右翼の軍国主義者安倍晋三が(「私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞ呼んで頂きたい」と言っているから、今後右翼の軍国主義者安倍晋三と呼称することにする。)、10月19日、福島第1原発を視察した9月19日以来福島入りして相馬市松川浦漁港を訪れ、東電福島第1原発の汚染水問題で一時中断し、9月25日に試験操業を再開した、その活動状況の説明を受けたそうだ。目的は自ら漁業現場に入り、汚染水問題による風評被害の払拭に努める考えからだという。
《首相 風評被害の払拭努める》(NHK NEWS WEB/2013年/2013年10月19日 18時54分)
首相自ら漁港に行き、風評被害払拭ということなら、試食が付きものとなる。近海で採れたタコ、イカ、試験的な漁が始まったシラスを試食したという。
貧乏人には手が届かない高級魚類ばかりだ。
多分漁港関係者に述べたのだろう。
右翼の軍国主義者安倍晋三「全国の皆さんにおいしくて安全だということを知ってもらいたい。われわれもしっかり発信していく」
その後新地町に行き、地震と津波で大きな被害を受けたことから住民を高台に集団移転させる事業の進捗状況を視察。さらに南相馬市に移動、原発事故による旧警戒区域内で生産活動を再開した厨房機器の工場を訪問。
一連の視察後、記者たちに発言。
右翼の軍国主義者安倍晋三「試験的とはいえ漁が再開し、検査の結果、すべて安全であることが明らかになった。
一方、事実に基づかない風評によって被害を受けているのも現実で、福島の水産物や農産物は安全だという正確な情報をしっかりと発信していきたい」――
「事実に基づかない風評によって被害を受けているのも現実」だと、依然として風評被害が存在することを訴えている。
だからこそ、風評被害の払拭に努める必要が生じて、「福島の水産物や農産物は安全だという正確な情報」の発信の象徴として、首相直々のタコ、イカ、シラスをパクつく試食のパフォーマンスということなのだろうが、当然、「政治は結果責任」、試食のパフォマンスの効果が問題となる。
福島の土地、福島の山、福島の海が放射能に汚染されてから、風評被害払拭のパフォーマンスとして試食を試みてきた首相は何も右翼の軍国主義者安倍晋三が初めてではないことは誰もが承知しているはずだ。
福島原発事故発生時の日本の首相菅無能は原発事故発生から約3カ月後の2011年4月15日、庄條徳一JA福島中央会会長が首相官邸を訪れて持ち込んだ福島県産のキュウリとイチゴを頬張って、その安全性をアピールする試食パフォーマンスを行っている。
《「カイワレ」再演?…首相、福島産キュウリをガブリ》(asahi.com/2011年4月15日23時29分)
記事解説。〈首相は厚生相時代の1996年、O(オー)157による食中毒をめぐるカイワレダイコンの風評被害防止のため、報道陣の前でサラダを試食したことがある。今回、15年ぶりにパフォーマンスを再演した。〉
庄條会長「首相はカイワレダイコンを食べて風評被害を飛ばした『魔力』を持っている。食べていただくことで、国民に何ら問題はないんだ、と風評を一掃できれば」
菅無能「精一杯頑張ります」
と言って、次々とパクついていったという。尤も記事の表現は、〈次々と口にした。〉となっている。
庄條会長は「首相はカイワレダイコンを食べて風評被害を飛ばした『魔力』を持っている」と、最大限の評価を与えているが、カイワレダイコンの風評被害の火をつけたのは菅無能自身である。
自分で火をつけて、試食でその火を消そうとした。いわばマッチで自分で火をつけておいて、消防ポンプで自分で消して、手柄を自分のものとするマッチポンプを演じたに過ぎない。
「Wikipedia」によると、1996年8月にO157の感染者が出たとき、厚生相だった菅無能が記者会見。
菅無能「大阪府内の業者が出荷したカイワレ大根が原因となった可能性は否定できない」
その直後からカイワレ大根への風評被害が発生し、結果倒産・破産するカイワレ農家や業者(その大半が自営業者や零細企業であった)が続出、自殺者まで出る事態となった。
だが、その後の立入検査で施設、従業員及び周辺環境からはO157は検出されなかったため、菅無能はカイワレサラダを試食、安全性をアピールすることになった。
但し後になって自分の主張の正当性を訴えた。
菅無能「O157以外の通常自然界に存在するはずの細菌も一切検出されなかったのだから、事件後消毒されたことは明白で証拠隠滅が図られた」――
あくまでもカイワレダイコンが真犯人だと主張するなら、なぜカイワレを試食して安全性をアピールしたのだろうか。
この発言がカイワレ生産業者等の裁判への火をつけたに違いない。国家賠償を求める民事裁判を起こした。
2002年大阪地裁判決文「当時のO-157感染症の発生状況に照らし、これから更なる調査を重ねなければならない状況下において、かかる過渡的な情報で、かつ、それが公表されることによって対象者の利益を著しく害するおそれのある情報を、それによって被害を受けるおそれのある者に対する十分な手続的保障もないまま、厚生大臣が記者会見まで行って積極的に公表する緊急性、必要性は全く認められなかったといわざるを得ない」
「中間報告の公表は、相当性を欠くものと認定せざるを得ない」として、菅および厚生労働省公表方法の過失と風評被害を認定。
この判決に対して菅無能のHP.
菅無能HP「『十分な科学的根拠がない』と判決が認定した疫学調査は集団食中毒などでは極めて有効な調査方法である。裁判官の判断は疑問」――
国は控訴。
2004年大阪高裁判決「(厚生省の公表によって)被控訴人が被る打撃や不利益に思いを至せば、その時点では、公表すべき緊急性、必要性があったものということはできない。
公表方法の選択が政策的判断であるという見地に立つとしても、その判断には逸脱があり違法である」
菅無能及び厚生省の過失を認定、国側敗訴が確定。
2005年6月、日本かいわれ協会が第20回総会に於いて日本スプラウト協会へと名称変更。
「スプラウト(英: Sprout)」とは、〈主に穀類、豆類、野菜の種子を人為的に発芽させた新芽〉のことだそうだが、名称変更はカイワレダイコンが1996年以降、一旦失墜した信用をなかなか回復できず、販売不振に依然として陥っていたことからの、それらの不評解消のキッカケとすべく、心機一転を期して行ったはずで、菅無能がカイワレダイコン試食のパフォーマンスを演じても、その効果は2005年に至っても芳しい成果を上げていなかったことを示しているはずだ。
もし菅無能の試食パフォーマンスが効果テキメンで、販売に何ら支障がなくなっていたなら、日本スプラウト協会と名称変更するよりも日本かいわれ協会の方が消費者に理解されやすく、名称変更の必要性は生じなかったはずだ。
いずれにしても、原発事故による放射能不安から、福島県の農産物・水産物が敬遠されることになり、菅無能は福島県産のキュウリとイチゴを、その安全性をアピールするために試食するパフォーマンスを演じた。
菅無能はさらに翌月の5月8日、東京都内にある福島県のアンテナショップ「福島県八重洲観光交流館」を訪れて、南相馬市で作られた豆腐のみそ漬けなどを試食、店内で販売している食料品などおよそ10点を購入して、風評被害の影響を受けている福島県産の食料品等の安全性をアピールしている。
《首相 福島県産の安全性をPR》(NHK NEWS WEB/2011年5月8日 18時38分)
菅無能「風評被害で福島の商品が売れないことがないように、ぜひ多くのみなさんに買ってもらいたい。政府としても、食べて、飲んで、観光で応援しようと思っている」
続いて被災地の野菜や商品をインターネットで販売している業者と懇談。
菅無能「政府は情報を一生懸命出しているけれど、伝わっていない部分もある。インターネットを通じてどう情報を出していくかも、積極的に考えていきたい」――
菅無能は「政府は情報を一生懸命出しているけれど、伝わっていない部分もある」と、「情報」の中に試食のパフォーマンスも入れているはずだが、その効果の不十分(次の野田首相も安倍晋三も試食を演じなければならないのだから、実際には効果の無効)を言い、右翼の軍国主義者安倍晋三は「事実に基づかない風評によって被害を受けているのも現実」と、試食のパフォーマンスを含めた風評被害払拭に向けた政府情報発信の効果の不十分を言っている。
にも関わらず、試食パフォーマンスを演じる。
菅無能はさらに日中韓首脳会議出席のため来日した中国の温家宝首相と韓国の李明博大統領を巻き込んで、5月12日、福島市のあづま総合体育館で福島県産のミニトマトなどを試食するパフォーマンスを演じている。
外国首脳を混じえれば、それだけ効果が上がると思ったのだろうか。
そして試食パフォーマンスは次の野田首相に引き継がれた。風評払拭の試食パフォーマンスも、その他の政府情報の発信も効果不十分だったことを意味する。
2012年4月28日、連合のメーデー中央大会の会場に設けられた、東日本大震災の被災地を支援するための物産展を古賀連合会長と共訪れて、福島県支援のテントで福島産のいちごときゅうりを試食、岩手県支援のテントでは、2種類の日本酒を試飲するパフォーマンスを見せている。
酒好きであることのアピールには役立つパフォーマンスとなったに違いない。
《首相 被災地の食品の安全性PR》(NHK NEWS WEB/2012年4月28日 15時41分)
野田首相「いちごより、こっちの方が似合うかな。(きゅうりを口にして)うまい!」
さらに2012年7月7日の七夕の日、福島県いわき市の小名浜港や小名浜魚市場を訪れて、東日本大震災で大きな被害を受けた漁港や魚市場の復興状況を視察し、政府として農林水産物の風評被害の防止に引き続き取り組んでいきたい考えを示したという。
《首相 漁港の復興状況などを視察》(NHK NEWS WEB/2012年7月7日 13時26分)
漁港に隣接した観光物産センターを訪れて、結構毛だらけ、猫灰だらけのフラガールの歓迎を受けたという。
小名浜港では水揚げされたカツオを試食するパフォーマンスを演じて、その安全性をアピールした。
野田首相「被災地の生の声を存分に吸収し、復旧・復興に向けた政府の具体的な政策に生かしていたい。福島県の農水産物の大きな課題は風評被害対策だ。正確、的確に放射線量をはかって内外に情報提供していくことが必要だと思うので、政府としての後押しをこれからもしっかりとやっていきたい」――
だが、次の首相、右翼の軍国主義者安倍晋三も試食パフォーマンスを続けなければならなかった。
要するに各首相が試食パフォーマンスを続けていること自体がその効果が不十分であることを意味し、風評被害払拭の他の政府情報の発信も、何らかの政府政策も見るべき効果を上げていないことを示しているはずだ。
