1月29日(2012年)、介護福祉士の国家試験が行われて、経済連携協定(EPA)に基づいて来日した外国人が初めて試験に臨んだと、《介護福祉士 来日外国人が初受験》(NHK NEWS WEB/2012年1月29日 16時44分)が伝えていた。
この4年間でEPAに基づいて介護福祉士を目指して来日したインドネシア人とフィリピン人の合計780人余りのうち試験に臨んだのは国家試験受験資格取得条件の3年間の現場研修終了者95人だそうだ。
試験は介護の専門的な知識や技術などに関する筆記試験と技術能力を試す実技試験。
問題は来日から4年以内に国家資格を取得しなければ帰国という条件である。3年間は受験資格取得のために現場研修に従事しなければならないから、試験の機会は1回しかない厳しい条件を負わされている。
その上、日本人受験者でも介護福祉士の合格率は50%程度の難関だと書いている。先行実施のEPA対象看護師試験のこれまでの平均合格率2.6%の原因が日本語の読み書きが大きな壁となっていたことから、厚労省は漢字表記の専門用語にフリガナを振ったり、英語併記を行って問題の読みに手助けを行い、さらに不合格の場合でも成績が一定水準を超えていた場合、特例的にさらに1年間の滞在延長を許可し、1回限りの再チャレンジを認める閣議決定(2011年3月11日)を行なっている。
来日の当初資格がどうなっているのか、インターネット記事を調べていたら、外国人看護師・介護士候補生の受入(多文化共生ポータルサイト)なるページで次の記述に出会った。
〈制度の概要と現状
日・インドネシアEPAでは、当初2年間で看護師候補生400名、介護福祉士候補生600名を上限として受け入れることとされ、第一陣として208 名を受け入れました。
看護師候補生は、インドネシアで看護師の資格を取得してから(2008年当時インドネシアに介護士の資格はなかった)2年以上の経験があり、来日後、日本の病院等で研修を受けながら3年以内(最高で3回受験できる)に国家試験に合格し、日本の資格を取ることを目指します。資格を取得すれば在留期間の上限は3年であるが更新回数の上限はないため、事実上、永住することが可能です。
一方、介護士候補生は、看護学校卒業生あるいは一般の高等教育機関の卒業生(2009 年から介護士の資格がインドネシアにも出来た)ですが、2008 年の来日組の場合は、介護士候補生もすべて看護学校の卒業生でした。日本の国家資格取得までに介護士の猶予は4年以内ですが、介護士の国家試験には実務経験が3 年必要であることから、看護師と異なり受験の機会は、事実上1回のみに限定されました。
国家試験の合格率の低さ(1%~4%)を受け、平成23年3月、政府は平成20年度と平成21年度に受け入れた看護師候補者と介護士候補者について、一定条件を満たせば滞在期間を一年間延長することを閣議決定しました。
また、フィリピンからの看護師・介護福祉士候補生の受入れは、インドネシアからの受入れとほぼ同じ枠組みとなっていますが、フィリピンの介護士候補生は二つのコースに別れています。インドネシアの介護士候補生に通ずるのが「就労コース」で、これは4年制大学卒業生、フィリピンの介護資格認定者そしてフィリピンの看護学校卒業生が候補生です。
これに加えて、フィリピンの一般の4年制大学を卒業した者が日本の介護士養成校に入学して、国家取得を目指す「就学コース」というのがあります。就学コースの場合の在留期間は、養成校の卒業までとなっていますが、養成校のカリキュラムは通常2年程度とされています。また、資格取得後の条件は他と同様です。フィリピンからは、2009年に第一陣として「就労コース」に283名を受け入れました。〉・・・・・
以上を簡略化して纏めてみる。
インドネシア看護師候補生
●現地で看護師の資格を取得してから2年以上の現地での実務経験
●来日後、日本の病院等で研修。
●滞在3年間・国家試験機会3回
●国家試験合格者の在留期間上限3年。但し更新回数の上限なく、事実上、永住可能。
●2011年3月以降、国家試験不合格でも一定の成績を修めた者は1年間の滞在期間延長(合計
4年間)
インドネシア介護士候補生
●現地に於ける看護学校卒業生、一般の高等教育機関卒業生。
●日本で受験資格要件として3年間の現場研修。
●滞在4年間・国家試験機会1回。
●2011年3月以降、国家試験不合格でも一定の試験成績を修めた者は1年間の滞在期間延長
(合計5年間)
フィリッピン看護師候補生
●インドネシア看護師候補生と同条件
フィリッピン介護士候補生
「就労コース」
