8月15日(2012年)日本敗戦の日にNHK総合テレビ放送NHKスペシャル「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」を録画しながら見て、あまりにも無責任な人間たちが起こした無責任な戦争に思え、文字化し、8月17日《(1)2012年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」全編文字化 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》として、8月18日、《(2)2012年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」後半文字化 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》としてブログに載せた。
今回は残されている文書記録や音声記録(=録音)に基いて再構成した、日本の権力構造に指導者として位置していた各登場人物の発言を取り上げて、自分なりの批評を加えてみたいと思う。
HP――《ハナモゲラボ / 試行錯誤のPC人生》(8月18日)にNHK番組が伝えていた武官極秘電報について次のような記述がある。
〈NHKの番組では、武官が掴んだこのヤルタ会談の情報を「今回(初めて)見つかった」と言ってましたが、これは恐らくストックホルムの武官だった小野寺信少将が送った電報の事で1996年の小説「ストックホルムの密使」でも描かれていた事だと思います。
それ以前にも、様々な人の回想録でもこの武官電報について触れられているんですがどうしてNHKは「今回初めて見つかった」かのように冒頭で言ったのでしょうか。〉――
だが、軍を含めた日本の権力上層部がこの電文情報に基づいてソ連参戦を前提とした戦争処理の言動に立っていないことのナゾは残る。
記事題名を「指導者の責任不作為」とした。既に意味はご存知だろうがと思うが、念の為にその意味を書いておくことにする。
【不作為】「自ら進んで積極的な行為をしないこと」(『大辞林』三省堂)
当然、「責任不作為」とは役目上、自らが引き受けて行わなければならない職務に関わる責任を積極的に果たさない行為を言うことになる。
総理大臣とか陸軍大臣、海軍大臣といったそれぞれの役割を負った指導者たちのそれぞれの役割を果たさない責任不作為はあまりにも倒錯的に過ぎ、何のためにそれぞれの役割に従事していたのか意味を失う。
番組全体の構成は、ヨーロッパ駐在の海軍武官から昭和20年5月24日を始めとして、「ヤルタ会談でソ連は対日参戦を約束した」等々伝える極秘電報が日本に逐次発信されていながら、その情報に基づいた終戦処理を行わず、徒に戦争を長引かせた上に電報通りのソ連参戦まで招いて多くの犠牲者を出した日本の指導者たちの“責任不作為”をクローズアップするという形を取っている。
上記以外の電報を列挙してみる。
「7月以降、ソ連が侵攻する可能性は極めて高い」
「7月末までに日本の降伏がなければ、密約通りソ連は参戦する」
「私達は重大な岐路に差し掛かっている。この機を逃せば、悪しき日として歴史に残るだろう。
確固たる決意を持って、戦争を終結に導き、和平への交渉に乗り出して欲しいと、切に願う」
次いで日本の終戦処理案としての、本土決戦で米軍に一撃を与えて有利な状況をつくってから終戦工作に出るという、その具体性について考えてみる。
戦争末期の1945年1月20日大本営制定の『帝國陸海軍作戦計画大網』によって本土決戦を策定、その準備を進めていくが、1942年6月5日~6月7日のミッドウェー海戦で日本側が大敗したことによって太平洋上の制海権を失い、1944年末には日本本土周辺の制海権・制空権共に失っている状況にあった。
失った結果、日本各地は米軍の恣(ほしいまま)の空襲に曝されることになった。
いわば日本本土周辺の制海権・制空権共に喪失した状況下の1945年1月20日に大本営は『帝國陸海軍作戦計画大網』を策定、米軍本土上陸を想定した本土決戦を最後の日本戦争勝利の手段と目した。
少なくとも1944年(昭和19年)11月14日から開始されて106回も繰返され、10万人以上の死者を出した1945年3月10日の日本の首都・日本の中心に対する東京大空襲は日本自体が制空権を全く失った、軍事的にほぼ裸にされた状況を示していて、その時点で本土決戦は撤回されるべきだったが、終戦間際まであくまでも最後の勝利の手段として固持していたということは、元々本土決戦策が具体的根拠もなく、そうだから具体的工程に基づいて成功への道筋を描いた全体像があったわけでもなく、成算も勝算もない、単に強がって拳を振り上げた虚勢に過ぎなかったことを示しているはずだ。
要するに確固たる勝利の戦略を全面的に失った中で縋りついた、見せかけは勇ましい、軍の体面を保つシナリオといったところだろう。本土決戦となれば、米側は被害を最小限に抑えるために陸上戦闘よりも空爆を多用するはずである。抗戦が手一杯で、反撃までいく可能性があっただろうか。
こういった展開を予想した場合、当然、米軍側よりも日本側が民間人を含めてより被害が大きい消耗戦となるのは分かっていたはずだ。
このことは沖縄戦に於ける日本側の人的被害が軍人と民間人合わせて18万人に対して米軍としては太平洋戦争全体で最大の犠牲であったということだが、1万2500人程だという記録があることを見ても理解できる。
そもそもの日米開戦の出発点にしても、日本の国力の幾層倍もの大国アメリカを相手に戦争を仕掛けたこと自体が確固たる勝利の全体像を描いた上の行動ではなく、単に日本民族優越性の力を背景として拳を振り上げた強がりに過ぎなかったはずだ。
当時の日米の国力の大きな差は多くが認識しているはずだが、HP――《欧州情勢と日米戦争経営状況》に次のような記述がある。
〈1934年(注・1941年の間違い?)の開戦時の日米双方の国力は、生産力で見ると世界を100として見た場合、日本=7、米国=40程度になります(戦時で無理な生産をしているので、絶対比率が各国より増大しているので数字も大きくなります)。また、国力全体を含めた戦争遂行能力(経済力、工業力、資源、人口などの総合評価したもの)は、日本=6、米国=32程度になります。〉云々。――
しかも日本は石油の6割以上をアメリカからの輸入に頼っていながら、1941年(昭和16年)8月にアメリカから石油の対日全面禁輸を受け、国内石油備蓄量が民事・軍事を合わせて2年分しかなかった状況下で真珠湾攻撃の日米開戦を決した。
勝算も成算もなく大日本帝国陸海軍は対米戦争の拳を振り上げた手前、例え劣勢に立たされても、何で拳を振り上げたのだという批判を恐れる自己保身から降ろすに降ろせず、大本営は虚偽の戦果を発表してまでして拳の維持(=体面保持)まで謀ったが、一度そういった態度を取るとなおさら拳を降ろすことができなくなって、それが本土決戦、アメリカに一撃を加えてからという希望的観測に過ぎない改めての拳の振り上げを持ち出し、具体的根拠がないと分かっていても最後まで降ろすことができなかったのではないのか。
もしこの見方が当たっているとすると、ヨーロッパ各地の駐在武官から日本に打電された「ソ連参戦間近」の極秘電報が最後まで表に出てこなかったのは自己保身と体面から降ろすに降ろせない、具体性も実現性もない米に一撃の本土決戦の拳を、それ以前のソ連参戦によって具体性も実現性もないことまで含めてウヤムヤにしてくれる機会と目論んだ疑いも出てくる。
但しソ連参戦前に、これこそ予期もしていなかっただろう、広島(1945年8月6日)と長崎(1945年8月9日)に原爆を投下され、次は首都東京の可能性を疑ったはずで、長崎投下の前日の1945年8月8日、ソ連は対日宣戦布告を行い、8月9日午前零時を以って攻撃を開始、実際にも本土決戦の米一撃を、その非具体性・非実現性と共にどこかに吹き飛ばしてしまった。
日本軍を実現可能性もない本土決戦・米一撃の拳から解放した瞬間でもある。
あるいは実効性の証明がパスできた。
このことは陸軍にとって幸いなことだったはずだ。
米に一撃の本土決戦の拳が具体性も実現性も実効性も備えていたなら、何も本土決戦まで待たずとも硫黄島の戦いや沖縄戦で振り降ろしてもよかったはずである。
あとで触れるが、本土決戦に備えるために沖縄に送る予定の部隊を送らず、ただでさえ手薄の戦力を削ったことになり、振り上げ、振り降ろすべき沖縄戦の拳を効果あらしめることはなかった。
1945年2~3月の硫黄島の戦闘に於ける日本側死者は2万人弱、対してアメリカ側は7千人弱。少なくとも硫黄島の戦い、沖縄戦を、例え日本側の敗北に終わったとしても、互角に近い形で戦ってこそ、米に一撃の本土決戦は生きてくる。具体性も実現性も持ち得るはずだが、その逆であり、逆の反映としてある本土決戦の虚妄の拳でしかない具体性・実現性と見なければならないはずだ。
本土決戦を考案した軍人が戦後肉声証言している。
参謀本部作戦部長宮崎周一(録音音声)「ここ(本土)へ上がってきたときに。ここで一叩き叩けばね、えー、終戦というものを、ものに持っていく、その、動機が掴める。
それがあのー、私が、その、本土決戦というものを、あれ(計画)を一つの、動機になるんだが」
「Wikipedia」に宮崎周一に関して次のような記述がある。
〈1944年10月、陸軍中将に進み、同年12月14日、帝国陸軍最後の参謀本部第1部長に就任する。第1部長に就任した宮崎部長はすぐさま戦線視察に発ち、マニラでは捷一号作戦失敗を確認し本土決戦準備に入る事を決意する。宮崎部長主導のもと本土決戦に必要な兵力を参謀本部が見積もったところ、50個師団という驚くべき数になり陸軍省軍務局との間で論争が起こったが、最終的には3回の大動員で師団44個、旅団16個、戦車旅団6個等合わせて150万人の動員を実行することになった。この宮崎部長の本土決戦主義は沖縄作戦にも影響し、第9師団の抽出後代わりに沖縄へ充当される予定であった姫路第84師団の派遣を、船舶輸送の不安定を理由に独断で中止してしまい、戦後、「沖縄の現地軍を見捨てた」と批判されることになる。
戦後は1945年(昭和20年)9月2日、東京湾に停泊するアメリカ戦艦ミズーリ号の艦上で行われた降伏文書調印式に日本側全権代表団として参加。同年11月、史実部長に就任し、翌月、予備役に編入。1945年12月から1946年(昭和21年)12月まで第一復員省史実部長を務めた。〉――
既に兵員不足を来していたことを考えると、何個師団を動員しようとも、単なら数合わせで終わる確率が高く、兵力の質という点で具体性も実現性も期待不可能だったはずだ。
未成年者も含めた赤紙一枚の俄仕立ての素人兵を訓練期間もそこそこに切り上げて部隊に投入する程度である上に制空権・制海権まで失い、戦闘機の燃料まで枯渇状況で、松の根っこから油を搾った非生産的な松根油を代替燃料としていたお粗末な状況を見ると、計画だけ勇ましい拳にしか目見えない。
このことは1945年1月20日大本営『帝國陸海軍作戦計画大網』による本土決戦策定約2カ月10日後の沖縄戦(1945年4月1日~6月23日)で兵員不足から未成年者を既に軍用に駆り立てていたことが証明する。
〈沖縄本島地区における最終的な日本側の陸上兵力は、116,400人である。内訳は、陸軍が86,400人と海軍が1万人弱のほか、「防衛隊」と俗称される現地編成の補助兵力が2万人強である。陸海軍の戦闘員には、兵力不足から現地で召集された予備役などが多く含まれる。旧制中学校の生徒から成る鉄血勤皇隊や、女子生徒を衛生要員としたひめゆり学徒隊・白梅学徒隊なども組織された。〉(Wikipedia)
〈鉄血勤皇隊
太平洋戦争(大東亜戦争)末期の沖縄戦に動員された日本軍史上初の14ー17歳の学徒隊。徴兵年齢に達していない少年を動員した。法的根拠がなかったため、形式上は「志願」とされ親権者の承認が無ければ動員が出来ないことになっていた。しかし学校が同意もなく印鑑をつくり書類を作成したこともあり、事実上強制であったような例もある。
参加しなかった生徒の中には県立第二中学のように「配属将校が食糧がないことを理由」に生徒たちを家に帰したり、県立農林学校では「引率教師が銃殺される覚悟で生徒を家に帰した」という例もあった。〉(同Wikipedia)
不足は兵力だけではなく、武器も不足していた。米軍の空爆主体となるだろう戦いにどう抗戦するというのだろうか。
当然、宮崎周一が言う「一叩き叩けばね」は根拠も何もない希望的観測に過ぎないことになる。強がりの拳でしかなかったということである。
第2総軍参謀橋下正勝(録音音声)「もう国力も底を突いておるし、これが最後の戦いになると。
それで一撃さえ加えれば、政治的に話し合いの場ができるかも分からん。できなければ、我々は、もう、ここで、えー、討ち死にするなり。
南方の島と違う点は、島はそこで玉砕すれば終わりですがね、これはまだ本土続きですから、いくらでも援兵を送れると」
「いくらでも援兵を送れる」からと、陸地続きの地理的優位性を言っているが、アメリカにしたって制海権・制空権を握っていて、艦船・輸送機で兵を補充すれば、地続き同然の地理的優位性を確保していることと変わらない。
大体が国力が底を突いていて、どう満足な戦闘能力を持った援兵を送ることができるのか合理的に考える頭はなかったらしい。赤紙一枚でいくらでも兵隊を駆り集めることはできるが、アメリカ兵が所持している武器以上に性能の良い武器を与えることができるかも問題となる。
次の男になると、頭を疑いたくなる。合理的判断能力なるものは一切持っていないらしい。
松本俊一外務次官(録音音声)「この人(軍人)たちが世界の大勢、分かりますか。当時の外務省以上に分かるわけないですよ。それは外務省は敵方の情報も全部知ってるわけですからねー、裏も表も。
それは知らないのは陸海軍ですよ。陸海軍でいくら明達の人だってね、外務省だけの情報、持っていません。外務省がなぜかならですね、そのー、敵方の放送も聞いてるんです。分析しているでしょう。
日本の今の戦争の何がどうなっているか、みんな知ってますよね、外務省は」
無残な敗戦を迎えてのこの発言である。「外務省は敵方の情報も全部知ってるわけですからねー、裏も表も」の状況にありながら、その情報を活かすことができなかった。何のために「裏も表」も知っていたのか意味を失う。
また、「裏も表」も知っていたにも関わらず、原爆投下の事実やアメリカやイギリスに日本の暗号電文が解読されていた「裏」については知らなかった。
戦争に負けてもなお軍人よりも自分たち役人を上に置く権威主義を以って自らの優越性の証明とする心理には敗戦に対して何ら責任を感じていない意識があることによって可能となるはずである。
責任を感じ、反省する気持があったなら、軍人よりも上だ下だと言っている暇はない。責任の大小はあるだろうが、戦争を引き起こす政治権力の一翼を担っていた以上、例え小さな責任であっても、起こした戦争の愚かさ、その犠牲の大きさから見たなら、決して小さな責任で済ますことはできないはずだからだ。
次に先に上げた、本土決戦の『帝國陸海軍作戦計画大網』を大本営の立場で策定した参謀本部作戦部長宮崎周一の戦後の肉声証言を見てみる。
参謀本部作戦部長宮崎周一(録音音声)「物的、客観的情勢に於いて、大体に於いてできると。あるいは相当な困難、あるいは極めて困難。
まあ、この三つくらいに分けて、これは俺も考えた。(本土決戦は)極めて困難。はっきりいう。聞けば聞く程困難。極めて。
それじゃあ断念するかというと、それは断念できない、俺には。作戦部長の立場に於いて、そんなこと言うなんてことは、とても言えない。(一段と声を大きくして)思っても言えない」
本土決戦には50個師団が必要だ、何だと、当時の日本の戦争遂行能力からしたら計画倒れな拳を振り上げたそもそもの張本人である。
「(本土決戦は)極めて困難。はっきり言う。聞けば聞く程困難。極めて」と、本土決戦が実現可能性困難であるなら、その情報を軍上層部に具体的根拠を添えて伝え、説得するのが作戦部長としての責任のはずだが、「それじゃあ断念するかというと、それは断念できない、俺には。作戦部長の立場に於いて、そんな事言うなんてことは、とても言えない。(一段と声を大きくして)思っても言えない」と、職務上の責任不作為を得意げに誇っている。
この倒錯性は異常ですらある。悪夢と言っていい。
この責任不作為によって兵士と国民にどれだけ余分な犠牲を強いたのか、何ら反省する意識すら持っていなからこそ可能としている倒錯性であろう。普通の人間の感覚を備えてすらいない。
この程度の頭の軍人を大日本帝国軍隊の上層部に抱えていた。悲劇そのものである。
中国の前線視察から帰国した陸軍参謀総長の梅津美治郎が天皇に視察の上奏を行う。
陸軍参謀総長梅津美治郎(構成シーン)「支那派遣軍はようやく一大会戦に耐える兵と装備を残すのみです。以後の戦闘は不可能とご承知願います」
天皇は大きな衝撃を受け、内大臣木戸幸一に漏らす。
内大臣木戸幸一(録音音声)「要するに往年の素晴らしい関東軍もなきゃ、支那総軍もないわけなんだと。
碌なものはないという状況。艦隊はなくなっちゃってるだろう。それで戦(いくさ)を続けよというのは無理だよね。
要するに意地でやってるようなもんだから、(天皇も)大変なんだよとおっしゃっていたよ」
