北大路機関

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【日曜特集】第14旅団創設6周年-善通寺駐屯地祭【1】四国旅団の記念式典(2012-04-29)

2019-01-20 20:19:20 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■歴史と伝統の四国善通寺旅団
 四国善通寺、ここには第14旅団が駐屯しています。四国旅団というべき第14旅団は歴史と伝統を誇る部隊の系譜に在り、今回からその創設記念行事の様子をご紹介しましょう。

 第14旅団、四国全域を防衛警備管区とする陸上自衛隊の旅団です。旅団司令部は善通寺駐屯地、香川県善通寺市に所在しています。四国はお遍路で知られる平穏無事な印象がありますが、ここ善通寺駐屯地はもともと旧陸軍第十一師団本営が置かれた四国の軍都です。

 旅団は2018年の改編で16式機動戦闘車と96式装輪装甲車により高度に機械化された即応機動旅団へ改編されましたが、今回紹介する旅団記念行事の撮影は2012年、74式戦車と軽装甲機動車にFH-70榴弾砲を備えた伝統的な普通科部隊を中心とする新しい旅団です。

 普通科隊員や74式戦車とともに善通寺五岳山の特徴的な山容が。実は四国のこの特徴的な山容は、一年に数回しか出会えない自衛隊行事の構図を供してくれましたので、正確な名を知りたいのですが、五岳山でよいのでしょうか、違っていればお教えいただければ幸い。

 旧陸軍第十一師団本営が置かれた軍都、かの乃木希典が台湾総督を経て初代師団長を務めた師団です。当時の師団は新設師団であり、善通寺駐屯地には明治時代の建物も赤れんが倉庫群として現存しており、過去には有名な愛知県の明治村への移設も検討されたという。

 善通寺駐屯地へ初めて歩みを進めた当方の率直な感想は広い、大きい、というものでした。そうだろうか、と思われるかもしれませんが第3師団の千僧駐屯地、第10師団の守山駐屯地、そして東京は第1師団の練馬駐屯地を幾度か探訪し、広さの相場を知っていたために。

 騎兵連隊跡地、善通寺駐屯地へと善通寺駅から歩みを進めてゆきますと、旧軍時代の面影が石碑に残っています。四国学院大学というキャンパスの前を通りますが、聞けばここも旧陸軍第十一師団の駐屯地跡地といいますので、駅前が広く駐屯地だったことになります。

 旅団司令部駐屯地、という事ですが、なにしろ指揮階梯から旅団は師団の下という印象が、勿論日本では師団隷下部隊に旅団は無いのですが、要するに師団駐屯地の方が広いのではないかという率直な思い込みがありまして、そのまま地図で広さを視ず行った故といえる。

 軍都といえば、旭川駐屯地の広大な第2師団、正門から駐屯地祭式典会場まで徒歩40分掛かった、要するに京都でいえば北大路駅から金閣寺までの所要時間、みんなバスで移動する距離、途中に大徳寺とか今宮神社とかある、よりも広大な駐屯地一応は知っています。

 北海道の駐屯地は広いなあ、という印象で、その際には思っていました。その上で、善通寺と云いますと、まあ、温暖な蜜柑と饂飩の豊か、言い換えれば戦塵硝煙発砲焔とは無縁そうな印象がありましたので、要するに広くとも千僧駐屯地や伊丹駐屯地の広さを想った。

 南風はじめ特急が善通寺駅には停車します、印象は饂飩、饂飩の店が駅前に駅横に道端に商店街に、中華料理店のような饂飩店と喫茶店のような饂飩店に駄菓子屋のような饂飩店とコインランドリーのような饂飩店、コンビニや信号よりも饂飩店が多い事を実感します。

 四国旅客鉄道がこの善通寺に特急を運行させる背景には金毘羅山と善通寺、四国の豊かな歴史を伝える風土がある訳なのですが、そしてここに駐屯地があると聞きますと、なにしろ想像力が乏しいと反省する当方、思い浮かべたのは信太山のような山裾の駐屯地です。