にも関わらず、相変わらずのように効果不十分な試食パフォーマンスを繰返す。肝心なのは風評被害払拭の効果ある政府情報の発信であり、あるいは効果ある政府政策であるはずだ。
矛盾そのものではないか。
今回の台風26号の通過の際、伊豆大島の神津島・神津島村役場では、大雨が降る前に早目の避難所の設置と降雨量に応じた避難勧告伝達予定の前以ての案内を全村に行うなど住民に対して状況の段階に応じたそれなりの備えを要請していたとの報道がある。要するに危機管理を的確に機能させていた。
このことに入る前に一昨日のブログにちょっと書いたが、神津島村とは正反対に危機管理を満足に機能させることができなかった大島町長の性懲りもない根拠のない、要するに責任逃れでしかない弁解に触れたいと思う。
《「二度と過ち繰り返さぬ」=想定甘さ何度も謝罪-大島町長》(時事ドットコム/2013/10/18-18:32)
10月18日の時事通信の取材に応じた時の大島町長の発言であるが、先ず記事が伝えている気象庁の台風情報と町の対応の経緯を記してみる。
気象庁
10月15日夕、伊豆大島に大雨洪水警報を発令(他の記事によると、午後5時38分)
10月15日午後6時5分、土砂災害警戒情報発令
大島町
防災計画の規定で土砂災害警戒情報が発令された場合、町長が避難勧告の必要性を判断
町は主張中の町長に15日午後4時以降、何の連絡もしない
町長は災害発生後まで警戒情報が発令されていたことを認識することができなかったとしている
結果、避難勧告も避難指示も発令しなかった
以下町長の話
防災担当の職員らは台風に備えた未明の再集合に備えて15日午後6時半頃までに順次帰宅
役場は警備員や残業の職員のみ残る
町幹部が16日午前1時頃に町役場に顔を出すまで、担当者不在の状況が6時間以上続いた
果たして町役場の職員は誰も町長に15日午後4時以降、何の連絡もしなかったのだろうか。連絡があって、何の対応も取らなかったということなら、重大な責任問題が発生するために町職員に箝口令を敷き、情報隠蔽を謀ったということもあり得る。学校校長や学校教師、あるいは企業トップ、警察トップ等が起きた不祥事に対して認識していなかったなどと無関係を装いながら、様々な事実が出てきて、最後には認めるといったことが繰返し起きていることを教訓とすると、この疑いは必ずしも否定できない。
例えこの疑いがゲスの勘繰りに過ぎなかったとしても、町長も役場職員も、台風といった自然災害に対しては時間の進行に応じた状況の変化を見守って、変化に備えるという危機管理の初歩的な姿勢・プロセスを欠如させていたことは事実だと指摘はできる。
この姿勢・プロセスを厳格に守っていたなら、15日午後6時半頃までに順次帰宅するといったことはせず、逆に15日夕方から気象庁や上部自治体等の関係機関、その他地元からの情報収集と同時に住民に対して情報収集に応じた情報発信がいつでも可能な役場に陣取って、刻々の状況の変化に備える危機管理に当たっただろうし、土砂災害警戒情報が発令されると同時にその情報を町長に伝える手順を踏んだだろうし、町長にしても連絡を受けて避難勧告、あるいは避難指示を出す出さないの判断は行ったはずだ。
その判断が夜間であることから、「無理に避難をさせれば、さらに被害を増やしてしまう」ということであったとしても、防災責任者としての手順を踏んだ危機管理を一応は機能させることができたことになる。
大島町長「土砂災害警戒情報が出たことを知らず、避難勧告の判断ができない状況だった。想定が甘かった。連絡があっても、避難勧告を出せたか疑問。土砂災害に対する自分の認識がそもそも甘すぎた。
台風のピークが午前2時ごろと甘く考えており、情報収集にも問題があった。土砂災害警戒情報がどのように取り扱われていたかも確認する必要がある。
防災計画で自主避難をうたいながら、対応できていない。矛盾しており、反省するしかない。
(今後について)次の被害防止が最優先。いつでも避難できる環境整備や早期の注意喚起に全力で取り組む」――
「台風のピークが午前2時ごろと甘く考えて」いた――危機管理の初歩的なイロハであるにも関わらず、刻々の状況の変化を見守り、変化に対応した姿勢・プロセスを踏んでいなかったことを暴露しているが、それ以前の問題として、「ピークが午前2時ごろ」と想定していたなら、ピークになる前に何らかの手を打っていなければならなかったはずだから、あとで理解した実際の状況から当てずっぽうに口にした責任逃れの弁解に過ぎない可能性が高い。
実際にも土砂災害発生は16日朝の2時から4時の間だというから、激しい雨はそれ以前から降り続いていたことになる。
その段階で何らかの手を打っていなければならなかった危機管理であるはずだが、何らかの手を打つよう指示も出さずに、「台風のピークが午前2時ごろと甘く考えて」いたなどと言う。
また、台風に伴う記録的な集中豪雨、あるいは台風ではなくても、積乱雲の異常な発達による記録的な集中豪雨は最早珍しいことではなく、危機管理上備えなければならない常識となっている。
今年だけ例を取ったとしても、2013年9月16日朝8時前に愛知県豊橋市付近に上陸した台風18号は滋賀県、京都府、福井県に48時間雨量が200ミリから450ミリという数十年に一度しかないような記録的な大雨をもたらして大きな被害を出しているし、2013年7月28日の山口県と島根県に大きな被害を出した記録的な集中豪雨は、ビルの背後にビルが建つように連続発生・発達した積乱雲(「バックビルディング型」と言われているという。)によってもたらされたもので、2013年8月9日に秋田県と岩手県を襲って、平年の1カ月分を上回る記録的な豪雨をもたらした災害もこの「バックビルディング型」で、奥羽山脈で繰返し発生・発達した積乱雲が原因だとされている。
常識としなければならない集中豪雨、あるいは記録的な大雨への備え・危機管理は土砂災害、浸水、洪水、河川氾濫等々の想定とその備えを追加の危機管理とする次なる常識としなければならない。
危機管理上の取るべき対応を取りもせずに、他の多くのケースでも見ることだが、「想定が甘かった」とか、「土砂災害に対する自分の認識がそもそも甘すぎた」とか、「情報収集にも問題があった」などと危機管理の不備、あるいは責任の不備を言うだけで、決定的な能力欠如は決して口にしない。
性懲りもなく繰返している根拠のない、責任逃れの発言だからだ。
では、大島町と正反対の危機管理に動いた神津島・神津島町の対応を見てみる。《伊豆諸島 早めに避難呼びかけた自治体も》(NHK NEWS WEB/2013年10月18日 18時43分)
危機管理対応の時間的経緯は次のようになっている。
10月15日午後5時30分――土砂災害警戒情報が出る前に避難所を設置、防災無線を使って住民に伝える
午後8時25分――防災無線「降り始めからの雨量が110ミリを超え、土砂災害の危険が高まって
います」と崖下にある3地区の住民に避難準備を呼びかけ、高齢者等、避難に時間
が掛かる住民に対しては避難開始を要請する
と同時に「雨量が村の防災計画に規定された140ミリに達したら避難勧告を発表す
る予定です」と伝える。
10月16日午前0時20分――村内3地区に避難勧告を発令
例え夜間で強い雨が降っていても、土地カンがあり、山に向かって進むのではなく、河川やがけ崩れの恐れのある場所から道路がより整備された場所に向かうのだから(道路が整備されていない避難所というのは考えにくい)、災害が発生するまでの時間に余裕をつくりさえすれば、大島町長が言うように「無理に避難をさせれば、さらに被害を増やしてしまう」といった危険は十分に回避可能である。
神津島村役場は先手先手の危機管理に動いた。
山田多加美さん(63歳)「避難勧告が出たあと、高齢者を連れて大雨の中を動くのは難しいと考えて早めに避難しました。行政が先手を打って避難所を設け、行動を促してくれたことが判断の助けになりました」――
要するに役場が防災無線で、「雨量が村の防災計画に規定された140ミリに達したら避難勧告を発表する予定です」と、状況の変化に応じた対応を前以て知らせてくれたことが助けとなったと言っている。
彼女の発言を記事で読んだだけでも、涙が出てくる。
行政にしても、対する住民にしても、かくあるべきだろう。
記事解説。〈神津島村によりますと、防災計画には、「避難勧告の前に避難所を開設する」などの規定はありませんが、台風の進路が当初は島にまっすぐ向かってきていたことや、避難勧告を出すのが真夜中になると見込まれたことから、早めに態勢を取り準備を進めたということです。〉――
だが、大島町はこういった状況の変化を前以て読んだ対応を取らなかった。
土谷文康神津島村総務課主幹「結果的に空振りになったとしても、行政が早めに準備を進めることが大切だと考えた」――
一昨日のブログに、前以ての危機管理が〈例えムダに終わることになったとしても。危機管理がムダに終わること程、幸せなことはない〉と書いたが、この場合の「ムダに終わる」(=「空振り」で終わる)は住民全員の無事を意味する。
大島町の例を見ると、上に立つ人間の違いにあることだけは確かだ。上に立つ人間の違いによって、生命(いのち)の軽重に違いが出てくる。
このことは私から見ると、安倍晋三にも言えるはずだ。国家の発展を優先させ、その反映としての国民の幸せを考えている国家主義者であって、国民の幸せの反映としての国家の発展が頭にあるわけではない。
国家の発展を優先させているから、そのためには一部の国民が犠牲になったとしても構わないと考えているはずだ。だから経済成長の統計や雇用統計を口にしても、非正規社員の存在やその収入の少なさは口にしない。
安倍首相「私の基本的な考え方として、国のために命を捧げた英霊に対して国のリーダーが尊崇の念を表する、これは当然のことだろうと思いますし、各国のリーダーが行っていることだろう、こう思っています。
その中で、前回の第一次安倍内閣に於いて参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった、このように思っております」(2013年2月7日衆議院予算員会)
「前回の第一次安倍内閣に於いて参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった」と言っておきながら、2012年12月26日首相就任後、4月21日から23日の春の例大祭に於いても参拝を見送って真榊奉納に代え、本命とすべき8月15日の敗戦の日も参拝を見送って、自民党総裁名の玉串料を収めている。
