逆に周囲の意向を利用して自身の意志の撤回を図るという手もある。
記事は、〈鳩山氏は退陣表明した6月2日、記者団に「次の総選挙には出馬しない」と明言していた。〉と書いている。
そこで6月2日の記事。《「身を引くことが国益につながると判断」2日の鳩山首相》(asahi.com/2010年6月2日20時57分)
6月2日に民主党両院議員総会で首相退陣を表明したその夕方の首相官邸でのぶら下がり記者会見。
――去年7月、首相を終えた後は、政界に残ってはいけないと発言した。議員辞職する考えは。
まだ鳩山首相「私は国会議員としてのバッジを与えて頂いた、有権者が選挙で選んで頂いた。それを途中で投げ出すべきではないと。しかし総理たる者、その影響力をその後、行使しては、行使しすぎてはいけない、そのように思っています。従って私は、次の総選挙に出馬はいたしません」
――すぐに辞職するわけではないと。
「次の総選挙には、出馬をいたしません」 ――
例え淡々とした言葉遣いであったとしても、内心に強い決意を秘めていたはずだ。言葉の重みを知っている首相だからこそ、そうでなければならない。
《民主・鳩山代表「総理大臣終えた後は政界引退を」》(asahi.com/2009年7月26日20時46分)
麻生内閣の支持率が20%を切り、政党支持率でも民主党が自民党を上回り、どちらが次期首相にふさわしいかでも鳩山民主党代表が麻生首相よりも上回り、政権交代が現実味を帯びてきた時期であった。
7月26日の新潟県新発田市での講演。
鳩山民主党代表「総理大臣を終えた後、政界に残っちゃいけない。政治家たるもの影響力を残したい、という方が結構おられる。総理大臣まで極めた人がその後、影響力を行使することが政治の混乱を招いているんじゃないでしょうか」
記事は、自民党の森、安倍両元首相を念頭に置いた発言だとしている。自身はそうはならないという、思い描いた在るべき姿への強い決意表明でもあったはずだ。
そして首相引退後の一つのモデルケースともなり得る発案であった。
講演後の即席記者会見。
記者「自身も首相になって退任したら、次の選挙に立候補しないのか」
鳩山民主党代表「基本的にそのように考えている」――
政治家の言葉は重い。一般人の言葉とは桁違いに重いはずだ。重いからこそ、7月26日に表沙汰にした、多分かねてから結論づけていた自身の進退に関わる思い・決意を約10ヵ月後の翌年6月の首相辞任時に改めて国民への約束として持ち出した。
「次の総選挙には、出馬をいたしません」
そう、こう在るべきだとかねてから結論づけていた自身の進退を結論づけていたとおりに提示した。言葉の重みを知っている稀有な政治家なのだから、当然の結論であろう。約束は約束として常に守る世にも稀な政治家なのである。拍手!
地元紙「苫小牧民報社」が鳩山前首相へのインタビューを試みている。参考引用。
《進退、結論急がず 鳩山前首相が苫小牧入り》(苫小牧民報社WEB/2010年 7/17)
次期不出馬発言の経過を説明するため、苫小牧入りした鳩山由紀夫前首相は17日、市内のホテルで苫小牧民報社の取材に応じた。次期衆院選に出馬しない考えを示していることに、鳩山氏は「基本的な考えは変わらない」としながらも、「(首相経験から)国益への責務の果たし方としてどういうことがあるのか、もう一度真剣に考えていく」とも述べ、議員を続けることを含めて検討する考えを示した。鳩山氏は18日まで、胆振、日高管内の各市町を訪れ、民主党や後援会の会合に出席する。
インタビュー骨子は次の通り。
―参院選の結果をどうとらえているか
「民主党惨敗と見出しに書かれても仕方ない負け方だった。首相を辞める判断をして、その結果失った信頼がV字回復した。菅新政権が消費税の問題について、唐突に打ち出さなければ敗北にならないような戦いは十分にできた」
―鳩山政権時代の影響は
「普天間問題や政治とカネの問題がすべて影響しなかったと言うつもりはないが、V字回復した現実と各地でおわびしながらの応援の中で、批判的な言葉はなかった。その意味では消費税の議論と、みんなの党に対して選挙中に協力の呼び掛けに聞こえるような発言をしたことが大きい」
―次期衆院選に出馬しないというのはどういう思いからか
「自民党政権下で、首相経験者が内閣や政権に影響力を行使するのはいかがなものかと考え、運営している政権がやりにくいと見えた。自分が首相になった場合、辞めた後は潔くすべきとの思いからだ」
「それはわたしの考え。わたしが今日あるのも、バッジを着けているのも有権者が1票を投じて期待をしてくれたから。当然、辞める時にもそのことを理解してもらうことが最低限求められている。発言は発言として、もう少し丁寧に有権者や後援会の皆さんと話して、認めてもらえるか判断していきたい」
―首相経験者としての役割があるのでは
「24年間、国会議員として首相まで経験した責務がある。それが選挙に出ないことで果たしたことになるのか。これからの自分の生きざまは国益にかなわないといけない。長く居続けることが国益に反するのではないか、と判断した。鳩山としての国益への果たし方があるのかどうかをもう一度真剣に考えていく。菅首相も3年間選挙がないと言っている。その間にさまざまな動きがあるので、後援会や議員仲間とも相談しながら急いで結論を出すつもりはない。だから後継も考えていない」
―今後、どういう政治活動をしていくのか
「新しい公共や地域主権などの考えが順調に進んでいくのかを見守る。領土問題を含めた日ロ問題など国際的なテーマをバッジを着けている環境の中で任を果たしたい。また、二酸化炭素25%削減について、首脳同士や首脳経験者が何回か議論することになっている。それをやってほしいと菅首相からも言われており、受けるつもりだ」
要するに、結論ではなかったと言っている。「総理たる者、その影響力をその後、行使しては、行使しすぎてはいけない、そのように思っています。従って私は、次の総選挙に出馬はいたしません」は、かねてから首相経験者はこう在るべきだと結論づけ、一つのモデルケースにしようとしていた自身の進退に関わる思い・決意ではなかったと。
大体が結論づけた約束を違えるとき、その正当化の口実に政治家はそう言えばすべてが許されるかのように「国益」を持ち出す。「これからの自分の生きざまは国益にかなわないといけない。長く居続けることが国益に反するのではないか、と判断した。鳩山としての国益への果たし方があるのかどうかをもう一度真剣に考えていく」と。
すべては国益のためで、私益からの発意ではないと。
国民の支持を失ったのは国民が首相にしておいても国益にならないと見たことの間接的表現であったはずだが、少しも気づいていない。
そしてインタビューの最後の回答は議員引退の撤回宣言となっている。「新しい公共や地域主権などの考えが順調に進んでいくのかを見守る。領土問題を含めた日ロ問題など国際的なテーマをバッジを着けている環境の中で任を果たしたい」
残す衆議院議員の任期は解散がなければあと3年。結論づけたとおりの議員引退を守るつもりなら、普通は、「残す3年の任期の間、できる限りのことはしたい」といったふうに任期への執着よりも使命への執着に重点を置く言葉となるはずである。
それを解散がない限り3年間は「バッジ」は保証されているのだから、わざわざ持ち出すまでもない言葉を持ち出して、「バッジを着けている環境の中で任を果たしたい」と、使命への執着よりも「バッジ」への執着にウエイトを置いた発言となっている。
当然、この「バッジ」は現在の衆議院議員としての任期までの「バッジ」ではなく、次の任期をも視野に入れた「バッジ」であり、そのことへの執着と見るべきだろう。
このことはロシアが返還する気のない北方四島返還問題はロシアが返還する気がないのだから、衆議院議員のあと3年の任期の間に、途中解散があればなおさらのことだが、解決する可能性は限りなく低いことも証明している引き続いての「バッジを着けている環境の中で任を果たしたい」であろう。
「asahi.com」記事の題名は《鳩山前首相、「バッジ外すか来春に結論」》となっているが、自身の中ではその進退に関して既に「外さない」方向に向けて、このように在るべきだと結論づけているようにも思える。
あとは体裁のいい口実、「支援者が今後とも国益のために尽くして欲しいという要望が強く、失望させるのは忍び難かった」とかの理屈をつくり上げて、少しは票が逃げていくのは覚悟で次の衆議院選も立候補する。
要するに鳩山前首相の中ではこう在るべきだとする結論づけは一時的な姿でしかなく、最後まで貫き通すこう在るべきだの結論づけではないようだ。
だから、こう在るべきだと結論づけた普天間移設の「国外、最低でも県外」も、「自然への冒涜」も、「腹案」も、結論としての姿を最後まで維持することができなかった。
今後ともこう在るべきだの結論付けがそうではないことの場面の数々を見せてくれるのではないだろうか。乞うご期待!
