■ウィズコロナ時代の改憲議論
中国を筆頭に国民の私権を制限できる強権国家がCOVID-19を抑えている昨今に迎えた憲法記念日です。
憲法問題と云えば一頃までは憲法九条二項を改正して防衛のための軍事力を保持できるよう認めるかという視点が主たるものだったのですが、一年以上にわたるコロナ禍下、新型コロナウィルス感染症COVID-19の感染拡大を前に、感染を決定的に阻止する私権制限、政府の強権をこうした非常時に認めて公衆衛生を護るか否かが主論になっているよう思う。
本日は憲法記念日です。日本国憲法制定を記念する憲法記念日ですが、憲法のあり方が改めて問われる昨今となっています。日本国憲法、これは太平洋戦争敗戦後、大日本帝国憲法を帝国議会により改正する手続きを通じて制定されていますが、国民主権のもと基本的人権を大きく広げ、そして平和主義を新しい日本国家在り方示す憲法として制定しました。
平和主義、元来日本国憲法の議論はその平和主義が最大の議論でした、もちろん国民が享受すべき最大の権利は平和的生存権であることは議論の余地はありませんが、日本国憲法は平和を目的ではなく手段として用いる世界で初めての成文憲法であるため、平和的生存権への軍事的挑戦から、国が平和を維持する方法を元々考えていませんでした。この点で。
自衛権、国家が自然権として有する自衛権、国際紛争を解決しないための軍事力の保持という選択肢、これは日中戦争が宣戦布告無き事変として始まった抜け道の踏襲、こうしたものが考えられていたのですが、ここ二年ほどの間、非常事態という概念は軍事攻撃よりも現実の脅威、感染対策による私権制限が一つの大きな論点となっているように感じます。
感染対策、いうまでもなくCOVID-19です。外出制限に関する都市封鎖ロックダウンは、現行憲法では私権制限が憲法の経済的自由や心身の自由、数多くの条文で抵触することから、基本的に自粛要請主体の感染対策、こうなっています。実のところ一年前、中国の惨禍、欧州の惨状、北米の緊張、望見しつつしかし、対岸の火事には思えなかったのです。
しかし、自粛要請主体の感染対策は、少なくとも2021年2月までは非常に大きな効果を上げていまして、N501E変異株の上陸までは、私権制限へ憲法を改正せずとも充分に日本は対応できる、という、なし崩し的に憲法が瓦解する懸念は、杞憂であったと安堵していたところなのですが、今次緊急事態宣言発令は、また憂慮しているところでもあるのだが。
憲法制定権力の視点から、新憲法の在り方をもう少し広い視野で考えなければ、隔靴掻痒の憲法改正となりかねません、ここに不安が在るのです、即ち日本国憲法の憲政は長く大日本帝国憲法よりも長期に及ぶ、この中で大陸法を基調とした六法下に憲法だけを英米法型に転換し、しかも硬性憲法により解釈余地に冗長性を持たせた制度を転換するのだから。
憲法のなし崩し的な瓦解、COVID-19の際に憂慮したところです。これは安全保障関連法案に際し一部識者から警鐘が鳴らされていたものです、もっとも憲法の番人たる最高裁は統治行為論として、民主主義的に選ばれた立法府が選ぶ内閣の所管であるとの立場を堅持していますのでこの場合には該当しないのですが、COVID-19は懸念がありました。
欧州の非常事態法制発動、フランス政府などは戦時を宣言することで平時法制から有事法制へ転換しています、日本とフランスの最大の違いは非常事態法制において憲法が停止するかという部分であり、日本は大日本帝国憲法の反省から非常大権と憲法停止は盛り込まれていないのですが、フランスは危機管理の観点から慎重に枠組みを有している。
フランスの人口は日本の半分程度、6700万人ですがCOVID-19による人的被害は我が国の総数を遙かに超える深刻なものとなっています。こうした中で、フランスは民主主義発祥の地とも挙げられる歴史を有していますが、結局のところ人的被害が想定も想像も遙かに上回る状況となりますと、私権制限は民意が受け入れざるを得ない状況の醸成された、と。
