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安倍晋三の「瑞穂の国」が真っ赤な幻想と分かる2月17日衆院予算委無責任なイジメと教育委員会制度議論

2014-02-18 09:45:12 | Weblog




      《生活の党PR》

      《2月14日に鈴木克昌代表代行・幹事長定例記者会見要旨》      

    【質疑要旨】
     ・国民投票法改正について
     ・集団的自衛権、解釈見直し判断に関する安倍総理発言について
     ・小沢一郎代表の消費税発言について

 2014年2月17日衆院予算委員会。日本維新の会の中田宏がイジメの問題を絡めて教育委員会制度についての質問に立ち、下村博文と安倍晋三が心のこもらない、不熱心な答弁に立った。最初の中田宏の質問は要所のみを取り上げる。

 中田宏「GHQがある意味強要してきた(日本の)教育。ようやく安倍政権で、下村大臣が変えようというのだから、中途半端なものにして貰いたくない。本質的な議論をして、本質的に教育を変えていって貰いたい。最近の事例で言うなら、福岡県の高3男子生徒が昨年11月にイジメを受け、そのことを示唆する内容をメモして自殺したと新聞が先週報道していた。

 日本全国でどのくらいの児童・生徒が自殺しているか。平成24年度は196人。200人近くの生徒が自ら命を断つ国。イジメの認知件数は平成24年度、1年間で19万8108件。1日辺り500件。

 教育委員会に素直に上がっているとは思えない。氷山の一角という言い方をしてもいい。教育現場に於けるイジメ、そこから発生する自殺について大人は責任を持たなければならない。

 こうしたイジメや自殺と、一方でこれから議論する制度論との因果関係を分析してくださいとは言いません。制度と様々なイジメや自殺ということの感想、文科大臣はどう整理されますか」

 下村博文「ご指摘のように『平成24年度の児童・生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する報告書』ですね。これには児童・生徒の自殺は196件ですが、警察の調査ではですね、実は300件超えているんですねえ。

 ですから、恐らくもっと数が多いのではないかと、率直に思います。で、イジメ認知件数は約19万8000件。これも深刻な数字だと思います。で、私は、 あのー、地元の小学校の周年行事があったときですね、校長先生にお聞きしたら、この学校ではイジメは殆どないと、いうふうに校長先生はおっしゃっていたんですね。

 私は生徒に直接ですね、イジメを見たり、聞いたり、自分がしたり、あるいは受けたりした子は手を上げてと聞いたら(左手を方のところに上げるジェスチャー)、7割が手を上げた(軽く笑いながら言う)。

 校長先生はゼロなんですよ。実際、子供同士がそういった実態があるんですねえ。ですから、これは単にですね、私は教育委員会だけの問題ではないと、私は率直に言って思います。

 ただ、教育委員会の問題というのは大津の事件も大阪の事件もそうでしたけど、事前のそういうものを通報しているにも関わらずですね、放置していたことによって、結果的には子供が自ら命を断ったと、いう制度上の問題もあることも事実ですし、まあ、昨年の国会では議員立法したいじめ対策防止法通して頂きました。

 まさにオールジャパンでイジメについて対応していく必要があると思いますし、その中の一つとして教育委員会の抜本的改革も必要ですが、ただ、イジメ改革 抜本改革案ができたからと言って、イジメや自殺がなくなると、ゼロになるということではありませんが、しかし制度設計として戦後の抜本改革をしていくこと は必要なことだと思います」

 中田宏「ありがとうございました。そのとおりだと私も思います。大臣が申された中で、教育委員会制度はね、全ての起因ではないと、思います、しかし、報告があってもウヤムヤにされたと。こういった中に於いて、教育委員会制度という問題もある。そういった答弁でありましたけれども、私もそのとおりだと思いますね。

 例の大津の事件、イジメですねえ、いじめ自殺ですねえ。これが教育委員会に当然、耳に入っていたけれども、教育委員会自身が早々に調査を打ち切って、そしてウヤムヤに処理したわけですね。

 あるいは大阪市立(いちりつ)桜宮高校の体罰自殺。これについてはもう生徒が自殺をする1年以上の前のことです。1年以上も前に、これはバスケットボー ル部の顧問が日常的に凄まじい体罰を繰り返しているということが大阪市の公益通報制度に於いて入っていて、そしてそれが教育委員会にも伝わっていたのです。ところが調査は、これはしなかったわけです。

 何故調査をしなかったのか。これはですね、教育委員会に情報が入り、教育委員会の主導主事が桜宮高校に飛んで行ったんです。しかしですね、この主導主事っていうのは教員上がりなんですね。そして、一つの教員のムラ社会が出来上がってしまっています。

 いわば身内なんです。しかも大阪の場合は、大阪だけではなく、ほかにもあり得る。まあ、往々にしてある話なのですが、大阪の場合は、校長の後輩が教育主事になっているんです。

 そうなったらね、教育主事が校長に対してちゃんと調査しろと、教育委員会の命を受けて行ったところで、校長は声を荒らげて、調査しないと、こうやって、これはそのままウヤムヤに終わったんです。

 そして1年後に自殺なんですよ。即ちですね、教育委員会というものが適切な処置というものを取れる、そういう、残念ながら、機能が今失われているわけです。

 元々失っていたと、こういうふうに言っていいかもしれません。その意味に於いて、これを教育委員会の改変をしていくとき、最も重要なのはね、責任、これの所在を明確にすることだと、私は思います。そのことは論を待たないと思います。

 安部総理、総理は今国会冒頭施政方針演説の中で、『イジメで悩む子どもたちを守るのは大人の責任です、教育現場の問題に的確で速やかな対応を踏まえるよう、責任の所在が曖昧な現行教育委員会制度を抜本的に改革します』、こう安部総理は述べられましたよね。

 さて、この責任を明確にするということが今次の教育委員会制度の法改正に於いて最も重要なことは安部総理自身、こうやって認識されておりますけれども、このこと、敢えて確認しますけども、お変わりございませんね」

 安倍晋三「現行制度に於いてはですね、教育委員会、そして首長もそうですが、教育長、そして学校、それぞれの責任を持っているわけでございます。そん中に於いて教育委員会全体としての責任でありますが、誰が責任を持っているのか、ということが明確になっていないというところに最大の問題があるわけですね。

 えー、今ご指摘されたような、イジメの問題等について、機敏な対応、そして最終的な判断を下すことができていないと。ここに大きな課題がある。判断ができないところと。

 やはり責任が明確でないから、あー、責任を誰が取るということにもならないんですね。ですから、そこに大きな問題があるんだろうと。そういう観点から、この教育委員も含めて、教育行政の改革を行っていきたいと、こう考えているところでございます」

 中田宏「明確な答弁でありました。私もそのとおりだと。即ち、これから議論していく土俵が、下村文科大臣、並びに安部総理のもとに、私は大変生意気な言い方をしますが、土俵が出来たと思います。

 どうやって責任体制を明確化していくか。このことを教育委員会の改変で、私たちはしっかりと制度の中に埋め込まなければならない、ということでございます」

 以下略。

 中田宏は「GHQがある意味強要してきた教育」だと、今日の日本の教育の欠陥の原因をGHQbの強要に置いている。

 この認識が正しければいいが、間違っていると、議論の中身も結論も間違うことになる。

 平成24年度の児童・生徒が自殺は196人。同じく平成24年度のイジメの認知件数は19万8108件。1日辺り500件。

 中田宏は教育委員会に上がってこない隠れ自殺、隠れイジメもあるのではないかと憂える。

 憂えるまではいいが、「こうしたイジメや自殺と、一方でこれから議論する制度論との因果関係を分析してくださいとは言いません」と自分たちの責任をあっさりと放棄して、下村博文に「感想」だけを求めている。

 当然と言うか、下村博文も、「因果関係」ではなく、統計を持ち出した表面的な「感想」だけの無責任な答弁に鉄面皮にも終始している。

 児童・生徒の自殺数196人は警察の調査では「実は300件超えている」。

 周年行事で訪れた小学校の校長に聞いたところ、当校ではイジメは存在しないと答えたが、生徒自身に聞くと、7割方がイジメは存在すると挙手した。

 下村博文は教育行政担当の文科大臣らしくイジメに関わる認識についての校長と児童の齟齬の原因がどこにあるのか究明することはせず(究明していたなら、制度上の問題ではなく、人間性の問題ということになる)、無責任にも笑いながら自己体験の表面的な報告をしただけで、大津のイジメ自殺事件と大阪桜宮港の体罰自殺事件を例に引いて、「教育委員会だけの問題ではない」、「放置していたことによって、結果的には子供が自ら命を断ったと、いう制度上の問題もある」と言っている。

 ということは、生徒がイジメの存在を教師に伝えても、放置していてもいい制度となっていたということになる。そこが問題だと。

 果たして放置していてもいい制度だったのだろうか。教師や校長、そして教育委員会の面々が自分たちそれぞれの責任を弁えることができない人間性に揃いも揃って侵されていて、そのような人間性が地域の教育行政全体を支配していたことによる精神上の無責任体制となっていたということではないだろうか。

 制度はしっかりと出来上がっていて、責任も素晴らしい文言を駆使して条文に明確に規定しているが、組織に所属する人間が条文とは無関係に責任履行を満足に機能させることができないという例がある。戦前の大日本敵国軍隊も同じであったはずだ。

 人間性という精神上の無責任体制は決して否定できないのだから、このことを考慮外に置いたなら、いくら下村博文が「制度設計として戦後の抜本改革をしていくことは必要なことだと」と言ったとしても、制度だけでは解決できない精神上の無責任体制を残すことにならない保証はない。

 下村の答弁に対して中田宏は同じ考えだと称賛、その上で教育委員会が早々に調査を打ち切っとか、大阪市の公益通報制度に訴えがあり、その訴えを教育委員会にも伝えていたにも関わらず、教育委員会の主導主事が桜宮高の校長と先輩・後輩の関係にあって全然指導することができなかったとか精神上の無責任体制について、そのことを自覚しないままに取り上げて、安倍晋三に責任の所在の明確化を伴った教育委員会制度の改革を求めている。

 要するに教育委員会制度の法改正に責任明確化の的確な条文の作成・記入をお願いしている。条文が解決できる精神上の無責任体制ではないにも関わらずである。 
 
 要するにイジメや体罰に見て見ぬ振りをするとか、問題発生後、責任逃れから、問題の矮小化を謀ったり、あるいはなかったことにする隠蔽工作等々の深く人間性に関わる精神上の無責任体制に真正面から向き合って取り組まずに、制度のみをいじくって、責任の所在の明確化を図ろうとしている。

 安倍晋三にしても中田宏の考えと同じ穴のムジナを形成している。

 「やはり責任が明確でないから、あー、責任を誰が取るということにもならないんですね。ですから、そこに大きな問題があるんだろうと。そういう観点から、この教育委員も含めて、教育行政の改革を行っていきたいと、こう考えているところでございます」云々。
 
 責任の所在と責任の内容は既に明確となっている。教師は児童・生徒の指導・監督・管理の責任があり、校長は教師に対する指導・監督・管理の責任を有し、教育委員会は地域の学校に対して指導・監督・管理の責任を持っている。

 だが、イジメ自殺やイジメ体罰で問題となった学校では全てと言っていい程に教師も校長も教育委員会も指導・監督・管理の責任を果たしていなかったことがイジメや体罰を深刻化させていた事実が表面化している。果たしていなかったことの結果として現れたのが見て見ぬ振りや責任逃れ、事件の隠蔽や矮小化、あるいは自己責任の抹消等々である。

 制度は立派でも、組織に所属する人間が責任履行を満足に機能させることができない例として戦前の大日本敵国軍隊を挙げたが、作家の山本七平氏の2013年7月9日のツイッターに日本軍の体制と軍人たちの責任意識について次のような記述がある。

 ①【不合理性と合理性】日本軍は、外面的組織ではすべてが合理的に構成されていて、その組織のどこに位置づけてよいかわからぬ存在は、原則と して存在しない。

組織は、それ自体として完結しており、少しも矛盾なき幾何学的図形のように明示できる。<『日本はなぜ敗れるのか』

②各兵科別の指揮系統から各部(経理部・兵器部等)の指揮系統、さらに附属諸機関への指揮系統(簡単にいえば、慰安婦は部隊副官の指揮下)まで、完璧といってよい。

そしてその頂点が天皇であり、完全なピラミッド型になっている。

③従って、その組織内でどう位置づけてよいかわからぬ不合理的対象は存在しない。

それでいて、まるで不合理が内攻したかのように、すべての組織が何らかの不合理性をもっていた。

たとえば次のような場合がある。

④《【セプの街、灰となる】9月12日の第一回爆撃でセブの町の大半は燃えてしまった。兵站宿舎では何百という兵員が入ったまま、防空演習と 間違って退避しなかったので爆死してしまった。屍臭がぷんぷんとして近寄ることもできない。