●現地の4年制大学卒業生、フィリピンの介護資格認定者、フィリピンの看護学校卒業生
●2011年3月以降、国家試験不合格でも一定の試験成績を修めた者は1年間の滞在期間延長
「就学コース」
●現地の4年制大学卒業後、日本の介護士養成校入学
●在留期間は養成校卒業まで(カリキュラムは通常2年程度)
●2011年3月以降、国家試験不合格でも一定の試験成績を修めた者は1年間の滞在期間延長
以上見てみるとインドネシア、フィリッピンに関わらず、現地でそれなりの知識と資格を得ている。このことに加えて、外国という未知の世界で自己能力を試すチャレンジ精神と向上心を備えていると見ることができる。
2009年から2011年度までに日本が受け入れたインドネシア人とフィリッピン人の看護師候補生は209名、介護福祉士候補生は「就労コース」と「就学コース」を合わせて360名(厚労省HP)。
当初2年間で看護師候補生400名、介護福祉士候補生600名、合わせて1000名を上限としながら、3年間で569名の受入れにとどまっているのは試験が難しくて夢を果たせずに虚しく帰国する者が多いことから希望者が減っているという事情がある。
上記「NHK NEWS WEB」が伝えているように看護師候補生合計209名の国家試験平均合格率は2.6%。対して日本人看護師の2011年国家試験合格率全国平均91.8%。
英語併記や難解字句にフリガナを振り、なおかつ一定の成績を修めた者は滞在期間を特例的に1年間延長したとしても、そのことによって看護師候補生の場合は滞在期間合計4年、国家試験機会計5回、介護福祉士候補生の場合は3年~5年、国家試験機会2回に増えたとしても、日本人看護師の2011年国家試験合格率全国平均91.8%が逆証明するように合格率の飛躍的な伸びは期待できないように思える。
このことから日本人と比較してインドネシア人やフィリッピン人の能力や人間性が劣ると見ることは決してできない。能力や人間性は試験で100%計ることはできないからだ。
もし計ることができたなら、いい加減な手術をする医者やカネ儲けのために不必要な過剰診療に走る医者、患者を粗末に扱う看護師はこの世に存在しないだろう。
また、政治家に関して言うと、東大出や京大出、早稲田出や慶應出が優れた政治能力や優れた人格を保証するものではないことを我々が多く見てきていることも試験が何を保証するのか不透明にしている一つの事実がある。
一方、外国人看護師候補生や介護士候補生の来日条件を見てみると、現地でそれなりの知識と資格を得ている。このことが必ずしも能力や人間性を計るモノサシとはならなくても、また来日が例え収入目的であっても、外国という未知の世界で自己能力を試すチャレンジ精神と向上心を備えていると見ることができる。
このような精神をこそを大切にすべきではないだろうか。能力や人間性は看護や介護の現場がテストすべきである。同僚や患者が試験官となることによって、自ずと能力や人間性の程度が現れ、取捨選択の選別を受けることになる。
だとしても、資格の目安とする国家試験は合格しなければならない。
以上の要件をすべて満たすには滞在期間を撤廃することではないだろうか。例え国家試験を合格しなくても、看護師候補生の場合は看護助手としての人材となり得るし、介護福祉士候補生の場合は介護現場では国家資格がなくてもパートやアルバイトが働いているのだから、同じ人材としての勤務は可能のはずである。
そして何年経っても夢を捨てない者は滞在期間を気にすることなく、働きながら何年かけても国家試験にチャレンジすればいい。
そして犯罪を犯さずに真面目に働き、日本の社会で社会人としての務めを果たしている者が希望した場合、日本国籍取得の資格を与えてもいいはずである。
政府は研究者や医師、経営者ら高度の専門知識や高度の技術を持つ外国人を様々な特典を用いて“高度人材”として受入れる制度を設ける方針でいる。私自身は社会の活力は這い上がりから生まれる、一般労働者を受け入れるべきで反対だと、2011年12月29日当ブログ記事――《政府「高度人材」外国人受入れポイント制度は職業差別及び憲法違反に当たらないだろうか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、もしインドネシアやフィリッピンから経済連携協定(EPA)に基づいて受け入れている看護師候補生や介護福祉士候補生がゆくゆくは政府が考えている、あるいは政府が好みの“高度人材”に当てはまらなくても、国立社会保障・人口問題研究所が50年後2060年の日本の人口は2010年1億2806万人から8600万人に減少、労働力の中心となる15歳~64歳生産年齢人口が半数近く減少の4418万人になると予測している少子高齢・人口減少とこのことに伴う経済の縮小を僅かながらでも補う労働人材とならない保証はない。