天皇はこのとき、戦争早期終結を決意したのだろう。
梅津上奏から間もない6月22日、天皇自らによる会議の開催は極めて異例の事態だと番組が伝えている国家トップ6人の招集を天皇は指示した。
6人とは内閣総理大臣鈴木貫太郎、外務大臣東郷茂徳、陸軍大臣阿南惟幾、海軍大臣米内光政、陸軍参謀総長梅津美治郎、海軍軍令部総長及川古志郎の面々である。会話は再構成による。
天皇「戦争を継続すべきなのは尤もだが、時局の収拾も考慮すべきではないか。皆の意見を聞かせて欲しい」
海軍大臣米内光政「速やかにソ連への仲介依頼交渉を進めることを考えております」
東郷外務大臣がこれに同意を示した。
天皇「参謀総長はどのように考えるか」
陸軍参謀総長梅津美治郎「内外に影響が大きいので、対ソ交渉は慎重に行った方がよいと思います」
天皇「慎重にし過ぎた結果、機会を失する恐れがあるのではないのか。
よもや一撃の後でと言うのではあるまいね」
陸軍参謀総長梅津美治郎「必ずしも一撃の後とは限りません」
陸軍参謀総長梅津美治郎は本土決戦前の和平の可能性に言及した。だが、陸軍トップは陸軍大臣阿南惟幾であるはずで、阿南の意向を確認しなければならないはずだが、果たして確認したのだろうか。
このことを無視するとしても、天皇は大日本帝国憲法第1章天皇第1条で、「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、第3条で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」、第11条で「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と、絶対権力者に位置づけられていたのである。
政治の実務を担う首相以下、陸軍大臣も海軍大臣も天皇の臣下である。帝国憲法の第4章 國務大臣及樞密顧問の第55条で「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ(天皇の行為に進言し、その責任を負うこと)其ノ責ニ任ズ」と書いてあろうが、絶対者天皇の臣下に過ぎない。
当然天皇は自らのリーダーシップで臣下の意思を自らの意志するところへと纏めていく権力を示してこそ、絶対権力者の名に違わない態度となるが、逆に臣下に対してお伺いを立てる姿勢を示し、最終的には臣下の態度に従っている。
要するに後者の姿勢こそ、天皇の現実の権力を示しているずだ。大日本帝国憲法に規定された天皇の絶対者としての有効性が実際の政治権力者たちに効力を持たないとなれば、その有効性は実際の政治権力者たち以外の一般国民が対象となり、一般国民をして天皇の名に於いて国民統治を容易とする装置に過ぎないことになる。
要するに絶対者としての姿は一般国民にのみの通用となる。
天皇のこの二重性(=二重権力構造)は歴史的に見ても伝統としているもので、その反映としてある当時の二重性(=二重権力構造)であろう。
そしてこの二重性は現在でも、政治権力を持たない国民統合の象徴という形で続いている。
この二重性によって、天皇は早期戦争終結を望みながら、政治指導者たちをその方向に向けてリードすることができず、結果として対ソ交渉にしても如何なる和平交渉も実現を果たすことができなかった。
ここに大日本帝国憲法の天皇の絶対性から見た場合の天皇の責任不作為が存在する。
但し権力の二重性から見た場合、責任不作為の謗りは当時の実質的政治権力者であるトップ6人にあるのは断るまでもない。
その結果、日本自らの手による戦争終結ではなく、広島と長崎の原爆投下、追い打ちを掛ける形のソ連参戦という外部からの衝撃が突き動かした戦争終結であって、それが本土決戦による米一撃後の終戦交渉という振り上げた拳を自然消滅させ、その非現実性・非具体性諸共葬り去ることができて、軍部はその点での体面を保つことができた。
天皇の終戦の聖断という名の終戦決意は実質的政治権力者が無能・責任不作為であるがゆえに不可能としたことを天皇に身代わりさせて可能とした結末であるはずである。
なぜなら、天皇の権力に二重性を持たせていたなら、実質的政治権力者自身が当時の日本の戦争維持能力を客観的に判断して自ら決定しなければならない早期終戦であったはずだが、逆に日米開戦で妄信でしかない日本民族優越性を頼りに振り上げた強がりの拳を体面から最後まで振り降ろすことができなかった手前、天皇が身代わりを演ずる以外に戦争終結の手はなかったからだ。
このことは番組が最後の場面で取り上げている肉声証言が証明してくれる。
内大臣木戸幸一(録音音声)「日本にとっちゃあ、もう最悪の状況がバタバタッと起こったわけですよ。遮二無二これ、終戦に持っていかなきゃいかんと。
もうむしろ天佑だな」
外務省政務局曽祢益(録音音声)「ソ連の参戦という一つの悲劇。しかしそこ(終戦)に到達したということは結果的に見れば、不幸中の幸いではなかったか」
自らが早期戦争終結を果たすことができず、国民の多くの命を奪った外部からの衝撃的出来事が与えた他力本願の戦争終結を以って、「天佑」だとか、「不幸中の幸い」だと広言する。
責任不作為がつくり出した結末だと把える意識はどこを探しても見当たらない。国民の命、国民の存在など頭になく、あるのは国家のみだから、国家の存続を以ってよしとして、「天佑」だとか、「不幸中の幸い」だと言うことができる。
天皇に戦争終結の任を頼るしかなかったのだ。
外務省政務局長安東義良(録音音声)「言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね(えへへと笑う)、あれは僕が考えた(再度笑う)。
終戦、終戦で押し通した。降伏と言えば、軍部を偉く刺激してしまうし、日本国民も相当反響があるから、事実誤魔化そうと思ったんだもん。
言葉の伝える印象をね、和らげようというところから、まあ、そういうふうに考えた」――
この言葉は最悪であり、醜悪そのものでる。
「降伏」を「終戦」と誤魔化したのは軍部や国民を刺激しないためだともっともらしい口実を設けているが、降伏という事実を事実そのままに降伏と受け止めずに、あるいは敗戦という事実を事実そのままに敗戦と受け止めずにその事実を誤魔化すことで、軍人に対しても国民に対しても歴史検証の目を歪める作用を施したのである。
だからこそ、日本人自身の手で戦争を総括する作業に取り掛かることができず、総括に関わる日本人による日本人自身の責任不作為を放置し、今以て侵略戦争を聖戦だとか、人種平等世界の実現を目的としたとか、あるいは総括しないままに国会で自分たちだけの戦犯の赦免決議(1953年8月3日)を一国主義的に行い、戦犯の名誉は法的に回復されている、A級戦犯は最早戦争犯罪人ではない、あるいは天皇制の維持だけを願った戦争を民族自衛の戦争だったと世迷言を口にする日本人が跡を絶たないことになる。
戦争に無残に敗北をしてもなお、当時の国家権力者層は権力の二重性を持たせた天皇を頭に戴く国の形を望んだに過ぎないことに今以て気づかない。
責任の所在がどこにあるのか認識もしない政治権力者たちの、認識しないがゆえの責任不作為は恐ろしい。
昨日の《(1)2012年日本敗戦日放送NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったのか」全文文字化- 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》の続きです。
前回の終わりは陸軍省軍務課長永井八津次の録音音声発言となっていましたが、メモ用紙の途中で私自身の注釈を加えておいたために、終わりだと勘違いして最後のところを書き漏らしてしまいました。その全発言を改めて記載、書き漏らした個所を青文字で書き加えておきます。以下のとおりです。
陸軍省軍務課長永井八津次(録音音声)「阿南さんの中は講和だったんですよねえ。初めっから講和なんです。阿南さんはね、ところが部下のものが非常に強く言うし、無条件降伏したときに天皇さんがどうなるのかっちゅう、ことがその当時から非常に大きな問題。
天皇様、縛り首になるぞと。こういうわけだ。
それでも尚且つ、お前らは無条件降伏を言うのかと。
誰もそれに対しては、『いや、それでもやるんだ』っちゅう奴は誰もおりませんよ。
その点がね、僕は、その、阿南さんの心境というものが非常にね、お辛かったと思うんですよ」
以上です。
余分なことかもしれませんが、そのとき私が用紙にメモした注釈を参考までに記載して起きます。
〈軍トップの頭の中には日本が戦争継続能力を失った状況を前提とした戦争継続の場合の国民や一般兵士の生命(いのち)、その犠牲は一顧だになく、国体護持(=天皇制維持)しか頭になかった。
徹底抗戦派の本土決戦で一撃を加えてから対米交渉に臨むと言うのは、制海権も制空権も失っている上に、軍用機を飛ばす満足な燃料さえ保持していなかった日本側に対してアメリカの圧倒的物量を前に一撃を加えることができる軍事力の具体的根拠は持ちようがなかったにも関わらず、天皇の軍隊と誇示してきた手前、徹底抗戦の有効な策も軍事力も失っていたことを素直に認めることができない単なる強がりがつくり出した希望的観測に過ぎなかったはずだ。
このことは一撃派が、本土侵攻米軍を中国大陸に配置した部隊とも連携して迎え撃つを策としていたこと自体が証明している。制海権・制空権を失った状況下で中国大陸から日本本土への部隊単位の移動を可能だと考えて言っていたとしたら、見上げた判断能力としか言い様がない。
強がりが可能とした合理的判断の喪失であろう。強がりは時として、一般常識さえ失わせる。
一億総動員の赤紙一枚で召集した俄仕立ての兵士を中国やその他に送るべく艦船に乗せたはいいが、目的地に上陸する前にアメリカ軍によってその多くが撃沈されているのである。
軍トップがもし国民や一般兵士の生命(いのち)を少しでも考える頭があったなら、講和派なら、講和派としてのリーダーシップ(=指導力)を何らか発揮していたはずだ。国体護持付きの準無条件降伏案とかを創造して、対内的には軍隊、対外的にはアメリカの承認を得るといった動きに奔走すべきリーダーとしての責任を負っていたはずだが、その責任遂行意志を示すどころか、逆に責任不作為に陥っていた。責任の機能不全を来していた。
国体護持を条件としなければ、軍内部の暴発を招きかねないと正直に訴えても良かった。だが、軍トップとして、軍内部の暴発といった危険性の提示は責任上からもメンツから言ってもできなかったとしたら、自己保身と責任回避意識に凝り固まっていたことになる。
このことは随所から窺うことができる。
責任不作為と責任の機能不全は自己保身を出発点とした資質であって、このことを可能としたのは一にも二にもなく、国民や一般兵士の生命(いのち)、その犠牲を些かも頭に置いていなかったからであって、その想像性欠如が終戦終結の先送りへと繋がっていたはずだ。〉
以下から、後半部分。
ナレーション(女性)「この頃、海軍にヨーロッパの駐在武官から重大な情報がもたらされた。(昭和20年)6月7日の高木(惣吉)の記録」
記録した用紙と文字が画面に映し出される。
ナレーション(女性)「スイスの駐在武官が極秘にアメリカ側と接触しを続けた結果、驚くべきことを伝えてきた。
アメリカ大統領と直接つながる交渉のパイプができそうだというのです。アメリカの言う無条件降伏は厳密なものではない。今なら、戦争の早期終結のため交渉に応じるだろうという報告であった。
これを千載の一遇の機会と見た高木(惣吉)は米内(海軍大臣)を訪れた。ソビエトに頼るのではなく、アメリカと直接交渉すべきだというのが、高木の考えだった」
高木惣吉と米内海軍大臣の写真を用いて模したテーブルを挟んで会話するシーン。
海軍少将高木惣吉(構成シーン)「直接、アメリカ側と条件を探るチャンスです。この際、このルートを採用すべきです」
海軍少将高木惣吉(録音音声)「私は米内さんに、もし私でよかったら、(スイスに)やってくださいと」
ナレーション(女性)「しかし米内の返答は高木を失望させるものだった」
海軍大臣米内光政(構成シーン)「謀略の疑いがあるのではないのか」
海軍少将高木惣吉(録音音声)「これは陸軍と海軍を内部分裂させる謀略だと、こういうわけなんです」
ナレーション(女性)「米内はこの交渉から海軍は手を引き、処理を外務省に任せるよう指示した。
もしアメリカの謀略なら、日本は弱みを曝すことになり、その責任を海軍が負わされることになると恐れたのだ。
米内が手を引くよう指示したアメリカとの交渉ルート。このとき相手側にいたのはのちにCIA長官となるアレン・ダレスだった。最新の研究によると、アメリカ国内では当時ソビエトの影響力拡大への警戒感が高まっていた。ソビエトが介入してくる前に速やかに戦争を終結させるため、日本に早めに天皇制維持を伝えるべきとする考え方が生まれていた。
ダレスを通じた交渉ルートは進め方によっては日本に早期終戦の可能性をもたらすシャンスだった」
海軍少将高木惣吉(録音音声)「私はね、スイスの工作なんか、もっと積極的にやってよかったんじゃないかと思うんですよ。日本はもうこれ以上悪くなりっこないじゃないかと。
内部だってね、もうバラバラじゃないかと。だから、落ちたって、騙されたってね、もうこれ以上悪くならないんだから、藁をも掴むでね。もしそれからね、ヒョウタンからコマが出れば拾い物じゃないかと」
ナレーション(女性)「一方、ダレスの情報を海軍から持ち込まれた外務省が当時模索していたのはソビエトを通じた和平交渉だった。
スイスのルートは正式な外交ルートから外れたものとして、その可能性を真剣には検討しなかった」
外務次官松本俊一(録音音声)「例のアレン・ダレス辺りね、あんなもの無意味ですから。僕ら情報持っていたけど、そんなものは相手にしたくもない。謀略だと思うね」
再び加藤陽子と岡本行夫、姜尚中の3人の検証シーン。
加藤陽子「宮崎参謀作戦部長など、本当にもう本土決戦は無理だと、極めて困難だと。しかしそれを言えないっていうことを言ってました。
ただ、沖縄でも、組織的な抵抗、敗退する。そしたら、本土だけになって、まあ、状況が決定的に変わったにも関わらず、なぜ、やはり4月に、5月に、6月に取れた情報、ソビエトが必ずやってくるということが分からないのか」
岡本行夫「もう本当にタコツボに入っちゃうと、周りのことが一切見えなくなるっていうのは、悲しい限りですねえ。
今最後のVTRでね、松本俊一外務次官が言ったね、ダレス機関なんて言うのは、あれは信用できないとかね、そんなこと言ったら、新しい話はすぐに信用できないで片付けられる。
だから、基本的には武官からの情報だから、ダメだって言うわけでしょ。これは高木惣吉さんが残念がるのは無理もない話しですねえ。
あれで本当にね、動き始めたかもしれないですねえ。だけど、外務省が取ってきた情報じゃないってことで、切って捨てるわけでしょ」
加藤陽子「例え切り捨てでしたら、情報などと統合する、何て言うんでしょうか、帝国防衛委員会というようなプライオリティ、ランクなんですよ。何が重要なのか。それを決める会議があって、それで様々な、10万とかたくさんの情報を処理することが、その会議とのフィルターを通じてできる。
で、アメリカも、国家安全保障委員とかもある。だから、日本も、日本にとって、じゃあ何が大事なのか」
姜尚中「やっぱり国務大臣は各独立して天皇に対して輔弼の責任を負うと。で、独立してっていう言葉の所に非常に大きな意味があるし、ところがいつの間にか輔弼ってところが我々ば普通考える政党政治のリーダーシップとまるっきり違うものに――」
姜尚中の発言中に――
大日本帝国憲法下の国務大臣の権限は互いに独立・平等
輔弼 天皇の行為に進言し、その責任を負うこととキャプション。
加藤陽子「政策を統合して陛下に上げるという、そういうことではないという――」
姜尚中「なくなっているということでしょうね。だから、どこかでやっぱり天皇にすべてのことを結局、具申していないし、まあ、現状そのものを追認するだけでいいし。
だから、外側からは局面転換はモメンタム(きっかけ)をね、まあ、期待するという、ある種の待機主義、待っているという――」
加藤陽子「なる程――」
竹野内豊「近い将来、敗北を受け入れなければならないことはリーダーたちは分かっていた。しかしその覚悟は表には現れない。刻々と過ぎていく決定的な時。
そうした中、カギを握る陸軍のリーダーが動き出す」
ナレーション(女性)「徹底抗戦の国策が決定された直後の6月11日、異例の報告が陸軍トップによって天皇になされた。中国の前線視察に出かけていた(陸軍)参謀総長の梅津美治郎が側近にも打ち明けていない深刻な事実を奏上した。
陸軍参謀総長梅津美治郎(構成シーン)「支那派遣軍はようやく一大会戦に耐える兵と装備を残すのみです。以後の戦闘は不可能とご承知願います」
ナレーション(女性)「陸軍の核を握っている精鋭部隊にすぐに徹底抗戦は愚か、一撃すら期待できない程弱体化しているというものだった」
中国戦線なのだろう。日本兵の一塊となって隙間もなく累々と横たわった死者が映し出される。
ナレーション(女性)「日頃は冷静だった梅津の告白に天皇は大きな衝撃を受けた。
天皇から直接その様子を聞いたのが内大臣の木戸幸一」
内大臣木戸幸一(録音音声)「要するに往年の素晴らしい関東軍もなきゃ、支那総軍もないわけなんだと。
