安倍晋三提唱の「積極的平和主義」だけではやっていけないアフリカ各国首脳の支持・歓迎の正体

2014-01-21 09:14:32 | Weblog


 

 国家主義者・軍国主義者安倍晋三が1月9日から15日までの7日間も欲張った日程で中東のオマーンとコートジボワール、モザンビーク、エチオピアのアフリカ3か国を訪問した。

 1月14日、その外交成果を誇る内外記者会見がエチオピア・アディスアベバで開かれた。

 桑原産経新聞記者「中国が海洋進出を強めていることも念頭に、積極的平和主義の考え方を説明されたと思うが、日本の立場に理解が得られたと思うか」

 安倍晋三「各首脳との会談では、私から、日本は国際協調主義に基づく積極的平和主義』の立場から、地域及び世界の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献していく考えであることを説明しました。これに対して各首脳からは、支持や歓迎の意が示されました」――

 安倍晋三の「積極的平和主義」が訪問4カ国から支持・歓迎を受けた。さすが国家主義・軍国主義だけではなく、外交の安倍晋三である。

 オマーンについて、HP《オマーン・現在の政治体制・政治制度 イスラーム地域研究「中東・イスラーム諸国の民主化」》(大川真由子/2012/08/06)に次のように紹介している。

 〈実際の政体はスルターンを頂点とする専制君主制で、カーブースが首相、外相、財務相、国防相のほか、国軍最高司令官、中央銀行総裁を兼任している。その下に副首相および省庁大臣が置かれ、閣僚が「閣僚評議会」を構成し、さらにその下に関係省庁で構成される「各種評議会」が置かれている(閣僚メンバーリスト:英語訳、日本語訳)。

 現在の政治体制は、1996年に制定された国家基本法(憲法に相当。アラビア語全文、英語訳全文:ただし非公式訳)に規定されている。第11条では、「スルターンは国家元首および国軍最高司令官である。彼の人格は不可侵かつ尊敬されるべきであり、彼の命令には絶対服従である。スルターンは国家統一ならびにその守護者、擁護者の象徴である」と明記されている。〉――

 当然、何かのキッカケで国民が民主主義と個人の権利に目覚めない保証はない。日本の場合で言うと、敗戦と連合軍による占領によって日国民は民主主義と個人の権利に目覚めた。

 日本の場合のこの事実は国家主義者・軍国主義者安倍晋三にとっては唾棄すべき事実であろうが。

 アラブの春が一つのキッカケとなって、それに触発されて2011年1月首都マスカトで若者を主体とした政治・経済改革を求めるデモが発生、地方にも波及して各地で治安部隊とデモ隊が対峙したものの、政府が政治改革案を提示、民衆の懐柔に成功して、抗議活動は雲散霧消してしまったという。

 だが、民主主義と個人の権利を認めない絶対君主制であることに変わりはない。民主主義と個人の権利阻害の元凶を絶対君主制と見做して、打倒の標的とする可能性は否定できない。

 いわば国王側にとって内政に於いて、「積極的平和主義」とは言っていられない事情を内なる衝動として抱えているはずだ。国王打倒の反体制運動が発生した場合に備えて、軍事的にそれ相応の危機管理を行っているはずだ。

 《外務省・海外安全ホームページ: テロ・誘拐情勢》には「2012年12月末現在」の情報として次の記述がなされている。   

〈【テロ・誘拐情勢】

1.概況

 これまでのところ,オマーン国内に拠点を置く国際的なテロ組織及び反政府組織の活動は確認されていません。しかし,必ずしも国境 管理は磐石とは言えず,周辺諸国からオマーンに不法入国する外国人が多数いることから,国外のテロ組織がオマーン内に所在する欧米諸国の権益等に対しテロ 攻撃を行う可能性は排除できません。〉――

 要するにオマーンは内政に関してだけではなく、外交に於いても、「積極的平和主義」とだけ言ってはいられない事情にある。

 だとすると、安倍晋三が「積極的平和主義」が訪問4カ国から支持・歓迎を受けたといっていることは合理的な判断能力に基づいた正直な自己評価ではなく、単なる誇大宣伝となる。

 大体が安倍晋三は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値観」を後生大事な呪文のように唱えている。オマーンに対して「積極的平和主義」を言う前に、「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」のススメを行ったのだろうか。

 ススメを行い、実践させることによって、想定可能は否定できない将来的な政権打倒の武器を用いた反政府活動、それに対する政府側の徹底的な軍事的反撃と、それが一進一退した場合の内戦発展への危険性を前以て阻止できる。

 もし「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的な価値観」を説かずに「積極的平和主義」を唱えながら資源外交を進めたとしたなら、中国の相手国の人権状況を無視した資源外交と肩を並べることになる。

 「積極的平和主義」も、マヤカシと化す。

 2番目の訪問国コートジボワールを見てみる。コートジボワールは1990年代の政治不安の後、2002年には第1次コートジボワール内戦が勃発したあと、2010年の大統領選挙の結果をめぐって第2次コートジボワール内戦が4カ月間続いている。

 《外務省 海外安全ホームページ 安全の手引き 在コートジボワール日本国大使館》には次の記述がある。  

 〈コートジボワールは、2011年3月から4月にかけて、死者3,000名を数える内戦を経験しました。現在、その内戦中に氾濫した武器を使用しての強盗事件が多発しており、多くの外国人も被害にあっています。

 警察を始めとするこの国の治安機関は、日本のそれとは事情が大きく異なります。この国では、「自らの安全は自ら確保する」ということを心掛けてください。

    ・・・・・・・

  〈(5)テロ・誘拐対策(一般論)

 現在、コートジボワールでは外国人を対象にした誘拐事件の報道には接していませんが、近隣国では外国人を対象にしたテロ・誘拐事件が発生し ています。特にマリ国境付近では、テロ・誘拐に対する注意が必要です。個人的理由がなくても、「日本企業の従業員だから」、「日本人だから」 という理由だけで狙われます。〉――

 要するにコートジボワールは国内の武器を用いた強盗事件に対する治安対策だけではなく、近隣諸国のテロの国内化に備えて武器使用による治安対策を取り組んでいるはずで、テロが民間企業を標的として完結するならまだしも、政府自体を標的とした場合の危機管理――武器には武器の体制も当然必要で、「積極的平和主義」が現段階では役に立たいないことを百も承知しているはずだ。 

 だが、安倍晋三は「積極的平和主義」が支持・歓迎を受けたと言っている。反対する訳にはいかない支持・歓迎だとしたら、単なる外交辞令上の支持・歓迎となる。

 モザンビークを見てみる。1964年から続いたモザンビーク独立戦争は1975年に終結、独立を達成。独立後も1977年から1992年までモザンビーク内戦が続いている。

 内戦終結後、治安が完全に回復したわけではなく、2013年11月にポルトガル人女性が3人の武装集団に誘拐される事件を始め、身代金目的の誘拐事件が多発しているという。それに加えて、10月、ソファラ州サントゥンジラにある国防軍施設が野党のモザンビーク民族抵抗運動(レナモ党)の武装集団の襲撃を受け、一時占拠される事件が起きている。

 その他にもテロ活動を行っているという。

 要するに日本とまるきり治安状況が異なる。モザンビーク民族抵抗運動(レナモ党)が国外のテロ集団と手を結ばない保証はない。既に武器等の支援を受けているかもしれない。当面は「積極的平和主義」をクスリにするよりも、「目には目を」を唯一有効なクスリにしなければならないはずだ。「積極的平和主義?どこの国の話だ」とばかりに。
 
 最後の訪問国エチオピア。2012年1月にエリトリアとの国境に近い観光地で外国人観光客が襲撃され殺害及び誘拐される事件がおきている。

 そして《外務省海外安全ホームページ》(2013年11月06日)  

 〈エチオピア:テロの脅威に関する注意喚起

1 11月5日(現地時間)、エチオピアの治安当局は、アディスアベバ市内及びエチオピア国内において、ソマリアのイスラム過激派「アル・シャバーブ(AS)」等がテロ攻撃を画策しているとの機密情報を入手した旨発表し、不自然な行動を取る外国人を見つけた場合は、最寄りの警察署や治安関係者へ報告するよう一般市民に対し広く情報提供を求めました。

2 東アフリカ地域で は、9月21日、ケニアの首都ナイロビのショッピング・モールを武装勢力が襲撃し、外国人を含む67人が死亡、175人以上が負傷しました。本件に関し、ASが声明を発表して犯行を認め、その後も複数回にわたってケニア軍がソマリアから撤退しなければ同様のテロを起こすと警告を発しており、エチオピアを含めたソマリア派兵国及びケニア周辺国でASによるテロの脅威が高まっています。〉――

 ソマリアのイスラム過激派「アル・シャバーブ(AS)」等がソマリア派兵の報復としてエチオピアへの攻撃を警告した。

 エチオピアは報復攻撃が実際に発生した場合、「積極的平和主義」で応えるのだろうか。ライフルや機関銃を放ってくる相手に向かって、「まあ、まあ、皆さん話し合いましょう」と両手で宥めるのだろうか。.

