韓国市民団体の元慰安婦聴き取り調査の映像公開と公開に対する菅官房長官の不快感から考えたこと

2014-09-20 09:49:59 | Weblog


 このブログ記事は2014年9月6日当ブログ記事――《安倍政権の「河野談話」作成過程と同じ構造を取った従軍慰安婦強制性否定とその検証に見るインチキの数々 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》とテーマの点でほぼ重なる。

 にも関わらず、同じようなテーマで再び記事にするのは韓国の市民団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」が9月15日、日本政府が行った元慰安婦の聴き取り調査の映像の一部を公開したのに対して菅官房長官が示した不快感に正当性を見い出すことができなかったからであり、上記記事の不足を補う意味もあるからである。

 公開した映像は約17分の長さで、日本政府の担当者らが通訳を介して元慰安婦の証言を書き取る様子などが映っていると、「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 但し、この聞き取り調査の映像自体、日韓で非公開の約束をしたものである。『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯』と題した「河野談話作成過程検証報告書」には次のように記述されている。

 〈4 元慰安婦からの聞き取り調査の経緯

     ・・・・・・・

(6)最終的に,遺族会事務所での聞き取り調査は1993年7月26日に始まり,当初は翌27日までの2日間の予定であったが,最終的には30日まで実施され,計16名について聞き取りが行われた。

 日本側からは,内閣外政審議室と外務省から計5名が従事し,冒頭で聞き取りの内容は非公開である旨述べて聞き取りを行った。元慰安婦の中には淡々と話す人もいれば,記憶がかなり混乱している人もおり,様々なケースがあったが,日本側は元慰安婦が話すことを誠実に聞くという姿勢に終始した。また,韓国政府側からは,聞き取り調査の各日の冒頭部分のみ,韓国外務部の部員が状況視察に訪れた。〉――

 「太平洋戦争犠牲者遺族会」の聞き取り映像公開はこの非公開の約束を破るものだが、日本側が非公開としたこと自体に胡散臭さを感じる。

 この遺族会が非公開の約束を承知していて、それを破ったことについて、〈「最近、日本側が河野談話を傷つけようとしている」ためだと主張し、日本政府の姿勢によっては、さらに映像を公開するとしてい〉ると、上記記事は伝えている。

 韓国外務省報道官(9月16日の記者会見)「民間団体が公開したことであり、外務省が話す事柄ではない。(但し)これまで公開せず、今、公開することになった背景を考える必要がある」(同NHK NEWS WEB」

 この「背景」とは、最近の安倍内閣の「河野談話」否定の動き、朝日新聞の「吉田証言」に基づいた過去の記事に対する攻撃のことを指し、公開はそのような背景への反論という意味づけもあるはずだ。

 公開したことについての菅官房長官の不快感の表明。《「慰安婦聞き取り映像公開「理解に苦しむ」 菅官房長官が不快感》MSN産経/2014.9.16 18:17)

 菅官房長官(9月16日記者会見)「一部だけを公開したことは理解に苦しむとともに大変遺憾だ。聞き取り調査は非公開を前提に行われ、内容の公開は慎重であるべきだと考えている」

 記事解説。〈慰安婦の聞き取り調査報告書については、産経新聞が入手した資料によりずさんな内容だったことが明らかになっているが、政府は「非開示」としている。〉――

 産経新聞は日本の軍や官憲による従軍慰安婦の強制連行説を頭から否定している。その色眼鏡で慰安婦の聞き取り調査報告書を検証した場合、朝日新聞が、虚偽の事実に基づいて成り立たせた「吉田証言」を真正な事実として報道していたのと同じ過ちを犯さない保証はない。

 もし実際に慰安婦の聞き取り調査報告書が杜撰な内容であるなら、政府は公表した上で杜撰な内容であることの証明を以って強制連行説否定の補強証拠とすればいいはずだが、そういった動きを一切見せずに、「河野談話作成過程検証報告書」でも、〈慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない。〉として裏付け調査を回避している。

 結果、安部政権が政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述が見当たらなかったことを唯一の根拠として成り立たせている強制連行否定説をいつまでも有効たらしめることになっている。

 だからだろう、安部政権は政府機関や従軍慰安婦の歴史に関わっている民間人の聞き取りに対する従軍慰安婦の証言を決して表には出さない。出したら、裏付け調査をしなければならなくって行った場合、万が一事実が証明される可能性を恐れて、出すことができないに違いない。

 ここにも胡散臭さを見て取らないわけにはいかない。

 そもそもからして、「河野談話」作成に関わった当時の日本政府関係者は従軍慰安婦の聞き取り証言に対する裏付け調査を一切行っていない。『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯』には次のように書いてある。

 〈4 元慰安婦からの聞き取り調査の経緯

     ・・・・・・・

 〈(7)聞き取り調査の位置づけについては,事実究明よりも,それまでの経緯も踏まえた一過程として当事者から日本政府が聞き取りを行うことで,日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すこと,元慰安婦に寄り添い,その気持ちを深く理解することにその意図があったこともあり,同結果について,事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった。聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については,聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており,聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた。〉――

 慰安婦からの聞き取り調査の意図は日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すためであり、元慰安婦に寄り添い,その気持ちを深く理解するためであった。

 但し聞き取り調査が行われる前から追加調査結果がほぼ纏まっていた関係から、聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた。

 要するに聞き取り調査に対する裏付け調査の時間を最初から設けていなかった。このような態度を以って、聞き取り調査は日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すため、元慰安婦に寄り添い,その気持ちを深く理解するためとしていた。

 不誠実極まりなく、胡散臭い限りである。

 裏付け調査を行わずに韓国政府とすり合わせや妥協や取引を用いて作成して、「河野談話」で〈慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。〉と、従軍慰安婦の日本の軍や官憲による強制連行を認めた。

 いわば従軍慰安婦の証言のみに基いて強制連行を成り立たせて、証言に対する裏付け調査を行わなかった事実が強制連行説否定派に隙を与えることになった。

 「河野談話」作成当時の日本政府にしても、第1次と第2次安倍内閣にしても、元慰安婦たちの証言だけを公開したら、証言が一人歩きして、強制連行が事実とされることを恐れていたのだろうか。

 証言を非公開にして、裏付け調査もせずに証言の疑わしさのみを強調し、併せて「河野談話」の不備を突つけば、軍・官憲による強制連行を曖昧な事実であることから、あるいは半信半疑の事実であることから、より確かな事実へと近づけることができるということなのだろうか。

 だとしたら、最たる胡散臭さとなる。

 勿論、敗戦から50年近くも時間が経過していて、裏付け調査は困難を極めるだろう。記憶の薄れや、現在も同じはずだが、売春を商売としていても、周囲には恥ずかしい仕事として隠さざるを得なかった状況からして、一般女子がもし強制的に連れられていき、望まぬ形で売春を強制された場合、敗戦によって日本軍が消滅して解放されて故郷に戻ったとしても、ひた隠に隠すだろうから、周囲は知らない事実ということになって、誰もその事実を証言してくれない恐れがある。

 もし困難を極めるとしたら、韓国の従軍慰安婦だけではなく、インドネシアやフィリピンや台湾、中国、その他の日本軍が侵略していた外国全ての従軍慰安に対して可能な限り多くの証言を集めれば、強制的に狩り出された従軍慰安婦の証言から、自ずと類似の行動パターンが割り出すことができるるはずで、その一つの証言が裏付け調査によって事実と証明することができれば、各証言を全体的に事実とすることができる。

 インドネシアでは家の前で子どもたちが遊んでいるところへ7、8人の日本軍の兵士を乗せた軍の幌付きのトラックがやってきて、女の子どもたちを抱きかかえて無理やり乗せて、多分一定程度満杯状態になるまでだろう、各所を回り掻き集めていった証言がある。

 さらに同じインドネシアで占領日本軍の司令部に当たる日本軍政監部が地元の行政機関を通して、文書ではなく、口頭で日本への留学の機会を与えると若い男女生徒を募集、留学話に集まった女生徒をインドネシアの各地の慰安所に送り込んで、無理やり売春させたという何人かの証言がある。

 前者は強制連行であるのは言を俟たないが、後者は一方で日本軍と癒着して利益を得るために積極的に娘を留学に差し向ける親がいたものの、その一方で留学話に警戒を示した親も存在していて、そういった親に対しては日本軍の威光を笠に着た強制力を用いて留学候補者を集め、前者後者別なく偽りの目的で騙して強制売春に陥れる経緯を取った以上、親が積極的であろうと消極的であろうと、また日本軍が身体的強制力を用いなかったとしても、日本軍がインドネシア人の上に君臨する絶対的存在として行った従軍慰安婦狩りであるのだから、その強制性を認めないわけにはいかない。

 いずれにしても日本軍はインドネシアに於いて主なところで前者・後者の従軍慰安婦狩りの行動パターンを用いていた。それぞれ類似の行動パターンに属する何人かの証言から裏付け調査を行って、一つでも事実と検証できれば、政府が発見した資料の中に軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述が見当たらなかったとしても、従軍慰安婦の強制連行を証拠づけることはできる。

 菅官房長官は不快感を示す前にこういった方法を利用して、従軍慰安婦の徴用が日本軍・官憲による強制連行か否かの歴史認識に決着を着けるべきだろう。

 韓国の市民団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」が元慰安婦聴き取り調査の映像を公開したことに対して菅官房長官が示した不快感から、以上のことを書いたが、安倍晋三や菅官房長官の強制連行説否定派が決着をつけない方が自分たちの否定説の正当性を主張しやすいと考えているとしたら、陰険極まりないことになる。

 そう疑われないためにも、決着を着けるべきだろう。

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安倍晋三及び菅官房長官の東京同時不在と山谷えり子の在特会元幹部との写真撮影のお粗末な危機管理2題

2014-09-19 10:15:53 | Weblog


 9月27日、安倍晋三は福島県川内村を訪問、保育園や仮設住宅、放射能汚染物質を保管する中間貯蔵施設の建設候補地等を視察している。そして例の如くに「復興が進んでいると感じられるよう取り組んでいく」と発言。

 これが景気回復の場合、「景気回復の実感を全国津々浦々にまで必ずや届けるのが安倍内閣の使命です」と言う。

 だが、前者の場合も後者の場合も、どうしようもなく格差が生じている。自宅再建に取り掛かることができた被災者とすべてを失って仮設住宅以外に行く場所のない被災者。格差の象徴的出来事が、生活の悩み事相談のホットラインでの2013年自殺相談が全相談のうち全国では11%であるのに対して被災3県は2・5倍の28%の15万4792件にものぼっていることに現れている。

 同じ9月27日菅官房長官が沖縄県を訪問、首相と官房長官が同時に東京を留守にした。官房長官の沖縄訪問は10~11月に予定される沖縄県知事選を見据えた行動だという。そして安倍晋三の福島訪問も福島県知事選を考慮したものだと次の記事が伝えている。

 《異例の首相・官房長官、東京同時不在…その理由は「福島、沖縄知事選」》MSN産経/2014.9.17 21:50)  

 記事解説。〈首相と官房長官が同時に東京を不在にするのは極めて異例で、緊急事態が起きれば、政権の「危機管理」を問われかねない。それでも、両知事選の結果が今後の政権運営に及ぼす影響が少なくないとして、同時出張に踏み切った。〉――

