■第1特科団観閲行進
北千歳駐屯地の観閲行進は前半からいきなり重砲が延々とミサイルも延々と行進を続々と続けてゆきまして驚いたのです。
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北千歳駐屯地祭、この行事紹介は考えると今年もいよいよ今月北千歳駐屯地祭が開かれるという季節を迎えるのですが、この日曜特集として紹介が時間を経ましたのは、他に紹介できない行事も山積するが、撮影環境の難しさが在った故、という事情があります。
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2014年に撮影した写真なのですが、しかし撮影したのは2014年、今はもう少し機材の性能を高めていますから、考えてみると2024年の機材、当時は無かったEF-100-400IS2とかEOS-7DmarkⅡを使って撮影してみたら、同じ条件でも違う写真になるのかなあ。
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観閲行進の写真ですが、せっかく第1特科団という自衛隊最大の砲兵部隊、今年三月に第2特科団が湯布院に創設され、第1特科団だけの時代というのは新しい時代、なんて時代だ!、という緊張の安全保障情勢はあり、そもそも今日が湯布院駐屯地祭の日でしたが。
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せっかく第1特科団の行事を撮影するのですから、こんなに日本に火砲が在ったのか、と驚かせるような写真を撮影したかったものでして、一枚に入りきる車両の数をできるだけ多く、写真の構図を決めたいところなのですが、しかしそんな撮影できる角度が無い。
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撮影位置の規制線があと3m前に出られたならば、旭川駐屯地祭のような一列なのだけれども手前から奥まで延々と車両が揃う構図が撮れたのかもしれませんが、逆に規制線が慎重すぎて、マイクやスピーカーなどの列が写真を撮影しにくいようにしてしまっていて。
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規制線は安全管理を考えているのですから無茶をお願いする事は出来ないのですが、大部隊の行事、頼りになるという自衛隊の写真を広く広報することは、認知戦、という、FRONTという雑誌を戦前の日本軍は発行して認知戦に努めていましたが、広報は平時の実戦だ。
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富士学校祭のように、観閲行進に参加する車両を一部でもいいから並べてくれればなあ、とは、これ前回も呟いたといいますか、ぼやいたところなのですけれども。もっとも、富士学校祭は撮影位置がかなり自由度が有る、開放区画が広いという点で違うのですが。
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カメラを手に撮影に臨むならば最善を最後まで尽くさなければならないとはおもうものの、そしてもう一つ、北海道などでは最後に千歳空港で一杯やりながら写真を観返して、これで撮影位置は良かったのかなあ、と反省することもあります。現地では精一杯でしたが。
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さてさて、反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える、この特集の第三回です。いま、ロシアウクライナ戦争では砲兵同士、砲兵時代の再来と云いますが第二次大戦の西部戦線では見られなかったような、第一次大戦の西部戦線のような砲兵の位置づけとなっている。
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砲兵重視、日本の場合は地対艦ミサイルが特科の所管であって、そして今後は地対艦ミサイルの射程延伸が進み、そのさきに反撃能力整備という、大きな転換点が待っているのですが。自衛隊は、冷戦後欧州や米軍が重戦力を次々と大幅削減する中、慎重で良かった。
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しかし重戦力削減に時間がかかった背景には、政策決定から具体的な施策を画定するまでの時間がかかり過ぎた、ということに他ならない訳で、言い換えれば今は遅れてきた冷戦後の部隊削減が本格化している中、2022年以降の国際情勢のダイナミズムを無視していて。
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マルチドメイン戦略、アメリカ軍が進める施策なのですが、だからと言って万能なのかといいますと必ずしも賛同しえないところが有りまして、その背景にはやはり冷戦終結という事実をどう受け止めるかについて、欧州ともども慎重さにかけていたよう、おもうのだ。
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共通安全保障政策、EUは連合国家を目指していましたので安全保障政策を共通化していた、一方でこれはEUが成立したのは冷戦構造終結という結果ともう一つこれを契機とした東西ドイツ統合など、もう大きな戦争は起きないとしてその上で安全保障を考えていた。