民主党の枝野幹事長、安住選挙対策委員長が7月14日から党本部で行っている参院選敗因の総括を目的とした党の都道府県連代表とのヒアリング形式の会談。
最終日16日の民主党静岡県連会長牧野聖修衆院議員にマスコミの注目が集まった。
《民主ヒアリング最終日 小沢氏の責任問う声》(日テレNEWS24/2010年7月16日 19:26)
定数2以上の選挙区に2人の候補者を立てた小沢戦略が最大の民主党敗因で、その責任は大きいとの批判の声を上げたという。
会談後の記者会見
牧野聖修「小沢さんは拡大路線をとって、どちらかというと思い上がりといいますか、そういう意味で拡大路線をとった。そのことが大きな失敗の原因だったと思います。(小沢さん)本人が責任を取らなかったら、離党勧告をしろと、私は(執行部に)言いました」
記者の前でも堂々と小沢前幹事長批判を展開し、辞職勧告しろと執行部に迫ったことまで披露したのだから、なかなかの議員魂と言うか、政治家魂と言うか、見事なものである。
牧野聖修「小沢氏から活動費を止められ、いじめられた」
静岡県では小沢氏が県連の反対を押し切って現職のほかに2人目の候補者を擁立。小沢氏が擁立した新人は落選したと記事は解説している。
私事だが、この選挙区に所属していて、菅内閣支持率と民主党支持率から見て、死に票になるなと思いつつ、小沢氏が擁立し落選した中本奈緒子氏(30)に投票した。
活動費を止められたというのは当初小沢主導の党本部2人目擁立に県連が反対、そのことの影響であった。
《参院選’10静岡:党本部に逆らい兵糧攻め? 牧野・民主県連会長が明かす/静岡》(毎日jp/2010年5月24日)
県連が擁立を決定した1人目の候補者、現職藤本祐司氏(53)のパーティーでの挨拶の中で牧野聖修議員は暴露した。
牧野「党本部から『公認料を含め選挙資金を一切出さない』と言われた。・・・・理屈が通らない」
佐藤泰介・党財務委員長から「党本部の言うことを聞かない県連へのペナルティーだ。・・・・選挙資金を切られたくないなら小沢幹事長に謝りに行くように」と伝えられたこと、県連の活動費も止めると告げられたことなどを明かしたという。
あとで記者団に次のように話している。
牧野「小沢一郎幹事長の意向だろう」
そして公認料などが月内に届かない場合、小沢氏に直接質す考えを示したという。
1人目の候補者、現職藤本祐司は記者団に次のように話している。
藤本「小沢氏がそういう指示を実際にしているのか断定できない」
但し、〈再選を目指す当選同期組が党から既に計700万円の選挙活動費を受けた一方、藤本氏には3月に100万円を支給されてから支援がないと説明した。〉という。
静岡県連は小沢擁立の2人目の新人中本奈緒子(30)を支援しない方針を決定。民主党静岡県連会長牧野聖修は相当に感情的になっていたようだが、怒りの牧野聖修といったところか。
テレビが伝えていた参院選敗因総括の会談後に記者団に小沢批判を繰り広げていた牧野聖修はまさに怒りの牧野聖修といったところだった。
この怒りの背景には党公認料等のカネを打ち切られたことへの恨みも尾を引いていたのだろう。それが「小沢氏から活動費を止められ、いじめられた」の恨み節につながったのではないのか。
上記記事は、〈憤まんやる方ない様子だった。〉と書いている。
怒りの牧野聖修の発言を他の記事からも拾ってみる。
《「小沢氏に辞職勧告を」民主・静岡県連会長》(YOMIURI ONLINE/2010年7月16日22時51分)
怒りの牧野聖修「選挙責任者だった小沢一郎前幹事長の責任は重い。万死に値する罪だ」
怒りの牧野聖修「(小沢氏は)政治とカネの問題もあり、執行部は即刻、議員辞職勧告か離党勧告をすべきだ」
記事の解説。〈終了後は記者団に、「余力を1人区に回せばよかった」と述べ、静岡選挙区などの2人区の多くに2人の候補を擁立した小沢氏の参院選戦略が大敗の原因になったとする見方を示した。〉
ヒヤリングした枝野幹事長の反応。
〈枝野幹事長は意見交換会で、「聞きとめておく」と述べただけだった。〉――
この「聞きとめておく」が言葉面からすると、その場限りの「聞きとめておく」の可能性が高く、怒りの牧野聖修の怒りは相手に届かない不発弾で終わる次なる可能性が生じかねない。
《参院選大敗「小沢氏に責任」=静岡県連会長が批判-民主》(時事ドットコム//2010/07/16-13:44)
怒りの牧野聖修「小沢一郎前幹事長が強引な選挙戦略をやって失敗した」
怒りの牧野聖修「小沢氏が拡大路線を取ったことが失敗の原因だった。選挙の戦略・戦術の問題だけでなく、政治とカネの問題でも本人は逃げ回っている(ことが影響した)」
“選挙の小沢”形無しといったところだ。怒りの牧野聖修のこの苦い選挙経験が牧野聖修をして“選挙の牧野”への学習材料となって、ゆくゆくは民主党幹事長にまで登り詰めるのではないのか。
《民主党内の一部から小沢氏に代表選出馬待望論 反小沢勢力からは離党勧告を求める声も》(FNN/10/07/16 19:28)
怒りの牧野聖修「選挙戦術の失敗だけでなくて、(検察)審査会の決定が、また厳しいものが出たということは、国民が、それだけ小沢さんに対して、許していないということだ」
《民主・牧野氏が小沢氏に離党勧告 選挙戦略で「万死に値する」と批判》(MSN産経/2010.7.16 12:27)
怒りの牧野聖修「選挙責任者としての小沢一郎前幹事長の責任は大きい。万死に値する。本人が責任をとらないなら、離党勧告をしてほしい」
枝野幹事長の反応の紹介も、「受け止めておく」の似たり寄ったりとなっている。
記事は最後の次のような解説を加えている。
〈改選2議席の選挙区に2人を擁立する民主党の選挙戦略は小沢氏が発案し、現執行部も踏襲した。牧野氏は「1人区に集中すべきだった」として選挙戦術の誤りを指摘した。民主党は静岡選挙区(改選数2)で現職と新人の2人を擁立。当選は現職議員のみだった。〉・・・・
記事は、改選2議席2人擁立は小沢前幹事長が発案、〈現執行部も踏襲した。〉としているが、単に機械的に踏襲したわけではない。その修正が可能でありながら、鳩山・小沢執行部に代る菅・枝野等の新執行部が修正を必要としなかった“踏襲”であった。
いわば、修正の機会がありながら、新執行部がその必要なしと判断した“踏襲”だったはずだ。
菅内閣は6月8日に天皇の親任を受けて正式に発足させているが、6月4日に既に衆参両院で首相指名を受けている。
《民主静岡県連 “候補者2人” 見直し求める》(第一テレビ/10/6/7 11:56)
民主党静岡県連は菅新代表による新執行部発足を受けて6月7日に参議院選挙静岡選挙区候補者2人擁立の党本部方針の見直しを求める決議をしている。
〈県連の牧野聖修会長は、新執行部が参院選に関する調査を行うと聞いていると述べ、県連が求める現職の藤本祐司さんへの候補一本化に期待を寄せた。また、党本部から藤本さんに公認料などが支払われていない問題も近く用意すると言われていると話した。 〉と記事は書いている。
新執行部側も見直しの修正に動く姿勢を示していた。
《選挙:参院選 民主・安住氏、複数擁立「見直しも」》(毎日jp/2010年6月7日)
民主党選挙対策委員長に内定した安住淳衆院安全保障委員長の発言を伝えている。
安住「どうしても共倒れの懸念があるとか、県連の話も聞かなければならない。状況を見ながら判断する時があると思う」
《“経験者”優遇 主選対委員長 複数擁立見直しに言及》(スポニチ/2010年06月07日 11:19)
安住「無理に立てて共倒れの懸念がある選挙区は、菅直人首相と相談しないといけない。・・・・この党は若い。政権運営上、経験を積んだ現職議員を落とせない」
菅首相と相談してのこととして、現職優先を打ち出している。
小沢幹事長の後任として新幹事長に就任した一方の枝野幹事長の動向――
