■戦艦認識変えた1922年の実験
戦艦無用論、戦前の一つの潮流でしたが日本では海軍が艦隊派閥と航空派閥に割れていた一方、海の向こうでも似たような状況がありました。
戦艦無用論、驚かれるかもしれませんが戦前ではアメリカでも強い地位にありました、そしてこれを牽引したのはアメリカ陸軍航空隊です、アメリカ海軍航空隊ではなく。日本の場合は戦艦か航空機か、という論争は海軍航空本部と連合艦隊の間での論争でしたが、アメリカでは陸軍と海軍、特に戦前アメリカはモンロー主義、中立政策が国是でした、が。
ヘルゴラント級戦艦のオストフリースラント、1911年にドイツ帝国海軍が竣工させたド級戦艦です、排水量22800tで30.5cm艦砲を連装砲6基の12門を搭載し主要部装甲は300mm、最高速力は20.5ノットの強力な戦艦です。そしてオストフリースラントはドイツ敗戦後、賠償艦としてアメリカに譲渡され、実験標的艦として1922年、実爆試験に供されました。
マーチンMB-2爆撃機、初期の大型爆撃機が試験に参加しまして水平爆撃を実施、甲板上に十数発が命中した際には砲塔部分で300mm、艦橋一部が400mmという装甲により損傷は大きくなかったのですが、2000ポンド爆弾を高高度から投下した結果、至近弾となったものがバブルジェットを発生させ船底を破断、浸水の後、撃沈に至ったとのことでした。
B-17,アメリカ陸軍航空隊はのちに沿岸防衛用にB-17爆撃機を開発します、戦略爆撃機として運用されていますが、もともとは長大なアメリカ大陸に上陸する敵戦力を航空攻撃により撃破する目的で開発され、1941年の真珠湾攻撃直前にハワイ哨戒任務へ本土から回送されていますし、重巡足柄はじめ泊地でB-17爆撃機による水平爆撃で損傷した事例も実際多い。
戦艦なんて一発だぜ!。1920年代に実験とはいえ、航空機により2万t級の戦艦を撃沈できたことはアメリカ陸軍航空隊を大いに勢いづけるものとなりましたが、この問題を真剣に直視したのが、日本海軍と、そして当然ですがアメリカ海軍でした。日本海軍は航空本部長就任前の山本五十六がこの試験に関する公開情報や派米留学により情報を得ており、航空重視を進めています。
簡単に沈められてたまるか。アメリカ海軍も、このまま陸軍を勢いづかせれば政治的に戦艦が廃されかねないとの危機感を受けますが、同時にアメリカ海軍が研究を開始したのは、艦隊防空を戦闘機など開発を通じ進めるとともに、艦艇の防空能力の強化を進める、というものでした。実際、アメリカの戦艦は作戦行動中、第二次大戦中含め航空攻撃に耐えています。何故か。
要するに飛行機は全部撃ち落せばよい。アメリカはワシントン海軍軍縮条約明けの戦艦について、戦艦の脅威となる駆逐艦の魚雷攻撃を撃退すべく搭載される副砲を廃止し、駆逐艦の艦砲をそのまま搭載する、少し思い切った改変を行っています。当時既に両用砲であった艦砲は高角砲として使用できますし、また、レーダーが実用化される前から射撃統制装置への将来応用を研究しているのですね。
草創期からの技術開発は効をそうし、第二次大戦中に実用化したものは凄いものでした。XバンドレーダーMk35により捕捉した目標を艦内に配置されたMk42射撃統制装置に自動電送し、ジャイロスコープにより得られた目標速力を入力、3秒で目標の未来位置に向けて対空戦闘を実施するシステム開発に着手、完成は終戦に間に合いませんでしたが。現代での艦隊防空システムへ繋がります。
1941年にはアメリカがイギリスの巡洋艦デリーを近代化改修した際、Mk37射撃統制装置2基と連動した5インチ砲5門を搭載し、つまり海外へ提供できる水準に達しており、完成度の高さにイギリス海軍関係者が驚いたという一幕がありました。航空優位の可能性を突きつけられた際、日本は海軍部内が割れて足を引っ張り合いましたが、アメリカは純粋に海軍一体で対空戦闘能力強化に突き進んだのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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戦艦無用論、戦前の一つの潮流でしたが日本では海軍が艦隊派閥と航空派閥に割れていた一方、海の向こうでも似たような状況がありました。