 〈官邸では、平成13年の実習船「えひめ丸」衝突事故を教訓に、大規模災害やテロに備え首相か官房長官の一方が原則都内に残るのが慣習となっている。当時の森喜朗首相と福田康夫官房長官がともに都外にいて危機管理の甘さを批判され、森内閣退陣につながった。〉――

 菅官房長官に変わって記者会見した加藤官房副長官の弁。

 加藤官房副長官「首相と官房長官が東京にいない場合、指名を受けた官房副長官が対応することになっている。官邸の指揮態勢に隙間はない」

 言うとおりだろう。しかも現代は携帯電話が発達していて、情報の遣り取りは時間を置かずに行うことができる。

 だとしても、テロの時代と言われている今日、日々常に備える心構えでいる必要があるのに、安倍晋三と官房長官の首都東京同時不在は県知事選のためという安倍内閣という一内閣の都合であって、国家の都合ではない。

 内閣のナンバー1・ナンバー2の指導的位置にいる関係上、いずれか一人が首相官邸に残るのが国家の危機管理であるはずである。

 国土交通省のサイトに、《テロの時代に求められる対策と首都機能の分散》というページがある。

 次のような項目が並べられている。

 〈地政学的に見た首都の位置の歴史的変遷
 テロの時代に重要性を増す首都機能の分散
 生物兵器によるテロの危険性と一極集中の脆弱性
 小型核兵器、放射性物質の散布によるテロがもたらす被害
 これからの時代のテロ対策のあり方
 日本へのテロの蓋然性と可能性
 国会等の移転では先を見据えた対策を〉――

 一方で「テロの時代」と言って、否定できない危機と把え、その危機管理を取り上げながら、その一方で国家の都合ではなく、安倍内閣の都合で安倍晋三と官房長官が東京を同時不在とする危機管理は前者の危機管理を軽視する矛盾以外の何ものでもない。

 この軽視は、かつて原発は安全であるとした「原発安全神話」と肩を並べる「国家安全神話」に相当するはずである。

 地震、テロ、ミサイルの飛来等々、いつなんどきどこで何が起きるか分からないこととする国家の備えとしての危機管理意識に敏感であったなら、とてものこと、安倍内閣の都合で首相官邸を同時不在とすることはできなかったろう。
 
 勿論、この同時不在は安倍晋三及び菅官房長官の国家危機管理意識の希薄さの裏返しとして現れたお粗末な事態であることは言うまでもない。

 右翼閣僚の高市早苗総務相と同じ右翼政治家の稲田朋美自民党政調会長の二人が右翼団体代表とツーショットの写真に収まったことが明らかになったばかりなのに、今度は国家公安委員会委員長及び拉致問題担当相等に就いたばかりの山谷えり子が在日韓国人・朝鮮人に対するヘイトスピーチで有名な在特会(在日特権を許さない市民の会)の元幹部たちと約5年前の2009年に写真に収まっていたことが週刊誌に報道された。

 その写真は元在特会関西支部長の男性(61)が運営するホームページでに9月16日まで公開していたという。週刊誌の報道で取り外したのだろう。

 山谷えり子はこの日、松江市内で行われた「竹島の日」の記念行事に出席、講演し、講演後なのか、講演前なのか、宿泊先の松江市のホテルで撮影したという。

 しかも一緒に写真に収まったのは在特会元幹部一人ではなく、他に6人、その内の一人は在特会の元京都支部幹部で、総勢8人の集合写真となっている。

 山谷氏事務所「(男性について)別団体の事務局長として面識はあったが、在特会に所属していることは承知していなかった。

 多くの方からの写真撮影に応じているが、ご依頼いただいた個々の方の身分については承知していない」(asahi.com
 
 在特会元幹部「山谷氏とは約15年前に教育再生をめぐる活動を通じて知り合った。在特会の活動として会ったわけではない」(同asahi.com

 在特会元幹部「当時はヘイトスピーチなど排斥活動をしていない。私は在特会がそういう活動を始めたときに距離を置いた。15年程前に別の団体の顧問をお願いしてからの付き合い。写真を撮ったときも在特会のことは話していない」(TOKYO Web

 山谷えり子(9月18日記者会見)「在特会の人とは知らなかった。政治家なので色んな方と色んな場所でお会いする。『写真を』と言われれば撮ることもある」(TOKYO Web)――

 以上の発言のから、山谷えり子の危機管理を見てみる。

 在特会元幹部は別団体の事務局長をしていた15年程前に山谷えり子にその団体の顧問をお願いした。そのような関係にあったからだろう、約5年前の2009年の「竹島の日」(2月22日)、あるいはその前後に写真を撮った。在特会元幹部は在特会がヘイトスピーチ等の排斥活動を始めたときに会から距離を置いていた。

 つまり元幹部は2009年2月22日の「竹島の日」以前に既に在特会を離れていた。一緒に写真に収まっていた在特会の元京都支部幹部も、同じ時期に在特会を離れていたのだろうか。
 
 「Wikipedia」によると、在特会は2006年(平成18年)12月2日の準備会合で会の設立を決定し、翌年の2007年(平成19年)1月20日の発足集会以後に正式な活動を開始し、2009年12月には京都朝鮮学園に対して「朝鮮学校が公園を不法占拠している」として学校周辺で街宣活動を開始、「犯罪者に教育された子ども」、「朝鮮半島へ帰れ」などのヘイトスピーチを行っている。

 調べた限りでのそれ以前の活動は2009年5月17日の「千葉市長選候補を糾弾」街宣活動と、2009年6月12日の「反日極左と結託する京都西本願寺突撃抗議」の街宣活動のみである。

 2009年12月の京都朝鮮学園に対するヘイトスピーチが最初だとすると、2009年2月22日の「竹島の日」以前に既に在特会を離れていたとする元幹部の証言は簡単には信じることができない。

 但しあくまでも2009年12月の京都朝鮮学園に対するヘイトスピーチが最初だとするとと言う仮定つきである。それ以前からヘイトスピーチを始めていたなら、2009年2月22日の「竹島の日」以前に在特会を離れていたとする証言は成り立つことになる。

 だとしても、15年程前に山谷えり子に団体の顧問をお願いして面識があったなら、その団体が在特会のような団体と無縁であることを証明するためにその団体名と活動内容を明らかにすべきだが、匿名のまま済ませている。

 「在特会に所属していることは承知していなかった」が、別団体が在特会と似たような団体ということなら、そのことを承知して一緒に写真を撮ったとしたら、不適切な間違った行動であることに変わりはないことになって、国会議員としての節度維持の危機管理に問題が生じることになる。

 山谷えり子自身は「在特会の人とは知らなかった。政治家なので色んな方と色んな場所でお会いする。『写真を』と言われれば撮ることもある」と身の潔白を訴えている。

 写真撮影自体は記憶していることになる。

 だが、山谷えり子は団体の顧問をお願いされたことに触れていない。発言全体のニュアンスからして、初対面の関係で把えた発言となっている。

 山谷えり子と事務所側の記憶もしくは認識の矛盾を無視するとしても、街中で偶然に出会って、支持者ですと言われて握手を求められ、一緒に撮ってくださいと頼まれて総勢8人で写真に収まったわけではない。宿泊先のホテルに7人で訪ねてきて、写真撮影を求められたのである。団体の顧問をお願いされたことを忘れていたとしても、元幹部は思い出させるだろうし、山谷えり子も顧問料を頂いているだろうから、最低思い出した振りはするはずである。

 当然、他の6人にについて「同じ団体のお仲間ですか」と尋ねたはずである。

 別の団体のことは話しても、在特会については何も口にしなかったということなら、「在特会だとは名乗っていませんでした。何々という団体の仲間同士だと言ってました」と釈明するはずだ。

 逆に何も尋ねず、「在特会の人とは知らなかった」と言うことなら、それが真正な事実だとすると、元幹部は団体の顧問をお願いしたことを思い出させることもしなかったことになる。

 いわば元幹部は顧問をお願いした団体名すら口にしなかったことになる。

 このような山谷えり子の在特会元幹部ら7人に対する関係を成り立たせるためには、元幹部の方からの自己紹介も他の6人の紹介もなかったことになる。

 この一連の様子を想像して貰いたい。何ら会話を交わすこともなく、7人と共に頼まれた写真だけを撮った。

 果たしてこのようなストーリーを信じることができるだろうか。

 写真撮影は覚えているが、会話は覚えていないという釈明は通らない。どのような会話を交わしたのか記憶していないなら、元幹部は「写真を撮ったときも在特会のことは話していない」と言ってはいるものの、在特会という特定の団体名や身分、どのような社会生活者なのか名乗ったかもしれないにも関わらず、一切を記憶していないことになって、そのことを前提として、いわば、「名乗ったかもしれない会話は一切覚えていません。在特会の人とは知らなかった」とするのは、論理矛盾を来すことになるからだ。

 この矛盾を避けるためには当時の会話を覚えていて、7人の口から会話を通して在特会という言葉が一切出てこなかったことが条件となる。

 当然、「彼らは在特会だと名乗っていなかったから」とした上で、「在特会の人とは知らなかった」としなければならない。

 但し、堂々巡りとなるが、会話を覚えている以上、別団体の顧問をしていたことを覚えていなければならない。当然、その団体の活動内容が問題となる。

 このようないくつかの矛盾からして、既にその恐れに触れたが、恐れを通り越して山谷えり子の国会議員としての自身の節度を守るための危機管理は程度が低いと断言せざるを得ない。

 尤も山谷えり子は元々右翼思想の持ち主である。在特会と交流があるとした方が自然ですらある。

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野島善司自民党都議の「結婚したらどうだ」発言に見る他者の結婚に対する家父長制社会の血を引いた支配衝動

2014-09-18 08:32:16 | Weblog


 東京都議会の超党派議員組織「男女共同参画社会推進議員連盟」の9月16日総会開催後、今年6月の都議会で鈴木章浩自民党都議が独身35歳の女性都議の質問中に「早く結婚した方がいいん じゃないか」とヤジを飛ばした女性蔑視発言が議題にのぼったのか、「男女共同参画」の手前、男女平等を原則とするから、記者の方から尋ねたのか、会長就任の野島善司自民党都議(65)の対記者団発言が、3カ月前の鈴木章浩自民党都議発言と同様、問題視されることとなった。

 野島善司自民党議員「女性に対しては、今回で言えば、言われているのは、『結婚したらどうだ』という話でしょ。それはね、僕だって言いますよ。平場では」(FNN

 この「平場」という言葉の意味は「全くプライベートな場」だと、本人が注釈している。

 要するにプライベートな場では未婚の女性に対して「結婚したらどうだ」という発言は許されるとしていることになる。

 記事でこの発言を知ったとき、自民党の少なくない国会議員と同じく未だ家父長制社会の血を引いている前世紀の遺物みたいな人間がいるものだなという感想を持った。

 「家父長制社会」とは断るまでもなく、父親が家長(一家の長)として絶対的支配権(家長権)を持ち、妻や子供の考えや行動を父親の意思に従わせる社会のことを言う。

 このような家族の原理・社会の原理によって、父親の決めた結婚に子どもが従うことが当たり前とされた。

 3カ月前の鈴木章浩自民党都議の「早く結婚した方がいいん じゃないか」というヤジは35歳未婚の塩村女性都議の妊娠や出産等に関する子育て支援策についての都の取り組みに関する質問中に飛ばしたのだから、学習することによって知識を確立できることを無視して、結婚の経験も妊娠の経験も、子育ての経験もない女が何が分かるんだという意味を込めているゆえに女性蔑視・女性差別のヤジとなるのに対して、野島善司自民党都議の「結婚したらどうだ」という言葉は未婚の状態から結婚の状態に持っていきたい命令の意思を働かせた言葉であって、当然、そこには戦前の家長権程に強くはないが、本人任せではない、他者による状態の変化を支配したい衝動を潜ませていることになる。