碌なものはないという状況。艦隊はなくなっちゃってるだろう。それで戦(いくさ)を続けよというのは無理だよね。
要するに意地でやってるようなもんだから、(天皇も)大変なんだよとおっしゃっていたよ」
明治大学講師山本智之「支那派遣軍の壊滅状態を天皇に報告すれば、天皇も気づくと思うんですよね。これは本土決戦できないということは。
天皇にそういう報告をしたって言うことは、梅津が天皇に対しまして、戦争はできないって言っていることと同じなんですね」
ナレーション(女性)「予想を遥かに超える陸軍の弱体化。一撃後の講和という日本のベストシナリオは根底から崩れようとしていた。
梅津の上奏から間もない6月22日、天皇が国家のトップの6人を招集した。天皇自らによる会議の開催は極めて異例の事態。
支配していたのはリーダーたちに国策の思い切った転換、戦争終結に向けての考え方が問いかけられた」
天皇(構成シーン)「戦争を継続すべきなのは尤もだが、時局の収拾も考慮すべきではないか。皆の意見を聞かせて欲しい」
海軍大臣米内光政(構成シーン)「速やかにソ連への仲介依頼交渉を進めることを考えております」
ナレーション(女性)「東郷外務大臣もこれに同意を示した。
決戦部隊の弱体化とソビエトの参戦が近いという情報。国家に迫る危機の大きさを全員が共有するチャンスがこのとき訪れていた。
ここで(天皇は)梅津参謀総長に問いかける」
天皇(構成シーン)「参謀総長はどのように考えるか」
陸軍参謀総長梅津美治郎(構成シーン)「内外に影響が大きいので、対ソ交渉は慎重に行った方がよいと思います」
ナレーション(女性)「梅津は見てきたはずの陸軍の実態に触れなかった」
明治大学講師山本智之「梅津、阿南が戦争終結を願いながらも、主戦派の排除に、主戦派を排除し切れないっていうね、そういった背景でそういう発言をするのではないかと。
排除し切れていないんですよね。結構不安もある」
ナレーション(女性)「しかし天皇は異例にも梅津に問いかけを続けた」
天皇(構成シーン)「慎重にし過ぎた結果、機会を失する恐れがあるのではないのか」
小谷防衛研究所調査官「天皇の意図としては自分がこうやって臣下の者たちと腹を割って話し合おうという態度を見せているわけですから、おそらく、天皇としては本当に梅津や阿南が主戦派なのか、もしくは心の奥底では実は和平を望んでいるのかと、そういうところを確認したかったんだろうと思います」
ナレーション(女性)「しかし梅津も阿南も重大な事実は口を噤んだままだった」
陸軍参謀総長梅津美治郎(構成シーン)「仲介依頼は速やかなるものを要します」
ナレーション(女性)「 天皇は梅津に詰め寄る」
天皇(構成シーン)「よもや一撃の後でと言うのではあるまいね」
陸軍参謀総長梅津美治郎(構成シーン)「必ずしも一撃の後とは限りません」
ナレーション(女性)「軍の最高幹部が一撃後の講和というベストシナリオに拘らないという姿勢を初めて表した瞬間だった。
しかしこの段階になっても、軍の実態とソビエトの参戦が近づいているという重要な事実はリーダーの間で共有されることはなかった。
宮中に於ける政治動向分析の第一人者、茶谷誠一成蹊大学文学部助教授。
この会議が早期に終戦に持ち込む最大のチャンスだったと把えている」
成蹊大学文学部助教授茶谷誠一「一撃を加えられない。じゃあ、どうしようかというふうなことを6人の中でもっと真剣に22日にやっておけなかったのかという言うのは、ちょっと現代人の我々から見れば、それは責任というか、もうちょっとある程度真剣に最後の引き際をもうちょっと早く考えられなかったのかと。
事態が事態なわけで、双方から上がってきた情報というものを少なくとも最高戦争指導会議の構成員である6人が共有するようなシステムにしていれば、事態がもっと早く動いていた可能性もあるわけなんですけども――」
ナレーション(女性)「 水面下の工作に奔走していた高木惣吉海軍少将。破局を前に決断をためらうリーダーたちに失望を露にしていた」
海軍少将高木惣吉(録音音声)「非常にそれは阿南さんばかりじゃない。日本の政治家に対して私が訴えたいのはね、腹とね、公式の会議に於ける発言と、そういう表裏が違っていいものかと。
一体(苦笑)、国家の命運を握った人がね、責任ある人がね、自分の腹と違ったことを公式のところで発言して、もし間違って自分の腹と違った決定になったら、どうするのか。
職責がどうだとか、ああだとか、言われるんですよ。それはご尤もなんですよ。
だけど、平時にはそれでいい。だけど、まさにね、そのー、祖国が滅びるかとうかというような、そういう非常事態に臨んでですね、そういう平時のね、公的なね、解釈論をやっている時期じゃないじゃないかと。
自分は憎まれ者になってもですよ、あるいは、その、平時の習慣を踏み破ってもですね、この際もう少しおやりになってもいいじゃないかというのが、僕らの考えだった」
ナレーション(女性)「 天皇招集の異例の会議から3日後、沖縄戦は敗北に終わった。軍人と民間人、合わせて18万人が犠牲となった」
再度、加藤陽子、岡本行夫、姜尚中が登場。なぜ方針転換を決断できないのかのキャプション。
加藤陽子「今回のVTRや調査で明らかになった6月22日、これは天皇がかなりリーダーシップ取っておりますね。
だから、私も非常に不明だったんですが、8月の二度のいわゆる天皇による聖断ですね。あれでガッと動いたと思ったんですが、その前に(6月)22日の意思がある。一撃しなくても、講和はあり得るでしょうねってことが天皇が確認したことが一件あった。
なーんで組織内調整、じゃあ6人の会議の中に天皇が参加したときの組織内調整ができないのかっていうのが、どうでしょうか。仲間意識とか、そういうことで言うと、姜さんは」
姜尚中「6人ともやっぱ官僚ですよね。必ずしも官僚は悪いとは思わないけど、やっぱり矩(のり)を超えずっていうところにね、とどまったんじゃないかと。自分の与えられた権限だけにね、
だからそこに逃避していれば、火中の栗を拾わなくても済むと。それはやっぱり優秀であるがゆえに逆に。
で、これは今でも僕は教訓だと思うんです」
岡本行夫「それにしてもねえ、ヤルタでの対日ソ連参戦の秘密合意についての情報が天皇にまで伝わっていれば、それは歴史変わっていたと思いますね。
6月22日の御前会議のもっと早い段階で天皇は非常に強い聖断、指示をしていたのではないかと。
そうするとね、沖縄戦に間に合っていたかどうか分かりませんが、少なくとも広島、長崎、そしてソ連の参戦という舞台は避けられていた可能性はありますねえ」
加藤陽子「だけど、本当のところで、終戦の意志を示す責任はあるというのは内閣なんだろうってことを、自分が背負っている職務って言うんでしょうか、一人、こんな私が日本を背負っているはずがないというような首相なり、あの、謙遜とか、非常に謙虚な気持で思っているかもしれない。
でも、そうは言っても外交なんで、内閣が輔弼する、つまり外務大臣と内閣総理大臣、首相なんですよね」
姜尚中「やっぱ減点主義で、だから、何か積極的な与えられた権限以上のことをやるリスクを誰も負いたくないわけ。
その代わりとして、兎に角会議を長引かせる。たくさんの会議をやる。(笑いながら)で、会議の名称を一杯つくるわけですよね。
で、結局、何も決まらない。いたずらに時間が過ぎていくという。会議だけは好きなんですね。みんな」
加藤陽子「日本人はそうかもしれない」
姜尚中「たくさん会議をつくる」
岡本行夫「戦争の総括をまだしていないんですよねえ。日本人自身の手で、誰が戦争の責任を問うべきか、どういう処断をすべきかってことは決めなかった。
そして日本人は1億総ザンゲ、国民なんて悪くないのに、お前たちも全員で反省しろ。
で、我々はもうああいうことは二度としませんと。だから、これからは平和国家になります。一切武器にも手をかけません。
そういうことでずうっと来ているわけです。本来は守るべき価値、国土、自由っていうのがあるんですねえ。財政状況だって、あれ、戦争末期と今とおんなじで、財政赤字、国の債務のレベルになると、GDPの、戦争の時200%、今230%ですよね。
それは本当にね、我々は勇気を持って、戦争を題材に考えるべきことだと思います」
姜尚中「岡本さんのとことにもし付け加えるとすると、やっぱり統治構造の問題ですね。
で、やっぱり原発事故、ある種やっぱり、その戦争のときの所為とその後の、ま、ある種の無責任というか、それはちょっとやや似ている。
それで、やっぱり現場と官邸中枢との乖離とか、それから情報が一元化されていない。
で、どことどこの誰が主要な役割を果たしたのかもしっかりと分からない。それから、議事録も殆ど取られていない。
で、そういうような統治構造の問題ですね、これをやっぱりもう一度考え直さないといけない。で、まあ、そういう点でも、変えるべきものは変えないといけないんじゃないかなあと、気は致しますね」
竹野内豊「この頃、東郷外務大臣宛にヨーロッパの駐在外交官から悲痛な思いを訴えた電文が届いている」
「昭和20年7月21日 在チューリッヒ総領事神田穣太郎電文」のキャプション。
竹野内豊「『私達は重大な岐路に差し掛かっている。この機を逃せば、悪しき日として歴史に残るだろう。
確固たる決意を持って、戦争を終結に導き、和平への交渉に乗り出して欲しいと、切に願う』
決定的な瞬間にも方針転換に踏み出せなかった指導者たち。必要だったのは現実を直視する勇気ではなかっただろうか。
終戦の歴史はいよいよ最終盤を迎える」
「昭和20年7月16日 アメリカ・ニューメキシコ州」のキャプション
原子爆弾の巨大なキノコ雲が噴き上がる瞬間を撮影した古いフィルの映像。
ナレーション(女性)「7月中旬アメリカは原子爆弾の実験に成功した。
日本の関東軍に忍び寄る極東ソビエト軍。刻々と増強の報告が入っていた。
そして米英ソの首脳の間で間もなく日本の終戦処理について話し合いが行われるとの情報が届く。
トップ6人はソビエトとの交渉の糸口が掴めないまま虚しく時間を費やしていた。
こうした中、ある人物が政府に呼ばれる。元首相近衛文麿。緊急の特使としてソビエトに赴き、交渉の突破口をつくって貰おうという案が浮上した。
近衛特使にどのような交換条件を持たせるべきか、6人の間で再び議論が始まった」
外務大臣東郷茂徳(構成シーン)「米英ソの会談が間もなく開催される。その前に戦争終結の意志を伝えなくてはいけない。
無条件では困るが、それに近いような条件で纏める外(ほか)はない」
ナレーション(女性)「東郷外務大臣は思い切った譲歩の必要を説き続けた」
陸軍大臣阿南惟幾「そこまで譲ることは反対である」
外務大臣東郷茂徳「しかし日本が具体的な譲歩を示さない限り、先に進むことはできない」
海軍大臣米内光政「東郷さん、その辺りで纏めておきましょう。陸軍も事情があるでしょうから」
ナレーション(女性)「会議は交渉条件を一本化するには至らなかった。具体化した条件を各組織に持ち帰り、部下を説得するメドがこの段階でも立たなかった。
小谷防衛研究所調査官「御前会議ですとか、政府連絡会議、もしくは最高戦争指導会議、まあ色んな会議をやっていますけども、会議が決めることができないんですよ。要は決める人がいないわけですね。
首相も外務大臣も、陸海軍大臣、参謀総長、軍令部総長にしろ、みんな平等に天皇に仕える身分なわけでありながら、誰か勝手にイニシアチブを取ってですね、決めることができない構造になってるわけです」
ナレーション(女性)「一方特使派遣の交渉を指示されたモスクワの佐藤尚武大使からは危機感に満ちた電報が繰返し届いた。
駐ソビエト日本大使佐藤尚武(構成シーン)「ソ連は今更に近衛特使が何をしに来るのか疑念を持っている。日本側が条件を決めて来ない限りソ連は特使を受け入れるつもりはない」
ナレーション(女性)「これに対して東郷外務大臣は苦しい説得を続けた」
外務大臣東郷茂徳「現在の日本は条件を決めることはできない。そこはデリケートな問題だからだ。条件は現地で近衛特使に決めて貰うしかないのだ」
ナレーション(女性)「国内の調整をすることを諦め、外交交渉の既成事実で事態を打開をしようという苦渋の一手だった。
しかし近衛特使派遣という策は手遅れとなった。派遣を打診して2週間。ソビエト首脳はドイツ・ポツダムのイギリスとの会談に出発してしまった。
日本のチャンスは失われた」
キャプション
昭和20年7月26日 ポツダム宣言発表
日本に無条件降伏を勧告
米英粗首脳が握手するシーンが流される。
キャプション
昭和20年8月6日 広島に原爆投下
死者14万人
8月9日 長崎に原爆投下
死者7万人
同日、ソ連が中立条約を破棄
対日宣戦布告
死者30万人以上
シベリア抑留者57万人以上
破局的な形できっかけがもたらされるまで、国家のリーダーたちが終戦の決断を下すことはなかった。
内大臣木戸幸一(録音音声)「日本にとっちゃあ、もう最悪の状況がバタバタッと起こったわけですよ。遮二無二これ、終戦に持っていかなきゃいかんと。
もうむしろ天佑だな」
外務省政務局曽祢益(録音音声)「ソ連の参戦という一つの悲劇。しかしそこ(終戦)に到達したということは結果的に見れば、不幸中の幸いではなかったか」
外務省政務局長安東義良(録音音声)「言葉の遊戯ではあるけど、降伏という代わりに終戦という字を使ったてね(えへへと笑う)、あれは僕が考えた(再度笑う)。
終戦、終戦で押し通した。降伏と言えば、軍部を偉く刺激してしまうし、日本国民も相当反響があるから、事実誤魔化そうと思ったんだもん。
言葉の伝える印象をね、和らげようというところから、まあ、そういうふうに考えた」
8月15日、玉音放送。直立不動の姿勢で、あるいは正座し、両手を地面に突いて深く頭を垂れ、深刻な面持ちで聞く、あるいは泣きながら聞く皇居での国民、あるいは各場所の国民を映し出す。
ナレーション(女性)「厳しい現実を覚悟し、自らの意志でもっと早く戦争を終えることができなかったのか。
空襲、原爆、シベリア抑留による犠牲者、最後の3カ月だけでも、日本人の死者は60万人を超えていた」
極東国際軍事裁判所
ナレーション(女性)「終戦に関わったリーダーたちはそれぞれの結末を迎えた。陸軍大臣阿南惟幾、昭和20年8月15日自決。参謀総長梅津美治郎、関東軍司令官時代の責任を問われ、終身刑。獄中にて昭和24年病死。外務大臣東郷茂徳 開戦時の外務大臣を務めていた責任を問われ、禁錮20年。昭和25年。服役中病死。
一方、内閣総理大臣鈴木貫太郎、海軍大臣米内光政、軍令部総長豊田副武(そえむ)は開戦に直接関与していなかったとして、責任を問われることはなかった。
東郷の遺族の元からある資料が見つかった」
東郷和彦「これが(赤い表紙の手帳)1945年の東郷茂徳が書いていた日誌のような手帳ですね」
ナレーション(女性)「 東郷外務大臣が終戦に奔走した昭和20年につけていた手帳。孫の和彦さんの心に強く残った言葉があった」
東郷和彦「軍がやろうとしていたことができなくて、もう勝つ方法は全くないような意味なんだと思うんです。
これは一言なんですけどね、あの、非常に緊迫感があります」
ナレーション(女性)「『国民の危急 全面的に』
この言葉が書かれたのは6月22日。天皇が自ら6人を呼び、国策の方針転換を問いかけた日である。
このとき(この日に)、ソビエトの参戦情報を把握できなかったことを東郷は戦後悔やみ続けた」
東郷和彦(東郷茂徳が著した単行本らしきものを開いて)「ヤルタで(ソ連が)戦争ということを決めていたことに、その、『そういうことを想像しなかったのは、甚だ迂闊の次第であった』と。
もう本当に恥ずかしいというか、迂闊だったと。
こうしてここに書かざるを得ない程、辛いことだった――」
ナレーション(女性)「 そしてもう一人、最後まで終戦工作に奔走した高木惣吉の親族の元から未発表の資料が見つかった。
高木が戦争を振り返って、記した文章である」
『六とう新論』の題名のついた昔風の書物。
(「とう」は「偉」の右側の旁(つくり)を篇とし、「稲」の旁(つくり)を旁とした漢字。「袋」の意味で、変じて「包み隠す」という意味もあるとのこと。想像するに、六つの袋に隠した当時の事実(=真実)といった意味を持たせているのかもしれない。)
ナレーション(男性)(読み)「現実に太平洋戦争の経過を熟視して感ぜられることは戦争指導の 最高責任の将に当たった人々の無為・無策であり、意志の薄弱であり、感覚の愚鈍さの驚くべきものであったことです。反省を回避し、過去を忘却するならば、いつまで経っても同じ過去を繰返す危険がある。
勇敢に真実を省み、批判することが新しい時代の建設に役立つものと考えられるのです」
竹野内豊「310万の日本人、多くのアジアの人々。この犠牲は一体何だったのか。
もっと早く戦争を終える決断はできなかったのか。そして日本は過去から何を学んだのか。
この問いは私たちにも突きつけられているように思う」
(以上)
ここでは一切たいしたことはない論評を加えずに、文章化したままを掲載することにした。日を改めて、大したことのない論評を加えたいと思う。
皆さんは皆さんなりに解釈して欲しい。
文字化と清書に年寄りにはきつい程大変時間がかかるために、(1)と(2)に分けることにした。(2)は明日。
NHKSP「終戦 なぜもっと早く決められなかったの」(2012年8月15日放送)