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地域紛争拡大により欧州に影響が及ぶ前に対応するという認識は、当時流行した"予防外交"の理念とも重なるのですが、言い換えれば予防外交を徹底すると大規模戦争は回避できる、というような、第一次世界大戦谷辞せ解体線の反省からの幻想もあったようおもう。
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ボスニア紛争がその筆頭なのですが、しかし警察権の延長で想定し軽武装と事態切迫時の強硬手段を考慮せず展開したボスニアではスレイプニッツアなどの事態にEUでは対応できず、結局急遽NATOの安定化部隊、戦車などを展開させることに追い込まれている。
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地域紛争の拡大による影響の広域化という懸念は、しかしEUの共通安全保障政策とアメリカのフロムザシーでは共通点があったのです。もっとも、これはフロムザシーの場合、事態が海岸線まで到達しなければ世界に影響は及ばない、という解釈もできたが。
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フロムザシーの場合は、紛争への海上からの迅速なアプローチという枠組みを構築し、口の悪い言い方その一ではアメリカ海兵隊という組織の延命、その二では内陸部で紛争が進むだけでは世界に影響が及ばないために海に流れ出ないよう臭いものに蓋を。
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口の悪い言い方はいろいろとできてしまうのですけれども、エアランドバトルの次の潮流には海、シー、というアプローチが成り立ったわけです。リットラル、沿海域、という名称は一つの潮流となり、高くて使いにくいLCS沿海域戦闘艦が量産された背景もここ。
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リットラルエリア、こう構想している内に9.11同時多発テロが発生しまして、時代はテロとの戦いに展開してゆきます、策源地といいますか首謀者のアルカイダが潜伏したのはアフガニスタンとパキスタン西部山岳地域でしたので戦略は見直すべきだった。
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テロとの戦いが始まったのですが、ここでアメリカはフロムザシーと地域紛争対処、言い換えれば戦車やMLRSの役割が薄い安定化作戦、この領域が一部重なることで安定化作戦重視へ転換してしまいます。2003年にイラク戦争があったと反論があるでしょうが。
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イラク戦争は、師団規模の部隊が戦車部隊を集中させて参加した現在のところアメリカ軍が経験した最後の戦いです、次は東欧地域で数年内におきそうなところですが。あの戦争は第3歩兵師団と第4機械化歩兵師団が集中して一気に進めてしまった印象です。
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デジタル重師団という、エアランドバトルをさらに、紛争が一気に拡大した場合に沈静化させる部隊運用として想定されていたもので、2000年前後にはRMA、軍事における技術革命、としてIT情報通信技術が盛んに提唱されていましたが、その応用でした。
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RMA軍事における技術革新は、通ぶった国際政治学者から君たちは知らないだろう的に大学で、これだから東京の国立大学出身者はなあとおおもったが、提唱していたものの、RMAというものは死語となり、無人機の時代にRMA再来が提唱されないのは不思議ね。
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閑話休題、イラク戦争はエアランドバトルが想定された時代への回帰を印象づけたものでしたが、しかしその地上戦も3月20日のイラクフリーダム作戦発動は初日にイラク第51師団が降伏し戦線が瓦解、4月9日にはバクダッドが陥落しイラクは体制崩壊します。
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イラク戦争は、しかしこれにより治安作戦重視となり、この治安作戦は2011年のアメリカ軍撤収まで継続されていました。このうえで、アメリカのシーパワー、制海権というよりも海を使用できる自由、これを一つの基本概念としてしまった。
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長くなりましたがエアシーバトルの理念にもどしますと、海は使える、という前提で制海権に基づく海からのアプローチというものを具現化し、いわば地域紛争沈静化のフロムザシーと、海を基点としたエアランドバトルを検討していたのです、しかし。
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接近拒否領域阻止という概念、上に政策あれば下に対策あり、というのは中国の格言だそうで、要するに規制に対する民間の創意工夫による規制のがれを示すそうでしが、エアシーバトルにたいしてもにたような概念での対策というものが成り立つ。