彼らが日本で結婚した場合、例え同国人との結婚であっても、50年後の彼らの子どもが日本で政府が考えている、あるいは政府が好みの“高度人材”に成長しないとも限らない可能性にしても否定できないはずだ。
将来を見通す大きな目を持って滞在期間なしに彼らを受け入れてはどうだろうか。
2月1日(2012年)の衆院予算委員会、政府の原子力災害対策本部議事録未作成問題で公明党の石井啓一議員が質問を行った。
石井啓一公明党議員「えー、それからですね、原子力関係についてですね、議事録問題、ですね、この原子力対策本部の議事録が存在しないという、俄には信じがたい事実が明らかになりましたけども、今回の、あのー、東京電力福島原子力発電所の事故は、全電源喪失というかつてない、未曾有の深刻な原子力事故だったわけです。
えー、これに対する調整に当って、政府はどのように意思決定をしたのか。その経過を残すということは、私は政府のですね、歴史的な検証に対する責任であり、いわゆる国際社会に対する責任だと思うんですね。
我が党の山口代表が本会議の代表質問でこのことを指摘をいたしましたけども、総理の答弁は震災直後の緊急事態にあったことや、記録を残すことの認識が不十分であったこと等のためにですね、各本部の議事内容の一部、または全部が文書で随時記録されていなかったことは事実であり、真に遺憾、まあ、こういうふうに答弁されていますけども、私はね、民主党に政策の意思決定の記録を残すことの、重要さ、あるいは責任感というのが、全く欠けているんじゃないかと。あまりにもズサンと言わざるを得ないわけであります。
あの、福島の双葉町長ですね、議事録がないのは背信行為だと、こういうふうに批判されていますし、国会事故調査委員会の黒川委員長も、全く信じられない、理解不能だと、こういうふうに批判されています。
改めて総理の所感を伺います」
枝野経産相「原子力災害対策本部の議事を記した正式な記録が、あー、つくられていなかったことについては、原子力対策本部の事務局は、あー、経産省のもとの保安院が担っておりますので、大変申し訳なく思っております。
えー、当時、発災直後、特に緊急的は状況であったということはございましたが、それにしてもできるだけ早い段階でですね、あの、議事をずっと整理をして、えー、意思決定のプロセスが明確に分かるような形で記録を残すべきだったというご指摘は甘んじて受けなければいけないと思っております。
できるだけ、えー、今、当時の原子力災害対策本部は、あの、本部員に限らずですね、えー、各省の事務方も含めて、相当、多くの人数が出席をしておりまして、事務方等もメモを取って、多くおられましたので、そうした部分を最大限集めてですね、それから議事の多くはですね、用意された資料を解説すると、説明するということでございましたので、こうしたことについても最大限正確に回復できるよう作業を進めているところでございます。
同時に私はその当時内閣官房長官でございました。あのー、議事要旨等については、あのー、当然つくられているものという思い込みをしておりましたが、あー、こうした重要なことでありますので、えー、そうした思い込みをせずにですね、えー、確認やチェックをすべきだったと、いうご批判は甘んじて受けたいというふうに思い(最後まで「ます」と言い切らないで端折る)――。
大変申し訳ございません」
石井啓一議員はこの問題についてこれ以上取り上げなかった。
枝野は例の早口で次から次へと尤もらしく聞こえる言葉を機関銃の弾のように撃ち出す。
最初に「原子力災害対策本部の議事を記した正式な記録が、あー、つくられていなかったことについては、原子力対策本部の事務局は、あー、経産省のもとの保安院が担っておりますので、大変申し訳なく思っております」と保安院に未作成の責任を押し付けているが、ご承知のように原子力災害対策本部は菅政権が立ち上げた組織で、首相官邸に設置、本部長は菅仮免で、当時の枝野官房長官が閣僚の一員としてメンバーに加わっていた以上、会議が適正に運営されているかどうか、あるいは会議に加わっている各メンバーがそれぞれの役割を果たしているか、本部長の菅仮免はもとより、副本部長の海江田経産相、事務総長の細野原発担当相、そして内閣の要に位置する主要閣僚の一人として枝野官房長官にしても事務局の保安院を含めて監視する責任を有していたはずだ。
閣僚の発言が不適切であった等の場合、官房長官が注意するのはそのためであろう。