 要するに安倍4カ国訪問は4カ国の資源と日本の援助とのバーター外交に過ぎなかった。援助を申し出る先進国が言うことに関しては発展途上国は発展途上国の身として、ハイ、ハイと支持・歓迎するのは外交儀礼上、あるいはリップサービスとして当然である。

 「積極的平和主義」の正体は安倍外交を華やかに彩って大成功に見せ、世論を獲得する言葉の装置でしかなく、その実質は刺身のツマ程度の効能しかなかったといったところであるはずだ。

 安倍晋三のハッタリに騙されてはいけない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の靖国参拝「国のために戦った」がその国とその戦争肯定だとは考えない、その判断能力を疑う

2014-01-20 08:53:53 | Weblog


 
 1月19日のNHK「日曜討論」第2部、「2014年 政治はどう動くのか?」をテーマに各党党首にインタビューしていた。トップバッターは国家主義者として先頭を走っている我が安倍晋三。

 司会者に昨年12月26日の靖国公式参拝に対するアメリカの「失望」という批判について聞かれると、次のように答えていた。

 安倍晋三「国のために戦って斃(たお)れた人々に祈りを捧げることは世界共通の姿勢だと思います。そのために私は今回、靖国神社を参拝してご冥福をお祈りしました。

 また、世界中の戦没者を慰めるための鎮霊社にもお参りをし、再び戦火の下人々が苦しまない時代を作っていくという不戦の誓いをしました。これが果たして間違っているのか、そのことを考えて頂ければ誤解は解けると思います」――

 そして戦没者の墓に参拝するのは国のリーダーの務めだとか何だとか言っていた。

 いつも言っていて常套句となっていることの繰返しに過ぎない。

 「世界中の戦没者を慰めるための鎮霊社にもお参りをし」たと言っていることは、靖国神社の先の大戦で戦死した日本軍兵士だけではないとすることで、戦争崇拝行為との批判を回避するカモフラージュであるはずだ。メインはあくまでもA級戦犯合祀の靖国神社参拝である。

 当方もブログで繰返し同じようなことを言っているのだが、「国のために戦って斃れた」と言っていることの意味は、その行為を功績と見做し、栄誉と見做しているということであって、当然、戦死者が功績となる行為を、あるいは栄誉となる行為を働いた対象の戦前日本国家にしても、功績を働くにふさわしい、あるいは栄誉を目指すにふさわしい国家ということでなければならない。

 要するに「国のために戦って斃れた」ことを功績・栄誉とする価値づけは国家と戦死者の関係を両者共に相互に肯定し合う価値観を基礎とすることによって初めて可能となる。

 そうでなければ、戦前の日本に於いて「天皇陛下のために、お国のために」と玉砕を厭わない、まるで戦死するために戦争をするような、無考えな勢いだけのバンザイ突撃などできなかったはずだ。

 だが、それはあくまでも戦前の国家と日本軍兵士(もしくは国民)の関係であって、その関係を戦後まで持ち越して、「国のために戦って斃れた」と言い続けることは戦死者を肯定するのはまだしも、戦前日本国家に対する戦死者の行為を功績と見做し、栄誉と見做すことを通して日本国家に対する戦前の肯定を戦後の肯定にまで引き継いでいることになる。

 勿論、戦後に至っても肯定するにふさわしい戦前日本国家なら構わない。

 だが、戦前日本国家は植民地解放を口実としたものの、自由獲得や独裁体制からの解放のために戦った戦争ではなく、自国植民地化か傀儡政権を通したを支配を目的とした戦争であった。

 にみ関わらず、安倍晋三は靖国神社の戦死者を「国のために戦って斃(たお)れた人々」とその戦死行為を功績とし栄誉とすることによって戦前日本国家と戦死者を相互肯定している。昨年の12月26日の自身の靖国神社参拝を「戦犯を崇拝する行為」だとするのは「誤解に基づく批判」だと言いながらである。

 戦後日本の現在に於いても、「国のために戦って斃れた」とすることが戦前日本国家とその国家が起こした戦争を肯定することになっていることに気づかない安倍晋三やその一派の判断能力を疑わざるを得ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小泉進次郎は舛添要一を「自民党の背骨」を持っていないと見做し、安倍晋三は持っている見做している

2014-01-19 07:29:51 | 政治



 

 【謝罪】

 昨日のブログですが、記事内容はインドでの集団レイプを規模・凶悪性で遥かに上回る戦前日本軍及び日本軍兵士の未成年女子や若い女性拉致・誘拐による集団レイプのテーマで書きながら、題名を逆の意味の、《戦前の日本軍及び日本軍兵士の規模・凶悪性を遥かに上回る現代インドでの集団レイプの蘇り - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之
》としてしまいました。かなり時間が経過してから気づいて、《戦前の日本軍及び日本軍兵士の方が規模・凶悪性で遥かに上回る形の現代インドでの集団レイプの蘇り - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と訂正しました。

 おかしいことに気づいたと思います。謝罪します。 

 舛添要一氏が1月14日(2014年)、東京都庁で記者会見を開き、都知事選立候補正式表明を行った。

 そして翌1月15日午前、小泉進次郎が舛添要一の立候補正式表明に対して一言申し上げた。

 小泉進次郎「応援する大義はないと思 う。自民党を除名され た方を支援することも、除名さ れた方が支援を受けることも、 私にはよく分からない。

 (小泉 純一郎元首相の細川護熙元首相 全面支援に対する党内の批判に関して、批判は)当たらない。(舛 添氏は)自民党本部の支援(推 薦)ではない」(時事ドットコム)――
 
 その小泉進次郎が2日後の1月17日午後前、党青年局の研修会で舛添要一を応援しないことを再度表明した。

 小泉進次郎 「(舛添氏は)野党で一番苦しかったときに『自民党の歴史的使命は終わった』と党を出た。 ずっと離れずにいた自民党員、有権者がこの姿勢に『自民党の背骨』があると見るかどうかだ」(MSN産経)――

 要するに「自民党が一番苦しかった時に後ろ足で砂をかけるようにして自民党を捨てた舛添要一に自民党の背骨を持っている政治家だと見るかどうかだ」と問いかけている。

 この言葉を裏返すと、「舛添要一は自民党の背骨を持っていない政治家だ」と見做し、結果、「支援する大義はない」と、最初の一言に戻る。

 対して自民党議員の総親分、国家主義者の安倍晋三はどうかと言うと、1月17日、都内で開催の日本記者クラブの会合で舛添要一に関して次のように発言している。

 安倍晋三「しっかりと手腕を発揮していただける。期待できる。舛添氏は第1次安倍政権と福田、麻生両政権で厚労相を務めた。(社 会保障分野に)精通している」(MSN産経)――

 小泉進次郎が「自民党の背骨を持っているのか」と舛添要一の精神、あるいは人間性を評価対象としたことに対して安倍晋三は精神や人間性を評価対象とはせずに、それらを無視して、経歴と能力を重視した対舛添評価を行っている。

 第1次安倍内閣のときの2007年3月に松岡利勝農水相が衆議院第一議員会館の自らの部屋に置いている資金管理団体が国負担の光熱費を2005年に500万円超も計上していたことが発覚した。他の経費の付け替えの疑惑を受けて国会で追及を受けると、満足に答弁することができなかった。

 国負担だから、申請すれば、実際にはかかってもいない偽装の金額分が光熱費として国から支給される。その偽装の金額の中に正直に申請すれば税金がかかる支出経費を付け替えていたとしたら、その支出した経費だけではなく、その税金分も助かることになって、見かけ上は支出経費分+税金分を自分の懐に入れたことになり、儲かる商売となる。