そして今回、10月17日から20日までの秋季例大祭の初日10月17日に、やはり参拝を、「内閣総理大臣 安倍晋三」名の真榊奉納に代えた。
すべて中国・韓国の反発を考慮しての参拝見送りであり、当然、その参拝の見送りは第1次安倍内閣で参拝しなかったことが「痛恨の極み」という強い後悔の念を誘った程に総理大臣としての立場での参拝成就への思いが強烈であるだけに、その参拝成就の思いへの精神の抑圧が働いて、総理大臣として参拝する想像裡の自分と参拝を見送る現実の自分との葛藤が本人の中で渦巻いて然るべきである。
いわば総理大臣の立場で参拝する安倍晋三こそがホンモノの人格(=ホンモノの自分)ということになって、参拝せずに真榊奉納に代えて済ますのはニセモノの人格を抱えることになって、本人にとってはニセモノの安倍晋三ということになり、その両者の葛藤である。
総理大臣としての参拝を現実世界で達成させて「痛恨の極み」という強い後悔の念を晴らしてこそ激しいカタルシス(精神の浄化)を得て、多分勝ち誇り、安倍晋三は自らの人格を統一することができ、真榊奉納は参拝成就の思いを抑圧する分、ある種の人格の分裂を自らに強い続けることになる。
2005年5月2日、小泉内閣時代の自民党幹事長代理だった安倍晋三はワシントンのシンクタンク「ブルッキングス研究所」で次のように講演。
安倍晋三(中国が小泉首相の靖国神社参拝の中止を求めていることについて)「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」――
安倍晋三にとって参拝成就への強烈な思いを抑圧することになるニセモノの安倍晋三を演じて、人格の分裂を自らに強いるのはさぞかし辛いことだろう。参拝してこそホンモノの安倍晋三となることができる。その思いは強いはずである。
今年(2013年)8月6日、原爆投下の日の広島市記者会見――
安倍晋三「国の内外を問わず、国のために戦って尊い命を犠牲にした方々に対し、手を合わせてご冥福をお祈りし、尊崇の念を表する気持ちは持ち続けていきたい。その気持ちに全く変わりはなく、参拝についての私の思いは変わっていない」(NHK NEWS WEB)
「国のために戦って尊い命を犠牲にした」と、その行為を正義としているが、正義とすることはその正義を向けた対象である戦前の天皇を絶対的支配者と位置づけた軍国的帝国主義国家をも正義としていることになり、安倍晋三以下、靖国参拝論者たちは戦没者への追悼の思いを通して、あるいは実際の追悼を通して、戦前日本国家を正義の国家と肯定し、侵略戦争を否定する参拝行為、あるいは真榊奉納だということを見抜かなければならない。
安倍晋三が総理大臣の立場で靖国参拝を実現することによって果たすことのできる自らの人格の統一 ――ホンモノの自分であることの確立は、同時に戦前日本国家肯定の象徴的儀式の確立をも意味するはずである。
中国と韓国が、安倍晋三が直接の参拝を見送って代えた真榊奉納に対しても批判の声を上げた。例えそれが真榊奉納であっても、戦前日本国家肯定・侵略戦争否定の行為だと見抜いているからだろう。
最後に安倍晋三の真榊奉納についての加藤官房副長官の発言を取り上げる。
加藤官房副長官「国の内外を問わず、国のために戦って尊い命を犠牲にした方々に対して手を合わせ、ご冥福をお祈りし、尊崇の念を表することは当然のことと考えている。私人としての行動なので、政府として特段見解を申し上げる事柄ではない」
記者「私費で真榊を奉納したのか」
加藤官房副長官「公費で支出したとは承知していない」(NHK NEWS WEB)
例え私費であったとしても、安倍晋三は「内閣総理大臣 安倍晋三」名で真榊を奉納している。「内閣総理大臣 安倍晋三」として真榊奉納という公的な行動をしたことになるはずだが、それを「私人としての行動」だと言う。
こういったゴマ化しが平然と横行している。
今朝(10月18日)のNHKテレビニュースが伊豆大島・大島町を襲った台風26号の大雨のために大規模な土砂災害が発生、死者が22人に達したと伝えていた。安否不明者は27人。
このように多くの死者と安否不明者を出したのは大島町が避難勧告も避難指示も出さなかったことが原因している可能性をマスコミは伝えている。
大島町長は島に戻った10月16日夜と翌日の17日午前に記者会見しているが、16日の記者会見は後で取り上げるが、17日午前の記者会見で避難勧告も避難指示も出さなかったことが多くの被害者を出した原因の可能性に触れている。
大島町町「避難指示や勧告を出していれば住民が助かったかもしれず、お詫びしなくてはならない」(NHK NEWS WEB)――
なぜ出さなかったのかは大島町長が出張に出かけていたことも関係しているようだ。出かけた日は台風が大島町を襲った10月16日真夜中の前日、10月15日である。
台風情報よりも出張を優先させたのではないかと疑った。
いつもの小汚い勘繰りに過ぎないだろうが、それなりの基本的な根拠を言うと、台風、それが低気圧であったとしても、最近の傾向として通過地域のどこかが豪雨と呼ばれる大雨に襲われて、河川の氾濫、土石流、洪水等々の危険に見舞われ、それが災害化するのはもはや常識化しつつあるということである。
当然、気象庁からその手の予報が出たなら、進路に当たる地域の自治体は細心・最大の警戒心を払って刻々の状況の変化を見守らなければならない。
特に自治体の長は住民の生命・財産を守る役目を担っている。自治体が備えている危険のレベルに応じた対策をいつでも発動できるように状況の変化に関わる情報の収集に力を注いで、変化に合わせた対応を的確に取ることができる態勢を取っていなければならない。
自治体の長が不在の場合は、長に代わる誰かにその役目を託さなければならない。
それが一応は予想しなければならない災害に対する危機管理であり、実際に危険が迫った場合は危険のレベルに応じて予想していた危機管理を実行していかなければならない。
だが、気象庁が既に大型台風の予報を出し、大島町がその進路にまともに当たるにも関わらず、大島町長は10月15日の朝、出張に出た。
気象庁予報部が平成25年10月15日05時12分に発表した、《平成25年 台風第26号に関する情報 第14号》から、「台風の現況」と伊豆諸島に関係する箇所を見てみる。
[台風の現況]
〈大型で強い台風第26号は、15日3時には南大東島の東約260キロにあって、1時間におよそ25キロの速さで北北西へ進んでいます。〉で始まって、
中心気圧 940ヘクトパスカル
中心付近最大風速 40メートル
最大瞬間風速 60メートル
中心から半径220キロ以内 風速25メートル以上
「台風の現況」は、〈台風第26号は今後も強い勢力を保ったまま日本の南を北上し、暴風域を伴って16日には東日本太平洋側にかなり接近する見込みです。台風は16日夜までには、北海道の南東海上で温帯低気圧にかわるでしょう。〉で結んでいる。
16日にかけて予想される最大風速(最大瞬間風速)
伊豆諸島35メートル(50メートル)
16日6時までの24時間に予想される降水量
伊豆諸島 300ミリ
〈低い土地の浸水、土砂災害、河川の増水やはん濫に警戒してください。〉――
大島町長が主張に出かけた時間が気象庁予報部が「台風第26号に関する情報」を発表した10月15日05時12分より前なのか後なのかは分からないが、10月11日3時にマリアナ諸島付近で台風が発生して、10月14日の時点で大型で非常に強い台風に発達したことを伝えていて、「今年最大級の台風襲来」と、その危険性が表現され、中部地方から東北方面に向けて太平洋岸に沿って北上する進路が既に示されていた。
当たり前のことを言わなければならないが、伊豆諸島の中に大島は入っていて、伊豆諸島最大の面積を持つ。
10月14日気象庁発表の台風26号進路の10月16日午前9時の予想地点から大島町は台風の中心から東方向のかなり近い場所に位置している。
10月14日時点でこのような予報が出ているにも関わらず、翌日の10月15日、大島町長は出張に出た。副町長は前日14日に主張に出ていて、不在。
大島町長がもし台風情報よりも出張を優先させたのでなければ、大雨に襲われた場合、進路に当たる地域のどこかが災害化する最近の傾向としてある常識を弁えていなかったことになり、危機管理上、問題となる。
常識を弁えていながら、もし出張を優先させていたなら、危機管理上の最近の常識は出張優先の障害となる。当然、その常識を振り払って、出張に出たことになる。
次の記事が大島町長が避難勧告を出さなかった理由を伝えている。《大島町長 夜間だったので避難勧告出さず》(NHK NEWS WEB/2013年10月16日 21時26分)
10月15日午後4時、大島町長は出張先で総務課長から「かなりの雨が予想される」と電話連絡を受け、〈町役場で体制を取ることを決めた〉と解説している。
何の「体制」なのか、説明はない。避難勧告も避難指示も出さなかったのだから、収集・把握した情報次第でいつでも避難勧告や避難指示を発令できる態勢を取ることのできる「体制」の構築を伝えたわけではなかった。
10月16日午前3時15分、〈再び総務課長から電話があり、町内のホテルの1階に水が流れ込んでいるという報告を受けて、深刻な事態が発生していると認識した〉――
だが、この「深刻な事態」は大雨に襲われた場合、進路に当たる地域のどこかが災害化する最近の傾向としてある常識から言って、大島町が台風26号の進路に当たっていて、気象庁が10月15日05時12分に台風情報を発表、発表から16日6時までの24時間に予想される降水量が伊豆諸島で300ミリと予報していた時点で、危機管理上、予想しなければならなかったはずだ。
出張から戻った10月16日夜の記者会見。
大島町町「大島は火山島で、『川』というよりも『沢』が島内にいくつも流れていて、すぐに水位が上昇し危険な状態になる。加えて夜間だったことから、当時、避難勧告を出すという認識は持っていなかった。さらに、一部の沢が氾濫し始めているという情報が入っていたので、無理に避難をさせれば、さらに被害を増やしてしまうと考えた。このため、総務課長から電話があったときも、避難勧告を出せという指示や判断は行わなかった。
(出張について)行こうか行くことをやめようか悩んだが、私の認識に甘さがあった。
これまで町が取ってきた防災対策に過信があった点や、私の認識不足があったことは否定できない。今後の教訓としたい」――
多くの死者を出してから、「今後の教訓としたい」と言う責任感は軽過ぎる。