戦艦無用論、驚かれるかもしれませんが戦前ではアメリカでも強い地位にありました、そしてこれを牽引したのはアメリカ陸軍航空隊です、アメリカ海軍航空隊ではなく。日本の場合は戦艦か航空機か、という論争は海軍航空本部と連合艦隊の間での論争でしたが、アメリカでは陸軍と海軍、特に戦前アメリカはモンロー主義、中立政策が国是でした、が。
ヘルゴラント級戦艦のオストフリースラント、1911年にドイツ帝国海軍が竣工させたド級戦艦です、排水量22800tで30.5cm艦砲を連装砲6基の12門を搭載し主要部装甲は300mm、最高速力は20.5ノットの強力な戦艦です。そしてオストフリースラントはドイツ敗戦後、賠償艦としてアメリカに譲渡され、実験標的艦として1922年、実爆試験に供されました。
マーチンMB-2爆撃機、初期の大型爆撃機が試験に参加しまして水平爆撃を実施、甲板上に十数発が命中した際には砲塔部分で300mm、艦橋一部が400mmという装甲により損傷は大きくなかったのですが、2000ポンド爆弾を高高度から投下した結果、至近弾となったものがバブルジェットを発生させ船底を破断、浸水の後、撃沈に至ったとのことでした。
B-17,アメリカ陸軍航空隊はのちに沿岸防衛用にB-17爆撃機を開発します、戦略爆撃機として運用されていますが、もともとは長大なアメリカ大陸に上陸する敵戦力を航空攻撃により撃破する目的で開発され、1941年の真珠湾攻撃直前にハワイ哨戒任務へ本土から回送されていますし、重巡足柄はじめ泊地でB-17爆撃機による水平爆撃で損傷した事例も実際多い。
戦艦なんて一発だぜ!。1920年代に実験とはいえ、航空機により2万t級の戦艦を撃沈できたことはアメリカ陸軍航空隊を大いに勢いづけるものとなりましたが、この問題を真剣に直視したのが、日本海軍と、そして当然ですがアメリカ海軍でした。日本海軍は航空本部長就任前の山本五十六がこの試験に関する公開情報や派米留学により情報を得ており、航空重視を進めています。
簡単に沈められてたまるか。アメリカ海軍も、このまま陸軍を勢いづかせれば政治的に戦艦が廃されかねないとの危機感を受けますが、同時にアメリカ海軍が研究を開始したのは、艦隊防空を戦闘機など開発を通じ進めるとともに、艦艇の防空能力の強化を進める、というものでした。実際、アメリカの戦艦は作戦行動中、第二次大戦中含め航空攻撃に耐えています。何故か。
要するに飛行機は全部撃ち落せばよい。アメリカはワシントン海軍軍縮条約明けの戦艦について、戦艦の脅威となる駆逐艦の魚雷攻撃を撃退すべく搭載される副砲を廃止し、駆逐艦の艦砲をそのまま搭載する、少し思い切った改変を行っています。当時既に両用砲であった艦砲は高角砲として使用できますし、また、レーダーが実用化される前から射撃統制装置への将来応用を研究しているのですね。
草創期からの技術開発は効をそうし、第二次大戦中に実用化したものは凄いものでした。XバンドレーダーMk35により捕捉した目標を艦内に配置されたMk42射撃統制装置に自動電送し、ジャイロスコープにより得られた目標速力を入力、3秒で目標の未来位置に向けて対空戦闘を実施するシステム開発に着手、完成は終戦に間に合いませんでしたが。現代での艦隊防空システムへ繋がります。
1941年にはアメリカがイギリスの巡洋艦デリーを近代化改修した際、Mk37射撃統制装置2基と連動した5インチ砲5門を搭載し、つまり海外へ提供できる水準に達しており、完成度の高さにイギリス海軍関係者が驚いたという一幕がありました。航空優位の可能性を突きつけられた際、日本は海軍部内が割れて足を引っ張り合いましたが、アメリカは純粋に海軍一体で対空戦闘能力強化に突き進んだのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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