 政治家としてその精神性から言っても、人間性から言っても、許されない偽装である。野党は首相の安倍晋三に罷免を求めた。

 安倍晋三「今後職責を果たすことによってですね、国民の信頼をうる努力をしてもらいたいと――」(2007年3月12日夜7時のNHKニュース)――

 要するに精神性や人間性よりも能力を取った。

 今回の舛添要一の場合と同じ構造の評価をおこなった。

 小泉進次郎の人物評価が支持されるのか、安倍晋三の人物評価が支持されるのかの戦いでもある。

 舛添要一から言うと、当選すれば官軍である。巧みな言葉を駆使して、必死に当選を目指すはずだ。官軍となるべく。人間重視ではなく、能力重視の人物評価の助けを得て。

 フランスの哲学者が言ったとかいう言葉を思い出した。

 「才能は必ずしも人格と一致するわけではない」

 だが、安倍晋三のように人格を無視して才能を重視するリーダ-が存在する以上、才能だけの人間が世をのさばることになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦前の日本軍及び日本軍兵士の方が規模・凶悪性で遥かに上回る形の現代インドでの集団レイプの蘇り

2014-01-18 10:16:20 | Weblog



      《生活の党PR》

      《1月19日(日) 小沢一郎代表『日曜討論』(NHK)出演のご案内》

      日 時:平成25年1月19日(日)9:00~10:50
      小沢一郎代表出演時間は10:35頃から     

 1月14日(2014年)、インドのニューデリーで滞在先ホテルまでの道に迷い、尋ねたデンマーク人女性旅行者(51)を人目のつかない場所に誘い込み、集団でレイプする事件が起きた。「MSN産経」記事によると、警察は事件に関与した疑いで15人を拘束したと地元メディアの報道として伝えている。

 記事はさらにインド政府が2012年末にニューデリーで起きたレイプ殺害事件を機に性犯罪を厳罰化したが、AP通信によると、首都とその郊外での2013年1~10月発生レイプ事件は、12年1年間の2倍近くに増加したと伝えているという。

 インターネットで事件例を調べてみたところ、インドのレイプ事件は衆人環視の中でも見境のない点、年齢に対する見境のない点、相手が外国人女性だろうと見境のない点等の要素を備えた暴力的な集団レイプの多発を特徴としているように見える。

 外国人女性に対するそれは、上記以外に2013年3月に8人の男が夫と自転車旅行途中の夜のキャンプ中にスイス人女性を夫の目の前で集団レイプし、警察は20人を拘束したといった事件が起きているし、2013年 6月には30歳の米国人女性が3人の男から集団レイプを受けている。

 調べれば、もっとあるかもしれない。

 同じインド人女性に対しては、2013年11月の1歳3カ月の女児が母親の留守中の自宅で集団レイプされた例。13歳の少女が男3人にレイプされた後、火を付けられ、搬送先の病院で死亡した例。2013年7月の男15人が地元の宿泊施設に押し入り、ミッションスクールで職業教育を学ぶ12~14歳の少女4人を連れ出して、宿泊所から約500メートル離れた場所で集団レイプした例。

 これらは年齢に対する見境のない部類に入る例であろう。

 2012年12月の23歳のインド人女子学生がバスの中で酒に酔った6人の同乗者から次々と集団レイプされ暴行を受けて、その後死亡した例は衆人環視の中であっても問題視しない部類に入る。

 2013年6月の22歳の女子大生が大学内の図書館から徒歩で寮に帰る途中、電気三輪車から降りてきた3人の男に拉致されて人気のない場所に連れ込まれ、集団レイプされた例。

 集団レイプではなく、単独レイプだが、2013年5月の80歳の女性が41歳の野菜販売業者の男から受けたレイプは上限に向けた年齢に於いても見境のない例とすることができる。

 調べて例を挙げていったなら、キリがないかもしれない。

 社会的背景を同じくインターネットで調べてみた。インドは圧倒的に男性社会で、女性の地位が低いこと、いわば対等な存在としての尊敬を受けていないこと。そして女性が結婚する際、家族が数年に亘って借金を背負わなければならない程の持参金が必要とされるため、女児の出産が忌避され、出産前診断で女児の場合は中絶対象となるために女性の人口が抑えられて、圧倒的に男性の人数が多くなることからの嫁不足の問題が生じているといった記述を見かけることができた。

 要するに男尊女卑の社会的風潮と多額の持参金の必要性に対する経済的な対応能力不足、このことも原因となっている男女比の人口アンバランスが素因だと動機づけている。となっている。

 だとしても、出産前性別診断は現代の科学であり、持参金の女性負担は古い時代の慣習・文化でありながら、現代にまで引きずって、それが現代の科学に打ち勝つことができないと状況にあるというのは滑稽である。

 インドのレイプ事件がアメリカやフランスのレイプ数と比較して例外的に多いというわけではないという記述もあった。

 だが、このような説明のみでは衆人環視と年齢の双方を問題としない、抑制もなく簡単に無法秩序の空間を現出させてしまう暴力的な集団レイプの社会的説明はつかない。

 インターネット上には誰もが納得のいく的確な説明を施した社会的背景に関する記述が存在するのかもしれないが、概観したインドの集団レイプから戦前の日本軍の従軍慰安婦強制連行を否応もなしに連想させられた。

 衆人環視と年齢の双方を問題としない拉致・誘拐と拉致・誘拐先での集団レイプは特徴がそっくりであるが、その暴力性・凶悪性に於いてインドの集団レイプを遥かに凌ぐ。

 2007年の参院予算委員会。

 安倍晋三「間に入って(慰安婦募集の)業者がですね、事実上強制をしていたという、まあ、ケースもあった、ということでございま す。そういう意味に於いて、広義の解釈に於いて、ですね、強制性があったという。官憲がですね、家に押し入って、人攫いのごとくに連れていくという、ま あ、そういう強制性はなかったということではないかと」――

 「まあ、ケースもあった」という「まあ」は大した規模ではないという意味を持たせている。

 業者は日本軍の威嚇性・強制性を担って募集行為を行っていたのである。いわば周囲の人間にとって日本軍と変わらない恐怖を体現していたことになる。「まあ」どころではなかったはずだ。

 官憲が直接力づくで強制連行する“狭義”強制性はなかったと言っているが、『日本軍に棄てられた少女たち―インドネシアの慰安婦悲話―』プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・コモンズ)には占領下のインドネシアで日本軍兵士がトラックで乗り付けたり、その他の強制的な方法で年齢に見境なく、また衆人環視とさして変わらない母親やその他がいる場所で十代半ばから20歳以下の少女たちを拉致・誘拐していく、いわば官憲による狭義の強制性の例をいくつも挙げている。

 このことは1月5日(2014年)の当ブログ記事――《日本軍は戦時中のインドネシアで未成年者略取及び誘拐の罪を犯して従軍慰安婦狩りしていた - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 また同じ占領下のインドネシアで民間オランダ人を捕虜として収容した収容所に日本軍兵士がトラックで乗り付けて未成年の女性を強制的に連行し、従軍慰安婦に仕立てた事件は既に広く周知の事実となっているが、1941年に旧オランダ領東インド(現インドネシア)に生まれ、日本軍占領下に幼児期を過ごして戦後オランダに帰国した女性が日本軍に強制的に従軍慰安婦とされた女性たちからの聞き取り証言を綴った、『折られた花』(副題〈日本軍「慰安婦」とされたオランダ人女性たちの声〉)(マルゲリート・ハーマー著・新教出版社)から、年齢に見境のない、衆人環視の許の拉致・誘拐の例を参考引用したいと思う。

 18歳のマルタの場合は収容所から強制連行されたのではなく、まだ民間オランダ人を収容状に収容する前だったのか、品物を持って売りに行く途中、突然日本軍憲兵の車が横に止まり、「何をしているのか」と尋ねられた。

 マルタは物を売りに行く途中だと答えたが、手招きで一緒についてくるように指示され、車に押し込まれてある建物に連れられていかれた。そこには100人ぐらいの少女や若い情勢が既に集められていたという。

 この後の1日に何十人もの日本兵を相手にしなければならなかったという展開は改めて説明するまでもない。

 次の記述だけ紹介しておく。

 「みなマルタと同じように通りで憲兵につかまえられたか、軍が委託した斡旋業者に連れて来られたのだった。少女たち数人からマルタが聞いたところでは、日本の警察が町中のあちこちの民家に押し入って少女たちを引っぱっていき、母親たちが自分を代わりに連れていってくれと泣きながら抗議しても無駄だったということだった。この少女たちはみんなトラックに積み込まれ、いろいろなところへ連れて行かれた」――
 
 憲兵(=日本軍)自体が日本軍が持つ理不尽な強制力で未成年の少女たちを拉致・誘拐していたのである。日本軍委託斡旋業者が憲兵のやり方を見習うことなく紳士的に目的を言い、契約を結んで募集したとは考えにくい。既に触れたように日本軍が持つ威嚇性と強制性を自らも体現して利用しなかった保証はない。
 