《枝野幹事長、小沢氏喚問に慎重姿勢 運営の透明化推進》(asahi.com/2010年6月8日3時20分)
6月7日夜のNHKの番組――
枝野新幹事長「改選数2のところに2人擁立する考え方は間違っていない」
但し――
枝野新幹事長「2人立てると共倒れのリスクが高いところもあり、見直すべきところがあれば検討したい」
選挙情勢を見た上での部分的見直しへの言及となっている。
いわば部分的修正込みの「改選数2人以上・2人擁立」は既に菅首相、枝野幹事長、安住選対委員長等の新執行部が関わった判断となっている。
選挙方針を小沢前幹事長からバトンタッチを受けたものの、修正の機会がありながら、新執行部は基本的な戦術に関してはその必要なしと判断した。
要はその判断に誤りがあったかどうかが問題となる。
民主党牧野聖修はデマを飛ばして国民を惑わす類いの政治家か(2)に続く
枝野幹事長の「改選数2のところに2人擁立する考え方は間違っていない」発言は6月7日夜のNHKの番組でのことだが、6月10日の産経新聞どのインタビューでは小沢前幹事長が進めた「改選数2人以上・2人擁立」に関してより踏み込んだ肯定的な答を出している。
《枝野幹事長インタビュー 外国人参政権法案「拙速にできない」 複数擁立見直さず》(MSN産経/2010.6.10 21:58)
枝野幹事長「現時点の情勢分析では(見直しを)やらなくても済む」
情勢分析をした上でのことだと自身の判断の間違いのなさに言及している。静岡県連の怒りの牧野聖修も枝野幹事長のこの判断の報告を受けたはずであるし、その判断に自ら判断して従ったということでなければならない。
新執行部の判断に合わせた怒りの牧野の判断が形作られた経緯を伝える記事がある。
《「無理やり降ろせない」民主・静岡、候補者一本化は困難》(YOMIURI ONLINE/2010年6月11日14時08分)
枝野幹事長と安住淳・選挙対策委員長は6月10日、都内の党本部で党静岡県連の牧野聖修会長(衆院静岡1区)及び参院選静岡選挙区(改選定数2)で再選を目指す藤本祐司・国土交通政務官と会談している。
枝野幹事長が産経新聞のインタビューを受けて、「現時点の情勢分析では(見直しを)やらなくても済む」と答えたのと同じ6月10日だが、時間的にどちらが後先かは分からなくても、枝野幹事長自身その他が判断して党の方針とした、そのことに添う言動となったはずだ。
静岡県連が、〈同選挙区で藤本氏と小沢前幹事長主導で擁立した新人の中本奈緒子氏の当選も目指すとする党本部方針を見直し、事実上2人を一本化するよう求めていた。〉ことに対して、枝野幹事長は次のように答えている。
枝野幹事長「一本化は困難。・・・・無理やり(降ろすことは)できないと思う」
6月7日夜のNHK番組で、「2人立てると共倒れのリスクが高いところもあり、見直すべきところがあれば検討したい」と言っているのだから、その方針を踏まえた「無理やり(降ろすことは)できないと思う」の発言でなければならないと考えると、単に相手を納得させるために言葉のあやとして用いた口実でなければならない。
怒りの牧野聖修「まだ正式決定ではないが、仕方ない。これまで通りやるしかない」
別の県連幹部「中本氏が自ら降りない限り、一本化は難しいと思っていた。無理に降ろしてもマイナスになるだけだった」
この時点での静岡選挙区一本化断念・2人擁立に関わる両者の判断は小沢幹事長の判断から離れて、それとは全然無関係のあくまでも枝野幹事長以下の新執行部の判断として改めて提示されたものであり、と同時に、「正式決定ではないが」としているが、2人擁立のまま選挙戦に突入したのだから、それを最終的に受入れた判断は怒りの牧野聖修以下の静岡県連幹部のものであろう。
この場面に於ける決定の責任及び決定承諾の責任に小沢前幹事長は何ら関わっていない。
会合には小宮山洋子・財務委員長も加わっていたと記事は書いている。財務委員長とは選挙資金も扱うらしい。〈県連では静岡のみ、選挙区では静岡や秋田など6人の候補に一部の資金が支払われていなかったことを明らかに〉した上で――
小宮山「ほかの5件と比べ、なぜか静岡だけは特別視されていた。・・・・誰が見ても前執行部のお金の扱い方は公平ではなかった。理由も不明で不透明。おかしいことはなるべく早く是正したい」
確かに不公平な扱いはあったが、この問題は新執行部発足で解決したはずである。
枝野幹事長が、「2人立てると共倒れのリスクが高いところもあり、見直すべきところがあれば検討したい」から、「改選数2のところに2人擁立する考え方は間違っていない」、あるいは「現時点の情勢分析では(見直しを)やらなくても済む」に至った判断の根拠は菅首相指名を受けた各種マスコミの世論調査であろう。
一例を挙げると、朝日新聞社が6月4、5の両日実施した全国緊急世論調査(電話)を見てみる。前回調査は6月2、3日。枝野幹事長が「改選数2のところに2人擁立する考え方は間違っていない」と6月7日夜のNHK番組で発言した約24時間前の調査発表である。
《菅新首相「期待」59%、民主は回復 朝日新聞世論調査》(asahi.com/2010年6月5日22時57分)
◆「菅首相に期待するか」民主党の菅直人さんが、新しい首相に選ばれました。菅首相に期待しますか。期待しませんか。
期待する 59
期待しない 33
◆「政党支持」
民主党 32(前回調査 27)
自民党 14(前回調査 16)
◆「参院選比例区の投票先」
民主党 33(前回調査28)
自民党 17(前回調査20)
◆今後も民主党を中心にした政権が続いたほうがよいと思いますか。そうは思いませんか。
民主党を中心にした政権が続いたほうがよい 38
そうは思わない 38
◆菅さんが首相になることで、民主党は変わると思いますか。そうは思いませんか。
民主党は変わる 42
そうは思わない 49
◆菅さんは「経済・財政・社会の改革を進める」としています。菅さんは改革を進められると思いますか。
改革を進められる 43
そうは思わない 41
◆菅さんは、財政再建を重視する考えを示しています。菅さんのこの姿勢を評価しますか。評価しませんか。
評価する 75
評価しない 11
◆菅さんは、民主党の幹事長を辞める小沢さんについて「しばらく静かにしていただいたほうがいい」と述べ、距離を置く考えを示しました。菅さんのこの姿勢を評価しますか。評価しませんか。
評価する 82
評価しない 10
◆日本の政治が大きく変わってほしいですか。それほどでもありませんか。
大きく変わってほしい 78
それほどでもない 15
◆できるだけ早く衆議院を解散して、総選挙を実施すべきだと思いますか。急ぐ必要はないと思いますか。
できるだけ早く実施すべきだ 33
急ぐ必要はない 57
〈菅さんが首相になることで、民主党は変わると思いますか。そうは思いませんか。〉と、〈菅さんは「経済・財政・社会の改革を進める」としています。菅さんは改革を進められると思いますか〉、〈今後も民主党を中心にした政権が続いたほうがよいと思いますか。そうは思いませんか。 〉の3点はほぼ拮抗しているものの、菅首相への期待度、政党支持率、比例区投票先に関しては各マスコミの世論調査に共通する傾向であり、3点を十分に補っている。
いわば、枝野幹事長の「改選数2のところに2人擁立する考え方は間違っていない」、あるいは「現時点の情勢分析では(見直しを)やらなくても済む」の判断は発言時点では間違っていなかったと言える。だから通常国会を早々に閉会にして、参議院選挙を急いだ。
「改選数2人以上・2人擁立」は小沢前幹事長の判断から離れて、新執行部の判断となり、その判断を受入れたということは怒りの牧野聖修は自身の判断としたのである。小沢前幹事長の判断に常に反撥を示していたから、自身の判断としていなかったと言えるが、枝野幹事長を筆頭とする新執行部の判断には反撥を示す記事はない。要は共倒れしなければよかったはずだ。