若手俳優の竹野内豊が進行役の一人を務めている。
放送局側の進行役の、「~しました」といった丁寧語は省略して、「~した」というふうに表現することにする。
望む人の記憶に供するために可能な限り忠実に際限したいと思う。
竹野内豊「今日は8月15日。多くの犠牲を生んだ太平洋戦争が日本の敗北で終わった日である。なぜあのとき、日本はアメリカと戦い続けたのか。なぜもっと早く戦争をやめることができなかったのか。
NHKではこれまで未公開だった資料や膨大な関係者の証言を検証してきた。その結果、新たに多くのことが分かってきた。敗戦間際まで本土決戦を叫んでいた、日本の指導者たちは実は早い時期から敗北を覚悟し、戦争終結の形を模索していた。
ならばなぜ、戦争終結の決断はできなかったのか。
67年前の歴史の闇に迫りたいと思う」
ここで画面に、『終戦 なぜ早く決められなかったのか』(The end of the war)の文字。
オリンピック開催中のロンドンが映し出される。
ナレーション(女性)「イギリス、夏のオリンピックが開催されたイギリス・ロンドンから、戦争末期の日本の歴史観を塗り替える大きな発見があった」
イギリス国立公文書館建物。その内部。
ナレーション(女性)「第2次対戦当時の膨大な機密書類が保管されている」
イギリス人女性館員「これは当時の日本の外交官や武官が本国と遣り取りしていた極秘電報です。それをイギリス側が解読していたのです
ナレーション(女性)「(『ULTR』)ウルトラと呼ばれる最高機密情報。この中に日本のヨーロッパ駐在武官が東京に送った暗号が残されている。数千ページもの極秘電報の中から今回見つかったのは戦争末期の日本の命運を左右する、ある重大な情報である」
昭和20年5月(24日)、スイス・ベルンの海軍武官電報。
『ヤルタ会談でソ連は対日参戦を約束した』
ナレーション(女性)「当時の日本が知らなかったとされるソビエトの対日参戦情報である。
昭和20年8月9日、ソビエトは中立条約を破棄して侵攻した。敗戦の決定打ともなった対日参戦が日本では不意打ちだったとされてきた。
この半年前(昭和20年2月)、ヤルタ会談でアメリカ、イギリス、ソビエトの間で密約の形で取り決められたソビエトの対日参戦。もし日本がこの情報を事前に掴んでいたなら、終戦はもっと早かったとも言われてきた。
しかし情報が届いていたことが確認されている」
ヤルタ会談でのチャーチル、ルーズベルト、スターリンの写真が映し出される。
ナレーション(女性)「情報が届いていたにも関わらず、なぜ早期終戦に結びつかなかったのか」
防衛省防衛研究所の建物。
小谷防衛研究所調査官「これは結構新発見じゃないですか」
ナレーション(女性)「情報機関の研究が專門の防衛研究所、小谷賢調査官。NHKと共に共同で極秘電報の分析に当たってきた。
参戦情報の報告は一通だけではなかった。6月(昭和20年6月8日)、リスボンの陸軍武官電」
男性ナレーション「7月以降、ソ連が侵攻する可能性は極めて高い」
ナレーション(女性)「同じ6月(昭和20年6月11日)、ベルンの海軍武官から」
男性ナレーション「7月末までに日本の降伏がなければ、密約通りソ連は参戦する」
ナレーション(女性)「驚くことにヨーロッパの複数の陸海武官が迫り来るソ連参戦の危機を刻々と警告していた」
小谷防衛研究所調査官「今までは日本政府は陸海軍共、ヤルタの密約については何も分かっていなかったと。で、8月9日のソ連参戦で初めて、皆がびっくりしたというのが定説だったと思いますけれども、やはり情報はちゃんと取れていたことがですね、この資料から明らかになっていると思います。再考証が必要になってくる事態ではないかと思います」
ナレーション(女性)「早くから把握されていたソビエトの参戦情報。その一方で研究者や公的機関に残されていた軍や政府関係者の專門の証言テープからも、新たな事実が浮かび上がってきた。
国のリーダーたちは内心では終戦の意志を固めながら、決断の先送りをしてきたことが明らかになってきた」
陸軍省軍務課長(録音音声)「阿南(陸軍大臣)さんの腹ん中は講和だったんですよねえ。初めっから講和なんですよねえ。
ところが(徹底抗戦を)主張せざるを得なかったわけですよね」
終戦工作担当海軍少将(録音音声)「3人以上だとね、あの人(鈴木貫太郎首相)何も喋らない。だけど、差しだと本当のこと言うんです。腹とね、その公式の会議に於ける発言とね、表裏がね、違って、一体いいものかと――」
後に出てくる高木惣吉海軍少将のことらしい。
ナレーション(女性)「大戦に於ける日本人の死者310万人。犠牲者は最後の数カ月に急増していた。
そしてシベリア抑留者、中国残留孤児、北方四島問題など、後世に積み残される様々な課題が戦争最後の時期に発生した。
もっと早く戦いをやめ、悲劇の拡大を防げなかったのだろうか」
『熊本県人吉町』のキャプションとその街のシーン。
ナレーション(女性)「終戦の歴史を紐解く上で重要な一人の軍人の故郷(ふるさと)が熊本県にある。川越郁子さん。親族として個人が残した膨大な資料を大切に保管してきた。
海軍少将高木惣吉。戦争末期、海軍トップの密命を受け、戦争終結の糸口を探る秘密工作に当たっていた人物である。終戦工作の過程を克明に記録したメモ等が近年になって次々と発見され、殆ど記録に残っていない戦争末期の国家の舞台裏が生々しく蘇ってきた」
録音機と数多いテープの映像。
ナレーション(女性)「未公開の内容を多数含む複数の肉声の存在も明らかになった」
海軍少将高木惣吉(録音音声)「目ぼしい連中をね、当たって、『どうだろう、終戦をやろうじゃないか』、陰謀をやってたわけなんです。松本くん(陸軍大佐松谷誠)とはしょっちゅう会ったし、個人的にも会ってね、段々こうして話しているとね、こんなにね、(戦争終結の)見通しっていうのは違っていないんですよ。やっぱりね。
終戦という言葉は使いませんよ。だけど、戦局はもう、ものすごくクリティカル(重大)な点にきているというようなね、そういう表現で、殆どの意見はそんなに変わらない」
主たる登場人物の肩書きと写真。
海軍大臣 米内光政(よない みつまさ)
陸軍大臣 阿南惟幾(あなみ これちか)
外務大臣 東郷茂徳
宮中(内大臣) 木戸幸一
海軍少将 高木惣吉
陸軍大佐 松谷誠
外務大臣秘書官 加瀬俊一
内大臣秘書官長 松平康昌
ナレーション(女性)「陸海軍、外務省、宮中、高木は主要な組織の中に連携する人物を見つけ意見を交換しながら、終戦の実現を目指そうとしていた。
事態が大きく動き出したのは昭和20年春からである。4月、米軍はついに沖縄に上陸を開始し、戦場は本格的に日本国内へと移った」
B29が爆弾を次々に投下していく空襲シーン。
ナレーション(女性)「日本本土は連日の空襲に曝され、3月と4月だけで20万人の犠牲者を生んでいた。5月には同盟国ドイツが降伏。その翌日、アメリカのトルーマン大統領は日本の軍部に無条件降伏を要求した。
竹野内豊「このとき国家のリーダーたちはどう考えていたのだろうか。その主役は6人の人物だった。内閣総理大臣の鈴木貫太郎、外務大臣の東郷茂徳、陸軍大臣阿南惟幾、海軍大臣米内光政、陸軍参謀総長梅津美治郎、海軍軍令部総長及川古志郎。
当時の国家組織は軍と政府が別々の情報系統を持ち、事態が悪化する中に於いて情報を共有しないなど、タテ割りの弊害が露わになっていた」
外務大臣――外務省情報部
――(情報非共有)――
陸軍大臣――参謀総長――参謀本部情報部
海軍大臣――司令部総長――軍令部情報部
竹野内豊「この際、6人のリーダーはタテ割りを排し、腹を割って本音で話そうと側近を排除した秘密のトップ会議を始めることにした」
ナレーション(女性)「昭和20年5月11日、6人のリーダーが極秘に宮中に集まった」
〈高木惣吉の記録等をもとに再構成〉のキャプション
会議室。列席している6人の首脳。
外務大臣東郷茂徳「我々6人のみで戦争終結への道筋をつけたいと思った次第である。まだ国力があるうちに着手すべきである」
ナレーション(女性)「軍のトップも戦争終結が最大の課題だと認識していた。講和を結ぶのは米軍に対して一撃を加えたあと、というのが条件としていた。
一撃でアメリカが動揺を来たしたところで交渉を持ちかけ、少しでも有利な条件で講話しようという考えである。
その際の日本のベストシナリオとして浮かび上がったのが中立を守る大国ソビエトを交渉の仲介役に利用しようというものだった」
日本のこれまでの主たる戦績がキャプションで示される。
サイパン島陥落 昭和19年7月
硫黄島陥落 昭和20年3月
陸軍大臣阿南惟幾「まだ日本は領土をたくさん占領している。負けていないということを基礎にしてソ連との話を進めるべきだ」
海軍大臣米内光政「我が国にもっと有利になるような友好的な関係をソ連と築くチエはないのか」
ナレーション(女性)「東郷外務大臣はソビエトへの大幅な譲歩を提案した」
外務大臣東郷茂徳「対ソ交渉を進めるには相当の代償を考えておく必要がある。ソ連の要求をある程度呑むという決意が必要である」
ナレーション(女性)「長年、日本の仮想敵国であったソビエト。しかし、アメリカ、イギリスと同じ連合国側とは言え、必ずしも一枚岩ではないとの見方があった。
実際にソビエトへの譲歩が真剣に議論されていた様子を当時の外務省の幹部が戦後に証言している」
外務省政務局長安東義良(録音音声)「終戦する以上は満州からね、日本の兵隊を引き揚げちゃおうと。中立化しちゃおうと言うんだ、東郷さんが、『梅津参謀総長と僕と米内さんと』と言っておられた。
3人でいよいよ終戦する以上は、日清戦争前までの状態に返らなきゃならんかもしれんと。
いやいや、日露戦争前までぐらいではいかんだろうかって言うようなことをお互いに話をしたっていうことを僕に言われたんですよ。与えるべきものはこっちも与えると。向こうに対して譲るべきものは譲ると」
ナレーション(女性)「ソビエトを和平交渉の仲介役などに利用しようかという議論を終戦間際までトップ6人の間で続くことになる」
竹野内豊「ここで重大な疑問が浮かぶ。間もなくソビエトが攻めてくることを指導者たちは知っていたはずだ。ロンドンで所在が確認された日本の武官情報。その情報は5月以降、時期や規模などが急速に具体性や精度を上げてきており、陸海軍トップはこれを真剣に受け止めていたはずだ」
前出の武官電がキャプションで再度掲載。
スイス ベルン海軍武官電 昭和20年5月24日 「ヤルタ会談でソ連は対日参戦を約束した」
ベルン海軍武官電 昭和20年6月11日 「7月末までに日本の降伏がなければ、密約通りソ連は参戦する」
竹野内豊「しかし、このソビエトの参戦情報については、なぜかトップ6人が話し合った形跡はない。
ソビエトの出方を話し合う6人の秘密会議は6月以降も続いていた。果たして情報はきちんと伝わっていたのだろうか」
ナレーション(女性)「トップ6人の1人だった東郷外務大臣はソビエトの参戦情報を知っていたのだろうか。参戦情報が早い時期から伝えられていたことは外交官として活躍してきた孫の東郷和彦さんにとっても大きな驚きでした」
東郷和彦「これは初めて聞きますよね。当然大本営には入っていましたよね。だから、外務大臣に入ってなかったどうか、分からないっていうことですよね。
ええ、それは東郷茂徳が書き残したすべての中でヤルタで7月に(ソ連が)参戦するという話が決まっていたという話はなかったと思いますからね、東郷茂徳の頭にはね」
ナレーション(女性)「陸海軍側はソビエト参戦の密約を知りながら、それを外務省に伝えず、ソビエトとの交渉に臨ませようとしていた可能性がある」
東郷和彦「ソ連の参戦防止、それからソ連をできるだけ友好的に日本に近づける(友好構築)。最後にソ連を通じて仲介をやってみる(和平仲介)。
と言うのは、4月から6者の共通の意志になっていたわけですから。ですから、その可能性がないんだということを、もし軍が掴んでいたとすれば、大本営がそれを外務省か内閣に出していないんだとすれば、それは何と言うか、信じ難い話ですよねえ」
ナレーション(女性)「東郷外務大臣のもとでのちに対ソ交渉に当たる安東政務局長は参戦情報は知らなかったと証言している。
外務省政務局長安東義良(録音音声)「スターリンがルーズベルトと話し合って、あんな日本処理案をお互いに協定しとるね。そんなもんは知らんもんね。こっちは」
ナレーション(女性)「組織のタテ割りを克服しようと設けたはずのトップ6人の秘密会議。しかしリーダーたちはその最初から国家の最重要情報の共有に失敗していた。
なぜ共有しなかったのか。当時の軍で支配的だったのは、あくまでも米軍に本土決戦を挑むという考えだった。
決戦の全体構想を描いた参謀本部作戦部長宮崎周一が当時の思惑を戦後語っている」
参謀本部作戦部長宮崎周一(録音音声)「ここ(本土)へ上がってきたときにここで一叩き叩けばね、えー、終戦というものを、ものに持っていく、その、動機が掴める。
それがあのー、私が、その、本土決戦というものを、あれ(計画)を一つの、動機になるんだが」
ナレーション(女性)「侵攻する米軍を中国大陸に配置した部隊とも連携して迎え撃つ。一撃の時期は夏から秋と想定していた」
第2総軍参謀橋下正勝(録音音声)「もう国力も底をついておるし、これが最後の戦いになると。
それで一撃さえ加えれば、政治的に話し合いの場ができるかも分からん。できなければ、我々は、もう、ここで、えー、討ち死にするなり。
南方の島と違う点は、島はそこで玉砕すれば終わりですがね、これはまだ本土続きですから、いくらでも援兵を送れると」
小谷防衛研究所調査官「軍のトップがソビエトの参戦情報を伏せたのは対米一撃のシナリオを維持し続けたかったからではないかと考えています。
一撃よりも前にソビエト参戦の可能性があるとなれば、一撃後のソビエト仲介による講和というシナリオは崩壊します。一気に無条件降伏に向かう恐れがありました。
ソ連参戦の情報があって、ソ連が敵に回るということが分かっていればですね、その情報を陸軍として出したくないと。
当然、最初に作られた作戦ですとか、目的に合わない情報というのはですね、基本的にはそれは無視されるという運命にあるわけです」
ナレーション(女性)「一方の外務省も軍の情報収集能力を過小評価し、積極的な協力体制を築こうとしなかった。
東郷外務大臣の側近として終戦工作に関わっていた松本俊一次官の証言」
松本俊一外務次官(録音音声)「この人(軍人)たちが世界の大勢、分かりますか。当時の外務省以上に分かるわけないですよ。それは外務省は敵方の情報も全部知ってるわけですからねえ、裏も表も。
それは知らないのは陸海軍ですよ。陸海軍でいくら明達の人だってね、外務省だけの情報、持っていません。外務省がなぜかならですね、そのー、敵方の放送も聞いてるんです。分析しているでしょう。
日本の今の戦争の何がどうなっているか、みんな知ってますよね、外務省は」
竹野内豊「なぜ重要な情報が共有されなかったのか。今もなお多くの謎が残されている。新たに分かった事実をどう把え直すか。専門家の間でも真剣な議論が始まった。
昭和史の研究をリードする歴史学者の加藤陽子さん。元外交官で国際政治の現実に通じてきた岡本行夫さん(外交評論家)。アジアという視点から日本の政治思想を分析してきた姜尚中(カン・サンジュ)さんの3人です」
加藤陽子「日本が本当にこの情報を知っていたとすれば、なかなかこれは新しいことで、勿論、知っていたことについては、えーと、当事者の回想という形で残っていました。
しかし、イギリス側のその電報で証拠が残っていたというのは大きいと思いますけれども」
岡本行夫「イギリスで見つかった電報って、本当に衝撃的ですね。あそこまでね、外にいた武官たちが掴んでいたということは、私も初めて知りました」
加藤陽子「それでは、陸海軍はそれを知っていたとして、外務省や鈴木首相、どうでしょうか」
岡本行夫「外務省は知らされていなかったと思いますねえ。あのー、主に公開情報の分析をやっていたじゃないですかねえ。外交官たちはどうも色んなものを見つけても、中立国で中にずうっと分け入って入っていったっていう、あんまりそういう報告はないですね」
加藤陽子「じゃあ、なぜこのような重大な時期に有利な情報を比較的日本も手に入れたにも関わらず、重要な情報が共有されないのか」
岡本行夫「まあ、情報の共有の問題以前にね、情報を軽視するところがあるんですね。兎に角ね。この、タテ割りの組織ですから、もう、軍も、それから日本政府全体もね。
外から来る話っていうのは基本的には雑音なんですよ。自分たちが取ったもの以外はね。で、自分たちが取ったものを自分たちに都合いいものだけを、これを出していく。
今から見るとね、様々ないい情報が来ていたんですね。でも、そういうものを総合的にその情報としてひとつの戦略に組み替えていくっていう、こういうことは殆どなされないんですねえ」
加藤陽子「例えば、日本の歴史っていうのも、いいときも悪いときもありましたよね。例えば明治期日清・日露やったときにご存知のように明治天皇のもとでの元老というものが軍人でありながら文官でもあり、最高位を極めるという人は横の情報をお互いに知らせ合うわけですね。
で、伊藤博文に教えておけ。伊藤博文に教えておけというようなことを山形(有朋)が言う。