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ミサイル爆撃機と開発途上であった対艦弾道弾や極超音速滑空兵器に潜水艦、遠距離の火力網を構築して、エアシーバトルの基点となる海域までアメリカ海軍を近づけさせないことで海兵隊と陸軍を阻む、という。まあ、考えればそうなるよなあ。
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マルチドメイン戦略とマルチドメインタスクフォースは、長くなりましたが、この接近拒否領域阻止に対して、その圏外から戦う方策の模索、となります。言い換えれば、これを達成できなければ陸軍の存在意義の多くの部分が危うくなる、という。
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そして自衛隊の反撃能力整備というものも、マルチドメイン戦略と共通性を挙げる方が日米研究者のなかに、少なくない数でいらっしゃるのですが、近づけないために近づくためのアプローチ、というものはどちらかといえば日本の方が先行して研究が。
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南西諸島防衛などでは、当初は島嶼部防衛にヘリボーンの重視を掲げていまして、実際西部方面普通科連隊は西部方面航空隊への輸送ヘリコプター配備にあわせて、空中機動混成団のような役割がきたいされていた、これは上陸させてから奪還させる、という。
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しかし、上陸させてから奪還する、ということは可能なのか、いや憲法上は武力攻撃事態を受けてからという発想がむしろ正しいのですけれども、という制約はあるのですが。すると、展開できない地域での防衛、という独立戦闘の重要性をしめすことに。
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沖縄戦、もっとも僥倖、とは絶対表現するつもりはないものの、孤立したもしくは増援を遅れない状況での戦いは日本の方が第一人者だ、なりたくてなったわけではないのですが、制海権のない状況での強行輸送は沖縄とサイパンで失敗、レイテでもほぼ。
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ダンピール海峡などは、これは陸軍海軍の強行輸送をアメリカ陸海軍の航空部隊が一方的に阻止して輸送船全滅で大量の戦死者を出した第二次世界大戦の教訓なのですが、やった側のアメリカが、その意味を理解しても内部化していなかった訳ですが。
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島嶼部防衛では、自衛隊は2010年代からドローン補給を含め強行輸送を研究していました、当時のクワッドドローンでは輸送できる規模はたかがしれていたのですが、無人機運用に遅れがあると行われた自衛隊でさえ、無人機輸送を研究していたほど。
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警備隊と地対艦ミサイル中隊に高射中隊と直接支援中隊、この編成はある意味でアメリカのマルチドメインタスクフォースや海兵隊のMLR海兵沿岸連隊の編成と共通するものなのですが、このパッケージのような編成では日本の方が先行していた。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
北千歳駐屯地の観閲行進は前半からいきなり重砲が延々とミサイルも延々と行進を続々と続けてゆきまして驚いたのです。
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北千歳駐屯地祭、この行事紹介は考えると今年もいよいよ今月北千歳駐屯地祭が開かれるという季節を迎えるのですが、この日曜特集として紹介が時間を経ましたのは、他に紹介できない行事も山積するが、撮影環境の難しさが在った故、という事情があります。
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2014年に撮影した写真なのですが、しかし撮影したのは2014年、今はもう少し機材の性能を高めていますから、考えてみると2024年の機材、当時は無かったEF-100-400IS2とかEOS-7DmarkⅡを使って撮影してみたら、同じ条件でも違う写真になるのかなあ。
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観閲行進の写真ですが、せっかく第1特科団という自衛隊最大の砲兵部隊、今年三月に第2特科団が湯布院に創設され、第1特科団だけの時代というのは新しい時代、なんて時代だ!、という緊張の安全保障情勢はあり、そもそも今日が湯布院駐屯地祭の日でしたが。
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せっかく第1特科団の行事を撮影するのですから、こんなに日本に火砲が在ったのか、と驚かせるような写真を撮影したかったものでして、一枚に入りきる車両の数をできるだけ多く、写真の構図を決めたいところなのですが、しかしそんな撮影できる角度が無い。
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撮影位置の規制線があと3m前に出られたならば、旭川駐屯地祭のような一列なのだけれども手前から奥まで延々と車両が揃う構図が撮れたのかもしれませんが、逆に規制線が慎重すぎて、マイクやスピーカーなどの列が写真を撮影しにくいようにしてしまっていて。