だが、6月17日の民主党参院選マニフェスト発表記者会見での菅首相の消費税発言に端を発して、菅内閣支持率も政党支持率も比例区投票先も数字を下げていくことになり、枝野幹事長の間違っていなかった当初の判断に狂いを生じせしめたということだろう。
静岡選挙区では県連は藤本氏のみを支援、中本氏はその応援を小沢派の一人を除いて誰もしていない不利な状況に立たされていたのだから、このことと併せて菅内閣支持率低下状況にあっては、2人当選は県連の方で最初から投げていたことでなければならない。
いずれにしても新執行部となって以降は小沢前幹事長の遊説先での消費税増税反対の発言に邪魔されることはあったが、新執行部の主導の下、参議院選挙を戦った。小沢幹事長の手の平で踊っていたわけではない。躍らせていたのは菅首相の消費税発言であろう。
「改選数2人以上・2人擁立」の修正の機会がありながら、新執行部がその必要なしと判断した選挙方針であり、その判断に間違いはなかったが、のちに狂いが生じてきたということである以上、怒りの牧野聖修の参院選大敗の原因は小沢前幹事長の拡大路線だ、思い上がっていた、万死に値する罪だは無実の者に罪を着せる、逆に怒りの牧野の方こそが思い上がっていると言える不遜な独善行為に当たらないだろうか。
さらに言うと、事実ではないことを事実とするデマゴギーを発して国民を惑わす情報操作を行ったことに等しい行為ではないだろうか。
怒りの牧野聖修は09年末以来、普天間基地移設問題での徳之島移設をさも実現可能性あるが如くに鳩山首相に吹き込み“腹案”とさせたハッタリを抱えている。ハッタリだったことは徳之島の3町長も住民の大多数も移設に反対していて、交渉が一向に前に進まないことが証明している。この問題を自らの手で解決してから、小沢前幹事長云々を言うべきではないのか。
このことはごく当たり前のことだが、派閥、その他の自己が置かれている立場に応じて一定の共通した利害の支配を受け、それとの対応で共通した態度を半ば強制されることから起きる。
小沢前幹事長は選挙中遊説先で、「無駄を省けば財源はあると私はずっと言い続けてきた」(毎日jp)と発言し、菅首相の消費税発言を一貫して批判し続けた。そして投票の結果、民主党が大敗を喫した。
当然小沢グループに属する議員や小沢支持の地方の党関係者、あるいは小沢前幹事長に近い立場の議員その他は敗因を菅首相の消費税発言とし、その責任を追及する立場を取る。
逆に菅首相のグループやそれに近い立場の議員、あるいは菅首相を支持する立場のその他の反小沢グループは敗因を消費税に置いた場合、直接菅首相の責任に直結し、逆に小沢前幹事長に軍配を上げることになるため、それを避けたい利害と反小沢という立場上の利害からも、敗因として編み出したのが、菅首相が直接主導したわけではないゆえに菅首相に責任の及ばない、民主党のこれまでの10ヶ月の政権運営のまずさに置いた。
これは全体責任と言うことになって、責任を分散する利点がある上に、これまでの10ヶ月の政権運営には小沢は党幹事長として深くかかわってきたことから、より多くの責任があるとすることができる利点もある。
逆に小沢前幹事長側は受入れ難い責任論となる。
それぞれの派閥・立場に応じた敗因の決定構図から、逆に敗因を消費税発言に置く議員、その他は小沢グループかそれに近い立場の議員、その他であり、民主党のこれまでの政権運営の質に置く議員、その他は現在の執行部に所属する菅グループやその他の反小沢グループだと炙り出し可能となる。
民主党の枝野幹事長、安住選挙対策委員長が参議院選挙敗因の総括を目的に7月14日から党の都道府県連代表と相次いで会談している。当然そこでは地方側からどちらかの利害・立場に立った敗因に関わる発言が展開される。
民主党執行部は地方からの敗因を集約、それを分析して、今月開催予定の両院議員総会で選挙の総括を行うことにしているという。
《“政権運営への批判が原因”》(NHK/10年7月14日 12時33分)
初日の14日の会談相手は和歌山県連代表の岸本衆議院議員、その他。
岸本議員「菅総理大臣の消費税をめぐる発言があったから負けたというより、政権交代以降の政権運営に対する批判や、もっとやってくれるのではないかということに対する期待外れが原因で、根が深い問題だ」――
会談後の記者会見――
岸本議員「私も含めてすべての民主党の議員が頑張ってだめだったわけだから、全員に責任があり、個別の責任については考えていない」――
責任は菅首相にはなく、全員に責任があると、責任の分散を図っている。記事には書いてなくても、現執行部で主流派を形成しているグループに所属しているか、それに近い立場の議員だと分かる。決して小沢グループかそれに近い立場の議員であるはずはない。
枝野幹事長、安住選挙対策委員長と地方県連代表らとの会談時間は、「NHK」記事には書いてなかったが、約20分ずつで、初日の14日の党本部での会談は石川、栃木など10県連代表と個別に行われたと、《<スコープ>県連『責任取らぬのおかしい』 民主執行部に批判噴出》(東京新聞/2010年7月15日)には書いてある。
武内則男参院議員(高知県連代表)「消費税について多くの説明を割かざるを得ず、非常に苦しい戦いだった」――
間接的な菅首相批判となっていることから、少なくとも現執行部に距離を置く立場を取っていることが分かる。
答えた安住選対委員長の発言は逆の立場を取っている。
安住「新体制が発足したばかりで、統一的な事前準備がない中で選挙戦に突入したという反省がある」
党の側から執行部に所属しているからだろう、消費税について触れないまま、そこに責任を置かない言葉となっている。
だが、選挙を戦うのは初めてではない。政権獲得後の国政選挙は初めてだとしても、野党時代、多くの選挙を戦っている。共通点はあるはずだ。
その上、今回の参議院選挙は民主党単独の過半数を獲得して政権基盤を強固にし、政権運営を円滑に進めることが最大の目的の大事な選挙だったはずである。当然、「統一的な事前準備がない中で選挙戦に突入した」という言い訳は成り立たない。
逆に「統一的な事前準備がない中で選挙戦に突入した」責任を現執行部に問わなければならなくなる。
どれだけ高い代償についたか、深刻に受け止めることができていたなら、「統一的な事前準備がない中で選挙戦に突入した」などと言ってはいられないことに気づくだろう。
大体が、では、なぜ通常国会を早々に切り上げて、参議院選を急いだのかということになる。言い訳にならないことが言い訳として罷り通る。
これも利害・立場がなせる言い訳であろう。
記事は、「小沢氏に近い」とか、「小沢氏側近の」とか、所属・立場を明らかにして議員を登場させてもいる。
石川県連代表で小沢氏に近い一川保夫参院議員の会談後の記者会見。マスコミ各社の記者が会談を終えて出てくる県連代表の議員を待ち構えているわけである。ご苦労様。
一川保夫「(執行部が)責任を感じないのが本来おかしい。別の機会に当然けじめがつくだろう」
小沢氏側近の松木謙公衆院議員の14日のテレビ番組でくちにした、9月の代表選後に党役員人事を行う首相の方針についての発言――
松木謙公「9月に代えればいいという話はナンセンス。責任を取るなら取った方がいい」
菅代表は参院選敗北の責任を取って直ちに辞任すべしの立場を取っている。当然、どの利害・どの立場からの発言か一目瞭然である。
代表選について。
松木謙公「しっかり戦いたい。小沢氏にぜひ出てもらいたい」
両者共、党内に於ける自身の立場を反映させた共通した利害からの発言であろう。