それでも墨痕鮮やかに忠霊碑が建ててあった。》

⑤こういう“事故”に等しい損害は、言うまでもなく組織的欠陥か個人的怠慢が原因で、それ以外には原因は求めえない。

合理的組織は、こういう場合即座に欠陥の場所と責任の所在とが明らかになり、従って、この損害を繰りかえさぬための処置と、責任者への調 査・処罰が行なわれるはずである。

⑥同時に屍体の収容、残存兵器類の処理、またいわゆる戦場掃除による危険物の除去(それは、単に落された不発弾だけでなく、爆死した兵士のも つ手槽弾が不発だったら、これの暴発も危険である)が行われねばならない。

⑦しかし、それらは一切行なわれず、屍臭ぶんぶんとして近よりがたい状態に放置したまま、忠霊碑をたてて終りとする。

しかし忠霊碑をたてるのは、元来、戦闘員である軍人の仕事ではないはずである。

第一、事故死に等しい死に方をした兵士に「忠霊碑」はおかしい。

⑧もしこれが慰霊行為の一種なら、その前にまず、責任の所在を明確にして事故を防ぐべきであり、慰霊に関することは、いわばチャプレン(註: 従軍牧師)が行うべきことであろう――アメリカ軍ならば。

⑨確かにチャプレンは、この事故には責任はない。

しかし本職軍人がこれを行なうことは、この責任のない位置に自らを立たし、忠霊碑を立てることによって、一部の責任を免除されるという結果しか招来しない。

⑩慰霊は勿論、組織における合理性に基づく行為でなく…生死という、人間の合理性では把握できぬ問題に対する非合理的対処である。

そしてそれによって死者への″債務″がなくなったとするなら、組織における責任の追及は逆に消失してしまって、一種の無責任体制とならざるを 得ないであろう。

⑪これが前述の、合理的に見える幾何学的組織が、逆に、一種の不合理を内包して合理性が浮きあがってしまう状態である。

この状態はあらゆる面に出てくる。

人間のもつ知識と技術も、指揮系統の中に組みこめない場合があって不思議ではない。

 日本軍の組織的欠陥というよりも、責任の所在が明確化して自身が責められることを恐れる日本軍人の、広く言うと、日本人の精神性こそが問題となっているはずだ。山本七平氏が「本職軍人がこれを行なうことは、この責任のない位置に自らを立たし、忠霊碑を立てることによって、一部の責任を免除されるという結果しか招来しない」書いているように、「慰霊」という善行を前面に立てることによって責任を限りなく背景に退かせるという代償行為は精神上の無責任体制に陥った人々にはよく見受けることの出来る光景である。

 安倍晋三は日本という国を言い表すとき、「瑞穂の国」という言葉を好んで使い、「道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国」と日本の国の性格をそのように定義付けているが、教師や校長や教育委員会だけではない、多くの日本人が侵されている精神上の無責任体制からは「同義」も精神的な「真の豊かさ」も真っ赤な幻想でしかないことを窺わせるのみである。

 先進国中、GDP比で最大の財政赤字を抱えているということも、政治家たちの精神上の無責任体制が成さしめた勲章であるに違いない。

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安倍晋三の現代日本を『瑞穂の国』と言う国家主義からの時代錯誤な復古趣味・懐古趣味は頭の悪さの証明

2014-02-17 08:36:37 | Weblog

 

 国家主義者安倍晋三は日本の国のことを「瑞穂の国」と呼ぶことを好んでいるようだ。昨年2013年1月20日出版の安倍晋三著『新しい国へ』(文春新書)には次の行(くだり)があるという。

 安倍晋三「私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。

 (日本の美しい棚田を例に引いて)労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかもしれません。しかし、その田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います」

 大体が瑞穂の国日本が「道義を重んじ、真の豊かさを知る」国だとしている前提そのものが洞察力を欠いたお粗末な理解――頭の悪さの証明でしかないことに気づいていない。

 世界に誇る日本の大企業の安価な人件費で経費を抑えて、不景気に見舞われて需要が落ちた場合の経営の安全装置としている非正規社員の大量雇用は「道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国」の道義性・心の豊かさを反映させた経営方法だとでも言うのだろうか。

 リーマン・ショック後の不景気時代、企業は非正規社員の大量解雇で自らの会社を守った。これを安倍晋三が言う西欧式の「強欲を原動力とするような資本主義」ではないとでも言うつもりなのだろうか。

 例え非正規の雇用を守っていたとしても、その安価な人件費ゆえに結婚できない若者を大量に生み出している。

 15~34歳の男女のう ち、求職中かパートやアルバイトで暮らす人たちは2003年の217 万人をピークに減少したが、2008年のリーマン・ショック後から再び増加に転じて、現在、仕事に就いていないか、アルバイト等の不安定な立場で働く若者は全国で180万人に上るとする厚労相の調査 を「YOMIURI ONLINE」が2014年1月31日付で伝えていた。

 また、総務省2014年1月31日発表の「2013年平均の労働力調査(基本集計)」は雇用者全体に占める パートやアルバイトなどの非正規労働者の割合は前年比1・ 4ポイント増の36・6%とな り、過去最高だったとしている。

 「社会実情データ図録」から2010年30歳代の 非正規と正規の未婚の割合を見てみる。

 30歳代男性

 非正規――75.6%
 正規――30.7%

 非正規は正規の2.5 倍となっている。

 30歳代女性

 非正規――22.5%
 正規――46.5%

 男女逆転している理由を、「女性が正規就業者として働き 続けるためには独身を通している必要があるという状況を 示しているように見える」 と解説している。
 
 非正規男性の未婚率の高さにしても、非正規女性の逆転状況にしても、日本の社会的な道義性や心の豊かさから出ている現象だということなのだろうか。

 「瑞穂の国」とは日本国の美称で、神話時代の呼称を現代に受け継ぐ言葉だとは知っていたが、改めて辞書で調べてみた。

 【豊葦原瑞穂国】(とよあしはらのみずほのくに)

 豊葦原千秋長千五百秋五百秋(ちあきのながいほあき)瑞穂国・豊葦原千五百秋 (ちいほあき)瑞穂国とも。

 地上世界の神話的呼称の一つ。豊は美称。葦原は葦の広がり。千秋長千五百秋五百秋・千五百秋は長久の意の 称辞。瑞穂は稲穂の豊かに実る意。

 天上世界から地上世界の豊饒を祝福したもの。古事記ではアマテラスがアメノオシホミミの統治すべき国と宣 言し、またニニギが降臨して統治を委任される際に用いられ、「日本書紀」神武即位前紀でも、ニニギがタカミ ムスヒ・オオヒルメから授かった地とする。記紀のほか、大祓詞(おおはらえのことば)や出雲国造神賀詞(い ずものくにのみやつこのかんよごと)などでも用いられる。(『日本史広辞典』 山川出版)

 要するに天皇を神とするために大和の国(=にほん)を神から授かった稲穂豊かな国で、天皇はその子孫だと正統づけた国民統治装置の権威づけの架空物語(=神話)に過ぎない。

 架空物語(=神話)であることは、実際に「瑞穂の国」を直接的に統治していたのは神に奉られていた天皇ではなく、天皇の権威を背景にした世俗権力者たちであった。物部、蘇我、藤原、平家、源氏、北条、足利、織田、豊臣、徳川、明治に入って薩長閥、昭和に入って軍部が天皇の権威を利用して国家権力を行使した。

 安倍晋三は現実の歴代天皇が日本の国を実際に統治した歴史上の世俗権力者たちの統治正統化のロボットとされていたに過ぎないにも関わらず、天皇を神の子孫、現人神とする架空物語(=神話)を現代の日本に蘇らせて、現在の日本を「瑞穂の国」だと称している。「瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義がある」などと言っている。

 このような認識にも安倍晋三の国家主義が現れている。歴史を問題とするとき、天皇の権威を利用して実際に日本の国を統治してきた歴史上の世俗権力者たちの存在には目も向けず、何よりも日本国の頂点に位置していた存在として天皇のみ問題とし、統治される側の国民の存在、その8割方を占めてきた農民の存在の多くが年貢で搾取され、困窮を宿命として余儀なくされた歴史的事実を無視している点が、まさに北朝鮮同様に国家の在り様を優先させ、国民の在り様を問題外とする国家主義そのものを示している。

 そして安倍晋三にこの国家主義を許している精神性は合理的・客観的判断能力の欠如が可能としている合理的・客観的判断能力の欠如にあるはずだ。

 欠如していなければ、国家を権力層の在り様から国民の在り様まで、上から下まで満遍なく平等に見る目を備えているだろう。

 合理的・客観的判断能力の欠如を精神としているゆえに今の時代に国家主義を自らの思想とすることが可能となり、単なる美称に過ぎない「瑞穂の国」を現代日本の国に引きずり出して、美称で持って日本の現在を語ることができる。

まさに時代錯誤の復古趣味、あるいは時代錯誤の懐古趣味とないまぜになった、合理的・客観的判断能力の欠如を土壌とした国家主義がその正体であるはずだ。

 頭が悪くなければ、このような国家主義に冒されることはない。

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だから舛添要一は信用できない、自民党憲法草案批判

2014-02-16 07:13:32 | Weblog

 

 2月15日付の「毎日jp」記事が、《舛添都知事:「自民憲法改正草案、立憲主義の観点で問題」》という題名で、舛添要一都知事が2月14日の就任後初の定例記者会見で自民党第2次憲法改正草案を批判したと書いているのを知った。 

 第2次草案の問題点として次の点を挙げたという。

 (1)天皇を国の「象徴」から「元首」に改めたこと
 (2)家族の条文を設け「家族は互いに助け合わなければならない」と規定したこと
 (3)「国防軍」の創設を盛り込んだこと。

 実際にどのように発言したのか知りたくて東京都のHPにアクセスしてみたら、記者会見の発言が載っていた。冒頭発言ではなく、記者の質問に対する発言であった。関係個所のみを転載してみる。

 私自身が留意しなければと思った発言個所には文飾を施した。

 予め断っておくが、「天賦人権論」(天賦人権説)という言葉が出てくる。既にご存知のように「人権は天から与えられたもの」、いわば「生まれながらに賦与されている」という意味であって、「すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利を持つという思想」だそうだ。

 《舛添知事定例記者会見》東京都HP/2014年2月14日(金曜) 15時00分~15時55分)  

【記者】テレビ朝日の西前と申します。すいません。昨日、ツイッターでもつぶやいていたと思うんですけれども、来週知事の新しい本が出ると思います。「憲法改正のオモテとウラ」という題だったと思うんです。

【知事】はいはい。

【記者】舛添知事はこれまでも、もちろん自民党の第1次憲法草案を手がけていたと思いますが、この自民党のですね、今の第2次憲法草案について、批判をこれまで展開されてきていて、一体今、どの点が問題なのか改めておっしゃっていただきたいなというのと、今、国会で集団的自衛権の解釈について問題になっていますけれども、この点についても、ご自身のお考えを伺えればと思います。

【知事】はい。早々と本の宣伝をしていただいてありがとうございます。

 先ほど私のところ、印刷の刷り上がったというのは、出版社が届けてくれたので、情報早いなと思ってますが、あのですね、その本は、まずですね、第1次草案は先ほど組織委員会長の森元総理がヘッドで、政調会長の与謝野さんがナンバー2で、私がナンバー3で自民党の第1次草案を2005年にまとめました。そして、今、第2次草案が出ています。

 一貫して私が申し上げてるのは、まずイデオロギー右とか左とかいうことはちょっと置いといて、憲法学者として、憲法という観点から学問的に見たときに、はるかに第1次草案のほうがすぐれている。第2次草案はさまざまな問題点がある。特に、立憲主義という観点から問題点があるだろう、それはずっと批判してきて、今もそれは全く変わっておりません。