大体が言っていることに矛盾がある。島内にいくつも流れている沢が「すぐに水位が上昇し危険な状態になる」ことを認識していたなら、10月15日午後4時に総務課長から「かなりの雨が予想される」と電話連絡を受けた時点で、気象庁発表の台風情報、あるいは報道番組が伝える台風情報と併せて万が一の危険性を想定して明るい内にその危険性回避の行動を指示していなければ、町民の生命・財産を預かる危機管理責任者としての務めを果たしていないことになる。
だが、「すぐに水位が上昇し危険な状態になる」ことを認識していながら、明るい内の時間を利用せず、暗くなるままに任せて、一部の沢の氾濫が始まっても、暗い中を「無理に避難をさせれば、さらに被害を増やしてしまうと考え」て、何もしなかった。
その結果の今朝の時点での死者が22人、安否不明者は27人ということであるはずだ。
記事は、猪瀬東京都知事の10月16日記者会見での大島町の危機管理対応(正確に言うと、危機管理無対応)についての発言を伝えている。
猪瀬知事「1時間に120ミリの雨が一挙に降り、あのような土石流に発展するとは予想できない」
記事解説。〈今回の災害が危機管理ができる範囲を超え、予期できなかったという考えを示しました。〉――
猪瀬都知事にしても自治体の長でありながら、最近の台風や低気圧が時に気象台の観測が始まって以来といった豪雨を伴って、予想もしない様々な大きは被害をもたらし、それが常識化しつつあるという危機管理とは無縁であるようだ。
自治体の長である以上、自然災害に於けるこのような常識化しつつある傾向を危機管理上の認識としていなければならない。
当然、大島町長は大島町が台風の進路に当たると分かった10月14日の時点で出張を断念、誰か代理を出して、万が一の危険に備えた危機管理の陣頭指揮に当たらなければならなかった。
それが例えムダに終わることになったとしても。自然災害対応の危機管理がムダに終わること程、幸せなことはない。
だが、そうしなかった以上、台風情報よりも、あるいは危機管理よりも出張を優先させたと疑われても仕方はあるまい。自治体の長であることを免れるわけにはいかないのだから。
今年2月5日(2013年)、安倍晋三が首相官邸でデフレ脱却に向けて経団連、日商、経済同友会の経済3団体に対して直接の賃上げ要請を行った。
麻生も甘利も経済界に対して賃上げの要請を行っている。
10月1日、安倍晋三は費税増税決定発表記者会見を行い、新たな賃上げ策を打ち出している。
安倍晋三「足元の経済成長を賃金上昇につなげることを前提に、復興特別法人税の1年前倒しでの廃止について検討いたします」――
10月8日、自民党は総務会で自民党総裁安倍晋三直属機関とする「日本を元気にする国民運動実施本部」の設置を決めて、石破茂幹事長や青年局、女性局メンバーが中心となって各地で経済団体や労働団体などと意見交換し、安倍政権の経済政策「アベノミクス」への理解を求めるとともに、賃上げや雇用拡大の機運醸成を図ることにしたと、「MSN産経」が伝えている。
10月10日、茂木経産相が米倉経団連会長らと会談して、賃上げ要請を行った。
10月15日、自民党は賃上げによるデフレ脱却とその方策として、全国の企業に対して賃上げを促すため、青年局や女性局に所属する議員を各地に派遣する「日本を元気にする国民運動」の実施本部長に小渕優子元少子化担当相を起用することを決めたと、「時事ドットコム」記事が伝えている。
10月16日午後、安倍晋三は衆議院本会議の代表質問での答弁で、復興特別法人税の廃止は賃金の上昇につなげることが前提との認識を示したと、「ロイター」記事が伝えている。
要するにアベノミクスの成功の鍵は偏に賃金上昇にかかっていると言うことを示している。そうでなければ、こうまでも賃金上昇に熱心にはならないだろう。
果たして国民のための賃上げ要請なのか、アベノミクス成功のため、あるいは名宰相として自身の名声を残すための賃上げ要請であって、国民のためは結果論なのか、いずれなのだろうか。
一方で安倍晋三は日本を世界で一番企業が活躍しやすい国にすると度々公言している。
2月28日(2013年)、第183回国会に於ける安倍晋三施政方針演説。
安倍晋三「『世界で一番企業が活躍しやすい国』を目指します」
6月5日、内外情勢調査会での 「成長戦略第3弾スピーチ」
安倍晋三「世界で一番企業が活躍しやすい国の実現。それが安倍内閣の基本方針です」
そして10月15日招集第185臨時国会所信表明演説。
安倍晋三「日本は、『世界で一番企業が活躍しやすい国』を目指します」――
この発言は昨日(2013年10月16日)のブログで取り上げて、次のように書いた。
〈格差拡大阻止の姿勢を持たなければ、「世界で一番企業が活躍しやすい国」の達成は世界一の格差拡大国家の建設を答えとする。人件費が安く、不必要になればいつでも解雇できる、企業優遇税制も行き届いているといった条件によって、「世界で一番企業が活躍しやすい国」と言うことになるだろうからである。〉・・・・・
この書き方(=解説)の間違いに気づいた。逆説的に書いて、正解を得ることができる。
〈格差拡大を無視する姿勢を持って初めて、「世界で一番企業が活躍しやすい国」の達成が可能となる。尤もその達成は世界一の格差拡大国家の建設をも答とすることになる。人件費が安く、不必要になればいつでも解雇できる、企業優遇税制も行き届いているといった条件によって、「世界で一番企業が活躍しやすい国」と言うことになるだろうからである。〉・・・・・
このように書くべきだった。
企業活動の第一必要好条件は安価な人件費であることは断るまでもない。そうであるからこそ、日本の企業にかぎらず、各先進国の企業は安価な人件費を求めて海外に活動の場を移転させているのだろう。
中国は安価な人件費を武器に各国企業を受け入れて、2010年についには日本を抜いて世界第2位の経済大国にのし上がった。
日本企業の安価な人件費を求めたアジア進出は現在も勢いを止めない。
《焦点:アベノミクスが活性化する企業投資、資金は海外へ》(ロイター/2013年 09月 26日 14:33) 画素のことを具体的に教えてくれる。
〈実のところ、安倍首相が昨年12月の就任以降に行ってきた刺激策を以ってしても国内における民間セクター投資の退潮傾向にはほとんど歯止めが掛かっていない。逆に日本企業のアジア諸国に於ける投資を驚くほど加速させている。
今年前半の日本国内の設備投資は前年同期比で4%減少。これに対して日本貿易振興機構(JETRO)によると、日本企業のアジア投資は22%も増えた。〉――
〈日本政府による財政支出や円安の進行も、製造業が依然として国内の人口減少や高コスト、規制面の障壁などに見切りをつけて、急成長を続けてより経済が若々しいアジア諸国になびいているという事実を隠しようがない。〉――
ケネス・S・カーティス・スターフォート・インベストメンツ「日本企業の国内投資に対するインセンティブは圧倒的に小さい。長期的な人口動態には大きな問題があり、円の価値とともに自らの力が弱まることへの恐れが海外投資をますます促している」――
財政支出や円安を以てしても、労働力人口減少や賃金を含めた高コスト等の企業活動に於ける障害を相殺する力はないと言っている。
円安による輸入原材料の高騰も、アジア海外の安価な有り余った労働力を相殺する力を失わせるに至っているはずだ。
しかしこの記事でも賃上げの必要を訴えている。
〈企業の増益が日本経済に資するのは、それらの利益が投資拡大や賃金引上げに使われた場合に限られる。〉――
この指摘は安価な人件費を求めて活動の拠点をアジアに移転させている企業に対して矛盾を強いることになるばかりか、アジアの安価な人件費をなおのこと相対的安価へと導く矛盾をも孕むことになる。
要するに企業が常に欲求する経営に於ける好条件からの逆行を意味する。
だからこそ、各企業は安倍晋三や閣僚たちの賃上げ要請になかなか応じないのだろう。
勿論、「世界で一番企業が活躍しやすい国」という方針とも逆行することになる。
以上のような矛盾や逆行に対する一つの答が、安倍晋三が掲げている「国家戦略特区」の創設であろう。昨日10月16日の安倍晋三の代表質問に対する海江田民主党代表の質問で、「国家戦略特区」を「解雇特区」だと批判、対して「事実誤認だ」とかわしていた。
海江田代表「安倍内閣は企業の収益を賃上げにつないだ景気の好循環を目指すと、説明されています。しかし、安倍内閣の成長戦略は既に民主党政権時代に打ち出した内容の焼き直しに過ぎません。
加わったのは、労働法制の改悪と賃金上昇なき物価の上昇による雇用不安及び格差の拡大であります。
具体的に伺います。先ずは国家戦略特区です。民主党は働く人たちを使い捨てにする企業を大量生産することになる解雇特区など、断じて認めるわけにはいきません。・・・・・」
安倍晋三「国家戦略特区についてのお尋ねがありました。安倍内閣の基本方針は成熟産業から成長産業に円滑に人材を移動する、失業なき、労働移動の実践です。
現在国家戦略特区に於いて検討中の雇用改革はルールの明確化等によって雇用の拡大を目指すものです。解雇特区などというレッテル貼は事実誤認であり、不適切であります」――
「事実誤認」だとしているが、次の記事は賃上げと「世界で一番企業が活躍しやすい国」の矛盾、もしくは逆行に対する一つの答を象徴することになる情報となっている。
《非正規雇用10年まで更新へ》(NHK NEWS WEB/2013年10月17日 5時11分)
労働契約法は雇用分野の規制緩和の一環として非正規労働者が同じ企業で5年を超えて働いた場合、希望すれば期限のない雇用契約に切り替えることを企業に義務づけている。
安倍政権はこの非正規雇用できる期間を10年まで更新できるよう改正を目指す方針を固めたと伝えている。
一方で賃上げ要請を行い、一方で非正規雇用者をより長い期間、安い賃金で使えるようにするというわけである。
当然、要請している賃上げの対象は、結果的に非正規社員に波及することはあっても、初期的には正社員に限っていることになる。
この方針は「国家戦略特区」限定の雇用規制緩和としていたが、全国一律の規制を求める厚生労働省の難色に応えて、全国一律の規制緩和方針とすることになったとしている。
記事最後の解説。〈労使間の紛争を防ぐため、政府が過去の労働裁判の判例を分析し、解雇が認められるケースなどの目安をガイドラインとして、企業に示すとともに、企業向けの相談窓口を設ける方針を確認しました。〉――
いわば解雇しやすい方向への衝動が否応もなしに働いていることしか窺うことのできない解説となっている。
一方で賃上げを要請していながら、その一方で賃上げの辻褄を合わせるべく賃金抑制を策動している。
非正規雇用可能期間の更新を5年から10年まで拡大して、非正規雇用を非正規雇用のまま置こうとしているのだから、当然、収入格差等の経済格差拡大はなくならない