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富士学校祭のように、観閲行進に参加する車両を一部でもいいから並べてくれればなあ、とは、これ前回も呟いたといいますか、ぼやいたところなのですけれども。もっとも、富士学校祭は撮影位置がかなり自由度が有る、開放区画が広いという点で違うのですが。
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カメラを手に撮影に臨むならば最善を最後まで尽くさなければならないとはおもうものの、そしてもう一つ、北海道などでは最後に千歳空港で一杯やりながら写真を観返して、これで撮影位置は良かったのかなあ、と反省することもあります。現地では精一杯でしたが。
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さてさて、反撃能力整備とマルチドメイン戦略を考える、この特集の第三回です。いま、ロシアウクライナ戦争では砲兵同士、砲兵時代の再来と云いますが第二次大戦の西部戦線では見られなかったような、第一次大戦の西部戦線のような砲兵の位置づけとなっている。
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砲兵重視、日本の場合は地対艦ミサイルが特科の所管であって、そして今後は地対艦ミサイルの射程延伸が進み、そのさきに反撃能力整備という、大きな転換点が待っているのですが。自衛隊は、冷戦後欧州や米軍が重戦力を次々と大幅削減する中、慎重で良かった。
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しかし重戦力削減に時間がかかった背景には、政策決定から具体的な施策を画定するまでの時間がかかり過ぎた、ということに他ならない訳で、言い換えれば今は遅れてきた冷戦後の部隊削減が本格化している中、2022年以降の国際情勢のダイナミズムを無視していて。
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マルチドメイン戦略、アメリカ軍が進める施策なのですが、だからと言って万能なのかといいますと必ずしも賛同しえないところが有りまして、その背景にはやはり冷戦終結という事実をどう受け止めるかについて、欧州ともども慎重さにかけていたよう、おもうのだ。
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共通安全保障政策、EUは連合国家を目指していましたので安全保障政策を共通化していた、一方でこれはEUが成立したのは冷戦構造終結という結果ともう一つこれを契機とした東西ドイツ統合など、もう大きな戦争は起きないとしてその上で安全保障を考えていた。
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ボスニア紛争がその筆頭なのですが、しかし警察権の延長で想定し軽武装と事態切迫時の強硬手段を考慮せず展開したボスニアではスレイプニッツアなどの事態にEUでは対応できず、結局急遽NATOの安定化部隊、戦車などを展開させることに追い込まれている。
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地域紛争の拡大による影響の広域化という懸念は、しかしEUの共通安全保障政策とアメリカのフロムザシーでは共通点があったのです。もっとも、これはフロムザシーの場合、事態が海岸線まで到達しなければ世界に影響は及ばない、という解釈もできたが。
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フロムザシーの場合は、紛争への海上からの迅速なアプローチという枠組みを構築し、口の悪い言い方その一ではアメリカ海兵隊という組織の延命、その二では内陸部で紛争が進むだけでは世界に影響が及ばないために海に流れ出ないよう臭いものに蓋を。
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リットラルエリア、こう構想している内に9.11同時多発テロが発生しまして、時代はテロとの戦いに展開してゆきます、策源地といいますか首謀者のアルカイダが潜伏したのはアフガニスタンとパキスタン西部山岳地域でしたので戦略は見直すべきだった。
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テロとの戦いが始まったのですが、ここでアメリカはフロムザシーと地域紛争対処、言い換えれば戦車やMLRSの役割が薄い安定化作戦、この領域が一部重なることで安定化作戦重視へ転換してしまいます。2003年にイラク戦争があったと反論があるでしょうが。
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イラク戦争は、師団規模の部隊が戦車部隊を集中させて参加した現在のところアメリカ軍が経験した最後の戦いです、次は東欧地域で数年内におきそうなところですが。あの戦争は第3歩兵師団と第4機械化歩兵師団が集中して一気に進めてしまった印象です。
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デジタル重師団という、エアランドバトルをさらに、紛争が一気に拡大した場合に沈静化させる部隊運用として想定されていたもので、2000年前後にはRMA、軍事における技術革命、としてIT情報通信技術が盛んに提唱されていましたが、その応用でした。
