中田宏「GHQがある意味強要してきた(日本の)教育。ようやく安倍政権で、下村大臣が変えようというのだから、中途半端なものにして貰いたくない。本質的な議論をして、本質的に教育を変えていって貰いたい。最近の事例で言うなら、福岡県の高3男子生徒が昨年11月にイジメを受け、そのことを示唆する内容をメモして自殺したと新聞が先週報道していた。
《生活の党PR》
《2月14日に鈴木克昌代表代行・幹事長定例記者会見要旨》
【質疑要旨】
・国民投票法改正について
・集団的自衛権、解釈見直し判断に関する安倍総理発言について
・小沢一郎代表の消費税発言について
2014年2月17日衆院予算委員会。日本維新の会の中田宏がイジメの問題を絡めて教育委員会制度についての質問に立ち、下村博文と安倍晋三が心のこもらない、不熱心な答弁に立った。最初の中田宏の質問は要所のみを取り上げる。
日本全国でどのくらいの児童・生徒が自殺しているか。平成24年度は196人。200人近くの生徒が自ら命を断つ国。イジメの認知件数は平成24年度、1年間で19万8108件。1日辺り500件。
教育委員会に素直に上がっているとは思えない。氷山の一角という言い方をしてもいい。教育現場に於けるイジメ、そこから発生する自殺について大人は責任を持たなければならない。
こうしたイジメや自殺と、一方でこれから議論する制度論との因果関係を分析してくださいとは言いません。制度と様々なイジメや自殺ということの感想、文科大臣はどう整理されますか」
下村博文「ご指摘のように『平成24年度の児童・生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する報告書』ですね。これには児童・生徒の自殺は196件ですが、警察の調査ではですね、実は300件超えているんですねえ。
ですから、恐らくもっと数が多いのではないかと、率直に思います。で、イジメ認知件数は約19万8000件。これも深刻な数字だと思います。で、私は、 あのー、地元の小学校の周年行事があったときですね、校長先生にお聞きしたら、この学校ではイジメは殆どないと、いうふうに校長先生はおっしゃっていたんですね。
私は生徒に直接ですね、イジメを見たり、聞いたり、自分がしたり、あるいは受けたりした子は手を上げてと聞いたら(左手を方のところに上げるジェスチャー)、7割が手を上げた(軽く笑いながら言う)。
校長先生はゼロなんですよ。実際、子供同士がそういった実態があるんですねえ。ですから、これは単にですね、私は教育委員会だけの問題ではないと、私は率直に言って思います。
ただ、教育委員会の問題というのは大津の事件も大阪の事件もそうでしたけど、事前のそういうものを通報しているにも関わらずですね、放置していたことによって、結果的には子供が自ら命を断ったと、いう制度上の問題もあることも事実ですし、まあ、昨年の国会では議員立法したいじめ対策防止法通して頂きました。
まさにオールジャパンでイジメについて対応していく必要があると思いますし、その中の一つとして教育委員会の抜本的改革も必要ですが、ただ、イジメ改革 抜本改革案ができたからと言って、イジメや自殺がなくなると、ゼロになるということではありませんが、しかし制度設計として戦後の抜本改革をしていくこと は必要なことだと思います」
中田宏「ありがとうございました。そのとおりだと私も思います。大臣が申された中で、教育委員会制度はね、全ての起因ではないと、思います、しかし、報告があってもウヤムヤにされたと。こういった中に於いて、教育委員会制度という問題もある。そういった答弁でありましたけれども、私もそのとおりだと思いますね。
例の大津の事件、イジメですねえ、いじめ自殺ですねえ。これが教育委員会に当然、耳に入っていたけれども、教育委員会自身が早々に調査を打ち切って、そしてウヤムヤに処理したわけですね。
あるいは大阪市立(いちりつ)桜宮高校の体罰自殺。これについてはもう生徒が自殺をする1年以上の前のことです。1年以上も前に、これはバスケットボー ル部の顧問が日常的に凄まじい体罰を繰り返しているということが大阪市の公益通報制度に於いて入っていて、そしてそれが教育委員会にも伝わっていたのです。ところが調査は、これはしなかったわけです。