 そして、ついでに出ましたから、細かい事実をツイッターでも言いましたけれども、参議院議員をやめて立候補しませんでした、昨年夏の参議院選挙に。しば らくのんびり本を読んだり書いたりしようというんで、実は、3冊ぐらい同時に書き始めようと思って、それこそ書き始めたんですけど、やっぱり自分は憲法の議論はしっかり書いておくべきだと思いましたから、ものすごく大変でしたというのは、資料全部捨ててたんで、8月の夏の暑いころに書いて、やっぱり3カ月かかったのは、これは、おそらく憲法学者は全部読んでほしいぐらいに細かく書いて、第1次草案は一言一句全部私が書きました。全部私が書いたんだけれど も、それは裁判官、弁護士、検事、憲法学者、このチームをつくって一言一句みんなで検討して、その前に自民党の検討がありました。そこで出して、私はこれ のほうがはるかにすぐれている。

 幾つか例を言いますと、例えば、公務員は絶対に虐待してはいけないって書いてるんですよ。絶対にしちゃいけない。何で第2次、絶対にとるんですかと。それから、自民党の第2次案の解説してるQ&Aの中に、西洋の天賦人権論を否定してるんです。天賦人権論、つまりわかりますね。天賦人権論っていうのはフランス革命以来、営々として人類が築き上げてきた、それを何で批判するんですかと。

 それから、まだいろいろあるんですけれども、私たちは第1次草案は天皇は象徴のままです。私は元首にするのは今でも反対です。というのは、元首というのは、政治的な意味を持つ、それから、あのときの議論はこういうのがあったんですよ。元首 というのは、私たちがアメリカ人、フランス人、イタリア人、ドイツ人だったらあなたも元首になれるんです、選挙で受かれば。オバマさん、なってますね。オ ランドさん、なってますね。だから、あのときの議論は元首ごときものに天皇陛下、大事な私たちの敬愛する、尊敬する天皇陛下をそういう地位におとしめていいのかという議論があって、天皇陛下、そんなもう、選挙で、私でもですよ、私がアメリカ人だったら、アメリカ大統領にだってなってるかもしれない。この都知事選挙というのは大統領制ですから、私でもなれるわけですよ。そうじゃなくて、日本文化、まさに象徴天皇制というのは日本の歴史のあり方であって、明治維新から、この1945年までの敗戦の時期っていうのは、長い長い日本の歴史において、天皇のあり方としては極めて例外的ですよ。そうでしょう。征夷大将軍がいて、徳川幕府がいたわけで、違うわけでしょう。

 だから、そういう歴史も踏まえて、私は象徴であるべきだし、絶対にそれは特高警察の、こういうようなことはやっちゃいけないからだめだということも申し上げてて、それから、一番大事なのはですね、全て日本人は個人として尊厳に値するって書いてあるんですね。ところが、それ、絶対私、一歩も、それから、24条の家族のことも両性の合意だけでいいじゃないですか。 そんな家族、どういう家族であろうと、そんなこと国が文句言うべきじゃない。全ての、だから1つ言うと、その、家族のところはですよ、何が書いてあるか、 両性の合意のみでいいと。しかし、家族を書いている諸外国の憲法も、国家は家族を守りなさいって書いてるんですよ。家族同士で相互支援しなさいなんて憲法 が言うことではありません。私は最初の会見のときに言ったように、介護をめぐって家族が崩壊したりするわけですから、そこだって私は1つも触れさせなかっ たですよ。

 それから、人として尊厳に値するって書いちゃだめなんです。絶対個人自体守られている。個人の対抗概念が国家なんですよ。国家権力に対して個人を守らないといけないから憲法があるんであって、憲法っていうのは国家権力が強硬に私たちの言論の自由、今、こうして発言しているとこを、特高入ってきてつぶしたらどうするんですか。憲法があるじゃないかってやるためにあるんです。国家の対抗概念は個人であって、人として何で書きかえたんですかと、人の対抗概念は犬や猫ですよ。基本的に立憲主義がわかってない。

 だから、そしたら昨日の毎日新聞の、昨日か一昨日の夕刊が知事選挙に出るんだから、自民党寄りにあの本書きかえたっていって、私は訂正してくれって毎日の方へ強硬に抗議をしたいぐらいなんですよ。訂正も何もしてません。というのは、11月に原稿を渡してます。猪瀬さん、いつ辞任して、私がいつ、1月の14日ですよ、ここで会見やったのは。立候補宣言をしたのは。だから、全く時系列を無視して、知事選挙に出るから自民党寄りに書きかえた、一言も書きかえてないですよ、一字も。てにをはの誤字脱字だけです、それははっきり言っとく。

 それで、ぜひ19日発売になってるから買って読んでください。はっきり書いてある、後書きに今のままの第2次草案ならば、私は一国民として、国民投票で反対する。ずっと言い続けて、変わってません。

 自民党第2次憲法草案に対する舛添要一のいくつかの批判個所のうち留意しなければと思った発言を改めて挙げてみる。

 「立憲主義という観点から問題点があるだろう」

 「公務員は絶対に虐待してはいけないって書いてるんですよ」

 「自民党の第2次案の解説してるQ&Aの中に、西洋の天賦人権論を否定してるんです」
 「私たちは第1次草案は天皇は象徴のままです。私は元首にするのは今でも反対です」

 「24条の家族のことも両性の合意だけでいいじゃないですか」

 「個人の対抗概念が国家なんですよ。国家権力に対して個人を守らないといけないから憲法があるんであって、憲法っていうのは国家権力が強硬に私たちの言論の自由、今、こうして発言しているとこを、特高入ってきてつぶしたらどうするんですか。憲法があるじゃないかってやるためにあるんです。国家の対抗概念は個人であって、人として何で書きかえたんですかと、人の対抗概念は犬や猫ですよ。基本的に立憲主義がわかってない」

 以上だが、自身が深く関わった第1次草案に「公務員は絶対に虐待してはいけないって書いてるんですよ」と言っている意味がどうも分からない。虐待をしてはいけないのは公務員に限ったことではなく、舛添要一だってしてはいけないことで、女性によく怒鳴っていたというのは言葉による虐待のうちに入る。

 虐待は相手の思想・信教の自由や表現の自由を萎縮させ、その侵害に相当とする。いわば虐待の禁止は思想・信教の自由や表現の自由の保障に含まれているはずだ。

 舛添要一は「立憲主義という観点から問題点があるだろう」と言っている。
 
 立憲主義とは、国家権力の恣意的支配に対抗して権力を制約する考え方を言うはずだ。と言うことは、国家権力の恣意的支配を許す方向の憲法草案となっていることになる。その象徴的な現れが憲法前文の「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」であろう。

 「国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」と書いてはいるものの、国民主権でありながら、天皇を国民の上に置いて「天皇を戴く国家」を国の形とするとしている。

 「戴く」とは遥か上に置くことを意味し、畏れ敬う関係性を間接的に要求している。当然、国家権力に対する制約ではなく、国民主権に対する制約の力が働くことになる。

 勿論、舛添要一も、「私たちは第1次草案は天皇は象徴のままです。私は元首にするのは今でも反対です」」と言っている。

 「自民党の第2次案の解説してるQ&Aの中に、西洋の天賦人権論を否定してるんです」と言っているから、「Q&A」を調べてみた。

 《自民党憲法改正第2次草案Q&A》

 13 最高法規(「日本国憲法改正草案」第11 章)

 Q44 憲法改正草案では、現行憲法11 条を改め、97 条を削除していますが、天賦人権思想を否定しているのですか?

  今回の草案では、日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました。

 その上で、天皇の章で、元首の規定、国旗・国歌の規定、元号の規定、天皇の公的行為の規定などを加えています。

 では、現日本国憲法の11条と自民党草案の11条を比較してみる。

 現行憲法11条

 第三章 国民の権利及び義務

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる

 自民党憲法改正草案11条

 (基本的人権の享有)
 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

 舛添要一が言うように「西洋の天賦人権論を否定」しているわけではない。「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である」と天賦人権論を一応は認めている。

 但し、現憲法が「現在及び将来の国民に与へられる」と保障している基本的人権の永遠性を自民党憲法草案は省略している。いわば将来的保障を抜いている。

 安倍晋三は国家主義者であり、戦前復古主義者でもある。数の力で、いつどこで永久の権利である基本的人権そのものを抜かないとも限らない。抜いたとき初めて、天賦人権論の否定となる。

 この否定が成し遂げられたとき、1937(昭和12)年3月刊行の「国体の本義」の一節、「帝国憲法の政体法の一切は、この御親政の原則の拡充紹述に外ならぬ。例へば臣民権利義務の規定の如きも、西洋諸国に於ける自由権の制度が、主権者に対して人民の天賦の権利を擁護せんとするのとは異なり、天皇の恵撫慈養の御精神と、国民に隔てなき翼賛の機会を均しうせしめ給はんとの大和心より打出づるのである」の世界に合致することになる。戦前日本への復古である。

 「国体の本義」のこの一節は、全ては天皇が与えるものだとしている。いわば国民の権利は天皇を背景とした国家権力のサジ加減一つだと。

 舛添要一が言っている「24条の家族のことも両性の合意だけでいいじゃないですか」の自民党草案の24条と現日本国憲法の24条を見てみる。

 現行憲法24条

 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない

 自民党憲法改正草案24条

 (家族、婚姻等に関する基本原則)
 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

 2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 要するに自民党の草案は、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」が加わったことになる。

 現日本国憲法の「夫婦が同等の権利を有することを基本」とするという規程も、「相互の協力」 への要請も、日本の男尊女卑の歴史的な伝統及び文化を前提としているからこその規程・要請であるはずだ。このことは現在の日本の女性の社会進出後進国となって現れている。

 いわば相互協力に立った厳格な男女対等の権利の保障と、その保障に基づいた男女による相互的な男女対等の確立こそが、男女相互の自律を保障し、基本的人権に則った対等な家庭を築くことができるという意味を条文は示唆しているはずだ。

 また、夫婦間の相互に自律した、基本的人権に則った対等な関係は子どもや親を含めた家族それぞれの自律と基本的人権に則った対等な関係を誘導する力となる。

 つまり“家族の助け合い”は現憲法の第1項に含まれていて、それを実現するかしないかは個人としての国民にかかる責任であって、国家権力がその権力の個人としての国民に対する恣意的行使を制約することを基本とした憲法で直接的な言葉でわざわざ規程した場合、国家権力に対する制約が個人としての国民を制約する逆転現象を引き起こすことになるということであるはずだ。

 いわば立憲主義の否定となる。

 舛添が言っている、「人の対抗概念は犬や猫ですよ」の意味は分からないが、「個人の対抗概念が国家なんですよ」と言っていることはごく当たり前のことであって、だからこそ、基本的人権を侵害する形で国家が個人の領域に土足で踏み込まないように立憲主義と天賦人権説に基づいた、国家の最高法規としての憲法の保障と憲法の成立が必要不可欠となる。

 しかし舛添要一の批判は自民党第2次憲法草案ではそのような保障と成立が危ういと、基本的なところを批判し、反対している。

 憲法が国家権力の恣意的行使を制約して、基本的人権に基づいた個人としての国民の在り様・存在性の保障を基盤とした国のあるべき姿の規程を役目としている以上、その逆のコースを取ろうとしている自民党憲法草案に反対し、批判するなら、国民の在り様・存在性そのものに危険な方向で関わってくる懸念があるのだから、自民党憲法草案が持つそのような基本的な危険性を無視して、憲法観に真っ向から違いがある政党の支援を受け、都知事に当選したことになる。

 そして当選してから、自民党憲法草案に反対し、批判する。信用できないやり方だと取られても仕方はあるまい。

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有田芳生民主党議員の安倍晋三と籾井勝人に開き直りを許したNHK経営委員の発言追及の原因

2014-02-15 09:26:35 | Weblog




      《生活の党PR》

      《2月16日 畑浩治総合政策会議議長NHK『日曜討論』出演のご案内》


      内容:平成26年度予算案と消費税率引き上げ
          経済政策について
          原発再稼働とエネルギー政策
          長戦略について        
   
      《畑 浩治 公式サイト》


 2月5日の参議院予算委員会。

 野村秋介が朝日新聞社内で行った朝日新聞に対する抗議拳銃自殺死20周年に合わせて長谷川三千子NHK経営委員がその拳銃自殺死を礼賛する追悼文を書き、同じくNHK経営委員の百田尚樹が都知事選候補の田母神の応援演説で他の候補を「人間のクズ」呼ばわりしたことを有田芳生(よしふ)民主党議員が取り上げて、それら発言に対する認識を国家主義者安倍晋三と参考人出席の籾井勝人NHK会長に問い質した。

