少子化高齢化対策・人口減少対策に外国人看護師志望者・介護福祉士志望者の永久受入れはどうか

2012-02-09 10:56:05 | Weblog

 1月29日(2012年)、介護福祉士の国家試験が行われて、経済連携協定(EPA)に基づいて来日した外国人が初めて試験に臨んだと、《介護福祉士 来日外国人が初受験》NHK NEWS WEB/2012年1月29日 16時44分)が伝えていた。

 この4年間でEPAに基づいて介護福祉士を目指して来日したインドネシア人とフィリピン人の合計780人余りのうち試験に臨んだのは国家試験受験資格取得条件の3年間の現場研修終了者95人だそうだ。

 試験は介護の専門的な知識や技術などに関する筆記試験と技術能力を試す実技試験。

 問題は来日から4年以内に国家資格を取得しなければ帰国という条件である。3年間は受験資格取得のために現場研修に従事しなければならないから、試験の機会は1回しかない厳しい条件を負わされている。

 その上、日本人受験者でも介護福祉士の合格率は50%程度の難関だと書いている。先行実施のEPA対象看護師試験のこれまでの平均合格率2.6%の原因が日本語の読み書きが大きな壁となっていたことから、厚労省は漢字表記の専門用語にフリガナを振ったり、英語併記を行って問題の読みに手助けを行い、さらに不合格の場合でも成績が一定水準を超えていた場合、特例的にさらに1年間の滞在延長を許可し、1回限りの再チャレンジを認める閣議決定(2011年3月11日)を行なっている。

 来日の当初資格がどうなっているのか、インターネット記事を調べていたら、外国人看護師・介護士候補生の受入(多文化共生ポータルサイト)なるページで次の記述に出会った。  

 〈制度の概要と現状

 日・インドネシアEPAでは、当初2年間で看護師候補生400名、介護福祉士候補生600名を上限として受け入れることとされ、第一陣として208 名を受け入れました。

 看護師候補生は、インドネシアで看護師の資格を取得してから(2008年当時インドネシアに介護士の資格はなかった)2年以上の経験があり、来日後、日本の病院等で研修を受けながら3年以内(最高で3回受験できる)に国家試験に合格し、日本の資格を取ることを目指します。資格を取得すれば在留期間の上限は3年であるが更新回数の上限はないため、事実上、永住することが可能です。

 一方、介護士候補生は、看護学校卒業生あるいは一般の高等教育機関の卒業生(2009 年から介護士の資格がインドネシアにも出来た)ですが、2008 年の来日組の場合は、介護士候補生もすべて看護学校の卒業生でした。日本の国家資格取得までに介護士の猶予は4年以内ですが、介護士の国家試験には実務経験が3 年必要であることから、看護師と異なり受験の機会は、事実上1回のみに限定されました。

 国家試験の合格率の低さ(1%~4%)を受け、平成23年3月、政府は平成20年度と平成21年度に受け入れた看護師候補者と介護士候補者について、一定条件を満たせば滞在期間を一年間延長することを閣議決定しました。

 また、フィリピンからの看護師・介護福祉士候補生の受入れは、インドネシアからの受入れとほぼ同じ枠組みとなっていますが、フィリピンの介護士候補生は二つのコースに別れています。インドネシアの介護士候補生に通ずるのが「就労コース」で、これは4年制大学卒業生、フィリピンの介護資格認定者そしてフィリピンの看護学校卒業生が候補生です。

 これに加えて、フィリピンの一般の4年制大学を卒業した者が日本の介護士養成校に入学して、国家取得を目指す「就学コース」というのがあります。就学コースの場合の在留期間は、養成校の卒業までとなっていますが、養成校のカリキュラムは通常2年程度とされています。また、資格取得後の条件は他と同様です。フィリピンからは、2009年に第一陣として「就労コース」に283名を受け入れました。〉・・・・・

 以上を簡略化して纏めてみる。

 インドネシア看護師候補生

 ●現地で看護師の資格を取得してから2年以上の現地での実務経験
 ●来日後、日本の病院等で研修。
 ●滞在3年間・国家試験機会3回
 ●国家試験合格者の在留期間上限3年。但し更新回数の上限なく、事実上、永住可能。
 ●2011年3月以降、国家試験不合格でも一定の成績を修めた者は1年間の滞在期間延長(合計
  4年間)

 インドネシア介護士候補生

 ●現地に於ける看護学校卒業生、一般の高等教育機関卒業生。
 ●日本で受験資格要件として3年間の現場研修。
 ●滞在4年間・国家試験機会1回。
 ●2011年3月以降、国家試験不合格でも一定の試験成績を修めた者は1年間の滞在期間延長
  (合計5年間)

 フィリッピン看護師候補生

 ●インドネシア看護師候補生と同条件

 フィリッピン介護士候補生

 「就労コース」

 ●現地の4年制大学卒業生、フィリピンの介護資格認定者、フィリピンの看護学校卒業生
 ●2011年3月以降、国家試験不合格でも一定の試験成績を修めた者は1年間の滞在期間延長
 
 「就学コース」

 ●現地の4年制大学卒業後、日本の介護士養成校入学
 ●在留期間は養成校卒業まで(カリキュラムは通常2年程度)
 ●2011年3月以降、国家試験不合格でも一定の試験成績を修めた者は1年間の滞在期間延長

 以上見てみるとインドネシア、フィリッピンに関わらず、現地でそれなりの知識と資格を得ている。このことに加えて、外国という未知の世界で自己能力を試すチャレンジ精神と向上心を備えていると見ることができる。

 2009年から2011年度までに日本が受け入れたインドネシア人とフィリッピン人の看護師候補生は209名、介護福祉士候補生は「就労コース」と「就学コース」を合わせて360名(厚労省HP)。

 当初2年間で看護師候補生400名、介護福祉士候補生600名、合わせて1000名を上限としながら、3年間で569名の受入れにとどまっているのは試験が難しくて夢を果たせずに虚しく帰国する者が多いことから希望者が減っているという事情がある。

 上記「NHK NEWS WEB」が伝えているように看護師候補生合計209名の国家試験平均合格率は2.6%。対して日本人看護師の2011年国家試験合格率全国平均91.8%。

 英語併記や難解字句にフリガナを振り、なおかつ一定の成績を修めた者は滞在期間を特例的に1年間延長したとしても、そのことによって看護師候補生の場合は滞在期間合計4年、国家試験機会計5回、介護福祉士候補生の場合は3年~5年、国家試験機会2回に増えたとしても、日本人看護師の2011年国家試験合格率全国平均91.8%が逆証明するように合格率の飛躍的な伸びは期待できないように思える。

 このことから日本人と比較してインドネシア人やフィリッピン人の能力や人間性が劣ると見ることは決してできない。能力や人間性は試験で100%計ることはできないからだ。

 もし計ることができたなら、いい加減な手術をする医者やカネ儲けのために不必要な過剰診療に走る医者、患者を粗末に扱う看護師はこの世に存在しないだろう。

 また、政治家に関して言うと、東大出や京大出、早稲田出や慶應出が優れた政治能力や優れた人格を保証するものではないことを我々が多く見てきていることも試験が何を保証するのか不透明にしている一つの事実がある。

 一方、外国人看護師候補生や介護士候補生の来日条件を見てみると、現地でそれなりの知識と資格を得ている。このことが必ずしも能力や人間性を計るモノサシとはならなくても、また来日が例え収入目的であっても、外国という未知の世界で自己能力を試すチャレンジ精神と向上心を備えていると見ることができる。

 このような精神をこそを大切にすべきではないだろうか。能力や人間性は看護や介護の現場がテストすべきである。同僚や患者が試験官となることによって、自ずと能力や人間性の程度が現れ、取捨選択の選別を受けることになる。

 だとしても、資格の目安とする国家試験は合格しなければならない。

 以上の要件をすべて満たすには滞在期間を撤廃することではないだろうか。例え国家試験を合格しなくても、看護師候補生の場合は看護助手としての人材となり得るし、介護福祉士候補生の場合は介護現場では国家資格がなくてもパートやアルバイトが働いているのだから、同じ人材としての勤務は可能のはずである。

 そして何年経っても夢を捨てない者は滞在期間を気にすることなく、働きながら何年かけても国家試験にチャレンジすればいい。

 そして犯罪を犯さずに真面目に働き、日本の社会で社会人としての務めを果たしている者が希望した場合、日本国籍取得の資格を与えてもいいはずである。

 政府は研究者や医師、経営者ら高度の専門知識や高度の技術を持つ外国人を様々な特典を用いて“高度人材”として受入れる制度を設ける方針でいる。私自身は社会の活力は這い上がりから生まれる、一般労働者を受け入れるべきで反対だと、2011年12月29日当ブログ記事――《政府「高度人材」外国人受入れポイント制度は職業差別及び憲法違反に当たらないだろうか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》
に書いたが、もしインドネシアやフィリッピンから経済連携協定(EPA)に基づいて受け入れている看護師候補生や介護福祉士候補生がゆくゆくは政府が考えている、あるいは政府が好みの“高度人材”に当てはまらなくても、国立社会保障・人口問題研究所が50年後2060年の日本の人口は2010年1億2806万人から8600万人に減少、労働力の中心となる15歳~64歳生産年齢人口が半数近く減少の4418万人になると予測している少子高齢・人口減少とこのことに伴う経済の縮小を僅かながらでも補う労働人材とならない保証はない。

 彼らが日本で結婚した場合、例え同国人との結婚であっても、50年後の彼らの子どもが日本で政府が考えている、あるいは政府が好みの“高度人材”に成長しないとも限らない可能性にしても否定できないはずだ。

 将来を見通す大きな目を持って滞在期間なしに彼らを受け入れてはどうだろうか。

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詭弁家ウソつき枝野の本領発揮2月1日(2012年)衆院予算委質疑

2012-02-08 08:56:24 | Weblog

 2月1日(2012年)の衆院予算委員会、政府の原子力災害対策本部議事録未作成問題で公明党の石井啓一議員が質問を行った。

 石井啓一公明党議員「えー、それからですね、原子力関係についてですね、議事録問題、ですね、この原子力対策本部の議事録が存在しないという、俄には信じがたい事実が明らかになりましたけども、今回の、あのー、東京電力福島原子力発電所の事故は、全電源喪失というかつてない、未曾有の深刻な原子力事故だったわけです。