 「母親たちが自分を代わりに連れていってくれと泣きながら抗議」したのは、日本の警察が威嚇性を見せて強制的に連行するとき、例え目的を言ったとしても、若い娘を有無を言わさずに連行すること自体が日常的・常識的な軍の業務に関係しないことであることから、正直な目的ではないこととその実際の目的を暗黙の裡に察知していたことからの必死な身代わりの申し出であったに違いない。

 だが、情け容赦もなく拉致・誘拐していき、集団レイプの生贄とした。

 母親たちが想像した通りの生贄であったに違いない。ここに日本軍兵士の残酷さが否応もなしに見えてくる。

 このような日本軍及び日本軍兵士のオランダ人やインドネシア人の未成年少女や若い女性に対する集団レイプが現在のインドに蘇ったような様相を呈しているが、その規模・凶悪性に於いてインドの集団レイプを何百倍も上回ることは断るまでもないはずだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人のナショナリズム高揚を装置とした自信回復の危険性を考えてみる

2014-01-17 10:26:05 | Weblog




 オオクニヌシさんから今朝、次のようなコメントを頂いた。

 〈私のブログを紹介していただき、ありがとうございました。

 荒れていますねぇ。

 靖国参拝については、日本社会の閉塞感が背景にあります。
 ナショナリズム高揚によって「自信(のようなモノ)を取り戻したい」一部の国民と、それを利用して政権浮揚を図る為政者。さらに、利権が絡んでくるのでややこしくなっています。

 突き詰めれば、「感情」と「打算」が靖国問題の本質ですが、靖国神社を、普通の「お墓」だと勘違いしている従順な国民が大勢いるのは非常に残念です。〉――

 そこでナショナリズム(国家主義、あるいは民族主義)高揚を装置とした自信回復といったことを考えてみることにした。但し鋭敏な頭脳には縁が無いために稚拙な論理展開になることは前以てお断りしておかなければならない。

 自信を取り戻すのは結構なのだが、ナショナリズム高揚を装置とした自信回復は時として傲慢さにまで行き着いてしまうことが往々にして起こる。特に集団で行動するとき、自信が集団心理として働くことによって個人が持つことができる範囲を超えて付和雷同の力学が働き巨大化してそれぞれに取り憑き、その巨大化した過剰な自信が一斉行動によって表現された場合、ナショナリズムを背景としているゆえに否応もなしに自分たちの中にある日本人と言うもの――総体としてある日本人なるものを絶対的な優越的価値に導く危険性を招きかねないからである。

 1923年(大正12年)の関東大震災時に於ける日本人集団による朝鮮人虐殺も、一般民衆が日本人というものを朝鮮人に対して絶対的優越的位置に置いた、いわば日本人優越性(=日本人絶対性)からの集団行動であったはずであり、戦前の日本軍兵士が現地人や捕虜とした敵国兵に対するリンチ・虐殺も、個々の行動のように見えるが、日本軍としての集団性を担った優越的な立場からの集団行動に入るはずである。

 日本軍としての集団性自体が既に日本人優越性を属性としていたのである。天皇陛下の軍隊・天皇陛下の兵士と自らを価値づけていたことが証明している。

 関東大震災については、「横浜市震災史」から引用した『朝鮮人のなかの日本』(呉林俊(オ・リムジュン)著・三省堂)に次のような記述がある。

 「旦那、朝鮮人はどうです。俺ア今日までに6人やりました」――

 偉大な手柄・勲章と見做して誇っている。

 何という優越意識だろうか。自らを日本人として優越的な自己絶対化に位置づけていなければできない権限もない殺人である。

 この虐殺も個々の行動に見えるが、日本人を優越的な位置に置いているがゆえにナショナリズムを背景として多くの日本人に付和雷同の集団心理を働かせた集団行動であったはずだ。
 
 朝鮮人虐殺にしても、日本軍兵士の敵国民間人や敵国捕虜兵士に対するリンチ・虐殺にしても、個々の行動に見えて実際は集団行動であるように、集団行動とは同じ一つの平面に大勢の人間が集まって同一の行動を取ることだけをいうのではなく、異なる平面であっても、似た行動を一斉に取ることによって、結果的に集団性を表現することになって、集団行動化する。

 例えば現在でも、個々の人間は離ればなれの場所に位置していても、それぞれがインターネットやある種のマスメディア等の同一空間を利用して似た主張を一斉に発信することも結果として集団性を担った集団行動に入るはずである。

 時としてそのような集団行動(集団表現と言ってもいいが、)がナショナリズムを背景として日本人を優越的位置に置くことで自己を絶対化し、それに同調しない言論・主張を「自虐史観だ」などと誹謗・攻撃する風潮が罷り通っているが、そのようなナショナリズムが日本人が自信を回復することによってより強固な勢いとより確固たる正当性を自らに与えた場合、異なる言論・主張に対する攻撃の力も強まり、それが言論弾圧や言論封殺の傲慢な形を取った過去の歴史を戦前の日本で見てきたのであり、現在の日本では見ることはないと決して断言することはできない。

 だが、個々人がナショナリズムを背景として同じパターンの言論を発信する形式の集団性を担って集団で日本人として行動するのではなく、同じ日本人ではあっても、日本人としてではなく、自分という人間を背景として個人として行動した場合、ナショナリズムを背景とすることからは無縁の位置に立つことが可能となって、当然、日本人優越性からも自由で、異なる言論・主張に対してもナショナリズムからの価値づけにも無縁で、言論弾圧や言論封殺の傲慢な形を取る危険性は例外を除いて、取り除くことができる。

 例外というのは個人として行動した場合でも、自己絶対化が過ぎると、それを脅かす異なる言論・主張に対して自己の絶対性を守るために自身が持つ社会的な力や財政的な力を利用したりして、あるいはそういった力がなくても、自身が可能とする脅迫の手段を用いて言論弾圧や言論封殺の傲慢な形を取る場合が往々にしてあることを言う。

 要は個人として行動する場合にしても、自分は自分であるという自律性・個の確立を如何に獲得しているかにかかっているはずである。それを獲得していた場合、個としての自分を持する力が働き、ナショナリズムといった集団性を担うことなく、常に自律した個人として行動することができ、個人として言論・主張を発信できるはずであり、社会の閉塞感に対しても自分を維持することが可能となるはずである。

 12月12日の日曜日あさひテレビ放送「報道ステーション SUNDAY」にミュージシャンの布袋寅泰(ほてい ともやす)が出演、ニューヨーク公演が成功したことを、「日本人としてのスピリッツを伝えることができた」と言っていた。

 この言葉にナショナリズムを嗅ぎ取って、奇異に感じた。確かに布袋寅泰は偉大なミュージシャンであり、社会的にも自律した人間であろうが、日本人ではあっても日本人として行動しているのではなく、あくまでも布袋寅泰という個人として行動し、活動しているはずである。

 布袋寅泰という個人としてのスピリッツがニューヨーク公演で伝えることができてアメリカ人(あるいはそ他の国の人間に)理解されたはずである。

 もしそれが純粋・特有の「日本人としてのスピリット」であったなら、純粋・特有であるゆえに「日本人としてのスピリット」を持つはずもないアメリカ人やその他の国の人間に理解されないはずである。

 異なる言葉は学ばなければ理解できないが、精神や感情、感覚、あるいは魂と表現してもいいが、それらは何人であろうと共通性を持つゆえに理解可能となる。それが布袋寅泰特有のスピリッツであっても、共通性があるゆえに外国人の魂に対しても響くのであって、「日本人としての」と純粋化・特有化した場合、日本人にしか理解できないこととなる。

 私自身は布袋寅泰の音楽性は優れて個人的に特有な純粋性を持った「スピリッツ」であって、決して日本人全体が集団で担っている音楽性ではないと思う。

 だから、聴くことによってのみ自らの精神、あるいは魂に響かせることしかできないし、布袋寅泰以外の人間には表現できない極めて個人的な音楽性ということになる。

 「日本人としてのスピリットを伝えることができた」と言うと、ナショナリズムに浸っている日本人は日本人優越性の証明・勲章の再確認の事例と見做して、なおのこと日本人優越性に浸って、他人種を低く見る傲慢な態度に出るのではないかと危惧する。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舛添要一の過去発言から、その人間の期待度ではなく、信用度を判断する

2014-01-16 09:50:15 | Weblog




 2010年3月当時、2009年9月に民主党に政権交代して鳩山政権となっていた。野党自民党の総裁は谷垣禎一。谷垣人気は低迷し4カ月先2010年7月の参院選挙は谷垣では勝てないと自民党内では谷垣降ろしの嵐が吹き荒れていた。