このような策動からは国民のための賃上げ要請は見えてこない。結果として一部の国民の収入を増やすことになったとしても、国の経済を強くするためだけの止むを得ない方便としか把えることができない。
こういった格差をつくる雇用状況は「世界で一番企業が活躍しやすい国」の実現には好材料となるが、皮肉なことに辻褄合わせの賃金抑制では中途半端な結果に終わるに違いない。
あくまでも「世界で一番企業が活躍しやすい国」の実現は先ずは安価な人件費を重要な条件とするからだ。
目指すべきは人件費カットの圧力が常に働くことになる「世界で一番企業が活躍しやすい国」ではなく、“国民が世界で一番暮らしやすい国”でなければならないはずだ。
安倍晋三の所信表明演説には今日の日本が格差社会にありながら、格差に対する視点がない。当然、格差拡大阻止の姿勢はさらさらない。
格差の視点から、この所信表明演説を読み解いてみようと思う。
演説内容は最初に目についたから、《第185臨時国会所信表明演説全文》(時事ドットコム/2013/10/15-14:29)に拠った。
安倍晋三「【1、はじめに】
まず冒頭、過去に経験したことのない豪雨や、台風、竜巻により、亡くなられた方々に心から哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた方々に対してお見舞いを申し上げます。高齢化や過疎に直面する被災地域も多く、そうした実態も踏まえながら、早期の復旧に向け全力で取り組んでまいります」――
安倍晋三は7月28日(2013年)の山口県で1人死亡、2人行方不明、島根県で1人行方不明の局地的豪雨の1週間後の8月4日午前島根県の被災地を、8月4日午後山口県の被災地を訪問している。
当然、生活の困難を強いられている状況を目にしたり、伝えられたりしたはずだ。
その5日後の8月9日、今度は秋田県と岩手県、山形県を豪雨が襲い、秋田県仙北市では発生した土石流で4人死亡、1人行方不明の被害を出している。
この被害はこの被害だけでは終わらない、多くの住民の生活を直撃、困難な非日常への暗転を伴うことになる。
安倍晋三はその翌日の8月10日から山梨県鳴沢村の別荘で夏休みに入り、夏休み初日早々に別荘近くのゴルフ場でゴルフに打ち興じている。
いわば山口、島根を豪雨が襲った約2週間後、秋田県と岩手県、山形県に豪雨が襲った翌日である。特に後者の被災地では洪水や浸水や土石流、通行止め、停電等で困難な生活を強いられ、天手鼓舞していたであろう。
この経緯を考えると、「亡くなられた方々に心から哀悼の意」も果たして本当に「心から」なのか、怪しくなる。
安倍晋三「(アベノミクスの9『三本の矢』は、世の中の空気を一変させました。今年に入って、2四半期連続で、年率3%以上。主要先進国では最も高い成長となりました。昨年末0.83倍だった有効求人倍率は、8カ月で0.95倍まで来ました。
景気回復の実感は、いまだ全国津々浦々まで届いてはいません。日本の隅々にまでこびりついた『デフレ』からの脱却は、いまだ道半ばです。
この道を、迷わずに、進むしかありません」――
「景気回復の実感は、いまだ全国津々浦々まで届いてはい」ないと言うことなら、「2四半期連続で、年率3%以上」の成長も、「8カ月で0.95倍まで来」た有効求人倍率も、誇る程の数値ではないことになる。
また、いくら有効求人倍率が改善し、雇用が増えたとしても、その多くが非正規社員であるなら、格差拡大を答とした雇用状況ということになる。
《非正規労働者、過去最多の1881万人》(MSN産経/2013.8.13 19:20)
総務省が13日発表した労働力調査の詳細集計。
パートや派遣社員など非正規労働者の数は平成25年4~6月期平均で前年同期比106万人増の1881万人。、統計を取り始めた14年以降、過去最多の更新。
正規と非正規を合わせた雇用労働者(役員除く)の総数は過去4番目の水準の5198万人。
但し正社員雇用53万人のマイナス。非正規の割合は1.7ポイント増の36.2%。
要するに非正規社員が前年同期比106万人増に対して正社員53万人の減少ということは、正社員が減る以上に非正規社員が2倍の勢いで増加していることになる。
この非正規社員増・正社員減は当然のこととして収入格差を伴い、と同時に全体としての平均年収減を意味することになる。
非正規雇用増加・正規雇用減少の状況とは、人件費抑制(人件費カット)の圧力が働いているゆえの非正規雇用増加・正規雇用減少だから、当然、正規雇用に対しても、特に新入社員やさして重要な仕事に就いていない社員に対する人件費カットの圧力がより強く働くこととなって、全体としての収入抑制へと進むはずだからである。
このことは次の記事を併せて読むとよく理解できる。
《サラリーマン年収 2年連続減》(NHK NEWS WEB/2013年9月27日 17時59分)
サラリーマンなど民間企業で働く人の昨2012年の平均年収の統計である。
前年1万円減の408万円万円。2年連続の減少である上にピークだった平成9年の467万円と比較して59万円減。
非正規労働者の平均年収168万円
正規労働者の平均年収468万円
300万円の格差を示している。
年収別
1000万円超172万人――全体の3.8%でした
200万円以下1090万人(21万人増)――全体の23.9%
格差拡大を如実に示してる。
確かに2012年の平均年収の統計であって、安倍政治が関わっていない統計ではあるが、安倍晋三が「2四半期連続で、年率3%以上」の成長と言い、「昨年末0.83倍だった有効求人倍率は、8カ月で0.95倍まで来ました」と言っている期間に入る最初の記事の「平成25年4~6月期」で非正規雇用増加・正規雇用減少の傾向にあるということは、同時に年収の格差拡大と全体的な平均年収の減少を対応させていることになるのだから、去年の平均年収の統計が2013年の安倍政治の時代に入っても、本人の言っている景気のいい話とは違って、跡を引いていることを示しているはずだ。
特に各種格差に向ける視点のない、当然それを阻止する視点を欠いた所信表明演説となっていて、政策自体が企業優先に傾いていることを考えると、安倍政治となって却って現状の格差をより一層拡大させていく方向性を持つと考えざるを得ない。
安倍晋三「私は、毎日官邸で、福島産のお米を食べています。折り紙付きのおいしさです。安全でおいしい福島の農水産物を、風評に惑わされることなく、消費者の皆さんに、実際に味わってほしいと願います」――
現実にある風評被害解消に対して自分が福島産のコメを食べて、「風評に惑わされることなく、消費者の皆さんに、実際に味わってほしいと願います」の願望だけでは片付きはしない。何か策を示してこそ、政策の所信(信ずるところ)表明であろう。
安倍晋三「福島出身の若いお母さんから、1通の手紙を頂きました。震災の年に生まれたお子さんへの愛情と、ふるさとの福島に戻るかどうか苦悩する心の内をつづった手紙は、こう結ばれていました。
『…私たち夫婦は今福島に帰ろうと考えています。あの土地に家族3人で住もうとしています。私たちのように若い世代が暮らさないと、福島に未来はないと考えたからです』。
福島の若い世代は、しっかりと福島の未来を見据えています。
被災地の復興なくして、日本の再生なし。その未来への責任を、私は、首相として果たしてまいります」――
だが、一方に後ろ髪惹かれる思いで福島の生活を断念し、新天地を求めて生活の場を移転させた数多くの被災者が存在する現実がある。自身に都合のいい現実だけを提示するご都合主義は単細胞ならではのテクニックに過ぎない。
安倍晋三「【3、成長戦略の実行】
(新しい成長の幕開け)
チャレンジして『失敗』しても、それは『前進への足跡』であり、『大いに奨励』すべきもの。しかし、『失敗を恐れて何もしない』のは『最低』だ。
(ホンダ創業者の故)本田宗一郎さんは、こう述べて社員たちに奮起を促したといいます。先人たちのこうしたチャレンジ精神が、日本を高度成長へと導きました。
しかし、日本人は、いつしか自信を失ってしまった。長引くデフレの中で、萎縮してしまいました。
この呪縛から日本を解き放ち、再び、起業・創業の精神に満ちあふれた国を取り戻すこと。若者が活躍し、女性が輝く社会を創り上げること。これこそが、私の成長戦略です。いよいよ、日本の『新しい成長』の幕開けです」――
「若者が活躍し、女性が輝く社会を創り上げる」と言っているが、特に若者や若い女性の非正規雇用が増加し、正規雇用の機会を奪って収入格差が拡大している雇用情勢下では、果たして真に「輝く社会」と言うことができるのだろうか。
格差への視点と共に格差阻止の視点のない者だけが言うことができる「輝く社会」である。
以前ブログに書いたが、安倍晋三の女系天皇反対・男系天皇信奉は女系を下に置き、男系を最上の権威とする権威主義そのものを示していて、血とか、権威とかに関係なしの女性の活躍の否定・忌避を示す。真に男女平等を思想としていたなら、そのような権威主義の干渉を排除するはずである。
安倍晋三「(産業競争力の強化と経済の好循環)
果敢にチャレンジする企業を、安倍内閣は応援します。日本の持つ「可能性」を最大限引き出すことこそが、競争力を強化する道であると考えます。
新たに「企業実証特例制度」を創設します。あらゆる分野において、フロンティアに挑む企業には、新たな規制緩和により、チャンスを広げます。
事業再編を進め新陳代謝を促し、新たなベンチャーの起業を応援します。研究開発を促進し、設備投資を後押しして生産性を向上します。
そのために、今後3年間を「集中投資促進期間」と位置付け、税制、予算、金融、規制制度改革といったあらゆる施策を総動員してまいります。
その目指すところは、若者・女性をはじめ、頑張る人たちの雇用を拡大し、収入を増やすことにほかなりません。その実感を、必ずや、全国津々浦々にまで届けてまいります。
そのことが、さらに消費を拡大し、新たな投資を生み出す。「経済の好循環」を実現するため、政労使の連携を深めてまいります」――
「企業実証特例制度」を新設しようと、新設して、今後3年間を「集中投資促進期間」と位置付けようと、格差拡大を止めないことには、「目指すところは、若者・女性をはじめ、頑張る人たちの雇用を拡大し、収入を増やすことにほかなりません」は、例え実現させることができたとしても、歪んだ社会の構築となる。
安倍晋三「(成長分野でチャンスをつくる)
将来の成長が約束される分野で、意欲のある人にどんどんチャンスをつくります。
電力システム改革を断行します。ベンチャー意欲の高い皆さんに、自由なエネルギー市場に参入してほしいと願います。コスト高、供給不安といった電力システムを取り巻く課題を同時に解決できる、ダイナミックな市場をつくってまいります。
