■季節は春と桃の節句へ
京都は節分を終えると桃の節句に遷ろうはずなのですが合間に大雪が降りました。
上巳の節句、桃の節句、いろいろ呼び名はありますが今年も雛祭りの三月三日を迎えました。下鴨神社、三月三日のひな祭りといいますと、京都では町家一般公開などでひな人形が飾られるところもあるのですが、その中の一つに流し雛という下鴨神社の祭事がある。
賀茂御祖神社、下鴨神社の正式な名称は賀茂御祖神社というところなのですけれども下鴨神社の流し雛は京都でも有名です、ただ賀茂御祖神社の流し雛、と表現しないのはちょっと不思議なところなのですよね。四年ぶりに開催されるといい、ちょっと行ってみました。
京都の趣深いところとは、ちょっと行く、という表現が世界遺産とともに実に身近な立地となっていまして、この糺の森が囲む神域も実は休日の散歩ならば北大路駅から徒歩圏内、市バス205系統ならば北大路通から街中を少し進んだという街中にある世界遺産でもある。
流し雛、平安装束に身を包み紙人形を下鴨神社境内のみたらし池から小川に流すという神事で、これは一般に公開されています。自由に見ることができる神事ということで、ちょっと時間を空けて、市バス205系統で寄ってみよう、ということになりました次第です。
COVID-19感染拡大により、多くの行事が中止されていますが、ここ下鴨神社の神事も大きく制約され中止され一般公開を見合わせるという縮小傾向となりました。かつては疾病祓いの行事であっても、神様に見せるものゆえに一般公開は見合わせた、ということ。
雛祭りというのは人形信仰、にんぎょうしんこうではなくひとがた信仰というもののひとつで、ひな祭りそのものが女児の健康な成長を願うものという信仰の一つと説明されるのですが、より踏み込んで表現しますと疫病から守る、願いのような神事といえるもので。
依り代、この祭事はさかのぼれば平安朝の時代まで遡るものでして、そのひとつ前の奈良時代などは天然痘の全土流行などで、成人に至るまでの健康、子供を疫病から守るというのは簡単ではありませんでした、そのため身の穢れを祓うという祭事が必要とされました。
桃の節句、これは旧暦の話ですので新暦の今日にそのまま当てはまるには無理があるとも言い、地方によっては旧暦の桃の節句に祭事を行うところもあるといいます、この信仰が平安朝の頃に遡るとは前述の通りですが、それではその前の祭事を辿るとじつに興味深い。
天児祓いの信仰、あまがつと読むのですがそのほかには、這子の祓い、これもほうこと読むのですけれども祓いの信仰というものがあり、お祓い神事が、ひいな遊びという女児の人形遊び、遊ばせることで悪霊を依り代に移す、奈良時代の神事と重なるようなります。
御手洗川に依り代としての流し雛を流す、その様子は多くの観光本などで紹介されるところなのですけれども、第一空てい団からインド陸軍に舞鶴展示訓練と祇園祭、いろいろ撮影してきましたけれども、ちょっとこの日の混雑に撮影機材が見合っていませんでしたね。
祭事は混雑するというのですけれどもこの日は平日、いや実に京都は暦とともに祭事を執り行うものですから、平日にも普通に神事が行われます、つまり平日でも混雑するのだ、お祭りに脚立か折畳台座を持ってくればよかったと思ってもこれこそまさに後の祭り。
祭事、しかし工夫しましたらば、全く見えないというわけではなく、多くの人の並ぶ様子から一瞬の隙間から情景を切り取ることは日常的にやり遂げていますので、今回も迷惑にならない範囲から、こうそっと、平安装束の優雅な祭事の様子を撮ることができました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
京都は節分を終えると桃の節句に遷ろうはずなのですが合間に大雪が降りました。
上巳の節句、桃の節句、いろいろ呼び名はありますが今年も雛祭りの三月三日を迎えました。下鴨神社、三月三日のひな祭りといいますと、京都では町家一般公開などでひな人形が飾られるところもあるのですが、その中の一つに流し雛という下鴨神社の祭事がある。
賀茂御祖神社、下鴨神社の正式な名称は賀茂御祖神社というところなのですけれども下鴨神社の流し雛は京都でも有名です、ただ賀茂御祖神社の流し雛、と表現しないのはちょっと不思議なところなのですよね。四年ぶりに開催されるといい、ちょっと行ってみました。
京都の趣深いところとは、ちょっと行く、という表現が世界遺産とともに実に身近な立地となっていまして、この糺の森が囲む神域も実は休日の散歩ならば北大路駅から徒歩圏内、市バス205系統ならば北大路通から街中を少し進んだという街中にある世界遺産でもある。
流し雛、平安装束に身を包み紙人形を下鴨神社境内のみたらし池から小川に流すという神事で、これは一般に公開されています。自由に見ることができる神事ということで、ちょっと時間を空けて、市バス205系統で寄ってみよう、ということになりました次第です。
COVID-19感染拡大により、多くの行事が中止されていますが、ここ下鴨神社の神事も大きく制約され中止され一般公開を見合わせるという縮小傾向となりました。かつては疾病祓いの行事であっても、神様に見せるものゆえに一般公開は見合わせた、ということ。
雛祭りというのは人形信仰、にんぎょうしんこうではなくひとがた信仰というもののひとつで、ひな祭りそのものが女児の健康な成長を願うものという信仰の一つと説明されるのですが、より踏み込んで表現しますと疫病から守る、願いのような神事といえるもので。
依り代、この祭事はさかのぼれば平安朝の時代まで遡るものでして、そのひとつ前の奈良時代などは天然痘の全土流行などで、成人に至るまでの健康、子供を疫病から守るというのは簡単ではありませんでした、そのため身の穢れを祓うという祭事が必要とされました。
桃の節句、これは旧暦の話ですので新暦の今日にそのまま当てはまるには無理があるとも言い、地方によっては旧暦の桃の節句に祭事を行うところもあるといいます、この信仰が平安朝の頃に遡るとは前述の通りですが、それではその前の祭事を辿るとじつに興味深い。
天児祓いの信仰、あまがつと読むのですがそのほかには、這子の祓い、これもほうこと読むのですけれども祓いの信仰というものがあり、お祓い神事が、ひいな遊びという女児の人形遊び、遊ばせることで悪霊を依り代に移す、奈良時代の神事と重なるようなります。
御手洗川に依り代としての流し雛を流す、その様子は多くの観光本などで紹介されるところなのですけれども、第一空てい団からインド陸軍に舞鶴展示訓練と祇園祭、いろいろ撮影してきましたけれども、ちょっとこの日の混雑に撮影機材が見合っていませんでしたね。
祭事は混雑するというのですけれどもこの日は平日、いや実に京都は暦とともに祭事を執り行うものですから、平日にも普通に神事が行われます、つまり平日でも混雑するのだ、お祭りに脚立か折畳台座を持ってくればよかったと思ってもこれこそまさに後の祭り。
祭事、しかし工夫しましたらば、全く見えないというわけではなく、多くの人の並ぶ様子から一瞬の隙間から情景を切り取ることは日常的にやり遂げていますので、今回も迷惑にならない範囲から、こうそっと、平安装束の優雅な祭事の様子を撮ることができました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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