■南スーダン内戦と憲法神学論争
本日は京都幕間旅情,祇園祭二〇一七後祭宵山を予定していましたが、南スーダン派遣日報問題に大きな動きがありましたので変更しお送りします。
南スーダン派遣日報問題、特別防衛監察の完了と共に陸上自衛隊の岡部陸上幕僚長と内局の黒江事務次官が辞任の意向を表明している、防衛省関係者の発言がNHK等により報じられています。稲田防衛大臣も本日夕方に、南スーダン派遣日報問題について防衛大臣としての監督責任を取りたいとして、大臣を辞任する意向を固め明日にも安倍総理大臣へ辞表を提出するもよう。
岡部陸上幕僚長と黒江事務次官、稲田防衛大臣が辞意を表明した南スーダン派遣日報問題とは、どんな問題だったのでしょうか。これは南スーダンにおいて昨年7月に大規模な武力衝突が起きました。この際に南スーダンPKOへ派遣されていた自衛御鯛派遣施設隊日報の内容について国会討議の対象となり、陸上自衛隊が破棄したと説明しましたが、実際は残っていたもの。
戦闘、という表現が南スーダン派遣日報に明示されていたとの指摘があり、これはPKO協力法に基づく部隊派遣の要件を満たさなくなったとして南スーダンPKO部隊を即座に撤収させる要求が野党により出されたものでした。しかし、政府答弁では現地で展開していたのは衝突であり戦闘ではないと一貫していた為、国会での大きな討議内容となった訳です。
海外派遣部隊を統括する中央即応集団、陸上自衛隊は南スーダン派遣日報について機密文章ではなく将来の開示要求等も想定しないとして、当該日報は破棄しているとの説明を行っていましたが、今年3月に入り中央即応集団司令部に南スーダン派遣当該日報が保管されている事が判明し、戦闘という表現を含んだ事実を隠蔽したとして問題が拡大しました。
戦闘か衝突か、これは憲法神学論争や永田町用語としての戦闘と衝突の違いがあったと解釈すべきで、この問題となっている昨年7月の戦闘は反政府勢力の戦車部隊がT-72戦車を戦闘に首都ジュバ市内へ突入し、政府軍のMi-24攻撃ヘリコプターが航空攻撃を加え戦車を撃破するという状況、軍事用語では戦闘となりますが、法律用語では戦闘の定義が明確ではありません。
憲法神学論争と揶揄される憲法の国会での解釈、今回も繰り返された形です。国会において戦闘の定義を明確とせず、PKO部隊を派遣したのは前政権時代ですが、南スーダンPKOそのものは2002年以降のPKO全てと同様に、国連憲章七章措置の安全保障理事会の責任を持って行う安保理決議により実施されているもので、以前のPKO任務よりは国連軍としての要素を大きく含み派遣されるものでした。当然、戦闘は想定されました。
自衛隊撤退を即座に行う事が妥当ではなかったか。これは国連南スーダン派遣団UNMISSの枠組みの中で行動する自衛隊を、調整なしに離脱させる事は難しいですし、アフリカの南スーダンから要員を即座に撤収させる空輸力もない。故に即座の撤退を要求した野党は、付随する人道危機や撤収により生じる自衛隊損害を度外視したものといわざるをえない。
民主国家として軍事機構が情報を隠蔽する事の健全性、という視点から批判される南スーダン派遣日報問題ですが、それ以前に派遣するに十分ではない法律を了承しPKO部隊を派遣した事に問題の本質があります。その上で、法律用語や永田町用語としての戦闘と軍事機構である自衛隊の戦闘という用語の齟齬が、現場不在で拡大した状況が垣間見えます。
戦力不保持という憲法の下で余りに制約された自衛隊の行動の中で、戦闘と衝突と云い敢えて自衛隊を海外派遣するという、問題の本質は遡れば自衛隊創設と同時に行うべき自衛隊の憲法上の位置づけと、わが国平和政策をどのように現実政治に収斂させるのかという問題を棚上げし続け、事実上改憲という論点に忌避し続けた部分まで、問題は遡れます。
ただ、衝突と戦闘の単語の問題、これは憲法上保持を禁じられた戦力の例外に自衛隊が位置付けられるよう、憲法上の禁じられた国権の発動たる戦争、この戦争の定義に含まれない防衛力の投射、恰も日中戦争を満州事変と言い換えた時点と似た、云わば軍事上戦争に位置付けられるが憲法上戦争とならない衝突があり得る。こう考える事も出来ましょう。
平和憲法のもと、日本は平和国家として歩み続けてきましたが東西冷戦では太平洋側での最前線に位置した朝鮮半島と北海道北部の緊張、冷戦後は中国海洋進出の最前線に位置すると共に核実験とミサイル実験を継続する北朝鮮、最大規模の地域紛争へと展開し得る台湾海峡という現状を背景に、平和憲法の戦力不保持は限度があるといわざるを得ません。
南スーダン派遣日報問題の本質は、戦力不保持という憲法の下で国際貢献を行うという事への根源的な限界と共に、部隊の安全性と無理に部隊を撤収させる事による人道危機以上に、“衝突と戦闘の単語の問題”という部分が論点の発端となり本質となった点でしょう。現実に沿った政策を憲法上できないのであれば、憲法解釈と用語を際限なく駆使して辻褄を合わせるか、改憲か、本質は憲法の数多い論点まで展開してしまうものです。
北大路機関:はるな くらま