記事はこの会談を、〈聴取は15日以降も続け、数日間で47都道府県連すべての意見を聞く予定。参院選を総括するため月末にも開く両院議員総会で、執行部批判が噴出しないよう、あらかじめ地方の声に謙虚に耳を傾ける姿勢を示して「ガス抜き」する狙いがある。〉と解説しているが、「ガス抜き」で終わるかどうか、紛糾しない保証はない。最近の言葉を使って言うと、“マスコミ的には”、紛糾した方が商売はやりやすいはずだ。それがマスコミの利害というものであろう。
松木議員が小沢前幹事長の代表選出馬期待論を口にしているが、《「決戦9月代表選」 沢氏擁立論も 院議員総会30日開催へ》(asahi.com/2010.7.15 06:40)はより詳しくその発言を伝えている。
松木謙公「小沢氏に出てもらいたい。政策を重んじる人なので、それを武器に首相になり、(政策を)実現してほしい」
そしてこの発言に対する記事解説。
〈小沢氏に近い松木謙公国対筆頭副委員長は14日の民放BS番組収録で、露骨な小沢待望論をぶち上げた。〉――
自分たちの利害を前面に押し出したというわけである。
前のブログで、〈消費税引き上げといったことに対する国民の意識を問う世論調査の場合、生活に直接影響することだから、年収区分まで問うべきではないだろうか。〉と書いたが、国民が年収区分に応じた一定の共通した利害に支配された態度を税に対して取るように、政治家にしても政治的立場・政策的立場に応じてそれぞれ利害を異にし、その支配を受けて態度・姿勢も異にする。
そしてそれぞれが自らを正しいとする。いわば、利害が正しいか正しくないかの決定要素となる。だから、人間世界は利害の戦いとなる。
「どっこいしょ たちあがれ日本」の与謝野馨共同代表が7月14日のテレビ朝日の番組で民主党と自民党の大連立が今後の日本の針路に価値ある貢献をする・・・という言葉を使ったかどうか分からないが、そういった趣旨の発言をしたそうだ。
《「“ごめんと言え”ばかりでは進まぬ」与謝野氏が自民に》(日本経済新聞電子版/2010/7/14 10:43)
与謝野馨「民主党と自民党がしっかり政策調整し、ものを決める(ことが大事)。自民の若い有為な人たちのことを思うと、政権に参加し仕事する状況を作ることが谷垣禎一総裁をはじめ幹部の責任だ。・・・・『マニフェスト(政権公約)を撤回してごめんと言え』と言っていたら何も進まない」――
確か鳩山邦夫が与謝野のことを「頭がいい」と褒めていたと思ったが、多分、鳩山邦夫の頭と比較した“頭の良さ”だと思うが、さすが頭脳明晰の政策通だけのことはある。
自分の願いが実現した場合、自身の進退はどうするのだろうか。そのように働きかけた功績と引き換えに、一度離党し、除名処分を出した自民と民主が大連立した政党に名誉の復帰を図る気なのだろうか。
記事は以上の与謝野の発言と次の結びの解説のみの短い内容となっている。
〈民主党の参院選の大敗については政権交代後10カ月間の運営への批判と指摘。消費税を巡る菅直人首相の一連の発言については「正直」と評価した。〉
与謝野は消費税増税派の立場にあって、自身の利害と一致することから、菅首相を「正直」と褒め称えることができるのだろう。だが、読売新聞社の7月12~13日実施緊急全国世論調査(電話方式)を見ると、自己利害のメガネを通しただけの、物事の全体を見ない解釈に過ぎないことが分かる。
《内閣支持急落38%、不支持52%…読売調査》(YOMIURI ONLINE/2010年7月13日22時39分)
(前回調査7月2~4日実施)
菅内閣の支持率 38%(前回調査45%)
不支持率 52%(前回調査39%)
〈支持率は内閣発足直後(6月8~9日実施の調査)の64%から、1か月余りで26ポイントも低下・・・〉
民主が議席を大きく減らした理由
「菅首相の消費税発言への批判」 37%
「民主党の公約への不満」 31%
「民主党政権の実績への不満」 20%
自民の議席増の理由
「民主党政権への批判」 71%
みんなの党の躍進について
「民主党と自民党への不満」 45%
確かに「民主党の公約への不満」と「民主党政権の実績への不満」をプラスすると51%と半分を超えるが、菅首相の消費税発言から支持率を下げていった事実は事実として残る以上、また、民主党が議席を大きく減らした理由として「菅首相の消費税発言への批判」が最も多い37%を占めている事実と合わせると、今後の政権運営に関係するカードとなった過半数割れを前にして、消費税発言を「正直」とばかり言っていられないはずだ。
にも関わらず、「正直」と言うのは、やはり自己利害の一致以外には理由を考えることはできない。
しかも、その「正直」を裏切って消費税議論の2010年度内取り纏めの約束を先送りする方針を示してさえいる。
但し与謝野が国民の判断は間違っている、自分の判断こそが正しいとした場合のみ、菅首相に対する「正直」評価は的を得ているとすることができる。
だが、そうした場合、国民を愚民視することになる。
例え与謝野の言うとおりに「正直」が事実であったとしても、7月13日午前の参院選後の初閣議で菅首相は閣僚に対して消費税発言を謝罪し、「毎日jp」記事――《菅首相:消費税争点化で党に迷惑かけた--稲盛氏に》(2010年7月14日)によると、14日午前、首相官邸で内閣特別顧問の稲盛和夫日航会長と会談、「唐突に消費税問題を挙げたからこういう結果になり、(民主)党全体に迷惑をかけた。大変反省している」と反省の態度を示すことを「正直」の代償としている。このことを考えると、「正直」と評価するだけでは収まらない問題が生じる。
記事は菅首相が会談した稲盛氏に話したこととして、〈小沢氏との面会を調整しているが具体的な日時は決まっていないと説明した。〉と書いている。
参院選で与党過半数を維持すれば、自身の権力基盤、政権基盤を強固にし、長期政権も視野に入れることができたはずだが、面会が実現した場合の小沢前幹事長に対しても消費税発言を謝罪し、ご協力を願って党の結束を求めて自分から弱めることとなった権力基盤、政権基盤の維持に努めなければならない自ら招いた事態は党人事と閣僚人事から可能な限り小沢派を排除した決定に反する、あるいは自己意志に反する無節操の表現となるはずである。
《【民主党代表選】菅出馬会見詳報》(MSN産経/2010.6.3 23:41)
6月3日の民主党本部での代表選出馬会見――
〈--小沢氏を要職につけるかどうか
菅直人「まあ、文書の中でも申し上げたように、鳩山総理としてですね、やはり政治とカネの問題で自らの問題もあって辞職をすると。同時に、小沢幹事長についても問題があったので、話し合って辞職をするということになったということを話をされていました。そういう意味ではですね、やはりその鳩山代表の思いを大事にしなければならない。もちろん時間の長さということはありますけれども、少なくとも一昨日ですか、昨日ですか、鳩山総理の辞任表明があったわけでありますから、そういう意味では小沢幹事長についてもですね、ある意味ではしばらくそうした国民の皆さんにとってのですね、ある種のこの不信を招いたことについて、少なくとも暫くは静かにしていただいたほうが、ご本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとっても良いのではないかと、このように考えております」
“日本の政治のため”まで持ち出して、ポイ捨ての遠ざけを行っていながら、小沢前幹事長側からしたら、日本の政治のためにならないとされて蟄居謹慎並みの扱いを受けることとなったのだが、それ程のことを行っていながら、「暫く」が1ヵ月半そこそこで終わって、自分の方から近づこうとしているのである。何のためのポイ捨てだったのか、何ための“日本の政治のため”だったのか、すべてが意味を失う無節操でなくて何と言ったらいいだろうか。
これが与謝野馨が評価する菅首相の「正直」の一つの成果でもある。
与謝野馨の民主・自民大連立発言を扱った同じ「日本経済新聞電子版」――《与謝野氏「民・自連立が一番」 みんなは「デマゴーグの典型」》(2010/7/14 12:35)は与謝野の発言を微妙に変えている。