ま、そういうことがあったり、あと大正期には、これもあの比較的に知られていないかもしれないんですけども、中国に対する情報っていうのは日本は比較的に真面目に外務省も陸軍省も海軍省も摺り合わせる度量がありまして、『あら会』なんて言って、あぐらをかいて牛鍋を食べてっていうような情報の会同「=会合)ですね、それをやった実績は大正期にはあるんですね。
しかしこの頃になりますと、この6人のメンバーで司会はいないんですよね。で、こういう情報が上がっていますが、どうでしょうっていうような話を向けて、全体としての協調を叩き出すような人がいない」
姜尚中「だから、陸軍、海軍、まあ、あるいは首相とか、色々な国務大臣、それがセクショナリズム、縄張り意識がありながら、また、内部の中に現場を踏んでいる側と、それからまあ、中枢で色々なプロジェクトを練っている側との会議がある。
そういうヨコとタテとの、それぞれのある種のタコツボがですね、こういうものが進んでいて、今までのものがもううまくいかないかもしれないという、そういう想定をしたくない。
したくないから、そういうものはあり得ないと言うように、自分にも言い聞かせてるし、それで新しい事態に対応できなくなると――」
ナレーション(女性)「昭和20年)6月初旬、沖縄の戦況は悪化の一途を辿り、守備隊の全滅が時間の問題となっていた。全国民に対して本土決戦の準備を加速するよう、指令が出された。
国民の犠牲を省みずに捨て鉢の本土決戦に突き進んだように言われる当時の陸軍。しかし参謀本部作戦部長の宮崎周一の証言が本土決戦を前にした陸軍の全く違う側面を浮き彫りにしていた」
参謀本部作戦部長宮崎周一(録音音声)「物的、客観的情勢に於いて、大体に於いてできると。あるいは相当な困難、あるいは極めて困難。
まあ、この三つくらいに分けて、これは俺も考えた。(本土決戦は)極めて困難。はっきり言う。聞けば聞く程困難。極めて。
それじゃあ断念するかというと、それは断念できない、俺には。作戦部長の立場に於いて、そんな事言うなんてことは、とても言えない。(一段と声を大きくして)思っても言えない」
ナレーション(女性)「果たして陸軍トップはどのように戦争の幕引きを考えていたのか。意外にも当時の陸軍中央では戦争終結に向けた重大な転換が始まっていたと考えるのが気鋭の若手研究者、(明治大文学部講師)山本智之(ともゆき)さん。
山本さんが注目したのは陸軍中央の人事です。戦争終盤の陸軍中央では徹底抗戦を主張する強硬な主戦派が主要なポストの大半を占め、僅かな数の早期講和派が存在していた。
主戦派の東條大将が人事権を握ると、中央から早期講和派が一掃され、一段と主戦派の発言権が強まった。
しかし昭和19年7月、東條に代わって梅津美治郎が参謀総長に就任すると、状況に変化が生じたという」
組織の人事系統図を基に主戦派と早期講和派が色分けされた図が出る。
明治大学講師山本智之「まあ、(主戦派の)服部卓四郎(参謀本部作戦課長)さんなんかはね、ずっと作戦課長をやっていたんですけども、(19)45年2月には支那派遣軍に転軍になりますよね。(主戦派の)真田穣一朗(参謀本部作戦部長)なんて言うのも、3月に中央の外に出されるんですよねえ。
強硬な主戦派が徐々に排除され、逆に左遷されていた早期講和派の将校が呼び戻された。
主戦派が陸軍中央からいなくなると、まあ、戦争終結に持っていきやすいっていう、そういった人事の可能性高いですよねえ。戦争継続路線から戦争終結路線へと方針転換するのって、急にはできないんですよね。
少しずつ下準備をしていって、その上で方針転換をしていくっていう、まあ、梅津とか阿南という人物が慎重に戦争終結に導こうとしていたところが窺えますよねえ」
ナレーション(女性)「徹底抗戦から戦争終結へという重大な転換が陸軍大臣の阿南の言動にも読み取ることができる。
阿南は陸軍大臣に就任して以来、一貫して対米決戦を主張していた。しかし、この表向きの強硬姿勢の裏にある複雑な思いに触れたのは阿南の秘書官を務めた松谷誠(陸軍)大佐でした。
自分が目の辺りにした陸軍トップの意外な一面を高木(惣吉海軍少将)にそっと明かしていた。それは5月末のある日、松谷が終戦に向けた独自の交渉プランを持って阿南を訪ねた時のことだった」
〈高木惣吉の記録等をもとに再構成〉のキャプション
陸軍大佐松谷誠「国体護持のほかは無条件と腹を決めるべきです。早ければ早い方が有利です。国内的にも軍がいくらやっても、もうだめだと分からせる時期です」
ナレーション(女性)「松谷の案は事実上の降伏受け入れであった。大臣の激怒を覚悟していた松谷。阿南の反応は予想外のものだった」
陸軍大臣阿南惟幾「私も大体君の意見のとおりだ。君等、上の者の見通しは甘いと言う。だが、我らが心に思ったことを口に表せば、影響は大きい。
私はペリーのときの下田の役人のように無様に慌てたくないのだ。準備は周到に堂々と進めねばならんのだ」
ナレーション(女性)「厳しい結末を覚悟し、それを受け入れるための時間と準備が必要だと明かした阿南。問題はそのような時間が日本に残されているかである。
こうした中、6月6日、新たな国家方針を話し合う最高戦争指導会議が開かれた。
トップ6人だけですら、タテ割りの壁を崩せない中で局長や課長まで参加するこの会議では腹を割って話すことは一層困難となる」
〈高木惣吉の記録等をもとに再構成〉のキャプション
陸軍参謀次長河辺虎之助「講和条件の検討など、相手に足元を見られるだけです。あくまでも徹底抗戦を貫くべきです」
ナレーション(女性)「河辺虎之助がこれまでの原則どおりに徹底抗戦を改めて主張した。阿南大臣もその強硬論に反論しなかったため、決定された方針は和平交渉から大幅に後退した内容となった」
明治大学講師山本智之「それはやっぱり会議の席で、そういった弱音を吐くとね、やっぱり主戦派の方に伝わっちゃうんですよね。戦争推進派、主戦派への配慮ですよね。
主戦派が暴走するのではないかと、いう、そういう懸念があるから、慎重な発言にならざるを得ないところがあるお思います」
ナレーション(女性)「日本には敗戦も降伏もないと叫んできた軍にとって、徹底抗戦の方針は曲げるに曲げられないものとなっていた。
しかし陸軍トップの苦しい胸の内は多くの側近が感じ取っていた」
陸軍省軍務課長永井八津次(録音音声)「阿南さんの中は講和だったんですよねえ。初めっから講和なんです。阿南さんはね、ところが部下の者が非常に強く言うし、無条件降伏したときに天皇さんがどうなるのかっちゅう、ことがその当時から非常に大きな問題。
天皇様、縛り首になるぞと。こういうわけだ。
それでも尚且つ、お前らは無条件降伏を言うのかと。
誰もそれに対しては、『いや、それでもやるんだ』っちゅう奴は誰もおりませんよ」
(以上ここまで。疲れます。)
沖縄県尖閣諸島魚釣島不法上陸の香港民間団体メンバー合わせて14人を海上保安本部が不法入国の疑いで逮捕した。
野田首相が8月15日夜、首相官邸で記者団の問いかけに次のように発言している。
記者「どう対応するんやねん」(関西弁は使わなかったと思う。)
野田首相「法令に則り、厳正に対処していきます」(NHK NEWS WEB
尖閣諸島中国漁船衝突事件では中国人船長を公務執行妨害で逮捕、「国内法に基いて粛々と処理する」が中国側の外交的・経済的圧力に屈して腰砕けとなったが、このことを学習しているはずだから、同じ腰砕けとはならないはずである。
同8月15日夜、中国政府が14人の無条件即時釈放を求めた。「NHK NEWS WEB」記事から発言を適宜脚色。
傅中国外務省外務次官(山口外務副大臣との電話会談発言)「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国の領土であるゆえに日本の官憲による逮捕は違法である。
無条件の即時釈放を求める」
ところが、野田首相が言っていた「法令に則り、厳正に対処」が、強制送還で検討しているという。
まさか腰砕けではあるまい。
《逮捕の14人 強制送還で検討》(NHK NEWS WEB/2012年8月16日 4時3分)
藤村官房長官が8月15日夜、〈記者団に対して「尖閣諸島は日本固有の領土であり、再三にわたる警告にもかかわらず、上陸したこと自体が誠に遺憾だ」と述べた上で、今後の手続きは国内法令にのっとって、厳正、適切に行いたいという考えを示しました〉にも関わらず、〈政府としては、平成16年3月に、中国人の活動家7人が尖閣諸島に上陸して逮捕され、強制送還された事案も踏まえて、今回の14人についても、不法入国のほかに罪を犯した疑いがなければ、17日にも入国管理局に身柄を引き渡して強制送還する方向で検討しており、警察や海上保安部の取り調べ状況を見ながら、最終的に判断することにしてい〉るという。
中国側は釣魚島(尖閣諸島)は中国領土であるからと言って、中国領土での日本の官憲の逮捕は違法であり、即時無条件釈放を求めたのである。
であるなら、尖閣諸島が日本の法律の支配下にある、あるいは日本の主権下にある日本の領土そのものであることを中国に知らしめるためには、悪質な不法入国という事実は消すことはできないのだから、国内法に則って起訴し、罰則を与えること程、日本の領土であることを知らしめる最善の方法はないのではないだろうか。
もし起訴・罰則を省いた強制送還という名の釈放を行ったなら、中国側は釣魚島は中国の固有の領土だという強硬な抗議を受けて日本政府が無条件釈放に応じたといった勝手な解釈を流布させ、中国領土だという思いをなお一層強くしない危険性は捨て切れない。
やはり日本の領土であることを思い知らせるためには野田首相が言ったように日本の法令に則った厳正な対処が最善の方法であろう。
中国人船長の逮捕と処分保留のままの釈放と同様の腰砕けにはならないで貰いたい。
――性善説に立った評価にすぎない野田「決める政治」――
NHKの8月世論調査の政党支持率は第3党「国民の生活が第一」の0.6%に対して第4党公明0%、第5党みんな2.1%、第6党協賛2.4となっている。
他の世論調査を見てみると、読売新聞は1%。「MSN産経・FNN合同世論調査」は少しまし3.7%。共同通信は4.8%。
次に主として消費税増税を含む「社会保障と税の一体改革関連法」成立評価に関してみてみる。
「大いに評価する」――6%
「ある程度評価する」――42%
「あまり評価しない」――29%
「まったく評価しない」――19%(以下略)
消費税増税を含む「社会保障と税の一体改革関連法」成立評価は、「ある程度評価する」42%に対して「あまり評価しない」29%ではあるが、あくまでも「ある程度」の評価である。
この「ある程度」は「まったく評価しない」19%に対して3分の1に満たない「大いに評価する」6%の割合にそのまま反映されている。
ある程度しか評価していないにも関わらず、内閣支持率は先月比で1ポイント上げた。
野田内閣支持率
「支持する」――28%(先月比+1ポイント)
「支持しない」――56%(先月比±0ポイント)
消費税増税に限った他のマスコミの8月世論調査でも、同じ傾向を辿っている。
「共同通信社」 消費税増税法成立に基づく税率引き上げ
反対――56・1%
賛成――42・2%
「毎日新聞」 増税法成立評価
「評価しない」――53%
「評価する」――44%
「読売新聞」
消費税増税を含む「社会保障と税の一体改革関連法」成立評価
「評価する」――43%
「評価しない」――49%
世論全体を見ると、消費税増税の反対が賛成を上回って過半数を僅かに超えていながら、NHK世論調査は消費税増税を含む「社会保障と税の一体改革関連法」成立評価に関して、 「ある程度評価する」が42%も占め、「大いに評価する」6%と合わせると48%にもなって、「あまり評価しない」29%と「まったく評価しない」19%を合わせて同率の48%となっている。
このことを解くカギは3党合意と「社会保障と税の一体改革関連法」成立を「決められない政治」から「決める政治」への脱却だと評価する識者やマスコミの主張が国民に影響を与えている世論動向ではないだろうか。
いわば国民は今回の3党合意と「社会保障と税の一体改革関連法」成立を何も決めることができずに停滞していた政治を前に進める「決める政治」の象徴と見て、野田首相にではなく、成立自体にそれなりの評価を与えた結果値のように見える。
このことに対応した、各マスコミの内閣支持率微増と微減の現れではないだろうか。
「決める政治」の象徴と見ていることは毎日新聞8月世論調査が伝えていて、その評価に内閣支持率にも反映したのか、4ポイント上がっている。
《本社世論調査:消費増税「暮らしに影響」9割》(毎日jp/2012年08月12日 23時28分)
野田内閣支持率
「支持する」――27%(7月調査+4ポイント)
「支持しない」――52%(7月調査-1ポイント)
記事は解説している。〈7月の前回調査で、消費増税法の「今国会成立を望む」との回答は33%にとどまっていた。今回の調査で増税法成立を評価する回答が4割を超えたのは、「決められる政治」を体現した与野党への一定の評価があったとみられる。〉――
だが、3党合意を受けた消費税増税を含む「社会保障と税の一体改革関連法」成立を「決める政治」の象徴と見るこの手の評価は性善説立った無条件の受容と言えないだろうか。
なぜなら、中身がどうであれ、決めればいいというものではないからだ。
2009年の政権交代まで、戦後、ほぼ一党独裁状態で政権を独占してきた自民党は、のちに公明党も加わってのことだが、公共事業のみならず、各政策をムダなく事業化する「決める政治」を行い得てきたのだろうか。
ムダのない事業計画と計画した事業に対するムダのない予算付けの的確なノウハウを機能させてムダのない国家運営、「決める政治」を行なってきたと言えるのだろうか。
実態は一党独裁をいいことに票獲得のためのバラマキを恣(ほしいまま)にし、その結果、国の借金を増やすムダだらけの「決める政治」を行なってきたのではないだろうか。
国民生活上の必要性に則った適正な事業発案と適正な予算化、そして事業完成後の費用対効果の検証を行う「決める政治」を政治文化とし得たのだろうか。
誰が見ても、ノーである。決めればいいというものではない。
民主党が2009年マニフェストで国民契約とした最低保障年金と後期高齢者医療制度廃止は「国民会議」の議論に先送りする「決める政治」であった。
今回の「社会保障と税の一体改革関連法」の中には民間サラリーマンの厚生年金と公務員などの共済年金を統合する被用者年金一元化法の成立も含まれていて、「決める政治」を見せたが、2009年マニフェストでは、〈公平な新しい年金制度を創る〉と称して、〈(1)すべての人が同じ年金制度に加入し、職業を移動しても面倒な手続きが不要となるように、年金制度を例外なく一元化する。〉と“決めること”を謳いながら、国民年金を置き去りにした厚生年金と共済年金のみの統合の不平等な「決める政治」となっている。
だが、このような中身を問題にせず、表面的な成立の事実を以てして「決める政治」だと評価を与え、それが国民の印象にも影響を与える。
なぜこのような不合理な事態が生じるのかと言うと、消費税だけ増税してしまえば、税収が増えて財政運営に余裕が生じる、赤字国債発行も抑えることができると大方が期待しているからではないか。
だが、「決める政治」の中身を厳格に制度設計できないと、ムダな事業計画とムダな予算付けの政治文化を延々と引き継ぐことになり、消費税増税が財政再建に寄与せず、社会保障制度の持続可能性と財政再建の名の下、早晩、再度消費税増税を謳う「決める政治」へと向かう恐れが予想される。
既に民自公3党修正合意付則追加に「成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分する」と謳っているのである。
わざわざ付則に追加したということは些細な取り決めではなく、重点を置いた取り決めとする欲求あっての文言であるはずである。
いくら消費税増税の税収をすべて社会保障費に回すといっても、今まで回していたカネの浮いた分を厳格な制度設計をしないままに公共事業や他の政策に大盤振舞いの「決める政治」を行なっていたのでは、何も変わらないことになる。
そもそもからして自公とも何も変えることができなかった政治文化を自らの体質としてきたのである。そして現在の民主党は多分に自民党化している。
民主党は2009年マニフェストで、「官僚主導から政治主導へ」、「中央集権から地域主権へ」を謳っていた。これは統治機構の変革を謳ったはずである。
このような統治機構の変革なくして政治の変革はないと宣言したのである。
民主党が自民党化しているのは官僚主導から脱却できず、政治主導を有名無実としているからだろう。官僚主導に侵されていたなら、「中央集権から地域主権へ」も実現期待不可能となる。
真に官僚主導から離れて、政治主導に立つことができたとき初めて、統治機構の変革とその変革を受けた政治の変革が期待可能となる。
当然、どの政党を選択するかの基準は官僚主導を否定・排除し、政治主導を確立できる力量のある党首を抱えた政党ということになる。
官僚をコントロールできる豪腕を期待できる党首、代表は新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表を措いて他にいるだろうか。
野田首相か?谷垣か?他の誰かか?