何故調査をしなかったのか。これはですね、教育委員会に情報が入り、教育委員会の主導主事が桜宮高校に飛んで行ったんです。しかしですね、この主導主事っていうのは教員上がりなんですね。そして、一つの教員のムラ社会が出来上がってしまっています。
いわば身内なんです。しかも大阪の場合は、大阪だけではなく、ほかにもあり得る。まあ、往々にしてある話なのですが、大阪の場合は、校長の後輩が教育主事になっているんです。
そうなったらね、教育主事が校長に対してちゃんと調査しろと、教育委員会の命を受けて行ったところで、校長は声を荒らげて、調査しないと、こうやって、これはそのままウヤムヤに終わったんです。
そして1年後に自殺なんですよ。即ちですね、教育委員会というものが適切な処置というものを取れる、そういう、残念ながら、機能が今失われているわけです。
元々失っていたと、こういうふうに言っていいかもしれません。その意味に於いて、これを教育委員会の改変をしていくとき、最も重要なのはね、責任、これの所在を明確にすることだと、私は思います。そのことは論を待たないと思います。
安部総理、総理は今国会冒頭施政方針演説の中で、『イジメで悩む子どもたちを守るのは大人の責任です、教育現場の問題に的確で速やかな対応を踏まえるよう、責任の所在が曖昧な現行教育委員会制度を抜本的に改革します』、こう安部総理は述べられましたよね。
さて、この責任を明確にするということが今次の教育委員会制度の法改正に於いて最も重要なことは安部総理自身、こうやって認識されておりますけれども、このこと、敢えて確認しますけども、お変わりございませんね」
安倍晋三「現行制度に於いてはですね、教育委員会、そして首長もそうですが、教育長、そして学校、それぞれの責任を持っているわけでございます。そん中に於いて教育委員会全体としての責任でありますが、誰が責任を持っているのか、ということが明確になっていないというところに最大の問題があるわけですね。
えー、今ご指摘されたような、イジメの問題等について、機敏な対応、そして最終的な判断を下すことができていないと。ここに大きな課題がある。判断ができないところと。
やはり責任が明確でないから、あー、責任を誰が取るということにもならないんですね。ですから、そこに大きな問題があるんだろうと。そういう観点から、この教育委員も含めて、教育行政の改革を行っていきたいと、こう考えているところでございます」
中田宏「明確な答弁でありました。私もそのとおりだと。即ち、これから議論していく土俵が、下村文科大臣、並びに安部総理のもとに、私は大変生意気な言い方をしますが、土俵が出来たと思います。
どうやって責任体制を明確化していくか。このことを教育委員会の改変で、私たちはしっかりと制度の中に埋め込まなければならない、ということでございます」
以下略。
この認識が正しければいいが、間違っていると、議論の中身も結論も間違うことになる。
平成24年度の児童・生徒が自殺は196人。同じく平成24年度のイジメの認知件数は19万8108件。1日辺り500件。
中田宏は教育委員会に上がってこない隠れ自殺、隠れイジメもあるのではないかと憂える。
憂えるまではいいが、「こうしたイジメや自殺と、一方でこれから議論する制度論との因果関係を分析してくださいとは言いません」と自分たちの責任をあっさりと放棄して、下村博文に「感想」だけを求めている。
当然と言うか、下村博文も、「因果関係」ではなく、統計を持ち出した表面的な「感想」だけの無責任な答弁に鉄面皮にも終始している。
児童・生徒の自殺数196人は警察の調査では「実は300件超えている」。
周年行事で訪れた小学校の校長に聞いたところ、当校ではイジメは存在しないと答えたが、生徒自身に聞くと、7割方がイジメは存在すると挙手した。
下村博文は教育行政担当の文科大臣らしくイジメに関わる認識についての校長と児童の齟齬の原因がどこにあるのか究明することはせず(究明していたなら、制度上の問題ではなく、人間性の問題ということになる)、無責任にも笑いながら自己体験の表面的な報告をしただけで、大津のイジメ自殺事件と大阪桜宮港の体罰自殺事件を例に引いて、「教育委員会だけの問題ではない」、「放置していたことによって、結果的には子供が自ら命を断ったと、いう制度上の問題もある」と言っている。