難病から回復して再び首相となった私にとって、難病対策はライフワークとも呼ぶべき仕事です。患者に希望をもたらす再生医療について、その実用化をさらに加速してまいります。民間の力を十二分に活用できるよう、再生医療に関する制度を見直します」――
「難病」を経験しようがしまいが、難病対策、再生医療の技術発展に対する支援に取り組むのは当たり前のことである。健康上の弱者に対するこの対策は非正規社員や低収入所得者等の経済的弱者に対する格差拡大阻止の姿勢を持たない以上、心からのものではない、単なる政治的な意図からの対策と疑われても仕方がない。
安倍晋三「(オープンな世界で競争する)
競争の舞台は、オープンな世界。日本は、『世界で一番企業が活躍しやすい国』を目指します。
7年後には、東京をはじめ日本中の都市に、世界の注目が集まります。特異な規制や制度を徹底的に取り除き、世界最先端のビジネス都市を生み出すため、国家戦略特区制度を創設します。
環太平洋連携協定(TPP)交渉では、日本は、今や中核的な役割を担っています。年内妥結に向けて、攻めるべきは攻め、守るべきは守り、アジア・太平洋の新たな経済秩序づくりに貢献してまいります。
公務員には、広く世界に目を向け、国家国民のため能動的に行動することが求められています。内閣人事局の設置をはじめ、国家公務員制度改革を推進してまいります」――
格差拡大阻止の姿勢を持たなければ、「世界で一番企業が活躍しやすい国」の達成は世界一の格差拡大国家の建設を答えとする。人件費が安く、不必要になればいつでも解雇できる、企業優遇税制も行き届いているといった条件によって、「世界で一番企業が活躍しやすい国」と言うことになるだろうからである。
安倍晋三「(成長戦略実行国会)
やるべきことは明確です。これまでも同じような「成長戦略」は、たくさんありました。違いは、「実行」が伴うか、どうか。もはや作文には意味はありません。
『実行なくして成長なし』。この国会は、成長戦略の「実行」が問われる国会です。皆さん、しっかりと結果を出して、日本が力強く成長する姿を、世界に発信していこうではありませんか」――
確かに安倍晋三には政策が「作文」には終わらない実行力を備えているだろう。日本を「力強く成長」させるに違いない。
だが、国と一部の国民が富み、大多数の国民が貧しい格差国家となるのは目に見えている。かつて「豊かな国の貧しい国民」と言われた。装いを新たにしたアベノミクス的「豊かな国の貧しい国民」の誕生を待つばかりとなるだろう。
以下の政策項目、「強い経済を基盤とした社会保障改革と財政再建」にしても、「現実を直視した外交・安全保障政策の立て直し」にしても、格差拡大の方向性を持った安倍政治、アベノミクスとなることから免れることはできないはずだ。
最後に言っている。
安倍晋三「皆さん、『決める政治』によって、国民の負託にしっかりと応えていこうではありませんか。
国民の皆さまならびに議員各位のご理解とご協力をお願い申し上げる次第です。
ご清聴ありがとうございました』――
そう、「決める政治」も、当然、根底に於いて格差拡大を相携(あいたずさ)えることになる。仲良く共に行こうというわけである。
安倍晋三は、【6、おわりに】の前に外国訪問に触れている。
安倍晋三「首相就任から10カ月間、私は、地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、23カ国を訪問し、延べ110回以上の首脳会談を行いました。これからも、世界の平和と繁栄に貢献し、より良い世界を創るため一層の役割を果たしながら、積極果敢に国益を追求し、日本の魅力を売り込んでまいります」――
外交能力は訪問国の数で決まるわけでもないし、首脳会談の数で決まるわけでもない。こういった数で決まるなら、日中関係・日韓関係はとっくの昔に良好な関係を取り戻しているはずだ。
単細胞、ここに極まれりといった名言となっている。
上下格差社会の下に置かれている国民は安倍政治によって更に下に置かれることを覚悟しなければならない。要注意!
今日10月15日(2013年)、臨時国会が召集される。午後から安倍晋三が衆参両院本会議で所信表明演説説、16、17両日各党の衆参両院本会議代表質問。18日の金曜日から一般質疑に入って、土日を休会、翌週に引き継ぐ予定となっているのかどうか分からないが、2013年1月28日召集通常国会が150日間の6月26日閉会後、3カ月半も経過してのやっとの政府追及の機会となる。
追及そのものと追及を受けての政府側答弁は国民に対するこれまでしてきた政治と、今とこれからやろうとしている政治の説明そのものを意味する。いわば国会という場は国民に対する説明責任を果たす場でもある。
安倍政権はそれを3カ月半も放置してきた。
確かに経済政策も安全保障政策も財政政策も重要だが、国民の生命・財産に関係している拉致問題も東電福島第1原発汚染水問題も蔑ろにはできない。各種追及と答弁を通して政府の政策や対策が果たして正しい方向に進んでいるのかどうかの十二分な説明を果たさなければならないはずだ。
ここでは国民に対して何ら説明がなされていない、いわば説明責任を放棄したままの、安倍晋三が任命した飯島勲内閣官房参与の拉致解決を目的とした5月14日(2013年)から5月18日までの訪朝の詳しい経緯と成果を国会での審議の必要性――追及と答弁を通した国民に対する説明の必要性を訴えたい。
安倍晋三は昨2012年12月28日、拉致被害者家族会メンバーが首相官邸を訪れて拉致の早期解決を要請した際、次のように発言している。
安倍晋三「もう一度総理になれたのは、何とか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ」
また、別の機会に次のようにも言っている。
安倍晋三「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む」
かくこのような強い使命感と決意に基づいて飯島勲を北朝鮮に派遣しながら、その結果について未だに何ら説明責任を果たしていない。
問題は飯島勲自身が記者会見やテレビで自身の訪朝に関して成果があったとする文脈の発言をしていることである。
北朝鮮から5月18日帰国3日後の5月21日、安倍晋三と首相官邸で会談、訪朝報告をしてる。報告後の記者たちへの発言。
飯島「(報告内容について)言えない。(拉致問題は今回の訪朝を)一つの材料として、首相が不退転の決意で実行していくと解している」(YOMIURI ONLINE)
訪朝は成果があったとする文脈の発言となっている。後は安倍晋三の決断一つだと。
だが、飯島訪朝報告5月21日4日後の5月25日、安倍晋三はミャンマー訪問中に日本テレビの単独インタビューに次のように答えている。
安倍晋三「首脳会談のような重要な外交的決断をする上においては、しっかりと結論が出ると、拉致問題についても、もちろん、核問題やミサイル問題も、ある程度の展望があるということでなければ、そもそも行うべきではないと思っている」
記者「拉致問題で展望が開けそうであれば自ら北朝鮮を訪れることもあるのか」
安倍晋三「話し合うための話し合いは意味がない。金第1書記との首脳会談を行うとすれば、会談で拉致問題の全面解決という結論が得られることが条件となる」――
安倍晋三が任命し、任命した以上任命責任を負う人事対象としての飯島勲内閣官房参与が訪朝は成果があったとする文脈で発言しているのに対して安倍晋三は飯島訪朝によって拉致解決の展望が開けているわけではないとする、正反対の文脈の発言を行っている。
二人の発言は一致して当然でありながら、そうはなっていない。これは許される国民に対する説明とすることができるだろうか。あるいは説明責任を果たしていると言えるだろうか。
飯島勲は7月5日夜、BSフジの番組に出演して発言している。
飯島勲「(北朝鮮の核・ミサイル開発、拉致問題等)「近い時期には横並び一線で全部解決する。動きだすのは遅くとも参院選の後。(9月中旬の)国連総会の前までには完全に見えてくる」(時事ドットコム)――
第68回国連総会は9月17日の事務総長の挨拶を以って開会。9月24日から10月1日まで一般討論と引き続いている。
だが、参院選後に動き出しもしないし、9月17日の「国連総会の前」どころか、国連総会開会から約1カ月経過していながら、全面解決が「完全に見えてくる」といった状況にはさらさらない。
飯島勲は言葉と結果を大きく違(たが)えている。当然、言葉に対する責任が生じる。言葉の責任が目に余るようなら、任命責任が生じる。
7月14日(2013年)、日本テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演。
ざこば「行こうと思ったキッカケは向こうから来てくれと言ったのか」
飯島勲「いいえ、違いますよ」
ざこば「私から行きますよって言ったのですか」
飯島勲「いいえ、違います。安倍内閣は12月26日誕生した。1億3千万の国民に対して、安倍総理は自分の内閣で拉致問題を解決するといった。
ところが実態は、圧力、圧力、圧力、制裁。叩き潰せば解決みたいな気持しかなかった。なぜかって言ったら、10年間も閉ざされた扉、ミサイル、核、拉致ですから、そういう状態の中で行ったら、ただ圧力だけでは無理でしょうと。
ですから、参与になってから、時期を狙っておりまして、総理の親書を持てないんで、労働党のナンバー2に会えるかどうか、私も心配したんですよ。
えー、ですから、行く前にあるテレビ局で飛んでもない発言をしているんです。それでもあるかどうかっていう精神的な心理の確認、あるテレビ局で言った。
12月26日、安倍内閣の誕生日。北朝鮮で金正男暗殺未遂事件が起きました。そしてその26、27日にピョンヤンのダウンタウンで軍と軍の激しい銃撃戦が起きた。故にピョンヤンにある5箇所の金正恩の住居、これを、住居を戦車、それぞれの住居を数10台ずつで警備に当たった。
多分精神的に金正恩は今、大変な時期に来ている。ここまで発言したら、普通殺されていいくらいの内容なんです。ここまで言って、ナンバー2に会うということはどういうことか。10年間閉ざされた扉を如何にして開かせるか。
そのために事務協議とか外交、普通の無理なんですよ。トップ同士で本当にきちっと答えを出さなければならない状態を作り上げた。
そうでしょう。私がナンバー2だったら。アメリカのケリー長官クラスがやらなければ、ダメだし、そんな下でね、チマチマやったことは無理ですよ」――