 「日本国憲法 3章 国民の権利及び義務」は「第24四条第1項」で、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と規定している。

 そして第2項で、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」としている。

 ここから、「結婚は本人の自由意志による」とされるに至ったはずだ。この自由意志は結婚しない自由も含まれていなければならない。

 両性の合意のみに基く結婚を、あるいは本人の自由意志によるはずの結婚を、結婚しない自由も含めて、他人が、両性の合意や本人の自由意志を最大限尊重せずに無視して、「結婚したらどうだ」と他人が関与する形で支配衝動を働かせる。

 当然、「プライベートな場」(=「平場」)であろうとなかろうと許されるはずはない。

 野島善司自民党都議は翌日、発言を都議会自民党の総会で、「不適切な発言をして大変申し訳ない」(47NEWS)と謝罪した。村上英子自民党幹事長が明らかにしたことだと言うから、本人が記者団の前で直接謝罪したわけではないようだ。

 村上英子自民党幹事長は自民党総会で野島都議を含めた自民所属の全議員に「発言に気をつけるよう」厳重注意したという。

 村上英子自民党幹事長「この時期にあのような軽々しい発言は私人であろうが、公人であろうが許されるべきことではない」(同47NEWS

 軽々しい発言であっても、「時期」に関係しなければ許されるかのような村上英子自民党幹事長の発言となっている。要するに鈴木章浩自民党都議の「早く結婚した方がいいん じゃないか」という野次発言が忘れ去られた「時期」なら許される「軽々しい発言」ということなのだろう。

 村上英子自民党幹事長は野島善司自民党都議が「『結婚したらどうだ』という話でしょ。それはね、僕だって言いますよ。平場では」と、他者の結婚に対する自身の態度を言うことで、図らずも家父長制社会の血を引いた支配衝動を曝け出したという文脈でその発言を把えることができないらしい。

 ここで言う“他者”は例え自分の娘であっても、その範疇に入る。「日本国憲法」が触れているように結婚は、結婚しない自由を含めて深く「個人の尊厳」に関わる極めて個人的な問題だからだ。

 村上英子自民党幹事長は野島善司自民党都議と同様の古い体質の政治家と見ないわけにはいかない。
 
 尤も私自身が野島善司自民党都議の発言を家父長制社会の血を引いた支配衝動が現れたものだと解釈すること自体が他人から見た場合、間違っているかもしれない。

 解釈は人それぞれであるが、その妥当性の判斷を受けなければならない。

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安倍晋三の対中国包囲網は外交関係に於ける相対的な力学を視野に入れた動きには決して見えない

2014-09-17 07:46:53 | Weblog

 
 安倍首相は海洋安全保障強化を図るため、日本とハワイ(米国)、オーストラリア、インドの4カ所をヒシ型に結ぶ「安全保障ダイヤモンド構想」を提唱中だそうだ。「ダイヤモンド」という命名は形を表現するだけではなく、輝き、壮大であることの意味を含んでいるに違いない。

 勿論、中国包囲網を狙っての輝くダイアモンドというわけなのだろう。

 まさか大風呂敷で、ダイアモンドと名づけたわけではあるまい。

 日本と米国とオーストラリアとインドの4個のダイアモンドのうちの1個であるインドの、今年5月26日に就任したばかりのモディ新首相が8月30日(2014年)に来日。9月1日の日印首脳会談で両国の外務・防衛閣僚協議(2プラス2)設置の検討で合意。

 この合意は海洋進出を進める中国を牽制し、南シナ海やインド洋などの海上交通路(シーレーン)を守る狙いがあり、「安全保障ダイヤモンド構想」実現に向けた大きな一歩だとマスコミが伝えていた。

 安倍晋三は9月13日(2014年)北朝鮮による拉致被害者家族連絡会、全国協議会、議員連盟、知事の会、地方議会全国協議会主催の「もう我慢できない。今年こそ結果を!国民大集会」に出席、その挨拶の中で、「私も総理就任以来、49か国を訪問し、200回に亘る首脳会談を行いましたが」と述べているが、世界第2位の経済大国中国を除いた49カ国訪問だから、中国包囲網構築も目的の一つとしていた各国訪問と首脳会談でもあったはずだ。

 日印首脳会談当日、共同声明が発表された。名付けて「日インド特別戦略的グローバル・パートナーシップのための東京宣言」

 宣言の冒頭、次のように謳っている。〈1.安倍晋三日本国総理大臣とナレンドラ・モディ・インド首相は,2014 年9 月1 日に東京において会談し,両国民の発展及び繁栄の継続のため,並びに,アジア及び世界の平和,安定及び繁栄の促進のために,日インド戦略的グローバル・パートナーシップの可能性を最大限に発揮することを誓った。両首脳は,両国の関係を特別な戦略的グローバル・パートナーシップに引き上げつつ,今般の会談を日インド関係の新時代の幕開けと称した。〉――

 「日インド戦略的グローバル・パートナーシップ」は日印両国間の発展や繁栄のみを目的とするのではなく、アジア及び世界をステージとした平和と安定と繁栄の促進をも視野に入れたパートナーシップの可能性の最大限の発揮を目的とし、この関係を「特別な」と形容詞を入れた「特別な戦略的グローバル・パートナーシップ」へと引き上げていこうではないかと言うのだから、壮大極まる関係構築志向を意図していて、「今般の会談を日インド関係の新時代の幕開けと称」するのも無理はない。

 日印の盤石な関係構築こそが、中国包囲網を盤石とする第一歩というわけである。

 対して中国はバングラデシュやスリランカなどインド周辺国への支援を通じてインドを包囲する「真珠の首飾り」と呼ばれている外交戦略を進めていると時事ドットコムが伝えていた。

 記事は安倍晋三の9月6日から9月8日までバングラデシュとスリランカの訪問を、中国の対印包囲網である「真珠の首飾り戦略」にクサビを打ち込む意図からのものだと解説している。

 と言うことは、安倍晋三の両国訪問はインドにとっても利することになる。

 こう見てくると、安倍晋三は49か国訪問、200回の首脳会談その他の努力も併せて、インドを対中包囲網の強力な仲間に組み入れたように見える。

 但し次の記事を見ると、安倍晋三の対中国包囲網が些か怪しくなる。

 《インドが上海協力機構に加盟申請 中央アジアの資源狙い》MSN産経/2014.9.13 23:42)

 インドが9月13日までに中国とロシア、中央アジア諸国で構成する上海協力機構(SCO)に加盟申請したと伝えている。9月11、12両日にタジキスタンで開かれたSCO首脳会議にオブザーバー参加していたスワラジ外相が9月12日に表明したとPTI通信(インドの通信社)が伝えたとしている。

 記事。〈巨大な人口を抱えるインドはエネルギー確保が課題で、加盟により中央アジアの豊富な石油・天然ガス資源の開発に加わる機会を増やしたい考え。一方、中露はインドを取り込むことで、米欧主導の国際秩序への対抗を図りたい思惑だ。〉――

 スワラジ・インド外相「多くの国が暴力や紛争に直面している。こうした出来事は地政学に深く関連しており、共同で対処せねばならない」――

 資源の開発参加の機会を求めているだけではなく、中国やロシアと暴力や紛争の共同対処の関係も構築しようとしている。いわば中国とも仲間となることによって、中国の対印圧力を緩和・吸収することを通して安全保障の面でインドを守る意図を持たせた加盟申請であろう。

 もし加盟が認められたなら、例え以前のように中国と国境紛争が起きて軍事衝突しても、上海協力機構加盟国同士の紛争として放置できないことになって、上海協力機構自体がその調停に乗り出さなければならなくなり、解決に向けた内輪の努力は分裂を回避しなければならない分、あるいは世界がどう機能していくか注目する分、積極的とならざるを得ない。

 いわばインドは中国と是々非々の関係を築こうとしている。

 アメリカと日本は普遍的価値観上は中国と対立関係にあるが、経済的には深い関係にある。安全保障面ではアメリカの場合は米軍が中国軍と交流を持ち、不測の軍事的衝突を回避する緩衝材としている。

 だとすると、安倍晋三提唱の米国とオーストラリアとインドを結んで安全保障の協力関係の構築を狙う「安全保障ダイヤモンド構想」やインドとの「特別な戦略的グローバル・パートナーシップ」に基づき両国関係の強化をベースとした対中包囲網の狙いは中国に向けて絶対的な力学を持つわけではなく、ときには弱められ、あるいは無力となる相対的な力学を受けることになる。

 この相対的な力学はそれぞれの国が中国と何らかの関係を築いている以上、避けることのできない当然の働きとしてある。 

 だが、安倍晋三の中国をすっぽりと抜かした、これまでの49か国訪問、200回の首脳会談には外交関係に於けるこの相対的な力学を視野に入れた動きには見えない。

 今年11月の北京で開催のでAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議に合わせて日中首脳会談実現を模索しているが、「安全保障ダイヤモンド構想」を提唱した後の、あるいはインドのとの間で「特別な戦略的グローバル・パートナーシップ」の関係に持って行こうと取り決めた後の、さらには中国と関係の深い各国を回って、それらの国と中国との関係にクサビを打ち込むべく謀った後の模索という形を取ることからも、外交関係に於ける相対的な力学を視野に入れた動きには見えない。

 相対的な力学を避けることができない以上、対中包囲網の外交よりも、その力学を十二分に考慮した、中国との関係をも要視する外交が必要だということであるはずだ。

 どう見ても、安倍外交よりもインド外交の方が遥かに利口に見える。

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9月14日放送『たかじん』での田嶋陽子の集団的自衛権行使の危険性指摘に竹田恒泰も加藤清隆も無様に沈黙

2014-09-16 09:18:35 | Weblog


 9月14日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』は「あなたは辛抱できるかSP 」と銘打って、「消費税10%について」、「普天間基地移設問題」、「日中首脳会談について」等を取り上げて、パネラーに辛抱できるかどうかを聞いていた。

 その一つが、「過激派組織『イスラム国』の勢力拡大に辛抱できますか』」であった。

 山口もえ「辛抱できない 理由―何が大切か見失っている」

 田嶋陽子「辛抱できない 理由―アメリカ一辺倒では危険」

 長谷川幸洋「辛抱できない 理由―広がったら、次に何が起きるか」

 ざこば「辛抱できない 理由―分からない」

 津川雅彦「辛抱できない 理由―残虐非道」

 金美齢「辛抱できない 理由―ルールと秩序を守らない相手とは付き合えない」

 加藤清隆「辛抱できない 理由―独裁でしか治められない国もあるのに」

 加藤清隆の「独裁でしか治められない国もあるのに」という理由は、かつてのサダム・フセインのイラクを取り上げ、アメリカがフセインを倒して民主主義になっかというと、過激派が勢力を伸長して内乱状態となった。強制力(=独裁)でなければ治められない国もあるということをどこかで認めざるを得ないのではないかと、独裁体制容認論を掲げもので、そこには独裁体制を容認しない立場を咎める意味を込めている。