 消化不良の、腹の膨れた後味がいつまでも残る不完全燃焼な質疑で終わった。主たる原因が安倍晋三と籾井会長の丁寧な答弁を装ってはいるものの、その裏にさり気なく隠した太々しい開き直りの態度にあったとしても、有田議員が相手の態度を見て、途中から質問の仕方を変えずに、同じ質問の方式を続けたことにあるのではないだろうか。

 有田芳生「有田芳生でございます。朝日新聞社の社内で野村秋介さん、暴力団の幹部ですが、拳銃で自殺をしました。そういう事件、記憶におありになる方もいらっしゃいますと思いますが、今朝の毎日新聞、『新聞社自殺事件 NHK経営委員が礼賛 対メディア圧力黙認』と。

 新聞社に対するこの暴力行為。それに対してNHKの経営委員が礼賛している、という大きな記事が出ております。

 経営委員長の浜田健一郎さんはいらっしゃっておりますか。いらっしゃっていないですね。場内協議でも、是非いらっしてくださいとお願いしておいたのですが、委員長、この問題、是非議論できるようにお願いできないでしょうか」

 委員長「この問題につきましては、これが始まる前の理事会のところで、場内協議というところに指示がいっておりませんので、新たなご提案があったこととして後刻理事会で協議することと致します」

 有田芳生この拳銃自殺事件についてNHK経営委員(長谷川三千子委員のこと)が礼賛した。このことについて、総理、それから、(参考人出席の籾井NHK)会長、どのように認識されていますか」

 安倍晋三「質問通告ございませんし、読んでおりませんから、答えようがありません」

 委員長「次いでNHK会長籾井勝人参考人」

 籾井NHK会長「えー、このたびNHKの会長に就任をしました籾井勝人でございます。どうぞよろしくお願いします(一礼)。

 今のご質問にお答えする前に、一言私の方から申し上げさせて頂きたいと思います。えー、1月25日、私、会長就任の日でございますが、あの日ありました公式会見の場で個人的な発言をしたことは不適切であり、大変申し訳なく思っております。その場で取り消させて頂きましたが、誤解を招いてしまったことについて、改めて深くお詫びを申し上げます(一礼)。

 ご質問にお答え致します。えー、只今のご質問については、私は今お答えする立場にないと、いうふうに認識しております」

 有田芳生「会長が経営委員の発言について、責任がない、発言する責任がないというのは、どういうことでしょうか」

 籾井NHK会長「えー、経営委員の方々についてのコメントを私がすることは、する立場にないということでございます」

 有田芳生「編集権を持った会長というのはいわゆるこれまで三菱、三井のお仕事、日本ユニセフのお仕事とは違って、今や、もはや編集権を持っているというのはジャーナリズム精神で、やはり発言しなければいけないんですよ。

 感想どうですか。感想ぐらい言えるでしょう」

 籾井NHK会長「繰返しになって恐縮でございますが、私は経営委員のことについてコメントする立場にありません」

 有田芳生「ジャーナリズム精神を持った人が感想することもできない。恥ずかしいことだと思いませんか」

 籾井NHK会長「感想も述べることはないと思います」

 有田芳生「NHKの経営委員(長谷川三千子)だけではありません。百田経営員も選挙の応援に来られ て、南京虐殺はなかったと、慰安婦問題は大ウソだとか、それは色んな議論はあるでしょう。しかし見過ごすことができない発言を、有楽町、こう語っております。

 都知事選の候補者について語っているんですが、『残り厄介な3人ぐらいおります』、えー、『どいつもこいつも人間のクズです』

 あるいは秋葉原での演説。『本当に何人か重要な候補と言われる人物ですが、私から見れば人間のクズみたいなもんです』

 百田経営委員がこう発言しているこの『人間のクズ』と言われた人は元首相、元厚生労働大臣、そして元日弁連会長ですよ。

 総理、如何ですか。こういうこと言っていいんですか」

 安倍晋三「私はそこで聞いていたわけではございませんし、我が党が応援している候補は舛添候補であるわけであります」 

 有田芳生「会長、如何ですか。人間のクズと言っている」

 籾井NHK会長は委員長が呼ぶ前に立ち上がっていて既に発言していたために、委員長の呼ぶ声と重なって、何を言っているのか聞き 取れない。

 有田芳生「総理、あの、放送法31条には経営委員会委員は公共の福祉に関し、公正な判断をすることのできる者のうちから両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命される。そういうことを言っている。

 だけど元総理や元厚生大臣や元日弁連会長を人間のクズだと言うような経営委員を総理はどういう立場で、放送法31条の立場できちっり対応する必要があるんじゃないですか」

 安倍晋三「経営委員に於いては両院の同意を得て、総理大臣が指名するものです」

 有田芳生「総理、人間のクズと、公の立派な仕事をされた人に対して罵倒することが公共の福祉に関して公正な判断ができる人なんですか」

 安倍晋三「そもそも私は、それを聞いておりませんので、基本的に(手を議場の後ろの方に 差し伸べて)、後の方でですね、場外で、ああいう大声を出されると、審議に、私は、今聞いていることもよく聞こえない状況でございますので、冷静なですね、品位を守った、品位を守った、えーと、委員会にして貰いたいと思います」

 有田芳生「感想ぐらい述べても、一国の首相としていいと思うのですが、如何ですか」

 安倍晋三「先程申し上げましたように聞いていないから、聞いていないから、感想の述べようがないということでございます」

 有田芳生「あのー、人間のクズだという発言を選挙の時だとおっしゃいますけども、れっき としたNHKの経営委員が語っている。これ有楽町と秋葉原、2個所で確実に言っていることなんです。

 そのことについて別に総理を責めるわけではなくて、どのようにお考えになりますかと、そういう感想を伺っているんです」

 安倍晋三「私は聞いていないんですから、(苦笑いを見せて)答えようがない。有田さんの ことをですね、信用していないわけではありませんが、しかし、それが事実かどうか確認していない限り、コメント、総理大臣としてコメントできない というのはごく当たり前のことじゃないですか。延々とですね、これを補正予算の場でやるつもりなのですか」

 有田芳生「会長、これをご存じですか」

 籾井NHK会長「新聞では見ておりますが、実際に存じ上げません。繰返し申し上げます が、繰返し申し訳ございませんが、私の立場から言って、私がコメントする立場にないし、私の感想もこの場では控えさせて頂きたいと思います」

 有田芳生「会長、これは経営委員として適切な発言ですか。れっきとした人に対して人間のクズだということは会長としてどうなんです」

 籾井NHK会長「まあ、何回も申しておりますが、繰返しで申し訳ございませんが、コメン トする立場にはございません」

 有田芳生「会長の責任というものは重いものがあるのですが、経営員がこういうトンデモナイ発言をしているんですから、まあ、感想ぐらい言わないのはあり得ないでしょう。如何ですか」

 籾井NHK会長「本当に何度も繰返しで申し訳ございませんが、私は経営委員のことについ てコメント立場にございません」

 有田芳生「総理も事実確認できていないとおっしゃいますから、私は事実確認しておりますので、是非確認をして頂いて、さらにこれからも追及をしていきたいと、いうふうに思います」

 安倍晋三は「読んでおりません」、「聞いていない」から、何も言い様がないと逃げ、籾井勝人は「コメントする立場にありません」、「感想も述べることはないと思います」で逃げる。

 言葉自体は慇懃ではあっても、裏に無礼を潜ませている。開き直りを隠した態度そのものである。

 有田議員は安倍晋三に対して「感想ぐらい述べても、一国の首相としていいと思うのですが、如何ですか」と尋ねているが、「聞いていないから、感想の述べようがない」と再度逃げられているように、「聞いていない」を感想を述べることを回避する正当理由としていることを逆手に取って、発言者と発言自体を切り離して、発言そのものを聞かせて、「聞いていない」を無効とさせた上で、「この発言自体について安部総理がどう思い、どう考えるか、その認識をお聞かせください」と質問したら、どうなるだろうか。

 少なくとも、「聞いていない」は通用しなくなる。

 有田議員は百田経営委員の応援演説を逐一詳しく把握していないようだから、長谷川三千子経営委員の野村秋介に対する追悼文はインターネット上に出回っているから、全文把握していたはずである。それを長谷川三千子の追悼文だとせずに、「こういった文章があります」として、それを最初から最後まで読み上げて、「このような文章をどのように理解しますか」と安倍晋三と籾井勝人に問い質したなら、否応もなしに自身の理解を話さないわけにはいかないはずだ。

 「難しい話で、よく理解できない」と答弁したなら、「一国の首相の理解能力を試された瞬間でもあるのですよ」、「NHKの会長を務める人間が何も理解できない頭の程度でいいのですか」と皮肉を言った上で、特定の言葉を引き合いに出して、一つ一つの理解を問い質していけば、何らかの認識を口にせざるを得なくなるはずだ。

 例えば、「人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである」と言っている言葉を取り上げて、「自殺によって神に命を捧げることは許されるのですか」と問えば、難しくて理解できないとは言えない。

 返答次第で、長谷川三千子のこの言葉が世間的に正当化された場合、神に命を捧げると称した自殺を、絶対の祭りとなると言って奨励することになる危険性を抱えることにならないかと、さらに追及することができる。

 自殺を奨励していることにもなるNHK経営委員というレッテルを貼ることができたなら、辞任に追い込むことも不可能ではない。

 日本の議員だけなのかどうか知らないが、質問の内容と順序を予定立てると、ほぼその通りに質問を続けて、相手の答弁の一言を捉えて質問の仕方を変える臨機応変な対応はせずに、当初の予定通りに進める傾向にある。

 これも質問と答が予定されている暗記教育の影響なのだろうか。

 有田議員にしても、質問の仕方を代えなかったために、「読んでおりません」、「聞いていない」の答弁の繰返しを許しただけであった。あるいは「コメントする立場にありません」の答弁を臆面もなく正々堂々と繰返させただけであった。

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安倍晋三の北方四島「私の総理の時代に何とか解決」と言うなら、返還方式の線引きを明らかにせよ

2014-02-14 08:23:52 | Weblog

 


      《生活の党PR》

      《2月10日小沢一郎生活の党代表定例記者会見質疑要旨》
   
      ○『脱原発は政界のグルーピングの大きなテーマとなり得る』

        【 質疑要旨 】
        ・東京都知事選挙について
        ・小泉氏との連携について
        ・日中関係について
        ・脱原発をテーマにしたグルーピングについて

 国家主義者安倍晋三が2月13日午前の衆院予算委員会で北方四島返還問題に関して北朝鮮の拉致問題で聞いたようなことを発言している。

 安倍晋三「(日ロ首脳会談は)大変和気あいあいとした、和やかな雰囲気のなかで会談を行うことができた。戦争が終わって から68年間に亘って平和条約がない異常な状態を終わらせなければいけないという認識は、共有できたと思う。

 首脳同士が最終的に判断していく必要があるという認識を共有していくことが大切で、そのためにも信頼関係を構築しなければならない。テンポよく交渉を行っていくことが大切で、私の総理の時代に何とかこの問題を解決していかなければならないと決意している」(NHK NEWS WEB)――

 「私の総理の時代に何とかこの問題を解決していかなければならないと決意している」

 第2次安倍内閣の発足2013年12月26日の2日後の2012年12月28日、拉致被害者家族会メンバーが首相官邸を訪れて、安倍首相や古屋拉致担当相、菅官房長官等と面会、拉致の早期解決を要請した。その時の安倍晋三の発言。

 安倍晋三「5年前に突然辞したとき、被害者家族の皆さんに大変残念な思いをさせた。私にとってもつらいことだった。私がもう一度総理になれたのは、何とか拉致問題を解決したいという使命感によるものだ。

 5人帰還の時、帰ってこられなかった被害者の家族の皆さんは涙を流していた。それを見て全員取り戻すことが私の使命と決意した。しかし、10年経ってもそれは達成されておらず申し訳ない。再び総理を拝命し、必ず安倍内閣で完全解決の決意で進んでいきたい。

 この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む。オールジャパンで結果を出していく」(救う会全国協議会ニュース)――