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RMA軍事における技術革新は、通ぶった国際政治学者から君たちは知らないだろう的に大学で、これだから東京の国立大学出身者はなあとおおもったが、提唱していたものの、RMAというものは死語となり、無人機の時代にRMA再来が提唱されないのは不思議ね。
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閑話休題、イラク戦争はエアランドバトルが想定された時代への回帰を印象づけたものでしたが、しかしその地上戦も3月20日のイラクフリーダム作戦発動は初日にイラク第51師団が降伏し戦線が瓦解、4月9日にはバクダッドが陥落しイラクは体制崩壊します。
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イラク戦争は、しかしこれにより治安作戦重視となり、この治安作戦は2011年のアメリカ軍撤収まで継続されていました。このうえで、アメリカのシーパワー、制海権というよりも海を使用できる自由、これを一つの基本概念としてしまった。
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長くなりましたがエアシーバトルの理念にもどしますと、海は使える、という前提で制海権に基づく海からのアプローチというものを具現化し、いわば地域紛争沈静化のフロムザシーと、海を基点としたエアランドバトルを検討していたのです、しかし。
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接近拒否領域阻止という概念、上に政策あれば下に対策あり、というのは中国の格言だそうで、要するに規制に対する民間の創意工夫による規制のがれを示すそうでしが、エアシーバトルにたいしてもにたような概念での対策というものが成り立つ。
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ミサイル爆撃機と開発途上であった対艦弾道弾や極超音速滑空兵器に潜水艦、遠距離の火力網を構築して、エアシーバトルの基点となる海域までアメリカ海軍を近づけさせないことで海兵隊と陸軍を阻む、という。まあ、考えればそうなるよなあ。
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マルチドメイン戦略とマルチドメインタスクフォースは、長くなりましたが、この接近拒否領域阻止に対して、その圏外から戦う方策の模索、となります。言い換えれば、これを達成できなければ陸軍の存在意義の多くの部分が危うくなる、という。
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そして自衛隊の反撃能力整備というものも、マルチドメイン戦略と共通性を挙げる方が日米研究者のなかに、少なくない数でいらっしゃるのですが、近づけないために近づくためのアプローチ、というものはどちらかといえば日本の方が先行して研究が。
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南西諸島防衛などでは、当初は島嶼部防衛にヘリボーンの重視を掲げていまして、実際西部方面普通科連隊は西部方面航空隊への輸送ヘリコプター配備にあわせて、空中機動混成団のような役割がきたいされていた、これは上陸させてから奪還させる、という。
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しかし、上陸させてから奪還する、ということは可能なのか、いや憲法上は武力攻撃事態を受けてからという発想がむしろ正しいのですけれども、という制約はあるのですが。すると、展開できない地域での防衛、という独立戦闘の重要性をしめすことに。
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沖縄戦、もっとも僥倖、とは絶対表現するつもりはないものの、孤立したもしくは増援を遅れない状況での戦いは日本の方が第一人者だ、なりたくてなったわけではないのですが、制海権のない状況での強行輸送は沖縄とサイパンで失敗、レイテでもほぼ。
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ダンピール海峡などは、これは陸軍海軍の強行輸送をアメリカ陸海軍の航空部隊が一方的に阻止して輸送船全滅で大量の戦死者を出した第二次世界大戦の教訓なのですが、やった側のアメリカが、その意味を理解しても内部化していなかった訳ですが。
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島嶼部防衛では、自衛隊は2010年代からドローン補給を含め強行輸送を研究していました、当時のクワッドドローンでは輸送できる規模はたかがしれていたのですが、無人機運用に遅れがあると行われた自衛隊でさえ、無人機輸送を研究していたほど。
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警備隊と地対艦ミサイル中隊に高射中隊と直接支援中隊、この編成はある意味でアメリカのマルチドメインタスクフォースや海兵隊のMLR海兵沿岸連隊の編成と共通するものなのですが、このパッケージのような編成では日本の方が先行していた。
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