 津川雅彦「アメリカやイギリスからイスラム国に入る兵隊が多いのがどういうことなのか、これは宗教的に同意するからなのか」

 辛坊治郎「経済的問題ですね」

 長谷川幸洋「欧米と言えども、中には国の体制にどうしても我慢できない層というのがやっぱりいて、それが宗教的に結びついたのか、それとも単なる、要するに世界を破壊してみたいということで行っているのか。

 そこは何とも分からないのですけども、でも、この間、アメリカ人ジャーナリストを殺害したのは英国人じゃないのか。英語の発音から、どうやら。アメリカ本土でもリクルート活動があるって言われていて。

 これはね、どういうふうに広がってきて、今までのテロ集団の動きと違ってきたなあ。アメリカ自身が一つ段々戦闘に巻き込まれているというのが凄く心配です。

 最初は山の頂きに追い詰められた約4万人という、いわゆる異教徒の人たちを救うこと。それから、アメリカの基地があるので、そこに、要するに米国人の生命と安全の確保、そういうことで始まったのに段々、今度、イスラム国自体を対象とするように空爆を広げつつある。段々こちらの、何か後戻りできないところになりつつあるんじゃないかなあ」

 自由と基本的人権が保障されているにも関わらず、欧米人がそれらが保障されているとは思えないイスラム国に参加する。かつて「北朝鮮は地上の楽園」だとする謳い文句に踊らされて、在日朝鮮人が日本人の伴侶を伴うなどして続々と北朝鮮に帰還した。

 「地上の楽園」とは自身が十全に活躍できる世界を意味する。それぞれが自分なりの「地上の楽園」を胸にいだいて北朝鮮に渡っていったはずだ。

 麻原彰晃が支配者として君臨していた当時のオウム真理教は信者勧誘の謳い文句を「本当の自分探し」としていたという。本当の自分を探すことができる空間とは、自身にとって完璧なまでに自己実現可能な、矛盾のない理想の世界を意味することになる。

 いわば現実世界に於ける自分は逆の状態にあったからこそ、その逆転を願い、逆転の保障に誘惑されることになる。新しい世界で少しでも活躍の機会を与えられたなら、自身を生き生きとさせることができるだろうと。

 田嶋陽子「この人たちは元はアメリカ人の牢屋にいたんですって。アメリカがこのイラクを征服していたって言うか、そこで戦っていたから、アメリカの牢屋に10年とか長い間いる間にアメリカの遣り方をみんな学んだんですね。だから、アルカイダをつくったのがアメリカと同じように、このイスラム国の人たちもアメリカがつくったんだと、そういう意見の人たちもいますね。

 だから、アメリカが戦っても、なかなか、うーん――」

 辛坊治郎「アメリカ一辺倒では危険とはどういう意味ですか」

 田嶋陽子「これはですね、今度日本でも集団的自衛権行使になるとしたら、中東では日本は非常に評判が良くて、日本人は大事にされている。一人殺された香田(証生)さんがいますけど、普通には中東では日本人は大事にされているけども、今度アメリカについていくとなったら、この人たちはみんなアメリカを敵視していていますから、日本人でも、ああいいうオレンジの服を着て、ああいう目に遭う人たちが出てきても不思議ではないということです。

 集団的自衛権行使ならね。

 (俯き、極く小声になって消え入りそうに)そういうふうに考えています」

 辛坊治郎「ど、どうしてそんなに声が小さいんです?」

 田嶋陽子「いつもここまで来ると、みんなギャッーって言うのに、今日は何にも言わないから」

 森若佐紀子アナ「周りの方がもっと――」

 田嶋陽子「凄いじゃない、いつも集中砲火が――」

 辛坊治郎「集中砲火してくんないと、大きな声が出ないって言うことですか」

 田嶋陽子「そうじゃないけど、嬉しいんですけど、どうしたのかしら、みんな。疲れたのかしら、お腹が空いたのかしら」(以下省略)

 大体が番組自体が保守の立場を取る関係からだろう、保守系のパネラーの出演が支配的であるが、多分、保守ばかりのパネラーだと意見の一致ばかり見て議論が盛り上がらない恐れから、反対の立場の田嶋陽子を加えて番組を面白くしようとしているのではないかと思うが、従軍慰安婦の問題でも、歴史認識の問題でも、安全保障の問題でも、田嶋陽子がリベラルな立場から持論を主張すると、他のパネラーから一斉に反論を喰らう。それがときには集中砲火の形を取ることがある。

 だが、今回の田嶋陽子の、集団的自衛権行使によって中東でアメリカ軍と行動を共にした場合、これまで中東諸国から受けていた日本の評判は抹消されてアメリカと同類と見られてアメリカ敵視の巻き添えを喰らい、人質捕獲の対象国として日本も加えられかねないという危険性の指摘に金美齢や津川雅彦、桂ざこば、加藤清隆、長谷川幸洋の保守の面々は、集団的自衛権行使に積極的に賛成の立場なのだから、その危険性は前以て予定調和に入れていて、その場合の対処方法を示して反論すべきを、何ら反論を試みることができずに沈黙するだけの無様さを曝け出した。

 竹田恒泰は、「その通り」と、声を出して賛意を示したと言っているが、他の保守の面々と立場は変わらない以上、何ら反論を試みもせずに「その通り」だと賛意を示すのは沈黙したも同然であるばかりか、自身の集団的自衛権行使容認を否定することになり、自身の立場を裏切る無節操以外の何ものでもない。

 尤も無節操の似合う人間ではある。

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安倍晋三9月14日「日曜討論」「人家に入り子どもを攫って慰安婦にした事実は間違い」にある真っ赤なウソ

2014-09-15 09:42:12 | Weblog


 9月14日のNHK「日曜討論」は、「党首に問う いま政治がすべきことは」をテーマとしていた。その中で安倍晋三は朝日新聞の従軍慰安婦に関わる誤報に関して次のように発言している。

 安倍晋三「日本兵が人さらいのように人の家に入っていき、子どもをさらって慰安婦にしたという記事を見れば、皆、怒る。間違っていたというファクトを、朝日新聞自体がもっと努力して伝える必要もある。それを韓国との関係改善に生かしていくことができればいいし、いかに事実でないことを国際的に明らかにするかを我々もよく考えなければいけない」(NHK NEWS WEB)――

 当ブログに何度か書いてきたことだが、日本占領下のインドネシアでインドネシア人の14、5歳の少女たち10人程が家の前で遊んでいたところ、日本軍のトラックがやってきて、銃を持った8人程の日本軍兵士が彼女たちを力ずくでトラックの荷台に乗せ、連れ去っていき、強制的に売春させた証言は人家に直接入り込まなくても、家の前からの拉致である以上、家に入り込んだに等しい暴力行為であるはずだし、「さらって慰安婦にした」という点では何ら変わりはない。

 もし安倍晋三が家の前と家の中を区別して家の前の行為は人さらいではないとするなら、北朝鮮に拉致された日本人は北朝鮮の工作員が家の中にまで入り込んで拉致したわけではなく、道を歩いている途中とか公園で休んでいるところを拉致していることから、拉致の部類に入らないことになって、矛盾が生じる。

 「人の家に入っていき、子どもをさらって慰安婦にした」例は、同じ日本軍占領下のインドネシアでそれまでインドネシアを植民地としていた宗主国オランダの民間人収容所に日本軍兵士が複数して入り込み、未成年者を含む若い女性を軍の威嚇の下連れ去った事実は、それが収容所であったとしても、生活の場としていたのだから、人家に等しい空間を構成していたとすることができ、「人の家に入っていき、子どもをさらって慰安婦にした」例に挙げることができる。

 安倍晋三やその他は従軍慰安婦強制連行否定の根拠に「政府発見資料の中に軍や官憲による強制連行を直接示す記述がない」ことに置いているが、2014年9月6日の当ブログ記事――《安倍政権の「河野談話」作成過程と同じ構造を取った従軍慰安婦強制性否定とその検証に見るインチキの数々 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈オランダ人女性強制連行は戦後現地で開催したオランダ軍によるバタビア臨時軍法会議(1948年)の裁判記録に残されているし、オランダ人女性やインドネシア人女性の証言が残されている。〉と書いたが、インターネットで慰安婦関連の記事を探していたところ、辻元清美がバタビア臨時軍法会議の裁判官と証人のオランダ人女性との遣り取りを取り上げて、強制連行と認めるかどうか安倍内閣に対して提出した質問主意書を偶然見つけた。

 上記NHK「日曜討論」での安倍晋三の「日本兵が人さらいのように人の家に入っていき」云々はこの質問書に対して閣議決定して発行される安倍内閣の答弁書を自分から真っ赤ななウソとする発言となる。

 「質問主意書」を要約してみる。日付のその他の漢数字は算用数字に改め、重要と思われる個所は文飾を施した。   

 質問主意。

 「『バタビア臨時軍法会議の証拠資料』についての安倍首相の認識」 

 提出日 平成25年5月16日

 提出者  辻元清美

 先ず安倍晋三の例の如くの歴史認識発言を取り上げている。

 安倍晋三「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」(2007年3月1日対記者団発言)

 安倍晋三「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性はなかった」(2007年3月5日参議院予算委員会)

 2007年3月8日辻元清美提出の「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する質問主意書」に対する第1次安倍内閣の答弁書。

 安倍内閣答弁書「同日(1993年8月4日)の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」

 以下の遣り取りはオランダ政府戦争犯罪調査局の作成を経てバタビア臨時軍法会議に証拠資料として提出・採用された資料から取り上げている。理解の便宜上、「問」とあるのを「質問者」に、「答」とあるのを「オランダ人女性証人」(当時48歳)に代えた。「[・・・]」とあるのは、黒塗りの方法なのか、名前が伏せてある個所。読みやすいように、適当なところで改行を施した。

 質問者「日本人がムンティランの抑留所にいた女性や少女達を、売春をさせるために強制的に連行したということについてあなたはどういうことを知っていますか?」

 オランダ人女性証人「(略)43年12月のある朝のこと{12月のはじめ頃}、抑留所の運営委員会の委員である[・・・]夫人と、[・・・]夫人と、私達の事務所にいた時、数名の日本人と会ってくれとの連絡がありました。私達の抑留所の所長は、[・・・]と名乗るマゲランの州長官だと自己紹介した日本人と一緒でした。

 他にも数人の日本人がいました。後で分かったのですが、一人は[・・・]という憲兵、もう一人は[・・・]という民間人でした。

 (略)事務所へ戻ると、書き付けた名前を全部タイプし、その名簿に、抑留所内にいる17歳以上の女性達の名前も全部足すように言われました。

 (略)それから10日ぐらいしてから、ミアサキ(原文:Miasaki、抹消漏れ)が、何人かの私達の見知らない日本人を伴ってやって来て、会合をしていた私達の委員会に対して、例の名簿をもとに少女達に事務所の前に出て来るように手配するようマレー語で言い付けました。