 「この内閣で必ず解決する決意で拉致問題に取り組む」

 2002年10月の拉致被害者5人の帰国から10年以上の準備期間があったはずだ。しかも第1次安倍内閣で2006年9月26日発足から辞任の2007年9月26日までの1年間、本格的に取り組むことができた。

 だが、第2次安倍内閣発足から1年経過しているのに何ら進展はない。

 以前は、「拉致事件を起こしたのは父親の金正日であって、金正恩は関わっていない。自身の政権と北朝鮮国家の崩壊を防ぐためには5人以外の拉致生存者を認めて、日本の要求に答を出す決断をしなければならない。そう仕向けるには圧力しかない」といった趣旨のことを何度か言っていたが、最近は言わなくなった。

 2月12日の日拉致問題対策本部(コア会合)(2014年)では次のように発言している。

 安倍晋三「すべての拉致被害者のご家族がご自身の手で肉親を抱きしめる日が来るまで私の使命は終わらない。北朝鮮に少しでも変化があり、拉致問題の解決につながるのであれば、そのチャンスを決して逃してはならない」(NHK NEWS WEB)――

 「すべての拉致被害者のご家族がご自身の手で肉親を抱きしめる日が来るまで私の使命は終わらない」は拉致解決に向けた進展が何もない以上、常套句の繰返しに過ぎないことになって、単にミエを切っただけの言葉と堕す。

 問題はその次の発言である。

 「北朝鮮に少しでも変化があり、拉致問題の解決につながるのであれば、そのチャンスを決して逃してはならない」とは、拉致問題の解決につながるような変化を待っている状況にあることを意味する。

 と言うことは、北朝鮮側の変化次第にかかっていて、日本側は解決に向けたどのようなカードも手にしていないことを示す。10年以上の準備期間と第1次と第2次合わせて本格的に取り組む2年間を持ち合わせていながらである。

 「ご自身の手で肉親を抱きしめる日が来るまで」云々は尤もらしく聞こえはするが、自らはどのような解決策も構築できていないことの反動としての常套句化したミエの提示に過ぎないということは体裁のいいスローガンとなっているということでもあるはずだ。

 体裁のいいスローガンは実質的には言葉の軽さを正体としている。安倍晋三が唱えている「地球儀を俯瞰する戦略的外交」も、外交上の障害が何もない外国に限って有効であることからすると、中身は言葉の軽いスローガンとすることができる。
 
 北方四島返還は「私の総理の時代に何とかこの問題を解決していかなければならないと決意している」とミエを切っているが、安倍晋三は「日本政府としては、ロシアとの関係をあらゆる分野で進め、日露関係全体の発展を図りながら、四島の帰属問題を解決し、平和条約を締結する、 この基本方針のもとで、粘り強く交渉に取り組んでいく考えです」と言っているのみで、安倍晋三自身は返還の線引をどこに置いているか明らかにしているわけではない。

 四島返還なのか、二島返還なのか、四島面積を等分した面積二等分返還なのか、線引きによって解決の困難さも責任履行の程度も違ってくる。

 相手があることだからと交渉次第で線引を変えることはあっても、自身の最初の線引が明らかでなければ、「私の総理の時代」の解決の、責任の程度を含めた質自体がはっきりとしないことになる。

 第1次安倍内閣時代の2006年12月13日の外務委員会で外務大臣の麻生太郎が安倍内閣発足直後の記者会見で、「二島ではこっちがだめ、四島では向こうがだめ、間をとって三島返還というのは一つのアイデアとして考えられる」と発言したことを取り上げて、民主党の前原誠司が、島の面積を考えて二島だ、三島だと言っているのか問い質した。

 麻生太郎「択捉島の25%を残り三島にくっつけますと、ちょうど50、50ぐらいの比率になります。大体、アバウトそれぐらいの比率だと存じます」

 これは面積二等分返還の場合の線引きを解説した発言であって、この場では麻生自身の返還の線引きは明らかにしていない。

 麻生太郎「色々な意味でこれは交渉事ですから、今色々交渉していくに当たって、現実問題を踏まえた上で双方どうするかというところは、十分に腹に含んだ上で交渉に当たらねばならぬと思っております」――

 だが、記者会見で「間をとって三島返還というのは一つのアイデアとして考えられる」と発言したということは第1次安倍内閣の外務大臣なのだから、安倍晋三の意思と共通していると見なければ、内閣不一致となる。

 三島返還とは歯舞群島、色丹島、国後島の3島のことで、2分の1近い面積となるが、国後島の2倍以上の面積のある択捉島は含んでいない。

 森喜朗元首相が昨年の2月20日に安倍晋三の特使として訪露してプーチンと会談する前の1月9日テレビ出演で、個人的意見と断りながら、国後島と択捉島の間に国境線を引き、歯舞群島、色丹島、国後島の三島を日本領とし、択捉島をロシア領とする三島返還を唱えている。

 これはプーチンの「引き分け」発言に倣った「引き分け」案だそうだ。

 但し政府はこの森三島返還論に対して、「北方四島帰属の問題を解決して平和条約を締結するという政府の立場は不変である」とする従来からの公式見解を発表している。

 だが、マスコミはこのテレビ発言を伝える時点で、森喜朗が来月の2月に安倍晋三特使として訪露する予定を伝えていたのだから、個人的発言というのはあり得ない。第1次安倍内閣の外相に任命された麻生太郎が内閣発足直後の記者会見で、「三島返還論」に言及していることと併せて考えると、安倍晋三の胸中にあるのは「三島返還論」なのかもしれない。

 政府が森発言を否定したのは、サイコロを振ったとしても、その目がどう出るか皆目検討がつかないからだろう。ロシア側は日ソ共同宣言に基づiいた歯舞・色丹2島返還の立場に立っている。

 いわば安倍政権の線引き自体がロシア側に受け入れられるかどうかも分からない状況にある。

 となると、線引きを明らかにしないことが線引き以下の領土返還で解決を迎えた場合の責任回避策となる。

 だとしても、「私の総理の時代に何とか解決していかなければならないと決意している」とミエを切る以上、領土返還の線引きを明らかにすることで、安倍晋三は自身の責任の線引きも行っておくべきだろう。

 ミエを切るだけで、責任の範囲を明らかにしないのは卑怯である。

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天皇主義者安倍晋三のA級戦犯合祀以降の天皇靖国不参拝を無視、歴代総理参拝相対化で正当化するご都合主義

2014-02-13 08:20:18 | Weblog

 

 昨日2月12日(2014年)、衆院予算委員会で石原慎太郎が安倍晋三に靖国参拝に関しての質問を行った。結論を言うと、お互いが靖国参拝を正当化するためにご都合主義だけの自慰的な儀式を行ったに過ぎない。

 石原慎太郎「先般、あの、総理がですね、靖国を参拝されたと。これは非常に結構な、大事なことだと思います。

 一部の白痴的な売国的なメディアがですね、どっかの国の威光を借りて、キャンキャン言っておりますけれども、こんなことは全く気にする必要はない。

 ただですね、総理、えー、日本の一部メディアを含めてですね、外国が靖国の存在というものを忌避する一番の理由は何だと思いますか」

 安倍晋三「あのー、靖国、参拝についてはですね、今まで、ま、60回を超える、回数で総理も参拝をしているわけでございすが、基本的には中曽根内閣までは全く議論になっていなかったわけで、ま、ございますが、その後三木内閣のときにですね、私的参拝か公的参拝かという議論が、ま、ございました。

 その際はですね、国内的な、あー、あくまでも議論であったわけでございます。そしてご承知のようにA級戦犯が合祀されると、これはA級、B級、C級、全てでありますが、合祀されていった中に於いてですね、特にA級戦犯が合資されるという中に於いて、えー、このA級戦犯が合祀されたあともですね、大平、総理、そして鈴木善幸総理、えー、参拝されましたし、その後、中曽根総理も参拝されています。

 えー、そしてまあ、突如、中国がですね、これに対して抗議をしてきたと、いう経緯が、あー、あります。

 えー、この日本の、えー、リーダーが靖国に参拝をすると、いう行為について、私は従来から申し上げてきているようにですね、国のために戦った、あー、兵士のために手を合わせ、そして尊崇の念を表し、え、ご冥福をお祈りすると、えー、この行為自体はですね、世界のリーダーに共通する、私は姿勢なんだろうと、えー、こう思うわけでございまして、これからもですね、日本の姿勢そのものについてですね、誤解を解く努力をしていきたいと、このように思っています」

 石原慎太郎「大変結構なご答弁で、そのとおりだと思いますけども――」

 このあと、東条英機元首相らにA級戦犯として有罪判決を下した東京裁判は虚構だ、何だと、「大変結構な」歴史認識の全開転が続く。

 石原慎太郎は耄碌したのか、自分が何を質問したのか忘れたらしく、「大変結構なご答弁で、そのとおりだと思います」と安倍答弁大歓迎の発言をしているが、「外国が靖国の存在というものを忌避する一番の理由は何だと思いますか」と質問したのである。

 対して安倍晋三は質問には自分以外の総理が60回も参拝しているとすることで、参拝が自分だけではないことの相対化によって参拝の正当化を図っただけのことで、「忌避する一番の理由」に何ら答えていない。

 高校生が教師に喫煙を注意されて、「吸っているのは俺だけじゃない。ほかにも皆んな吸っているじゃないか」と同類を出して正当化するのと同じで、安倍晋三は非常に頭の程度の低い非論理的思考を示したに過ぎない。

 そして石原慎太郎も安倍晋三の低程度の非論理的思考に相応じて、自らも程度の低い非論理的思考で応じた。

 「外国が靖国の存在というものを忌避する一番の理由」は、靖国参拝が日本の戦前の戦争の侵略性を否定してアジア解放の戦争(=正義の戦争)、あるいは自存自衛の戦争だと美化する行為であり、歴史修正主義だと受け止めているからだろう。

 何度でもブログに書いているが、「国のために戦った」と、その戦争犠牲行為を顕彰し(功績・善行を讃えること)、そのような行為を果たした戦没兵士に対して「尊崇の念を表す」(尊〈たっと〉び崇〈あが〉める)ということは兵士自身が自らの有用性の対象とした国家及び国家の戦争にしても、兵士に対して顕彰と誉れを付与するにふさわしい国家の姿をしていなければならないし、戦争の性格をしていなければならない。

 日本の戦前の戦争を厳密に侵略戦争だと規定した場合、侵略戦争を起こした国のために侵略戦争を戦った、そのような「兵士のために手を合わせ、そして尊崇の念を表」すといった性格の参拝となって、滑稽な顕彰の構図となる。

 だが、滑稽な顕彰の構図としていない以上、日本の戦前の戦争を侵略戦争だと認めていないことになって、この点が戦争の美化、歴史修正主義だとして、外国が「靖国の存在」と言うよりも、参拝そのものを「忌避する一番の理由」であろう。

 特にA級戦犯は侵略戦争を主導した犯罪者と見ている。

 安倍晋三は自身だけではなく、歴代総理が60回を超える回数で靖国を参拝していると相対化し、引き合いに出すことで自身の参拝を正当化したが、この論理展開には矛盾がある。

 安倍晋三は強固な天皇主義者である。既にブログで何度も触れているが、 「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもの」と価値つけて、「日本では天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」とする歴史認識を自らの思想としている。

 だとしたら、昭和天皇は自らが統治する大日本帝国の陸海空軍の統帥者として戦前日本の戦争に深く関わっていたにも関わらず、卜部亮吾(うらべ・りょうご)侍従日記が、「A級戦犯合祀が御意に召さず」と昭和天皇の気持を1988年4月28日の日付で記し、富田朝彦宮内庁長官が、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と昭和天皇の言葉を同じ日付の1988年4月28日に書き記したメモを残していることが理由を伝えることになる、A級戦犯が1978年(昭和53年)10月17日に国家の犠牲者「昭和殉難者」として合祀されて以降、その死まで靖国不参拝を貫いた昭和天皇の意思とその意思を継いで不参拝を貫いている今上天皇自身の志(こころざし)を歴代総理の参拝と共に例に挙げて比較対照して安倍晋三自身の参拝正当性を導くべきを、昭和天皇と今上天皇の不参拝を無視して、歴代総理の参拝のみを取り上げて正当化している。

 これ程の都合主義はあるだろうか。

 いわば天皇主義者である以上、A級戦犯合祀以降の天皇の靖国不参拝をも引き合いに出して、歴代総理の60回を超える参拝との比較の上で自身の参拝の正当性を理由づけなければならないはずだが、都合のいい理由のみの提示で終わらせている。