理解しやすいように最初の記事の発言を再掲。
与謝野馨「民主党と自民党がしっかり政策調整し、ものを決める(ことが大事)。自民の若い有為な人たちのことを思うと、政権に参加し仕事する状況を作ることが谷垣禎一総裁をはじめ幹部の責任だ。・・・・『マニフェスト(政権公約)を撤回してごめんと言え』と言っていたら何も進まない」――
次の記事――
与謝野「民主、自民両党が連立を組むのが一番いい。民主は10人程度の少数政党に頼って振り回されてはいけない。・・・・みんなの党のようにデマゴーグ(大衆扇動家)の典型みたいな政党と組むと、国民が不幸だ。自民党は常識の党だ」――
「自民党は常識の党だ」はどういった意味で言ったのだろうか。
2010年3月10日発売の「文芸春秋」4月号に、《新党結成へ腹はくくった 日本経済を救う「捨て石」になる》と勇ましく題して論文を掲載、〈執行部を交替して新生自民党を立ち上げるのか、それとも新党という旗を掲げて新しいパラダイムを求めていくほうが日本を救うための近道なのか、時間は差し迫っており、私が決断を下す時期はそう遅くはないだろう。〉とこれまた勇ましく散りばめた言葉にふさわしく、散々に自民党谷垣執行部を批判、3月10日発売だから、2月中に原稿を仕上げていただろうから、1カ月以上経過した4月7日付で離党届を提出、コチコチの頭の硬い平沼赳夫と共に平均年齢70歳前後とかの新党「どっこいしょ たちあがれ 日本」を結成、自民党から除名処分を受けておきながら、「自民党は常識の党だ」と平気で言える。
では、何のための美しい言葉を勇ましく散りばめた勇ましい離党だったのだろうか。自身は「常識」の上を行く優れた特異な政治家と位置づけているということなのだろうか。だとしたら、「常識」の意味は「平凡」ということとなって、言っていることに矛盾が生じる。
当然、褒め言葉としての「自民党は常識の党だ」でなければならない。但し褒め言葉とした場合、自身の政治姿勢の終始一貫性を否定することになる。褒めていながら、党執行部を散々に批判して、離党し、新党を結成したことになるからだ。あるいは党執行部を批判し、離党した後になって「自民党は常識の党だ」と気づいたことになって、自身の判断能力、あるいは洞察能力の狂いを逆に証明することになる。
新党「どっこいしょ たちあがれ日本」は今回の参院選で74歳の平均年齢を尚上げることとなる元自民党片山虎之助の比例区1議席獲得の「新党結成へ腹はくくった 日本経済を救う『捨て石』になる」にふさわしい勇ましい成果を上げることができた。
参議院非改選と合わせて3議席、衆院3議席。政治は頭数でもあるから、所詮、政界再編のおこぼれに預かって少数を多数に見せかける必要が生じる。だが、政権党の民主党が連携対象として食指を動かしているんはみんなの党であって、平均年齢が70歳前後と高い「どっこいしょ たちあがれ日本」ではない。例え部分的政策連合であっても、みんなの党と連携を組むことになった場合、頭数を確保できない場合の「どっこいしょ たちあがれ日本」はお先は真っ暗となる。そんなことをさせるくらいなら、あるいはそんなことになるなら、民主・自民大連立を提唱、既に触れたようにその労を取って、その功労者として自民復帰まで視野に入れて自身を大連立の頭数の中に紛れ込ませ、その頭数の一人としての発言力、活動能力を高めようとしているのかもしれない。何しろ遠くまで見通す政治眼力の持主なのだから。
民主党とみんなの党の連携を阻止したい意志が現れた発言が、「みんなの党のようにデマゴーグ(大衆扇動家)の典型みたいな政党と組むと、国民が不幸だ」であろう。
何を以てして「デマゴーグ(大衆扇動家)の典型みたいな政党」なのか、その理由を番組の中で発言していたなら、マスコミは報じていただろうから、理由は言わなかったに違いない。政界切っての理論家だそうだから、自身の理論の中では「デマゴーグ(大衆扇動家)の典型みたいな政党」ということになっているのだろう。
それとも消費税増税の「どっこいしょ たちあがれ 日本」の利害に反してみんなの党が消費税増税絶対反対を掲げていることが「デマゴーグ(大衆扇動家)の典型みたいな政党」ということなのだろうか。
だとしたら、消費税増税反対を掲げている政党はすべて「デマゴーグ(大衆扇動家)の典型みたいな政党」ということになるが、何とも大雑把な政党区分けとなる。
「日本経済新聞電子版」記事の中で書いていた「民主は10人程度の少数政党に頼って振り回されてはいけない」の発言に当たる、同じ14日のテレビ朝日番組の発言として伝えると同時に民主党とみんなの党の連携阻止意志を言葉を違えて伝えている記事がある。《民主、自民の連立が一番いい=与謝野氏》(時事ドットコム/2010/07/14-11:08)
与謝野「民主党と自民党が政策調整して連立を組むのが一番いいことだ。少数政党というしっぽが犬を振り回してはいけない。・・・・連立がいいか、政策協議がいいか、部分連合がいいかは別にして、民主党と自民党がきっちり政策調整して、ものを決める体制をつくる(べきだ)」
大政党たる犬自身が小政党のシッポを振り回すのは構わないが、その逆であってはならないと主張している。みんなの党と民主党が連携した場合、少数政党のみんなの党が大政党の民主党を振り回す大小逆転現象を引き起こすとの警告である。
確かに民主党の方が人数からして多くの民意を受けている。だとしても民意をも逆転させる大小逆転現象を招いたとしても、すべては菅首相自身の身から出たサビである。犬がシッポに振り回されたときは、身から出たサビとして菅首相が責任を取る以外にあるまい。
但し、大小逆転は民主党と「どっこいしょ たちあがれ 日本」が連携しても同じ条件を担わない保証はどこにもない。それを悪だとするなら、小が大を兼ねる政界再編の頭数確保を目的とした少数政党の闘いもそれを狙った新党立ち上げも意味を成さなくなる。その出発点としての与党過半数割れも小政党に限って、価値を失わせる結果となる。比較大政党の自民党のみに価値が認められる過半数割れとなる。
ではなぜ、新党改革も「どっこいしょ たちあがれ 日本」も、みんなの党も与党過半数割れを訴えて参議院選挙を戦ったのだろうか。すべてが小が大を兼ねる政界再編を狙い、自分たちの党こそが、と、政界再編の一角に食い込んで自己存在証明を果たそうとしたからだろう。
与謝野は自身も小政党を立ち上げておきながら、言っていることはすべて矛盾する発言となっている。これも政界切っての理論家だからだろうか。
それともこの程度の認識能力、洞察能力しかないということなのだろうか。
大体が民主と自民が大連立して唯一巨大政党となった場合、内部では主導権争いの党内抗争は起きるだろうが、外に対しては敵が存在しないことになって、政党間の競争原理が麻痺し、その安全性に安住して好き勝手の横暴化する危険性と競争の力学が働かないことによる体質の官僚化、政策の停滞化を招く危険性を抱えることになりかねない。
与謝野のこの大連立願望にはこの視点が一切欠けている。
朝日新聞の6月12、13日実施全国世論調査(電話)が参院選大敗に大ショックを受けていた菅首相に心癒す大プレゼントを進呈したようだ。《菅首相辞任「必要ない」73% 朝日新聞世論調査》(asahi.com/2010年7月13日23時9分)
写真のキャプションには、〈世論調査で続投への支持率が高かったことに対し、笑顔で「うれしいです」と答える菅首相=13日午後、首相官邸、西畑志朗撮影〉と書いてある。