 (略)日本人達と[・・・]は彼女らを目で検査し、仕事をしたいかどうかを彼女らに彼が尋ねたように記憶しています。これにはだれ一人返答しませんでした。(略)44年1月25日{こ{ここで証人は彼女の日記を覗く}、三人の見慣れない日本人が抑留所に来ました。(略)私達委員が礼拝堂に入った時には、もう40人ぐらいの夫人達や母親同伴の少女達が来ていました。私達は激しく抗議しましたが、[・・・]は、私を[・・・]博士と一緒に礼拝堂の外に追い出しました。

 (略)私は少女[・・・]が行かなければならなくなって気が狂ったように泣くのを目撃しました。彼女は間違いなく、いやいや行かされたと私は思います。

 日本人達は、私達委員にこれ以上立ち入らせないようにし、選ばれた夫人や少女達には、出発の準備をするよう直接に指示しました。彼女らが私に知らせてくれたところによりますと、半時間で身支度をしなければならなかったそうです。その間に、私達委員は、抑留所の女性達全員に、一緒に門のところに集まって抗議し、できることならば連行を止めさせるように指示しました。日本人達が礼拝堂から出て来て、門へ向かった時、私達は一斉に「いやだー!(原文インドネシア語〝Tidamaoe!〟)」と叫びました。

 日本側はこれに激怒して、長い竹と抜き身のサーベルで武装した警官隊に集まった女性達を追い散らすよう命令しました。

 これに応じて警官[・・・]は突進しました。これは私も目撃し、彼から竹の棒で一つ殴られました。
(略)」

 質問者「少女達を連行した際、強制だったと思いますか?」

 オランダ人女性証人「はい。私達の抗議、女性達の抗議、また集まっていた者たちを力づくで追っ払ったことなどからそれは分かると思います」

 質問者「日本人は、少女達を連行した目的について何も話しませんでしたか?」

 オランダ人女性証人「はい、そういうことはありませんでした。ただ、礼拝堂の中で、日本人のために働きたいか、と母親達が尋ねられただけです」

 質問者「完全に自分の意志に反して連れて行かれた少女は誰と誰でしたか?」

 オランダ人女性証人「[・・・]、[・・・]、[・・・]、[・・・]、[・・・]でした。(略)」

 質問者「日本人の特徴を言ってもらえますか?」

 オランダ人女性証人「:[・・・]はきちんとした人、という印象でした。マゲランの州長官でしたから、簡単に見つかるはずです。

 [・・・]は憲兵で、抑留所の監督を任せられていました。このイセキ(原文:Iseki、抹消漏れ)については、私は当時既に、{記録保存係の?}デブール氏の目の前で私にひどい扱いをしたことに関して苦情書を提出してあります。写真があれば見分けられます。(略)」(以上)

 以下、辻元清美の質問。

 一 《オランダ政府戦争犯罪調査局が作成を経てバタビア臨時軍法会議に証拠資料として提出・採用された上記資料に対する政府の認識》について

 1 2007年4月10日辻元清美提出提出の「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する再質問主意書」に対する2007年4月20日の政府答弁書で、バタビア臨時軍法会議については「我が国は、平和条約第11条により、連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」と答弁しているが、その異議なしはバタビア臨時軍法会議に証拠資料として提出・採用された上記資料についても適用させていて、その内容に異議がないことを認めるか。

 2 オランダ人女性証人の「一人は[・・・]という憲兵」という発言と「[・・・]は憲兵で、抑留所の監督を任せられていました。」という発言は日本軍の憲兵が女性を集める指示に直接的に関与していたことを示しており、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」であると考えるか。政府の見解を示されたい。

 3 オランダ人女性証人の「私は少女[・・・]が行かなければならなくなって気が狂ったように泣くのを目撃しました。彼女は間違いなく、いやいや行かされたと私は思います」という発言と、質問者の「少女達を連行した際、強制だったと思いますか?」という質問に対するのオランダ人女性証人の「はい。私達の抗議、女性達の抗議、また集まっていた者たちを力づくで追っ払ったことなどからそれは分かると思います」という発言、さらに質問者の「完全に自分の意志に反して連れて行かれた少女は誰と誰でしたか?」という問いに対するオランダ人女性証人の「[・・・]、[・・・]、[・・・]、[・・・]、[・・・]でした」という証言は女性がその意志に反して強制的に連行されたことを示しており、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」であると考えるか。政府の見解を示されたい。

 4 政府は、総じて当該資料は「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」資料であるという認識か。

 二 《当該資料に対する安倍首相の認識》について

 1 安倍首相は、オランダ人女性証人の「一人は[・・・]という憲兵」という証言、「[・・・]は憲兵で、抑留所の監督を任せられていました。」という証言は女性がその意志に反して強制的に連行されたことを示しており、「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性」を示したものであると考えるか。

 2 安倍首相は、上記資料に於けるオランダ人女性証人の「私は少女[・・・]が行かなければならなくなって気が狂ったように泣くのを目撃しました。彼女は間違いなく、いやいや行かされたと私は思います」という発言、質問者の「少女達を連行した際、強制だったと思いますか?」の質問に対してオランダ人女性証人が答えた「はい。私達の抗議、女性達の抗議、また集まっていた者たちを力づくで追っ払ったことなどからそれは分かると思います」とする証言は女性がその意志に反して強制的に連行されたことを示しており、「官憲が家に乗り込んで人さらいのように連れて行くような強制性」を示したものであると考えるか。

 3 安倍首相は、総じて上記資料は「当初、定義されていた強制性を裏付けるもの」であるという認識か。

 辻元清美の質問書に対する安倍内閣の答弁。

 〈一及び二について

 お尋ねについては、先の答弁書(平成19年6月5日内閣衆質166第266号)一及び二についてでお答えしたとおりである。〉――

 味も素っ気もないものとなっている。

 平成19年6月5日内閣衆質166第266号の答弁書の内容は次のとおりである。

 〈連合国戦争犯罪法廷に対しては、御指摘の資料も含め、関係国から様々な資料が証拠として提出されたものと承知しているが、いずれにせよ、オランダ出身の慰安婦を含め、慰安婦問題に関する政府の基本的立場は、平成5年8月4日の内閣官房長官談話のとおりである。〉

 〈連合国戦争犯罪法廷の裁判については、御指摘のようなものも含め、法的な諸問題に関して様々な議論があることは承知しているが、いずれにせよ、我が国は、日本国との平和条約(昭和27年条約第5号)第11条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない。〉――

 2007年4月10日辻元清美提出提出の「安倍首相の『慰安婦』問題への認識に関する再質問主意書」もオランダ人慰安婦を扱っていて、そのときの政府答弁書と似た内容となっている。

 安倍晋三は狡猾にもオランダ人女性証人の証言に対する自身の解釈を回避しているが、〈同裁判について異議を述べる立場にはない〉と言うことは、バタビア臨時軍法会議に証拠採用されたオランダ人女性証人の証言に関しても、少なくとも公には、つまり新聞やテレビで、あるいはマスコミ記者に向かって、更には講演などで異議申し立てすることはできないことになる。
 
 勿論、高市早苗や稲田朋美などの右翼お友だちが集った私的な場所では、「あんな証言はデタラメだ、デッチ上げだ」と言うことはできる。

 だが、軍が持つ威嚇性を利用して「日本兵が人さらいのように人の家に入っていき、子どもをさらって慰安婦にした」という事実はバタビア臨時軍法会議が証明している事実でもあり、公の場所ではどのような異議申し立てもすることはできないはずだが、NHK『日曜討論」という公中の公な場所で閣議決定した政府答弁書に反して、軍によるその強制連行を否定する異議申立てをした。

 このことは閣議決定の政府答弁書を真っ赤なウソとする行為に他ならない。首相である以上、自分から主体的に決定したであろう閣議決定を自身の歴史認識を押し通すために自分から真っ赤なウソとする。

 閣議決定を何と心得ているのだろうか。閣議決定の私物化としか言い様がない。

 朝日の「吉田証言」が誤報であったとしても、強制連行され、強制売春を強いられた従軍慰安婦が多々存在したとする朝日新聞の歴史認識と安倍晋三のそれを否定する歴史認識をどちらが正当性があるかと軍配を上げるとしたら、バタビア臨時軍法会議が採用した証拠やインドネシア人、その他の元従軍慰安婦の証言から、前者に上げる以外にない。

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安倍晋三の「WAW! Tokyo 2014」での「女性が輝く社会」は日本を超えて世界に広げた大風呂敷

2014-09-14 09:24:00 | Weblog

  
 安倍晋三が9月13日、東京開催の「女性が輝く社会に向けた国際シンポジウム」でスピーチを行った。英語名は「World Assembly for Women in Tokyo」だそうで、略称「WAW! Tokyo 2014」だそうだ。私と同じ英語オンチの人のためにも辞書を調べたところ、「 Assembly」は「会議、議会」の意味で「World Assembly」は世界会議ということになる。

 日本では横文字と英会話力の関係は比例していない。このいびつな関係が安倍晋三のスピーからも窺うことができた。

 「女性の活躍」とか、「女性の社会参加」といったマスコミ報道となると決まってのように参考に供せられる「管理職女性比率の国際比較」は2012年調査で韓国の11.0とほぼ並んで日本11.1、第1位フィリピン47.6、第2位アメリカの43.6の4分の1程度、先進国中最下位となっている。

 マレーシアが先進国と言えるのかどうか分からないが、その21.5の半分以下である。

 また、「NHK NEWS WEB」が9月12日(2014年)の報道で、安倍晋三のこの会議でのスピーチに関連させて日本が男女の格差の点で順位を下げたことを伝えている。

 世界の政治や経済界のリーダーが集まる「ダボス会議」の主催で知られるスイスの研究機関「世界経済フォーラム」の2013年調査だそうだ。

 調査対象136カ国中日本は名誉の105位。3年連続の順位低下。

 日本に対する評価。

 教育・健康面で男女間格差は殆どなし。

 経済や政治の分野に於ける賃金、管理職への登用の機会、閣僚起用の機会の点で男女間格差が大きい。

 記事は今年2014年のOECD=経済協力開発機構の「雇用に関する報告書」も伝えている。

 男性の正規雇用割合が多いのに対して逆に女性の非正規雇用割合が多い男女間格差を指摘、女性の雇用条件を改善すべきだと提言しているという。

 この程度の日本の女性の活躍しか、あるいは女性の社会参加しか許されていない日本では男性中心が現状であることを前提にして安倍晋三のスピーを聞かなければならない。スピーチ全文は「WAW!Tokyo 2014 ハイレベル・ラウンドテーブル」 安倍晋三首相スピーチ」を見て頂くとして、日本の現状を超えて世界に大風呂敷を広げているに過ぎないと窺うことのできる文言のみを拾い上げてみる。  

 安倍晋三「女性が輝く社会を作る。ちょうど1年前、国連総会の場で、私はそうお約束をいたしました。この「WAW!」は、そのお約束を実現するための第一歩です。

 日本は約束を守り、行動する国です。女性が置かれている状況は国によって様々だと思います。しかし、今日、ここに集う皆さんは、女性にとって、未来をもっと明るくしたいという共通の思いを抱いておられるはずです。この場を、知恵を共有し、解決策を見出すスタートとしていきたいと思います。