当然、内閣官房長官として何よりも自身の責任としなければならない立場にあったはずだが、それを事務局は保安院が担っていたからと、その責任不履行とのみ押しつけて自身の責任は棚上げとし、「大変申し訳なく思っております」と保安院に代わっての謝罪で済ましている。
全くカエルの面にショウベンの詭弁も詭弁、陰険・狡猾を顔の下に隠した言い抜けとしか言いようがない。
自身には責任はないとしているから、「えー、当時、発災直後、特に緊急的は状況であったということはございましたが、それにしてもできるだけ早い段階でですね、あの、議事をずっと整理をして、えー、意思決定のプロセスが明確に分かるような形で記録を残すべきだったというご指摘は甘んじて受けなければいけないと思っております」の批判甘受の姿勢も口先だけとなる。
そして最後に「同時に私はその当時内閣官房長官でございました。あのー、議事要旨等については、あのー、当然つくられているものという思い込みをしておりましたが、あー、こうした重要なことでありますので、えー、そうした思い込みをせずにですね、えー、確認やチェックをすべきだったと、いうご批判は甘んじて受けたいというふうに思い――」と、今度は自身の責任として批判甘受の姿勢を見せているが、既に保安院に責任転嫁しているのである。その矛盾が口から出任せの発言でしかないことを物語っている。
「議事要旨等については当然つくられているものという思い込みせずに確認やチェックをすべきだったというご批判は甘んじて受けたい」といった趣旨の、さも謙虚らしく見せかけた発言は、自身がすべき「確認やチェック」といった監視の責任を果たしていなかったことへの言及であるはずだ。
もし真に自身の責任不履行が見逃した議事録未作成だと少しでも認識していたなら、保安院のみの責任とはせずに最初に自身の責任を持ってきて、その責任に対する謝罪としただろう。
だが、全然そうなっていない。
口から出任せなのは東日本大震災発生3月11日(2011年)から約2カ月半後の5月24日の枝野官房長官記者会見の発言が証明してくれる。
このことは2012年1月26日当ブログ記事――《原子力災害対策本部議事録未作成は菅仮免による情報隠蔽からの不作為の疑いあり - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に一度取り上げている。
「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」が記者会見当日の5月24日(2011年)の閣議により内閣官房に設置されることとなった。
この委員会は読んで字の如く、政府や東電の事故対応を調査・検証する目的で設置された。
記者「事故当初から議事録などがないことによる調査への影響は」
枝野官房長官「正確に言うと、ない部分がある、というのが正確だろう。これはどこまで言っていいのか分からないが、例えば、(官邸地下の)危機管理センターにおいては膨大な量の書類が作られて回覧、配布されて、そこには東電や経済産業省原子力安全・保安院から報告された事故や何らかの指示がされたことについて、共有するためにそうしたものにしっかりと書かれて、書類として残っている。
ただ、3月11日から数日間は、まさに大変緊迫した状況の中だったので、誰かがメモをとって正確にきちっと記録するというゆとりのない中での議論、判断という局面があったことは否定しない。
ただ、前後の様々なしっかりと記録されている事項から記憶を喚起すれば、それなりのものはしっかりと検証できるのではないかと。例えば私も今回いろいろ問題なっている12日夕方6時からの打ち合わせについては、記録をしっかりチェックすると、その時間帯、私は記者会見をしていたので、どうもその部分についての記憶がないなと思っていたが、そういったことが確認できたりとかということで、できるだけ正確な事実関係の整理をできるようにしていきたい」 (以上asahi.comより)
枝野は原子力災害対策本部の議事録が「正確に言うと、ない部分がある、というのが正確だろう」と言っている。「ない部分」は一部で、大部分が存在するという意味のはずである。
だが、《原発事故 国本部の議事録作成せず》(NHK NEWS WEB/2012年1月22日 17時44分)は次のように記述している。
〈東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡って、避難区域や除染の方針など重要な決定を行ってきた政府の「原子力災害対策本部」の議事録が作成されていなかったことが分かりました。〉