 えー、これに対する調整に当って、政府はどのように意思決定をしたのか。その経過を残すということは、私は政府のですね、歴史的な検証に対する責任であり、いわゆる国際社会に対する責任だと思うんですね。

 我が党の山口代表が本会議の代表質問でこのことを指摘をいたしましたけども、総理の答弁は震災直後の緊急事態にあったことや、記録を残すことの認識が不十分であったこと等のためにですね、各本部の議事内容の一部、または全部が文書で随時記録されていなかったことは事実であり、真に遺憾、まあ、こういうふうに答弁されていますけども、私はね、民主党に政策の意思決定の記録を残すことの、重要さ、あるいは責任感というのが、全く欠けているんじゃないかと。あまりにもズサンと言わざるを得ないわけであります。

 あの、福島の双葉町長ですね、議事録がないのは背信行為だと、こういうふうに批判されていますし、国会事故調査委員会の黒川委員長も、全く信じられない、理解不能だと、こういうふうに批判されています。

 改めて総理の所感を伺います」

 枝野経産相「原子力災害対策本部の議事を記した正式な記録が、あー、つくられていなかったことについては、原子力対策本部の事務局は、あー、経産省のもとの保安院が担っておりますので、大変申し訳なく思っております。

 えー、当時、発災直後、特に緊急的は状況であったということはございましたが、それにしてもできるだけ早い段階でですね、あの、議事をずっと整理をして、えー、意思決定のプロセスが明確に分かるような形で記録を残すべきだったというご指摘は甘んじて受けなければいけないと思っております。

 できるだけ、えー、今、当時の原子力災害対策本部は、あの、本部員に限らずですね、えー、各省の事務方も含めて、相当、多くの人数が出席をしておりまして、事務方等もメモを取って、多くおられましたので、そうした部分を最大限集めてですね、それから議事の多くはですね、用意された資料を解説すると、説明するということでございましたので、こうしたことについても最大限正確に回復できるよう作業を進めているところでございます。

 同時に私はその当時内閣官房長官でございました。あのー、議事要旨等については、あのー、当然つくられているものという思い込みをしておりましたが、あー、こうした重要なことでありますので、えー、そうした思い込みをせずにですね、えー、確認やチェックをすべきだったと、いうご批判は甘んじて受けたいというふうに思い(最後まで「ます」と言い切らないで端折る)――。

 大変申し訳ございません

 石井啓一議員はこの問題についてこれ以上取り上げなかった。

 枝野は例の早口で次から次へと尤もらしく聞こえる言葉を機関銃の弾のように撃ち出す。

 最初に「原子力災害対策本部の議事を記した正式な記録が、あー、つくられていなかったことについては、原子力対策本部の事務局は、あー、経産省のもとの保安院が担っておりますので、大変申し訳なく思っております」と保安院に未作成の責任を押し付けているが、ご承知のように原子力災害対策本部は菅政権が立ち上げた組織で、首相官邸に設置、本部長は菅仮免で、当時の枝野官房長官が閣僚の一員としてメンバーに加わっていた以上、会議が適正に運営されているかどうか、あるいは会議に加わっている各メンバーがそれぞれの役割を果たしているか、本部長の菅仮免はもとより、副本部長の海江田経産相、事務総長の細野原発担当相、そして内閣の要に位置する主要閣僚の一人として枝野官房長官にしても事務局の保安院を含めて監視する責任を有していたはずだ。

 閣僚の発言が不適切であった等の場合、官房長官が注意するのはそのためであろう。

 当然、内閣官房長官として何よりも自身の責任としなければならない立場にあったはずだが、それを事務局は保安院が担っていたからと、その責任不履行とのみ押しつけて自身の責任は棚上げとし、「大変申し訳なく思っております」と保安院に代わっての謝罪で済ましている。

 全くカエルの面にショウベンの詭弁も詭弁、陰険・狡猾を顔の下に隠した言い抜けとしか言いようがない。

 自身には責任はないとしているから、「えー、当時、発災直後、特に緊急的は状況であったということはございましたが、それにしてもできるだけ早い段階でですね、あの、議事をずっと整理をして、えー、意思決定のプロセスが明確に分かるような形で記録を残すべきだったというご指摘は甘んじて受けなければいけないと思っております」の批判甘受の姿勢も口先だけとなる。

 そして最後に「同時に私はその当時内閣官房長官でございました。あのー、議事要旨等については、あのー、当然つくられているものという思い込みをしておりましたが、あー、こうした重要なことでありますので、えー、そうした思い込みをせずにですね、えー、確認やチェックをすべきだったと、いうご批判は甘んじて受けたいというふうに思い――」と、今度は自身の責任として批判甘受の姿勢を見せているが、既に保安院に責任転嫁しているのである。その矛盾が口から出任せの発言でしかないことを物語っている。

 「議事要旨等については当然つくられているものという思い込みせずに確認やチェックをすべきだったというご批判は甘んじて受けたい」といった趣旨の、さも謙虚らしく見せかけた発言は、自身がすべき「確認やチェック」といった監視の責任を果たしていなかったことへの言及であるはずだ。

 もし真に自身の責任不履行が見逃した議事録未作成だと少しでも認識していたなら、保安院のみの責任とはせずに最初に自身の責任を持ってきて、その責任に対する謝罪としただろう。

 だが、全然そうなっていない。

 口から出任せなのは東日本大震災発生3月11日(2011年)から約2カ月半後の5月24日の枝野官房長官記者会見の発言が証明してくれる。

 このことは2012年1月26日当ブログ記事――《原子力災害対策本部議事録未作成は菅仮免による情報隠蔽からの不作為の疑いあり - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に一度取り上げている。

 「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」が記者会見当日の5月24日(2011年)の閣議により内閣官房に設置されることとなった。

 この委員会は読んで字の如く、政府や東電の事故対応を調査・検証する目的で設置された。

 記者「事故当初から議事録などがないことによる調査への影響は」

 枝野官房長官正確に言うと、ない部分がある、というのが正確だろう。これはどこまで言っていいのか分からないが、例えば、(官邸地下の)危機管理センターにおいては膨大な量の書類が作られて回覧、配布されて、そこには東電や経済産業省原子力安全・保安院から報告された事故や何らかの指示がされたことについて、共有するためにそうしたものにしっかりと書かれて、書類として残っている。

 ただ、3月11日から数日間は、まさに大変緊迫した状況の中だったので、誰かがメモをとって正確にきちっと記録するというゆとりのない中での議論、判断という局面があったことは否定しない。

 ただ、前後の様々なしっかりと記録されている事項から記憶を喚起すれば、それなりのものはしっかりと検証できるのではないかと。例えば私も今回いろいろ問題なっている12日夕方6時からの打ち合わせについては、記録をしっかりチェックすると、その時間帯、私は記者会見をしていたので、どうもその部分についての記憶がないなと思っていたが、そういったことが確認できたりとかということで、できるだけ正確な事実関係の整理をできるようにしていきたい」 (以上asahi.comより)

 枝野は原子力災害対策本部の議事録が「正確に言うと、ない部分がある、というのが正確だろう」と言っている。「ない部分」は一部で、大部分が存在するという意味のはずである。

 だが、《原発事故 国本部の議事録作成せず》NHK NEWS WEB/2012年1月22日 17時44分)は次のように記述している。

 〈東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡って、避難区域や除染の方針など重要な決定を行ってきた政府の「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったことが分かりました。〉

 〈NHKで、去年11月、それまでに開かれた21回の会議について「議事録や内容をまとめた資料など」の情報公開請求を行ったところ、公開されたのは、議題を記した1回の会議について1ページの「議事次第」だけで、議論の中身を記した議事録は作成されていなかったことが分かりました。NHKの取材に対し、原子力災害対策本部の事務局を務めている原子力安全・保安院の担当者は「業務が忙しく議事録を作成できなかった」と説明しています。〉――

 「ない部分」が一部どころか、議事録自体はまるきり作成されていなかった。

 枝野は平気でウソをついたのである。

 ウソをついたばかりではない。議事録が作成されていない事実を知ったはずである。もし調べもしなかったとしたら、出任せのウソをついた上に自分の発言に全然責任を持たなかったことになる。

 この発言以降、議事録未作成を解消すべく「公文書等の管理に関する法律」に則って原子力災害対策本部会議のみならず、政府が行うすべての会議の議事録を取るよう指示すべき官房長官の立場にありながら、その責任さえ履行しなかった。

 しかも原子力対策本部の事務局は保安院だからと、未作成の責任を保安院に押し付け、「議事要旨等については、あのー、当然つくられているものと思い込んでいた」「そうした思い込みをせずに確認やチェックをすべきだったというご批判は甘んじて受けたい」とウソつきの本領を発揮して現在に至っても誤魔化しに走る。

 石井啓一議員は「改めて総理の所感を伺います」と答弁は首相を指名したにも関わらず、自分からわざわざしゃしゃり出てウソ八百を並べ、ウソつきであることと同時に無責任を曝した。

 こういった閣僚の資質をこそ、問うべきだろう。

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米海兵隊にとって沖縄とグアム、岩国等の地理的優位性は同格なのか

2012-02-07 11:47:45 | Weblog

 2006年に日米政府が「再編実施のための日米のロードマップ」で「約8000名の第3海兵機動展開部隊の要員と、その家族約9000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する」と合意した計画の見直しに着手、グアム8000人の内、3300名をハワイ、フィリピン、オーストラリア等の米軍拠点にローテーション方式で分散配置する検討に入ったとするニュースが流れたと思ったら、米政府はハワイ、フィリピン、オーストラリア等の米軍拠点に移転させる3300名の内、司令部要員1300名を米軍岩国基地への移転を日本政府に打診してきたと、今朝の各社のニュースが伝えていた。

 この海兵隊員8000名グアム移転は普天間飛行場の辺野古地域移設、その他の再編案と「統一的なパッケージ」と取り決められていたが、既に日米両政府は普天間移転の「パッケージ」を外すことで合意した(沖縄タイムズ)という。

 野田政権がいくら普天間の固定化はないと否定しても、固定化の懸念が生じることになる。このことを避ける唯一の方法は普天間基地の兵力をすべて「県外・国外」への移転を図ることであろう。

 計画見直しの海兵隊移転を簡略化してみる。

 沖縄の海兵隊――1万名程度維持(当初計画どおり)
 国外移転  ――8000名。

  国外内訳 4700名――グアム移転(当初8000人移転予定)
       2000名――ハワイ、フィリピン、(オーストラリア)等一時的駐留
       1300名――(司令部要員)米軍岩国基地への移転