6月8日の総理大臣記者会見で記者から、「全閣僚の政府会見、そして何と言っても菅さんが先ほどおっしゃいました官房長官の会見等を、国民のために完全に開くという御意気はあるのかどうか。鳩山前首相はそれについては約束をしてくださいましたが、菅総理はどうなのかお伺いします」と問われて、「オープンにすることは非常にいいが、取材を受けることで政権運営が行き詰まるという状況もなんとなく感じている」と言っていたマスコミ不信の毛嫌いを、鳩山前首相が朝と夕方の1日2回開いていたのに対して、朝は拒絶、夕方のみの1日1回に減らす首相官邸でのぶら下がり記者会見で形にして見せていたが、自分に都合のいいマスコミ報道にはいとも簡単に抱きつき、自分から頬ずりさえするご都合主義を単純にも見せているようだ。
参院選投票日前日の福井県坂井市の街頭演説では、「財政破綻(はたん)に陥らないため税制について議論する必要があると言った。そうしたら翌日の新聞が『菅直人が明日から消費税を上げるんじゃないか』と書いた。・・・・次の総選挙まで1円も上げない。このところだけ外して報道が流れた」と、民主党過半数割れ、現有議席後退のマスコミ予想に益々マスコミ不信の毛嫌いを募らせて、内閣支持率の低下、選挙不利状況の責任を事実でないことを言ってマスコミ報道に転嫁していたが、マスコミ不信の毛嫌いをいともあっさりと打ち忘れて、不信とは正反対の信頼できる事実とするご都合主義を曝している。
〈世論調査―質問と回答〉のうち、民主党と自民党のみを見てみる。(丸カッコ内の数字は6月3、4日の前回調査の結果)
◆菅内閣を支持しますか。支持しませんか。
支持する 37(39)
支持しない 46(40)
◆いま、どの政党を支持していますか。
▽民主党 27(30)
▽自民党 21(15)
◆今回の参議院選挙の比例区で、どの政党、またはどの政党の候補者に投票しましたか。
▽民主党 31
▽自民党 24
◆参議院選挙の結果、民主党は44議席しか取れず敗北しました。この結果はよかったと思いますか。よくなかったと思いますか。
よかった 48
よくなかった 30
◆菅首相は、首相を続ける考えを表明しました。菅首相は、参議院選挙の結果の責任をとって、首相を辞任するべきだと思いますか。辞任する必要はないと思いますか。
辞任するべきだ 17
辞任する必要はない 73
◆消費税の引き上げに賛成ですか。反対ですか。
賛成 35(39)
反対 54(48)
◆今回の選挙で投票先を決めるとき、菅首相の消費税をめぐる発言や対応を重視しましたか。重視しませんでしたか。
重視した 32
重視しない 57
◆消費税引き上げの議論は進めた方がよいと思いますか。進めない方がよいと思いますか。
進めた方がよい 63
進めない方がよい 29
中身を仔細に見てみると、〈笑顔で「うれしいです」〉では簡単には済まない事実が見えてくる。ただ単に「辞任する必要はない 73」の数字だけを見て、単細胞にも大歓迎しただけのようだ。元来、指導力を形作る重要な要素となる合理的判断能力を欠いているから、数字だけの判断となったのだろう。
そもそもからして国会が開催されれば、否応もなしに参議院のねじれ状況が待ち構える。野党との駆引き次第では政権運営が行き詰まらない保証はない。行き詰まる場面までいかなくても、野党の攻撃に曝されて少しでも政権運営が滞った場合、「辞任する必要はない 73」は確かな砦となってくれる数字ではなくなるはずだ。いわば脆さを内側に抱えた「73」と見なければならない。あるいはヌカ喜びで終わる危険性を抱えた「73」かもしれない。にも関わらず、〈笑顔で「うれしいです」〉とすることができる。
「辞任する必要はない 73」であるにも関わらず、菅内閣支持率は投票日前の調査から2ポイント下げた、「支持する 37」、「支持しない 46」にしても、前回調査から6ポイントも上げていて、差引き「支持しない」が9ポイント上回っている、この参議院に劣らないねじれ現象はどう説明したら、整合性を得ることができるのだろうか。
唯一考えることのできる理由は、自民党安倍内閣から民主党鳩山内閣までの4人の首相がほぼ1年毎にコロコロと代わってきたことを挙げることができる。ここにきて菅首相までが6月8日に菅内閣がスタートして1カ月かそこらの短命、次にバトンタッチとなったら、国際的信用に関わると多くの政治評論家やその他の有識者、そして政治家自身が、その多くは菅擁護の立場からの自己都合な発言だが、口にしていて、そのことが国民の頭に浸透して、同じ懸念を共有していることになっているからではないか。
菅首相自身もマスコミの世論調査で民主党の参院選敗北の状況が現実味を帯びて色濃くなった7月4日日曜日のNHKのテレビ討論で同じ趣旨の、自身を擁護する発言を行っている。《54議席獲得できずとも辞任せず》(NHK/10年6月25日 0時32分)
菅首相「この間、日本の首相が毎年のように代わったことで、たいへん弱い政治、弱い外交になったと思う。今回の選挙で議席を大きく伸ばしたいと思っているが、すぐにあきらめてしまうということは、わたしはまったく考えていない」――
確かに指導力は頭数に対応した変数の関係にあるが、このことがすべてではないことは衆参両院とも頭数を確保していながら、発揮できなかった鳩山首相の指導力が証明している。
いわば、「日本の首相が毎年のように代わったことで、たいへん弱い政治、弱い外交になった」とは必ずしも断言できな事実で、各首相の指導力の欠如自体が、「首相が毎年のように代わ」るような状況を招いたことは否定できないはずだ。
もし菅首相の言っていることが真正なる事実なら、「首相が毎年のように代わ」らなかった時代に於いて、アメリカ追従外交だとか、政治三流国だとか、あるいは日本の政治には戦術はあっても戦略はないといった有難い称賛を受けることはなかったはずだが、哀しいかな、日本の歴史・文化・伝統として長いことこの手の称賛を受けることとなっていた。
例え「首相が毎年のように代わ」ることで国際的な信用を失うことになったとしても、いわば世界に向けた世間体と合理的判断能力を欠き、このことが影響して指導力まで欠いている菅首相を日本の政治を主導する総理大臣の位置に就けておくことと、どちらが国民にとって実質的な利益となるだろうか。
日本の政治の国際的信用性は日本の政治の身の丈から出ている評価であって、背伸びしたり取り繕ったりしても隠せる信用性ではあるまい。
前原国交相にしても、鳩山前首相を擁護して、「総理がコロコロ代るってことは、私は、如何なものかと思う」と言っていた。だが、国民は辞任を歓迎して、菅内閣の発足に高い支持率を与えて歓迎した。
上記朝日新聞世論調査の消費税に関わる調査を見てみる。
消費税の引き上げに、「賛成 35」、「反対 54」でありながら、消費税引き上げの議論は 「進めた方がよい 63」、「進めない方がよい 29」と、これもねじれ現象を見せている。
これは以前ブログで書いたが、日本の財政状況、巨額借金体質から考えた場合、頭では消費税引き上げの議論は進めなければならないと理解していても、現実問題として、自己の生活への影響を考えた場合、上がるのは困るといった心境からの消費税引き上げの議論は 「進めた方がよい 63」に対して消費税の引き上げに「反対 54」ということではないだろうか。
このことによる評価であるなら、消費税引き上げ「賛成 35」は、引き上げたとしても困らない生活者となる。
最近気づいたことだが、消費税引き上げといったことに対する国民の意識を問う世論調査の場合、生活に直接影響することだから、年収区分まで問うべきではないだろうか。
年収200万以下の生活者が消費費税増税に賛成としていたなら、なかなかの勇気ある人間が、丸きりのウソつきかどちらかに違いない。
私自身は消費税の議論を進めることに賛成であり、消費税が引き上げも現在の苦しい生活をなお苦しくすることになると分かっていても、いつかは来る道と覚悟をして反対はしてはいない。