官僚の走狗となっている連中ばかりではないか。
【走狗】(そうく)「他人の手先となって追い使われる者」(『大辞林』三省堂)
小沢代表の政治主導能力=官僚コントロール術を考えた場合、NHK世論調査の「国民の生活が第一」政党支持率0.6%はあまりにも不当な評価であって、国民の見る目がないと言わざるを得ない。
見る目がないのは目のつけどころが間違っているからに他ならない。日本の政治を変え、真に掛け値なしの「決める政治」に持って行くには一にも二にも官僚主導からの脱却、政治主導の確立から出発した統治機構の変革、中央集権の打破以外に方法はないと、その点を目のつけどころとして、その能力如何で判断すべきだが、表面的な出来事ばかりに目を奪われている。
もし次の総選挙で「国民の生活が第一」が世論調査の数字を反映した選挙結果で終わるようなことがあったなら、日本の政治は何も変わらないだろう。例え今後も自公民が3党合意で「決める政治」を体現したとしても、表面的な「決める政治」で終わり、中身は何も変わらない日本の政治が続くはずだ。
《社会保障のムダ削減に意欲 藤井・民主税調会長》(asahi.com/2012年8月13日20時26分)
朝日新聞のインターネット版の名称は「THE ASAHISINBUN DIGITAL」へと変更となっているが、殆どの記事が全文を閲覧するには有料版を利用しなければならない。当方、チョー貧乏人で、有料版を利用する余裕がないから、これは無料版ですよという意味を込めて、旧名称の「asahi.com」を使い続けることにしている。
藤井裕久民主党税調会長が8月13日(2012年)にBS11の番組に出演、予算編成について次のように発言したという。
藤井税調会長「財政には社会保障に甘い面があり、これは見直さなくてはいけない」
記事は解説で、〈社会保障費のムダに切り込むべきだとの考えを強調した〉発言だとしている。
そしてさらに、〈野田内閣は「日本再生戦略」で社会保障を含む歳出のあり方を見直す必要があると指摘したが、それを強く後押しするものだ〉と解説を加えている。
記事はこの点について何ら矛盾を感じていいないらしい。
記事指摘の歳出の見直しに関しては、7月31日(2012年)閣議決定の「『日本再生戦略』について」には、5.「日本再生戦略」と予算編成との関係の中で次のように記述している。
〈⑥社会保障分野を含め、聖域を設けずに歳出全般を見直すこととする。その際、行政事業レビューの結果及び会計検査院の過去の指摘事項等については、来年度予算において確実に反映させる。〉――
歳出全般見直し、ムダ削減、あるいはムダ排除は大いに結構な姿勢である。
だが、2012年度本予算を組んだのは野田首相が主導したはずの野田内閣である。にも関わらず、「財政には社会保障に甘い面」があった。〈社会保障分野を含め、聖域を設けずに歳出全般を見直〉さなければならないと言っている。
要するに予算編成に於いて官僚に対してムダのない予算付けを指導・監督することができなかったばかりか、出来上がった予算案をムダがないか、見直し必要箇所がないか検証し、訂正する能力もなかったことになる。
あるいは政策自体に不適正個所があり、そのことがムダを生じせしめていたということなら、政策構築能力自体に先見性を欠いていたことになる。
大体が民主党は2009年総選挙マニフェストで「ムダ遣いの根絶」を謳っていた。
〈「ムダづかい」
税金は、官僚と一部政治家のものではありません。
国民の税金を、国民の手に取り戻します。
国の総予算207兆円を全面組み替え。
税金のムダづかいと天下りを根絶します。〉――
「国の総予算207兆円を全面組み替え」にはムダ削減(歳出の見直し)が含まれている。
「税金のムダづかいの根絶」とは歳出の見直しを言うはずである。
それをテレビ番組に出て、「財政には社会保障に甘い面があり、これは見直さなくてはいけない」と今更ながらに言う。
では、今まで何をやってきたのかと言いたい。
7月31日閣議決定の「日本再生戦略」で、今更ながらに「社会保障分野を含め、聖域を設けずに歳出全般を見直すこととする」などと謳う。骨身を削る思いで政策の構築と構築した政策に対応した適切な予算編成に取り組んだのだろうか。
その逆だったからこその反省であろう。
テーマを掲げ、掲げたテーマすら満足に実現できなかった自分たちの責任・無能には一言も言及せずに棚上げにして、今更ながらに反省を持ち出す。
何と言う盗人猛々しい矛盾なのだろうか。
政治家・官僚のチエを総動員して政策を構築し、予算付けを行うはずである。チエを総動員しながら、ムダや欠陥や甘い面がある。
当然、チエ自体に問題があることになる。問題のあるチエ取りは替えなければならない。取り替えずに同じチエを使えば、チエ自体に問題があるのだから、同じ失敗を繰返すことになる。
自民党政権時代、あるいは自公政権時代、チエ自体に問題がありながら、同じチエを使い続けたがために赤字国債を発行しては無駄な事業を行い、国の借金を無際限に増やしてきた。
国民は問題のあるチエを取り替えなければならないことにやっと気づいて取り替えたものの、取り替えたチエ自体も欠陥チエだった。
チエ自体に問題があることになると、社会保障の持続可能性だ、世代間公平性の実現だ、全世代対応型だといくらスローガンを並べ立てようとも、その実現は些か怪しくなり、消費税だけ取るという恐れさえ出てくる。
取り替えるべきだと目指すチエが枯渇状態の手詰まりにあるから、既成政党離れを起こしている。民主党の今のお粗末なチエと決別した新党「国民の生活が第一」のチエは全然期待できないだろうか。
その知恵は現民主党のチエを間違っていると見抜いたチエである。
8月10日、羽田国交相と松原拉致問題担当相の野田内閣2閣僚が靖国参拝意思を示した。このことについて野田首相が同日午後の「消費税大増税法案成立記念記者会見」で発言している。
上杉記者「フリーランスの上杉です。
ちょっと関係ないんですが、重要なことですが、間もなく8月15日、終戦ですが、靖国参拝に関して、閣僚の2閣僚が参拝を表明しています。野田総理も野党時代、小泉政権時代ですが、2005年質問主意書で、A級戦犯は犯罪人ではないというような質問主意書を出して、小泉さんの参拝に関して若干賛同の意を表明していますが、今回、総理御自身、その2閣僚の参拝についての御意見と、総理御自身の靖国参拝の有無について、どのような立ち位置かお知らせください」
野田首相「靖国参拝に関しては、昨年の9月に野田内閣が発足したときに、総理大臣、閣僚については、公式参拝は自粛するという方針を決めさせていただいておりますので、この方針にのっとって私自身も、それからその他の閣僚も従っていただけるものと考えております」(首相官邸HP)
内閣の長として方針決定通りに自粛させますとは言っていない。参拝するかしないかの判断の丸投げとなっている。
羽田国交相と松原拉致問題担当相の参拝意思表明を見てみる。《羽田国交相 靖国参拝を表明》(NHK NEWS WEB/2012年8月10日 13時8分)
8月10日閣議後の記者会見。
羽田国交相「子どものころから父親に連れられて靖国神社に参拝してきた。国会議員になってからも続けており、ことしも参拝したい」
記者「野田総理大臣に伝えたのか」
羽田国交相「閣僚としてではなく、私的に参拝する。政府としては、閣僚の公式参拝は自粛することになっているが、私的なことなので、伝える必要はないのではないか」
公人を離れた私的参拝だから内閣の自粛方針に抵触しないと言っている。
松原拉致問題担当相「私は20年以上、毎年8月15日に参拝をしており、ことしも適宜判断をしていきたい」
中国で過激な反日デモを誘発した小泉首相の靖国参拝も私的参拝とし、心の問題だと正当化した。
2005年6月2日、参院予算委員会。
小泉首相(当時)「首相の職務ではなく、私の心情から発する参拝に他の国が干渉すべきではない。自分自身の判断で考える問題だ」(朝日新聞/2005年6月3日朝刊)
首相としての公人を離れた私的心情からの参拝だと羽田国交相と同趣旨の発言となっている。
小泉首相はA級戦犯合祀に関して歴史に残る名言を吐いている。
小泉首相「どの国でも戦没者への追悼を行う気持を持っている。どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきではない。東条英機氏のA級戦犯の話がたびたび国会でも論じられるが、『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ。
私は一個人のために靖国を参拝しているのではない。戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げるのけしからんと言うのは、いまだに理由が分からない」(朝日新聞/2005年5月17日朝刊)
孔子はこのような言葉は使っていなし、「罪を憎んで人を憎まず」は加害者側が使う言葉ではないと日本人中国文学者が批判している。
殺人者が裁判所の判事や被害者側の家族に対して、「なあ、罪を憎んで人を憎まずだろう」と言ったら、どうなるだろうか。
行為者と行為事実とは切っても切れない関係にある。行為者が行為事実の責任を取らずに、誰が取るだろうか。A級戦犯は戦争遂行首謀者であって、戦前の日本は国を挙げて侵略戦争に走った。
いわば日本全体が戦争行為者であり、侵略戦争という行為事実をつくり出した。
当然、日本全体で責任を取らなければならない戦争行為であった。このことは歴史認識に於いても同じ精神構造を踏まなければならないはずだ。
また、行為事実を罰するということは同時に行為者を罰することを意味する。行為事実だけが罰せられて、行為者が罰せられない罰則は存在しない。
加害者側であることを無視した小泉首相の「罪を憎んで人を憎まず」の図々しいばかりの鉄面皮な道徳観には、切っても切れない関係にある行為者と行為事実を切り離して扱っているゆえに「人」を許すことによって「罪」(=歴史的行為事実)まで抹消しようとする意思を潜ませていることになる。
だからこそ、罰則とは正反対の「戦没者全般に敬意と感謝の誠を捧げる」ことができる。
この態度には口では侵略戦争だったと言っても、侵略戦争だとする意識は一カケラも存在しない。
このような精神的メカニズムを取ることができるからこそ、国として戦争を総括することができなかったのだろう。
李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が竹島訪問は公人であることを離れた私的訪問であると言ったら、日本の領有権侵害に当たらないことになるのだろうか。
翌年の2006年になると、小泉首相は靖国参拝は「心の問題」だと言い出した。
2006年1月25日、参院本会議。
小泉首相「内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝しているが、小泉純一郎も一人の人間だ。心の問題、精神の自由はこれを侵してはならないと言うのは日本国憲法でも認めている」(朝日新聞2006年3月2日朝刊)
2006年2月8日、衆院予算委員会。
小泉首相「心の問題は大事だ。憲法19条でも『思想及び良心の自由は、これを侵してはならない』と。靖国神社参拝は戦没者に対する哀悼の念と戦争反省を踏まえて、二度と日本は戦争を起こしてはいけないとう気持で靖国参拝をする」(同朝日新聞2006年3月2日朝刊)
羽田国交相の発言にしても、松原拉致問題担当相の発言にしても、小泉元首相の発言にしても、侵略国として一定の外国を敵国として戦った戦争である以上、その戦争の歴史認識に於いては侵略の文脈でその外国との関係を捕捉しなければならないはずだが、日本の政治家の多くの歴史認識からは侵略の文脈での外国の関係把握がすっぽりと抜け落ちて、国内問題――いわば内政の問題としてのみ認識している。
日本の戦争が外国と戦った戦争でないかのようである。
羽田国交相の「子どものころから父親に連れられて靖国神社に参拝してきた。国会議員になってからも続けており、ことしも参拝したい」はまさしく外国との関係を一切捨象して、捨象しているがゆえに日本の戦争を内政問題として把握している。
松原拉致問題担当相の「私は20年以上、毎年8月15日に参拝をしており、ことしも適宜判断をしていきたい」も同じである。
小泉首相の靖国参拝は「心の問題、精神の自由はこれを侵してはならないと言うのは日本国憲法でも認めている」に至ってはまさしく侵略国として外国と戦った戦争ではなく、日本の戦争のみであるかのように扱っている。
戦争行為者としてのA級戦犯とA級戦犯として罰せられたその戦争行為事実が切り離し不可能でありながら、それを切り離し、戦争の歴史認識に於いても侵略の文脈での外国との関係を切り離している。
靖国参拝が内政問題(=国内問題)だと言って許されるなら、李明博韓国大統領の竹島訪問も内政問題(=国内問題)として許されることになる。
森本防衛相の李明博(イ・ミョンバク)大統領の竹島訪問に関わる記者会見発言が波紋を呼んでいる。 《森本防衛大臣会見概要》(防衛省HP/平成24年8月10日 09時31分~09時50分)
韓国の李明博大統領が日本側の中止要請にも関わらず、8月10日、韓国実効支配、日韓領有権対立の竹島(韓国名・独島)を訪問した。
インターネットで調べたところ、日本の外務省が韓国大統領竹島訪問を把握したのは8月9日午後5時頃で、李明博大統領が竹島に上陸した時間は8月10日午後3時前だそうだ。
森本防衛相はその訪問日と同じ日の午前中の記者会見で記者から李明博大統領の予定している竹島訪問について聞かれた。
以下の発言を防衛相HPから竹島に関係する個所のみ採録。
記者「竹島の関係で、直接は防衛省と関係ないかもしれないのですけれども、李明博大統領が間もなく大統領府を出発するという情報もあるのですが、竹島に上陸した場合に防衛省としてやりうる対応策というのは、どういうことがあるでしょうか。警戒監視とか、通常の情報収集ということではないかと思うのですが」
森本防衛相「報道がある事は知っていますが、我が方は今、事実を確認しようとして情報収集に努めてまいるところです。実際に報道通りであればどうするのかということは、関係省庁と連携して我々の対応を今後決めていきたいと、この様に考えております」
記者「竹島の話に戻るのですが、この時期に韓国の大統領が竹島入りするという動きがあることそのものについて、大臣ご自身どのようにお考えでしょうか」
森本防衛相「日本の防衛政策というのと少し次元の違う話なので、個人的な印象を申し述べるのは控えたいと思いますし、防衛省・自衛隊がこの問題にすぐに何かしら対応するということではないので、そういうことも特段のコメントは控えたいと思います。
普通日本人の方が普通に考えられて、これはやっぱり韓国の内政上からくる要請によるものだと皆さんが感じておられるとおりの印象を私は個人としては持っておりますが、それは韓国が内政上の判断でお決めになったことだと思います」
記者「竹島に関してなのですが、是非、安全保障の専門家の見地から教えてもらいたいのですけれども、島の領有権を巡るナショナリズムというか、そういう動きが北方領土もそうですし、日本の尖閣の購入というのも影響しているのではないかという気はするのですが、そういった今の情勢についてどのような懸念というのをお持ちでしょうか。
森本防衛相「島と簡単におっしゃいますが、我が国にとって北方領土、それから竹島というのは、これはいわゆる外交案件としての領有権問題だということで、従来から話し合っているところですが、尖閣は繰り返し我が国政府が申し上げているように、法的に歴史的に見ても日本の固有の領土であることに一点の疑いもないので、日中間に領有権問題はないということなので、尖閣諸島を我が国は領有権問題だと考えてはおりません。したがって、3つの島を比べてお話になりましたが、必ずしもステータスが同じとは言えないと思います。一般論として、我が国が領有権を主張している限り、我が国の固有の領土を自らの手で守るために必要な法的措置もとり、実効支配を強めるために政府として努力するというのは、いわば当然のことだということだと思います。