 日本政府は沖縄に米海兵隊を維持する根拠として中国や北朝鮮に対する沖縄の地理的優位性を挙げてきた。地理的優位性が米海兵隊の機動性と即応性をより担保するということである。

 だが、2006年に沖縄に1万名程度残すと言っても、ほぼ近い数字の8000名グアム移転を取り決めた時点で沖縄の地理的優位性は差し引かれて、グアムとほぼ同格となったはずだ。

 米政府が沖縄の地理的優位性を捨ててまでグアムに移転させることはあるまい。地理的優位性を損なうことはないとの計算のもと、8000名の移転に同意したはずだ。機動性と即応性はさして変わらないと見た。

 だが、民主党政権となっても、地理的優位性を米海兵隊の沖縄駐留の根拠とした。

 防衛省が2010年2月に公表した「在日米軍・海兵隊の意義及び役割」で、「在沖米海兵隊の意義・役割」の根拠として、「地理的特徴を有する沖縄に、高い機動力と即応性を有し、様々な緊急事態への一次的な対処を担当する海兵隊をはじめとする米軍が駐留していることは、我が国及びアジア太平洋地域の平和と安定に大きく寄与」すると謳っている。

 沖縄が「地理的特徴を有する」とは地理的優位性の言い替えであろう。

 当然、民主党政権の防衛大臣や外務大臣はこの上記認識に従うことになる。いや、内閣自体が従うことになる。

 北澤防衛相は2011年5月に沖縄に訪問、仲井真沖縄県知事にこの防衛省作成のパンフレット「在日米軍・海兵隊の意義及び役割」を手渡している。

 手渡すと同時に、書いてある内容をほぼなぞる形で口頭でも伝えたはずだが、書いてあるとおりに沖縄には米海兵隊が必要ですよという意思表示であったはずだ。

 そして玄葉外相、昨年(2011年)10月19日に沖縄県名護市役所を訪れ、稲嶺進市長と約30分間会談。

 玄葉外相「日本の安全保障環境が厳しさを増す中、沖縄の地理的優位性は重要だ。(辺野古に移設する)日米合意の進展が私たちの基本的立場で、全力で沖縄の負担軽減にも取り組む」

 稲嶺市長「素直にようこそとは言えない心情だ。日米合意の見直しをぜひ米国に進言してほしい」(以上毎日jp

 この場面は民主党政権の終始一貫した「沖縄の地理的優位性」表現の一端でしかない。

 外相経験の前原民主党政調会の場合は沖縄の米海兵隊の必要性への言及として、2011年9月25日次のようにテレビで発言している。

 前原外相(日米同盟は)「日本の安全保障だけではなく、この地域(アジア・太平洋地域)全体のための公共財なんだ」

 いわば沖縄の地理的優位性はアジア・太平洋地域全体の公共財としての一つの重要な要素だということであろう。

 そしてここに来て米政府はハワイ、フィリピン、オーストラリア等の米軍拠点に移転させる3300名の内、司令部要員1300名を米軍岩国基地へ移転させたいと日本政府に打診してきた。

 司令部は実働的戦闘部隊ではない。だが、海兵隊戦闘部隊の機動性・即応性は司令部の兵力展開に関わる指揮・命令に大きく負う。菅内閣に於いては司令塔である菅首相の指導力・指揮命令能力が大きく破綻していたために実働部隊である内閣が満足に機動性・即応性を発揮できず、福島原発事故対応に関しても震災対応に関しても遅れや混乱、矛盾を生じせしめた。

 いわば米政府は司令部の岩国基地分散が海兵隊の展開にさしたる障害はないと見ていることになる。

 と同時に海兵隊戦闘部隊の機動性・即応性が司令部の兵力展開に関わる指揮・命令に大きく負う以上、沖縄に集中させていた機動性・即応性のグアム分散、ハワイ、フィリピン、オーストラリア分散の上になお一層の分散と考えることができる。

 この分散は沖縄の地理的優位性の相当部分の抹消を意味しているはずだ。沖縄の地理的優位性をグアムと同格としたばかりか、岩国とも同格としたことになる。

 別の言葉で表現すると、沖縄が担ってきた地理的優位性はグアムとハワイ、フィリピン、オーストラリア、そして岩国、さらに沖縄を加えた全体で負担可能であるとしたことになる。

 決して沖縄は地理的優位性の点で絶対的に欠かすことのできない安全保障上の存在ではなかった。

 沖縄に残す1万名程度の海兵隊員を岩国移動の司令部1300名と同時に岩国か、岩国でなければ、九州や中国地方の他の米軍基地、あるいは自衛隊基地へ移動させても、米海兵隊の展開能力を現在以上に向上させる司令部の指揮・命令能力の確保、さらに展開を補助する艦船・航空機の運用能力の向上という条件付きではあるが、沖縄で確保していた地理的優位性の代替措置とすることは可能なはずだ。

 普天間の固定化を避けるためにも決して不可能としてはならない。菅仮免は「沖縄の基地負担は日本全体で考えるべき問題だ」と言いながら、それを裏切って沖縄の地理的優位性を固定観念としてきた。

 そろそろ固定観念から解き放たれてもいい時期に来ている。

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菅・野田の社会保障改革「持続可能」も「一体改革」も真っ赤なウソ

2012-02-06 09:52:00 | Weblog

 岡田副総理が民放テレビ番組で政府が消費税率の5%引き上げを目指す2015年前後には高齢化の進展を踏まえてさらなる引き上げの議論を行う必要があるという考えを示しましたという。《“2015年前後消費税再議論を”》NHK NEWS WEB/2011年2月5日 15時54分)

 岡田副総理「今のまま高齢化が進めば、5%の消費税率引き上げでは足りなくなる。そもそも5%増税しても国債発行はかなり残るので、どうするか議論しなければならない。

 例えば、社会保障をもう少しコンパクトにして増税を少なくするのか、それとも今の社会保障制度を維持して増税するのか、あるいはもっと充実した制度にしてさらに税を増やすのか。そういう議論は、消費税率の5%引き上げが実現する、2015年前後くらいから、再度行わなければならない」・・・・・

 「今のまま高齢化が進めば、5%の消費税率引き上げでは足りなくなる」と言っているが、菅直人が2010年6月8日にその能力がないにも関わらず首相の座に就いて「社会保障と税の一体改革」を唱え、野田佳彦なる男が同じくその能力がないにも関わらず首相を引き継いで閣議決定した「社会保障・税一体改革素案」は「2015年前後」までのたった3年程度先の高齢化率を推定し、それを見越した2015年10月消費税増税合計10%の計算ではなかったことになる。

 国立社会保障・人口問題研究所は2010年人口1億2806万人が50年後には人口8674万人に減少と推定し、1月30日(2012年)に公表している。

 公表前の作業途中に尋ねさえすれば、3年程度先の高齢化率はたちまち弾き出してくれたはずだ。

 財源(=消費税)に関して様々な要因を考慮した満足な計算をしないまま、計算するだけの能力を欠いていたからだろう、社会保障制度改革を纏め上げた。

 また、「そもそも5%増税しても国債発行はかなり残る」と言っているが、このことも前以て予定調和とした2015年10月5%増税の決定ではなかったのか。

 全く以って何をトンチキなと言いたい。

 「社会保障をもう少しコンパクトにして増税を少なくするのか、それとも今の社会保障制度を維持して増税するのか、あるいはもっと充実した制度にしてさらに税を増やすのか」の発言は、野田内閣が1月6日(2012年)に閣議決定した「社会保障・税一体改革素案」が2015年10月に消費税を10%にするのとほぼ同時に命を終える運命にあることを意味することになる。

 命を賞味期限と言い替えてもいい。賞味期限が3年も持たない「社会保障と税の一体改革」とは果たして政策と言えるのだろうか。

 そもそもからして「社会保障と税の一体改革」に「持続可能な」という形容詞を冠して作業を進めた努力と時間の総量に関わる意味を失わせる。

 これ程のムダがあるだろうか。

 記事は野田首相の消費税増税の可能性に言及した2月4日(2012年)の発言も伝えている。

 野田首相「年金制度の抜本改革をやっていくなかで、消費税をあてていくならば、増えていく可能性はある」

 これは昨日のブログに取り上げた慶應義塾大学のシンポジウムで、男子学生の質問に答えた発言であろう。参考までに再度引用してみる。

 男子学生「消費税10%で本当に足りるのかなあって言うのが、逆に疑問に思っていまして、例えば社会保障、先程からおっしゃられてるようにドンドン伸びていって、高齢化社会も進んでいるという中で何で10%で足りるってことをおっしゃれるのか――」

 野田首相「年金制度の抜本改革をやっていく中で、そこは消費税を当てていく。増えていくことは、それは勿論、可能性はあるんでしょう」

 3年やそこらでの再度の消費税増税の可能性への言及は即、社会保障制度の持続可能性を否定する言葉となるばかりか、国民の税金を次々と注ぎ込んでいかなければ維持できない制度の持続可能性とは倒錯そのものでしかない。

 菅前首相も「社会保障と税の一体改革」に関して「持続可能性」を謳っていたが、野田首相の発言を取り上げてみる。

 ●第15回ILOアジア太平洋地域会議演説(2011年12月4日)

 野田首相「また、アジア太平洋地域の多くの国々でも、あと10年もすれば、日本と同じような超高齢化社会が到来します。その先駆けとなる我が国は、少子高齢化のもとでも持続可能な社会保障制度を確立させ、この地域全体のモデルとしていきたいと考えています」

 他の国に先駆けて持続可能な社会保障制度を確立させ、それをモデルとしてアジア太平洋地域の国々を引っ張っていくと国際公約している。

 これは傲慢な自惚れだったのか、自身を何様に見せたい誇大妄想だったのか。

 ●野田首相年頭記者会見(2012年1月4日)

 野田首相「全世代対応型の社会保障にしていかないと、日本の社会保障の持続可能性を担保することは私は困難だと思っています。この問題は、私はどの政権でももはや先送りのできないテーマになっていると思います」

 持続可能性をメインのテーマとしている。

 ●野田首相記者会見(2012年1月13日)