 勿論、そうしたからと言って、「国のために戦った」と兵士を顕彰し、讃えることを通して兵士自身が有用性の対象とした国家及び国家の戦争を肯定的に把えている事実、その歴史認識に変わりはない。

 大体がA級戦犯を「昭和殉難者」だと美名を与えて合祀すること自体が戦前の日本の戦争を戦略戦争だと認識せず、自存自衛の戦争、あるいはアジア解放の戦争、いわば正義の戦争と歴史認識している何よりの証明となる。

 それならそれで、日本の戦前の戦争は自存自衛の戦争であり、アジア解放の戦争だ、正義の戦争だったと公言すべきだろう。

 公言もしないで、間接的・暗喩的に戦略戦争を否定するゴマカシを働いている。

 景気回復にばかり目を奪われていると、安倍晋三の危険な正体を見失うことになる。学校教育を通し、公共放送を通し、憲法改正を通して、国家権力を国民統治の支配的力学に位置づけて、個人の活動や基本的人権をその範囲内に閉じ込めていく阿部式現代版国家主義にいつの間にか慣らされるれさせられることになる。

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安倍晋三の建国の日メッセージが言う「より美しい、誇りある国」とは天皇を中心とした戦前日本国家

2014-02-12 09:28:31 | Weblog



 安倍晋三が2月11日(2014年)の「建国記念日」に当たってメッセージを送っている。このメッセージの全文は首相官邸HPに載っているが、全文を紹介しているマスコミもある。

 冒頭、次のように言っている。

 安倍晋三「『建国記念の日』は、『建国をしのび、国を愛する心を養う』という趣旨により、法律によって設けられた国民の祝日です。

 この祝日は、国民一人一人が、我が国の今日の繁栄の礎を営々と築き上げた古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を誓う、誠に意義深い日であると考え、私から国民の皆様に向けてメッセージをお届けすることといたしました」

 もし客観的・合理的な歴史認識の目を備えていたなら、単純・素直には建国を歴史的な記念事業として誇らかに思うこともできないだろうし、建国から戦前の昭和までの時代に想いを馳せるとき、一般的な意味での国を愛する心―― 愛国心を振り向けることは難しい意思作用を強いることになるだろう。

 なぜなら、建国から江戸時代末まで一貫して国家権力が特に国民の約8割を占める農民に対する搾取によって国の姿を成り立たせていた封建時代だったからだ。

 そして明治以降の日本は天皇を前面に立て、天皇を頂点とした天皇絶対主義の国家主義が国の形を作っていた。特に戦前昭和時代は天皇絶対主義の虎の威を借りた軍国主義・国家主義が横行し、国民は国家権力に言いなりに支配され、国家権力が命じるままに無謀な戦争を遂行していった。

 米の配給は昭和16年(1941年)の4月から始まっている。太平洋戦争を開始する1941年(昭和16年)12月 8日を遡る約4カ月前からである。1937年(昭和12年)7月からの日中戦争から3年9カ月で既に日本国家は国民の食料を十分に賄うことができない程に国力を衰退させていた。にも関わらず、自らの国力を省みずに国民総生産は約1千億ドルと10倍以上、総合的国力は約20倍の格差があったと言われていた米国に戦争を挑み、軍人・軍属230万人、民間人80万人の戦死者を出し、その6割は餓死者だったということは、海外に展開した日本軍の食糧がいくら現地調達を原則としていたとしても、国内に於ける米の配給を考えると、何か象徴的である。

 国内に食糧が十分に備蓄されていたなら、万難を排してでも食糧を輸送して、餓死を防ぐ手立てをしただろうからである。

 外国人戦死者・戦没者を合わせると2000、3000万人以上と言われている。単純・素直には「建国をしのび、国を愛する心を養う」気持になれない理由がここにある。

 単純・素直には「建国をしのび、国を愛する心を養う」気持になったなら、客観的・合理的な歴史認識の目を曇らせることになって、安倍晋三と同様の単細胞な人間と化す。

 日本敗戦の日8月15日を新生民主国家日本の建国の日にせよとの主張があることも理由がないことではない。
 
 建国から封建時代を通じて、明治以降も搾取の状況は続いたが、国家権力によって一貫して農民が搾取されて時代であったことを歴史的事実として踏まえるなら、「古来、『瑞穂の国』と呼ばれてきたように、私達日本人には、田畑をともに耕し、水を分かち合い、乏しきは補いあって、五穀豊穣を祈り、美しい田園と麗しい社会を築いてきた豊かな伝統があります」は国民の歴史的在り様に視点を置いた認識ではなく、単に自分が思い描く田園風景を表面的になぞった認識でしかないことが分かる。

 国民の歴史的在り様の中には歴史の現時点に於ける疲弊した農村の在り様――高齢化、後継者不足、耕作地放棄、人口過疎化等々をも当然のこと含んでいる。

 安倍晋三の認識の中では含んでいなからこそ、表面的になぞっただけの田園風景を描くことができる。

 安倍晋三「長い歴史の中で、幾たびか災害や戦争などの試練も経験しましたが、国民一 人一人のたゆまぬ努力により今日の平和で豊かな国を築き上げ、普遍的自由と、民主主義 と、人権を重んじる国柄を育ててきました」

 もし安倍晋三がこのように言うなら、「普遍的自由と、 民主主義と、人権を重んじる」 ことのなかった敗戦以前の各時代の日本の「国柄」を否定すべき歴史として常に認識していなければならないはずだが、建国以来の日本の「国柄」を肯定的 に把えているところを見ると、 安倍晋三が言っている「普遍的自由と、民主主義と、人権」は時代が言わせているに過ぎないツケ焼刃の疑いが濃い。

 最後の言葉。

 安 倍晋三「『建国記念の日』を迎えるに当たり、私は、改め て、私達の愛する国、日本を、より美しい、誇りある国にしていく責任を痛感し、決意を新たにしています。

 国民の皆様におかれても、『建国記念の日』が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、自信と誇りを持てる未来に向けて日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします」

 最初に断っておくが、「普遍的自由と、民主主義と、人権」は「先人の努力」 によって獲得した価値観ではなく、戦勝国米国その他によって与えられた価値観であることを否応もなしに認めざるを得な い。

 「日本を、より美しい、誇りある国 にしていく」とは、どのような国の姿を頭に置いているのだろうか。安倍晋三が自著『美しい国へ』で、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と書き、2012年9月2日日テレ放送の「た かじんのそこまで言って委員 会」で、「皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、 真ん中の糸は皇室だと思うんですね」と言っていることからすると、安倍晋三の普段言っている「国柄」が「日本古来からの伝統・ 文化が今に続いて発展の礎となっている国の形」を言っているはずだから、天皇を国家の中心に置き、その存在が影響を及ぼして国民が織り成すことになる「日本の伝統と文化」によって構成された日本国家が安倍晋三の目指す「より美しい、誇りある国」と言うことになる。

 当然、そのような国家は戦前の天皇制日本国家をモデルとしていることになる。戦前復古主義である。あるいは戦前回帰主義ということもできる。

 さすがに天皇主義者である。昨年4月28日(2013年)の天皇・皇后出席のもと開催された政府主催の「主権回復の日」式典で天皇・皇后の退席時、誰かが壇上の天皇に向かって「天皇陛下バンザイ」と唱えると、壇上の安倍晋三その他も加わって、「バンザイ、バンザイ」と両手を上げて続けた事実は、「より美しい、誇りある国」に詰め込んでいる歴史認識・思想が安倍晋三が血とし肉としている天皇崇拝の皇国史観に基いている証明ともなる。

 天皇を国家の中心に置き、国民をその周辺に配して天皇の影響下に置こうとする国家観は国家権力を上に置き、国民を国家権力に従属させようとする権力力学を血としている国家主義に重なる。

 安倍晋三が危険な方向に進んでいると、国内ばかりか、国外からも危惧する指摘がなされている理由がここにある。

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安倍晋三の「国民の生命・財産を守る」が空疎なスローガンであることを露わにした2月10日衆院予算委答弁

2014-02-11 10:36:05 | Weblog



 2月10日衆院予算委員会で海江田万里民主党代表が憲法と集団的自衛権をテーマに質問した。安倍晋三が軍事的作戦上の危機管理に無知であることを露わにした個所のみを文字起こししてみた。

 安倍晋三「日本が法的根拠に於いてシーレーンを守ることができるかどうか、具体的にどういうことが起こったときにそういう事態(集団的自衛権)が生じるかどうかについて議論を我々は行うことができたと考えています。

 例えば、ミサイル防衛に於いて日本を通過するものについては撃ち落とすことができるけれども、将来それが可能となった場合、グアム、あるいはハワイに向かっていくミサイルについて撃ち落とすことができないのか、あるいはミサイル防衛に当たって、警戒に当たっている米国のイージス艦がイージス機能を全部空に向けているときに周りの防空力が落ちる中に於いて近傍の、日本の自衛官が、例えばイージス艦がそれを守るのかどうかという議論、そういうそれぞれの個別的な議論を今進めているところでございまして、そういう議論が終局に至って結論を得た段階で、先程申し上げたようなプロセスに入って行きたいと思います」

 「先程申し上げたようなプロセス」とは懇談会(集団的自衛権を含めた今後の安全保障問題を議論する安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)の最終報告を自民党で議論し、そこで纏まった案を内閣で議論、法案として提出するプロセスを言っている。

 海江田万里「総理の言っていることは荒っぽいんですよ、本当にグアムにミサイルが飛んでいくって言うけども、そのときにグアムやハワイの米軍基地に飛んで行く時は、そのミサイルがどこから発射されるか分かりませんけれども、やはりアジアの方から発射されるとしたら、その前にある在日米軍基地はどうなるのか、在日米軍基地に一切手付かずでハワイやグアムに直接ミサイルが飛んでいくとは思えないし、それがイージス艦がですよ(安倍晋三が首を大きく傾げて笑う。)、いや、そういうことはないですよ。

 そしてイージス艦にしたってですね、イージス艦というのはそもそも防空の護衛艦が巡洋艦なんです(?)。あの八角形のレーダーで以って200の目標を捕らえることができるんです。実際にミサイルを撃てるのは(聞き取れない。)艦ですよ、はっきり言って。

 しかもそういう精度の高い、しかもアメリカは90隻ぐらいイージス艦があって、今、米軍の太平洋と大西洋で大体55ぐらいでやってるんですから。日本、何隻イージス艦がるかご存じですか」

 小野寺防衛相「6隻でございます」

 安倍晋三「先程ですね、どう相手が行動するかっていうのが分からないから、これは大変なのですよ。これは国際政治、あるいは安全保障でですね、こちらが予めですね、相手の思惑を決めて防衛政策を立てるんだったら、こんな簡単で安易で危険なものはないと、私は言ってもいいと思いますよ。

 予めここはここでしないんだ、予めここはここでしなんだ(身体を左、右と向けて、手で掴むジェスチャーをする。)、ということはあり得ないわけでありまして、それはまさにですね、どういう行動を取るかは分からない、わけであります。

 そしてそんな中に於いて私たちは国民の生命・財産をしっかりと守っていく必要があるわけでありまして、今おっしゃったようにグアムやハワイを攻撃する可能性はないんだ、それはあなたはそっちの国の指導者ではないんですから(委員席から大笑いが起きる。)。それは民主党のリーダーであることは認めますよ。

 ですから、そこはあり得ない話であります。そしてまた、イージス艦の議論についてもですね、イージス機能についてはですね、飛んでくるミサイルについて対応するということは、イージス機能を上に向けてででありまして、そこでですね、そこで、イージス艦の配置について、今50隻と、50隻がですね、今50隻が日本海にいるわけでは勿論ありませんし、広いアジア・太平洋の中でどういう展開をするかということについてはこれはいわば軍事上の話でありますから、 勿論ここで申し上げることはできませんよ。

 しかし日本のイージス艦が少ないから、アメリカが関係するかということは、また別の話でありまして、日本に向かってミサイルが発射される可能性がある中に於いて、日本のイージス艦が主体的にイージス機能を使ってやっていくんですよ。

 しかしそんな中に於いて、米国もですね、米国も、日本のイージス艦とリンクできる中に於いて、共同で対処できるのであれば、これは極めて合理的になるわけであります。そしてそん中に於いてですね、米国の艦船がどいう役割をする中で、例えばゾーンデフェンス、今実際やっているわけで、実際やっているわけですね、我が国も海賊対処でやっているわけでありまして、まさにゾーンデフェンスをですね、日本海、あるいは太平洋で行うことができる。