安倍晋三が5月25日の日本テレビ単独インタビューで、「金第1書記との首脳会談を行うとすれば、会談で拉致問題の全面解決という結論が得られることが条件となる」と、そのような条件が整っていないとする趣旨の発言をしていながら、飯島勲は「トップ同士で本当にきちっと答えを出さなければならない状態を作り上げた」と、首脳会談の環境を整えたようなことを言っている。
飯島勲は「たかじんのそこまで言って委員会」出演から2週間後の7月28日日曜日午後、長野県辰野町の講演では次のように発言している。
飯島勲「圧力をかければ解決するという考えはとんでもない。対話が必要だ。
私(の訪朝)が第1幕。1、2カ月の間に必ず第2幕の反応が出てくる」(時事ドットコム)――
飯島勲の訪朝は5月14日から5月18日までである。既に2カ月以上が経過していて、何の反応も出ていないにも関わらず、「1、2カ月の間に必ず第2幕の反応が出てくる」と言っている。
更に3カ月経過していても、何の反応も出てこない。
自らの言葉に対する責任はどうなっているのだろう。テレビ出演や講演での発言、あるいは記者会見で発する言葉等は国民に対する説明の役目を同時に担う以上、常に責任を伴った発言となる。
当然、発言で予測した事実と結果としての事実が異なれば、責任が生じ、それが重大な不適合であるなら、任命責任者の任命責任にも関係してくる。
飯島勲は上記辰野町の講演で日中関係についても発言している。
飯島勲「今月(7月)13日から16日まで北京に滞在し、名前やポストは言えないが、それなりの要人と3日間いろいろな会談をした。日中首脳会談をどうするか。この問題1点に絞って、言いたいことを言わせてもらった。
政治は本当に言いたいことを言えば、必ず伝わるはずだ。中国も日本の力をいろいろと借りたい部分があり、私の感触では、そう遠くない時期に日中首脳会談は開かれると思う」(NHK NEWS WEB)――
だが、飯島訪中の7月13日~16日から3カ月近く経過していながら、日中首脳会談開催の見込みは立っていない。
野田首相が2012年8月8日の野田・谷垣・山口党首会談で、谷垣・山口から解散を求められて「近いうちに国民に信を問う」と約束してから、その「近いうちに」が100日後の2012年11月16日解散となった例からすると、飯島勲の「そう遠くない時期」にしても、100日の猶予は許されることになるが、訪中から帰国の7月16日から起算しても、10日かそこらしか残されていない。
上記飯島発言に対する7月29日の菅官房長官記者危険発言。
菅官房長官「個人的な見解だ。政府としては『いつ』とめどが立っているわけではない」(asahi.com)
飯島勲は安倍晋三が任命した内閣官房参与である。国のカネを使って訪朝したはずだ。「個人的な見解だ」で済ますことができるとでも思っているのだろうか。
大体が内閣の一員の事実と異なる発言を野放しにしてることになる。その責任も重大である。
7月29日の中国の反応。
中国外務省報道官「私の知るかぎり、中国政府は飯島氏と接触していない」(NHK NEWS WEB)
飯島勲を国会に参考人として呼んで、発言で示した事実、そして「そう遠くない時期」の実際の賞味期限を問い質さなければならない。
東電福島第1原発の汚染水処理問題で安倍政権は管理・監督を通した監視を怠って東電任せにし、問題が大きくなってからやっと政府が前面に出る非常に遅れた、失態とも言うことができる危機管理問題と併せて国会で追及、政府側答弁と共に国民に対する説明責任に代えさせなければならない。
10月10日夜、安倍晋三、甘利、林等の関係閣僚の出席のもと、首相官邸でTPP関係閣僚会議が開催された。
安倍晋三「残された課題は多いが、TPPは国家100年の計であり、年内の交渉妥結に向けて、日本が主導的な役割を果たしていくべきだと考えている。関係閣僚にはしっかり取り組んでいただきたい」(NHK NEWS WEB)――
「聖域なき関税撤廃」をタテマエとしていたTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加に向けて日本はコメ、麦、砂糖、乳製品、牛肉・豚肉の農産物5分野586品目を関税撤廃例外の「聖域」と位置づけて交渉に臨んだ。
つまり、このことだけで日本は守りの姿勢を自らに課したのである。以上の農産物5分野586品目を関税撤廃の例外として如何に守ることができるかを交渉事とした以上、「日本が主導的な役割」をどう果たすことができるというのだろうか。
それとも貿易分野の関税問題以外の投資や金融、医療保険、知的財産、あるいは公共事業や物品・サービスの購入等に関わる政府調達、その他に関して100%、もしくは100%近い自由化を掲げて、他の参加国に対して同じレベルの自由化を求めながら、5分野586品目に限って関税撤廃の例外を求め、前者の自由化要求に手心を加えるという攻勢の中で交渉を進めているということなら、主導権を握ることができないわけではない。
だが、前者の分野でも守らなければならない問題はたくさんあるはずだ。
安倍晋三の10月10日夜の「日本が主導的な役割」発言が何よりも問題なのは、インドネシア・バリ島10月3日開催、10月6日閉幕のTPP閣僚会合に出席した西川TPP対策委員長(自民党)の10月6日会合後の発言を受けてなされた点にある。
西川TPP対策委員長(関税撤廃の例外の「聖域」と位置づけた5分野586品目について)「(重要品目から)抜けるか抜けないかの検討はしないといけない。本当にどんな小さな状況も勘案しないという(日本の)姿勢がとり続けられるのか」(asahi.com)――
「抜けるか抜けないかの検討はしないといけない」とは関税撤廃例外の「聖域」と位置づけた重要品目から、「抜くことができるか抜くことができないか検討しなければならない」という意味なのだろう。
「聖域」と決めながら、そこから抜くというのは「聖域」という言葉の重さ・厳かさを蔑ろにする矛盾そのものである。「聖域」とは侵してはならない神聖な場所という意味があるからだ。それを自ら「聖域」と決めておきながら、自らいとも簡単に侵す。
主導権ある状況下では決して行わない自傷行為としか言い様がない。守ると決めた陣地から後退して、後退した態勢で改めて守りを固めるという守勢一辺倒の姿勢を余儀なくさせられている状況に日本があるということを教えている。
日本が関税撤廃の割合を示す自由化率が80~90%弱であるのに対して他の交渉参加国が90%台後半が主流であるということも、主導権を握る状況にはなく、守りの姿勢を強いられていることを証明する事例でしかない。
安倍晋三自身、こういった状況を認識しているはずだ。
西川TPP対策委員長が「(重要品目から)抜けるか抜けないかの検討はしないといけない」と言った対象品目はコメ、麦、砂糖、乳製品、牛肉・豚肉の農産物5分野586品目のうち、複数の原料を混ぜる調製品や加工品の約220品目のうちのいずれかを考慮に入れているという。
「asahi.com」の解説。
〈対象の調製品や加工品には、国内の消費量を国産品だけではカバーできず、多くを輸入に頼っているものが複数ある。例えば、焼き肉店で人気の牛タンは9割以上が輸入品だ。現在の関税率は12・8%で、仮にこれをゼロにした場合、消費者はより安く買うことができるほか、国内の生産者への影響も限られる。〉――
「NHK NEWS WEB」の解説。
〈交渉参加国との貿易実績が殆どない品目や、すでに関税が低い水準にあるなど実質的な影響がない品目などで関税を撤廃し、撤廃率を高めることができないか検討することにしています。〉――
いずれの解説も、日本側のみの都合を言っているに過ぎない。関税率を下げる、あるいは撤廃しても日本側にさして損失を被ることはないという利益は交渉参加国にとってさしたる利益は期待できない不利益を対立させることになる。
後者に対して小手先のプラス・マイナスとしか映らない危険性を与えた場合、果たして納得を得ることができるだろうか。経済大国なのだから、もっと身を切れという要求も出てくる可能性も考えることができる。
そのような要求との攻防に於いても強いられるのは守りの姿勢であって、安倍晋三が言うように「日本が主導的な役割を果たしていく」といった主導権ある姿では決していない。
要するに安倍晋三の発言は言葉で自身がリーダーシップがあるが如くに見せかけたハッタリに過ぎない。いつものことだが。
安倍晋三は2013年9月26日、第68回国連総会で一般討論演説を行い、日本は「積極的平和主義」の道を進み、9月30日の「日英安全保障協力会議」での基調講演では、「積極的平和主義」を日本の自画像とすると宣言した。
安倍晋三「国際社会との協調を柱としつつ、世界に繁栄と、平和をもたらすべく努めてきた我が国の、紛うかたなき実績、揺るぎのない評価を土台とし、新たに『積極的平和主義』の旗を掲げる。
・・・・・・・
開かれた、海の安定に、国益を託す我が国なれば、海洋秩序の力による変更は、到底これを許すことができません。
宇宙、サイバースペースから、空、海に至る公共空間を、法と、規則の統(す)べる公共財として、よく保つこと。我が国に、多大の期待がかかる課題です」(首相官邸HP)――
この「積極的平和主義」の宣言は中国の「力の支配」に対する対抗概念として提示したはずである。
尤も安倍晋三の「積極的平和主義」が中国の軍事力を背景とした「力の支配」に対する非軍事的「積極的平和主義」なのかどうかは現在のところは分からない。軍事力増強を衝動としている安倍晋三からしたら、軍事力をも用いた「積極的平和主義」ということもあり得る。
そして4日後の9月30日、都内開催の「日英安全保障協力会議」での基調講演で、「積極的平和主義」を日本の自画像とすると、国家主義者・軍国主義者にふさわしくないことを口にしている。
安倍晋三「いまや、人類にとっての公共空間がすべてボーダーレスになり、そこにある一切合財が、ネットワークによって結ばれるとき、法の支配を重んじる、価値観をともにする国々は、ますます力を合わせ、叡智を分かち合わなくてはなりません。
そんなとき、私は、私の愛する祖国に、進んで、世界の平和と、安定に奉仕する、ネットの貢献者であり続けてほしい。日本は世界の平和と安定を支える鎖の弱い環であってはならないと思います。
長らく自由で平和な国際環境、穏やかな海洋秩序から裨益してきた一大通商国家なのですから、日本には、果たすべき相応の責任があります。
そんなつもりで、私は先週、国連総会などニューヨークにおける一連の機会をとらえ、新しい日本の自画像を打ち出すことにしました。『積極的平和主義』という、これからの日本を代表し、導いて行くひとつの旗印です」(首相官邸HP)――
ここでも、「人類にとっての公共空間」に於ける「法の支配」を訴えてから、「積極的平和主義」を持ち出している。当然、中国の「力の支配」に対する対抗概念として提示したと見做さないわけにはいかない。