 当時世論調査では、「次の首相にしたい政治家」として自民党の舛添要一が一位を占める人気を誇っていた。その一つ、2010年3月8日付の「JNN世論調査」を見てみる。

 「総理大臣を任せたい国会議員」

 自民舛添要一――13%(1位)
 鳩山首相   ――8%(2位)
 谷垣自民総裁 ――1%(その他大勢の中)
 小泉進次郎  ――1% 

 2009年8月30日投票の総選挙で初当選したばかりの小泉進次郎が「JNN世論調査」では世論の首相就任願望に早くも顔を出し、谷垣自民党総裁と同じ1%だということは、親の七光りもあるだろうが、小泉進次郎が凄いのか、あくまでも1%は1%であって、谷垣総裁が情けない状態を示しているに過ぎないということなのか、まあ、後者に落ち着かせざるを得ないはずだ。

 舛添要一の場合は現職首相の鳩山由紀夫を5%も離して13%の獲得だから、世論の舛添要一に対する期待度は相当なものだったと見なければならない。期待度は世論の見る目を表し、見る目に比例するはずだ。但し世論の見る目が期待の形を取るものの、見る目が期待した成果を結果とするとは限らないし、見る目が常に正しいとは限らない。

 この点、非常に厄介である。

 確かに安倍内閣を引き継いで2007年9月26日福田内閣発足と同時に任命された厚労相を麻生内閣でも再任されて様々に仕事を成し遂げたことが次の首相への期待度へとつながっていったのだろうが、舛添要一がこのとき世論をバックにだろう、自民党総裁になろうと様々に活動していたのに対して、その言動から、私自身は信用できない政治家のリストに入れていた。

 この辺りのことは2010年3月9日の当ブログ記事――《「総理大臣を任せたい国会議員」の第1位を舛添と見る有権者の鑑識眼 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、詳しいことは皆さんのその記事へのアクセスに任せるとして、舛添要一の信用できない言動だけを記事から焼き直しの形で取り上げて、ここに記してみたいと思う。    

 谷垣降ろしで動いていた与謝野馨元財務相が2010年3月10日発売月刊誌「文芸春秋」4月号掲載の論文で、夏の参院選前の谷垣禎一総裁ら執行部の刷新を求め、実現しない場合は新党結成も辞さないと“谷垣降し”に言及していることが報道された。

 対してもう一方の谷垣降ろしの急先鋒たる舛添要一は3月1日の日本外国特派員協会講演で次のように発言している。

 舛添要一「世論調査で民主党の支持率は自民党の2倍で致命的だ。この点を党内の良識派が考慮すれば、谷垣総裁を降ろす方向に動くだろう」(YOMIURI ONLINE)

 「党内の良識派」に谷垣降ろしの方向へ向けたタガをはめようとした。良識があるなら、谷垣降ろしに動けと訴えた。

 そして3月8日の国会内での対記者団発言。

 舛添要一「小沢独裁民主党と違っ て、われわれは自由だ。切磋琢磨(せっさたくま)することが党が良くなることだ」(NIKKEI NET

 言論の自由を持ち出して、自らの党内批判・執行部批判を正当化した。

 だが前年の2009年12月22日、都内で新刊「舛添メモ 厚労官僚との闘い752日」(小学館1260円)の出版記念講演では違った発言をしている。

 舛添要一「仮に私が首相になったら閣僚の7割は民主党から選ぶ。自民党から欲しいのは3割だ。

 誤解を恐れずに言うなら、今の自民党には小沢(一郎)さんよりももっとラジカルな(過激な)独裁者が必要。(総選挙で)負けたという危機感がなさ過ぎる」(スポーツ報知

 舛添がこの閣僚選出の条件で首相になるには一般的には自民党過半数割れ第一党、民主党との連立政権でなければならない。第一党でありながら、閣僚自民党3割、民主党7割では、まさしく独裁者の装いを打ち出さなければ、不可能となるだけではなく、自民党の派閥利害と一致するはずはない。

 また、後半の発言にしても、自民党には小沢一郎氏よりも過激な独裁者が必要だと言って、その条件に当てはまる政治家を自分に擬(なぞら)えながら、2ヶ月後には「小沢独裁民主党と違っ て、われわれは自由だ。切磋琢磨(せっさたくま)することが党が良くなることだ」と、独裁者の必要性をどこかに放り出している。

 一言で言うと、言葉に信用はできない。

 上記当グログ記事には書いてないが、舛添要一は2010年3月17日、参院自民党のボス青木幹雄前参院議員会長と国会内の自民党控室で会談している。

 そして9月1日夜、日本の政界の時代錯誤の黒幕森喜朗と会談、「ポスト麻生」の本命と見られていたにも関わらず9月28日投開票の自民党総裁選に出馬しない意向を伝えたとされている。

 「ポスト麻生」本命視は世論の次の首相期待度も入っているはずである。だが、出馬断念を自分の方から伝えた。推測に過ぎないが、無派閥の舛添が森や青木といった派閥のボスたちに派閥利害と一致しないために推薦人集めの協力を得ることができず、逆に引導を渡されたと見る方が自然ではないだろうか。

 但し出馬断念はこの記事で取り上げた舛添語録を自ら全てウソにすることになる。国民世論の期待度に対する裏切りでもある。

 このウソ・裏切りにしても言葉の信用のなさを補強する糧としかならない。

 自民党には「ラジカルな(過激な)独裁者が必要」と言った以上、「総裁選立候補を派閥のボスたちに邪魔された」ぐらいは言うべきだったろうし、言ってから離党すべきだったろう。

 確かに1月14日の都知事選出馬記者会見では、「2020年の東京オリンピック・パラリンピッ クを、皆さんの力をあわせて史上最高のオリンピックにする思 いで取り組みたい」(MSN産経)などと勢いのいい言葉で立派なことを言っている。

 誰もが立派な言葉を装うことはできる。その言葉が信用できる言葉かどうか、その信用度を測らなければならない。

 今回の新都知事への期待度にしても高いものがあるが、言葉の信用度と秤にかけなければならない。

 まさに“都民の判断”にかかっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家主義者安倍晋三の愚民意識から発した細川元首相に対する都知事選原発争点化牽制

2014-01-15 10:13:43 | Weblog


 

 国家主義者安倍晋三が1月12日午後(日本時間1月13日未明)、この時点ではまだ都知事選立候補予定だった細川護煕元首相に対して遥か遠いアフリカの地モザンビークから、細川氏が選挙戦の主たる争点としようとしている「脱原発」政策に関して牽制したと大方のマスコミが伝えている。

 同じく「脱原発」を掲げている国民人気の高い小泉純一郎元首相との連携が囁かれていることから、連携が実現した場合、原発問題だけが争点化して細川氏に有利となった場合、自民党が押そうとしている舛添要一の当初の一番人気が怪しくなって、当選が危ぶまれることへの懸念が動機となった言葉の介入――牽制というわけなのだろう。

 伝えているマスコミの一つ。《「脱原発」争点化をけん制=解釈改憲の時期、言及せず-安倍首相》時事ドットコム/2014/01/13-04:09)

 安倍晋三「エネルギー政策は東京都だけでなく国民の課題だ。都知事としての(他の)課題もバランスよく議論されるべきだ」

 選挙の争点として議論すべきバランスのよい政策課題として次の3点を挙げたという。 

(1)待機児童の解消
(2)2020年東京五輪・パラリンピックの対応
(3)防災

 菅官房長官も親分に負けじと1月14日午後の記者会見で親分に倣った牽制球を投じている。《原発は東京都だけで決める政策課題ではない=官房長官》ロイター /2014年 01月 14日 17:02)

 菅子分「原発は国全体で取り組むべ き問題であり、東京都だけで決める政策課題ではない」

 その上で争点としてふさわしい政策課題を次のように挙げたという。

 少子高齢化が進む中での社会保障政策
 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けた国際 都市づくり 

 そして、「あとは都民がどう判断するかだ」と語たっという。

 要するに菅子分は安倍親分と同じ趣旨のことを発言したに過ぎない。

 菅子分の問題点は最終的な決定は“都民の判断”であるなら、立候補者の誰が何を争点としようと、すべて“都民の判断”に任せればいいはずだが、“都民の判断”だと言いつつ、自身の判断をそれとなく強要している点にある。

 安倍晋三も同じことだが、選挙介入以外の何ものでもない。

 安倍晋三が言っている「エネルギー政策は東京都だけでなく国民の課題だ。都知事としての(他の)課題もバランスよく議論されるべきだ」は誰もが言う当たり前のことを言っているに過ぎない。