 野田首相「社会保障については、どなたも将来に不安を抱いている。その不安を取り除くために、社会保障を持続可能なものにする。維持するだけではなくて強化するものも含めて、まさに未来に永続して続ける社会保障の機能を確保するために、それを支えるための安定財源が必要です。安定財源ということは、国民にご負担をお願いをすることであります。耳当たりの良い、耳障りの良いことを言って国民の歓心を買うという政治ではなくて、辛いかも知れないけれども、訴える側も辛いんです。それは、選挙が厳しくなるかもしれない。誰もが思う。負担をする側も辛い。だけど、辛いテーマもしっかりお訴えをしてご理解をいただけるという政治を日本で作れるかどうかが、私は正念場だというふうに思います」

 「未来に永続して続ける社会保障の機能を確保する」とその持続可能性を遥か未来にまで広げている。まさか「未来」とは「2015年前後」までを賞味期限としていたわけではあるまい。

 だが、増税議論を「2015年前後くらいから、再度行わなければならない」ということなら、野田首相自身は否定していても、「耳当たりの良い、耳障りの良いことを言って国民の歓心を買うという政治」を物の見事に演じてきたことになる。

 ●第180回国会野田首相施政方針演説(2012年1月24日)

 野田首相「一体改革は、単に財源と給付のつじつまを合わせるために行うものではありません。『社会保障を持続可能で安心できるものにしてほしい』という国民の切なる願いを叶(かな)えるためのものです」

 だが、国民の切なる持続可能性への願いを早くも裏切る姿勢を曝した。

 ●2012年ダボス会議サイドイベント「ジャパン・ナイト」 野田総理ビデオメッセージ(2012年〈平成24〉1月26日)

 野田首相「私は、日本で持続可能な社会保障制度を構築し、財政規律を維持するための大きな改革を必ずや実現します」

 再び国際公約。菅前首相と言い、野田首相と言い、その能力に反して国際公約が大好きときている。

 持続可能性の当て外れは「社会保障と税の一体改革」だとしてきたその一体性をも損なうことになる。

 だから岡田副総理は「社会保障をもう少しコンパクトにして増税を少なくするのか、それとも今の社会保障制度を維持して増税するのか、あるいはもっと充実した制度にしてさらに税を増やすのか」と社会保障制度そのものをいじる可能性に言及することになった。

 一体性とは相互関連の関係で結ばれることになるから、当然の帰結である。これ以上の国民の負担は無理ということになった場合、制度そのものの変更を迫られることになる。

 菅前首相や野田首相が唱えてきた社会保障制度の改革に関してこれまで散々に唱えてきた「持続可能」も「一体改革」も真っ赤なウソだったということである。

 この真っ赤なウソは昨2月5日フジテレビ放送「新報道2001」での社会保障に関わる報道も証明している。

 民主党が2009年総選挙のマニフェストに掲げた消費税を財源とし、一人頭月額7万円以上の年金受給を可能とする「最低保障年金」導入の場合、2075年度で最大25兆円あまりの追加財源が必要、2015年消費税10%にさらに7.1%分の増税の上乗せ、17.1%となるという試算を昨年3月に行った。

 現在、それを公表するかどうかで揉めている。

 この試算の根拠をテレビは取り上げていた。

 「試算の経済前提」

 物価上昇率    1%
 名目賃金   2.5%
 名目運用利回り4.1%

 賃金上昇率の実態は試算の2.5%を超えた年はグラフから読み取ると大まかになるが、1991年前後と1994年頃、1997年頃の3回しかない。

 また、年金積立金の全体の運用利回りは4.1%を超えたのは3年のみで、2010年度は0.26%だと解説が言っている。

 鈴木亘学習院大学教授「運用利回りを4.1%で、今後100年間運用するとか、賃金上昇率を、現在マイナスですが、2.5%今後100年間成長するとか、バラ色のシナリオで計算するというのは、実は7.1%でも、ちょっと甘いんじゃないかと――」

 計算根拠が甘い数字となっているから、7.1%では追いつかないのではないのかと言っている。

 大体が消費税財源、月額7万円「最低保障年金」制度はマニフェストに掲げた以上、衆院4年間の実現を公約としているはずである。それを現時点から63年後には17.1%以上の消費税が必要となるなどと言っていること自体が、「持続可能」も「一体改革」も真っ赤なウソだったことの何よりの証明に他ならない。

 実質的な運用利回りが2010年度で0.26%でありながら、名目運用利回りを4.1%として試算すること自体がいくら将来の成長を見込んだとしても、実態をウソとする誤魔化しとなる。

 このことは後で触れる。

 中島邦夫ニッセイ基礎研究所主任研究員「例えが女性や高齢者の就業が進むという成長目標が達成されたら、これくらいの労働参加が進んで、これくらいの経済成長が得られるだろうという目標型の見通しになってきています」

 この発言を番組は解説している。

 解説「試算の前提は政策がうまくいった場合の経済状況だという」

 要するに現況の実態から見通した試算ではなく、あくまで成長予測を踏まえた試算だということなのだろうが、現在の円高水準、EUの経済混乱を考慮したなら、目に見える経済回復は数年のスパンでは期待不可能であるし、例え数年以内に順調に景気回復を果たしたとしても、2075年度までの63年間に景気の波が襲わない保証はなく、また人口の減少が国内経済の縮小を招くことを考えると、辛めに試算しないことには「持続可能性」も「一体性」もたちまち脆さを曝け出すことになり、言っていることと実際との間にウソが生じることになり、名目運用利回り4.1%は大分怪しくなる。

 番組は2月1日(2012年)の衆院予算委の野田発言を伝えている。

 野田首相「頭の体操のときに使われた試算であって、新しい人口推計であるとか、そういうものを含めて、きちっと試算をお示ししながら、議論をしていきたいと思いますが――」


 昨年3月の試算はきちっとした試算ではない、頭の体操のための試算だと言っている。厚労省の職員を煩わし、給与範囲内の仕事であっても、時間を使わせた分、他の仕事が出来たはずだから、ムダを働いたことになる。

 こう見てくると、民主党が言っている「ムダの削減」も、八ッ場ダムの建設再開と言い、真っ赤なウソとなる可能性は排除できない。

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野田首相は税金を取って解決という最も安易な道を志している

2012-02-05 10:30:04 | Weblog

 昨2月4日(2012年)、野田首相が慶應義塾大学開催の「社会保障と税の一体改革」をテーマにしたシンポジウムに出席、約250人の学生を前に講演した。昨夕7時のNHKニュースから。

 野田首相(力強い声で)「負担無くして給付なし。これが原則だと思います。

 財政規律を守りながら、社会保障を支えなければなりません。そのために必要な措置というのは安定財源を確保すること。一番、景気動向なども踏まえても、安定した財源としてカウントできるのが消費税。

 お子さんからお年寄りまで、これオールジャパンで出すおカネです。そのことによって、全世代対応型のための社会保障を基本的に支えていきたい。

 社会保障と税の一体改革はもう、待ったなしなんです。先送りしてきた、決断しないままにしてきた、そして大きな問題になってきたテーマなんです。これを放って置くと、ダルマが下り坂を転がるように大きな、大きな玉になってしまって、持ち上げていくことができなくなってしまいます。
 
 そうならないためにも、私の政権のときに結論を出したいと思っています。将来の世代を慮ったときに、今さえ良ければいいという政治をやっているわけにはいかないんですね」

 学生との質疑――

 男子学生「消費税10%で本当に足りるのかなあって言うのが、逆に疑問に思っていまして、例えば社会保障、先程からおっしゃられてるようにドンドン伸びていって、高齢化社会も進んでいるという中で何で10%で足りるってことをおっしゃれるのか――」

 小泉政権時代の教育タウンミーティングのように前以て質問者と質問内容を決めておいたサクラ質問ではないとは思う。

 野田首相「年金制度の抜本改革をやっていく中で、そこは消費税を当てていく。増えていくことは、それは勿論、可能性はあるんでしょう」

 男子学生「仮に今通常国会で、えーとー、消費税増税にかかる法案が成立しなかった場合には、衆院選では、その、マニフェストに消費税というのを明記するでしょうか」

 野田首相「出した以上、通すことを目的とするわけですね。だから、通すと、いう前提で。

 通らなかったらという、マニフェストどうするかということは、これはそういうことは考えていない。通すと。通した後に、これ、選挙いつか分かりません。解散の時期は、ここでは言えませんよ」(以上)

 右手を顔の前で否定の仕草で左右に振りながら、極端に目を細めて人の良さそうなニコニコの至ってご満悦な顔となる。

 「財政規律を守りながら、社会保障を支えなければなりません。そのために必要な措置というのは安定財源を確保すること。一番、景気動向なども踏まえても、安定した財源としてカウントできるのが消費税」と言い、「年金制度の抜本改革をやっていく中で、そこは消費税を当てていく」と言って、自身の社会保障制度改革では消費税のなお一層の増税の可能性に言及した。

 以上の発言を簡略化すると、消費税増税→社会保障制度維持→財政規律維持・財政健全化という方式となる。

 いわば消費税増税を出発点として、それを安定財源として社会保障制度の持続性確保、財政規律確保という発想となっている。

 消費税増税ありきなのである。言葉を替えて言うと、野田首相は消費税増税を絶対命題としている。

 当然、消費税増税を絶対命題とし、「年金制度の抜本改革をやっていく中で、そこは消費税を当てていく」手法を常なる政治姿勢とした場合、消費税が「増えていくことは、それは勿論、可能性はあるんでしょう」という追加増税は自然な成り行きとなる。

 なぜこうなるのかというと、野田首相はかねてから「徹底した歳出削減の取組み」とは言っているが、それが野田首相の中で血肉化していて、「徹底した歳出削減の取組み」を重点的な出発点としていたなら、消費税を常に社会保障制度改革の安定財源とするという発想は出てこないはずだ。

 このことは1月24日(2012年)の第180回国会首相施政方針演説にも現れている。

 野田首相「過去の政権は、予算編成のたびに苦しみ、様々な工夫を凝らして何とかしのいできました。しかし、世界最速の超高齢化が進み、社会保障費の自然増だけで毎年一兆円規模となる状況にある中で、毎年繰り返してきた対症療法は、もう限界です」

 そして消費税増税への言及につなげている。

 いわば「徹底した歳出削減の取組み」を言うものの、ムダを排した効率的な予算編成を伴った歳出削減と歳出削減が可能とする赤字国債の減額、「自然増だけで毎年一兆円規模」の社会保障関連の制度運営の非効率性の改善、過剰性のスリム化、ムダの削減、結果としての社会保障給付費の抑制に向けた強い意志を持った取組みが発言からは見えてこない。