     ――中略――

 世界を見渡すと、女性に生まれたというだけで、自立する機会を奪われ、医療ケアや教育など基本的なサービスを受けられない、という悲しい状況が未だに見られます。また、紛争下では、女性の名誉と尊厳が深く傷つけられた歴史があります。

 深刻な反省のもとに、21世紀こそ女性に対する人権の侵害のない世界にしていく。この決意を皆さんと共有したいと思います」

 安倍晋三は「日本は約束を守り、行動する国」だと宣言した。では、どのように約束を守り、行動しようとしているのか、スピーチから見ていかなければならない。

 「21世紀こそ女性に対する人権の侵害のない世界にしていく」という言葉から見て取ることのできる約束と行動は男性主導意識満々の“女性が輝く社会”以外の何ものでもないはずだ。

 女性と平等に肩を並べた男女共導による「女性に対する人権の侵害のない世界」を目指すとするなら、「世界にしていく」という言葉は使わずに、「世界を共に築いていく」といった言葉を使ったはずだ。

 「~にしていく」という言葉は自身(=男性)を主体に位置づけた言葉だからだ。

 安倍晋三「パキスタンの農村に、10歳から12歳の女子の就学率が1割にも満たない地域がありました。我が国の支援で、女子学校などの整備を行い、女子学生が学校に通いやすい環境づくりを進めています」

 安倍晋三「今年の1月、私はコートジボワールで女性向けの職業訓練施設を訪問しました。日本から贈られたミシンで、裁縫を学び、華やかな色の洋服やカバンを作っていました。誇らしげに完成した作品を見せてくれたキラキラした瞳と笑顔が今でも忘れることができません。

 ケニアでは、スラムのお母さんたちが作るフェルトのぬいぐるみが大ヒット商品になっているそうです。若くしてシングルマザーになる例も多い。日本の女性、菊本照子さんは、職業訓練工房を立ち上げ、ぬいぐるみ作りを教え始めました。今はお母さんたちが自ら材料を購入し、帳簿付けまで行っているということです。デザインにも斬新なアイデアが生まれているそうです。

 世界の女性が技術を習得し、そしてそれを生かして家計を助け経済的に自立するお手伝いをする。我が国は、女性の皆さんの挑戦を引き続き世界のあちこちで応援していきたいと思います」――

 発展途上国への支援は確かに必要であり、先進国はその義務と責任を負っている。先進国は貧しい国からの一種の搾取で富を成り立たせてきているからだ。安い人件費を利用して安価な製品を作り、それを世界で売り捌いて、安い人件費と製造にかけたカネに倍する利益を上げる構造を取っている。

 だが、女性の自立と社会参加――女性の社会の活躍という点で日本は範を垂れなければならない。範を垂れることができないまま、金銭的支援をして女性の自立や社会参加を言うのは自分たちができないことをカネだけ出すことで、さも日本では女性の自立も女性の社会参加も問題ないと見せかける詐術を併行させていることになる。

 実際、安倍晋三の何々をしていく、あれもしました、これもしたといった約束と行動満載のスピーチからは日本の男女間格差も、世界と比較した男女間格差も何ら存在しないかのようだ。

 範を垂れることができて初めて、女性の自立や女性の社会的活躍に関して海外に移行できる文化や形態を持つことになって、単にカネを出すということで終わらずに、出したカネに幾重ものプラスアルファの説得力を持たせることができるし、目的に実効性を備えさせることも可能となる。

 だが、現実の日本は女性の自立にしても、社会参加にしても、とてもとても範を垂れることはできない貧弱な状況にある。

 にも関わらず、安倍晋三はこのことを無視して世界に向けて女性の自立と社会参加を説く。海外の女性の自立と社会参加のためにカネを出した、これをしたと広言している。

 世界に範を垂れることができるように先ずは日本で女性の自立と社会参加を確立すべきを確立しないままに世界に向けて女性の自立と社会参加を言うのは、まさに日本を超えて世界に大風呂敷を広げたに等しい。

 日本で確立できていない以上、カネを出すことが海外の女性の収入の増加には役立っても、単にそれだけのことで終わって、安価な労働力としての価値は維持できるものの、女性の自立や社会参加にまで発展しない金権外交ということになる。

 このことは生活はそれ相応に成り立たせることができていることに反した日本の女性の自立と社会参加の現況が証明している。

 かつて日本は海外に会社や工場を設立するとき、トップや上層部をいつまでも日本人で占め続けた。いわば日本人は現地人を労働力としての価値しか認めなかった。

 このことに反して欧米の企業はトップや幹部にまで現地人を就けた。労働力に限定する価値を超えた採用方法を採った。このことが現地の人間にとって会社経営のノウハウを学ぶことに非常に役立ったはずだ。結果、国の発展につながっていく。

 いわば欧米各国は本国経営の企業で採用しているのが外国人であっても、能力が優秀であるなら幹部やトップに採用する経営形態・経営文化を確立していたから、海外設立の会社や工場にも現地人をトップや幹部に採用する経営形態・経営文化を移行させることができた。

 繰返しになるが、日本が女性の自立と社会参加を確立しないままに海外にカネだけ出しても、女性の自立と社会参加に関わる移行できる文化も形態も持たないから、カネを出すだけで終わるだろうということである。

 まさに大風呂敷を広げただけの安倍晋三のスピーチだった。

 この記事の冒頭、〈日本では横文字と英会話力の関係は比例していない。このいびつな関係が安倍晋三のスピーからも窺うことができた。〉と書いたのは、国内に於ける女性の自立や社会参加の貧弱な状況を正直に反映させていない、女性の自立と社会参加にさも力があるかのように見せかけた国外向けの情報発信が、横文字と英会話力の関係でのいびつさをそのまま反映させているように思えたからである。

 安倍晋三はスピーチの最後を「Thank you very much」と英語で締めくくったが、スピーチの中身の空疎さと比較すると、何となく象徴的である。

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安倍晋三が傷つけられたとする「日本の名誉」は日本軍の従軍慰安婦強制連行の事実に関して一切存在せず

2014-09-13 08:27:30 | Weblog



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       9月14日(日) 小沢一郎代表 NHK『日曜討論』出演案内

       日 時:平成26年9月14日(日)9:00~10:50
 
       内 容:各党党首へインタビュー
       ○第2次安倍改造内閣にどう向き合うか
       ○内政・外交の重要課題について
       ○臨時国会・今後の政局にどう臨むか

 ――朝日新聞の「吉田証言」に基づいた報道は誤報だったとしても、従軍慰安婦強制連行に関わる報道の全てが誤報なのか――

 朝日新聞が従軍慰安婦報道を、日本軍が韓国女性を暴力的に強制連行して従軍慰安婦に仕立てたとするいわゆる「吉田証言」に基いて報道、「吉田証言」が歴史的事実に反することが判明して、その報道の一部について約30年余ぶりに誤報だったと取り消し、謝罪した。

 この件について安倍晋三が9月11日(2014年)ニッポン放送のラジオ番組に出演、物申したという。《首相 朝日新聞記事で日本の名誉傷ついた》NHK NEWS WEB/2014年9月11日 18時43分)

 安倍晋三「個別の報道機関の報道内容の是非に関してコメントすべきではないと思うが、例えば慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実と言っていいと思う。

 一般論として申し上げれば、報道は国内外に大きな影響を与え、時としてわが国の名誉を傷つけることがある。そういうことも十分に認識しながら、責任ある態度で正確で信用性の高い報道が求められているのではないかと思う」――

 「河野談話」の作成過程検証を行いながら、そのことだけに限って慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討を行わなかったのは、決してフェアな態度とは言えない。後者こそが肝心な問題となっているからだ。

 確かに朝日新聞の「吉田証言」に基づいた報道は、「誤報」と言うことができる。だから言って、従軍慰安婦強制連行に関して全てが誤報だったと切り捨てるわけにはいかない。安部政権は政府発見資料の中に軍や官憲による強制連行を直接示す記述がないことを以って強制連行否定の根拠にしているが、インドネシアやフィリピン、韓国、中国等の各国の元従軍慰安婦が日本軍による強制連行と強制売春を証言している。

 例えば日本軍によって慰安婦とされたオランダ人女性の声を伝える内容の『おられた花』(マルゲリート・ハーマー著・村岡崇光役/新教出版社)には、戦後オランダ軍の軍事法廷として開廷されたバタビア臨時軍法会議では、日本軍占領下のインドネシア中部ジャワ州の州都スマラン周辺の計4箇所の民間オランダ人抑留所からの少なくとも35人の未成年を含む若い女性が日本軍人によって強制的に連行され、強制売春を強いられたことが明らかにされたとの記述がある。

 〈抑留所から連行された女性たちはある建物に連れていかれ、日本語で書かれた書類に署名させられた。女性たちをが自由意志による志願者であることに仕立てよううというのだった。彼女たちは少人数ごとに小部屋に入れられ、そこで署名させられた。そばには日本兵が立っており、拳銃で脅されたので、署名の拒否はとうていできなかった。署名の「儀式」が終わると、彼女たちはいくつかの売春宿に連れていかれ、日本名をつけられた。〉――

 強制連行から強制売春に従事させるまでのこういった経緯をどのような文書に記録として残すというのだろうか。

 この未成年を含む若い女性の年齢は17歳から28歳だと「Wikipedia」が解説している。

 明治29年4月27日施行の日本の民法は第4条で、〈年齢20歳をもって、成年とする〉と規定している。この規定は戦争中も今日に至っても変わっていない。日本軍は未成年略取まで行っていたのである。軍の記録に克明に残すことができるだろうか。

 このような日本軍人に名誉も品位も元々存在しなかった。このことは韓国や台湾、フィリッピン、その他で女性の強制連行に関わった日本軍人全てに当てはめることができるはずだ。

 2014年1月5日の当ブログ――《日本軍は戦時中のインドネシアで未成年者略取及び誘拐の罪を犯して従軍慰安婦狩りしていた - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》『日本軍に棄てられた少女たち ―インドネシアの慰安婦悲話―』(プラムディヤ・アナンタ・トゥール著・コモンズ)を参考にして書いた、そのほんの一例を改めてここに書き出してみる。

 ミンチェ(略取・誘拐された当時14歳)「たとえ相手がどんなに謝罪しても、私を強姦した相手を決して許すことはできません。私はそのとき、『許してほしい、家に返してほしい』と相手の足にすがりつき、足に口づけしてまでお願いをしたのに、その日本兵は私を蹴飛ばしたのです。

 日本兵は突然、大きなトラックでやって来ました。私たちが家の前でケンバ(石を使った子供の遊び)をしているときです。私は14歳でした。(スラウェシ島の)バニュキという村です。日本兵は首のところに日除けのついた帽子をかぶっていました。兵隊たちが飛び降りてくるので、何が起きたのかとびっくりして見ていると、いきなり私たちを捕まえて、トラックの中に放り込むのです。

 一緒にいたのは10人くらいで、みんなトラックに乗せられました。私は大声で泣き叫んで母親を呼ぶと、母が家から飛び出してきて私を取り返そうとしました。しかし日本兵はそれを許しません。すがる母親を銃で殴り、母はよろめいて後ろに下がりました。それを見てトラックから飛び降りて母のところに駆け寄ろうとした私も、銃で殴られたのです。