日本の場合は2020年2月に厚生労働省は"全く対策を打たなかった場合は40万"という数字をだし、実際のところ医療崩壊のない場合での致死率2%と、この40万という数字の大本と考える罹患者2000万想定さえ甘く見えるのですが、こうした数字を出しまして、早めに政府緊急事態宣言による自粛要請を行ったことで、第三波までは防ぐことが出来た。
しかし、憲法記念日に際して若干気になりますのは、現在の第四波、変異ウィルスによる一年前の感染拡大期に逆戻りしたかのような状況下で、昨年の成功例に依拠する妙な自信、われわれは自粛だけで行楽と日常を維持しつつCOVID-19を克服できる、という認識のまま感染が今次緊急事態宣言により乗り切れなかった場合、どうなるか、こうした懸念です。
仮に特別措置法改正となり都市封鎖や移動禁止に関する強制力を持つ措置が執られ、これが反発を招き、訴訟にいたり、もちろんおそらくは最高裁まで公共の福祉を盾に取り統治行為論として事実上の合憲判断を示すのでしょうが、最高裁まで憲法裁判は十年を要するため、現在の緊張下ではなく十年後の平時感覚で違憲判断が出される可能性はあろう、と。
憲法について、改正が必要だという総論はある程度有ってもどのように改正するかについては文字通り総論賛成各論反対という構図が成立つものでして、現行憲法では主権者に位置付けられる国民全体、主権者という立場に驕りが在るように思うのは、選挙の投票率などを報道されるたびに想うところなのですけれども。即ち誰が憲法を改正するのか、です。
憲法改正、憲法護って国滅ぶ、とは安全保障上の懸念事項として長らく揶揄された訳ですが、有事の際には半ば議論余地なく改正か機能停止となる懸念はあった、この状況は武力攻撃事態という形ではなく、COVID-19感染対策という思わぬ方向から現実のものとなり議論深まらぬまま方向性が画定される事が、この2021年は深く懸念してしまうのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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中国を筆頭に国民の私権を制限できる強権国家がCOVID-19を抑えている昨今に迎えた憲法記念日です。
憲法問題と云えば一頃までは憲法九条二項を改正して防衛のための軍事力を保持できるよう認めるかという視点が主たるものだったのですが、一年以上にわたるコロナ禍下、新型コロナウィルス感染症COVID-19の感染拡大を前に、感染を決定的に阻止する私権制限、政府の強権をこうした非常時に認めて公衆衛生を護るか否かが主論になっているよう思う。
本日は憲法記念日です。日本国憲法制定を記念する憲法記念日ですが、憲法のあり方が改めて問われる昨今となっています。日本国憲法、これは太平洋戦争敗戦後、大日本帝国憲法を帝国議会により改正する手続きを通じて制定されていますが、国民主権のもと基本的人権を大きく広げ、そして平和主義を新しい日本国家在り方示す憲法として制定しました。
平和主義、元来日本国憲法の議論はその平和主義が最大の議論でした、もちろん国民が享受すべき最大の権利は平和的生存権であることは議論の余地はありませんが、日本国憲法は平和を目的ではなく手段として用いる世界で初めての成文憲法であるため、平和的生存権への軍事的挑戦から、国が平和を維持する方法を元々考えていませんでした。この点で。
自衛権、国家が自然権として有する自衛権、国際紛争を解決しないための軍事力の保持という選択肢、これは日中戦争が宣戦布告無き事変として始まった抜け道の踏襲、こうしたものが考えられていたのですが、ここ二年ほどの間、非常事態という概念は軍事攻撃よりも現実の脅威、感染対策による私権制限が一つの大きな論点となっているように感じます。
感染対策、いうまでもなくCOVID-19です。外出制限に関する都市封鎖ロックダウンは、現行憲法では私権制限が憲法の経済的自由や心身の自由、数多くの条文で抵触することから、基本的に自粛要請主体の感染対策、こうなっています。実のところ一年前、中国の惨禍、欧州の惨状、北米の緊張、望見しつつしかし、対岸の火事には思えなかったのです。
