◆けいはん!!百周年!!
本日は京阪電鉄が大阪天満橋と京都五条駅間を開業させてから100周年を迎える京阪開業100周年という記念日です。
京阪電鉄は、京都と大阪を結ぶ49.3kmの京阪本線、京都中心部から更に乗り入れる2.3kmの鴨東線、大阪の新しい3.0kmの中之島線、7.6kmの宇治線、6.9kmの交野線、14.1kmの石山坂本線、7.5kmの京津線という90.7kmを運行する鉄道会社で、大阪と京都を結ぶ鉄道として発達してきました。
この京都と大阪を結ぶ区間は、大阪神戸と並び鉄道競争の激戦区として知られ、JR、阪急も路線を整備していて、厳しい競争下にあって京阪電鉄は乗り心地の良い特急、快速急行と多数の準急や普通電車を中心にきめ細やかなダイヤを組み、重要な交通手段として今日に至ります。
京阪は1951年から特急運行を開始、エアサスペンションとクロスシートにより乗り心地の良い車両にテレビカーを組み込み、特急料金不要というかたちで運行しました。1971年からは特急に冷房が装備されるようになり、テレビカーにはカラーテレビが設置されるようになり、快適さはさらに向上しました。
今日特急として運行される旧3000形と8000形にはダブルデッカー車が組み込まれる編成となり、ダブルデッカー車の特急料金不要と言うのは全国初、これは今も変わっていません。そしてテレビカーには個別スピーカが接地され、特急料金不要の車両としては最高峰のサービスを供しています。
京阪電鉄は、1877年に鉄道省線が大阪と京都を結んだ際に、東海道本線から距離がある事で鉄道線の恩恵にあずかれなかった淀川左岸の交通の利便性向上についての気運が高まり、1906年に財界が手を合わせ、京都と大阪を結ぶ新鉄道の建設を目指し、京阪電気鉄道株式会社が誕生しました。
しかし官営鉄道という鉄道省路線との競合を避ける目的でなかなか敷設許可が国から下りなかった経緯があります。路面電車というかたちで軌道線の敷設許可が下りました。こうして街道沿いに大阪天満橋と京都五条の間に線路が敷設、46.6kmの路線が1910年4月15日に開業しました。
開業した京阪電鉄線は、電車こそ小型の1型で今日と比べれば決して速くは無かったのですが、非電化であり蒸気機関車が客車をけん引していた東海道本線にたいして圧倒的な速度を誇っていて、街道沿いに建設された京阪本線の誕生は沿線の活性化に大きな役割を果たしました。
この街道沿いに建設された京阪本線とともに、高速路線として新しい路線を建設する新京阪電鉄線が1921年に建設を開始、1928年には新京阪線として天神橋と西院駅との間で開業しました。この新京阪線はお気づきの通り、今日の阪急京都本線に当たる路線です。
新京阪線は特急を運行していて、1937年の東海道本線京都大阪間の電化実現までは、京都大阪間の旅客輸送需要について、その多くを京阪電鉄が担うようになっていました。新京阪線が開業するとともに京阪線を現在の京津線とは別に大津に延伸する計画が当時真剣に検討されていました。
この計画では、今では考えられない壮大な計画なのですが、更に名古屋までの路線を整備する名古屋急行線構想もたてられました。この計画が実現していれば、近鉄線、東海道本線、新幹線と並んで京阪線が名古屋まで乗り入れていることとなり、今日の鉄道路線体系が大きく変わっていたのかもしれません。
残念ながらこの長大な計画は1929年に世界恐慌が日本をも巻き込んだことで京阪電鉄は資金難となり、実現には至りませんでした。世界恐慌は京阪電鉄が大きく手を広げた事業の多くを吹き飛ばす打撃を与えたのですが、一方でこの時期までに今日の京阪電鉄の基盤が形成されることになりました。
1943年、第二次大戦にともなう輸送能力の効率化を期して、国策により京阪電鉄は阪神急行電鉄と合併、京阪神急行電鉄が誕生します。しかし戦後の1949年には京阪電鉄が終戦により戦時合併を解消、この一連の混乱の中で新京阪線は阪急京都本線として阪急側に残ることとなり、今日にいたります。
こうしてこの時点で京都と大阪は国鉄線、京阪線に加えて阪急線が運行される、という今日の体系ができあがったわけですね。一方で、戦時合併により誕生した近畿日本鉄道、名古屋鉄道はその規模を活かす形で存続され、今日の名鉄、近鉄と言う日本最大級の私鉄路線を展開しています。
京阪電鉄では先進的な車両を多々運行していて、ロマンスカーを日本で最初に導入したのも京阪電鉄でです。ロマンスカーといえば今日では小田急電鉄特急として知られていますが、もともとは1927年に京都への観光急行として京阪電鉄が導入した1550形がそのはじまりで、転換式クロスシートを備えた車両として導入されました。
もう一つの観光スポット琵琶湖を結ぶ浜大津へ直接乗り入れる車両として、60形びわこ号が導入、京阪電鉄を代表する車両となった、びわこ号は営業運転終了後の今日も保存されていて、再度運転可能な状態への復帰を目指すプロジェクトが現在進展中で、広く募金を募っています。
1930年代、東海道本線の電化が完成し、東海道本線の鉄道省運行列車の速達性が高まると、対抗する形で流線型の1000形が導入され、運用されました。この車両は現在、足回りを近代化して石山坂本線において700形となり、今日も元気に運行が続けられています。