 誰が東京都知事になろうと、自身がライフワークとしようとしている政策課題以外は約人任せでいいという訳にはいかないし、都知事を目指す以上、他の政策課題にしても自分なりの理念を持っているはずで、理念通りに、あるいは理念に限りなく近い形で実現させることができるかは自身の政策実現能力と政策調整能力、さらに役人掌握能力にかかっている。

 いわば安倍晋三が挙げた主として選挙の争点とすべき原発政策以外の政策課題の3点、「待機児童の解消」と「2020年東京五輪・パラリンピックの対応」と「防災」にしても立候補する以上、予定している政策課題であって、余計なお世話に過ぎない。

 但し政治家の中には課題として自身に取り組むことを要求されている政策の満遍のない実現を図る政治家と、満面のない実現を図りつつ、自らにライフワークとして課した政策にスタッフを特別に選別・採用して当たらせて実現を図ろうとする政治家もいる。

 細川氏が後者の政治家であることは細川・小泉会談後の対記者団発言が証明している。《【都知事選】細川、 小泉両元首相の会談後発言 一 問一答》MSN産経/2014.1.14 14:08)

 細川元首相「(立候補決定は)今の日本のさまざまな問題、特に原発の問題などについて、非常に私なりに国の存亡に関わる問題だという 危機感を持っているからだ。

 (政策に関わる)具体的なことは数日中に出馬表明の正式な会見を開いて、そこで政策的なことも含めてお話をしたい。(会見は)一両日中、あるいは 2~3日中にはできるかと思 う」――

 「特に原発の問題」を最優先課題だとして、結果として自らの選挙の争点とすることを宣言しながら、原発以外の政策を近日中に発表するとしている。

 いわば原発問題を選挙の争点とすることはあっても、ライフワークだからと言って、原発問題だけに関与するわけではない。あとは選挙戦を通した各立候補者の発言とその経歴(=発言の経歴)と政治家としての経歴に対する評価・吟味等を経た最終判断としての“都民の判断”にすべてがかかっている。

 選挙とその結果に対するこのような経緯を当たり前とするなら、安倍晋三の牽制にしても菅子分の牽制にしても、繰返し言うことになるが、まさに余計なお世話、余計なお節介ということになる。

 このような余計なお世話、余計なお節介は最終決定は“都民の判断”にかかっていると冷静・厳密に認識していたなら、出てこないムダなエネルギーであるはずである。
 
 その認識が中途半端だから、ムダなエネルギーを費やすことになったのか、考えられるもう一つの理由は牽制することによって“都民の判断”を原発問題を選挙の争点とすることから逸らすべく誘導を謀ったのか、いずれかであるはずである。

 だとすると、前者であったとしても、後者であったとしても、安倍親分にしても、菅子分にしても、“都民の判断”を蔑ろにしていたことになる。

 前者なら、“都民の判断”を信用していない、後者なら、誘導できる程の“都民の判断”だと軽んじていたことことになる。

 不信用・軽視、どちらから見ても、都民、ひいては国民に対して愚民意識を抱いていることにならないだろうか。

 尤も抱いていたとしても不思議はない。何しろ国家優先・国民従属の国家主義者である。国家主義を成り立たせるについては愚民意識を一つの構成要素としている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自虐史観の対語としての自尊史観とその危険性

2014-01-14 09:35:10 | 政治



 最近当ブログにコメントを時折り寄せて頂いている「オオクニヌシ」さんから教えて頂いた氏のブログにアクセスしてみたら、「今回は、歴史認識について、うさきち様の記事を紹介します」と冒頭書いてあって、次の記事がエントリーされていた。

 《「自虐」ではなく「自省」である》日本の未来を考える//2014-01-11 23:48:49)>

 そこに「うさきち様の記事」として〈自己批判を止め、誇りを持ち、自尊心を高めると、高慢になる可能性が高まります。行政や企業は批判に耳を傾けず、自分は正しいと過信し、間違った道を突き進み、破滅へと向かうわけです。戦前の日本も原発事故の東電も病根は同じです。

 自虐史観という造語を使うのではなく、人間なら自省史観を大切にすべきでしょう。〉との一文が紹介されていた。

 確かに批判精神としての「自省」を忘れてはならないし、日本の歴史を振返るとき、批判的な目としての「自省史観」は欠かすことのできない歴史認識であると思う。

 断るまでもなく、「自虐史観」という言葉は自国の歴史や過去から現在に至る文化を含めた制度、あるいは過去から現在までの日本の在り様全体を肯定一辺倒で解釈したり、他国のそれらよりも優れていると優越性を持たせた把え方をする側の日本人が逆にそれらを批判したり、否定的に解釈したりする側の日本人を非難する言葉として存在させている。

 前者は当然、日本の国の姿に対する無誤謬意識を自らの精神に潜在化させている。無誤謬意識は優越意識を発展形とし、あるいは逆に優越意識を土壌として育成・成長させていく相互増殖の形をとる。

 間違いのない国家も、間違いのない歴史も存在しないにも関わらず、このような精神構造を可能とする原因は自省精神(=批判精神)の欠如なのは言うまでもない。歴史に関して言うと、「自省史観」の欠如ということになる。

 いわば自省精神(=批判精神)の欠如を土壌・背景として無誤謬意識と優越意識の相互増殖を誘発、結果として自尊精神(=自尊心)を肥大化させ、そのような心的状態で日本の国を間違いがない、優れていると見るから、なおのこと自省精神(=批判精神)を失っていく。

 「自虐」という言葉自体は「自らを虐める、自らを痛めつける」という意味である。当然のことで、そのような意識で自分たちが間違いのない優れた国だとしている日本という国に向けられていると解釈しているのだから、国に対する自分たちの自尊精神(=自尊心)から言って、自虐史観だとしている言動には我慢ならないことになる。

 このような精神的経緯から読み取ることができるのは「自虐史観」の対語として彼らの歴史を含めた認識に対して「自尊史観」という言葉を当てることができる。

 そして戦前の日本民族優越意識=日本民族無誤謬意識を日本人の代表者として一身に体現していたのが昭和天皇であるは言うまでもない。

 このことは昭和21年1月1日発表の『新日本建設に関する詔書』」が何よりも証明している。

 〈朕ト爾等國民トノ間ノ紐帶ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。〉――

 〈天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ(ひいて)世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス〉とする観念(日本民族優越意識=日本民族無誤謬意識)を帝国日本国家と帝国国民は自らの自尊精神としていた。

 だが、「自尊史観」が根づかせている戦前の日本民族優越意識=日本民族無誤謬意識が一大国策とさせた無謀な侵略戦争と無謀の当然の結果としての無残な敗戦によって、〈天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ(ひいて)世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス〉る自尊精神が〈架空ナル觀念〉だと気づかせた。

 にも関わらず、無残な敗戦を経た戦後の日本の国に於いても自省精神(=批判精神)を欠如させたまま性懲りもなく、日本民族優越意識=日本民族無誤謬意識の自尊精神(=自尊心)に囚われ続けている「自尊史観」が跋扈している。

 戦後日本の現時点でのその代表者は安倍晋三だろう。天皇を絶対的存在として信奉し、日本の歴史・伝統・文化のすべての中心に天皇を置いている。安倍晋三とその一派の靖国神社参拝にしても、「自尊史観」の主たる表現として行っているはずだ。

 安倍晋三とその一派によって日本国のすべての中心的存在だと奉られている天皇の一人である昭和天皇は中心とは程遠い裸の姿を『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(文藝春秋・07年4月特別号)から読み取ることができる。

 このことは日記に基づいて書いた2007年7月5日の当ブログ記事――《安倍首相みたいにバカではなかった昭和天皇(1)~(5) - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と2013年6月9日の当ブログ記事――《安倍晋三が日本の歴史を長大なタペストリーと見立て、その縦糸だと言う天皇の虚ろな実像(1)(2) - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。
 
 私のブログではなく、『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』を読めば、明治以降、自省精神(=批判精神)を欠いているがゆえに日本人の精神として培うこととなった〈天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ(ひいて)世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ス〉とする日本民族優越意識=日本民族無誤謬意識をベースとした自尊精神(=自尊心)の危険性がこの上もなく読み取り可能となる。

 この危険性は自虐史観の対語と位置づけることができる自尊史観の危険性そのものを指すことになることは断る必要もあるまい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の靖国参拝「不戦の誓い」と集団的自衛権行使及び敵基地攻撃能力保持の矛盾