 弘法大師空海が拓いた善通寺の荘厳な伽藍と天を衝く古くしかし新鮮な五重塔がどきりとするほどの威容を誇ると共に鋭敏な山々が峯を視野に左右広く広く雄大さを伝える中に私が善通寺駅から長い道を進みますと、目に入ったのは柳の木に爪を研ぐ猫と駐屯地でした。

 即応機動旅団へ改編され、重厚な機械化部隊である第15即応機動連隊を隷下に置く第14旅団、それが現在の旅団の姿ですが、今回紹介する旅団行事は2012年に撮影しました即応機動旅団改編前の旅団の様子です。16式機動戦闘車はまだ試作車公開前、74式戦車時代だ。

 犬派の当方が爪を研ぐ猫に最初に印象が持ったのは、道路わきの街路樹の堀の深い柳の大木に堂々と仁王立ちの爪とぎの様子に威容というか猫ならではの気軽さ故の気風を感じたとともに、その猫の背景に煉瓦の外柵が延々と広がり其処が駐屯地であると気付いたから。

 旅団編制は司令部及び同付隊、第15即応機動連隊、第50普通科連隊、中部方面特科隊、第14偵察隊、第14高射特科隊、第14施設隊、第14通信隊、第14化学防護隊、第14後方支援隊、第14飛行隊、第14音楽隊など、現在の旅団編制は以上の通りとなっている。

 千僧駐屯地と似ているかな、と思ったのは、まあ広さは別としましてですが、善通寺駐屯地にも駐屯地の中央に公道が走っている点でしょうか、千僧駐屯地でも式典会場と師団司令部の敷地の中間に国道が走っていまして、自衛隊専用歩道橋で行き来しましたからね。

 第2営舎地区や第2キャンプ、というそうでして旅団司令部がある、つまり駐屯地記念行事式典会場の置かれた側が駐屯地の中心、明治時代の建物が残る風光明媚な地区が第2営舎地区や第2キャンプという。キャンプと名が冠せられているのは英軍駐屯時代の名残か。

 第3営舎地区や第3キャンプという区画がある、善通寺駐屯地の広大さを示すのはもう一つありまして、ここには駐屯地資料館と保存装備展示地区が広がっています。駐屯地資料館は旧陸軍第十一師団司令部庁舎が活用されていまして、自衛隊時代にも活用されました。

 第2混成団司令部庁舎、として使われていまして、この第2混成団は第14旅団司令部改編への母体となった部隊です。資料館は明治時代の風情を感じるといいますか、広い建物ではないのですが質素な中に機能美を秘めた、しかし古く格式のある建物です。ここは好き。

 旅団司令部庁舎は混成団の旅団改編と共に新しく建設されたもので、混成団司令部庁舎よりも600mほど離れた場所にあります、第3キャンプから駐屯地中心の方へ、という事なのですが、途中に公道もあり、実は地味に引っ越しが大変だったのかな、とおもったりも。

 第2混成団は1981年に四国にも新しい部隊をという機運、具体的には毎年多くの新隊員が志願し北海道の第一線へ配属された一方、退官近くになれば郷里近くの部隊を志願する為に四国にも受け皿の部隊を必要とする事となり、新たに混成団を新編したという構図です。

 第2教育団、現在は大津に移駐し中部方面混成団へ拡大改編を受けていますが、混成団創設以前の善通寺駐屯地は第2教育団本部が置かれる駐屯地で、四国全域は広島海田市の第13師団が警備隊区としていました。ここに第2混成団が置かれ第14旅団になったという。

 混成団の旅団への改編は2006年に挙行されました。これは1996年防衛大綱において明示されていました戦略機動部隊への改編事業の一環として行われ、第15普通科連隊主体の混成団へ新たに第50普通科連隊を新編し、機動運用体制を執らせる事が主眼といわれている。

 旅団創設当時の編制は司令部及び同付隊、第15普通科連隊、第50普通科連隊、第14特科隊、第14戦車中隊、第14偵察隊、第14高射特科中隊、第14施設中隊、第14通信中隊、第14化学防護隊、第14後方支援隊、第14飛行隊、第14音楽隊など、という編成でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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