戦後、新京阪では戦前から特急が運行されているのですが、新京阪線が阪急京都本線となったことで京阪本線にも特急を運行する必要性が生まれ、1700形、初代テレビカーが1954年に誕生しました。1954年といえばテレビ放送が本格的に始まり、街頭テレビに人が集まっていた、という時代です。
テレビカーにはモノクロテレビが搭載されていただけなのですが、当時の人気は絶大で、こうして京阪特急のなかでテレビカーは一つの代名詞としてブランドが培われていきます。1959年には高加速高減速が可能な2000形スーパーカーが登場、高性能車両を揃えるようになりました。
1963年4月15日には、さらなる大阪中心部への路線延長を目指し、淀屋橋延長が完成、京阪電鉄は新しい飛躍の一歩を遂げました。京阪電鉄は軌道線として敷設され、ということは先ほど記しましたが、実質的に路面電車と扱いが同じである軌道線として長く運行、電圧も低いままでした。
しかし、輸送需要に合わせる形で車両の編成も長くなり、1974年から鉄道線に対応する電圧への電車の昇圧工事が開始されます、これにあわせるかたちで、1978年、軌道線から鉄道線に転換されることとなり、京阪本線は鉄道に、淀屋橋と東福寺が鉄道線へ置き換えられました。
1989年には参上駅から出町柳駅までの鴨東線が開業、併せて現在の主力特急8000形が運行を開始、8000系に併せるように車両アコモゼーションの向上を期して旧3000系へのダブルデッカー車の組み込みが開始、のちに8000系にも組み込まれ、今日の京阪本線と特急の姿が完成します。
2008年10月19日には中之島新線が開業、淀屋橋とともに大阪の中心部に路線を延長させることが実現しました。新しくセミクロスシート3000形を快速急行として充当して、中心部の一つとして数えられながら鉄道線が整備されなかった中之島へ京阪が乗り入れました。
中之島新線は、市電撤退後に鉄道線から隔離された中心地と言う事もあり、京阪線乗り入れで活発な利用は期待されたのですが、その利用状況などから当初考えられたほどに需要はなかったとのことです。しかし、長期的には沿線開発の選択肢を広めたことにもなり、意義深い3kmの路線開発であったといえます。
2010年、百周年を迎える京阪は、選ばれる京阪、進化する京阪を目指し、京阪ブランドを確立するべく新塗装への置き換えを実施しています。これまでの馴染んだ京阪カラーが新塗装に置き換えられるのには一抹の寂しさを感じるのですが、新しい次の百年への前進、という位置づけであるわけです。
花鳥風月というキーワードのもとで快適な高速移動を実現するクラス1エレガントサルーン、これはダブルデッカー車を備えた片側2扉のクロスシート車である8000系や、旧3000系、現在の8030系特急が、このクラス1に当たる車両となり、塗装とともに車内なども新しいものに転換されています。
京阪特急の代名詞となってきたテレビカーですが、現状ではテレビというものは必ずしも特急に必須のものではない、という考えから、新しくセミクロスシート車に切り替えるという計画が進展中です。そういう時代なのかもしれませんが、テレビカー、という名前が無くなりつつあるのは残念ですね。
スマートな快速移動を実現するクラス2コンフォートサルーン、これは片側3扉でありながら1×2のクロスシートを挟んだセミクロスシート車であり、通勤輸送とリラックスした移動を両立させた3000系が充てられます。3000系に続くクラス2の車両がどのようになるのか、という事に興味がわきますね。
街と街を結ぶロングシートのクラス3シティーコミューターという三系列への分化が行われています。これにより、一部のセミクロスシート車のロングシートへの改修が行われていて、併せて、テレビカーの近代型車両への改修も行われていて新しい京阪、次の百年を行く取り組みを展開しています。
京阪電鉄は、新快速が130km/hで快走するJR西日本の東海道本線京都線や琵琶湖線や、もともと高速路線として京阪が整備したのちの阪急京都本線と比べれば、速度は決して速くはありません、多くのカーブにより、可能な限り加速、高速で走るのですが、迫力はあるものの、速度には限界があります。
また、運賃でも、JR西日本を利用するよりは安価に移動することが出来るのですが、阪急と比べた場合、やや運賃は割高になっています。しかし、京阪電鉄は選ばれる鉄道を目指して。車両の豪華さや、停車駅の利便性、駅での最大限の気配りとサービスにより、確たる地位を確立しています。
京阪電鉄は、本日開業から百周年を迎えました。沿線に多くの観光地をもち、そして大都市京都と大阪を結びつつ発展を遂げてきた京阪電鉄、次の百年はどのような展開になるのでしょうか、京都行くならおけいはん!、百年後の想像はできませんが今日のテレビカーやダブルデッカー車を供する、というようなサービス重視の精神は受け継がれるのでしょう。
HARUNA
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