2014-01-12 10:35:55 | 政治

 

 超党派構成日米国会議員連盟・中曽根弘文会長(自民)らが雁首を揃えて渡米、安倍晋三の靖国参拝に対する米国側の「失望している」という反応を払拭すべく、いわばご機嫌を直して貰うために米政府関係者や連邦議会議員と会談、安倍晋三が参拝に当たって公表した「不戦の誓い」などを謳っている「談話」の英文を手渡し、自分たちも「不戦の誓いの参拝だった」と補強説明に努めて理解を求めたという。

 日本の国会議員が雁首を揃えて渡米までして日本の首相である安倍晋三の靖国参拝の真意への理解を求めたということは、安倍晋三の靖国参拝は日本政府を代表した公式参拝だったことになる。

 まさか私的参拝に過ぎない個人的行為の理解を日本の国会議員の面々が雁首を揃えて米政府や連邦議会議員各要人に求めるといったことはすまい。

 もし私的参拝であったにも関わらず米側の理解を求めたのだとしたら、日米関係が最重要な時期に安倍晋三がもし個人的不祥事に過ぎない不倫スキャンダルを勃発させた場合でも、国会議員等が訪米して理解を求めなければならないことになる。

 公用車を使い、SPまで引き連れ、参拝の趣旨を述べる談話を首相官邸HPに載せ、「総理大臣安倍晋三」と記帳して参拝主体を日本国総理大臣とした以上、私的参拝であるはずはなく、日本政府を代表した公式参拝だったのであり、そうであるからこそ、国会議員たちがお手てをつないで渡米して説明に努めなければならなかった。

 だが、新藤総務相は安倍晋三の参拝について、「総理大臣といえども個人の私的行為であり、心の自由の問題なので、総理大臣がそう判断したのであれば、それを受け止める。いつ、どのようなときであっても、自由に、自分の気持ちにしたがって参拝されればいいと思う」と記者会見発言して、「私的参拝」だとしている。

 フジテレビ「新報道2001」を視聴しながらこのブログを書いているとき、自民党の礒崎陽輔が「あくまでも私的参拝だった」と言っていた。

 この矛盾はゴマカシが存在するからこそ生じる。安倍晋三は参拝の形式から言っても、精神に於いても、心から公式参拝としていたはずだ。

 それが安倍晋三の信念の表現であるなら、なぜアメリカの理解を求めなければならないのだろうか。超党派国会議員だけではなく、菅官房長官にしてもアメリカの「失望」に対して、「理解を求めていく」と言っている。

 信念は押し通してこそ、信念として成り立つ。だが、中韓には押し通すことができてもアメリカに対しては押し通すことができずにアタフタと理解を求めるのは対米従属精神の現れ以外の何ものでもないはずだ。

 その程度の安倍晋三であり、その程度の信念だということである。

 会談相手の一人であるアーミテージ元国務副長官は次のように理解を示したという。

 アーミテージ「民主的に選ばれた主権国家の総理大臣が選挙の公約を果たしたわけで、終わったことだ。
 
 (日中韓の関係について)今後よい方向に向かっていくことを期待している」(NHK NEWS WEB)――
 
 「民主的に選ばれた主権国家の総理大臣が選挙の公約を果たした」とは、選挙で公式参拝を約束し、公式参拝として実行したとの意味を持つ。

 いわばアメリカ側は公式参拝と受け止めている。

 だが、本当に理解を示した言葉だろうか。安倍晋三の靖国参拝を含めた歴史認識が日中・日韓関係のネックとなっている現実的事実は認識していないはずはないことから考えると、簡単には「終わったことだ」とすることはできない障害であることに変わりなく、靖国参拝に関しては半ば匙を投げているニュアンスを感じないわけではない。

 安倍晋三一味が靖国参拝の主たる目的の一つを「不戦の誓い」だとするなら、戦前の日本の戦争を戦略戦争と認めない「不戦の誓い」は良心の上からも論理の上からも矛盾そのものだといったことをブログに書いてきたが、安倍晋三が「不戦の誓い」の観点に立っている首相ということなら、その観点から今後の日本の安全保障政策を把えるなら、「不戦の誓い」は安全保障政策の全体を覆うイデオロギーとならなければならない。

 逆説するなら、「不戦の誓い」をイデオロギーとした今後の日本の安全保障政策の構築としなければならない。

 そうでなければ、「不戦の誓い」はウソになる。
 
 「不戦の誓い」とは、簡単に言うと、戦争を手段としない(=軍事力を手段としない)ということであり、そうでなければならない。少なくとも外交政策を最優先とした安全保障政策でなければならない。

 ところが、安倍晋三は集団的自衛権憲法解釈行使容認や敵地攻撃能力保持に向けた安全保障政策の発展を策謀している。この根底にあるイデオロギーは戦争を手段とた(=軍事力を手段とした)安全保障政策の優先ということであろう。

 集団的自衛権の行使、あるいは権利として認められた場合の敵地攻撃の行使の次の場面は、例えそれが局地的紛争であったとしても、局地的紛争で完結する保証はない以上、戦争を想定した危機管理が必要となる。

 このような安全保障上の危機管理は二度と戦争を手段としない(=軍事力を手段としない)とする「不戦の誓い」をイデオロギーとした安全保障政策と言うことができるのだろうか。

 安倍晋三の集団的自衛権についての発言をいくつか見てみる。

 2012年10月31日自民党総裁・衆院代表質問。

 安倍晋三「日本外交の再建のためには、まずは日米同盟を再構築し、その揺るぎない信頼関係を内外に示すことが第一であります。その上で、その同盟関係をより対等にしていく。そのため、集団的自衛権の行使を認めるべく、解釈を変更する必要があります。

 その上に立って、わが党は国家安全保障基本法案を策定し、党議決定いたしました。公海上において日本のシーレーンを守るため、米海軍の艦船と海上自衛艦が航行している際、米艦船が攻撃を受けてそれを自衛艦が救助しなくとも日米同盟は傷付かないとでも野田総理はお考えでしょうか。

 助けなければその瞬間に日米同盟は危機的な状況になる可能性があります。集団的自衛権の行使を可能とすることによって、日米同盟はより対等となり強化されます。結果として、東アジア地域は安定した地域となります」――

 2013年7月22日安倍晋三参院選勝利記者会見。

 安倍晋三「集団的自衛権についてでありますが、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変わる中で、日本国民を守るために何が必要かという観点から引き続き安保法制懇(政府の有識者会議『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』)での議論を進めてまいります。個別具体的な分類をしていくなかで、この議論は進めてきたわけでございますが、同時に友党、公明党の皆さまのご理解を得る努力も積み重ねていきたい。このように考えております」

 2013年年10月1日消費税増税決定発表記者会見。

 記者「AP通信の山口と申します。よろしくお願いします。

 先般、総理がニューヨークに行かれたとき、いくつかの御講演の中で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈見直し等について意欲を表明されました。一方、軍事的に台頭する隣国と比較して日本の防衛費の増加ははるかに少なく、「私のことをそれでも右翼の軍国主義者と呼ぶならそのようにおっしゃってください」というコメントをされていましたが、そのようなイメージを払拭し、近隣諸国からの不安を払拭、そして、また信頼を得るために、この後どのように外交関係を進めていこうとなさっているか、教えてください」
 安倍晋三「私はハドソン研究所においても、私たちが日本版NSCをつくり、あるいは今後、安全保障のための戦略をしっかりとつくっていくということ。あるいはまた集団的自衛権の憲法上の解釈あるいは集団安全保障下におけるさまざまな憲法解釈等についての検討は、どういうことのために我々は行っているのか。私たちが何を考え、何を目指しているのかということについて説明を行いました。

 また、国連における演説におきまして、私たちがこれからの外交安全保障の基盤とする積極的平和主義とは何か。それは何を目指しているかということについてもお話をいたしました。

 こうした私たちの基本的な考えについては、ASEANの国々を始め、多くの国々の指導者に御説明してまいりました。私がお話をした全ての国々のリーダーからは、御理解をいただいているというふうに思います。これからも私たちは何を目指し、どのように国際貢献をしようとしているのかということを、きっちりと丁寧に説明していきたいと思っております」――

 「積極的平和主義」を唱えているが、どの発言も、「集団的自衛権の行使」の権利獲得を手段とした軍事力の向上を目指した発言であって、戦争を手段としない(=軍事力を手段としない)イデオロギーとしなければならない「不戦の誓い」とは矛盾するイデオロギーとなっている。