しかし、自粛要請主体の感染対策は、少なくとも2021年2月までは非常に大きな効果を上げていまして、N501E変異株の上陸までは、私権制限へ憲法を改正せずとも充分に日本は対応できる、という、なし崩し的に憲法が瓦解する懸念は、杞憂であったと安堵していたところなのですが、今次緊急事態宣言発令は、また憂慮しているところでもあるのだが。
憲法制定権力の視点から、新憲法の在り方をもう少し広い視野で考えなければ、隔靴掻痒の憲法改正となりかねません、ここに不安が在るのです、即ち日本国憲法の憲政は長く大日本帝国憲法よりも長期に及ぶ、この中で大陸法を基調とした六法下に憲法だけを英米法型に転換し、しかも硬性憲法により解釈余地に冗長性を持たせた制度を転換するのだから。
憲法のなし崩し的な瓦解、COVID-19の際に憂慮したところです。これは安全保障関連法案に際し一部識者から警鐘が鳴らされていたものです、もっとも憲法の番人たる最高裁は統治行為論として、民主主義的に選ばれた立法府が選ぶ内閣の所管であるとの立場を堅持していますのでこの場合には該当しないのですが、COVID-19は懸念がありました。
欧州の非常事態法制発動、フランス政府などは戦時を宣言することで平時法制から有事法制へ転換しています、日本とフランスの最大の違いは非常事態法制において憲法が停止するかという部分であり、日本は大日本帝国憲法の反省から非常大権と憲法停止は盛り込まれていないのですが、フランスは危機管理の観点から慎重に枠組みを有している。
フランスの人口は日本の半分程度、6700万人ですがCOVID-19による人的被害は我が国の総数を遙かに超える深刻なものとなっています。こうした中で、フランスは民主主義発祥の地とも挙げられる歴史を有していますが、結局のところ人的被害が想定も想像も遙かに上回る状況となりますと、私権制限は民意が受け入れざるを得ない状況の醸成された、と。
日本の場合は2020年2月に厚生労働省は"全く対策を打たなかった場合は40万"という数字をだし、実際のところ医療崩壊のない場合での致死率2%と、この40万という数字の大本と考える罹患者2000万想定さえ甘く見えるのですが、こうした数字を出しまして、早めに政府緊急事態宣言による自粛要請を行ったことで、第三波までは防ぐことが出来た。
しかし、憲法記念日に際して若干気になりますのは、現在の第四波、変異ウィルスによる一年前の感染拡大期に逆戻りしたかのような状況下で、昨年の成功例に依拠する妙な自信、われわれは自粛だけで行楽と日常を維持しつつCOVID-19を克服できる、という認識のまま感染が今次緊急事態宣言により乗り切れなかった場合、どうなるか、こうした懸念です。
仮に特別措置法改正となり都市封鎖や移動禁止に関する強制力を持つ措置が執られ、これが反発を招き、訴訟にいたり、もちろんおそらくは最高裁まで公共の福祉を盾に取り統治行為論として事実上の合憲判断を示すのでしょうが、最高裁まで憲法裁判は十年を要するため、現在の緊張下ではなく十年後の平時感覚で違憲判断が出される可能性はあろう、と。
憲法について、改正が必要だという総論はある程度有ってもどのように改正するかについては文字通り総論賛成各論反対という構図が成立つものでして、現行憲法では主権者に位置付けられる国民全体、主権者という立場に驕りが在るように思うのは、選挙の投票率などを報道されるたびに想うところなのですけれども。即ち誰が憲法を改正するのか、です。
憲法改正、憲法護って国滅ぶ、とは安全保障上の懸念事項として長らく揶揄された訳ですが、有事の際には半ば議論余地なく改正か機能停止となる懸念はあった、この状況は武力攻撃事態という形ではなく、COVID-19感染対策という思わぬ方向から現実のものとなり議論深まらぬまま方向性が画定される事が、この2021年は深く懸念してしまうのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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