 ちゃんとリンクされて、ということでありまして、そういう意味に於いて、まさにそういう意味に於いてまさに起こり得る可能性というのは極めて高いということであります。

 日本のイージス艦が少ないからですね、米国は日本を全く当てにしていないということではなくて、まさに日本事態になる可能性がある中に於いてですね、ある中に於いての可能性を言っているわけでありまして、そして今海江田委員が言われたように、その可能性、それが排除されるわけではないことを申し上げておきたいと思います」
 
 海江田万里「私はハワイやグアムにミサイルが飛んでこないと言っているのではなくて、その時は当然のことですけれども、日本に飛んでくるんじゃないのかということを言ってるんですよ。

 それからさっきのイージス艦の話だって、これは共同でやっているわけですから、自衛隊法95条をわざわざ新しくしたんじゃないですか。それでできるんですよ。そういうこともこれから議論していけば、(安倍晋三がまた首を傾げる。)いやできるんですよ」

 ここで海江田代表は、安倍晋三がこれまで憲法9条との関係で集団的自衛権はあるが、使うことはできないと言ってきたが、それを内閣法制長官を代えて解釈変更で個別的自衛権から集団的自衛権の行使可能とするとしているが、立憲主義に基づいて国会が議論しなければならない問題を首相の私的諮問機関で行っていることは総理大臣に対して憲法が厳しく縛りをかけている関連法との関係でどういうふうに考えているか、正面から答弁して貰いたいと迫る。

 安倍晋三「先程私が指摘したのはですね、先にじゃあ、ハワイとかグアムに対して撃たないということは否定していないけど、その前に日本に必ず落とすはずだ、しかし前か同時にか落とすはずだというのもですね、相手国のですね、指導者の判断ですから、それを海江田さんが決めるんじゃなくてですね(皮肉っぽく笑いながら)、それは某国の指導者が決めることであって、それに対してそれは常識でも何でもないですよ。外交では様々なことが起こるんですね。

 我々はそれができないという中に於いて日米同盟が危うくなることをやるかもしれないじゃないですか。それは常識として十分に蓋然性のあることであって、これぐらいのことを考えられないとすれば、この私は指導者としての資格はないと言わざるを得ないと思いますよ。

 安倍晋三は立憲主義との関係に関しては、立憲主義とは憲法に則って政治を行うことではるが、安全保障環境が変わっている中で平和や安全等の生存の権利まで憲法が否定しているのかどうか議論を進めなければならないと答弁。

 最後は少々端折ったが、説明しなくても、安倍晋三の軍事的作戦上の危機管理に無知を露わにした答弁内容となっている。

 先ず安倍晋三が集団的自衛権行使の一つの例としてグアム、あるいはハワイに向けて発射されたミサイルを自衛隊が撃ち落とすことができないのかと発言したことに対して海江田代表が、敵国がハワイやグアムに向けてミサイルを発射する前に在日米軍基地への攻撃の可能性に言及した。

 多分、海江田代表に「総理の言っていることは荒っぽいんですよ」と言われたことにカッとなったのかもしれない。だが、カッとなること自体、危機管理対応の資格を失う。

 安倍晋三は海江田代表の言うこととは反対に在日米軍に一切手付かずでハワイやグアムにミサイルが発射される可能性に拘泥する。

 安倍晋三「先程ですね、どう相手が行動するかっていうのが分からないから、これは大変なのですよ。これは国際政治、あるいは安全保障でですね、こちらが予めですね、相手の思惑を決めて防衛政策を立てるんだったら、こんな簡単で安易で危険なものはないと、私は言ってもいいと思いますよ。

 予めここはここでしないんだ、予めここはここでしなんだ(身体を左、右と向けて、手で掴むジェスチャーをする。)、ということはあり得ないわけでありまして、それはまさにですね、どういう行動を取るかは分からない、わけであります。

 そしてそんな中に於いて私たちは国民の生命・財産をしっかりと守っていく必要があるわけでありまして、今おっしゃったようにグアムやハワイを攻撃する可能性はないんだ、それはあなたはそっちの国の指導者ではないんですから(委員席から大笑いが起きる。)。それは民主党のリーダーであることは認めますよ」――

 「どう相手が行動するかっていうのが分からないから」、軍事的作戦上の危機管理が存在する。敵の不測の攻撃に備えてその攻撃の方法を予測し、想定して複数パターン化して備える。想定外の攻撃だったなら、実際に起こった攻撃に対応した迅速・的確な防御方法を構築し、機動的に対処していくことをも予想し、想定して備える。

 また、一度予測・想定してパターン化した軍事的作戦上の攻撃と防御の危機管理は固定化させるのではなく、状況に応じて柔軟且つ臨機応変にパターンを少しずつ変えていくこともするはずだ。

 いわばあらゆる可能性・危険性を予測・想定して備える。

 当然、軍事的危機管理上、敵国がハワイやグアムに向けてミサイルを発射する前に在日米軍基地を攻撃する可能性を予測・想定しているだろうし、その逆の在日米軍に一切手付かずでハワイやグアムにミサイルを直接発射される可能性も予測・想定しているはずだ。

 安倍晋三はこういった軍事作戦上の危機管理を読み取ることができたなら、「相手の思惑を決めて防衛政策を立てる」といった危機管理が存在しないことは前以て承知していなければならないことであって、そうである以上、「相手の思惑を決めて防衛政策を立てるんだったら、こんな簡単で安易で危険なものはない」などという言葉は口をついて出ないはずで、こういった言葉を吐くこと自体、危機管理に無知であることを曝したことになる。

 しかもミサイル発射等の攻撃は「相手国のですね、指導者の判断ですから、それを海江田さんが決めるんじゃなくてですね、それは某国の指導者が決めることであって」と言うことで、軍事的作戦上の危機管理が存在しないかのような、あるいは機能しないかのような詭弁まで用いて、海江田代表の発言を否定しようとしている。

 これぐらいのことを考えられないとすれば、まさに安倍晋三は指導者としての資格はないと言わざるを得ない。資格がないとなれば、「私たちは国民の生命・財産をしっかりと守っていく」の言葉にしても、単に口先だけで言っているスローガン化させた国家・国民の安全保障だと批判せざるを得ない。

 果たして安倍晋三という指導者に日本国家を任せることができるだろうか。甚だ怪しい。

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2月9日『たかじんのそこまで言って』の籾井勝人「政府が右と言うこと」云々の行き着く先は戦前の報道機関

2014-02-10 08:24:39 | Weblog



 昨日2月9日(2014年)放送の『たかじんのそこまで言って委員会』で、籾井勝人NHK新会長の「慰安婦」発言は問題があるかどうかパネリストに質問していた。だが、議論は慰安婦問題を取り上げず、国際放送で領土問題を扱うとき、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」とした籾井発言を取り上げて、そこに議論が集中した。

 籾井発言は安婦問題にウエイトを置いた報道に偏っていて、私自身も「MSN産経」記事をネタ元にブロ記事を書いたが、そのネタ自体も慰安婦問題に関わる発言のみを取り上げていて、国際放送に於ける領土問題に関する発言は取り上げていなかった。

 あとから領土問題に関する発言もあったことを知ったが、『たかじんのそこまで言って委員会』自体も、正式に取り上げようとしたのは慰安婦発言の是非であって、領土問題に関わる発言は重要視していなかったのかもしれない。しかし実際には非常に重要な問題を含んでいる。

 番組で議論されたのを機会に自分の考えを述べてみることにした。

 「問題アリ」の表示をした長谷川幸洋(現在東京新聞・中日新聞論説副主幹)。

 長谷川幸洋「あの、慰安婦の発言じゃないんですよ、根本の話は。政府が右と言ったことを左だとは言えないと。

 この人ね、政府っていうことと報道機関ということが全く理解していないんですよ。全く違うんですよ、両者は。政府が右と言ったら、報道機関が左と言うことだって十分にあるんですよ、報道機関が自由に勝手に判断すればいい話で、その根本のところをね、この方、全くご存じない。

 この人辞めるべきですね、この人は」
 
 次に明治天皇の玄孫とかで、作家・法学者でもある立派な人、竹田恒泰が自らの主張を述べる。

 竹田恒泰「ちょっと聞きたいんですけども、右左の議論について、右左ですが、領土ですか。それによって違うと思うんですよ。

 例えば慰安婦云々なんか議論の余地のあるものであれば、そうかもしれませんけれども、例えば領土問題、例えば竹島は日本の固有の領土であるということに関して政府が右と言っていることに左と――」

 最後まで言わせればいいのに司会の山本浩之が小賢しくも口を挟む。

 山本浩之「竹田さんがおっしゃりたいのは国益に関する部分ですか」

 竹田恒泰「ですが、この右左の下りは何の話題でおっしゃってるんですか」

 山本浩之「だから、政府の考え方。例えば右、左という言い方をすると、ちょっと誤解があるから、白か黒かと言うべきだと思うんです」

 竹田恒泰「白、黒と言うべきであって、政府が白と言えば、白。右って言うと、何か右翼左翼みたいでありますから――」

 長谷川幸洋「具体的な問題については私は初めてのことでチェックしていないから分かんないけど、一般論として先ずおかしいわけ。一般論として」

 竹田恒泰「違うですよ。これが一般論として語られたのか、あるいは領土問題に特化して語られたのか――」

 山本浩之「白黒で語られた方が分かりやすかったかもしれないですよ、確かに」

 竹田恒泰「それをご存じの方はいらっしゃらないのですか。何の話題で出てきたのですか、この質問は。領土問題に関して言ってるんでしたら、(人差し指を突き立てて断言する)正しいでしょう」

 司会の山本浩之が「発言を取り消すのはおかしい」と言ったのに対してざこばが「おかしくない」と反論。竹田恒泰がケイタイをいじっている。

 山本浩之「議論が白熱している最中、申し訳ないですけども、竹田さん、そのケイタイでね、メールをね」

 竹田恒泰「メールじゃないの。ちょっと僕、先程の長谷川さんの発言に対して反論します。あの、右 左の議論があったんじゃないですか。あれはあくまでも、あくまでも国際放送に関しての発言でした。しかも領土問題については政府が右と言ったものを左と言うことはできないと言ってるんです。

 つまり一般論で全部政府に追従すると言っているわけではなくて、領土問題に関しては政府の言うことはNHKの人は国際放送で表現すべきだという(人差し指を突き立てて)、トーゼンのとこと言ったんです」

 長谷川幸洋「それでも反対で、マスコミがね、報道機関が、報道機関が自分の完全な判断として、この領土問題はこれこれこういうふうに考えますよ、ということはいいんです。政府が言っているから、そうなんです、というのはダメなんです。ダメなんです」

 竹田恒泰「じゃあ、NHKが竹島は実は韓国のものなんですって言って、いいわけないでしょう」

 長谷川幸洋「そんな話じゃない」

 山本浩之「竹田さん、それ、ケイタイで調べていたわけ?」

 竹田恒泰「そうです。知らないって言うから、朝日新聞のサイトで調べた」

 ここで長谷川幸洋がNHKは国民の受信料で成り立っているのであって、政府経営ではない、評論家の宮崎哲弥が、受信料で成り立っていながら、NHKの予算は総務委員会で審議されるのはおかしい、政府から独立すべきだといった議論になる。

 次いで津川雅彦が保守派を代弁することになる発言を行う。

 津川雅彦「今までNHKは偏向報道をしてきた。そのときの会長は何も言われなかった(言うことができなかった)んだから、要するに何かやればいいけどさ、今は個人的な発言だけのことだからさ」

 「何かやればいいけどさ」の意味は、偏向報道した場合は会長が是正させることへの期待を述べた言葉であろう。

 要するに個人的な発言で終わらずに放送に介入することを望んでいる。この希望は保守派全体の希望であって、安倍晋三も加えることができる。

 籾井が会長職を続けたら、また同じような発言が飛び出しのではないかといった言葉を交わし合ってから、次のテーマに移る。

 インターネットで調べた発言だが、籾井勝人NHK会長の発言は次のようになっている。

 籾井勝人「尖閣や竹島といった領土問題は日本の明確な領土ですから、これを国民にきちっと理解してもらう必要がある。今までの放送で十分かどうかは検証したい。国際放送は、国内放送とは違う。領土問題については、明確に日本の立場を主張するのは当然のこと。政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」――