記者「尖閣購入という動きが、そういった外交の手法が周辺国を刺激して、今回の韓国国内の世論に火をつけているという見方はできないでしょうか。
森本防衛相「私はこの問題は所管でもないので、問われればストレートに答える以外に私にはなかなか方法がないのですが、今ご質問の購入することが外交問題とおっしゃったのですが、私は何となくそう思わなくて、購入をしてどう手続きするかは日本の国内問題で、これは外交問題ではないと私は理解しています。
記者「先程の竹島に関する感想のところで『内政上の要請だ』というふうにおっしゃったのですが、それは大統領がそのような要請で動かれているという見方なのですけれども、その上で大臣はそのことについてどのようにお考えでしょうか。
森本防衛相「それは全ての国に内政があって、日本にも日本の内政があって、他の国の内政に他の国がとやかくコメントすることは控えるべきことなのではないかと思います」(以上)
記者に問われて、竹島が日韓の領有権問題に関係していることは答えているが、李明博韓国大統領の竹島訪問自体は「韓国の内政上からくる要請」であり、「全ての国に内政があって、日本にも日本の内政があって、他の国の内政に他の国がとやかくコメントすることは控えるべきことなのではないかと思います」と言って、領有権問題と何ら結びつけずに韓国の内政問題で片付けている。 《森本防衛大臣臨時会見概要》(防衛省HP/平成24年8月10日 14時13分~14時15分)
「韓国の内政上からくる要請によるものだと皆さんが感じておられるとおりの印象を私は個人としては持っております」と言っていることは、「皆さん」とはマスコミの記者を指しているのだから、既に各マスコミが感じたまま報道している訪問の狙いと同様の感想だという意味となる。
8月10日5時50分発信の「NHK NEWS WEB」記事――《韓国大統領の竹島訪問 中止を要請》はその狙いを次のように伝えている。
〈イ・ミョンバク大統領のねらいは
イ・ミョンバク大統領が竹島訪問を計画した背景には、韓国の国民の民族感情に訴えることで、失いつつある求心力を回復しようというねらいがあるものとみられます。
任期が残り半年余りとなったイ・ミョンバク大統領の周辺では、最近、国会議員だった兄や側近たちの不祥事が続いていて、政権の求心力の低下に歯止めがかからなくなっています。
一方、韓国国内では、竹島やいわゆる従軍慰安婦の問題を巡って日本に対する世論が厳しくなっており、去年12月には、韓国の市民団体がソウルの日本大使館の前に問題を象徴する銅像を設置し、京都で行われた日韓首脳会談ではイ・ミョンバク大統領もこの問題への対応を日本側に強く迫っていました。
韓国の野党は日本に対してさらに強く出るべきだと主張しており、イ・ミョンバク政権の日本への対応は、12月に控える大統領選挙での与党候補の戦いに影響を及ぼしかねない情勢となっています。
韓国では今月15日が日本の植民地支配からの独立を記念する日で、国民の民族感情が一段と高まる時期を迎えています。
イ・ミョンバク大統領としては、こうした時期に、歴代の大統領が避けてきた竹島訪問に踏み切ることで、国民感情に訴え求心力を回復するとともに、大統領選挙で野党が勢いづくのを抑えたいというねらいがあるものとみられます。〉――
いわば森本防衛相は李明博大統領竹島訪問の狙いをマスコミと同様の解釈をした。
だが、上記記事は前段で、〈政府は、竹島は日本の固有の領土であり、訪問すれば日韓関係に重大な影響を及ぼすとして、韓国側に対し、訪問を止めるよう求めています。〉と訪問が領有権問題に関わってくることを伝えている。他の記事も同様の扱いをしているはずだ。
当然、政府の閣僚の一員である以上、マスコミが伝える訪問の狙いと同様の解釈のみで終わるのではなく、そこから一歩踏み出して、領有権問題と結びつけて一言言及があるべきだった。
つまり評論家であるならいいが、閣僚の立場からしたら、「韓国の内政上からくる要請による」竹島上陸であっても、日本の外交・内政とは無関係の韓国の内政問題のみで終わらせてはいけなかったということである。
更に悪いことは、マスコミが内政上の狙いと同時に領有権問題として扱っているにも関わらず、森本防衛相は領有権問題として扱わずに韓国の内政上の問題としたのみだったのだから、マスコミ以下の解釈能力しかなかったことになる。
このような解釈能力は評論家としても問題で、評論家以下としなければならないが、以下であろうと以上であろうと、現在は評論家ではない。閣僚としての解釈能力に関わる責任問題が浮上することになる。
解釈能力の閣僚としては素人同然の、評論家として見た場合でも問題がある、このような姿勢に野党は反発、批判を繰り出すことになったのだろう。
森本防衛相は午後の記者会見で釈明している。
記者「韓国の李明博大統領の竹島訪問についての大臣の午前中の発言が、野党側からの反発の声が広がっていますけれども、改めて真意をお伝え願えますでしょうか」
森本防衛相「本日、韓国大統領が竹島を訪問したという事ですが、これは我が国の竹島に関する基本的な立場と全く相容れず、我が国としては決して受け入れられないという趣旨です。他方、どうしてこの時期に韓国大統領が訪問されたのかということは、私は多分、内政上の要請があったのだろうという推測を申し上げたのであって、竹島問題が韓国の内政問題だと言った覚えはありません。そもそも、竹島問題は日本にとって北方領土と並んで重大な領有権問題でありますので、これは外交交渉によって解決されるべきであると、このことに変わりはないと思います」
記者「大臣、野党側が問責決議案を出すという構えも見せているのですが、そういった御自身の発言が伝わっていないということについて、改めて」
森本防衛相「正しく説明する必要があると思いますので、要請があれば参って説明するつもりです」(以上)
初めてここで韓国大統領竹島訪問と日本の領有権問題を結びつけている。
あとからの訂正であって、この訂正は最初の認識を補うものとはならない。このことは次の発言が証明する。
「どうしてこの時期に韓国大統領が訪問されたのかということは、私は多分、内政上の要請があったのだろうという推測を申し上げたのであって、竹島問題が韓国の内政問題だと言った覚えはありません」
確かに言葉通りには竹島問題は「韓国の内政問題」だとは断言していない。だが、李明博韓国大統領の竹島訪問を「韓国の内政上からくる要請」であることにとどめ、領有権問題と結びつけなかった点は、「韓国の内政問題」としたことと同じであるはずであるし、比喩的にも「韓国の内政問題」だと言っている。
午前の記者会見で次のように発言している。「全ての国に内政があって、日本にも日本の内政があって、他の国の内政に他の国がとやかくコメントすることは控えるべきことなのではないかと思います」
「他の国の内政に他の国がとやかくコメントすることは控えるべきことなのではないかと思います」と言っていることは、李明博大統領竹島訪問を「韓国の内政問題」とのみ認識していたからこそであろう。
「韓国の内政問題」だと言っていることと全く同じである。
それを「竹島問題が韓国の内政問題だと言った覚えはありません」と狡猾なゴマカシを働かす。
評論家なら許されるゴマカシかもしれないが、閣僚である以上、その解釈能力・認識能力と共に自身の言葉に責任を持たない、それゆえに自身の言葉を軽くする無責任は問われなければならないはずだ。
評論家以下の解説をしただけではなく、自身の言葉に責任を持たないゴマカシまで働いた。
日韓間に竹島の領有権問題が浮上し、何か一言ブログ記事にしようとすると、私自身の竹島に持つ主張を明らかにしなければならない義務感に駆られる。一般的な日本国民同様に竹島は日本の領土だとストレートに主張する立場に立っていないからだ。
このことは2008年7月19日当ブログ記事――《日本民族優越論そのままに日本人が優秀なら、竹島は韓国領有とせよ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いてある。
日本民族優越論そのままに日本人が優秀なら、世界のグローバル化を活用して広く海外進出を果たし、世界全体を機会実現の領土とすることができたなら、竹島の領有権争いは小さな問題になるというテーマで書いてある。
竹島と併せて、〈中国との間の尖閣列島の領有権も問題も、小さく見えてくる。〉と書いてあるが、中国の尖閣諸島領有意志は中国の海洋覇権主義に則った欲求であり、その欲求を少しでも増長させたなら、南シナ海の島々に対する現在の海洋覇権主義に際限もなく自信を持たせることにつながるだろうし、チベットやウイグルの中国からの独立を支持している立場からしても、領土拡張意志とは正反対の領土縮小の選択肢を意志させるためにも尖閣諸島は日本固有の領土であることを認めさせる必要がある。
だとしても、日本人が海外に出て世界全体を機会実現の領土とすべきとする考えと比較した場合、竹島問題も尖閣問題も小さな問題に見えることを事実としている。
インターネット上の、〈アメリカの科学者の12%、医師の38%、NASAの科学者の36%、マイクロソフトの従業員の34%、IBMの従業員の28%、インテルの17%、ゼロックスの13%がインド系アメリカ人。〉という記述を見るにつけ、人口が多いということもあるだろうが、その思いは強くなる。
だが、思想面での日本人の実態は逆を行っている。
《“将来のリーダー”はインドで鍛えろ 国際競争生き残りにかける日本企業》(MSN産経/2012.8.1 21:59)
企業が主体となって日本人社員を海外に送り出そうとしている。
冒頭記述。〈入社間もない社員を海外で育成する海外トレーニー(研修員)制度を導入する日本企業が増すなか、新興国のインドへ若手を派遣する会社が増えている。ビジネス習慣や国民性などが日本や欧米先進国と大きく異なり、経済成長が見込まれるインドで、国際競争に勝ち抜く能力を培わせようというのが共通した企業の思いだ。最近は、スズキの子会社の工場で暴動が起きるなど日系企業にとって試練も少なくないが、とかく「内向き」と批判されがちな若手社員は、「将来のリーダー」としての力を蓄えている。〉――
問題は次の発言である。
小出浩一朗NECインド副社長「入社して年次を経てから来たのでは、現地スタッフに対し、上からモノを言うような人もいる。日本人がインド人より偉いわけではないことを若いうちに実感させる必要もある」
この発言の裏を返すと、多くの日本人が根拠もなく日本人優越論に侵されているということであろう。
いつも言っていることだが、優秀であるということは個人性に関わる資質であって、民族性を基準とした価値観ではない。
だが、多くの日本人が日本人は優秀だと民族性を基準とした資質としている。日本人は優秀であるとしてその一員に自身を加えて、自分は日本人だから優秀だとの思い込みから行動するために外国人相手に「上からモノを言うような人」が出てくる。
領土保全も重要であるが、そのことと同等に世界全体を機会実現の領土として、実際上の領土自体を相対化することも重要であるはずだ。
私自身ができなかったことの期待でもあるが。
消費税増税法案が昨日8月10日(2012年)参院を賛成多数で通過、消費税増税法として成立することとなった。この通過・成立を記念してなのだろう、野田首相が10日午後、首相官邸で記者会見を開いた。
いくら記念しての記者会見であっても、シャンパンを注いだグラスを片手に持ち上げて、「乾杯」の音頭は取らなかった。
野田首相は消費税増税に関して「2つの」謝罪を行なっている。2つ目は経営苦しい「中小零細企業の皆様」に負担を強いることになる税だと正直に告白し、謝罪している。
尤も謝罪のすぐあとで、その負担を上回る国民の利益を並べて増税の正当性を訴える言葉を用意しているのだから、正直さもその程度である。
このブログでは1つ目の謝罪のみを取り上げる。
野田首相「消費税を引き上げるということ、国民の皆様に御負担をお願いするということは、2009年の総選挙で私ども民主党は勝利をさせていただきましたけれども、そのときのマニフェストには明記してございません。記載しておりませんでした。このことについては、深く国民の皆様にこの機会を利用してお詫びをさせていただきたいと思います」
マニフェストには書いてないことをやった、マニフェスト違反だったと、ここでも正直に謝罪している。
2014年4月8%、15年10月10%の消費税増税法を民自公大政翼賛的大多数で成立させてしまったのだから、ここでいくら謝罪しても最早後戻りはないと安心し切っての「お詫び」、謝罪であって、マニフェスト違反謝罪のこの正直さも些か怪しい。
真の正直さとは書いてないことをやることではなく、書いてから国民の承認を得て初めて手をつける姿勢のことを言うのであって、それが筋だからである。
いわば国民が求めていることはそういった筋の通ったプロセスであって、書いてないことを実現させてからの謝罪というプロセスではないはずである。
いくら理由をあげつらおうが、承認もなしの政策を実行してから、その未承認を謝罪するゴマカシがここにある。
野田首相が当初は消費税増税はマニフェスト違反ではないとの強弁を繰返していたことも、最早後戻りしないことの安心感からの記者会見の謝罪であることの証拠となる。
《谷垣「マニフェスト違反だ」野田「違反ではない」 国会で代表質問始まる》(ニコニコニュース/ 2012年1月26日(木)19時58分)
2012年1月26日午後の衆院本会議各党代表質問。
谷垣自民総裁「『マニフェストに書いてないからマニフェスト違反ではない』などというのは詭弁に過ぎず、特に憲法上の財産権の保障という国民の権利に直結する税の問題だけに、一体改革のマニフェスト違反は明らかだ。
総理はこれをどのように弁明するのか。当時の演説を撤回するのか、マニフェスト違反を正直に認めるのか」――
「当時の演説」とは、インターネット上に動画が出回っている、まだ野党時代だった野田首相が2009年8月に行った例の街頭演説のことである。
野田議員「マニフェスト、イギリスで始まりました。ルールがあるんです。書いてあることは命懸けで実行する。書いてないことはやらないんです。それがルールです。
書いてないことを平気でやる。これっておかしいと思いませんか。書いてあったことは4年間、何もやらないで、書いてないことは平気でやる。
それはマニフェストを語る資格がないというふうに、是非みなさん思っていただきたいと思います。
・・・・・・・・
シロアリがたかってるんです。それなのに、シロアリ退治しないで、今度は消費税引き上げるんですか?消費税の税収が20兆円になるなら、またシロアリがたかるかもしれません。 鳩山さんが4年間消費税を引き上げないと言ったのは、そこなんです」
「鳩山さんが4年間消費税を引き上げないと言ったのは、そこなんです」と言いながら、自分はマニフェストに「書いてないことはやらないんです。それがルールです」に反して消費税増税法の成立を実現させた。これを以て正直だとはとても言えない。
谷垣総裁の代表質問に対する野田首相の答弁。
野田首相「民主党が前回総選挙時に国民に対して約束したことは『衆議院の任期中には消費税の引き上げは行わない。引き上げを行う際には国民に信を問う』ということ。この方針は今でも変わらない。
今回の一体改革において、政府与党でとりまとめた素案では、第1弾の消費税の引き上げは2014年の4月を予定している。これは現在の衆議院議員の(2013年の)任期終了後だ。当然、引き上げの前には総選挙を行うことになる。従って、一体改革の実現が国民に対する裏切りとのご指摘は当たらないものと考えている」
ここにはゴマカシがある。
衆議院議員2013年8月29日任期満了以降の増税だから、マニフェストに書いてなくても違反にはならないと言っているが、消費税増税法を成立させてしまってから、国民の信を問うのと、成立させる前に、成立させたいからと国民の信を問うのとは似て非なるものである。