私が重視したのは、消費税発言を党内論議を経ない準備不足のまま公表した菅首相の合理的判断能力の欠如であり、増税率を自民党の10%を参考にする政権党の責任者にはあるまじき主導性の欠如であり、消費税発言で支持率を下げると、それをマスコミに責任転嫁した無責任性であり、参院選大敗の結果を受けると、その原因を、「もっと慎重にしっかりとした議論を進めるようにと。つまりは丁寧な扱い、国民のみなさんが求められた」と後付で気づく判断能力の欠如であり、それらの欠如と深く関連し合っている指導力への失望感であった。
物事を満足に判断できない人間に満足な指導力など備わるはずはない。そういった指導力なき首相を国際的信用を失うからと首相の地位に居座り続けさせる。
もう一つ別の菅首相擁護論がある。米倉弘昌日本経団連会長や民主党の蓮舫、荒井聡等に代表される発言である。《「みんなの党は『浮動票』」米倉弘昌日本経団連会長のやり取り全文》
Q 菅首相は消費税の説明不足を敗因に挙げているが
A 若干そういう印象はあるが、私は説明不足が要因だとは思っていない。菅内閣は発足後1カ月足らず。国民はその前の内閣のあり方をご覧になっていたのではないか。
菅首相側近の荒井聡国家戦略担当相「消費税よりこの10カ月の政権運営への評価」(MSN産経)
蓮舫「政治とカネ、普天間問題などが前提にあった」(同MSN産経)
すべて菅首相擁護となる発言である。菅首相冤罪論でもある。
6月24日公示2日後の6月26、27の両日実施朝日新聞社全国世論調査(電話)によると、
消費税引き上げに反対 44%
消費税引き上げに賛成 46%
選挙の争点は
全体で、
消費税を最大の争点とする 19%
消費税以外にも大きな争点はある 71%
消費税引き上げに反対44%のうち
消費税を最大の争点とする 25%
消費税以外にも大きな争点はある 61%
消費税引き上げに賛成46%のうち
消費税を最大の争点とする 15%
消費税以外にも大きな争点はある 81%――
選挙後の上記世論調査では、
◆今回の選挙で投票先を決めるとき、菅首相の消費税をめぐる発言や対応を重視しましたか。重視しませんでしたか。
重視した 32
重視しない 57――
この差が縮まっている事実。さらに6月8日の菅内閣内過去発足後世論調査で鳩山政権支持率が20%を切る危険水域から60%前後から多いところは65%前後まで支持率をV字回復した事実、だが、6月17日のマニフェスト発表記者会見消費税発言後の世論調査で支持率を5ポイントから10ポイント前後まで下げた事実、そして菅首相が不利な状況を消し去ろうと消費税の税還付や軽減税率を設ける発言、税関還付の場合の対象年収区分まで発言しながら、それが街頭演説場所で異なる数字を上げたこともあるだろうが、じりじりと支持率を下げていった事実、最後に今回調査の菅内閣自体の支持率が「支持する 37」、「支持しない 46」となっていて、菅首相自身が支持されていない事実等を考えると、「国民はその前の内閣のあり方をご覧になっていた」という菅首相擁護は擁護となっていないように見える。
少なくとも菅内閣発足当時は「その前の内閣のあり方」と菅内閣自体を別個に扱っていたゆえの支持率V字回復だったはずだからだ。
但し、消費税発言に対する菅首相個人への国民の不信が国民の記憶に植えつけられていたマニフェスト変更や「政治とカネ」の問題、普天間基地移設問題の迷走等の「その前の内閣のあり方」への不信を呼び覚ます発火装置となった可能性は否定できない。
だとしても、不信の出発点、あるいは不信を膨らませていった主役は消費税発言であることに変わりはない。菅擁護の、あるいは菅冤罪論の発言はすべて擁護のための擁護、冤罪だとするための冤罪論に過ぎないご都合主義な発言に思える。
13日午前の参院選後初閣議での前原国交相の発言も菅擁護論となっている。
前原国交相「消費税の発言だけに敗因を求めていたら、本当の選挙の総括はできない」
しかし一旦は支持率をV字回復させたのだから、「国民はその前の内閣のあり方」や、「この10カ月の政権運営」、あるいは「政治とカネ、普天間問題など」に敗因を求めるべきではないはずだ。消費税発言後、支持率を下げていった経緯の中に求めるべきだろう。菅首相の合理的判断能力の欠如、このことと関連した指導力の欠如が総括の結果として自然と浮かんでくるはずだ。
要するに前原発言も「その前の内閣のあり方」に敗因を求めようとする意図を潜ませたご都合主義な発言に過ぎない。
「マニフェストと言うのは生きものであり、常に手入れが必要なものだというふうに認識をしております。従って、環境や状況の変化に柔軟に対応することが重要だということで、改めるべきは改めると言う観点から書かれているということです」と、マニフェストを「環境や状況の変化」に対応した変幻自在の変数とすることでマニフェストを国民との契約から政策ガイドラインに貶めたご都合主義者玄葉公務員制度改革担当相(民主党政調会長)が参院選大敗、過半数割れを受けるや、再度そのご都合主義を発揮している。
《消費増税案、来年度に先送り=公務員改革、みんなの党と連携模索-玄葉氏》(時事ドットコム/2010/07/13-13:06)
6月13日午前の閣議後の記者会見。消費税を含む税制抜本改革の具体案取りまとめ時期について――
玄葉「(来年)3月というのはなかなか大変ではないか」
これは菅首相が6月17日のマニフェスト発表記者会見で、「既に消費税について、政府税調の方で、議論を始めていただいておりますけれども、今年度内、2010年度内に、そのあるべき税収や、あるいは逆進性対策を含むこの消費費税に関する改革案を取りまとめていきたい、今年度中のとりまとめを目指していきたいと考えております」と公約したことを破棄し、先送りする意図を持たせた発言である。
記事は、〈菅直人首相は当初、「10年度内」に具体案を取りまとめる考えを示していたが、枝野幸男幹事長が12日の記者会見で、期限にこだわらない考えを表明。玄葉氏もこれに同調した形だ。〉と書いているが、要するに参院選大敗を受けた状況下で消費税でこれ以上支持率を下げた場合、菅内閣が持たなくなる恐れから、ご都合主義にもいとも簡単に方針転換を図ったということなのだろう。
“ギリシャの威し”を振りまわし、財政再建は待ったなしだと言っていたあの切迫感は何だったのかということになる。
もう一つご都合主義がある。玄葉の公務員制度改革についての発言。
玄葉「みんなの党と考え方、方向性は一致している。歩み寄れる余地はあるのではないか。・・・・どこまで歩み寄れるのかを含めて、党の方で検討してもらうのも一つの方法」――
党内に公務員制度改革に関するプロジェクトチームを設ける考えを示したという。
参議院ねじれ議席で政権運営が危なくなった。どこかの党と例え個別政策連合であっても、連携しなければならない。選挙中に民主党敗北の予想を受けて、枝野幹事長がみんなの党に秋波を送ってもいた。
だが、みんなの党とは公務員制度改革では「考え方、方向性は一致している」としても、消費税増税に関しては「考え方、方向性は一致してい」ない。正反対の絶対反対の立場を取っている。
だとしても、参議院のねじれを乗り切るためには、みんなの党の協力が欲しい。求愛する方が立場を弱くするから、ネックとなっている消費税に対するそれぞれの態度の内、自らの態度を引っ込めなければ、求愛は成り立たない。そこで菅首相が「今年度内、2010年度内に、そのあるべき税収や、あるいは逆進性対策を含むこの消費費税に関する改革案を取りまとめていきたい」としていた公約をあっさりと捨てるご都合主義を演じたというわけなのだろう。
こう見てくると、民主党の閣僚にはご都合主義な面々が我先に座を占めているとしか見えない。
これからも困難な局面でご都合主義を演じていくだろうが、一度でも政策ごとの部分連合を組めば、相手がみんなの党ではなくても、菅内閣の立場を弱め、当然、指導力を弱めることとなって、支持率を下げていくことになるかもしれない。