〈NHKで、去年11月、それまでに開かれた21回の会議について「議事録や内容をまとめた資料など」の情報公開請求を行ったところ、公開されたのは、議題を記した1回の会議について1ページの「議事次第」だけで、議論の中身を記した議事録は作成されていなかったことが分かりました。NHKの取材に対し、原子力災害対策本部の事務局を務めている原子力安全・保安院の担当者は「業務が忙しく議事録を作成できなかった」と説明しています。〉――
「ない部分」が一部どころか、議事録自体はまるきり作成されていなかった。
枝野は平気でウソをついたのである。
ウソをついたばかりではない。議事録が作成されていない事実を知ったはずである。もし調べもしなかったとしたら、出任せのウソをついた上に自分の発言に全然責任を持たなかったことになる。
この発言以降、議事録未作成を解消すべく「公文書等の管理に関する法律」に則って原子力災害対策本部会議のみならず、政府が行うすべての会議の議事録を取るよう指示すべき官房長官の立場にありながら、その責任さえ履行しなかった。
しかも原子力対策本部の事務局は保安院だからと、未作成の責任を保安院に押し付け、「議事要旨等については、あのー、当然つくられているものと思い込んでいた」、「そうした思い込みをせずに確認やチェックをすべきだったというご批判は甘んじて受けたい」とウソつきの本領を発揮して現在に至っても誤魔化しに走る。
石井啓一議員は「改めて総理の所感を伺います」と答弁は首相を指名したにも関わらず、自分からわざわざしゃしゃり出てウソ八百を並べ、ウソつきであることと同時に無責任を曝した。
こういった閣僚の資質をこそ、問うべきだろう。
2006年に日米政府が「再編実施のための日米のロードマップ」で「約8000名の第3海兵機動展開部隊の要員と、その家族約9000名は、部隊の一体性を維持するような形で2014年までに沖縄からグアムに移転する」と合意した計画の見直しに着手、グアム8000人の内、3300名をハワイ、フィリピン、オーストラリア等の米軍拠点にローテーション方式で分散配置する検討に入ったとするニュースが流れたと思ったら、米政府はハワイ、フィリピン、オーストラリア等の米軍拠点に移転させる3300名の内、司令部要員1300名を米軍岩国基地への移転を日本政府に打診してきたと、今朝の各社のニュースが伝えていた。
この海兵隊員8000名グアム移転は普天間飛行場の辺野古地域移設、その他の再編案と「統一的なパッケージ」と取り決められていたが、既に日米両政府は普天間移転の「パッケージ」を外すことで合意した(沖縄タイムズ)という。
野田政権がいくら普天間の固定化はないと否定しても、固定化の懸念が生じることになる。このことを避ける唯一の方法は普天間基地の兵力をすべて「県外・国外」への移転を図ることであろう。
計画見直しの海兵隊移転を簡略化してみる。
沖縄の海兵隊――1万名程度維持(当初計画どおり)
国外移転 ――8000名。
国外内訳 4700名――グアム移転(当初8000人移転予定)
2000名――ハワイ、フィリピン、(オーストラリア)等一時的駐留
1300名――(司令部要員)米軍岩国基地への移転
日本政府は沖縄に米海兵隊を維持する根拠として中国や北朝鮮に対する沖縄の地理的優位性を挙げてきた。地理的優位性が米海兵隊の機動性と即応性をより担保するということである。
だが、2006年に沖縄に1万名程度残すと言っても、ほぼ近い数字の8000名グアム移転を取り決めた時点で沖縄の地理的優位性は差し引かれて、グアムとほぼ同格となったはずだ。
米政府が沖縄の地理的優位性を捨ててまでグアムに移転させることはあるまい。地理的優位性を損なうことはないとの計算のもと、8000名の移転に同意したはずだ。機動性と即応性はさして変わらないと見た。
だが、民主党政権となっても、地理的優位性を米海兵隊の沖縄駐留の根拠とした。
防衛省が2010年2月に公表した「在日米軍・海兵隊の意義及び役割」で、「在沖米海兵隊の意義・役割」の根拠として、「地理的特徴を有する沖縄に、高い機動力と即応性を有し、様々な緊急事態への一次的な対処を担当する海兵隊をはじめとする米軍が駐留していることは、我が国及びアジア太平洋地域の平和と安定に大きく寄与」すると謳っている。
沖縄が「地理的特徴を有する」とは地理的優位性の言い替えであろう。
当然、民主党政権の防衛大臣や外務大臣はこの上記認識に従うことになる。いや、内閣自体が従うことになる。
北澤防衛相は2011年5月に沖縄に訪問、仲井真沖縄県知事にこの防衛省作成のパンフレット「在日米軍・海兵隊の意義及び役割」を手渡している。
