■いまウクライナを想う
今の視点ではなく信仰を問われた中世の時代であったならば、やはり戦って戦って戦い抜くのだろうなあ。
東本願寺の信徒衆は仮にウクライナがロシアから受けたような不合理を突きつけられた際には、信仰を捨てて政府系ロシア正教に改宗するのだろうか、阿弥陀様を捨ててニコライ信仰に切り替えるのだろうか、それとも過去のように覚悟を決めて戦うのだろうか。
京都駅前はわたしといいますか、現実世界にいきる人々からは意味不明のデモが時折溢れていまして、ロシアのウクライナ侵攻に反対するから軍事力に反対し自衛隊にも反対というよくわからないデモに反ワクチンデモ、駅員さんから警察官に私服さんまで煩わせる。
GDPの2%を防衛費につぎ込んだら日本は現在世界七位から世界第三位の軍事大国になってしまう、アジアはどうみるか、と金額だけでアジテーションをみますと、しかし冷戦後暫くは日本はアメリカに次ぐ世界第二位だったのに、なにもなかったではないか、と思う。
京都駅前の様子をみますと、ふと、その直前に通りがかりました東本願寺の歴史と、そして信仰は戦いであるという過去の行動というものが、果たして今の時代はどうなのだろう、忖度して阿弥陀様を捨てるのか、それとも戦うのか、と考えてしまうのですね。
東本願寺の総門は奥に阿弥陀堂を望見させまして、ここは夕方の1730時に閉門となりますので、時報のように今日もこの時間なのだなあ、と一日の終わりを感じ入る分水嶺なのですが、その先にある京都駅でのデモといいますか路上パフォーマンスをみると、ふと。
ロシアが訳の分からない口実で、非ナチズム化を押しつけ、非武装化と政権交代を求めウクライナに侵攻したのは二月ですが、ロシアの反ナチズム化要求は、ウクライナの何処にナチスが、鍵十字なんて対ファシスト戦勝記念館くらいにしか見あたらない、と思った。
ただ、これを開戦の口実とするならば、仏教の梵字をロシアがナチス的だと主張することも、ウクライナに突きつけた意味不明の言いがかりよりは現実味があるものではないか、少し戦慄してしまいました。だからといって、そうなった場合、門徒信徒はどうするか。
石山本願寺は織田信長の包囲をうけつつも五年間耐えまして、歴史をみますと自治権にちかい待遇とともに徳川家康の保護をうけ、いまでいう京都駅前に西本願寺とともに東本願寺は京都の玄関に古都の気風を放っています、しかしよくよくみると気づかされるのは。
掘り割りは、京都の寺院としては異彩を放つほどにはっきりと明示されています、いや掘り割りと高い壁はもともと京都の寺院にあって不思議なものではなかった、豊臣秀吉の京都大改造とともに御土居が京都全体を守ったために、移築された寺院が省いただけです。
城壁のような境界線を高らかに掲げ、確実な掘り割りは外部と遮断、実際東福寺など一部観光寺院は落書きに悩まされていますが、掘り割りを越えた東本願寺は落書きの話題はあまり、といいますか全く聞きません、平時にあっても防備を意識しているのですね。
京都駅前の集会といいますか、スピーカーを掲げての数名十数名のデモンストレーション、もちろん本願寺とは無関係なのですけれども、防衛力がなければ石山本願寺がどうなったのかを歴史として知っていますし、東本願寺の難攻不落という構造はごらんの通り。
現実をみることは大切でして、目を開く方法は簡単だ、京都駅前でアジテーションにて平和な日常を主義主張の押しつけでかき乱す方々は、ふと駅から五分ほど上れば現実を示してくれる堂宇があるのになあ、冬の寒さのなか、ふとそんなことを考えました次第です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
今の視点ではなく信仰を問われた中世の時代であったならば、やはり戦って戦って戦い抜くのだろうなあ。
東本願寺の信徒衆は仮にウクライナがロシアから受けたような不合理を突きつけられた際には、信仰を捨てて政府系ロシア正教に改宗するのだろうか、阿弥陀様を捨ててニコライ信仰に切り替えるのだろうか、それとも過去のように覚悟を決めて戦うのだろうか。
京都駅前はわたしといいますか、現実世界にいきる人々からは意味不明のデモが時折溢れていまして、ロシアのウクライナ侵攻に反対するから軍事力に反対し自衛隊にも反対というよくわからないデモに反ワクチンデモ、駅員さんから警察官に私服さんまで煩わせる。
GDPの2%を防衛費につぎ込んだら日本は現在世界七位から世界第三位の軍事大国になってしまう、アジアはどうみるか、と金額だけでアジテーションをみますと、しかし冷戦後暫くは日本はアメリカに次ぐ世界第二位だったのに、なにもなかったではないか、と思う。
京都駅前の様子をみますと、ふと、その直前に通りがかりました東本願寺の歴史と、そして信仰は戦いであるという過去の行動というものが、果たして今の時代はどうなのだろう、忖度して阿弥陀様を捨てるのか、それとも戦うのか、と考えてしまうのですね。
東本願寺の総門は奥に阿弥陀堂を望見させまして、ここは夕方の1730時に閉門となりますので、時報のように今日もこの時間なのだなあ、と一日の終わりを感じ入る分水嶺なのですが、その先にある京都駅でのデモといいますか路上パフォーマンスをみると、ふと。
ロシアが訳の分からない口実で、非ナチズム化を押しつけ、非武装化と政権交代を求めウクライナに侵攻したのは二月ですが、ロシアの反ナチズム化要求は、ウクライナの何処にナチスが、鍵十字なんて対ファシスト戦勝記念館くらいにしか見あたらない、と思った。
ただ、これを開戦の口実とするならば、仏教の梵字をロシアがナチス的だと主張することも、ウクライナに突きつけた意味不明の言いがかりよりは現実味があるものではないか、少し戦慄してしまいました。だからといって、そうなった場合、門徒信徒はどうするか。
石山本願寺は織田信長の包囲をうけつつも五年間耐えまして、歴史をみますと自治権にちかい待遇とともに徳川家康の保護をうけ、いまでいう京都駅前に西本願寺とともに東本願寺は京都の玄関に古都の気風を放っています、しかしよくよくみると気づかされるのは。
掘り割りは、京都の寺院としては異彩を放つほどにはっきりと明示されています、いや掘り割りと高い壁はもともと京都の寺院にあって不思議なものではなかった、豊臣秀吉の京都大改造とともに御土居が京都全体を守ったために、移築された寺院が省いただけです。
城壁のような境界線を高らかに掲げ、確実な掘り割りは外部と遮断、実際東福寺など一部観光寺院は落書きに悩まされていますが、掘り割りを越えた東本願寺は落書きの話題はあまり、といいますか全く聞きません、平時にあっても防備を意識しているのですね。
京都駅前の集会といいますか、スピーカーを掲げての数名十数名のデモンストレーション、もちろん本願寺とは無関係なのですけれども、防衛力がなければ石山本願寺がどうなったのかを歴史として知っていますし、東本願寺の難攻不落という構造はごらんの通り。
現実をみることは大切でして、目を開く方法は簡単だ、京都駅前でアジテーションにて平和な日常を主義主張の押しつけでかき乱す方々は、ふと駅から五分ほど上れば現実を示してくれる堂宇があるのになあ、冬の寒さのなか、ふとそんなことを考えました次第です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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