 いきなり消費税を社会保障制度の持続的維持の安定財源だと決めてかかっている。そしてさらなる消費税増税を視野に入れている。

 消費税増税ありき、絶対命題としているから当然の取組みの欠如と言えるが、これでは江戸時代の幕府や藩が自らの財政が苦しくなると新たに税金を課して重税化していく方法と何ら変わらない。

 人のよさそうな最大限のご満悦顔になっていたが、一皮剥くと、江戸時代の情け容赦もなく年貢を取り立てていく悪代官の悪形相を隠しているのかもしれない。

 野田首相は男子学生が消費税関連法案が成立せずに解散した場合、次の衆院選でマニフェストに消費税増税を明記するのかという質問に対して成立を絶対前提とした答弁を行なっているが、「正心誠意」な態度とは言えない。

 いくら「出した以上、通すことを目的」としたとしても、参院与野党逆転のねじれ状況下で成立しない法案は皆無ではない以上、成立を絶対前提とすることができないからだ。

 また、1月16日(2012年)の民主党定期大会の挨拶とも矛盾する。

 野田首相「参議院では少数だから、法案が通らないのではなく、野党のみなさんにどうしてもご理解をいただけない場合は、法案を参議院に送って、野党にもう一度、この法案を潰したら、どうなるかということを、よく考えていただく手法も、ときには採用していこうではありませんか」

 野党が参議院で消費税関連法案を潰す可能性、不成立の可能性に触れている。潰した場合、当然、解散以外に道はなくなる。

 野田消費税から見た場合、野党が前門の虎としたら、小沢氏と小沢氏のグループは後門の狼と見るべきだろう。小沢氏は2月4日までの共同通信の単独インタビューで野田消費税増税法案に反対する姿勢を示している。(関連部分を引用)

 《小沢氏の一問一答》47NEWS/2012/02/04 19:22 【共同通信】)

 【消費税増税】

 ―消費税増税についてどう考えるか。

 小沢元民主党代表「論議そのものは否定しない。ただ、国家の統治機構の転換をはじめとする大改革を断行して公正な仕組みをつくることなしに、増税だけするというのはおかしい。

 国民の反対は、マスコミの世論調査よりはるかに大きい。社会保障と税の一体改革というが、社会保障の方はどこかに行って増税の話ばかりしている。野党の主張は、その点では正しい」

 ―欧州のような金融危機を防ぐため消費税率を引き上げて財政再建すべきだとの主張もあるが。

 小沢元民主党代表「一般的な経済政策として、現在のような不況時に増税などあり得ない。デフレ脱却が日本経済の長年の課題だ。いま消費税増税したら、経済も財政もますます悪くなる。

 補助金の一括交付金化、特別会計、独立行政法人の抜本改革などを行えば、かなりの財源ができるのは間違いない」

 ―中長期的には消費税をどうすべきか。

 小沢元民主党代表「上げるべきだと思う。日本は住民税など直接税の比率が高すぎる。直接税を下げて、国民の手元に自由に使えるお金を残すべきだ。間接税の消費税なら、国民に選択の余地がある」

 ―野田佳彦首相の目指す消費税増税関連法案にどう対応するのか。

 小沢元民主党代表「(閣議決定には)反対する。党執行部に『無理やり法案を通すとなったら反対だ』と昨年のうちに伝えた。(国会の採決でも)反対は反対だ。最初から反対と言っており、何かの拍子に賛成になったらおかしい。筋道が違う。経済政策としてもおかしい。大改革を何もしないで増税するのは、国民を愚弄する背信行為だ」(以上)

 かくかようにねじれ状況や民主党内反対勢力を考えると、成立を絶対前提することは先行き不透明で難しく、万が一不成立で解散・総選挙となった場合はマニフェストに消費税増税を明記すると明快に答えることこそが質問した男子学生に限らず、国民に対する「正心誠意」な態度と言えるはずだ。

 野田首相は2月1日(2012年)の衆院予算院会でマニフェストに関して、「基本的に我々政党が政権を取ったら、こういうことをやりたいんだと、お示しをすることであり、自分たちの理念や魂に関わることだ」と言っている。

 当然、マニフェストに明記すること、そして最後まで戦うことを宣言することこそが自身が言っている“不退転”にも通じることにもなるはずである。

 だが、以前の発言と矛盾させて成立を絶対前提とする不正直・不誠実な態度に終始した。

 不正直・不誠実だからこそ、税金を取って解決という最も安易な道を志すことを可能とすることになる。

 何と悪代官な。人の良さそうなニコニコのご満悦顔に騙されてはいけない。

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真部沖縄防衛局長のウソで塗り固めた「講話」衆院予算委集中審議答弁

2012-02-04 10:09:41 | Weblog


 昨2月3日(2012年)、真部防衛省沖縄防衛局長の「講話」が特定候補に対する投票指示だったのか否かを問う参考人招致、集中審議が衆院予算理事会で行われた。

 以下参考引用。

 

 《予算委集中審議の詳報》時事ドットコム/2012/02/03-21:34)

 真部朗防衛省沖縄防衛局長を参考人招致した3日の衆院予算委員会の質疑の詳報は次の通り。

 【局長講話】

 下地幹郎氏(国民新=沖縄1区) (真部氏による)講話は自ら発意したのか。

 真部氏 私自身が発意発案して関係の職員に準備を指示し、実施した。誤解を招く部分があったことは反省しなければならない。どちらかの候補者に肩入れする考えや認識はなかった。

 下地氏 沖縄県宜野湾市在住の職員と、同市に親戚が居る職員のリストをなぜ作ったのか。

 真部氏 重要な選挙なので、なるべく多くの市民の考えが反映されるようになればいいと考えた。

 下地氏 業務時間中に講話したことについては。

 真部氏 選挙に関して職員に徹底することは服務指導の一環であると受け止め、業務時間内でも可と考えた。

 下地氏 役人の責任ではなく、政治家の責任だと思っているのではないか。

 真部氏 本省をはじめとして外部から何か指導や指示、示唆などがあったということはない。

 下地氏 局長を選挙に巻き込んできた体質論を手直ししなければ問題の解決はできない。

 野田首相 国民や沖縄県民からすれば、批判せざるを得ない部分があった。適切な対応を防衛省の中で行うべきだ。

 中谷元氏(自民=高知2区) トカゲのしっぽ切りだ。こんな安易なことで処分を決定していいのか。

 田中防衛相 私は処分をするというところまでは全然聞いていない。今のところは白紙だ。本人の思いをしっかり述べてもらい、誤りなき判断をしたい。

 東順治氏(公明=比例九州) 講話は法令に抵触しているのか。

 真部氏 法令に違反しているという認識はなかった。

 東氏 「国家公務員法などに抵触する可能性を自覚している」と述べたと言われているが事実か。

 真部氏 違法性があるとは認識していなかったが、可能性はあるだろうという趣旨のことを言った。

 防衛相 職員の親族までリストアップしたことは少し行き過ぎではないか。有権者に誤解を与えていることは否めない。

 東氏 (真部氏を)処分しないとだめだ。その覚悟はあるか。

 防衛相 私自身も重大な責任を感じている。

 山内康一氏(みんな=比例北関東) 外部の有識者や専門家を招いて(真相を)追究する仕組みをつくらないといけない。

 防衛相 与野党含めて防衛相を務めてきた方々は多くいる。いろいろと話を聞き、指導いただきながら、首相の思いもしっかり肌で感じながら、将来につながるものにしたい。

 この記事が触れていない発言を、《沖縄防衛局長 “誤解招き反省”》NHK NEWS WEB/2011年2月3日 15時15分)から拾ってみる。

 真部局長「講話は私自身が発意、発案し、関係職員に準備を指示し、実施した。アメリカ軍普天間基地の移設問題の観点から非常に重要な選挙だと考え、なるべく多くの市民の考えが反映されるようになればいいのではないかと考えたのが最初だ。

 誤解を招く部分があったのは反省しなければならないと感じているが、どちらかの候補者に肩入れするというような認識は全く持っていなかった

 ついでに記事が伝えている田中防衛相の発言。

 田中防衛相「構造的な問題があるということなら過去にさかのぼって、しっかりと調査し、正していく」

 ウソで塗り固めた証拠はただ一つ、選挙権を有する職員や親族(家族、いとこ、親戚)らの有権者リストを作成していたということである。

 リストは宜野湾市に住所を置いている職員とその親族、宜野湾市に居住していなくても、宜野湾市に住む親族が含まれていたはずだ。

 真部局長はリスト作成の目的を「重要な選挙なので、なるべく多くの市民の考えが反映されるようになればいいと考えた」と言っているが、この発言は不特定の多者を対象とする意図を趣旨としていて、リスト作成は「なるべく多くの市民」ではなく、対象を一定の範囲で特定するものであり、発言が意図している趣旨とリスト作成の趣旨が明らかに矛盾している。

 要するに「重要な選挙なので、なるべく多くの市民の考えが反映されるようになればいいと考えた」はリスト作成の意図を誤魔化すウソに過ぎない。

 もし「なるべく多くの市民」を考えていたのなら、家族、いとこ、親戚といった親族に限ったリストアップの必要性は生じないはずだが、実際にはその必要性のもとにリストアップし、作成していた。

 また防衛省の一出先機関である沖縄防衛局の局長に外敵や自然災害に対して「なるべく多くの市民」を考える職務上の立場は有していても、一自治体の選挙に関して、いくら棄権防止の訴えであったとしても、「なるべく多くの市民」の投票行動を考える職務上の立場にはない。

 例え総務省の選挙の際の投票を促す通達があったとしても、その通達を反復するだけの一度の局内放送で済んだはずだ。

 また真部局長は「どちらかの候補者に肩入れするというような認識は全く持っていなかった」と言っているが、リスト作成が投票権のある職員と親族をリストアップし、特定するものである以上、棄権防止の訴えを超えてそのリストアップし、特定した者をして単に投票に向かわせるのではなく、投票希望の候補者への投票に向かわせることを意図した暗黙の教唆でなければ、何のためにリストアップし、特定したのか、その意味を失う。

 例え特定の候補者への投票指示が具体的な言葉で行われなかったとしても、リストアップし、特定するとは必然的にその意図・目的のもとに職務を以てして行動を制約する(この場合は投票行動を制約する)暗黙の教唆を含んでいることによって初めてリスト作成の意味が生じる。
 