また「積極的平和主義」は外交分野のみへの主張を意図するわけではなく、内政分野への主張をも意図していなければ、「平和主義」とは言えない。前者のみへの主張を意図しているとしたら、独裁国家に対してはダブルスタンダードと化す。
安倍晋三の政治的・外交的センスによって日中、日韓共に関係が険悪化しているが、日本国民は韓国には抱かない漠然とした不安を中国に持ってしまうのはその強大な軍事力そのものよりも、国家体制が民主主義を構造としているのではなく、共産党一党独裁を構造としていて、国家権力の意志決定が民主体制が持つオープンな議論と合意のプロセスを経た決定ではなく、独裁構造が持つ密室的な権力の恣意性を背景として、なおかつ強大な軍事力を基盤として成り立たせていることの不透明性への疑惑が原因となっているはずだ。
しかし韓国の場合は明らかに軍事力ではなく、民主主義を基盤として国家権力の意志決定を成り立たせていると確信できるから、韓国に対しては漠然とした不安は感じない。
例えばアメリカは世界一の軍事力を誇るが、アメリカのその軍事力に不安や恐怖を持つのは非民主主義国家が殆どであろう。アメリカは民主主義国家であるゆえに国家権力の意志決定は国民の意思(=世論)を背景として成り立たせているがゆえに権力の恣意性を免れているが、非民主主義国家は自らの国家権力の意志決定を国民の意思を無視、あるいは犠牲にして成り立たせていることの権力の恣意性がアメリカの民主体制との対立原因となって、その軍事力を恐れることになる。
いわば基本的には軍事力そのものが問題ではなく、国家権力の意志決定が民主主義を基盤としているか否かによって、その軍事力を少なくとも警戒の対象とするかしないかに左右される印象ということになる。
日本が軍備増強した場合のアジア諸国からの不安は日本が民主主義を体制としていながら、過去の経験からその底に軍国主義を隠しているのではないかという疑惑が不安を煽る原因となっているはずだ。
それ程までに戦前は日本の軍国主義は猛威を振るったと言うことことであり、そのことを過去の経験が教えているということであるはずだ。
中国の「力の支配」は海洋に対する支配のみならず、国家権力の国民に対する支配等、広い範囲に及んでいる。言論統制、抗議や集会の排除、法律に基づかない、あるいは恣意的理由をつけた拘束等々の力の支配(=力の統制)を国民統治の方法としている。
「積極的平和主義」が中国の「力の支配」に対する対抗概念として提示した理念であり、中国に対する不安・警戒が民主主義を基盤とした国民に対しても外国に対してもルールある国家権力の意志決定ではなく、共産党一党独裁体制を基盤とした国民に対しても外国に対しても権力維持の方向のみに向けた恣意的な国家権力の意志決定にあるなら、その独裁構造のその強固な一枚岩は直接的には突き崩すことは困難であっても、国民世論は決して一枚岩ではなく、民主体制への渇望を示す国民が無視し難く存在する以上、後者の国民世論を動かして多数派とまでいかなくても、一定の勢力を形成するよう仕向けるのも一つの手であり、最終的には「積極的平和主義」に基づいた平和外交につながっていくはずである。
要はそれを「積極的」に行うかどうかである。
だが、安倍晋三は中国の「力の支配」に対する批判の言動を展開し、「法の支配」だ、「価値観外交」だとバカの一つ覚えを繰返すのみで、共産党一党独裁体制から民主体制への転換を期待できる活動要素として存在する劉暁波氏等の人権活動家を、中国当局が世論を動かすことへの警戒から不当に拘束、投獄して、その言論と活動を封じ込めても、何ら抗議の声を発しない「積極的平和主義」に反する非積極性の傍観態度を見せるのみである。
中国当局がNHK海外放送のニュース番組を遮断しても、例え安倍晋三が外務当局を通して抗議を行ったとしても、その声が表に出ないことによって無言を通したことになり、国家体制への圧力となり得る可能性を秘めた民主体制への渇望を示す中国国民のなお一層の圧力化への力となることはなかった。
最低限、「言論の自由・表現の自由を保証する日本では国家権力に都合の悪い報道であっても、遮断するようなことはしない」といったメッセージを発したなら、例え中国当局の反発を買ったとしても、民主体制への渇望を示す中国国民に独裁体制の過ち、基本的人権の保障が認められていないことの不当性、恥ずかしさを確認させることになって、その是正への思いを強くすることになるはずである。
彼らはインターネットを武器にして中国のネット人口約5億人に向かって国家の正当性ある国民統治の在り様(ありよう)を訴え、支持・共鳴を求めて、その支持・共鳴を独裁体制に対抗する一つの勢力化を目論んでいるはずであり、劉暁波氏などの人権活動も同じ目的に立っているはずである。
だが、中国当局は、〈インターネットや中国版ツイッター「微博」に書き込まれる情報を当局の指示に従って監視し、報告や削除を行う“検閲官”が全土に約200万人〉配置されていると、「MSN産経」が伝えている。
今に始まったことではない中国政府の言論統制・表現の自由に対する弾圧は共産党一党独裁、あるいは国家権力の恣意性をより強固な方向へと進める常なる動きとはなっても、その反対に民主化への渇望をより弱体化する方向に進める動きとなる。
このような動きは海洋に於ける「力の支配」とも連動し、当然、価値観外交の排除とも連動することになって、「積極的平和主義」の阻害要件となって立ちはだかることになる。
安倍晋三のこれらの中国の人権状況に対する非積極的な関心は結果として、自らが掲げる「積極的平和主義」が実は非積極性を性格とした、口先だけの内容空疎な理念に過ぎないことを物語ることになるはずだ。
要するに中国に対抗するために掲げたキレイゴトに過ぎないということになる。
その程度が相応しい、安倍晋三の「平和主義」ということなのだろう。
入閣後、今年4月の春季例大祭、8月の終戦記念日にそれぞれ靖国参拝している古屋圭司拉致問題担当相兼国家公安委員長が10月17~20日の靖国神社秋季例大祭に合わせて同神社を参拝する方向で調整に入ったという。
《古屋国家公安委員長、靖国参拝で調整=秋季例大祭に合わせ》(時事ドットコム/2013/10/11-13:05)
10月11日午前閣議後記者会見。
古屋圭司「適宜適切に判断させてもらう」――
古屋圭司は熱心な靖国神社信奉者らしい。
同10月11日の閣僚の参拝についての官房長官記者会見。
菅官房長官「どこの国でも、国のために命をなくした方に尊崇の念を持つのは同じだ。閣僚の(靖国神社に)行く、行かないについては、私人の立場の中で個々人が判断するというのが安倍政権の考え方だ。
(安倍晋三の参拝について)個人的な問題であり、政府の立場でコメントすることは控えたい」――
安倍晋三の参拝は「個人的な問題であり、政府の立場でコメントすることは控えたい」と言っている。だったら、閣僚の参拝も私人として行うのだから、「個人的な問題であり、政府の立場でコメントすることは控えたい」と同じように言うべきを、「どこの国でも、国のために命をなくした方に尊崇の念を持つのは同じだ」などと国としての(=政府としての)コメントを発する。その矛盾には気づいていない。
もう一つ、発言により大きな矛盾がある。
「どこの国でも、国のために命をなくした方に尊崇の念を持つのは同じ」であるなら、閣僚の立場にある以上、それぞれが国を代表する思いで閣僚として参拝すべきを、「国のために命をなくした」にも関わらず、閣僚としては参拝せずに「行く、行かないについては、私人の立場の中で個々人が判断する」という矛盾は、「国のために」という行為の意味を失わせる侮辱に相当するはずだ。
戦死者が「国のために命をなくした」以上、閣僚であるなら閣僚として対応すべきを私人として対応する矛盾であり、侮辱である。
「国のために命をなくした」国家行為に対して国家行為で応えるべきを、それを私人行為で応える矛盾であり、侮辱である。
なぜこういった矛盾や侮辱が生じるかというと、わざわざ説明するまでもないことだが、それぞれが総理大臣や閣僚の肩書で参拝したい強い衝動を抱えていながら、そうすることによる国内外の反発を厄介と思っているからであり、そこで私人の肩書というゴマ化しを用いることとなっている。
「国のために命をなくした」と、その国を正しい国家としていることによってゴマ化しが必要となり、そのゴマ化しが結果として矛盾や侮辱をつくり出すことになっている。
戦前の日本は天皇と国家を絶対とし、その絶対性によって国民を天皇と国家に対する奉仕者に位置づけていたがために国民は人間としての尊厳を一切認められず、自国兵士すら、その生命(いのち)を虫けらのように扱われることとなった。
これが「国のために命をなくした」の実態であろう。
戦死者が、あるいは生還者が命を賭けた対象としての国家の姿を問題とせず、そのような戦前国家を安倍晋三とそれ以下の閣僚たち、その他が正しい国家だとしている。
9月5日のロシア・サンクトペテルブルクG20サミットの全体会合の直前、安倍晋三は習近平中国国家主席と短時間言葉を交わした。古屋圭司はこの接触を習近平主席の方から近づいて声をかけたとの見立てを行っている。
《「習主席との立ち話、中国がアプローチと解釈」 古屋氏》(asahi.com/2013年9月6日16時48分)
古屋圭司「安倍晋三首相は(中国、韓国には)いつもドアを開けている。中国は重要な隣国なので、そういった心構えを常に持っていることは大切だ。だから当然、自然体でそういう(中国の習近平国家主席と立ち話をする)対応をした。むしろ中国の方がアプローチをしてきた、と私は解釈する」――
会談を拒否している中国側が自分の方からなぜ近づく必要があるのかを考える常識すら持ち合わせていない。
〈「習主席!」
9月5日、ロシア・サンクトペテルブルクで開かれた20カ国・地域(G20)首脳会合。各国首脳が待機する貴賓控室で、首相は通訳1人を背に習氏に声を掛けた。〉――
「MSN産経」記事――《【尖閣国有化1年】日本、硬軟両様も打開策見えず》(2013.9.10 21:33)が、安倍晋三の方から「アプローチ」したと伝えている。
同じ国家主義者として安倍晋三に強力に心酔するのは理解できるが、閣僚である以上、先ずは合理的な判断能力を身につけることを心がけるべきだろう。そうしたなら、合理的な根拠もなく、心酔していることからの期待感のみで「むしろ中国の方がアプローチをしてきた、と私は解釈する」などといったことを口にすることはないはずだ。
こういった合理的判断能力を持ち合わせていない手合こそが、「国のために命をなくした方に尊崇の念」を示すなどと言って、かつての国の姿を問題とせずに靖国参拝ができる。