北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ウクライナ戦争開戦三カ月-必死の抵抗実りロシア軍侵攻防ぎ続ける自由と民主主義の防波堤

2022-05-25 07:00:53 | 国際・政治

■臨時情報-ウクライナ情勢

 ウクライナ戦争は開戦から三カ月を迎えましたがこの三カ月間は驚きと現実の衝撃が続いていました。

 ウクライナ戦争はロシア軍ウクライナ侵攻から三カ月目を迎える事となりました、しかし、当初48時間で首都キエフが占領されるとの見通しはウクライナ軍の驚異的とさえいえる粘り強さの前に大きく外れ、21世紀の奇跡といえる、キエフ北方でのロシア軍撃退に成功しました。ロシア軍は延々とキエフ北方に65kmもの渋滞を連ねる醜態をさらしました。

 キエフ防衛成功は、キエフ市街戦という最悪の事態が回避されたものの、しかしキエフ北方近郊都市ではロシア軍による痛ましい虐殺行為が確認され、世界を驚愕させました。一方ロシア軍は、ハリコフなど東部地域攻略に重点を置くべく一旦後退し戦力を再編成しました、遂に今度はハリコフで市街戦が起こるのではないか、こうした覚悟を迫られました。

 ドニエプル川を境界線に東ウクライナと西ウクライナへ分割されるのではないかとの危惧もありましたが、ロシア軍は何を再編成したのかという程に東部再侵攻は頓挫、この背景には南部マリウポリのウクライナ軍守備隊が最後まで抵抗し大量のロシア軍を拘束、ハリコフ侵攻兵力を削いだことでロシア軍の東部再攻撃を破砕したという驚きがつづきます。

 ここまで勇敢且つ必死に抵抗する国を初めて見た、ウクライナ軍の抵抗は当初限られた米英製携帯火器と掻き集めた装備を元に市民の多くが火炎瓶で戦車軍団に対応する悲壮さがありましたが、ウクライナのゼレンスキー大統領は最後まで首都キエフを動かず、100km先の国境に砲声を聞きつつ、日欧米、世界へ支援を訴え続け、これは山を動かしたもよう。

 ウクライナは世界の防波堤となった、正直なところ当初の想定通りに48時間でウクライナが崩壊していれば、48日後にはジョージアやモルドバへロシア軍が侵攻していた、48週間後にはバルト三国のスヴァルキギャップを超えて飛び地カリーニングラードとの回廊確保に、これが最後だから、これは正当な権利だ、その名と共に拡大していた可能性はあった。

 東西ドイツ国境をロシア軍が超える可能性は少ないですが48カ月後には懐かしい核戦争前夜の緊張が延々と続く冷戦時代の緊張に戻っていた危惧は、いまや非現実とは言い切れないものがあります。ロシア軍の戦車が撃破される度に人命は失われているのですが、その戦車も市街地へ無差別砲撃を行っている、その後世界に向くだろう戦車を撃破できているのが、三カ月目の現在です。

 

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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