 リストアップされた職員は沖縄防衛局が局としてどちらの候補者の当選を望んでいるのか、立場上の利害を知っていたはずだ。当然、真部局長が特定の候補者への投票指示を行わずに日本の安全保障の趨勢に重要な選挙だとのみの言葉巧みな説明であったとしても、局の利害に応える職員側の忖度を期待していただろうし、職員もその利害を忖度、相互的な馴れ合いのもとに「講話」は行われていたはずだ。

 内部告発が生じたことも、暗黙の投票指示であったことの証明となる。

 真部局長が「講話」は特定候補者への投票指示ではなかったといくら詭弁を以てしてウソの釈明を繰り広げようとも、そのウソは早晩暴かれるに違いない。

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政府広報新聞全面広告3億円、その効果とマスコミの利害

2012-02-03 10:52:09 | Weblog

 2月1日衆院予算委員会。質問者「新党きづな」斉藤やすのり議員。以下発言は「2チャンネル」から引用。

 斉藤やすのり議員 「私ひとつ気になったのですが、すいません、これ通告ないんですけれども、先日岡田副総理のですね、 キャラクターを前面に押し出した「税と社会保障の一体改革」の新聞の全面公告が出てましたけれども、あれは一体いくらくらいかかったんでしょうか?すいませんちょっと、通告なしで申しわけないんですが」

 岡田副総理「えー、ご通告いただいてないので具体的金額はわかりません。ご通告いただければ、ちゃんと調べておりました」

 藤村官房長官「えー、政府広報といたしまして約3億円をかけての広報でございました」

 斉藤やすのり議員「あの、3億円の広報ということでございました。

 私はですね、そんな政府広告出さなくてもですね、野田総理がですね、テレビメディアを使って出していけば全然発信になると思いますし、いま国民の負担をお願いしようというときに、億円単位の広告費というのは非常に私は疑問だと思います。

 是非お金のかけないような、無駄のないような情報発信をよろしくお願い申し上げます」(以上)

 「野田総理がですね、テレビメディアを使って出していけば全然発信になると思いますし」と言っているが、自らが前面に出て、「正心誠意」説明尽くすという意思も姿勢もないから、カネを掛けた新聞広告というアイデアが出てくる。

 今日は2月3日。「新党きづな」斉藤やすのり議員の質問から2日経過している。質問当日の2月1日18時46分「サーチナニュース」がこの件について報道しているが、他のマスコミの報道は「google」を探しても、他のサイトを探しても見つけることができなかった。

 ニュースバリューを認めなかったということなのか、批判記事を書いたなら、自らの広告収入に影響しかねない利害上の懸念から、目を背けたということなのだろうか。

 《全国紙など71社への政府広告 1回3億円》サーチナニュース/2012/02/01(水) 18:46)

 経費3億円で広告会社「電通」を通じて1月28日付全国紙等71社の新聞媒体に全面広告。

 但し記事は昨年12月4日にも全面広告掲載、〈合計6億円あまりを新聞媒体に投じた格好。〉と伝えている。

 政府広報「5400万世帯の80%をカバーしていること。価格についても当然、交渉しており、通常掲載価格より低い価格で契約している」

 「5400万世帯の80%をカバーしている」はあくまでも発行部数から見た計算上のことで、80%の世帯の内、何%が目にしたか、その内の何%が理解したのかの数字ではない。

 それをさも見込み効果のように言うのは一種の情報操作に当たる。
 
 果して3億円という大金をかけるだけの価値ある全面広告だったのだろうか。

 新聞社に批判の声「社会保障と税の一体改革は全国民がかかわる内容であり、情報提供を社会的使命として掲げる日刊紙であれば有料でなくとも掲載協力して良いのではないか。こうしたケースの時だけ商業ジャーナリズムになるのはいかがなものか」

 新聞社にとっては命綱の広告費である。無料というわけにはいくまい。問題はあくまでも政府の姿勢だろう。

 新聞社側の利害から見た場合、広告発注主たる政府だけが絡んでくる問題ではなく、広告代理店「ガリバー」電通が扱った広告となれば、広告獲得に絡んでくる。

 広告獲得は社の命運に即関わってくる。そのための情報伝達無視であり、日本の企業でありながら、ウエブサイト情報発信体である「サーチナニュース」のみが可能とした情報発信ということもある。

 全面広告の文面は、すべての国民の皆さまへ ──「 社会保障と税の一体改革」について ──の「シンポジウム 社会保障の明日を考える」で寄せられたご意見に、お答えします」に記載されている。

 「子ども・子育て支援の強化」に関しては、〈子ども・子育て家庭への支援を行い、結婚・出産・子育てへの希望がかなう制度をつくります。〉、「年金制度の改善」に関しては、〈基礎年金の財源を安定させ、最低保障機能を強化します。〉、「雇用や貧困・格差の問題への対応」に関しては、〈非正規労働者の増加、貧困格差に対応します。〉と能書きを述べているだけで、こういう政策を行なって、現状をこういうふうに変えていきます、変わりますといった具体的、懇切丁寧な説明が抜けている。

 要するにスローガンだけが並んでいる。

 しかも、「社会保障と税の一体改革について詳しく知りたい方は」と書いて、アドレス伝いにフェイスブックにつながるページに誘導、「いいね!を押して議論に参加」と書いてあるから、クリックしさえすれば簡単に議論に参加できると思ったら、フェイスブックのアカウントを持っていない場合はアカウント登録をしなければならない面倒な手続きが待ち構えている。

 どう見ても、3億円という税金を掛けるだけの価値を認めることができる内容には思えない。

 「衆議院議員定数の削減、独立行政法人改革、公益法人改革、特別会計改革、国有資産見直し、公務員給与の削減、公共調達改革」についての言及は、〈こうした行政改革を強力に推し進め、徹底的に歳出の無駄を排除します。これらの身を切る改革なくして、国民の皆さまの納得と信頼を得ることは出来ないと考えます」と何十回と言っている、まさしくスローガン以外の何ものでもない能書きを尤もらしげに活字にしているだけである。

 岡田原理主義の現れと見るなら、あまりにも原理主義過ぎる全面広告だとは言える。

 政治で常に問題とされるのは指導力であり、実行力である。能書き、スローガンの類を如何に着実、効率的に実行・実現して、制度としていくかが常に問われているはずだ。

 マニフェストにしても、公約だとして書いてあることは初期的には単なるスローガン、能書きの類に過ぎない。民主党政権は自らがマニフェストに掲げた政策の多くが中期的にも最終的にもスローガン、能書きの類に過ぎなかったことを証明した。

 当然、政府広報の全面広告にしても見込み効果は野田政権の指導力、あるいは実行力を前提として、「5400万世帯の80%をカバー」から差引き計算しなければならない。差引き計算することによって実態的な効果が推定できるはずだ。

 政府が最初(?)の広告を出した昨年の12月4日から約1週間経過した12月10、11両日の野田内閣支持35・6%、不支持51・6%の産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)合同世論調査での、《国民へのメッセージ発信》という問は、「評価」21・7%、「評価しない」71・7%とつけている。

 そして《首相の指導力》に関しては、「評価」20・2、「評価しない」72・9%と著しく低評価となっている。

 このことはいくら立派なスローガン、能書きを並べられても、国民からしたらその実現に信用できないということを示しているはずだ。

 NHKが12月9日から3日間行った野田内閣支持37%、不支持42%の全国世論調査での不支持理由は、「政策に期待が持てないから」39%、「実行力がないから」34%となっている。

 これではいくら言葉の贅を尽くした特別仕立てのスローガン、能書きを並べ立てようとも、それが実効性を持った制度となると信じる国民は少ないことの証明としかならない。

 読売新聞社が12月13日付で報道した、野田内閣不支持42%の全国世論調査での「首相の国民への説明」では、「十分に説明している」が10%、「そうは思わない」が85%である。

 毎日新聞が1月21、22両日実施の野田内閣支持32%、不支持44%の最新の全国世論調査での「消費税増税を引き上げなくても、今の社会保障制度を維持することが可能か」との問に、「可能だと思う」が28%、「可能だと思わない」が68%である。

 だが、消費税増税に「賛成」37%、反対60%。

 これら2項目の数字を野田内閣の不支持率と併せて解釈すると、社会保障制度維持のためには消費税増税は必要と認めるものの、野田内閣では満足な社会保障制度改革は望むことはできないが大勢を占める答だということになるはずである。

 この毎日新聞の世論調査は野田首相の指導力を問う項目を用意していないが、大方の世論調査で不支持理由が「政策に期待が持てない」、「実行力がない」が理由となっている以上、当然の動向と言える。

 野田首相に指導力がない、あるいはその政策に期待が持てないという有難い評価が大勢を占めている以上、政策を説明するどのような能書き、スローガンも実現可能との評価は期待薄であるにも関わらず、能書き、スローガンを並べているだけの政府広告を3億円もかけて二度も新聞に出した。

 当然、指導力、実行力がないことを計算に入れて広告も一工夫あるべきだが、何ら一工夫もなく、3億円という税金をはたいた。

 これを民主党が掲げる「ムダ遣い削減」のスローガンが実行ができていないムダ遣いだと断言できないはずはない。

 「新党きづな」齋藤やすのり議員が政府広報の全面広告費を問う前に被災地の寒さ対策を質問している。

 被災地では生活費節約から、夜暖房を消して寝ている。都市ガスからプロパンガスに変わってガス代が3倍となり、風呂に追い焚き機能がないために冷めた湯の中に我慢して入っている。災害救助法が定める仮設住宅の仕様には追い焚き機能はつけてなくてもいいとされているが、実際に入っている仮設住宅もあり、不公平が生じている。仮設住宅の仕様の見直しを見直すべきではないかと追及した。

 小宮山厚労相「仮設住宅の中で追い焚き機能の声が強いことは仮設住宅でのヒヤリングで承知している。色々と検討したが、各県が仕様を決めて発注する。

 一気に短時間にたくさんのものを(建設)ということで、特に仕様に盛り込まれていない追い焚き機能がついていない所が殆ど。

 何とかできないかと、全体5万戸の仮設住宅があるが、検討したが、追い焚き機能があるものにするには、今ある風呂釜を全部取り替えなければならず、30万ぐらいかかる。それを全部廃棄物にしなければならない」

 最後は血も涙もない役人式答弁。

 小宮山厚労相「今回は大変申し訳ないが、お湯を注いで入っていただくしかない。これからは寒冷地仕様のきちんとした仮設住宅を造ることをこれからの課題としなけれがならないと考えている」

