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本日は東日本大震災発災十三年、あの東北地方太平洋沖地震発生から十三年目を迎える日となります

2024-03-11 07:00:31 | 北大路機関特別企画
■忘れ得ぬ3.11
 本日は東日本大震災発災十三年、あの東北地方太平洋沖地震発生から十三年目を迎える日となります。

 ミッシングマンフォーメーション、本来は政治家や軍人の追悼の為に編隊飛行を行う航空機の内、一機が高く急上昇し、さっきまで居た人とのわかれを編隊から一機が欠ける事で再現し、一機の不在の様子に故人の冥福を祈る。あの東日本大震災の後には、航空祭でもこうした慰霊飛行からオープニングフライトが行われていた事を、印象的に思い出します。

 マグニチュード9という巨大地震は歴史地震などの世界で確認するものと思っていましたが、いまの日本列島、地球上と歴史の地球上は同じ近くの上に位置している事を思い起こさせると共に、緊急地震速報から二分いや三分以上を経てゆっくりと、そう大型船の航行のよな揺れ方を、NHKが報じている東京撮って、の悲鳴の先に感じたのは忘れられません。

 巨大な津波、襲来までは時間が有りましたが当初の波高3m以上という数字はみるみるまに計測不能となり、政令指定都市を含め無差別に沿岸部を蹂躙し港湾を田畑を市街地を空港を、原発を、人命もろとも呑み込み押しつぶし避難する車列や安全とされた高台の避難所さえ蹂躙する様子は、全て空撮が世界中に報じる中、祈る、という行為以外できません。

 二万の人命が僅か数時間で失われる。ロシアウクライナ戦争やイスラエルガザ戦争、世界では戦火が絶えないところではありますが、数時間で二万もの人命が失われる状況、第二次世界大戦では確かにあった悲劇ではありますが21世紀にこうした状況、ハイチ地震や四川地震やトルコシリア地震など、やはり地震は常識外の被害を及ぼすと実感してしまう。

 災厄は数多経験者が話すものですが、あの日の夜は珍しく編隊飛行するヘリコプターの機影が見えた。巨大な津波により仙台空港が蹂躙され、地震により滑走路が確認できない成田空港と沿岸部の羽田空港、海上埋め立ての中部国際空港と関西国際空港は閉鎖、航空管制支援に航空自衛隊はE-767を派遣、AWACSの災害派遣は世界でも初めての事例でした。

 自衛隊災害派遣一つとって派遣規模10万、延べ派遣部隊は1000万を超え、少しでも乗れるものは輸送機にとT-400練習機まで輸送機に。史上初の地震による原発事故により当時の技術研究本部からも派遣され、輸送力の限界から那覇の第15旅団はオーストラリア空軍が輸送支援を行う。これは想定の片隅に置かれた事案ではあっても中心に据ええなかった。

 災害派遣の現地の様子を最初に写真で発表したのは名古屋の第10師団であったか、東北方面隊の部隊は全て現場に忙殺されていた、撮られた映像は後日示されたもの。東北方面隊の情報伝送機だけは確かに、気仙沼の津波火災などを冷静に伝え、報道のような余分な音声の無い静かな映像は、それが現実であると。歴史地震は再来する、いや、再来した。

 3.11、東日本大震災が起きた2011年から13年目の本日です。アメリカでは同時多発テロを忘れぬよう9.11という言葉が定着しましたが、日本では歴史地震が再来するという意味で3.11という言葉が定着しています。起きないと願っただけでは起きうることの被害を避ける事は出来ない、今日一日はそうした3.11の追悼とともに、過ごしたいものですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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