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本日は京都幕間旅情,祇園祭二〇一七後祭宵山を予定していましたが、南スーダン派遣日報問題に大きな動きがありましたので変更しお送りします。
南スーダン派遣日報問題、特別防衛監察の完了と共に陸上自衛隊の岡部陸上幕僚長と内局の黒江事務次官が辞任の意向を表明している、防衛省関係者の発言がNHK等により報じられています。稲田防衛大臣も本日夕方に、南スーダン派遣日報問題について防衛大臣としての監督責任を取りたいとして、大臣を辞任する意向を固め明日にも安倍総理大臣へ辞表を提出するもよう。
岡部陸上幕僚長と黒江事務次官、稲田防衛大臣が辞意を表明した南スーダン派遣日報問題とは、どんな問題だったのでしょうか。これは南スーダンにおいて昨年7月に大規模な武力衝突が起きました。この際に南スーダンPKOへ派遣されていた自衛御鯛派遣施設隊日報の内容について国会討議の対象となり、陸上自衛隊が破棄したと説明しましたが、実際は残っていたもの。
戦闘、という表現が南スーダン派遣日報に明示されていたとの指摘があり、これはPKO協力法に基づく部隊派遣の要件を満たさなくなったとして南スーダンPKO部隊を即座に撤収させる要求が野党により出されたものでした。しかし、政府答弁では現地で展開していたのは衝突であり戦闘ではないと一貫していた為、国会での大きな討議内容となった訳です。
海外派遣部隊を統括する中央即応集団、陸上自衛隊は南スーダン派遣日報について機密文章ではなく将来の開示要求等も想定しないとして、当該日報は破棄しているとの説明を行っていましたが、今年3月に入り中央即応集団司令部に南スーダン派遣当該日報が保管されている事が判明し、戦闘という表現を含んだ事実を隠蔽したとして問題が拡大しました。
戦闘か衝突か、これは憲法神学論争や永田町用語としての戦闘と衝突の違いがあったと解釈すべきで、この問題となっている昨年7月の戦闘は反政府勢力の戦車部隊がT-72戦車を戦闘に首都ジュバ市内へ突入し、政府軍のMi-24攻撃ヘリコプターが航空攻撃を加え戦車を撃破するという状況、軍事用語では戦闘となりますが、法律用語では戦闘の定義が明確ではありません。
憲法神学論争と揶揄される憲法の国会での解釈、今回も繰り返された形です。国会において戦闘の定義を明確とせず、PKO部隊を派遣したのは前政権時代ですが、南スーダンPKOそのものは2002年以降のPKO全てと同様に、国連憲章七章措置の安全保障理事会の責任を持って行う安保理決議により実施されているもので、以前のPKO任務よりは国連軍としての要素を大きく含み派遣されるものでした。当然、戦闘は想定されました。
自衛隊撤退を即座に行う事が妥当ではなかったか。これは国連南スーダン派遣団UNMISSの枠組みの中で行動する自衛隊を、調整なしに離脱させる事は難しいですし、アフリカの南スーダンから要員を即座に撤収させる空輸力もない。故に即座の撤退を要求した野党は、付随する人道危機や撤収により生じる自衛隊損害を度外視したものといわざるをえない。
民主国家として軍事機構が情報を隠蔽する事の健全性、という視点から批判される南スーダン派遣日報問題ですが、それ以前に派遣するに十分ではない法律を了承しPKO部隊を派遣した事に問題の本質があります。その上で、法律用語や永田町用語としての戦闘と軍事機構である自衛隊の戦闘という用語の齟齬が、現場不在で拡大した状況が垣間見えます。
戦力不保持という憲法の下で余りに制約された自衛隊の行動の中で、戦闘と衝突と云い敢えて自衛隊を海外派遣するという、問題の本質は遡れば自衛隊創設と同時に行うべき自衛隊の憲法上の位置づけと、わが国平和政策をどのように現実政治に収斂させるのかという問題を棚上げし続け、事実上改憲という論点に忌避し続けた部分まで、問題は遡れます。
ただ、衝突と戦闘の単語の問題、これは憲法上保持を禁じられた戦力の例外に自衛隊が位置付けられるよう、憲法上の禁じられた国権の発動たる戦争、この戦争の定義に含まれない防衛力の投射、恰も日中戦争を満州事変と言い換えた時点と似た、云わば軍事上戦争に位置付けられるが憲法上戦争とならない衝突があり得る。こう考える事も出来ましょう。
平和憲法のもと、日本は平和国家として歩み続けてきましたが東西冷戦では太平洋側での最前線に位置した朝鮮半島と北海道北部の緊張、冷戦後は中国海洋進出の最前線に位置すると共に核実験とミサイル実験を継続する北朝鮮、最大規模の地域紛争へと展開し得る台湾海峡という現状を背景に、平和憲法の戦力不保持は限度があるといわざるを得ません。
南スーダン派遣日報問題の本質は、戦力不保持という憲法の下で国際貢献を行うという事への根源的な限界と共に、部隊の安全性と無理に部隊を撤収させる事による人道危機以上に、“衝突と戦闘の単語の問題”という部分が論点の発端となり本質となった点でしょう。現実に沿った政策を憲法上できないのであれば、憲法解釈と用語を際限なく駆使して辻褄を合わせるか、改憲か、本質は憲法の数多い論点まで展開してしまうものです。
北大路機関:はるな くらま
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