 ごくごく当たり前のことを言うが、要するに報道機関は報道機関としての自己判断に忠実に従った報道の責任と義務を負っている。自己判断を放棄した場合、報道機関が持すべき自主独立性が失われて、そのことは同時に権力(=政府)からの独立の放棄を意味することになる。

 いわば自己判断の放棄は権力(=政府)の言いなりとなり、御用報道機関に堕すことを意味する。

 竹田恒泰は「一般論で全部政府に追従すると言っているわけではなくて」と言っているが、例え領土問題に関してのみの「追従」であっても、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」からと、政府が言うがままに「右」とのみ言ったとしたら、そこに報道機関が自らの責任と義務に応じて持すべき自己判断を介在させていないことになって、自らの自主独立性を自ら放棄することになる。

 例え領土問題というたった一つのことであったとしても、「政府が右と言うことを」報道機関はあくまでも自己判断の濾過装置を通した報道機関それぞれに独自の情報を発信する責任と義務を負っている。それが報道機関としての自主独立性を守る唯一の砦であって、権力(=政府)の言いなりとなり、御用報道機関と堕すことの唯一絶対の回避策である。

 この調和が敗れたとき、一つの問題が徐々に全体を蚕食して、「全部政府に追従する」危険性を抱えかねないことは戦前の日本の報道機関が証明している。

 要するに籾井勝人が「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と言っている先に待ち構えているのは、最初は領土問題に端を発した発言であろうと、政府検閲下に自己判断を放棄し、自らの発言を止めた戦前の日本報道機関である。

 大多数が自らの発言を止めて政府が発信する情報のみが跳梁跋扈した場合、政府情報による思想統制を可能とする。

 このことも戦前の日本で見てきた。

 竹田恒泰は「NHKが竹島は実は韓国のものなんですって言って、いいわけないでしょう」とか、「竹島は日本の固有の領土であるということに関して政府が右と言っていることに左と言うわけにはいかない」といったことを言っているが、例え竹島が日本固有の領土であったとしても、政府が言ったことをこう言ったと事実として伝えるのは構わないが、その是非については報道機関として自己判断を通した是か非を欠いていたなら、政府情報に対して自己規制をかけたことになる。

 私自身は竹島は韓国を日本側に引き止め、中国寄りとしないために韓国にくれてやれとする内容のブログ記事を書いているし、北方四島はロシア側の「北方領土は第2次世界大戦の結果ロシア領となった」とするロシア側の正当性理論を破るために、日本が北方四島を日本領とする以前からアイヌ固有の領土だったのだから、アイヌへの返還を求めるべきだとして、そのようなブログ記事も書いた。

 アイヌへの返還によって千島列島をソ連に引き渡すとしたヤルタ協定にも一切関係ないこととすることができる。北方四島はアイヌ人だけでは領有しきれないだろうから、元日本人島民を入植させたり、現住ロシア人の居住を許可したりして、多人種に基づいたアイヌ国家を建設すればいいと書いた。

 報道機関が自己判断を放棄して政府が発信する情報を言いなりに報道し、政府の代弁者となることは同時に検証の放棄を意味する。戦前の日本では報道機関その他が検証の機能を政府の強制に屈して自ら放棄したために大本営が国民に戦争を優位に進めていると思わせる好き勝手に捏造した情報を流すことを許し、結果として戦争終結を遅らせ、悲惨な敗戦を招くことになった。

 特定秘密保護法にしても、その罰則を恐れて政府以外の個人・組織が自らの検証機能を麻痺させかねない危険性を抱えない保証はない。あるいは内部告発としての検証機能の麻痺も誘いかねない。

 誰しもが自己判断を持すことによって個人として自律することができ、権力(=政府)からの自律(自主独立)を図ることができる。

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安倍晋三のソチ五輪開会式出席は首脳出席メンバー補充のために利用されただけで終わった

2014-02-09 09:22:44 | Weblog



 ロシアの権状況への異議申立て意思表示としてソチ五輪開会式出席を見合わせた欧米各国首脳の姿勢に反して主要国8カ国 (G8)首脳の中での出席者は我が日本の安倍晋三とイタリア首相のみだったという。

 そしてその他主要国では中国の習近平主席が出席。権3兄弟が場所を同じくしたといったところだろうか。勿論、日中関係悪化中で、安倍晋三と習近平主席の顔合わせはない。しかし権意識を抱えている点で、両者は近親性の関係にある。プーチンも加えた似た者同士の3人でベッドを共にして、権の乱交に耽ってもいい親しさにあるはずだ。

 安倍晋三ソチ五輪開会式出席に対する日本政府の見解は北方領土問題の解決を大義名分としている。2月7日午後の菅官房長官記者会見。

 菅官房長官「わが国としてロシアの人権の状況は当然注視しているが、それとソチオリンピックを結びつけて考えてはいない。安倍政権は『人権をしっかり確立する』という基本方針を貫いているが、そこだけというより全体を考えたうえで判断すべきだ。

 日本とロシアの間には北方領土問題という大きな問題もあり、安倍総理大臣は、プーチン大統領と首脳会談を行うほか、ワーキングランチまでセットされている。国益を考えれば、出席するのは当然ではないか」(NHK NEWS WEB)――

 開会式出席のための出席ではない。主目的の首脳会談やワーキングランチを雰囲気よく和気あいあいと行うためには開会式出席は当然だと言っている。

 しかし、いくら国益のためだからと言っても、欧米各国首脳の欠席に対して出席した以上、ロシアの権状況には目をつぶったことになる。欧米各国首脳がロシアの権状況に対する異議申立ての意思表示に欠席を手段としたことに反して我が日本の安倍晋三は出席したのだから。

 菅官房長官は「安倍政権は『人権をしっかり確立する』という基本方針を貫いている」と言っているが、ロシアや中国の権政策に抗議とまでいかなくても、最低限遺憾の意を直接的に表明したことがあるのだろうか。

 各国の権状況に対して常日頃から抗議や遺憾であるとする発言を行っていたなら、人権問題をバック ボーンとした指導者との評価を世界から受けて、ソチの開会式に出席しようと止むを得ないことと理解されたはずだ。

 だが、普段から直接的には声を上げていない安倍晋三である。理解されることよりも、首脳会談を成功させるために取引したと受け止められるのがオチだろう。

 要するに官房長官が言っている「『人権をしっかり確立する』という基本方針」にしても、安倍晋三が常々口にしている「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値に立脚した戦略的外交の展開」にしても、民主国家というタテマエ上のスローガンとして使っているに過ぎない。

 その証拠を挙げる。

 昨年(2013年)2月1日の参議院本会議代表質問。水野賢一みんなの党議員が中国のノーベル平和賞受賞者の民主化活動家劉暁波(リュウ・ギョウハ)氏の釈放について問い質した。

 安倍晋三「中国の民主化活動家を巡る人権状況や国際社会に於ける普遍的価値である人権及び基本的自由が中国に於いても保障されることが重要であります。

 劉暁波氏についても、そうした人権及び基本的自由は認められるべきであり、釈放されることは望ましいと、考えられます。

 このような観点から、これまでも政府間の対話などの機会を捉えて、民主化活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」――

 「これまでも政府間の対話などの機会を捉えて、民主化活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」と言っているが、「釈放されることは望ましい」はあくまでも一般論として希望を述べたに過ぎない発言であって、「釈放を要求しています」といった一般論を踏み出した釈放要求の具体化とはなっていないのだから、発言が前後矛盾していることになって、「民主化活動家についての我が国の懸念を中国側に伝えてきております」は、例え実際に伝えていたとしても、タテマエ上の意思表明でしかないことが分かる。

 当然、最初の発言の「中国の民主化活動家を巡る人権状況や国際社会に於ける普遍的価値である人権及び基本的自由が中国に於いても保障されることが重要であります」にしても一般論をスローガンとして述べただけのタテマエでしかない正体を現すことになる。

 2010年10月14日の参議院予算委員会の質疑での山本一太自民党議員の追及に当時の首相菅無能もほぼそっくりの答弁を行っている。

 菅無能「中国に於いて、普遍的な価値ある人権と、基本的自由が、保障されることが、重要だと、このように考えております。

 (釈放要求に関して)まあ、どういう形での、どういう・・・・、表現をするかということは、あー・・・、考える・・・、必要があると思いますが、釈放されるのが望ましいと、このように思っております」――

 釈放に関して一般論として希望を述べるだけで終わっている関係上、中国の人権状況に関しても一般論をスローガンとしていることになって、タテマエ上、そのように発言しているに過ぎないことが分かる。

 対して山本一太はさらに厳しい追及を行っている。

 山本一太「人権問題についてはっきりと言わないと、日本人は人権問題について意識が低いんじゃないかと、そういうふうに国際的に思われてしまうと思うんですね。もうちょっとはっきり言ってください。もう一回答弁をお願いします」――

 安倍晋三に対しても言うべき言葉であろう。

 安倍晋三はかくこのように外国の人権状況に関して一般論をスローガンとしているだけ、タテマエを述べているだけの対応を自らの姿勢としている。プーチンとの首脳会談での領土問題返還への進展を優先させて、ロシアの人権問題に目をつぶる取引をしたのである。

 勿論、目をつぶることのできる人権意識しか備えていないから、目をつぶることができた。

 少なくともプーチンにとってはソチオリンピック開会式に先進主要各国首脳が誰一人出席しなかったという不名誉を免れる材料とすることができた安倍晋三の出席だったはずだ。

 安倍晋三はロシアの権状況に目をつぶったことの批判を免れるだけの成果を首脳会談で得たのだろうか。

 どの記事を見ても、個人的信頼関係の構築・発展には役立ったと伝えているだけで、領土返還問題に関しては具体的な進展はなかったとしている。

 果たして個人的な信頼関係が領土返還交渉にどれだけ役立つのだろうか。ロシアは安倍晋三との個人的基信頼関係構築の元、着々と日本との経済関係を強め、日本の技術の導入を着々と進めている。

 いわば現時点までのプーチンによる安倍晋三との信頼関係構築はロシアの経済発展を役立たせる力となっているに過ぎない。この関係が領土交渉によりウエイトを移していく保証はない。

 プーチンの安倍重視は経済協力を引き出すための甘い罠、キャバクラ嬢の惚れたフリに過ぎない。

 日ロ首脳会談後の記者会見。

 安倍晋三「個人的な信頼関係のもと胸襟を開いた会談となった。これまで築き上げてきたプーチン大統領との個人的な信頼関係を2国間関係の発展という次元へ一段と高め、ことしは日ロ関係を一段と飛躍させる年にしたい。

 (北方領土交渉について)去年の私のロシア訪問以来、大変テンポよく進んでおり、このスピード感を維持しながら建設的で率直な意見交換を行いたい。この問題を次の世代に先送りしてはならず、可能なかぎり早期に解決を図っていかなければならない」(NHK NEWS WEB)――

 五輪開会式出席で安倍晋三はプーチンに恩を売ったつもりでいるのかもしれないが、首脳会談では領土交渉進展に関わる発言へとつながらなかった。にも関わらず、領土交渉は「大変テンポよく進んでおり」と言っているが、「テンポよく」進んでいるのは2013年8月19日と2014年1月31日の日露次官級協議、かなり頻繁な日露外相会議等のさして時間を置かない開催頻度のみで、領土問題については何も進んでいない。

 ロシアが「北方領土は第2次世界対戦の結果、ロシア領となった」という姿勢を崩していないからだ。

 実際に「テンポよく進んで」いるのは既に触れたが、日ロ経済協力のみである。

 安倍晋三はプーチンから開会式出席を誘われたとき、イエスと言う前に、「日本国民はソチオリンピックで湧いている。領土問題で日本国民に希望を与える言葉を貰うことができたなら、日本国内に於いてあなたの名前をなお一層高めることになり、日本国民のロシアへの親近感を強める役に立つはずです」と、出席を取引きの一つとして利用でもしたのだろうか。

 勿論、プーチンは領土交渉の加速化といったタテマエで応ずる可能性は否定できないが、領土返還と取引するという姿勢を常に保持していたなら、ロシアにのみ有利な経済協力先行といった事態は避けられるはずだ。

 要するにソチ五輪開会式出席はプーチンに体よく利用されただけで、ロシアの権状況に目をつぶった効果しかなかった。安倍晋三にはその程度の外交能力しかないということである。

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