もし自民党も公明党も野党全体が消費税増税に反対であったなら、衆議院議員任期以降の総選挙で国民の信を問うという正当性はいくら「不退転」を売り物の野田首相でも用いることはできなかったろう。
少なくとも野党第2党の自民党が同じ10%の消費税増税をマニフェストに掲げていた。一旦上げてしまえば、次の総選挙で覆ることはあるまいという予定安心感から、衆議員任期4年以降の引き上げだから、マニフェスト違反ではないという正当性を打ち出すことができたはずだ。
参院での与野党逆転のねじれをも考慮して、その安心感をより確実・絶対とするために自民党との協議を必要とした。幸いなことに公明党が仲間外れされることを恐れて、あとから加わることになった。
2012年1月26日午後の衆院本会議各党代表質問翌日1月27日の参院本会議での中曽根弘文自民党参院議員会長の代表質問に対する答弁でも、谷垣総裁に対する答弁同様の趣旨で消費税増税はマニフェスト違反ではないと強弁している。
中曽根議員「首相は与野党協議で消費税増税を決めようと持ちかけているが、国会を軽視するやり方には乗らない。民主党内をまとめ、消費税増税をマニフェスト(政権公約)に明記し、衆院解散・総選挙で国民に信を問うべきだ」
野田首相「消費税の最終判断は(平成26年4付きの)引き上げ実施の半年前に行うことを想定しており、(次期衆院選後の)新しい政権が引き上げの最終判断を行う。マニフェスト違反ではない。社会保障と税の一体改革は先送りできない与野党共通の課題。やり抜くべきことをやり抜いた上で国民の判断を仰ぎたい」――
野田首相の強弁は例の如くのいつもの繰返しとなっていて驚きはしないが、中曽根議員の質問は見逃すことはできない。
首相の与野党協議で消費税増税を決める政治手法は「国会を軽視するやり方」だと批判している。
そういった国会軽視の政治手法には自民党は乗らない。「消費税増税をマニフェスト(政権公約)に明記し(てから)、衆院解散・総選挙で国民に信を問うべき」政治手法が正しい遣り方だと言っている。
だが、現実は自民党は民主党に対して提案した、消費税増税をマニフェストに掲げて選挙を戦うのが正しい遣り方だとした政治手法を免罪し、公明党と共に与野党協議の「国会を軽視するやり方」に乗った。
何のことはない、少なくとも自民党は「国会を軽視するやり方」だと承知していながら、与野党協議を舞台の陰謀劇を民自公3党で繰り広げたことになる。
民主党も民主党だが、自民党も自民党である。勿論、ここに公明党を加えなければならない。
約4ヶ月後の5月24日の衆院消費増税関連特別委員会で野田首相は初めて謝罪発言をしている。《増税提起は「公約違反」 首相、初めて認める 衆院委》(asahi.com/2012年5月25日0時14分)
記事の結びは次のように書いている。〈野田首相は国会審議で、税率を最初に引き上げる2014年4月は衆院議員の任期満了より後だという説明を繰り返してきたが、野党は「詭弁(きべん)だ」「詐欺だ」と批判してきた。首相の特別委への出席は、この日でひと区切りとなる。〉
要するに野党の激しい追及に妥協するために「お詫び」の言葉を用いたに過ぎない。消費税増税はマニフェスト違反だと明確に謝罪したわけではない。
逆に消費税増税を正当化している。
このことは野田首相の発言自体が証明している。
野田首相「2009年(の衆院選で)マニフェストに明記せず、口頭では任期中に上げないと国民に訴えた。選挙時に明確に方向性を打ち出していなかったことはお詫びする」――
「2009年(の衆院選で)マニフェストに明記せず、口頭では任期中に上げないと国民に訴えた」。それを4年間守るのがマニフェストに掲げたことの意味であり、守ってこそマニフェストの価値が生じる。
だが、そのことを無視して、「選挙時に明確に方向性を打ち出していなかった」ことは間違いだったとし、その間違いに「お詫び」をしている。
矛盾そのものの言い方だが、野田首相は合理的判断能力を全く欠いているから、その矛盾に気づかない。知らぬが仏の幸せ者である。
「選挙時に明確に(消費税増税の)方向性を打ち出して」いたとしたら、当然、マニフェストに明記してあり、その明記に従った行動となる。
いわばマニフェストに掲げた政治工程と選挙活動、及びその後の政治行動は主と従の相互対応関係にある。
だが、マニフェストには明記してなかったのである。明記してない以上、「選挙時に明確に方向性を打ち出」しようがなかったのであり、それがマニフェストに相互対応した正当な選挙活動なのだが、後になってから、そのこと自体が間違いだったとして、そのことに消費税増税の正当性を置いている。
いわば「打ち出し」ようもないことに「打ち出していなかった」と謝罪しているのである。
「お詫び」にもならない、ゴマカシそのものの矛盾である。野党のマニフェスト違反の追及に対して消費税増税を正当化するために詭弁を用いたに過ぎない。
もし野田首相が「不退転」を言い、「政治生命を賭ける」を言うなら、最初に解散して、消費税増税をマニフェストに明記してから、総選挙で民意を問う筋の通った、国会軽視にも民意軽視にもならない、堂々とした行動に出るべきだったろう。
堂々とした行動に出ることによって初めて、本当の意味での「不退転」となり、本当の意味での「政治生命を賭ける」となったはずである。
選挙期間中、自身の言葉の限りを尽くし、知恵の限りを尽くし、体力の限りを尽くして遊説の全国行脚に出かけ、国民の理解を獲ち取ってこそ、政治生命を掛けたことになる。
だが、実際に行ったことは詭弁を用いてマニフェスト違反ではないと消費税増税を正当化し、国会軽視・国民軽視の3党談合の陰謀で消費税増税の法律を成立させたに過ぎない。
「政治生命を賭ける」は見せかけに過ぎなかった。矛盾していようがいまいが詭弁とゴマカシを用い、解散という当てにもならないエサをぶら下げて、単に巧妙に立ちまわっただけである。
野田首相は昨日の消費税大増税法案成立記念記者会見で消費税税収はすべて社会保障に使うと約束している。
野田首相「今回、消費税の引き上げという形で国民の皆様に御負担をお願いいたしますが、その引き上げられた分は、増収分はすべて社会保障として国民の皆様に還元をされる。すべて社会保障として使われるということをお約束させていただきたいと思います」――
谷垣総裁の解散時期明示を要求條件とした社会保障と税の一体改革関連法案参院賛成の方針に対して、野田首相は8日午後7時半から谷垣自民総裁と国会内で党首会談、「近いうちに信を問う」を条件に参院賛成を獲ち取った。
だが、輿石民主党幹事長が、「来月には民主党代表選挙と自民党総裁選挙があり、2人とも交代することはないと思うが、仮に2人が交代すれば、2人の話は終わりだ。合意がまだ継続していると考えるならば、再度やればいい」(NHK NEWS WEB)と、代表選次第で変わるその有効性の限界説に言及したのに対して野田首相が次のように発言している。
《野田首相、後継者の解散権縛れず=「近いうち信問う」の合意-増税法案、午後成立》(時事ドットコム/2012/08/10-12:59)
新党「国民の生活が第一」の中村哲治参議員が代表選の結果、首相が退陣した際の合意の効力を質したのに対する答弁だそうだ。
野田首相「解散権はそのときの首相の判断だ。もし私が(民主党)代表でなくなった場合は、後の首相の解散権を縛れる話ではない。
公党の党首間の合意があったということはしっかり(後継者に)伝える」
言っていることが矛盾している。「公党の党首間の合意があったということはしっかり(後継者に)伝え」たとしても、「後の首相の解散権を縛れる話ではない」なら、言う意味はない。
例え野党の要求に応じて解散したとしても、野田首相の「近いうちに信を問う」確約(?)とは異なる本人の事情、政局からの解散になるだろうからである。
「後の首相の解散権を縛」ってこそ、次の後継者の事情、政局を超えて、野田首相の確約は生きてくる。
問題はこの確約の構図は消費税増税分の税収を「すべて社会保障として国民の皆様に還元」するとする野田首相の確約にも生かし得るということである。
いや、野田首相が総選挙の結果、次の首相の座を射止めたとしても、その可能性は限りなく低いが、野党時代は「マニフェストに書いてないことはやらないんだ」と言っていながら、首相になると書いてない消費税増税に走ったように、あるいは無能菅が野党時代、「沖縄には米海兵隊は要らない、米本土に帰って貰う」と言いながら、首相になると、「日本を取り巻く安全保障環境が変わった」と普天間基地の沖縄県内移転に走ったように、人間が変わらなくても政策を平気で変える前例からすると、次期首相が野田首相だったとしても、「すべて社会保障として国民の皆様に還元」は当てにはならないことになる。
筋の通った正々堂々とした政治行動で「政治生命を賭ける」消費税増税を実現させたのではなく、巧妙に立ちまわって実現させた巧妙さからしても、そう思って聞いておいた方が無難である。
8月8日午後7時半から野田首相と谷垣自民総裁が国会内で党首会談、解散時期の「近いうちに信を問う」の両者合意が早くも迷走状態に入り出した。
城島民主党国対委員長(9日)「1票の格差の是正や、国会議員の定数削減を盛り込んだ衆議院の選挙制度を改正するための法案は、なんとしても成立させたい。これをやらずして解散ということはあってはならない」(NHK NEWS WEB)
各党の党利党略から簡単には一致を見ない、それゆえに熱心に取り組んできたわけでもない衆議員選挙制度改革を持ち出し、一致に必要な長い時間に見合った解散先送りの欲求をありありと披露に及んでいる。
「『近いうちに信を問う』という言葉に拘る必要はない」とシカトを決め込もうとしていた輿石民主党幹事長が9日、具体例を上げて無効となるケースを示した。
輿石幹事長「来月には民主党代表選挙と自民党総裁選挙があり、2人とも交代することはないと思うが、仮に2人が交代すれば、2人の話は終わりだ。合意がまだ継続していると考えるならば、再度やればいい」(NHK NEWS WEB)
社会保障と税の一体改革関連法案が参院を通過したなら、野田降ろしに取りかかる号令かと勘繰ってしまった。
この輿石発言に対して谷垣自民党総裁の9日夜、記者団に語った反論。
谷垣総裁「論評のしようがない。社長が替わったら、社長同士が話し合って決めたことを、全部、一から始めなければと言っていたら一般社会人として通用しない。与党の幹事長がよくそんなばかなことを言えると思う。政治家失格だ。
(赤字国債発行法案の取り扱いについて)予算のムダを省くなど、いろいろやることがある。早く解散して、新しい体制のもとで整理して通すのが王道だ」(同NHK NEWS WEB)
では、「社会保障と税の一体改革」関連法案修正協議入りの条件に消費増税法案成立と引き換えに衆院解散の確約させる「話し合い解散」を求め、その線に添って3党合意し、解散の確約が怪しくなると、衆院内閣不信任案の提出だ、参院問責決議案の提出だ、確約がなければ参院は関連法案に反対だの条件闘争を持ち出したことは胸を張って「王道だ」と言えるのだろか。
野田首相にしても参院採決先送りの政局に転じようとしたものの、谷垣自民党側にしても党利党略剥き出しの政局で対応しようとした。
3党合意による「社会保障と消費税増税等の一体改革」は解散時期明示の道具として賛否の態度を決定することができる程に軽いものらしい。
そういった姿勢を見せること自体が既に王道とは程遠い不純な態度そのものとなっている。
なぜ話し合い解散などといった密室の取引に陥りやすい分かりにくい手を使ったのだろうか。大体が消費税増税政策も増税率も民主党と自民党はほぼ同じだが、その使途と社会保障制度改革の内容が大きく違う。民主党は年金制度一元化や最低保障年金といった新制度を持ち出しているのに対して自民党は現行制度の改善でいく、大違いの政策を取っている。
また、野田政権の消費税増税はマニフェストに書いていなかったことで、マニフェスト違反だと激しく批判を繰り広げていた。
「消費税増税率は同じだとしても、民主党の増税はマニフェスト違反であり、民主党の社会保障制度は我々のと大きく違っているゆえに賛成はできない。マニフェスト違反の是非を問うためにも解散して、どちらの社会保障制度と税の一体改革を選択するか、選挙を行うべきだ」と言った方が国民に分かりやすい方法だったはずだ。
公明党も民主と自民の修正協議に後から参加する前は消費増税法案否決・解散総選挙の構えを基本姿勢としていたのだから、公明党の協力は問題なく獲得できたはずだ。
野田政権にしても、参院で賛成を得ることができなければ、解散して、国民の判断を仰ぐしかない。
多分、消費税増税に関わる賛成・反対の世論が賛成が少し上回る形で約半々の状況で推移していたことから、双方消費税増税を掲げて選挙を戦ったとしても、消費税増税反対の中小野党に票が流れる可能性を計算して、自分たちの議席を減らす恐れから民主党政権のうちに増税を決めてしまった方が面倒はない、後腐れはないと色気を出したといったところではないだろうか。
そういった色気のために解散を確約させる、あるいは解散の密約を交すといった分かりにくい手法を選択したとしたら、まさしく王道から遠く離れることになる。
正々堂々と正面から解散を求める戦術を採らずに解散を法案賛否の道具とする、王道とはかけ離れた不純な政治手法に走ること自体、例え次期総選挙で自民党が第一党を取ったとしても、谷垣総裁には既に次期政権を任せる力量はないと言える。
解散時期の明示がなければ衆院不信任案提出だ、参院問責決議案提出だ、参院は法案には賛成できないとあれ程騒いでいたのに、党首会談で一転して、「近いうちに信を問う」という国民には分かりにくいゆえに国民に対する説明責任を果たすことができない内容で(それとも説明できると思っているのだろうか)決着をつけた腰砕けを新党「国民の生活が第一」の小沢代表が批判している。
《小沢氏“自民迷走は今の政治の象徴”》(NHK NEWS WEB/2012年8月9日 18時48分)
衆議院の会派の全議員総会での発言だそうだ。
小沢代表「ここ数日間は、いらぬ気遣いをさせられたが、『大山鳴動にしてなんとか』という結果になった。勇ましいことを言っても、いざ最後になると、腰砕けになるというのは、最近ではよくあることだが、半世紀も政権を担い、今なお第2党の自民党の総裁らが、このように迷走するというのは、今日の政治を象徴しているようで、心配でならない。
私どもは、政権交代の大義や初心を堅持することが、国民の期待に応えることだと考えている。きょうの内閣不信任決議案の採決でも、堂々とわれわれの主張と姿勢を堅持しつつ、頑張りたい」
当然、例え次期選挙で自民党が第一党を取ったとしても、これだと決めて突破するのではなく、決断力なく迷走するような谷垣総裁には首相として次期政権を任せる力量はないということになる。
藤村官房長官は野田首相の「近いうちに信を問う」の解散時期提示に関して次のように発言している。
藤村官房長官「受け止め方はさまざまあると思う。ただ、衆議院の解散は、総理大臣の専権事項であり、ほかの人が憶測を述べるのは適切ではない」(NHK NEWS WEB
「近いうちに信を問う」の解散時期に関しては野田首相と谷垣総裁の間で合意したのである。あるいは山口公明党代表を加えて三者で合意した。
合意は一種の契約である。契約である以上、「近いうちに」がいつなのか、三者が決めることになる。決して野田首相一人で決めていいことではない。
いわば解散が総理大臣の専権事項であることから離れたのである。
野田首相一人で決めることができるなら、合意の意味を失うし、契約の意味も失う。例え確認書の形を取らなくても、口頭の契約であっても、契約として生きる。
後は信義の問題である。野田首相が菅仮免みたいに信義を欠く男なら、何をか言わんやである。
このことを裏返して言うと、野田首相は菅仮免みたいな人間になるかならないかの瀬戸際に立たされているということになる。
信義を欠くことによって首相の専権事項としての解散権を手元に置いておくことができる。