 靖国参拝の目的の一つが「不戦の誓い」だとするのは靖国参拝を正当化する口実に過ぎないということである。

 超党派構成日米国会議員連盟の日本側国会議員はウソの情報を用いて安倍晋三の靖国参拝への理解を求めたのである。

 安倍晋三の周囲では数々のウソが跳梁跋扈している。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の郵政議員除名解除無節操と同じ舛添除名不問の無節操の答は都知事選でどう出るだろうか

2014-01-11 11:17:43 | 政治

 


 猪瀬直樹が医療法人徳洲会グループからの5000万円借用(本人がそう言っている)の騒動を受けて昨2013年12月19日、辞職を表明、2013年12月24日都議会正式同意で都知事の職を棒に振った(5000万円には棒に振らなければならない程の理由があったからだろう)あとの次の都知事選の候補が自民党も民主党もなかなか決まらなかった。

 自民党の場合、都民に対する世論調査では前参議院議員・元厚労相の舛添要一が一番人気だったそうだが、自民党を除名処分していた関係から支援に二の足を踏んでいたことが候補がなかなか決まらなかった理由らしい。

 舛添要一の自民党除名の経緯は2010年8月総選挙で自民党大敗・民主党政権交代でガタガタとなっていた自民党から離党者が相次ぎ、そんな状況下、自民党総裁になりたくで自民党離党をちらつかせたり、党外人材と接触等の活動を色々と画策していたものの反党活動の批判を受け、無派閥で派閥の壁と頭数の無力から見通しを得ることができなかったのだろう、2010年4月22日に自民党に離党届提出、改革クラブ入党。対して自民党は4月27日、除名処分の仕返で報いた。後に新党改革を立ち上げて、代表に就いている。

 4月22日離党の翌日の4月23日の夕方、フジテレビの「スーパーニュース」に出演して、次のように発言している。

 司会者「本当は自民党の組織をそのまま使って、総裁になりたかったと繰り返し言われているが?」

 舛添要一「1つの政党の総裁になるために、わたしは政治をやっていません。厚生労働大臣の時に、自民党のためにやった気持ちはまったくありません。C型肝炎でもハンセンでも、原爆症でも新型インフルでも、国民全体のために働いたわけですから、そんなけちくさい考え方を持っていない。

ですから、日本の政治を変えたいということなんで、その腐りきった政党の総裁になったって、話にならないじゃないですか。そういうのを『鶏口となるとも牛後となるなかれ』というわけです」(FNN

 舛添の離党とその人柄については、2010年4月28日の当ブログ記事――《舛添の自民党の除名処分を受けて立つことができないご都合主義-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、自民党総裁になりたい衝動を露骨なまでに散々に疼かせていたくせに、「その腐りきった政党の総裁になったって、話にならないじゃないですか」と言うことができる。

 「自民党は私を受け入れなかった」、あるいは、「自民党は私を受け入れるだけの度量もなく、私の才能を見誤った」となぜ正々堂々と自身を持することができなかったのだろうか。

 「腐りきった政党」が事実だとしても、自民党としては自尊心の手前認め難く、汚名と解釈して、逆に、「自民党総裁になりたくてウズウズしていたくせに」と舛添の行動をこそ一段と批判し、軽蔑することになる流れとなるのは世の常であり、この世の常がテレビ出演4日後の4月27日除名処分に影響を与えた可能性もあるだろうから、その流れを見抜く目を持っていなかった。

 大体が「国民全体のために働」くには政権を担う力(この力がないと、民主党政権の二の舞いとなる)と頭数を持った政党に所属することが先ず第一番の要件となる。あとは少数政党所属であっても、頭数の関係で合従連衡の難しい運に如何に恵まれるかが要件となる。

 舛添の人柄についてさらに一言言うと、安倍政権が力を得ているからなのか、国会で質問に経つと、安倍政権に擦り寄るニュアンスの発言が目立つようになっていた。

 2013年55月8日の参院予算委員会。

 舛添要一「私は野党ですけれども、安倍政権がいい政策出せばそれは賛成する、予算案でもいいのがあれば賛成する。しかし、今回は、良識の府の参議院でこういうことをやっちゃいけないんです。ですから、何としてでも民主主義というものを守るために、こういう基本をしっかりするということをやらないと、せっかく安倍総理がいい政策をなさっても、こういうことから国会運営が行き詰まってくるというようなことになれば、私は大変な問題になると思いますから、安倍政権のためにも、是非、自民党の良識のある方々の御決断を願いたいというふうに思います。回答は要りません。私の今所見を述べさせていただきました」――

 「こういうことをやっちゃいけないんです」とは、「Wikipedia」に頼って紹介すると、自民党の川口順子環境委員長が翌日までの予定で2013年4月23日訪中、会談の都合で4月25日まで滞在を延長しなくてはならなくなり、参議院議院運営委員会に滞在申請したが、委員は野党議員が多数を占めていたからだろう、認められなかったものの、滞在延長を決めた。

 そのため25日開催予定であった参議院環境委員会が流会となり(舛添は「一日に二億円の税金を使って開いている国会」だと説明している。)、野党7党が解任決議案を提出、可決された問題を指す。

 だが、質問の本質的な趣旨は「安倍政権がいい政策出せばそれは賛成する、予算案でもいいのがあれば賛成する」の協力の申し出である。「腐りきった政党」と糾弾していた自民党政権に対して協力意欲を見せた。手の平を返すように。

 だとしても、自民党の舛添要一の離党に対する除名処分は正しい判断として下した以上、事実として消えることなく残るはずだ。
 
 都民に一番人気があり、自民党が支援に動けば当選する可能性が高いという事情は除名不問の理由とはならないはずだ。

 何が問題になるかというと、政党としての節操、あるいは政治家としての節操である。影響力を確保できる都知事一人を獲得するために後ろ足で砂を蹴ったようにして飛び出し、党を激しく批判した都知事候補を支援することになるという節操の問題である。

 自民党は郵政民営化法案に反対して不成立の原因をつくった郵政造反議員を除名処分とし、小泉政権から第1次安倍政権になって除名を解除し、復党を認めた。このとき就任当初は70%近くあった安倍内閣支持率が50%台急落という代償を支払うことになったのはその節操が問われたからだろう。
 
 安倍晋三はよもや二度目の無節操は演じまい、いや安倍晋三のことだから、一度目に懲りず、現在の安倍内閣が置かれている状況に自信を持ち、二度目であろうが三度目であろうが無節操を演じるかもしれないと見ていたところ、安倍晋三が除名を不問に付すという記事を目にした。

 〈安倍晋三首相は(1月)8日のBSフジ番組で「様々な感情は横に置く必要がある」と述べ、過去の経緯は不問とする意向を示した。〉(「MSN産経」)――

 「様々な感情は横に置く」のはいくらでも結構だが、「横に置く」ということは無節操を演じるということであるはずだ。節操を守るとしたら、「横に置く」ことはできない。

 いわば節操よりも党利を優先させた。

 多分、舛添要一が都民に一番人気だという事情と現在のアベノミクスの高人気によって、この無節操の安倍内閣への影響はさしたることはないかもしれない。

 だが、細川護熙(もりひろ)元首相の出馬と小泉純一郎元首相との連携の二つの可能性が浮上、可能性が実現した場合、様相が一変するとマスコミが騒いでいる。

 都知事選の投票権はないが、安倍晋三の無節操の答がどう出るか興味を沸かせることとなった。

 もう一つの無節操が演じられるかもしれない。

 管無能元首相が自身のブログで細川氏にエールを送ったと「MSN産経」が伝えていた。

 細川氏が立候補して反原発を選挙の争点とした場合、同じ反原発を売りにして自身の存在感をアピールしている管無能が自らの出番とする無節操である。福島原発事故では菅政府は2010年10月20日に《平成22年度原子力総合防災訓練》を行ってSPEEDIを含めた原子力災害発生の場合の様々なシミュレーションを行っていながら、福島原発事故発生の際の危機管理では原子力災害対策特別措置法に基づいた原子力緊急事態宣言の発出が遅れ、結果、初動対応の遅れに連動、しかも住民避難命令に遅れを来した上にSPEEDIを用いた放射性物質の拡散状況を文科省が行って、その状況を把握していながら、発表しなかったことについて、防災訓練でのシミュレーションを忘却の彼方に捨てて「SPEEDIの存在を知らなかった」と釈明、その無責任を演じて被災住民に多大な迷惑をかけておきながら、何ら責任を取らない無節操を演じて今日に至っている。

そんな政治家に自身の存在感アピールと福島原発事故危機管理無能力を隠蔽するための出番を与える更なる無節操は許されるはずもない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする