「昭和天皇実録」は当然、周囲が天皇制を国民統治装置として作り上げたことを前提に読まなければならない

2014-09-10 09:26:15 | Weblog



 宮内庁編纂の昭和天皇の活動記録「昭和天皇実録」が完成して、8月21日、天皇皇后両陛下に奉呈、9月9日から宮内庁で公開された。報道関係者には前以て公開されたのか9月9日の朝5時頃から、一斉に昭和天皇像に関わる記事を流している。

 「昭和天皇実録」にどのように昭和天皇像が描かれようとも、天皇制が国民統治装置であったことを前提に読まなければならない。

 明治22年2月11日公布の「大日本帝国憲法」は「第一章 天皇」で天皇の存在を次のように規定している。

第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス

第二條 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス

第三條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
        ・
        ・
        ・
第十一條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス――

 【総攬】(そうらん)「掌握して治めること」(「大辞林」三省堂)

 「神聖」及び「聖」という言葉は明治時代か、それに近い時代の辞書が解説する意味がより良く言い当てているのではないかと思って、たまたま所有していた大正6年刊行の大正10年増補版「大字典」(栄田猛猪〈さかえだ たけい〉編纂)から意味を取ってみた。

 【神聖】「霊妙威厳ありて、侵すべからず、汚すべからざること」

 【聖】「何事にも通ぜざる事のなき人。転じて、知徳の最もすぐるること」

 いわば神の如き聖なる存在、全知全能の絶対的存在という意味を持ち、既に神に擬せられていた。
 
 このような「神聖ニシテ侵スヘカラス」全知全能の神の如き存在として大日本帝国の統治権及び陸海軍の統帥権を国家元首である天皇が握っていると大日本帝国憲法は天皇を絶対権力者として規定している。

 絶対権力者はその権力の行使に融通無碍でなければならない。でなかったら、神聖にして侵すべからずの存在足り得ないことになる。

 そして日本の国体を明らかにするために1937年(昭和12年)年3月に文部省が刊行した、『国体の本義』は天皇を明確に神に位置づけている。

 〈かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神(あきつみかみ)であらせられる。この現御神(明神)或は現人神(あらひとがみ)と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔(神の子孫)であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあり、又第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、天皇のこの御本質を明らかにし奉つたものである。従つて天皇は、外国の君主と異なり、国家統治の必要上立てられた主権者でもなく、智力・徳望をもととして臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。

 天皇は天照大神の御子孫であり、皇祖皇宗の神裔であらせられる。天皇の御位はいかしく重いのであるが、それは天ッ神の御子孫として、この重き位に即き給ふが故である。〉――

 天皇は皇祖皇宗と一体の神の子孫であって、人間の姿を取ってこの日本に現れた存在であり、「臣民・国土」は天皇なるものから「生成発展」していて、天皇はその「本源」としての地位を占めている、そのような天皇と国民の関係によって日本の国体は成り立っているとしている。

 西洋のような「所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり」とは言っているが、「日本書紀」や「古事記」から持ってきて日本風の味付けをした絶対神・全知全能の神に擬えていることに変わりはない。
 
 かくまでも天皇は憲法上も国政上も、国民統治に関しても絶対的存在とされていた。

 だが、「天皇実録」に現れた昭和天皇像は絶対的存在とは程遠い。

 例えば昭和天皇は開戦の方針が事実上決まった昭和16年9月6日の御前会議の前日、戦争準備よりも外交による解決を優先すべきだとして閣議決定の修正を求めたことが「天皇実録」に記されているとしているが、軍部の開戦意志を止めることができなかった。

 このことは大日本帝国憲法の「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」の絶対的統治権、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の絶対的存在性、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の全軍に対する統帥権が何ら機能していないこと、権力の行使に融通無碍どころか麻痺させられていたことを示す。

 何よりも「臣民・国土の生成発展の本源」たる「現人神」としての天皇の全知全能性の非力を物語ることになる。

 〈1937年の盧溝橋事件を機に日中戦争が始まり、40年に日独伊三国軍事同盟を締結、そして41年の対米宣戦布告へと、日本は戦争への道を突き進んでいった。昭和天皇は懸念を示しながらも、この流れを受け入れていった。〉と「時事ドットコム」は記事で解説しているが、昭和天皇は三国同盟にも反対していた。

 『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』文藝春秋・07年4月特別号)の昭和14年5月9日の日記には次のような記述がある。

 〈御乗馬、御すすみあらざりしも、天気好かりしを以って遊ばしいただきたり。防共協定の問題に付、御軫念(ごしんねん・心配の意)と拝す。〉
 
 〈注〉は半藤一利氏(昭和史研究家・作家)の解説である。

 〈〈注〉このころ、昭和11年11月広田弘毅内閣のときに締結した日独防共協定を、軍事同盟にまで強化する問題をめぐって、平沼騏一郎内閣は大揉めに揉めていた。陸軍の強い賛成にたいして、海軍が頑強に反対していたのである。このため平沼首相、有田八郎外相、石渡荘太郎蔵相、板垣征四郎陸相、米内光政海相による五相会議が連日のように開かれていたが、常に物別れとなり、先行きはまったく見えなかった。〉

 〈5月12日 秩父宮殿下10時参内。(以下略)

 〈〈注〉『昭和天皇独白録』(文春文庫)にはこう書かれている。

 「それから之はこの場限りにし度いが、三国同盟に付て私は秩父宮と喧嘩をしてしまった。秩父宮はあの頃一週三回くらい私の処に来て同盟の締結を進めた。終には私はこの問題については、直接宮には答へぬと云って、突放ねて仕舞った」〉――
 
 秩父宮は日独伊三国同盟締結に賛成で、天皇を説得しようと皇居を頻繁に訪れた。対して昭和天皇は「私はこの問題については、直接宮には答へぬ」と突っぱねた。

 それ程にも昭和天皇は三国同盟締結に反対を超えて忌避していた。

 だが、天皇の意思は伝わることなく、翌年の昭和15年9月27日に日本、ドイツ、イタリアの間で三国軍事同盟は締結されることになった。

 以上のような天皇の国政や陸海軍に対する能力は『大日本帝国憲法』に規定した天皇の絶対的権力や如何なる国体であるか国民に明らかにした『国体の本義』に於ける全知全能の現人神としての天皇像から見た場合、非力を通り越して無力そのものとしか言い様がない。

 但し天皇の実態に対する情報が閉ざされていた国民は『大日本帝国憲法』の規定通りに絶対的権力を有した国家の統治者として、更には陸海軍の絶対的統帥者として、あるいは『国体の本義』が描いている「臣民・国土の生成発展の本源」たる「現人神」として昭和天皇を畏れ敬っていた。

 畏れ敬い、戦争遂行のために命を捧げようとしていた。

 この国政や陸海軍に対する無力性と国民に対する有能性の双方逆転した状況は後者を以って必要な存在性としていることを意味することで初めて、その逆転に客観的合理性を与えることができる。

 天皇なる存在は国民統治装置としてその絶対権力性や現人神としての全知全能性を纏わされていたということである。

 言葉を替えて言うと、国民統治の傀儡(操り人形)としていた。日本の権力層の政治意思が時代を超えて創り上げ、積み重ねていった結果であろう。
  
 このことを前提として『昭和天皇実録』に関わるマスコミの記事を読むと、なぜ天皇の意思に反して戦争が進めらていったかが理解できるはずだ。

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仲井真沖縄県知事の名護市議選移設反対派過半数維持に対して自身の事実だけを言う自己都合

2014-09-09 07:35:06 | Weblog


 9月7日の沖縄県名護市議選で普天間米軍飛行場の名護市辺野古への移設反対派が過半数を維持した。仲井真知事がこの結果について仲井真知事らしい発言をしている。

 《「移設容認側が伸ばした」=名護市議選で-仲井真沖縄知事》時事ドットコム/2014/09/08-10:05)

 仲井真知事(移設反対派が過半数を維持したことについて)「(移設容認の)野党側が1議席伸ばしてますから、判断の仕方はいろいろあるんじゃないですか。

 (3選を目指す11月の県知事選への影響について)名護だけが沖縄ではありませんから」――

 移設容認の「野党側が1議席伸ばしてます」は確かに厳然たる事実そのものである。だが、その事実を認めるなら、反対派が過半数を維持したことの厳然たる事実も認めなければならない。自分たちの事実だけを認めて、他の事実を認めないというのはご都合主義の事実に堕す。

 また、「名護だけが沖縄ではありません」も誰もが認める曲げようのない厳然たる事実ではある。だが、辺野古移設を容認していた仲井真知事が2010年11月28日投開票の知事選での再選に向けて辺野古移設反対を公約に掲げなければならなかったのは、再選に必要な民意を得るための重要な要素としたためであることも誰もが認める厳然たる事実であるはずだ。

 2010年5月28~30日実施の琉球新報社と毎日新聞社合同の沖縄県民世論調査は辺野古移設反対が84%に上っていた。

 沖縄世論が辺野古移設反対で沸騰していた中、知事選は当然のように普天間飛行場移設問題が最重要の争点となっていた。そのような選挙事情の中、仲井真知事が辺野古移設反対を公約に掲げて再選した事実は名護市だけではない沖縄全体の厳然たる民意として認めなければならない事実であるはずだ。

 だが、仲井真知事は沖縄全体の厳然たるこの民意を最後まで自らに対する民意としなかった。途中から、事実と異なる民意を自身に対する民意とした。

 2013年12月17日午前、首相官邸で開催された沖縄県の基地負担軽減と振興策を地元と話し合う沖縄政策協議会で仲井真知事は沖縄振興に関わる要望書を安倍晋三に手渡した。

 2013年12月25日、首相官邸で安倍・仲井真会談。会談での仲井真知事の発言。

 仲井真知事「安倍総理大臣自ら驚くべき立派な内容を提示していただき、沖縄の140万人県民が心から感謝している。お礼を申し上げたい」(NHK NEWS WEB

 2010年11月の知事選再選に向けた辺野古移設反対の公約は再選のための方便に過ぎなかったのだろう、機会を見て民意の歪曲を狙っていたはずだが、いよいよ歪曲の最後の仕上げに取り掛かる段階に来たというわけなのだろう。

 2013年12月27日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた政府の埋め立て申請を承認する。

 同12月27日記者会見。

 仲井真知事「審査の結果、現段階で取り得ると考えられる環境保全の措置などが講じられており、基準に適合していると判断し、(埋め立てを)承認することとした。(その理由について)政府から示された沖縄振興策は、県の要望に沿った内容が盛り込まれており、安倍内閣の沖縄に対する思いは、かつてのどの内閣にもまして強いと感じた。また、基地負担の軽減策でも、安倍総理大臣は沖縄の要望をすべて受け止め、交渉をまとめていくという強い姿勢を示された。

 (但し普天間移設に関しては)県外の既に飛行場のある場所へ移設する方が最も早いという私の考えは変わらない。政府は、普天間基地の危険性の除去を図るため、5年以内の運用停止の実現に向けて、今後も県外移設を検討する必要がある。

 公約を変えたつもりはない。一番重要なのは、宜野湾の街の真ん中にある危険な飛行場を街の外に出すことで、これを理解していただきたい。5年以内の運用停止に取り組むという安倍総理大臣の確約を得ている。埋め立ての承認と県外移設を求めていくことは、危険性を減らすため並行して存在しうる」(NHK NEWS WEB

 「県外の既に飛行場のある場所へ移設する方が最も早いという私の考えは変わらない」「公約を変えたつもりはない」と言っているが、これがウソっぱちなのは誰もが理解していたはずだ。

 このことは先に挙げた名護市議選辺野古移設反対派過半数維持に対する仲井真知事の発言が何よりの証拠となる。

 再掲してみる。

 仲井真知事(移設反対派が過半数を維持したことについて)「(移設容認の)野党側が1議席伸ばしてますから、判断の仕方はいろいろあるんじゃないですか。

 (3選を目指す11月の県知事選への影響について)名護だけが沖縄ではありませんから」――

 県外移設の公約に変わりがなければ、名護市議選辺野古移設反対派過半数維持は諸手を上げて喜んでいいはずだ。

 仲井真知事は一見変節漢に見えるが、辺野古移設反対の公約が再選のための方便に過ぎないなら、辺野古移設容認で節度を通したことになる。だが、辺野古移設反対を偽装した卑劣な事実に変わりはない。仲井真という男は自己都合の事実しか言わない卑劣漢という称号は与えることができる。

 自己都合しか言わないという点で、安倍晋三とベッドを共にしていると言うことができるはずだ。

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夜間・大雨下の避難しなかった場合の過去の土砂災害の事例に習うべきで、避難手段に大型バスはどうだろう

2014-09-08 09:53:28 | Weblog


 2014年8月31日放送のNHK日曜討論「災害列島ニッポン 命を守るためには」で、「広島 土砂災害 なぜ被害拡大?」を取り上げていた。2011年3月11日の東日本大震災で釜石小(岩手県釜石市)の子どもたちが全員無事だったのは防災研究者であり、群馬大教授(災害社会工学)の片田敏孝氏が行った防災教育のお陰であり、全員無事を釜石小の奇跡と言われたが、片田氏の番組内の発言が気になった。

 島田敏男司会者「今回の広島の災害の多くの被害を出した避難勧告の遅れということが、反省点として確かにはっきりとしてきているが、地方自治体が判斷を下すことがそもそも難しい面があるんじゃないかという議論があるが、どうですか」

 片田敏孝「今回1時15分に 土砂災害警戒情報、これは実質避難勧告を出してくださいよというような情報だが、この段階で30ミリ近い雨が降っていた。

 その後結果的には80ミリ、100ミリという雨が降ったので、あの時に出しておけばよかったのにということなんですけど、物凄い雨の中で勧告を出して、実は今、避難の途上の中で亡くなる方が非常に多いことを考えると、行政はあの状況の中で勧告を出すということを躊躇したということは僕は理解できるのですね」

 先ず自然災害に対する避難は過去の自然災害とその人的被害に習い、参考にすべきであろう。いわば過去の災害を直近のマニュアルとしなければならないということになる。
 
 15年前の平成11年(1999年)6月の大雨による325個所の土砂災害で広島市や呉市を中心に広島県で31人が死亡し1人が行方不明となっている。広島市に関しては20名の死者、呉市は8名となっている。

 広島市では新興住宅地で土石流が発生し、都市型土砂災害と呼ばれたという。このことと、しかも今回の被害地区である安佐南区で3名の死者、安佐北区で6名の死者を出していることは広島市自身が十分に承知しているはずである。
 
 勿論、他市町村の自然災害に対する避難態勢の不備による多大な人的被害の発生も参考にしなければならない
 
 まだ1年も経っていない昨年、2013年10月16日の伊豆大島の大島町を襲った台風26号がもたらした記録的な豪雨に伴う、午前2時前後頃から始まった土石流は2013年11月25日現在、死者35 名、行方不明者4名の多大な人的被害を出したこと、その主たる原因が東京都が送信した「土砂災害警戒情報」のファクスに気づきながら、夜間だったという理由で避難勧告も避難指示も出す対応を取らなかったことにある。

 この土砂災害が夜間未明であることと強い雨が降っていたことは広島市と共通する。

 当然、大島町の大規模な土砂災害を参考にし、その上で15年前の広島市の土砂災害を顧みた場合、自ずと避難しなかった場合の人的被害は否応もなしに予想しなければならないはずだ。

 しかし片田敏孝氏は物凄い雨の中で避難勧告を出した場合、「避難の途上の中で亡くなる方が非常に多いことを考えると、行政はあの状況の中で勧告を出すということを躊躇したということは僕は理解できる」と言う。

 だからこそ、早め早めの避難勧告が必要となるはずだ。

 避難勧告も避難指示も出さずに建物内にとどまらせて土砂災害に遭遇した場合の過去の事例に習った、想定されるそれ相応の人数の死者の発生よりも、夜間の強い雨の中の避難の途中で危険性として想定されるそれ相応の人数の死者の発生の回避を優先させて避難勧告も避難指示も出さずに建物内にとどまらせた場合、どちらのケースが救うことのできる命を失わずに済むか計算しなければならないはずだ。

 勿論、後者を選択した場合に生じるかもしれない死者を無視しろ、その命を犠牲にしろと言っているわけではない。このような事態を回避するためには、出水して道路が冠水する前の段階での早めの避難を選択しなければならない。

 だが、夜間、急激な強い降雨によって、特に高齢者の避難が困難となった場合、避難に時間がかかって、片田敏孝氏が言うように「避難の途上の中で亡くなる方が非常に多」く出ることも予想される。

 だとしたら、そうした予想に対して有効な手段を創造することも行政や防災研究者に求められる役目としてあるはずだ。

 私自身は防災に関してド素人だが、それなりの人命尊重の観点から、空振りとなってもいいから、過去の事例に過剰なまでに反応して早め早めの避難を心がけるべきだという立場をバカの一つ覚えのように取っているに過ぎない。行政の避難勧告に従って避難に応じるのは住民の1~2%だというが、どう判断するかは住民の責任である。それぞれに与えられている責任にはそれを履行するに足る判斷を必要とするが、広島市の判斷は結果的には死者72名、行方不明者2名を生み出した。

 夜間の強い雨が降る中での避難に大型バスを使ってはどうだろうか。インタネット上に、〈時間雨量30mm以上の豪雨の中では徒歩による避難が難しく、高齢者単独や夜間といった条件が加わると不可能に近い。また、自動車による避難でも、増水して道路が冠水している中に突っ込み、川へ押し流され被害に遭う例も多く見られる。〉との記述を見つけたが、大型バスなら重量が重くて、その分乗用車より水に対する抵抗力は強いはずだ。

 但しエンジンに水が入るとストップしてしまう。最近の大型バスは床高さ30センチ前後のノンステップバスが主流だというが、エンジンの位置が路面から同じ30センチ程度なら、その水位の冠水には耐えることができるはずだ。

 その自治体がバスを運行している場合は、その部門と、行っていない場合は身近な(あまり遠くては不可能だが)観光バス会社等と前以て契約して、貸し切りとして利用し、その地域の住民と事前に打ち合わせておけば、例え夜間であっても、一度に多人数の避難を迅速に行うことができる。

 広島市では大雨注意報が発表されると実施することになっているという雨量の状況把握や土砂災害危険区域の巡視の過程で発令された場合の大雨警報や大雨洪水警報、あるいは土砂災害警戒情報等の情報と睨み合わせて、土砂災害危険区域で雨の強さは勿論、道路の冠水が徐々に増していくような状況になった場合、直ちに避難勧告を発令すると同時に大型バスを差し向けるようにすれば、避難の途中で被害に合うという事態は可能な限り避けることができると思う。

 いずれにしても、避難の途中で死者が出るかもしれないことを恐れて避難勧告を出すことに躊躇し、結果論だとしても、それ以上に多くの死者を出したのでは意味はない。何らかの解決策を考え出さなければ、避難させずに招くかもしれない死者の発生に手をこまねくことになる。

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川勝静岡県知事の個人の可能性をテストの成績に限った、その成績向上要求は独裁的号令一下の全体主義教育

2014-09-07 08:42:43 | Weblog


 川勝静岡県知事が今年4月実施全国学力テストの小学校国語Aの結果が全国平均を上回った262校の校長名と35市町別の公立小学校の科目別平均正答率に限って公表した。小学校国語Aは昨年のテストで最下位だったが、今年は27位。

 その努力と成果を褒め称えると言うわけなのだろう。

 だが、問題点がいくつかある。今年から学力テストの結果は教育委員会の判断で公表が可能となったが、そこに知事は含まれていず、明らかにルール違反になるとマスコミは伝えている。

 これは表向きの問題点であろう。

 小学生やその父兄が公表された校長名を探して、見つけることができ、自分の学校が全国平均を上回ったと確認して安心したとしたら、あるいは逆に見つけることができず、全国平均以下だったんだと確認して、何がしかの負の感情を抱いたとしたら、それぞれの可能性(=潜在的な発展性)を学校の勉強に限定する性格傾向に囚われていることになり、その可能性や潜在的な発展性をテストの成績で計っていることになる。

 ごく当たり前のことを言うが、個人それぞれの可能性や潜在的な発展性は多様であり、それらすべての可能性がテストの成績に基づいた学校の成績で計ることができるわけではない。学校の成績が良い生徒であっても、その将来的な可能性は必ずしも学校の成績に従うわけではないだろう。

 大体が自身の可能性が学校の成績通りであったなら、面白くも何ともないはずだ。その通りであったなら、特異な俳優も、特に脇役も、異彩放つ漫才師やお笑いタレントも、この世には生まれてこないだろう。

 学校の成績通りの可能性とは1+1=2から出ない可能性のことを言い、それが悪い成績であっても、学校の成績を超えた可能性とは1+1=を3にも4にも5にも発展させることができる可能性のことを言うはずである。

 いわば学校のテストの成績を上げるために植えつけられた知識はテストの回答には役立てることができても、様々に発展させる想像力(創造力)を持たなければ(1+1=を3にも4にも5にも発展させることができなければ)、植えつけられた知識そのままの(1+1=2そのままの)活用しかできない限定された可能性に陥りかねない。

 あるいは学校が教えた1+1=2から学校が教えないことを自分で学ぶことによって1+1=を3にも4にも5にも発展させることができるはずだから、教えられること以上に自分が学ぶことが自身の可能性や潜在的な発展性のためには重要な要素となるはずである。

 だが、川勝知事の全国学力テストの成績が悪かったからといって、その成績に重点を絞って上げるよう、知事の権限で県教育委員会の尻を叩く形で叱咤し、県教委かそれぞれの学校へ圧力をかける教育は生徒それぞれの可能性や潜在的な発展性を自ずとテストの成績に限定していることになるばかりか、生徒に対しても生徒それぞれの可能性(=潜在的な発展性)がテストの成績によって表されることになることを植えつけることになる。

 また、今年の学力テストの成績が知事の指示に忠実に従った前年と比較した今年の成績向上であるなら、学校側にしても全国学力テストの成績を上げることだけに重点を置いた、いわば生徒の可能性をテストの成績に限った授業を展開したことになり、知事という上からの指示に従う形を採用している以上、上からの独裁的号令一下の全体主義教育という体裁を取ったことになる。

 この全体主義的な教育という体裁は可能性に於ける多様性の完全否定となる。生徒それぞれの潜在的な発展性に於ける多様性の排除を知らず知らずのうちに行っていることになる。

 《学力テスト:沖縄と静岡の成績改善 対策が効果、課題も》毎日jp/2014年08月26日 02時01分)が、独裁的号令一下の全体主義教育という体裁を取っていたことを教えてくれる。

 先ず川勝知事は昨年、小学校国語Aが最下位だったことを受けて昨年9月、〈最下位は教員の責任として「成績下位校の校長名を公表する」と表明。最終的には県内で上位の小学校長名を県ホームページで公表した。〉

 県教委は全国学力テストの成績を上げるよう、知事の厳しい指示を受けたはずだ。でなければ、県教委は知事部局出身者をトップに「学力向上対策本部」を設置することもなかっただろう。

 「学力向上対策本部」で議論した対策なのだろう。県教委は〈授業改善を求める文書を各教員に配布した上、児童には県教委作成の「対策問題集」や過去問を解かせるよう市町教委に求め、多くの小学校が実施した。〉――

 県教委要求の「授業改善」とは、全国学力テストで高得点を上げることに重点を置いた授業内容の改善であり、県教委作成の「対策問題集」とは、過去のテスト問題をそれぞれの傾向に従って分類・抽出列挙し、それぞれの解き方を解説した冊子ということであるはずだ。

 ここに知事から発した独裁的号令一下の全体主義の力学が下まで働いていたことを見て取ることができる。知事→県教委→学校→各教員→各生徒へと上から下へテストの成績を上げるための力が働いていった。下が上に忠実に従うことによって、上の指示が独裁的号令一下の全体主義の姿を取ることができる。

 もし途中の誰かが、「生徒の可能性、潜在的な発展性は学力テストの成績だけで決まるわけではありません。余裕を持った様々な教えを通して生徒は自分から学ぶことを知り、そのような自分からの学びが可能性や潜在的な発展性に多様な姿を与えるのです」と言って抵抗したなら、上からの指示は独裁的号令一下でも、全体主義でもなくなる。

 上の独裁的号令一下の全体主義が上から下まで全体を支配する力を持つということは下が上に従うのみで独自性を持っていない、あるいは持とうとしていないことを意味する。独自性のないところに多様な可能性や多様な潜在的な発展性は望みにくい。

 生徒はその影響をもろに受ける被害者となる。

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安倍政権の「河野談話」作成過程と同じ構造を取った従軍慰安婦強制性否定とその検証に見るインチキの数々

2014-09-06 09:06:28 | Weblog

 
 「河野談話」作成過程検証には飛んでもない数々のインチキがある。作成過程検証の報告書である《慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯》冒頭の、「河野談話作成過程等に関する検討チーム~検討会における検討~」には次の記述が行われている。 

 〈1 検討の背景

 (1)河野談話については,2014年2月20日の衆議院予算委員会において,石原元官房副長官より,

 ①河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について,裏付け調査は行っていない,
 ②河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある,
 ③河野談話の発表により,いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て,当時の日
  本政府の善意が活かされておらず非常に残念である旨の証言があった。

(2)同証言を受け,国会での質疑において,菅官房長官は,河野談話の作成過程について,実態を把握し,それを然るべき形で明らかにすべきと考えていると答弁したところである。

(3)以上を背景に,慰安婦問題に関して,河野談話作成過程における韓国とのやりとりを中心に,その後の後続措置であるアジア女性基金までの一連の過程について,実態の把握を行うこととした。したがって,検討チームにおいては,慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない。〉――


 〈したがって,検討チームにおいては,慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない。〉――ここに作成過程検証のインチキの最たる一つがある。

 このインチキの理由はおいおい順を追って述べる。

 「河野談話」で問題点となっている点は果たして従軍慰安婦の軍や官憲による強制連行があったかどうかである。「河野談話」は強制連行があったとしている。安倍晋三やその一派、橋下徹大阪市長などは強制性を否定している。

 根拠は政府発見資料の中に軍や官憲による強制連行を直接示す記述がないことに置いている。この一点のみを強制性否定の唯一の理由としている。

 このことの裏を返すと、強制性を認める立場の者が根拠としている各国の元従軍慰安婦の証言を、それが信憑性あるものかどうかの検証さえ行わずに一切認めないという態度を取っていることになる。

 そのような態度を背景とした検証であることは、「河野談話」作成過程で〈①河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について,裏付け調査は行っていない〉ことを以って「河野談話」が描いている強制性が事実に反するとするなら、あらゆる面に亘って裏付け調査を行い、事実に反することの正しさを証明すべきを、〈慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討〉は行わないとしているところに如実に現れている。

 つまり単に日韓間にすり合わせや妥協や取引があって「河野談話」は作成されたとすることで、〈慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討〉を行わないままに強制連行はなかったとするインチキを否応もなしに存在させている。

 このインチキは、〈5 検討の手法〉の記述にも現れている。

〈(2)秘密保全を確保するとの前提の下,当時の政府が行った元慰安婦や元軍人等関係者からの聞き取り調査も検討チームのメンバーの閲覧に供された。また,検討の過程において,文書に基づく検討を補充するために,元慰安婦からの聞き取り調査を担当した当時の政府職員からのヒアリングが内閣官房により実施された。〉――

 「河野談話」作成過程で〈元慰安婦の聞き取り調査結果について裏付け調査を行っていない〉、しかも今回の作成過程検証でも、〈検討チームにおいては,慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない。〉以上、〈元慰安婦や元軍人等関係者からの聞き取り調査〉を検討チームのメンバーの閲覧に供したとしても無意味そのもので、最たるインチキであろう。

 菅官房長官は安倍内閣としては「河野談話」を継承するとしているが、そのことに反する発言も行っている。《【河野談話検証】「談話の見直しは事実上不可能」、菅官房長 官記者会見(一問一答)》MSN産経/2014.6.20 21:14)

 菅官房長官「河野談話の作成過程に関し、これまで明らかにされていなかった事実が含まれている。平成19年に閣議決定した政府答弁書を継承する政府の立場は変わらない。慰安婦問題については筆舌に尽くしがたいつらい思いをした 方々の思いに非常に心が痛む。政府の立場は変わらない」――

 平成19年閣議決定とは、前で少し触れたが、周知のように第1次安倍内閣が辻元清美の質問主意書に対して出した答弁書の中の、従軍慰安婦否定の唯一の根拠としている、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」として、それを閣議決定していることを指す。

 つまり安倍内閣として「河野談話」を歴代内閣と同じく継承するが、と同時に安倍内閣として「平成19年に閣議決定した政府答弁書を継承する政府の立場は変わらない」と、「河野談話」を排斥している。

 まさしくインチキの横行である。

 犯罪捜査でも物的証拠が存在しなくても、情況証拠を積み重ねて容疑を確認した上で起訴に持ち込み、裁判に於いても積み重ねた状況証拠に基いて有罪判決を下すケースは多々ある。

 要するに「河野談話」自体が元慰安婦の聞き取り調査を行いながら、その証言に対して裏付け調査は行わないインチキの産物であり、「河野談話」作成過程検証自体も。〈慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討は行っていない。〉インチキの産物だということである。

 《慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯》が如何にインチキな検証であるか、インチキと分かる箇所を拾い出して、併せて「河野談話」が、韓国側との妥協の産物であると言うことだけではなく、日本側にしても如何にインチキを行っていたか、関係する文章を拾い出してみる。

 調査に当たって、1992年10 月中旬の日韓事務レベル協議で韓国側から次のよな要望が出された。

 〈①重要なのは真相究明である,
  ②強制の有無は資料が見つかっていないからわからないとの説明は韓国国民からすれば形式的であり,真の努力がなされていないものと映る,
  ③被害者及び加害者からの事情聴取を行い,慰安婦が強制によるものであったことを日本政府が認めることが重要である等の反応があった。〉

 韓国側の要望に対する日本側の対応方針。

 〈「強制性」については明確な認定をすることは困難なるも,「一部に強制性の要素もあったことは否定できないだろう」というような一定の認識を示す。〉

 要するに韓国側は日本政府が従軍慰安婦の強制性を認定することを前提とた調査を要求し、そのような要求に対して日本側は強制性は認定できないとしつつも、部分的には認定しなければならないだろうと、最初から妥協の姿勢を示している。

 つまり「河野談話」の強制性認定は韓国側の要求に対する妥協の産物というわけである。

 「河野談話」作成に於けるインチキの開始である。

 但しあくまでも元慰安婦の聞き取り証言に対しての裏付け調査なしのインチキを含めたインチキの開始であることを断っておかなければならない。

 同じく「強制性」に関する日本側の対応方針。

 〈「例えば,一部には軍又は政府官憲の関与もあり,『自らの意思に反した形』により従軍慰安婦とされた事例があることは否定できないとのラインにより,日本政府としての認識を示す用意があることを,韓国政府に打診する」〉との方針を示し、元慰安婦の代表者からの事情聴取に関しては、〈「真相究明の結論及び後続措置に関し,韓国側の協力が得られる目途が立った最終的段階で,他の国・地域との関係を考慮しつつ,必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」〉とした。

 元慰安婦の代表者からの事情聴取は「必要最小限の形でいわば儀式として実施することを検討する」――

 元従軍慰安婦からの事情聴取自体が儀式であった上に、聴取した証言に対する裏付け調査は行っていなかった。いや、儀式としていたからこそ、最初から裏付け調査を行う意図を持っていなかったと見るべきだろう。

 「河野談話」の作成は元従軍慰安婦からの聞き取り証言を裏付け調査もせずに強制性の検証を一切排除して、政府発見資料中に軍や官憲による強制連行を直接示す記述がないことのみを以って強制性否定の根拠としていたものの、韓国政府と韓国世論を納得させるために強制性を一部認める妥協を構造としていた。

 安部政権の「河野談話作成過程検証」にしても、この構造の前半部分を引き継いでいる。だから、「河野談話」作成過程検討チームは慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討を行わなかっった。

 元従軍慰安婦からの聞き取りは韓国政府が韓国太平洋戦争犠牲者遺族会と韓国挺身隊問題対策協議会に打診。太平洋戦争犠牲者遺族会は聞き取りに応じたが、〈日本軍の犯罪の認定,法的賠償等を日本側に要求することを運動方針としている〉挺身隊問題対策協議会は聞き取り調査に難色を示したために日本政府は聞き取りを断念、同協会が出している証言集の提出を受け、検証することにした。

 太平洋戦争犠牲者遺族会に対する聞き取りは1993年7月26日から7月30日まで行われた。

 〈聞き取り調査の位置づけについては,事実究明よりも,それまでの経緯も踏まえた一過程として当事者から日本政府が聞き取りを行うことで,日本政府の真相究明に関する真摯な姿勢を示すこと,元慰安婦に寄り添い,その気持ちを深く理解することにその意図があったこともあり,同結果について,事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった。

 聞き取り調査とその直後に発出される河野談話との関係については,聞き取り調査が行われる前から追加調査結果もほぼまとまっており,聞き取り調査終了前に既に談話の原案が作成されていた。〉――

 「河野談話」作成に於ける究極のインチキがこの記述に現れている。聞き取り調査は儀式であることの既定路線をそのまま進んだ。

 いわば元従軍慰安婦証言の歴史的事実性の有無の検証は一切排除された。

 そして安部政権にしてもこの検証の排除を受け継いでいる。

 但し当時「河野談話」作成に関わった日本側関係者は韓国挺身隊問題対策協議会の証言集を分析している。〈軍関係者や慰安所経営者等各方面への聞き取り調査や挺対協の証言集の分析に着手しており,政府調査報告も,ほぼまとめてられていた。これら一連の調査を通じて得られた認識は,いわゆる「強制連行」は確認できないというものであった。〉――

 聞き取りに応じた韓国太平洋戦争犠牲者遺族会の元従軍慰安婦からの直接的な証言でさえ、〈事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった。〉儀式に過ぎなかったのだから、韓国挺身隊問題対策協議会証言集の分析でも、同じ手法が踏襲されたはずだ。

 そして韓国政府との妥協が成立し、「河野談話」の発表となった。

 要するに安部政権は「河野談話」作成と同じ姿勢を維持したまま、その狭い世界にとどまって、「河野談話」のインチキ(=虚偽)を暴いただけのことで、〈慰安婦問題の歴史的事実そのものを把握するための調査・検討〉を行わないまま、広い世界に向けて一歩も踏み出そうとはしなかった。

 広い世界とは、インドネシアやフィリピンや台湾や、その他の国々の元従軍慰安婦の証言の世界のことであるのは言うまでもない。それらの証言に対する検証を排除して、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」が見当たらなかったとしている政府発見資料のみを根拠とした従軍慰安婦強制性否定の偏った歴史認識の姿勢を頑なまでに守っている。

 これが安倍晋三たちに於ける究極最大のインチキである。守らなければ、自分たちの歴史認識の修正を余儀なくされる恐れがあるから、元従軍慰安婦の証言の世界へ飛び込むことを避ける防衛本能が働いているに違いない。

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安倍改造内閣の女性閣僚5人中3人は安倍晋三の歴史認識お友達

2014-09-05 08:41:53 | Weblog

 

 第2次安倍改造内閣起用の女性閣僚は「女性の活躍」の看板に添って3人から5人に奮発、2001年の第1次小泉内閣と並んで過去最多だそうだ。だが、その5人のうちの3人は安倍晋三と歴史認識の点でベッドを共にしていると言ってもいい極めて親しいお友達で、その3人とは、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長兼拉致問題担当相、有村治子女性活躍担当兼行政改革担当相の面々である。

 高市早苗については今更言うまでもないだろう。

 直接的な被爆死はゼロであっても、復興庁2014年5月27 日発表、2014年3月31日現在の震災関連死者は3089人となっている悲惨な影響を無視して、原発再稼働の党方針を強調する意図で、「福島第一原発で事故が起きたが、それによって死亡者が出ている状況ではない。最大限の安全性を確保しながら活用するしかない」と言い放ったその心境は広島で多くの住民が大規模な土砂災害に見舞われて、被害の様相が悪化の方向に予想されるにも関わらずゴルフをしていた安倍晋三のその当時の心境に共通している。

 要するに住民無視の心境である。国民無視・国家優先の国家主義の心性に於いて安倍晋三と常にベッドを共にしているような女である。

 このことは高市早苗の靖国神社参拝の常連であるところにも現れている。

 高市早苗は2013年5月12日NHK「日曜老論」にNHK福井局スタジオから出演している。

 司会「果たして安倍内閣は戦後体制の見直しと言っているのか、東京裁判の結果というものを受け入れてこの国を作ってきた歴代内閣と同じなのか、違うのか。この辺りは如何でしょうか」

 高市早苗「国家観・歴史観についてではですね、安倍総理ご自身違った点もあるかとも思います。で、私自身もですね、先程来靖国参拝の話が出ておりますけれども、ここでやめたら、終わりだと思っております。

 要は国策に準じて命を捧げた方、いわば公務死された方を如何にお祀りするか、如何に礼をするかというのは国の内政の問題でございます。

 中国との間でもですね、1972年、そのとき相互内政不干渉という約束をしておりますし、それから中国が靖国参拝に文句を言い出したのは1985年からです。ですから、後世で、あの戦争が正しかったとか、間違っていたとか、そういった戦争の評価というものとですね、公務に殉じて亡くなった方をどう慰霊するかということは分けて考えなければいけなくて。

 じゃあ、例えがアーリントン墓地に日本の閣僚が、総理がですね、花束を捧げに行く。まあ、これはいいのか悪いのかって言い出したあら、あの、東京大空襲、今、私がいますのは福井のスタジオですが、ここも空襲に遭いました。

 原爆投下は良かったのか悪かったのか、(ふっと笑いを短く漏らして)すべての国がですね、お互いに謝り謝らないか(という)話になりますね」――

 戦争の評価と公務に殉じて亡くなった戦死者を慰霊する問題は分けて考えなければならないと言っているが、戦争の評価と国策に対する評価は相互対応の関係にあるのだから、例え「国策に準じて命を捧げた」としても、それが間違った戦争を生み出した間違った国策であるなら、間違った国策に準じて命を捧げたということになって、戦死者の行為は滑稽なものとなる。

 いわば正しい戦争だったが、間違った国策だったということも、逆に間違った戦争だったが、国策は正しかったという相互に異なる評価は不可能であり、戦争の評価と国策に対する評価は正誤いずれかに一致させなければならない対応した関係にあるのだから、「国策に準じて命を捧げた方」と国策を正しいと評価する文脈で言っている以上、高市早苗は安倍晋三と同様に戦前の日本の戦争を侵略とは見做さずに間違っていない戦争と歴史認識としていることになって、安倍晋三と極めて近しい歴史認識お友達と言うことができる。

 このような歴史認識はいつの時代の日本国家も常に正しいという考えから来ている。日本民族を絶対視する思想である。

 外国との関係に於いて外交上の必要性や経済上の必要性からその国の首脳とニコニコと握手して相互的な友好関係を演出するだろうが、安倍晋三のように日本民族を絶対視する思想を精神の核としている政治家は決してそこに対等性を置かない。多くの国々を上から見ることになるだろう。

 高市早苗は安倍晋三に準ずるということである。

 女性活躍担当の有村治子を見てみる。

 インターネットで探したことだが、有村治子は2009年5月31日、《生命尊重推進の会 天使のほほえみ》主催の講演に応じている。その要旨の中に次ように発言が記されている。

 有村治子「国政の決断で迷いのある時など、一人で靖国神社にお詣りして、英霊にお尋ねする。国難の時に生命を捧げられた英霊が、『最後に守るべき価値観とは何か』をお教え下さるのだと思う」――

 言っている意味が分からない。国政の決断に迷ったとき、靖国を参拝すると英霊が「最後に守るべき価値観とは何か」を教えてくれるということなら意味が通じる。「お教え下さるのだと思う」と、確信もない推測を言うことは「国政の決断」という重大さに矛盾する。

 英霊たちの「最後に守るべき価値観」は「天皇陛下バンザイ、日本バンザイ」と言って死んでいったのだから、戦前天皇であり、戦前日本国家であった。現代の参拝者たちは英霊たちが守り通した「最後に守るべき価値観」を再確認する儀式として参拝する。勿論、現代の参拝者の「最後に守るべき価値観」は戦前から今に続く天皇であり、今に続く日本国家であって、戦前と戦後に連続性を持たせている。戦前天皇及び戦前日本国家と戦後天皇及び戦後日本国家の架け橋が靖国神社の英霊たちであり、A級その他の戦犯というわけである。

 あるいは靖国神社という空間が戦前と戦後をつないでいる場所となっている。

 戦前と戦後をつないで「最後に守るべき価値観」としているから、その一つである天皇を国家元首に据えたい衝動を起こす。天皇を元首に据えた日本国家とすることで、「守るべき価値観」を高めることを狙っている。

 決して「最後に守るべき価値観」の中に国民を対象としてはいない。

 有村治子にしても同じだということである。

 最後に守るべき価値観」の「最後」という言葉は「ある物事を推し進めて最後に到達するところ」という意味の“究極”と同じ意味を成す言葉であろう。いわば天皇と日本国家に究極の価値観を置いている。

 有村治子「私達がこうして生きて集えるのも、それぞれのご先祖たちが、どんな苦難のときにも、戦塵の中でも、子供を守ろうとがんばってきて下さったからだ。そのお陰で今の私達が存在している。これは、奇跡だ。直系のご先祖の一人でも欠けていたら、私達の命はなかった。この大切な命を次につなげていかなくてはと思う。

 『歴史から学べ』とよく言われるが、英雄を追う歴史だけでなく、自らの生存と国の生存が危うい時に、先人たちがどんなに智恵や勇気をもって生命を受け継いできて下さったか、明治維新から、明治、大正、昭和の歴史を皆で謙虚に向き合い、学び取りたいと思う。」――

 「直系のご先祖の一人でも欠けていたら、私達の命はなかった」と言っていることは「一人も欠けていない」ことを前提とした言葉であるから、生き長らえた人間だけを対象とした認識ということになる。

 実際には子供の頃や若い頃に病気で亡くなったり、中絶の技術がなかっために封建時代から昭和初期まで貧しさ故に生れてから幼児を殺す間引きが農村では頻繁に行われていたというから、欠ける人間がいくらでも存在し、当然、生命を受け継ぐことなく無の存在と化した人間や、あるいは生き長らえることができたなら生命を受け継ぐはずだった誰かが、それが叶わなわずに無の存在のまま推移したケースはいくらでも想像することができる。

 この想像は身近な者を亡くした近親者なら理解できるだろう。「生きていたなら、今頃は結婚して子どもを生んでいたはずだ」と思う。「その子どもはどのように育っただろうか」と想像する。だが、目に見える形で存在しない。きっと捉えどころのない空虚感に襲われるに違いない。

 靖国神社に眠る戦死者にしても結婚もせず、結婚しても、子どもを設けていなくて、命を受け継がなかった者、命を受け継がれることなく、この世に存在することなく終わった者はいくらでいたはずだ。

 靖国神社参拝者でありながら、そういった無を強いられた存在への思い遣りもなく、生き長らえた人間のみを認識して、その生き長らえを奇跡だと先祖に感謝する。

 講演で妊娠中絶反対の発言をしているが、これも止むを得ない事情を抜きにした、生き長らえのみに重点を置いた妊娠中絶反対の構造を取っているはずだ。
 
 有村治子「いつから日本は、『子供ができた・できない、作った・作らない、堕す・堕さない』などの言葉を使う国になってしまったのか。その頃から、子が親を殺し、親が子を殺す世相になってしまったのではないか。

  これからは、『神様から、仏様から、天から、ご先祖から、子供が授かった』という言葉を使いたい。

  今日本では年間100万人の子供が生まれている。それに対し、中絶は報告されているだけで、25万人いる。この事を政府は一切言及していないのが、とても悔しい。

 ぜひ、生命の重みをしっかり受け止める国にしていきたい」――

 要するに諸々の事情を配慮しない、有村治子流の道徳観からのみの妊娠中絶一律反対の主張となっている。

 人間は生物学的生きものであると同時に経済的生きものでもあり、立場に応じて社会的生きものとしての制約を受ける。行動の結果に対して法に反しない範囲で個人に責任を置く自由を認めずに生物学的にも経済的にも社会的にも一つの道徳観で一律に律した場合、世の中を息苦しくさせるに違いない。

 有村治子はそれを狙っている。 

 日本国憲法は思想・信条の自由を個人の権利として認めている。有村治子がどのような思想・信条を持とうが誰も反対できない。だが、選択的夫婦別姓制度にも反対していて、有村治子が保守的な家族観・男女観の持ち主であることを認識していなければならない。

 有村治子はまた安倍晋三と同様に「河野談話」の日本軍による従軍慰安婦強制連行を否定する立場に立っている。安倍晋三とかくまでも歴史認識お友達となっている。

 山谷えり子は慰安婦問題では従軍慰安婦が強制連行されたとする主張を否定する立場を取り、1952年6月9日参議院本会議の「戦犯在所者の釈放等に関する決議」可決と1953年8月3日衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」可決、その他の法律の可決によって国内法上も国際条約上も日本に於いて戦犯は存在せず、故に靖国神社にA級戦犯とされた死者が祀ってあったとしても、首相が参拝しないのは法の正義と秩序に反することとして、首相の靖国神社参拝を求める運動を推進している。

 このように山谷えり子と安倍晋三は一見同じ血を分け合った兄弟かと見間違う程に歴史認識お友達の関係にある。

 9月3日の安倍晋三の改造後の記者会見で、フィナンシャル・タイムズの記者が質問している。

 ソーブル記者「女性閣僚に関して伺いたいのですけれども、今度5人が入閣して過去最多と並びました。女性の数を増やすことによって安倍政権の政策は、具体的にどのように変わるか教えていただきたい。

 そして、実際に今回入閣した女性の過去の発言や所属している政治団体を見ますと、例えば、家族構造、女性と仕事、女性の家庭の中の在るべき存在などについて、かなり保守的な意見を持っている方が多くいると思うんですが、これを受けて安倍政権が訴えている女性が輝ける社会というのは、具体的にどのような社会なのか。国民から見てどう理解すればいいのか、説明をお願いします」

 安倍晋三は相変わらず余分な発言で水増ししているが、そこは割愛して、ソーブル記者の質問に対する答のみを見てみる。

 安倍晋三「第2次安倍政権の2人が少ない、そして改造内閣の5人が多いということではなくて、それぞれ大いに力を発揮していくことによって、社会全体に変革を起こしていくことができると私は確信しています。

 そして、女性の閣僚の中で、保守的な考え方を持っているではないかというお話でありますが、私もそういう批判をずっと浴びてきましたが、今、正に私は女性が輝く社会の先頭ランナーに立っていると自負をしているわけでありますし、その女性の閣僚の方々自体が、正に自分の能力を開花させて、それぞれの閣僚のポストに就いたわけであります。そうした結果で、是非見ていただきたいと、このように思います」――

 安倍晋三は何も「女性が輝く社会の先頭ランナーに立っている」わけではない。女性が輝く社会実現の政策遂行の先頭ランナーに過ぎない。実際に女性が輝く社会を実現できるかどうかは未だ未知数である。

 また、安倍晋三が様々な政策の先頭ランナー足り得たとしても、有村治子が言っている、天皇と日本国家を究極の立場に置いた、戦前から戦後に引き継いでいる「最後に守るべき価値観」に色濃く彩られたその保守思想は子どもに対する国家の立場からの愛国心の涵養や道徳教育の教科化に現れている構造を取っている以上、安倍晋三と歴史認識お友達である3人の女性閣僚の古い価値観を後生大事にしている保守思想にしても各政策に反映しないでは済まないはずだ。

 連中は可能な限りの形で戦前日本を取り戻そうとしている。その危険性に気づかなければならない。 

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安倍晋三の石破幹事長外しは集団的自衛権隠しとマスコミへの露出機会抑制目的の地方創生担当相人事

2014-09-04 06:22:16 | Weblog



 9月3日の安倍改造内閣発足に際して、自民党三役人事が総入れ替えとなった。石破茂が続投を望んでいた幹事長は谷垣禎一前法相が就くことになった。石破茂は安倍晋三から当初は安全保障法制担当相への就任を打診されたが、安倍晋三の集団的自衛権行使限定的容認に対して国家安全保障基本法の策定を先に行い、その法律を担保に現行憲法下でも全面的な行使を可能とさせることを主張する立場の違いを理由に固辞、地方創生担当相に就くことになった。

 石破のこの閣内入りを来年の総裁選の準備を閣外で力を注ぐことがができないよう、安倍晋三が閣内に取り込んだと見る向きが大方だが、幹事長外しは集団的自衛権隠しの意味もあるはずだ。

 その第一の理由は、憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認の閣議決定に対する国民世論の厳しさにある。

 安倍晋三の内閣支持率は第2次安倍内閣発足時は60%を超える世論調査もあったが、50%を下回る調査はなかった。しかし特定秘密保護法成立直後の昨2013年12月調査では50%を割ったものの、それ以後回復して50%を上回る形で推移していたが、7月1日の憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認の閣議決定直後、再び50%を割っている。

 集団的自衛権導入に関わる殆どの世論調査では反対が50%を上回り、集団的自衛権をめぐる議論や説明に関しては十分ではないとする割合が70%を超えている。

 世論の集団的自衛権に対する厳しい態度は6月26日告示、7月1日閣議決定から12日後の7月13日投開票の滋賀県知事選に如実に表れた。2012年衆院選では県内全小選挙区自民党候補勝利の有利な状況を背景に与党候補の優勢が伝えられていたが、17日間の選挙戦の中盤で野党候補がやや優勢の状況をつくって、結果はそのまま逆転する形で当選している。

 世論調査に現れた国民の集団的自衛権に対する風当たりを滋賀県知事選中に具体的に感じっ取ったからだろう、滋賀県知事選6月26日告示から17日間選挙戦終盤の7月7日、菅官房長官の記者会見発言。

 菅官房長官「グレーゾーンから集団自衛権に関わるものまで、幅広い法整備を一括して行いたい。向こう約1年かけて国民の皆さんの前でしっかり議論を進めていきたい。(法案作成の)準備に最低でも3~4カ月かかる」(Bloomberg

 「向こう約1年かけて」ということは集団的自衛権行使容認に伴う一連の関連法案の提出を来年1月下旬開会の通常国会に先送りすることの決定だと記事は解説している。

 あれ程閣議決定を急ぎ、閣議決定から2週間も経って、わずか2日間の閉会中審議で議論を打ち上げておきながら、これらの性急さに反して法案提出は来年1月下旬開会の通常国会に先送りする。

 マスコミは裏の意図を秋の福島知事選と沖縄知事選や来春の統一地方選等への悪影響の回避だと伝えた。いわば集団的自衛権隠しである。

 但し法案提出の来年通常国会先送りで集団的自衛権隠しに成功したとしても、石破幹事長を続投させた場合、安倍晋三と見解は違えても、安倍晋三と同様に集団的自衛権の行使容認の強硬派で、その色を色濃く纏っていることに変わりはなく、地方選の先頭に立たせたなら、法案提出先送りの集団的自衛権隠しがどこでどのように破綻するか、保証の限りではなくなる。

 安倍晋三にしたら、集団的自衛権隠しを徹底させるためには、いくら本人が続投を希望しようが、石破茂を幹事長から外すに越したことはないはずである。

 そして表向きは集団的自衛権色の薄い谷垣禎一を幹事長に据えた。元自民党総裁、前法相という肩書も集団的自衛権隠しには好都合な要素となるはずである。

 石破茂が就任した地方創生担当相は地方の活性化を担う。だが、日本の政治は何ら有効な手を打てずに地方が衰退するに任せてきた。有効な政策を見い出すことができずにいたということであり、当然、即効薬もない。有村治子が就任した行政改革兼少子化担当相の職務である少子化問題も地方活性化に深く関わり、両者の連携が必要だが、有効な政策をなかなか見い出すことができないことと即効薬がない点については同じ状況にある。

 いわば、新設であることと「地方創生」という名前自体は新鮮で聞こえはいいが、成果を上げにくい分、活躍して脚光を浴びる機会も期待も失われることになる。マスコミへの露出が少なくなるということである。

 安倍晋三にとっては集団的自衛権隠しのためには好都合な幹事長外しであり、来春の統一地方選が終わるまで、「地方創生、地方創生」と言い続けてくれて、選挙でそれなりの結果を出さえすれば、本体の地方活性化に成果がなくても、その責任は石破が負うことになる都合のいい地方創生担当相人事ということではないだろうか。

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護衛艦3等海曹イジメ自殺は乗組員全体が個人の自尊心を考えずに上下関係意識で思考・行動していた結果

2014-09-03 09:30:19 | Weblog



      生活の党PR

       《1生活の党 機関紙17号発行》    

       ◆小沢一郎代表 巻頭提言
        「安倍内閣が推進する経済政策は時代に逆行した反民主主義的なもので、何としても止めなくてはならない」

       ◆生活の党議員の活動報告

       ◆OPINION : 日本大学大学院教授 円居総一
         「脱原発から水素循環型社会への連続的エネルギー転換こそが日本を救う」 

       ◆声明:終戦記念日あたって

       ◆INFORMATION:地域の活動

 9月1日(2014年)、海上自衛隊横須賀地方総監部が横須賀基地配備の海自護衛艦で乗組員だった3等海曹の30代男性が今年初めに上司の1等海曹の男性(42)の名前を挙げてパワハラを受けていたことを示唆するメモを残して艦内で自殺したと発表したという。


 どのようなパワハラかと言うと、繰返し頭を殴る、私物の携帯電話を隠す、バケツを持って立たせる、土下座させて謝らせる。船の出入り口のドアに手を挟む。

 ドアに手を挟むのは明らかに悪意を背景としている。当然、頭を殴ることもその他も、単に面白がってしたことではなく、悪意からの行為であることになる。悪意が成功したとき、残忍な思いで面白がる。「ざまあ見ろ」と。

 大体が上司が部下に対して面白がってする行為ではない。 

 職務上の上下関係が人間関係の力学とする上位者が下位者に持つ力の優位性を適正な範囲内で行使せず、悪用、イジメの形を取った。

 多くの記事が2004年の護衛艦「たちかぜ」内で起きた当時2等海曹(懲戒免職)から受けたイジメで後輩の1等海士が自殺した事件を、再び起きたという文脈で取り上げている。

 この事件にしても先輩・後輩の上下関係の力学を適正な範囲内にとどめる術を先輩は発揮できなかった。

 いや、先輩としての力の優位性が単に身分上伴うものであることを自覚せずに、いわば自分自身が本来的に備えているわけではないその優位的な力を後輩イジメに転用することで自身の力の証明――自己存在証明としていたのかもしれない。

 では、どのような経緯を辿って自殺するに至ったか、次の記事から見てみる。

 《護衛艦乗組員が自殺 いじめが原因か》NHK NEWS WEB/2014年9月1日 17時26分)

① 去年7月、自殺した3等海曹が幹部の乗組員に「上司の一等海曹と性格が合わない、この護衛艦の勤務から外れたい」と相談。

② 2か月後の去年9月、同じ幹部乗組員に同じ相談をする。幹部乗組員は「検討する」と応じたが、具体的な対応は取らなかった。

 いわば放置した。

③ 自殺の2日前に別の幹部の乗組員に「これ以上耐えられない、護衛艦の勤務から外れたい」と相談。

 翌日、乗組員と一等海曹が同席した面談が行われ、一等海曹が注意を受ける。

④ その日の夕方、面談に同席していた幹部の乗組員の1人が再び乗組員がバケツを持って立たされているところを目撃。止めるなどの対応は取らなかった。

⑤ 一連の経緯について護衛艦の艦長は報告を受けていなかった。

 9月1日午後、臨時の記者会見。

 河野克俊海上幕僚長(海上自衛隊トップ)「いじめをきっかけとした自殺を防げなかったことは痛惜の念に堪えない。海上自衛隊として重く受け止め、いじめに対する組織としての厳しい姿勢を各隊員に示し、行きすぎた指導を見逃さないよう改めて徹底する。

 今回の事案では被害に遭っている乗組員が上司にも相談し、シグナルを発していて、深刻に対応すべきだったが、根本的に誤った対応になってしまった」

 防衛省での記者会見。

 小野寺防衛相「大変重く受け止めている。亡くなられた隊員の冥福を心からお祈りするとともに、ご家族に対しては心からおわびをしたい。今後このようなことがないよう厳しく対処したい。亡くなった隊員が上司に相談をしていたにもかかわらず、それをしっかり受け止めて防げなかったということも含めて、厳正に対処したい」

 繰返しになるが、経緯を要約すると、最初に相談を受けた幹部乗組員は2度も相談を受けながら、何の対応も取らなかった。別の幹部乗組員が相談に応じて面談の場を設けて、一等海曹を注意した。

 注意した当日の夕方に面談に同席していた幹部乗組員の1人が、3等海曹が再びバケツを持って立たされているのを目撃しながら、何の対応も取らなかった。

 このような経緯からが窺うことができることは、一度は面談の場を設けてイジメ側の1等海曹を注意しているが、顔を合わせた者同士が別れるとき、「じゃあ、また」と形式的に言うのと同じ程度の、面談を成立させるための建前上の注意に過ぎず、1等海曹の3等海曹に対する行為を身分上備えている力の優位性を悪用したパワハラ、あるいはイジメと受け止めずに、上下関係に於ける優位的な力の当然の行使と見做していたということである。

 だから、幹部乗組員の1人が面談当日の夕方、3等海曹が再びバケツを持って立たされているのを目撃しながら、何の対応も取らなかった。

 1等海曹の行為を上下関係に於ける優位的な力の当然の行使と見做すということは、先輩としての当然の指導と見ていたことを意味する。面談の場で幹部乗組員から1等海曹が受けた注意というのは、多分、「行き過ぎないように」といった程度のことではなかったのではないだろうか。

 幹部乗組員たちは内心は3等海曹に対して海上自衛隊員としての根性を叩き込む指導なのだから、きつくても我慢すべきだとでも思っていたはずだ。

 いわば1等海曹と3等海曹の人間関係を職務上の上下関係のみの意識で把え、その範囲内で思考し、行動していた。

 このことの裏を返すと、1等海曹の上下関係からの30歳代の男性に対する継続化した頭を殴ったり、土下座させたりする行為が3等海曹の自尊心を超える力の優位性の行使となっていないかどうかを考えもしなかったことを意味する。

 3等海曹は自尊心がこれ以上傷つけられることに終止符を打つために自らの命に終止符を打たせた。

 9月2日の記者会見。
 
 小野寺防衛相「本人がさまざまな悩みを抱え、数度にわたって上司に相談し、上司もそれを把握していたなかでの事案なので、組織としての責任はより重い。

 少なくとも部下の問題にしっかりと耳を傾けて対処するのが本来の上司の責務だ。当然、報告を受けた上司を含め厳正なる対処も必要だ」(NHK NEWS WEB/2014年9月2日 14時15分)

 護衛艦内の人事管理上の危機管理がなぜ機能しないのか、機能しないのは機能しないなりの人事管理に関わる体質に支配されているのではないのか、その原因を探らずにそのままにして、不祥事が起きたら、その責任を問い、処分するというパターンの繰返しでは、忘れた頃に再び不祥事は起こる。

 学校の部活の先輩・後輩の上下関係でもよく見かけることだが、職務上の上下関係からのみ、上位者の下位者に対する行為を正当化するのは、職務上の上下関係にイコールさせて人格上はそうであるべき対等関係に上下関係をつけることであって、人格上下位者に立たされる者の自尊心を傷つけることになって、決して良好な人間関係とは言えない。

 個人の尊重は人格上の対等関係からのみ成り立つはずだ。個人の尊重が自尊心を守る。

 海自護衛艦の幹部たち、そして1等海曹は職務上の上下関係にも関わらず人格上は相互に対等関係にあると看做す思想を持っていなかった。

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日本が戦争をした場合のため、どのような状況に至ったら戦争を終結するか、ルールを前以て決めておくべし

2014-09-02 05:27:28 | Weblog

 

 安倍晋三は2014年7月1日夕方、臨時閣議を開催して集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈変更を閣議決定。夕方6時から記者会見をひらいた。

安倍晋三「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があります。しかし、そのようなこともあり得ない」

 安倍晋三「今回の閣議決定によって日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく。そう考えています。日本が再び戦争をする国になるというようなことは断じてあり得ない。いま一度そのことをはっきりと申し上げたいと思います」――

 集団的自衛権を行使するようになっても、日本は決して戦争に巻き込まれることはないと保証している。だが、日本に戦争をする意思がなくても、集団的自衛権行使に基づいた武力行使の機会が増えれば、単なる武力の行使で常に終わる保証はないし、不測の事態の発生がこの世に存在しないわけではない以上、戦争への発展も想定しておかなければ、安全保障に於ける危機管理とは言えないばかりか、そもそもからして自衛隊の存在意義さえ失う。

 日本が戦争に巻き込まれるか、逆に予想もしない事態に巻き込まれて日本が戦争を他国に対して仕掛けることになった場合、戦前の日本の戦争は軍部を筆頭に政府も国民も本土決戦に拘るあまり、戦争終結の的確な機会を失って、国民生命のムダな犠牲を多大なまでに余分に払うことになったことを反省点に戦前の二の舞いを避けるためにどのような状況に至ったら戦争を終結するか、前以てルールを決めておくべきではないだろうか。

 安倍晋三の「その時代に生きた国民の視点で歴史を見つめ直す」歴史認識論からしたら、軍部が振り上げた本土決戦を国民も支持し、覚悟していたことだから、戦争を継続する能力を失いながら、本土決戦を勝利の最後の機会と拘って戦争終結を遅らせたことは正しい選択と言うことになるが、後世の目で歴史を見る賢明な歴史認識からしたら、歴史の過ちを学び、国民の不利益とならない選択へと変えていく修正を施さなければならない。

 では、どのようなルールを用いたならいいだろうか。

 例えば日本が中国に侵略し、日中戦争の端緒となった蘆溝橋事件は1937年7月7日。その2年後の1939年(昭和14年)11月に米穀搗精(とうせい)等制限令が公布されている。

 既に主食の米不足が起きていて、精米率をそれまでの10分から7分に制限して、糠となる3分で米の分量を水増ししなければならなくなっていた。

 そして米穀搗精等制限令から1年半も経たないうちの1941年(昭和16年)4月1日から、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の6大都市で米は配給制度となり、さらに国民の口に十分に主食の米を届ける能力を失っていた。

 このような食糧不足にも関わらず、6大都市配給制度から8カ月後の1941年12月8日真珠湾攻撃、国力が20倍程度上回っている米国に戦争を仕掛けていった。

 それ以後、「欲しがりません勝つまでは」の窮乏を国民に強いた。

 歴史の過ちから学ぶ観点からしたら、食糧のみならず、国民生活に必要な生活物資の不足が生じたなら、戦争終結とするというルールを設けるべきではないだろうか。日本国憲法は第13条で国民の生命・自由及び幸福追求の権利を保障し、第29条1項で財産権を保障している。国民に不自由なな生活まで強いてする戦争は憲法の精神に反する。

 以下、思いついたルールを挙げてみる。

 敵国の音楽を敵性音楽、戦争相手国の言語を敵性語として禁止するようになったら、戦争処理の段階に来たとすべきではないか。

 直接的な対決要件とすべきは戦争遂行の戦術・戦略であって、戦争相手国の文化排除は戦術・戦略に何ら関係しないだけではなく、排除は精神の余裕のなさの証明そのもので、精神の余裕のない国民性に満足な戦争遂行の戦術・戦略の創造を期待できるとは思えないからだ。

 戦闘機や艦船の燃料を松根油等、代替燃料に求めなければならなくなったら、戦争処理に入った方が賢明であろう。燃料は戦争の欠かすことのできない主たる動力である。動力不足で満足に戦争を継続できるだろうか。

 当たり前の戦闘行為では敵側勢力を撃破できず、単発的な戦果しか上げることができない特攻作戦等を行わなければならない程の閉塞状況に追い込まれたら、戦争継続能力なしと見て、戦争終結の段階に来たと看做すべきだろう。

 この他にも色々とルールを上げることができるかもしれない。関心のある方は付け加えてみて貰いたい。

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安倍晋三の「その時代に生きた国民の視点で歴史を見つめ直す」とは歴史から何も学ぶなという愚民論

2014-09-01 05:13:35 | Weblog



 ご存知のように、朝日新聞が従軍慰安婦の強制連行に関わる「吉田証言」を虚偽と判断して、証言を用いた記事を取り消したことから、従軍慰安婦強制連行否定派が朝日を国会招致だ何だと勢いづいている。

 勿論、国家主義者安倍晋三は否定派の頭目である。安倍晋三の歴史認識を考えているうちに、安倍晋三が2006年7月20日発刊の自著『美しい国へ』の中で、「その時代に生きた国民の視点で歴史を見つめ直す」と言っていることの意味に遅まきながら気づいた。

 「その時代に生きた国民の目で歴史を見直す」(p24~p27)と題した一節を書き出してみる。
 
 〈大学にはいっても、革新=善玉、保守=悪玉という世の中の雰囲気は、それほど変わらなかった。あいかわらず、マスコミも、学会も論壇も、進歩的文化人に占められていた。

 ただこの頃には、保守系の雑誌も出はじめ、新聞には福田恆存氏、江藤淳氏ら保守系言論人が執筆するコーナーができたりして、少しは変化してきたのかな、と感じさせるようになっていた。

 かれらの主張には、当時のメインストリームだった考え方や歴史観とは別の見方が提示されていて、私には刺激的であり、新鮮だった。とりわけ現代史においてそれがいえた。

 歴史を単純に善悪の二元論で片付けることができるのか。当時のわたしにとって、それは素朴な疑問だった。

 例えば世論と指導者との関係について先の大戦を例に考えてみると、あれは軍部の独走であったとの一言で片付けられることが多い。しかし、果たしてそうだろうか。

 確かに軍部の独走は事実であり、最も大きな責任は時の指導者にある。だが、昭和十七、八年の新聞には「断固戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか。

 百年前の日露戦争のときも同じことが言える。窮乏生活に耐えて戦争に勝ったとき、国民は、ロシアから多額の賠償金の支払いと領土の割譲があるものと信じていたが、ポーツマスの講和会議では一銭の賠償金も取れなかった。このときの日本は、もう破綻寸前で、戦争を継続するのはもはや不可能だった。いや実際のところ、賠償金を取るまでねばり強く交渉する気力さえなかったのだ。

 だが、不満を募らせた国民は、交渉に当たった外務大臣・小林寿太郎の「弱腰」がそうさせたのだと思い込んで、各地で「講和反対」を叫んで暴徒化した。小林も暴徒たちの襲撃にあった。

 こうした国民の反応を、いかに愚かだと切って捨てていいものだろうか。民衆の側からすれば、当時国の実態を知らされていなかったのだから、憤慨して当然であった。他方、国としても、そうした世論を利用したという側面がなかったとはいえない。民衆の強硬な意見を背景にして有利の交渉をすすめようとするのは外交ではよくつかわれる手法だからだ。歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではないからだ。

 この国に生まれ育ったのだから、私は、この国に自信をもって生きていきたい。そのためには、先輩たちが真剣に生きてきた時代に思いを馳せる必要があるのではないか。その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる。それが自然であり、もっと大切なことではないか。学生時代、徐々にそう考え始めていた。

 だからといってわたしは、ことさら大声で「保守主義」を叫ぶつもりはない。わたしにとって保守というのは、イデオロギーではなく、日本及び日本人について考える姿勢のことだと思うからだ。

 現在と未来にたいしてはもちろん、過去に生きた人たちにたいしても責任を持つ。いいかえれば、百年、千年という、日本の長い歴史のなかで育まれ、紡がれてきた伝統がなぜ守られてきたかについて、プルーデント(慎重)な認識をつねにもち続けること、それこそが保守の精神なのではないか、と思っている〉――

 安倍晋三は「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」と言いながら、「その時代」から離れて、現代の視点から、「確かに軍部の独走は事実であり、最も大きな責任は時の指導者にある」と、実際はそんなことは思ってもいないのだが、文章のバランス上そういった態度を取って歴史を見つめ直すご都合主義な矛盾を犯している。

 「マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していた」、それが当時、「その時代に生きた国民の視点」なのであり、その「視点で、虚心に歴史を見つめ直してみる」ことが正しい歴史認識であり、正しい歴史解釈であると主張している。

 つまり後世の人間は歴史をその当時の国民が見たとおり、感じたとおり、行動したとおりに見なければならないし、感じなければならないし、行動したとおりに解釈しなければならないと言っていることになる。

 このことを裏返すと、歴史に関しては後世の人間は自らの目を通して眺めてはならないし、感じてはならないし、自身が取るであろう、あるいは取らなければならないとする責任感や義務感に立った行動を起こしてはならないということになる。

 要約すると、歴史から何も学ばないということである。あるいは歴史から何も学んではいけないということになる。
  
 日露戦争当時の国民の態度にしても、「民衆の側からすれば、当時国の実態を知らされていなかった」としても、国民が日露戦争の勝利に熱狂し、その勝利に反して賠償金を一銭も取れなかった講和条約に対して熱狂が激高に変じて暴徒化した歴史事実は「国民の視点」によってつくり出された歴史事実なのだから、その「視点」で読み解き、歴史としなければならないということになる。

 国家権力によって「国の実態を知らされていなかった」のだから、現在の目で見て国民が暴徒化した「歴史を単純に善悪の二元論で片付けることは」できないし、「歴史というのは、善悪で割り切れるような、そう単純なものではない」。
 
 安倍晋三の歴史認識論に従うと、北朝鮮の金三代独裁体制が崩壊し民主化されたとしても、民主化された北朝鮮国民は独裁体制時代の歴史を当時の独裁体制下の北朝鮮国民が公には熱狂して支持した目を通して見つめ、解釈しなければならないことになる。

 つまり、学ぶというどのようなプロセスを置いてはいけないことになる。学んで後世の歴史の参考にするというプロセスを置くことも、当然、安倍晋三流歴史認識論としては邪道ということになる。

 その結果、北朝鮮ではどのように民主化されたとしても、金日成・金正日・金正恩三代は永遠の英雄として存在することになる。

 戦前の日本の国家権力も、国家権力が暴走した戦前の戦争も、マスコミも国民も熱狂して支持したのだから、熱狂して支持した目を通して歴史を見なければならない。

 要するに安倍晋三は戦前の国家権力にしても戦前の戦争にしても、その歴史から何も学ばず、戦前のマスコミや国民が熱狂的に支持したのと同じように熱狂的に支持していることになる。

 この文脈からしても、常々言っていることだが、靖国神社に参拝して、戦没兵士に対して「お国のために尊い命を捧げた」と称える顕彰は尊い命を捧げることとなった戦前国家と戦前戦争を併せて称え、肯定しているとすることができる。

 安倍晋三は「安倍内閣として侵略の事実を否定したことは一度もない」と言っているが、当時のマスコミや国民の目を通した解釈通りに聖戦・自存自衛の戦争と見ていることになるから、「侵略の事実を否定したことは一度もない」は侵略戦争だったと肯定しないためのレトリックに過ぎない。

 戦前という歴史を全面的に肯定することは、戦前の国家権力とその戦争の歴史から、国家権力に対する国民の監視の必要性を学分ことを省くことになるし、国家に言いなりになるのではなく、国民の権利の主張の必要性を学ぶことも省くことになる。

 何も学ばなくてもいいということはそういうことであろう。

 例えば戦前は国家の戦争に反対することは国賊とされ、それが国家による国民に対する正しい断罪だった。戦後、戦争反対のデモを行うにしても、その動機を戦前の戦争に国民が反対せずにズルズルと巻き込まれてその深みにはまっていったことの反省としてはならないことになる。何しろ戦前の国民は戦争を熱狂的に支持したのだから。

 歴史から何も学ぶなとすることは国民を愚かしいままにして置けという一種の愚民論に相当する。

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