 今現在不自由している被災者に対して今回は我慢してもらいたいと放置し、今後は寒冷地仕様のきちんとした仮設住宅建設を課題にすると言っている。

 これが民主党がかねがね言っていた「被災者に寄り添う」政治ということなのだろう。

 風呂にガス釜がついていないか、湯が冷めると給湯器が自動点火して湯を注ぎ、設定温度に保つ形式の風呂釜ではなく、給湯器から配管伝いに湯を注ぐだけだから、湯が冷めるたびに給湯器を点火して湯を注ぎ直さなければならないためにガス代が嵩むということなのだろうか。

 「一気に短時間にたくさんのものを(建設)」は菅仮免が「8月お盆まで完成」を無理やり急がせたことからの床下給水管凍結や雨漏りといった欠陥であり、網戸不備、寒さ対策不備であり、こういった不備の延長に生じた寒冷地非仕様の風呂ということも疑うことができる。

 ガス代が3倍になっても痛くも痒くもない生活の余裕があれば、いくらでも湯を注ぐ。切り詰めた節約をしているから、冷めた湯で我慢しなければならない。

 なぜ冬の間ガス代を補助する政策を考えることができないのだろうか。

 政府広報全面広告代6億円を月々の補助に回したらどうなるのだろう。

 6億円÷全体5万戸の仮設住宅=12000円

 全戸必要というわけではないだろうから、11月から3月までの5ヶ月間と想定して、各戸月2400円以上の補助が可能となる。11月から4月までの6ヶ月間なら、月2000円ずつ。

 「ムダ遣い削減」とは単にムダを削るだけではない。ムダとして削った税金を如何に活用するかも「ムダ遣い削減」に入るはずだ。

 税金の効率的な使い方をもっと勉強した方がいい。

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野田マニフェスト論からすると、解散し総選挙のマニフェストに謳ってから消費税増税に取り掛かるのが筋

2012-02-02 12:04:56 | Weblog

 野田首相は「衆院議員の任期中に消費税を引き上げるのではなく、現在の衆院任期終了後だから、公約違反ではない」との理論武装で野党の消費税増税はマニフェスト違反だという批判をかわしてきた。

 対して野党も新たな理論武装を以って別角度からのマニフェスト違反攻撃を試み出したということなのだろう。

 少なくとも昨2月1日(2012年)の衆院予算委員会をテレビ中継で見る限り、自民党の齋藤健議員と田村憲久議員は、「消費税増税は衆院任期4年間後であっても、衆院任期中に消費税増税案を国会に提出、成立させるとは(2009年の)マニフェストには書いていないから、マニフェスト違反だ」と追及していた。

 斎藤健議員と野田首相の質疑応答を見てみる。一字一句正確に取り上げるところと、適当に端折る箇所あり。

 齋藤議員「例のネットで流れている野田選挙応援演説。野田総理は大阪16区の応援演説に行って、こういう発言をされた。ネット上で、ブーメラン演説として大ヒットしている例の演説。これからの議論の前提となる大事な発言なので、正確に引用させてもらう。

 『政権公約マニフェスト、只今ボランティアの皆さんが、只今みなさまにお配りをしております。衆議院では3回目の導入です。でも、分かっていない政党がおります。

 マニフェストはイギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いていないことはやらないんです。それがルールなんです。

 それからまた、書いてないことを平気でやる。これっておかしいと思いませんか』とおっしゃり、さらには『書いてあることは4年間何もやらないで、書いてないことを平気でやる。それはマニフェストを語る資格はないというふうに、是非みなさん思っていただきたいと思います』とまでおっしゃりました。

  ――(中略)――

 前回選挙時、野田総理はマニフェストに書いてないことはやらない。それがルールだと国民のみなさんに力強く訴えた。

 ところでみなさんが作ったマニフェストに消費税を上げる法案を提出し、成立させると書いてあるでしょうか。

 野田首相「結論から言うと、消費税に関する言及はございません。マニフェストについての私の街頭演説について触れて頂きました。

 マニフェストは基本的に我々政党が政権を取ったら、こういうことをやりたいんだと、お示しをしていることであるので、基本的にはそれを実現するように全力をつくすことは基本だと思います。

 おっしゃるとおり、いわゆる現実政治でありますので、何か起こったときに、例えば今回リーマンショック後の経済の展開であるとか、あるいは今回の大震災とか含めて、あの、書いてないことでもやらなければいけないってことは間違いなく出てまいります。

 それはまさに危機管理能力であるとか、統治能力が問われる場面であります。それについてはきちっとやっていかなければいけないということ、あるいは状況状況によって、マニフェストには書いてないけれども、例えば地方交付税を増やさなければいけないとか、という政策判断の積み重ねはこれまでもやってきたつもりであります。

 マニフェストに書いたことは基本的には理念に関わる。自分たちの理念に関わることでありますし、魂に関わることなので、全力で最後まで実現を目指しながらも、一方で現実政治への対応をするということが政権の基本だと思っています」(民主党議員席から拍手)

 齋藤議員「我党はマニフェストに書いてないこともやらなければならない。対応能力が問われる。だが、野田総理はマニフェストに書いてないことはやらないと、それがルールだと、そういうふうにおっしゃってるのに、そして信じて投票した人たちがたくさんいるというのは、現実に国民の生活第一を自らおっしゃっている政党であるにも関わらず、消費税を倍にするという法案を成立させるという、国民生活に直結する最大の政治行為であるにも関わらず、マニフェストに書いていない、そして書いていないことはやらないというふうに訴えながら、それをやるということについて、総理はどうお考えになっているのか伺いたいんです」

 野田首相「あの、街頭演説のときに意識したことは、御党のですよ、それを言うとまたギクシャクしたくはないんです。だが、言います。例えば幼稚園教育の無償化するとか書いていたけど、取り組んだのかと、取り組む姿勢もなかったじゃないかということなどを言いたかったんです。

 あんまり時間がなかったから、そういうことは言っておりませんでしたけど。一方で、財政の問題、そして社会保障の持続可能を探っていくということはもはや御党もよくご理解いただいていることだと思います。

 政権を預かりながら、ますます緊要性というものが出ている中で、我々の任期中には上げないけども、いわゆる一里塚になるような法案はつくっておくと、いうところをやるということであって、マニフェスト等、書いてませんが、確かに書いてないから、逆に言うと、任期中はやらないんですが、だけど、その方向性はもう出しておかないと、待ったなしの状況に対応できないという危機感のもとから、今、ご説明をさせていただいたということであります」 

 齋藤議員 「総理の言うことに同感だが、総理はそうおっしゃっていなかった。マニフェストに書いてないことはやらない。それだルールだと。

 と言うことは、あれはウソだったのかと国民は思います。その演説を聞いた人たちに対して、もう一度真意をお聞かせください」

 野田首相「先程の御党のことはもう言いません。我々の考え方の中に於いては、どうしてもこれは待ったなしの状況だと。

 で、それは社会保障持続可能しなければいけないと。そして、その社会保障に充てるおカネなんです。困ったとき、弱ったとき。これはホントーに大事な局面に於いて、そしてこれはあんまりもうダラダラと伸ばせない状況の中で、あの、私の言ったことは色々あります。それについてのご批判は甘んじて受けますが、しかしそのことを含めて、みなさんにご理解を頂きたいと思います」(以上)

 野田首相は「マニフェストは基本的に我々政党が政権を取ったら、こういうことをやりたいんだと、お示しをしていることであるので、基本的にはそれを実現するように全力をつくすことは基本だと思います」と言っていたが、この遣り取りのあと、同じ趣旨のことを繰返している。

 野田首相政権交代をして、私たちが何をやりたいか、その強い思いをお伝えをする手段がマニフェストでございました。そこで抱えている理念であることや魂というのは、それはしっかりと守っていかなければならないと思います。

 その強い思いを表すという言い方でマニフェストの強調をしたわけであります。で、その思いは今も変わりはありません」

 この二つの発言は詭弁以外の何ものでもない。マニフェストは「やりたい」政策を掲げる政策願望集ではない。国民に対して公に約束する公約集である以上、政権として「やるべき」政策、「やらなければならない」政策を掲げる、言って見れば、政策実行集でなければならない。

 公約であることと「何をやりたいか」は決して一貫的な整合性を持ち得ない。

 民主党政権はマニフェストで何々をやると約束したことの多くを実現できないでいることから、野田首相は公約を「やるべき」政策、「やらなければならない」政策から卑劣にも「何をやりたいか」に貶め、後退させて誤魔化しているに過ぎない。

 このような卑劣なゴマカシを働いている以上、マニフェストに掲げた政策は「自分たちの理念に関わることでありますし、魂に関わることなので、全力で最後まで実現を目指しながらも、一方で現実政治への対応をするということが政権の基本だと思っています」、あるいは「実現するように全力をつくすことは基本だ」はマニフェストを掲げた手前の単なる体裁に過ぎない。

 マニフェストが単に「やりたい」政策を掲げる一覧表であるなら、「理念に関わる」だ、「魂に関わる」だは大袈裟に過ぎて、表現に整合性を見い出すことは決してできない。なかなかの「正心誠意」な誤魔化し屋である。

 また、マニフェストに書いてないことをやらなければならない例としてリーマン・ショックと地方交付税を持ち出してんマニフェストに書いてない消費税増税の正当性を巧妙に謀っているが、マニフェストに掲げる政策は政権の存在証明とする柱となる政策、あるいは核となる政策の数々であって、だから、マスコミは政策の目玉だと表現するのであって、ここで言っているような金融危機が突発して追加的な経済政策を打つとか、経済状況に応じて地方交付税を追加するとかの政策行為とは関係ない。

 関係するのはマニフェストに掲げた政策を満足に実行できなければ、政権担当後に生じた追加的政策に於いても満足に実行できないということである。

 なぜなら、如何なる政策遂行に於いても基本的にリーダーシップ(=指導力)や政策実現能力、あるいは官僚の活用を含めた政権運営能力が常にベースとなるからである。前者を可能とするこれらの力が不足していたなら、後者を可能とする力は持ちようがないし、後者を可能とするこれらの力を見い出すことができなければ、前者を可能とする力はとても望みようがない。