 トラックに日本兵は8人ぐらい乗っていて、みんな銃を持っていました。トラックの中には既に女の子たちが10人ほど乗せられていて、私たちを入れると20人。みんな泣いていました。本当に辛く、悲しかったのです。そのときの私の気持がどんなものか、わかりますか。思い出すと今も気が狂いそうです。

 ソレカラ、センカンという村に連れて行かれました。タナ・ブギスというところがあります。でも、どのように行ったのかは、トラックに幌がかけていたのでわかりません。着くと部屋に入れられました。木造の高床式の家です。全部で20部屋ありました。周囲の様子は、日本兵が警備していたので、まったく分かりません。捕まった翌日に兵隊たちがやってきて、強姦されました。続けて何人もの兵隊が・・・・・。

 本当に死んだほうがましだと思いました。でも、神様がまだ死ぬことを許してくれなかったのでしょう。だから、こうして生きています。ほぼ6カ月間、私はそこにいました。

 一人が終わったら、また次の日本人がやってくる。どう思いますか。ちょうど15歳になろうとしていたところで、初めてのときはまだ初潮を迎えていなかったのです。そこには日本人の医者(軍医)がいて、検査をしていて、何かあると薬をくれました。料理も日本兵がやっていました。インドネシア人が入って料理をすることは許されません。私たちと会話することを恐れていたのでしょう。部屋にはベッドなんてありません。板の上にマットを敷いていました。あるのはシーツだけです。

 私は日本兵が他の女性と話している隙を見て、裏から逃げ出しました。このまま日本兵に侵され続けるくらいなら、捕まってもいいから逃げようと思ったのです。私自身が過ちを犯したわけではありません。〈神様どうか私を助けてください〉と祈り、近くの家に駆け込みました。

 『おばさん、私をここに匿(かくま)ってください』

 どうしたのかと訝(いぶか)る彼女に。すべてを話しました。

 『日本兵が怖いのです。彼らは私を強姦します。耐えられません。本当に辛いのです』

 彼女は私をかわいそうに思ってくれたのでしょう。『どこに帰るのか』と聞かれたので、『マカッサルへ帰りたい』と言いました。たまたま彼女の息子がトラックの運転手をしていて、彼女に男性の服を着せてもらい、帽子もかぶって、逃げたのです。とても怖かったです。とにかく耐えられなかった。

 トラックで家まで送ってもらい、母親に再会できました。お互いに抱き合って喜んだ。彼女は私が6カ月も戻ってこないので、日本兵に連れて行かれて殺されたと思っていたようです。突然、目の前に死んだはずの私が現れて、母はとても喜んでくれましたが、他の親戚たちは私を受け入れてくれませんでした。嫌ったのです。親族の恥だと言って。

 私が日本人に強姦されたこと話を母から聞いたようです。母にどうしていたのかと尋ねられたので、(慰安所に)連れて行かれたことを話しました。それを母が親戚に話し、みんなに伝わったのです。誰一人として私を受け入れてくれませんでした。ここではこのようなことが起きれば、親戚中が恥ずかしいと感じます。死んだほうがましだと、他の人に聞いてご覧なさい。私のような人が家族にいたらどうするか。『恥だと言って殺す』と答えるでしょう。父親も受け入れてくれませんでした。

 母親だけが私を受け入れてくれました。彼女も日本兵に殴られていたからです。私が戻ったとき、母は病気でした。彼女が3カ月後に亡くなると、家を出ました。親戚の一人が、お前がここに残っていれば殺すと脅したからです。

 私はそれからずっと他人の家で皿を洗ったり洗濯をしたりして生きてきました。結婚もしていません。一人で生きてきました。最初は小学校時代の友人の家にやっかいになりました。彼女の母親が私のことを好いていてくれましたから。本当のことを話すのは恥ずかしかったので、友人には嘘をつきました。

 『私の父親が再婚して、その継母が私に辛く当たるので、一緒にいたくない。だから家を出てきたのだ』と、いつもそのように言い、家を転々としてきました。気に入られたなら、、しばらくいる。嫌われているなと思ったら、すぐに出て行く。そんな暮らしをずっと続けてきました。どれだけの家を移り歩いたのか覚えていません。この歳になるまでずって転々としているのですから。

 彼らからお金はもらっていません。だって、お手伝いとして雇われたわけではなく、私が一方的においてもらっているのですから。持ち物は、ナイロン袋に詰めた一枚のサロンと二着の服だけ。荷物と呼べるものはありません。

 私は仕事をしていなければ、あのこと(強姦)を思い出します。だから、いつも体を動かして働いているのです。あの辛さは、いまのいままで忘れたことはありません。そしていま、私の秘密を初めてここでしゃべっています。今日が最初です。他の人には恥ずかしいので話していません。でも、もうこの辛さには耐えられない。そこで私は決心したのです。これからどんどん歳をとって、しゃべれなくなっていきます。話を聞きたいという人がいたから、話すことにしました。私のつらい経験を話してもいいと思ったのです。

 あの日のことは、いつも夢に出てきます。思い出すたびに泣いています。辛い思い出は、とても忘れることはできません。もし忘れられるとしたら、お墓に入ったときでしょう。生きている間は、決して頭から離れることはない。たとえ、その兵隊が自らの行為を悔いて謝罪したとしても、私は決して許しません。本当に日本兵は残酷です。ひどい。

 いつも夢に見ます。いったい、どうしたらいいのか。いつになったら私は幸せを感じることができるのでしょうか。私はこの苦しみから抜け出したい。でも、苦しみは勝手にやってくるのです。どうすることもできません。私がこうなってのは、すべてあのことがあったから。日本兵にこんな目に遭わされなければ、苦しんでなんかいません。お金や謝罪では、消えないでしょう。わたしは、すべては神にゆだねています。人にはそれぞれの運命があります。それはどういうものかわかりません。それに、自分では好きなように変えられない。すべて神の手にゆだねられているのです。

 神が私をかわいそうに思ってくれるのか。それとも、このままの人生を送れというのか。いずれにせよ、私は祈り続けています。私も他の人たちと同じような人生が送れるようにと。

 あなた(作者)が、倒れている私を(話すことに)立ち上がらせてくれたのよ」――

 守るべき日本の名誉など、どこに存在するというのだろう。逆に糾弾して然るべき卑劣な行為の数々と言うことができる。

 2011年に大阪府の所轄署巡査長が200枚前後の下着ドロを重ね逮捕されたが、その一部をポリ袋に小分けにして、被害者の住所を記載していたというが、個人的にはそういった記録を残す例もあるだろうが、女性に対する強制連行は個々の軍人としての行為と言うよりも、軍としての行為であるから、公にはできない未公認の軍行為であることに合わせて記録も残しはしないはずだ。

 よしんば記録を残したとしても、1945年(昭和20年)8月14日の「軍其ノ他ノ保有スル軍需用保有物資資材ノ緊急処分ノ件」の閣議決定を受けて、軍人個人の日記等を含む不都合な書類の数々が処分の名を借りた焼却によって証拠隠滅されたはずだ。誰が未成年の略取・誘拐まで犯した犯罪の記録を残すだろうか。

 虚偽が事実を暴くということもある。虚偽から発して事実に辿り着くということもあるだろう。「嘘から出た実(まこと)」もこの類いであるはずだ。

 虚偽の 「吉田証言」とその証言の朝日の誤報と認めるまでの報道は、内外の多くの人間がそういう事実があると信じた。結果、日本の名誉と品位を傷つけた、どうしてくれるんだと騒いでいる。

 安倍晋三だけではなく、そのごくごく親しいお友達であるの稲田朋美自民党政調会長もその一人である。

 稲田朋美「(朝日新聞は)世界中で失われた日本の名誉と信頼を回復するための措置を講じていただきたい」(MSN産経)――
 
 だが、「吉田証言」と朝日の報道によって注目が集まり、戦前日本軍が占領した各外地で現地の未成年を含む若い女性に対する略取・誘拐同然の強制連行が行われ、従軍慰安婦に仕立てて、性奴隷とした事実が裁判によって明らかにされたことを知るようになったり、歴史発掘者によって被害を受けた女性たちの証言が多く集めらていることを知ることとなった。

 従軍慰安婦問題に関してどこに「日本の名誉と信頼」が存在したというのだろうか。存在したのは卑劣な行為のみで、それを以て「日本の名誉と信頼」とは言えない。存在したのは日本の不名誉と国家や自身の地位に対する裏切りのみである。

 安倍晋三や稲田朋美、その他は戦前日本国家を肯定したいばっかりに従軍慰安婦に関わる日本軍人の不名誉と裏切りを擁護している。事実を事実通りに認めたなら、戦前日本国家肯定の一部が大きく崩されるからだ。

 当然、安倍晋三にしても稲田朋美にしても、その他の同類は日本の名誉と信頼を口にする資格はない。資格はない者が朝日に対して「日本の名誉を傷つけられた」と言うことができるだろうか。

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安部政権の「吉田調書」等ヒアリング記録公開に見る「世界最先端IT 国家創造宣言」に反する情報オンチ

2014-09-12 09:23:10 | Weblog



 安部政権は9月11日、政府事故調査検証委員会による東電第1福島原発事故対応に関わる関係者聴取書(調書)を公開した。その中に事故対応の中心人物である吉田昌郎第1原発所長の調書も入っている。

 2000年9月21日、森喜朗首相が衆参両院本会議の所信表明演説で「e-Japan」構想を披露、その推進を力説した。

 翌年の2001年3月29日、IT戦略本部はe-Japan重点計画を公表。

 その中の〈(1)現状と課題〉で、〈IT革命を推進し、我が国を世界最先端のIT社会とするため、世界最高水準の高度情報通信ネットワークの形成を目指すこととするが、この世界最高水準とは通信の速度・容量のみで判断されるものではなく、低廉・高速・大容量のインターネットを中心とする多様なネットワーク全体を多様性・安全性・信頼性など総合的に評価した上で、世界の最先端の水準と認められるものでなければならない。〉と高らかに謳い、目標を「世界最先端のIT社会」に据えた。

 2001年4月26日発足の小泉内閣が「世界最先端のIT社会」の実現を引き継いだ。

 2003年7月4日、片山当時総務相が03年版の『情報通信に関する現状報告(情報通信白書)』を閣議に報告、了承されている。

 白書には米国が先導してきたパソコン中心の情報技術(IT)の拡大は『限界を露呈している』とする一方、日本が追いつく段階から先導役に移行しつつあり、ブロードバンド(高速・大容量通信)や第3世代携帯電話などITの先端分野で、日本が既に世界のトップ水準に達しているとの指摘がなされているという。

 2000年9月21日に森喜朗国会で「e-Japan」構想を披露してから3年も経たないうちの凄いスピードで世界一に向かっている。

 安倍内閣は昨年の2013年6 月14 日、「世界最先端IT 国家創造宣言について」を閣議決定している。 

 その宣言は「基本理念」として、「世界最高水準のIT利活用社会の実現」を掲げている。

 いわば「IT社会」は未だ途上であるということになる。

 「IT社会」とは、当たり前のことだが、情報機器の技術性、あるいは高度性や利便性といったことや、情報機器使用時の物理的環境整備といったモノの面だけを言うのではなく、情報機器を使った情報処理と処理情報の創造的活用、あるいは新しい情報(新しい言葉)の創造までを含めた活動様式の社会的定着を言うはずだ。