手渡すと同時に、書いてある内容をほぼなぞる形で口頭でも伝えたはずだが、書いてあるとおりに沖縄には米海兵隊が必要ですよという意思表示であったはずだ。
そして玄葉外相、昨年(2011年)10月19日に沖縄県名護市役所を訪れ、稲嶺進市長と約30分間会談。
玄葉外相「日本の安全保障環境が厳しさを増す中、沖縄の地理的優位性は重要だ。(辺野古に移設する)日米合意の進展が私たちの基本的立場で、全力で沖縄の負担軽減にも取り組む」
稲嶺市長「素直にようこそとは言えない心情だ。日米合意の見直しをぜひ米国に進言してほしい」(以上毎日jp)
この場面は民主党政権の終始一貫した「沖縄の地理的優位性」表現の一端でしかない。
外相経験の前原民主党政調会の場合は沖縄の米海兵隊の必要性への言及として、2011年9月25日次のようにテレビで発言している。
前原外相(日米同盟は)「日本の安全保障だけではなく、この地域(アジア・太平洋地域)全体のための公共財なんだ」
いわば沖縄の地理的優位性はアジア・太平洋地域全体の公共財としての一つの重要な要素だということであろう。
そしてここに来て米政府はハワイ、フィリピン、オーストラリア等の米軍拠点に移転させる3300名の内、司令部要員1300名を米軍岩国基地へ移転させたいと日本政府に打診してきた。
司令部は実働的戦闘部隊ではない。だが、海兵隊戦闘部隊の機動性・即応性は司令部の兵力展開に関わる指揮・命令に大きく負う。菅内閣に於いては司令塔である菅首相の指導力・指揮命令能力が大きく破綻していたために実働部隊である内閣が満足に機動性・即応性を発揮できず、福島原発事故対応に関しても震災対応に関しても遅れや混乱、矛盾を生じせしめた。
いわば米政府は司令部の岩国基地分散が海兵隊の展開にさしたる障害はないと見ていることになる。
と同時に海兵隊戦闘部隊の機動性・即応性が司令部の兵力展開に関わる指揮・命令に大きく負う以上、沖縄に集中させていた機動性・即応性のグアム分散、ハワイ、フィリピン、オーストラリア分散の上になお一層の分散と考えることができる。
この分散は沖縄の地理的優位性の相当部分の抹消を意味しているはずだ。沖縄の地理的優位性をグアムと同格としたばかりか、岩国とも同格としたことになる。
別の言葉で表現すると、沖縄が担ってきた地理的優位性はグアムとハワイ、フィリピン、オーストラリア、そして岩国、さらに沖縄を加えた全体で負担可能であるとしたことになる。
決して沖縄は地理的優位性の点で絶対的に欠かすことのできない安全保障上の存在ではなかった。
沖縄に残す1万名程度の海兵隊員を岩国移動の司令部1300名と同時に岩国か、岩国でなければ、九州や中国地方の他の米軍基地、あるいは自衛隊基地へ移動させても、米海兵隊の展開能力を現在以上に向上させる司令部の指揮・命令能力の確保、さらに展開を補助する艦船・航空機の運用能力の向上という条件付きではあるが、沖縄で確保していた地理的優位性の代替措置とすることは可能なはずだ。
普天間の固定化を避けるためにも決して不可能としてはならない。菅仮免は「沖縄の基地負担は日本全体で考えるべき問題だ」と言いながら、それを裏切って沖縄の地理的優位性を固定観念としてきた。
そろそろ固定観念から解き放たれてもいい時期に来ている。
岡田副総理が民放テレビ番組で政府が消費税率の5%引き上げを目指す2015年前後には高齢化の進展を踏まえてさらなる引き上げの議論を行う必要があるという考えを示しましたという。《“2015年前後消費税再議論を”》(NHK NEWS WEB/2011年2月5日 15時54分) |
昨2月4日(2012年)、野田首相が慶應義塾大学開催の「社会保障と税の一体改革」をテーマにしたシンポジウムに出席、約250人の学生を前に講演した。昨夕7時のNHKニュースから。 |
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2月1日衆院予算委員会。質問者「新党きづな」斉藤やすのり議員。以下発言は「2チャンネル」から引用。 |
野田首相は「衆院議員の任期中に消費税を引き上げるのではなく、現在の衆院任期終了後だから、公約違反ではない」との理論武装で野党の消費税増税はマニフェスト違反だという批判をかわしてきた。 |
昨1月31日(2012年)、衆議院予算委員会集中審議で赤嶺共産党議員が防衛省沖縄防衛局の宜野湾市長選挙投票依頼疑惑を取り上げた。《“防衛局が選挙関与”指摘で調査》(NHK NEWS WEB/2011年1月31日 14時52分) |