北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【7D特報】ファントムの居た光景と頭上往くF-2戦闘機の岐阜基地日常風景(2021-03-15)

2021-10-09 20:04:44 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■青空には戦闘機が似合う
 青空には戦闘機が似合う。だからこそ航空祭が行われない時節にも定期的に空を見上げておきたいものです。

 自衛隊関連行事総崩れというCOVID-19感染拡大は留まるところを知りませんが、日常は動いています、そう、頭上をF-2戦闘機が航過するような日常が、自衛隊基地では日々続いているのですね。なにしろ抑止力、24時間365日一瞬の空白も許される訳ではない。

 F-2戦闘機が頭上を飛行するのは岐阜基地、飛行開発実験団の展開する飛行場であるとともに中京京阪神若狭地区の戦域防空及び弾道ミサイル防衛を担う第4高射群司令部が置かれ、また航空機部品など所管する第2補給処という航空自衛隊補給体系の要衝が置かれている。

 岐阜基地、日常風景として毎日、勿論土曜日と日曜日は省きますが、航空機が発着しているものでして、しかも意外に捻る経路を執ってくれますと、航空祭の機動飛行を思い出す。もっとも捻るのは鳥類など危機回避の際もありますが、サムアップの余裕がある場合も。

 T-4練習機、市松模様のT-4練習機です、市松模様といっても鬼滅の刃とかは関係ありませんものでして、これは浜松基地第1航空団所属の航空機である事を示している。T-4練習機は優れた航空機ではありますが、そろそろこの後継機を真剣に選定しなければなりません。

 川崎重工で量産されたT-4,里帰りでもある。後継機はどうなるのだろうか、なにしろT-4は200機以上量産されています、取得費用を抑え整備性も高いT-4をそのままグラスコックピット化して再生産しても良いと思うが、高度な練習機の必要性は近年認識されている。

 浜松基地、第1航空団はジェット機要員養成の教育航空部隊であり、後部座席の教官は写真を見ても心なしか余裕を感じる姿勢ですが、操縦士は次の課程に進めるかが一回の失敗で吹き飛びかねず、一度飛行するだけでも多額の税金を要する為に緊張感さえ伝わります。

 F-15戦闘機、こちらは岐阜基地の機体ですね。このF-15も近代化改修としてジャパンスーパーインセプター計画という捻ったような古臭いような案がボーイング社により提案され、進められていましたが、相談無き高騰を前に岸防衛大臣が繰り返し情報開示を求めていた。

 ジャパンスーパーインセプター計画は当初見込みよりも遥かに超過し、F-15EX戦闘爆撃機新造費用に迫る状況となり最後のボーイング社への説明要求の後に中止に。しかし波風立たなかった後で豪州原潜問題での欧豪対立を見ますと情報要求と調整の重要性が分ります。

 F-15戦闘機、しかし古い機体は1981年納入というもの。ジャパンスーパーインセプター計画がどの程度機体を延命するかは不詳ですが、仮に、仮にですが1990年代前半に製造された機体を2050年代まで運用継続できる程度に補強するならば、もう少し価値は、と思う。

 F-4ファントム。この写真は2021年3月15日に撮影しました。実は2020年と2021年はほぼ舞鶴基地と岐阜基地にしか行く事が出来なかったのですが、2005年から数年の北大路機関草創期以来の頻度で、撮影に行く事が出来まして、写真はゆっくり紹介してゆきたい。

 ジャパンスーパーファントム計画、なんてものはありませんが、結局日本がここまで長期間ファントムを運用し、防衛に穴をあけずF-35へ世代飛ばしで交代させられたのは三菱重工でのライセンス生産と運用基盤故でした、最終IRAN時も撮影しましたが意義は大きい。

 ファントム、しかしご承知の通り航空自衛隊での運用はこの数日後に終了しました。2020年と2021年はCOVID-19により航空祭も行えない状況でしたので、退役は知識として知ってはいるが実感として何かまだ飛んでいるような気がする、とは遠方の友人の声でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【榛名備防録】ドイツ海軍最大の作戦-デーニッツ提督の決断,難民202万人を救出せよ!