 そのためにはこれらのすべての面に亘って使い勝手が良くなければならない。

 だが、内閣府が公表した「吉田調書」を含めた「政府事故調査委員会ヒアリング記録」のPDF記事は紙文書を印刷する形でただ単にPDF化したもので、検索もできなければ、コピー&ペーストもできない。

 安部政権が「世界最高水準のIT利活用社会の実現」を閣議決定しながら、この使い勝手の悪さである。

 資料は膨大な量に亘る。検索もコピー&ペーストもできなければ、情報処理の段階のみで相当な時間がかかることになる。

 文科省が発行した小中学生用の「私たちの道徳」も同じである。

 「河野談話」の元となった平成5年8月4日内閣官房内閣外審議室調査・作成の「いわゆる従軍慰安婦問題について」も同様に紙文書をPDF化したもので、コピー&ペストも検索もできない状況となっている。

 文字は活字体で表現されているから、紙文書にするにはワープロかパソコンに記録されているはずである。どうしてもPDF文書で公表したいのであるなら、それがWindowsのWordで作成し、保存した文書であるなら、現在、簡単な操作でPDF化できる。PDF化すれば、そのまま検索もコピー&ペストも可能となる。

 政府公表の文書の形を取った情報全てに亘ってこの上ない使い勝手を与えないのは「世界最高水準のIT利活用社会の実現」に反する情報オンチとしか言い様がない。

 利便性ある情報活動の社会的定着も危ういし、「世界最高水準」の名が泣く。

 どうも安倍晋三には口先だけの印象しか受けない。

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右翼政治家高市早苗と稲田朋美の右翼団体代表とのツーショット写真が広げた日の丸を背景としている意味

2014-09-11 07:51:22 | Weblog


 アドルフ・ヒトラーを崇拝し、ネオナチの思想を掲げる右翼活動家「国家社会主義日本労働者党」代表山田一成氏と右翼安部政権の安倍晋三に続く右翼閣僚高市早苗と、同じく右翼政治家稲田朋美自民党政調会長それぞれがツーショットで収まっている写真がインターネット上に出回り、海外メディアも取り上げて、波紋を広げている。

 そこでチョイと「国家社会主義日本労働者党」のサイトを覗いてみた。

〈外国人犯罪糾弾〉のページに次のような主張を掲げている。

 〈似非人道主義者どもは、共産主義者や異民族を生き長らえさせるために、優秀なる日本民族を骨抜きにし、滅ぼそうとしている。しかしながら、国民生活の水準を上昇させる能力に欠けた民族が専有する土地は、我が民族の生存圏たるべきなのである。広島・長崎をこれ以上我が国に作らないためにも、我々は断固として核武装を推進し、北鮮の核開発に対する抑止力としなければならない。〉

 〈また我々は、我が国において現代における攘夷、すなわち “民族浄化” を推進しなければならない。それは、 “住み分け” の一形態に過ぎない。均質的な日本の社会を維持し、日本の単一民族国家化を維持・推進して行くのである。本来人種、民族は分離されねばならぬものなのだ。なぜ “人種のサラダボール” アメリカが犯罪大国なのか、考てみよ。それは、多民族国家、人種の坩堝たるが故である。国民の生活を守るためにも、不良外国人には出て行ってもらおうではないか。「全ての外国人が凶悪なわけではない」という者がいるが、逆にいえば「全ての外国人が善良なわけではない」ということではないか。即ち、彼らを全面的に受け入れれば、必ず国民は何らかの被害を被るわけだ。〉――

 要するに山田一成氏は日本民族優越主義者にして、それゆえに日本の単一民族国家の維持、即ち外国人排斥による民族浄化を掲げ、核武装論者でもあることが分かる。

 『国家社会主義ドイツ労働者党日本支部』の組織も運営していて、炎を背景とした巨大な赤い鉤十字を配した手前にマシンガンを何かの勝利の印のように右手で高々と持ち上げた兵士の黒い影が浮かんでいる写真が掲げてある。

 そのような人物と高市早苗、稲田朋美がそれぞれツーショット写真を撮った。ごくごく当たり前のようでもある。安倍晋三も同じような写真に収まっていたなら、なお自然に見えるに違いない。

 右翼政治家高市早苗も稲田朋美も、写真の人物がどのような氏素性なのか知らなかったと言っている。これもごく当然である。「非常に親しい仲です。人生の師とさえ仰いでいます」とは言わないだろう。

 但し戦前のような時代であったなら、得々としてその人物との近い関係を宣伝したに違いない。

 高市早苗と稲田朋美が発表したコメントを「MSN産経」が伝えている。全文を参照引用してみる。 



 《極右代表と撮影、高市総務相のコメント全文 「撮影時、どんな人物か不明だった」》MSN産経/2014.9.10 17:10)

 高市早苗総務相が、極右団体代表の男性と写真撮影をしたとの報道に関し、10日に出したコメントは次の通り。
 1、男性(※コメントでは男性の姓)とは会談どころかほとんど会話をしておりません。男性は、3年以上前だと思うが、雑誌のインタビュアーの補佐(メモを取る程度の係)として議員会館に来訪されたそうです。そのインタビューが終わった後、男性が「一緒に写真を撮りたい」とおっしゃったので、ツーショットで撮影しました。もちろんその時点では彼がそのような人物とは全く聞いておりませんでした。

 1、上記の通り、撮影時に彼がどういった人物であるか不明でした。出版社に確認したところ、彼はもともとフリーのライターをやっていたようで、たまたまインタビューの時に同行されたようです。その後、出版社と彼との契約はないようです。なお、出版社も彼がそのような思想であったことは知らなかったようです。

 1、男性との付き合いは以前も以後も全くありません。出版社がスタッフとして連れてきた方がツーショットを撮りたいとのことで、それに応じただけです。こちらとしては出版社を通じて、男性に写真の削除を依頼しております。

 2014年9月10日 高市早苗事務所 

 《極右代表と撮影、自民党の稲田政調会長のコメント全文 「素性や思想、名前、把握していない」》MSN産経/2014.9.10 17:14)
 
 自民党の稲田朋美政調会長が、極右団体代表の男性と写真撮影をしたとの報道に関し、10日に出したコメントは次の通り。

 平成26年9月10日 各位
 衆議院議員 稲田朋美

 一部報道にあるご指摘の人物は、雑誌取材の記者同行者として、一度だけ会い、その際写真撮影の求めには応じたものだと思われます。記者の同行者という以上に、その人物の所属団体を含む素性や思想はもちろん、名前も把握しておらず、それ以後何の関係もありません。
          
 
 高市早苗も稲田朋美も一緒に写真を撮った人物の素性も思想も知らなかった。ただ単に頼まれたから、一緒に写真を撮っただけだと言っている。

 但し二人共、何という名前の出版社、あるいは雑誌の、どのような内容の取材を受けたのか明らかにしていない。明らかにすることで、山田一成氏と出版社の間に関係があるのかないのかが明らかになる。

 もし山田一成氏の思想と出版社が掲げる思想に共通点があれば、高市早苗も稲田朋美も出版社と同じ思想を持った人物であることを承知してツーショットに収まったことになる。

 だが、二人共出版社、あるいは雑誌の名前も取材内容も明らかにせず、素性も思想も知ることができなかったイキサツを高市早苗は山田一成氏を「たまたまインタビューの時に同行されたようです」と言い、稲田朋美は「記者の同行者」に過ぎないと言って、直接的な関係者ではないことを理由に挙げている。

 これを一旦は事実と認めよう。

 インターネット上に出回っている高市早苗と稲田朋美の山田一成氏とのツーショット写真はどちらも日の丸を背景にしている。

 オリンピックで優勝したり2位になったりした日本人選手が日の丸を背中にかけたり、両手で広げて高々と掲げたりして観客席に近い場所やコースを走るのは色々な国の人間が混ざる中で、日本のチーム、もしくは日本のチームの一員が優勝したり2位となったことを誇らかに示すためであり、日の丸には国籍を示す以上の意味はない。その証拠に国内競技で優勝したとしても、日の丸を肩にかけて走ることはない。国籍を示す必要はないからだ。

 もしそのときの日の丸に国家の意味を持たせたなら、選手という個人を超えて、国家の優越性を示すことになり、非常に危険な思想の誇示となる。

 オリンピックは例え国別のメダル獲得数を競う競技であったとしても、国家同士が競う競技ではない。

 高市早苗の場合は、山田一成氏が彼女の左側に立ち、左手で日の丸の端を持ち上げて広げた状態にして二人の背景としている。稲田朋美の場合は山田一成氏は彼女の右側に立ち、同じく左手で日の丸を広げて、稲田朋美の背景としている。

 決して一般的な光景としてある、日の丸の旗が垂れた状態で立てかけてあるところを背景としていたわけではない。わざわざ広げて、日の丸を背景とした。その意味は大きい。

 断るまでもなく、山田一成氏が日の丸で示した意味はオリンピックのときとは大きく違っているはずだ。山田一成氏は自らの思想である日本民族優越主義、日本単一民族主義、民族浄化主義、ネオナチズム等々を凝縮させた形で日の丸に象徴させていたはずだ。

 逆説するなら、山田一成氏の日の丸は常に彼自身の思想である日本民族優越主義、日本単一民族主義、民族浄化主義、ネオナチズム等々を表現していることになる。

 高市早苗も稲田朋美も、勿論、そんなことは知らなかった。――としよう。

 だとしても、単にそこに立てかけてあった日の丸が偶然背景となったわけではない。山田一成氏はわざわざ広げて背景とした。高市早苗も稲田朋美も、このことに気づかなかったわけではあるまい。気づかなかったとしたら、余りにも鈍感ということになる。

 気づき、日の丸の背景となることを認めた結果のツーショットであるはずだ。

 当然、その日の丸に日本の国旗であるということ以上に意味を持たせていることにも気づかなければならない。一般的に言って、右翼は日の丸に肯定的な意味を持たせ、サヨクは否定的な意味を持たせる。後者は殊更に日の丸を背景とした写真は撮るまい。

 高市早苗も稲田朋美も右翼である以上、右翼という存在が日の丸にどのような肯定的な意味を持たせているか知っているはずだ。

 高市早苗にしても稲田朋美にしても、山田一成氏の素性・思想を知らなかったを事実と認めるとしても、広げた日の丸を背景とした時点で、山田一成氏の素性・思想を認識する危機管理を発動させなければならなかった。

 にも関わらず、ツーショットの写真に収まった。高市早苗も稲田朋美も、広げた日の丸を背景としたことに抵抗どころか、そのような日の丸を通して山田一成氏の思想に近親性を感じ取ったからこそ写真撮影に応じたのであり、それが二人の危機管理であったということであるはずだ。

 実際に最初から山田一成氏の素性・思想を知らなかったかどうかは不明である。だが、殊更広げた日の丸を背景としてツーショット写真を撮ることを認めた時点で、その日の丸にどのような意味を持たせていたか気づいたはずであるし、気づかなければならなかった。

 もし高市早苗と稲田朋美が二人共危機管理に長けていたなら、同じ右翼の思想の持ち主だと気づいて、例え近親性を感じたとしても、のちのちの自己保身の危機管理上、ツーショット写真は断ったろう。

 右翼の政治家であるということ以上に、愚かしい政治家である。日本の政治を任せることができるだろうか。

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