 基本的な必要能力は相互に反映し合う必要性が生じる。

 齋藤議員は「マニフェストに消費税を上げる法案を提出し、成立させると書いて」ないから消費税増税はマニフェスト批判だとする主張にあまりにも拘った。

 記事冒頭に挙げた野田首相の「衆院議員の任期中に消費税を引き上げるのではなく、現在の衆院任期終了後だから、公約違反ではない」という発言は1月26日(2012年)の衆院本会議代表質問での谷垣自民党総裁の消費税増税はマニフェスト違反だという追及に対する答弁で飛び出した発言である。

 この発言と、「我々の任期中には上げない」、あるいは「マニフェスト等、書いてませんが、確かに書いてないから、逆に言うと、任期中はやらないんですが」の発言はマニフェストには書いてないことは衆院任期中には行わないという野田マニフェスト論の核心をなす理論であろう。

 さらにマニフェストは「基本的にはそれを実現するように全力をつくすことは基本だと思います」という発言、マニフェストに「抱えている理念であることや魂というのは、それはしっかりと守っていかなければならない」という発言は野田マニフェスト論を補強する理論であるはずである。

 その一方で、任期内の準備は任期外の成立でありさえすれば、マニフェスト違反ではないと言って、齋藤議員の「マニフェストに消費税を上げる法案を提出し、成立させると書いて」ないから消費税増税はマニフェスト違反だとする批判をはねつけている。

 野田首相のこれらの理論と齋藤議員の批判を解消し、両者間にまったく矛盾のない整合性を与える唯一の方法は総選挙マニフェストに消費税増税が謳ってあったなら、マニフェスト違反になることはないし、野田首相のマニフェスト理論に対しても瑕疵一つない正当性を与えることが可能となるはずである。

 具体的には社会保障の持続可能性の確保、そのためのおカネを消費税で賄わなければ、日本の財政の健全化を図ることができない、国家を健全に維持するためには待ったなしの状況だと野田首相が認識した時点で、例え民主党内に反対があっても、解散して、総選挙のマニフェストに、もし政権を担当することになった場合、次の4年間で消費税を10%まで増税しますと謳って民意の審判を受けたなら、マニフェスト違反だと批判されることもないし、「やりたい」政策を掲げるのがマニフェストだと誤魔化す必要も生じない。

 “やるべきこと”として堂々とマニフェストに掲げ、これこそが我が理念だ、我が魂だと不退転の決意で消費税増税に立ち向かうべきではないだろうか。

 2010年9月2日首相就任後直ちに消費税増税をかけて解散し、総選挙で民意を問いますますと言ってマニフェストに掲げて実行し、実際に消費税増税の民意を得たなら、2014年4月に8%、2015年10月に10%の増税に十分に間にあったはずだ。

 このように総選挙のマニフェストに謳ってから消費税増税に取り掛かるのが筋であって、こうしてこそ消費税増税を含めた自らの政治姿勢とマニフェスト双方に正当性と整合性を獲ち得るはずだが、消費税増税という国家の命運を左右する重大政策をマニフェストに謳わないまま、その実現に血眼になるマニフェストの意味と価値を蔑ろにする魂ある正心誠意な行動に右往左往している。

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真部沖縄防衛局長“講話”、投票依頼でないは自分がそう言っているだけのこと

2012-02-01 09:56:51 | Weblog

 昨1月31日(2012年)、衆議院予算委員会集中審議で赤嶺共産党議員が防衛省沖縄防衛局の宜野湾市長選挙投票依頼疑惑を取り上げた。《“防衛局が選挙関与”指摘で調査》NHK NEWS WEB/2011年1月31日 14時52分)

 1月に防衛省沖縄防衛局の総務課が職員に対して選挙権を持つ親族がいるかどうかを調査、真部局長の講話を聴くよう指示したなどと指摘。

 宜野湾市長選は2月5日告示、2月12日(日)投票日。立候補を表明した伊波洋一元市長への応援をよろしく。個人的立場しか持たない私が応援(投票ではない)依頼しても問題はあるまい。

 赤嶺共産党議員「沖縄防衛局が、職務命令によって有権者リストを作ったということであり、極めて重大だ。国家機関の中立・公正の義務や、選挙における地位利用の禁止に反することは明らかで、許されない」

 田中防衛相「あってはならないということで、今、調査している。事実関係を明確にしたい」

 防衛省が職員を派遣して、沖縄防衛局から事情を聞くなど事実関係を調べていて、予算委員会の理事会に結果を報告することにしていると記事には書いてある。

 宜野湾市はご承知のように普天間飛行場移設問題を抱えている。市長選両立候補者とも普天間県内移設に反対しているが、革新系候補の伊波洋一氏は「国外・県外」移設を主張、特に県内移設を強硬に反対している。

 伊波氏が仲井真知事と争った県知事選では普天間即時閉鎖と米海兵隊の国外移転を主張していた。いつ強硬な牙を剥くか分からない。

 対して保守系は「県外」を主張しいるが、防衛省の利害からしたら、保守系候補の方がより組み易い相手であることは間違いない。保守系は宜野湾市民も含めて沖縄県民の多くが普天間の県内移設を反対している関係から、当選に必要な票数稼ぎに同調姿勢を取らざるを得ない事情も抱えているはずだからだ。

 上記記事には触れていなかったが、NHKの国会中継では赤嶺議員はすべてメールを使って情報伝達していたと伝えていた。

 《沖縄防衛局長に更迭論…宜野湾市長選で投票要請》YOMIURI ONLINE/2012年2月1日03時03分)

●沖縄防衛局総務部職員が1月4日付の電子メールで各部庶務担当者に宜野湾市に住む職員とその親族を報告
 するように要請。
●18日付のメールで、23、24両日に真部局長の講話を聴講するよう要請。
●真部局長は23、24両日、局内で計約20人の職員に対して5分程度の講話を行う。

 真部局長「宜野湾市長選では投票を棄権しないように」

 この発言は真部局長自身の口から証言として出てきた言葉であろう。

 記事は書いている。〈また、普天間移設問題をめぐる各候補者の主張にも言及したという。講話の議事録や録音は残っていない。〉

 防衛省は、〈真部氏が特定の候補者への投票を指示しておらず、国家公務員の地位を利用した選挙運動を禁じる公職選挙法などには違反していない〉という立場を取っているという。

 次の《防衛局長講話問題 野党批判強める》NHK NEWS WEB/2011年2月1日 5時13分)により詳しい発言が出ている。

 真部局長「投票に行くよう促す啓発活動の一環として行ったもので、特定の候補者への投票を依頼したことはない」

 野党側「投票に行くよう呼びかけただけなら問題はない」

 同野党側「局長の講話は事実上の投票の依頼で、自衛隊員にあるまじき行為だ」

 どの野党の誰が話したかは記事は触れていない。

 防衛省沖縄防衛局の所在はインターネットで調べたところ、「沖縄県中頭郡嘉手納町字嘉手納290番地9」にある。那覇防衛事務所と名護防衛事務所と金武(きん)出張所を抱えているが、宜野湾市には事務所も出張所もない。

 金武出張所の所在地は「沖縄県国頭(くにがみ)郡金武町(きんちょう)字伊芸7(いげい)6-1」であって、沖縄本島北部の東海岸に位置している。

 防衛省沖縄防衛局がある嘉手納町は沖縄本島の中部に位置し、東シナ海に面している。インターネット地図で調べたところ、多分間違っていないと思うが、沖縄本島中南部の中央に位置する宜野湾市から北方向に10キロ前後離れている。

 真部防衛局長が宜野湾市の住人であったとしても、防衛局が所属する自治体の選挙ではない。

 個人の立場では宜野湾市の選挙結果が個人的心情に影響することはあるだろうが、防衛局が所属する自治体の選挙ではなくても、防衛省沖縄防衛局という役所の立場、あるいは防衛省沖縄防衛局長という職務上の立場から見た場合のみ影響する選挙の利害・趨勢のはずである。

 既に触れたように伊波洋一氏が国外移転の強硬な主張を抱えているからだ。政府が普天間の移設先としている辺野古がある名護市の、辺野古移設反対強硬派の稲嶺市長といつ連携して、普天間の国外移設の運動を起こさないとも限らない。

 いわば沖縄防衛局としては伊波当選は、その可能性はあるものの、可能性があるからこそ、あってはならない悪夢となっているはずである。

 対立候補投票要請に動いたとしても不思議ではない利害状況にあった。

 このような防衛省、あるいは沖縄防衛局としての全体の利害から見た場合、「宜野湾市長選では投票を棄権しないように」との講話だとする、あるいは「投票に行くよう促す啓発活動の一環として」の講話だとする説明はどう見ても説得力に欠ける。

 大体が投票啓発活動は立候補者に対して当選・落選に関わる利害を持たない公平な立場からの活動でなければならない。逆に特定候補に対する投票依頼は当選・落選に関わる利害を持った立場からの働きかけとなる。

 対して沖縄防衛局は明らかに利害を抱えている。

 実際に投票啓発活動だとしたなら、「講話」と名付けたこと自体にしても矛盾することになる。「講話」とは】「(大勢の大衆に)分かりやすく説き聞かすこと」(『大辞林』三省堂)を言う。

 偉いお坊さんが難しい仏の教えの分かりやすく噛み砕いて説くといったことを講話と言うはずだ。実際にも禅の高僧が禅という仏教哲学を信徒や一般人を集めて説き聞かすことを「講話」と名付けている。『臨済録講話』といった禅僧著作の書物も存在する。

 要するに講話とは特殊な学問分野に高度な知識を有している者のみが許される会話形式(集会形式)であろう。

 それを防衛省の出先機関である沖縄防衛局長の身でありながら、高々投票啓発活動の話を5分程度話すだけで(多分罪逃れから時間を短く言った疑いもある。)、それを「講話」だと名づけることができるだろうか。

 だが、講話だとした。講話と名付ければ、選挙運動と取られないと誤魔化すために知恵を働かせたとしたら、サルの浅知恵としか言いようがない。

 いや、昨今愚かしい自己利害の闘いにあくせくしている人間よりもサルの方が知恵は上かもしれない。

 講話の類いであるはずがないのに何様が話し聞かすかのように講話だとさも尤もらしげに誤魔化した点でも、投票依頼でないは自分がそう言っているだけのことと、限りなくクロに近い疑いをかけることができる。

 直接的な依頼はなくても、少なくとも言葉巧みな暗黙の教唆はあったはずだ。

 尤も騒ぎを起こして迷惑をかけたからと責任を取って自ら辞任という手を使えば、一切の疑惑を終息させ、事実を隠すことはできる。

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