ということは、生徒がイジメの存在を教師に伝えても、放置していてもいい制度となっていたということになる。そこが問題だと。
果たして放置していてもいい制度だったのだろうか。教師や校長、そして教育委員会の面々が自分たちそれぞれの責任を弁えることができない人間性に揃いも揃って侵されていて、そのような人間性が地域の教育行政全体を支配していたことによる精神上の無責任体制となっていたということではないだろうか。
制度はしっかりと出来上がっていて、責任も素晴らしい文言を駆使して条文に明確に規定しているが、組織に所属する人間が条文とは無関係に責任履行を満足に機能させることができないという例がある。戦前の大日本敵国軍隊も同じであったはずだ。
人間性という精神上の無責任体制は決して否定できないのだから、このことを考慮外に置いたなら、いくら下村博文が「制度設計として戦後の抜本改革をしていくことは必要なことだと」と言ったとしても、制度だけでは解決できない精神上の無責任体制を残すことにならない保証はない。
下村の答弁に対して中田宏は同じ考えだと称賛、その上で教育委員会が早々に調査を打ち切っとか、大阪市の公益通報制度に訴えがあり、その訴えを教育委員会にも伝えていたにも関わらず、教育委員会の主導主事が桜宮高の校長と先輩・後輩の関係にあって全然指導することができなかったとか精神上の無責任体制について、そのことを自覚しないままに取り上げて、安倍晋三に責任の所在の明確化を伴った教育委員会制度の改革を求めている。
要するに教育委員会制度の法改正に責任明確化の的確な条文の作成・記入をお願いしている。条文が解決できる精神上の無責任体制ではないにも関わらずである。
要するにイジメや体罰に見て見ぬ振りをするとか、問題発生後、責任逃れから、問題の矮小化を謀ったり、あるいはなかったことにする隠蔽工作等々の深く人間性に関わる精神上の無責任体制に真正面から向き合って取り組まずに、制度のみをいじくって、責任の所在の明確化を図ろうとしている。
安倍晋三にしても中田宏の考えと同じ穴のムジナを形成している。
「やはり責任が明確でないから、あー、責任を誰が取るということにもならないんですね。ですから、そこに大きな問題があるんだろうと。そういう観点から、この教育委員も含めて、教育行政の改革を行っていきたいと、こう考えているところでございます」云々。
責任の所在と責任の内容は既に明確となっている。教師は児童・生徒の指導・監督・管理の責任があり、校長は教師に対する指導・監督・管理の責任を有し、教育委員会は地域の学校に対して指導・監督・管理の責任を持っている。
だが、イジメ自殺やイジメ体罰で問題となった学校では全てと言っていい程に教師も校長も教育委員会も指導・監督・管理の責任を果たしていなかったことがイジメや体罰を深刻化させていた事実が表面化している。果たしていなかったことの結果として現れたのが見て見ぬ振りや責任逃れ、事件の隠蔽や矮小化、あるいは自己責任の抹消等々である。
制度は立派でも、組織に所属する人間が責任履行を満足に機能させることができない例として戦前の大日本敵国軍隊を挙げたが、作家の山本七平氏の2013年7月9日のツイッターに日本軍の体制と軍人たちの責任意識について次のような記述がある。
①【不合理性と合理性】日本軍は、外面的組織ではすべてが合理的に構成されていて、その組織のどこに位置づけてよいかわからぬ存在は、原則と して存在しない。 |
安倍晋三は日本という国を言い表すとき、「瑞穂の国」という言葉を好んで使い、「道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国」と日本の国の性格をそのように定義付けているが、教師や校長や教育委員会だけではない、多くの日本人が侵されている精神上の無責任体制からは「同義」も精神的な「真の豊かさ」も真っ赤な幻想でしかないことを窺わせるのみである。
先進国中、GDP比で最大の財政赤字を抱えているということも、政治家たちの精神上の無責任体制が成さしめた勲章であるに違いない。