2021-10-09 14:11:29 | 国際・政治
■難民202万人を救出せよ
 アフガニスタンでの自衛隊邦人輸送失敗とアメリカの撤退と難民放置という寂しい話題が残るこの頃ですが、世界には凄い指揮官もいた。

 第二次大戦中にドイツ海軍が行った軍事作戦で最も成功した作戦とは何か、こう問われますと、ライン演習作戦やチャンネルダッシュ作戦など華々しい作戦を思い浮かべるのかもしれませんが、日本で戦後教育を受けた身としては難民救出作戦を思い浮かべます、救助した人命は202万2602名、救助した人数が桁外れというものですから、考えれば凄い。

 東部戦線崩壊、ドイツ軍は緒戦にソ連へ侵攻しモスクワ近郊まで進撃を続けましたが、政治上の要求からカフカス地方の油田地帯に攻撃を変更した事でソ連軍に戦力再編の機会を与え、1943年初頭よりソ連軍は反撃に転じます、一方、ソ連軍の軍律は高い水準とは言えず、略奪暴行放火殺戮を東プロイセン地方で大規模に実施した為、大量の難民が発生する。

 ダンツィヒやグダニスクとバルト海沿岸の港から、ソ連軍の侵攻からせめて米英軍占領地へ退避しようとした難民は数百万に上り、ドイツ海軍は避難民輸送を開始します。当時のアドルフヒトラー政権において海軍総司令官に在ったデーニッツ提督が難民輸送命令を発動したのは1945年1月23日、ドイツ海軍は艦隊温存主義により多数が残存していました。

 ビスマルク喪失、ドイツ海軍は1941年に実施した通商破壊作戦において最新鋭戦艦ビスマルクが初の作戦航海によりイギリスの巡洋戦艦フッドを轟沈させたものの、地中海を含む広大な海域から集められたイギリス海軍戦艦部隊の猛攻を受け撃沈された事を受け、ヒトラーは海軍戦艦部隊に失望、燃料を無駄に使うだけであるとして艦隊温存に徹しています。

 デーニッツ提督はドイツ海軍潜水艦部隊司令官からヒトラーに潜水艦部隊の威力を評価され海軍総司令官を命じられた提督で、ヒトラーは残存したプリンツオイゲンやテルピッツなどの解体と資材の潜水艦への転用を強く希望しますが、後に必ず使う時が来るとして、デーニッツ提督は艦隊温存主義を主張、これは幸い、受け入れられることとなりました。

 ロベルトレイなど、ドイツには当時2万tを超える大型客船6隻などが徴用客船として維持され、これらは潜水艦部隊であるUボート乗員の宿泊艦として用いられていました、デーニッツ提督は先ず、徴用大型客船13隻や大型貨物船25隻を動員し、しかし任務海域にはソ連潜水艦の脅威が在る事から残存水上戦闘艦を最大限護衛に加え難民輸送を開始した。

 ヴィルヘルムグストロフ号撃沈、撤退作戦の最中にはソ連潜水艦攻撃により撃沈され乗員乗客1万0582名の内実に9343名の死者を出した大型客船ヴィルヘルムグストロフ号撃沈の悲劇などがありますが、それでも202万2602名もの人命を虐殺略奪の脅威から救い出したデーニッツ提督の撤退作戦は評価されるべきです、そしていよいよベルリンが陥落する。

 ベルリン地下壕での4月30日ヒトラー自決と共にデーニッツ提督は第二代総統に指名されドイツ全権を担う事となります、しかし降伏しては難民輸送が不能となる、そこで提督は5月1日に当初予定した降伏を、イギリスへのみ5月5日に降伏し、ソ連への降伏を数日間延期しました、何故なら5月1日時点、まだ難民が港に15万名残っていた為、できない。

 ドイツは5月8日、連合国に対し全面降伏を行います。それは最後の難民船団が出航した直後の事でした。世界には輸送機にしがみついた難民を振り落して撤退し逃げ遅れた難民を無視する自称超大国の大統領が2020年代に入っても撤退成功を自画自賛していますが、あの救いようのない末期戦のドイツで、最後まで難民救助に戦った提督が、居たのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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